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2018年6月14日 (木)

東海道五十三次歩き24 美合~岡崎宿~新安城(後編)

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●岡崎宿の続き

・いよいよ岡崎公園の中の岡崎城へ27_450x300
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                                    龍神神社の前のご神馬
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  天守閣(昭和34年復興)  手前右は亀の台座の上に家康公の遺訓碑が。
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家康は1542年にここで生まれ6歳で織田信秀の人質、8歳で今川義元の人質に、19歳の時の桶狭間の戦いにて義元戦死でここに戻る(1560)。10年後1570年に嫡男信康を城主とし、自分は浜松へ。秀吉によって家康が関東に移されると、二十七曲を造った秀吉の家臣・田中吉政が城主。江戸時代になってからは岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏、水野氏、松平氏と家格の高い譜代大名が城主となったと説明されていた。他、武具や城下町の産業(鋳物・刀鍛冶、石工道具、三河花火、矢作川舟運、八丁味噌など)やジオラマが展示されていた。
                                      5階展望台からの景色
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石垣めぐりのマップに寄れば、岡崎城跡には見えないものも合わせて23種類の石垣が紹介されている。岡崎産の花崗岩が使われている。
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またまた芭蕉句碑を見、家康公の銅像、花時計、二の丸の跡の能楽堂、東照公産湯の井戸などを見学した。
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・城から八丁ある八帖町、八丁味噌発祥の地だ。「い」から始まった標柱の最後に見た「れ」は1枚板で草履も絵で描いてあった。
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カクキュー(1664年創業)とまるや(1337年創業)がある。

まずカクキューの方で「味噌煮込みうどん」の昼食をとる。白い大きな食品は「たま麩」だそうだ。八丁味噌(豆味噌)の味が少々鹹いけど、汗をかく歩きには塩分補給になった。
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                  自販機が八丁味噌色
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まるやで工場内見学
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高さ2m、重さ700㎏の木桶に約6トンの味噌が入れられ、その上に3トンの重石が円錐状に積み上げられる。一人前に積めるようになるには10年かかるそうだ。八丁味噌が欧米、オーストラリアやニュージーランドに輸出されているそうだ。
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カクキューとまるやに挟まれた旧道を進み矢作橋(東海道三大大橋)を渡る。江戸時代9回も架け替えられたとか。広重の岡崎宿の絵に描かれている橋だ。
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渡った先に蜂須賀小六と日吉丸の出合之像がある。秀吉は出世前はこんなところにいたのだ。この辺りで岡崎宿とお別れ。
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◆岡崎宿から新安城駅まで

・家康の長男信康の肖像画や遺品があるという勝蓮寺は見られないのでパス。弥五謄神社(やごとう神社)を通り過ぎ、誓願寺十王堂を覗く。この寺は浄瑠璃姫と義経にまつわる伝説があるらしい。
                    十王堂の中

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・竊樹神社(ひそこ)という字も読みも難しい神社を過ぎ、薬王寺の手前に「三河国薬王寺刀匠鍛刀造趾碑」がある。室町後期から薬王寺派の刀鍛冶集団が住んでいたそうだ。
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安城市に入って松並木が続く。松の根元にはマツバギクがずっと植えられキラキラ輝いている。
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         暑いので夕方近くならないと見られない猫、癒される。
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・東高根用水祈念碑や予科練の碑( 第一岡崎海軍航空隊跡)、一里塚跡(83番目)を過ぎた所で安城市のマンホールがあった。安城市発祥の三河万歳の扇と鼓。
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・永安寺 助郷役を宿場から命じられたとき、村の窮状を訴えて免除を願い出た庄屋・柴田助太夫は1677年に死罪になった。その恩に感謝し村の人々が彼の旧宅跡に草庵を建立、のちに寺として整えられた。その頃からある雲竜の松で推定350年。枝張りが東西17.9m、南北24.7mで、高さ1.5mの所から雲を得て昇ろうとする竜のようでこの名が付いた。何て大きな立派な松なのでしょう!
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                三十三所観音もあった
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明治川神社交差点に立つのは明治用水記念碑。矢作川から水を引き、西三河を灌漑するための用水路で、この一帯は「日本のデンマーク」と言われる農業地帯となったそうだ。

                また松並木で涼しく感じる
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・扁額が落ちてしまっている青麻神社は道端に石造物がごろごろとあるだけだが、明治初期に活躍した力士、濱碇(はまいかり)の像が目立つ。
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ここを左に曲がって新安城駅へ。豊橋からひかりに乗れる時間帯だったが、金曜日で混んでいる模様で、先に出るこだまに乗車したが2時間10分もかかって東京駅に到着。家には10時過ぎの到着になった。
お弁当もほとんど売り切れだったが、買えたのはおかずがなくてわびしい助六寿司だった。が美味しかった。
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コメント

家康、秀吉と歴史上有名な人たちの出身地という事で、見どころの多い場所ですね。
雲流の松350年、素晴らしい松で私もこんなの見たことない。
松枯れ病が流行ったり幾度も危機があったでしょうに良く生き延びたものです。
八丁味噌の工場見学もされたなんて、
短い旅なのに密度が濃いです。
八丁味噌作りでは今でも石を積むのですね。
機械化しているのかと思いましたが、手作りなのがビックリです。
だんだん遠くなっているのに泊まりナシで
頑張ってらっしゃるのが凄いです。

投稿: ☆銀河☆ | 2018年6月14日 (木) 23:27

こんにちは。本当にたくさん見るものがありますね。日吉丸と蜂須賀小六の出会いの像があるとは知りませんでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年6月15日 (金) 07:57

岡崎城を思い出していますが、もう20年もたち
忘れかかっています。
八丁味噌のことも有名ですのに、工場は見て
いません。

最初の地図で思い出しましたが、有名な八橋の
かきつばたは3度ばかり見に行きました。
母も元気でしたので一緒でした。

この季節になると思い出します。ブログにも
書いたと思います。

ニャンコもうまく撮れていますね。

投稿: matsybara | 2018年6月15日 (金) 08:01

tonaさん、お久し振りです。
八丁味噌の記事がありましたが、私が南信で調査を行った日本国内最小のトンボ「ハッチョウトンボ」=「八丁蜻蛉」。
最初に発見され命名されたのが矢作川周辺の湿地で八丁という和名が付いたと言われています。
私の最新記事で掲載しておりますので、ご覧下さい。

投稿: wakasama | 2018年6月15日 (金) 09:31

岡崎公園には当時は幼かった子どもたちを連れて行ったことを思い出しましたが
お城に入ったのかどうか・・・
写真