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2018年6月 2日 (土)

東海道五十三次歩き23 国府~御油宿・赤坂宿・藤川宿~美合(前編)

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5/17に豊橋まで新幹線、それから前回乗車駅の国府で降りるともう御油宿はすぐです。そして御油宿と赤坂宿は東海道の宿駅間距離では最も短く1.7㎞しかない。その次の藤川宿までは8.8㎞で、これまた藤川駅は丁度いい電車がないので次の駅・美合まで歩きました。41623歩でした。この三宿には資料館がそれぞれあり、前後の宿、吉田と岡崎では城が資料館になっていていろいろ学べるようになっていました。資料館に行くたびに思う事:古文書がスラスラ読めたらどんなによかったか!以前カルチャーセンターで学んだ古文書講座は半年で挫折で、今古文書に見入っても何も読めない。
またこの区間では三面六臂または(八臂)の馬頭観音をいくつか見付けて、新たな石像を知って悦に入りました。

◆国府から御油宿までの間

・国府観音 この日は人形供養の日で、すでにたくさんの人形が運び込まれていた
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                                    西国三十三所観音菩薩像
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おびんずるさまは十六羅漢の第一の仏様で釈迦の直弟子だったのが、酒で破門され、その後修行して医者の家に生まれたので体を治す仏様になった・・・ということを初めて知る。
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・大社神社のこの長い石垣はすぐ近く田沼陣屋のものが移築されたそうだ。収賄で有名な田沼意次といえばチャンバラ劇「剣客商売」に娘とともに出てくる。この劇ではいい人。
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がましん(我が家の方は多摩信)蒲郡信用金庫のガマが可愛い
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・一里塚(76里目)を通り過ぎると、姫街道の追分がある。見付宿から浜名湖の北を回ってここに辿り着く。何時か歩いてみたいとは思っている。
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●御油宿(35番目の宿)吉田宿から10.3㎞。宿の長さも短いようだ。日本橋から約316.5㎞。本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠62軒。

・御油橋を渡った所から御油宿だ

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・高札場跡のはす向かいに、花・ベルツの実家があった。
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スモークツリー
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・問屋場跡を過ぎると御油松並木資料館がある。入口に樹齢380年の家康が最初に植えたと言われる大きな松の切株がある。中には御油宿の復元模型や広重の浮世絵版画、近世交通文書や旅装束などが展示されていた。
ちなみに御油の広重の絵は「旅人留女」で旅人を強引に宿へ引っ張りこもうとする留女の姿が描かれ、凄い力だったとか、可笑しみを誘う。「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、何のよしみに江戸通い」と当時の俗謡が飯盛り女が多かったことを物語る。
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・鈴木本陣跡の先には東林寺があり、飯盛り女や留女など遊女の墓がある。見つからなかったが。
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この辺りには軒並みにツバメの巣があり可愛い子供たちが親の帰りを首を長くして待っている
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・御油宿の東海道
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・御油の松並木は国の天然記念物で、1604年奉行の大久保長安によって植樹された。次の赤坂宿まで600mに渡って300本並んでいる。
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ここで「黒松」という松ぼっくり型最中を買って食べる
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●赤坂宿(36番目の宿)御油宿から1.7㎞。宿の長さは約1㎞。日本橋から約318.3㎞。本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠62軒。

・東見附跡を過ぎるとすぐ関川神社に「夏の月 御油よりいでて 赤坂や」の芭蕉句碑が立つ。夏の夜は短くすぐ明けてしまうことを、御油・赤坂間の距離の短さとかけた句。

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・問屋場跡に再現された高札場
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・浄泉寺には広重の赤坂宿の絵に描かれるソテツがある。左側には観音菩薩像群が。
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    後ほど見た豊川市のマンホールにはこの広重の絵が描かれていた
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・よらまいかん 無料の休憩所は江戸時代をイメージしている
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・隣の音羽生涯会館には赤坂宿場資料室があって、鍵であけてもらってここも見学。名物は草鞋だったそうだ。飯盛り女の身売り証文などもある。25歳まで生きられた人は殆どいなかったという。
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西見附跡を見て赤坂宿は終わる。次は元宿を経て藤川宿へと歩く。

◆赤坂宿から藤川宿の間

・杉森八幡神社 左は樹齢1000年の根が1本の夫婦楠・・大きい!右は年1回歌舞伎の公演が行われる舞台で、公演の際には小屋がけと呼ばれる竹のドーム屋根がついた伝統的な観客席が造られるのだそうだ。

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・毘沙門天標柱や一里山庚申道などを過ぎて本日の昼食へ。豊川市だけれども豊橋市で有名なヤマサちくわの音羽インター店で「ちくわうどんのいなり付き」。関西味のうどんつゆで北九州で慣れていたので美味しく食べられる。
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・一里塚(77里)を過ぎ、名電長沢駅付近の長沢城跡(東西三河の境目にあり、中世において戦略上重要な位置にあった)も見学せず。
「長沢の三尊種子板碑」県下最古の在銘板碑は正安2年(1300年)であり、梵字の石材工芸品である。板碑なのに石材?種子?謎だらけの宿題を背負わされた石碑となった。
https://kotobank.jp/word/板碑-31140

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・田んぼ 田植えは終わっているが、まだ堰が止められていない田圃。この近くには小学生が田植えした田圃があってめちゃめちゃに植えられていたのが微笑ましかった。
覗いてみるとオタマジャクシがたくさん見えた。
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・古い格子の家も多い
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・観音堂跡の三面の馬頭観音!
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コメント

だんだんこちらに近づいてこられました。
ベルツの奥さんが日本人であることは
知りませんでした。
シーボルトの奥さんのおイネさんは小説
になったりして有名なのですが・・・

豊川にも20年くらいご無沙汰です。

この中で分かるのは、美合を「みあい」
と読むことくらいです。

芭蕉の句碑が何度も見られてよろしいですね。
食事も土地のもので楽しみですね。

投稿: matsubara | 2018年6月 3日 (日) 07:54

★matsubaraさま

はい、愛知県に入って豊橋市、豊川市、そして今回は岡崎市に入りました。岐阜県のお隣ですものね。
私も花さんのことを初めて知りました。
全く知らないことばかりで歩いてみて良かったと思っています。
愛知県に入ってから芭蕉の句碑がとても多くなりました。見損なったり取り損なったりしたのもあります。
芭蕉と言えば奥の細道と思ってしまいますが、東海道とも縁が深い。伊賀出身と知りますと随分歩いたことでしょうと思いました。
名鉄名古屋線、もう随分駅を通りましたが名古屋までまだまだありますね。東海道は名古屋駅を通りませんが、2回後は帰りは名古屋から新幹線で帰ることになります。
暫く名古屋の食べ物を味わえますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月 3日 (日) 15:44

御油の松並木は覚えています。
旧東海道を歩いた時で、10年近く前のことになりますかねえ。
この松並木しか覚えていなくて他の写真の光景には記憶が無いのですよ。

いろいろ見聞なさっていて羨ましく思っています。
最近はハイキングやウォーキングをしていなくて
史蹟旧跡巡りが遠のいています。

明後日あたりに桑名の海蔵寺と岐阜・海津市の治水神社の写真をアップします。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年6月 3日 (日) 16:23

★Saas-Feeの風さま

国の天然記念物だけあって、御油の松並木はがっしりしています。松の勢いもいいです。
私もよっぽど印象に残った所でないと、もうどんどん忘れてしまっています。
さすがに小田原や箱根は忘れられませんが。というのも他と印象が違うからです。
お陰様で、今のところは伴侶がまだ寝付いていないことと、自分自身の健康が不完全ながら取り戻せたことで歩けることに感謝で、有り難いことです。大変でも文句を言えません。
桑名は3回位先になるでしょうか。先月25日に新安城まで行きました。次回は今月半ばです。暑くなりそうですし、あるいは梅雨で雨降りでしょうか。その時はやめますが。
桑名の写真愉しみにしています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月 3日 (日) 16:50

tonaさん、こんばんは~♪
今回も41623歩も歩かれたのですね。
tonaさんの御健脚ぶりには頭が下がるばかりです。
私の東海道宿の知識は静岡県までで、
愛知県に入ったとたん、チンプンカンになります。
現在の市名なら少しはわかるのですが・・・
「ちくわうどんのいなり付き」はいかにもこの地らしいですね。
おびんずるさまはいろいろなお寺で見てきましたが、
どうして赤いお顔をしているのでしょうね。
もっとも撫でられすぎて、剥げて木の色が出てきたり
したものもありましたが・・・
ベルツの奥さんが日本人であることは知りませんでしたし、
三面の馬頭観音は初めて見ました。
御油宿の東海道は趣がありますね。

投稿: hiro | 2018年6月 4日 (月) 01:14

こんにちは。広重の赤坂宿にソテツがありましたか。今、確認しましたが確かに大きなソテツですね。初めて知りました。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年6月 4日 (月) 08:09

★hiroさま

確かに静岡県は浜名湖まで名所をなんとなく知っていてところがありますね。
愛知県は通過点でした。
食べ物も違ってきたし、三面の馬頭観音が見られるようになったりと、それなりに変わって興味深いです。
私もおびんずるさまはどうしてお顔が赤いのか、まだ解明できないでいます。
仏像や石像の勉強も全然進んでいません(涙)
神奈川県と違って古い家が大分残っていてなかなか趣がありますね。
ベルツの奥さんの花さんのこと、ここが実家とは知りませんでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月 4日 (月) 08:43

★多摩NTの住人さま

広重が描いた蘇鉄、時代的にはまだ200年は経っていないと思うのですが、それほど大きくなったという感じではないという印象を受けました。
広重の絵と現在は随分変わってしまったので、こうして残っているものがあると嬉しくなります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月 4日 (月) 08:47

こんにちは
 
今回もすごい距離を歩かれましたね!
国府小学校区・御油小学校区を併せて同じ中学校区でしたので、
いちばん馴染みある区間でしたが、愛知を離れてからは
とんとご無沙汰。この記事でいろいろ教えていただき、
国府の大社神社の塀の石垣が、田沼陣屋のものが移築されたことも
初めて知りました。
国府祭りでは、この大社神社内で手筒花火が奉納されます。
御油の松並木も何十年ぶりかで見ました。ちゃんと守られているんですね。
ヤマサちくわの音羽インター店、車で帰省の時に入ったことが
ありますが、食事したことはありません。「ちくわうどんのいなり付き」
なーんてメニューがあるんですね。何だか愉快です。
でも、ヤマサのちくわは、本当は熱を加えずそのままいただくのが
いちばん美味しいと思っています。
何にしても、せっかく歴史ある故郷なのに、知らないこと
行ったことのない所などが多すぎて、かっていかに狭い範囲で
生きていたのかと痛感しています。
この歳になってそういう隙間を埋めたいとも感じているのですが、
全然行かれない、行っても1泊では親戚と顔を合わせ食事するだけで
時間切れとなり、果たせないままでいます。

投稿: ポージィ | 2018年6月 4日 (月) 12:55

★ポージィさま

国府祭りのことが書いてありましたがイメージが浮かびませんでした。写真などで見ればよかったのですが。手筒花火が奉納されるのですね。花火も外側が縄ですが、草鞋も有名だそうで、稲わらから活用されているのが多いのですね。
ちくわは暑くて腐ってしまうと思ってこの前の豊橋では買いませんでしたので是非食べようということになりました。生の方が美味しいのですね。結局帰りに豊橋駅で娘にヤマサちくわとわさび漬けを買ってもらいましたので加熱しないで食べました。

私も茅ヶ崎は線路から南の東海岸地帯に住んでいましたので、線路の北側の東海道について殆ど知らないでいました。
帰省で歩き回っている暇はありませんよね。
私もいつもそうです。どんどん海岸方面も変わって行くのに食べて体を休めるだけで墓参と実家帰りは終わります。
国府から御油はとても近かったです。御油と赤坂も。ポージィさんの故郷のそばを歩けて光栄です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月 4日 (月) 16:54

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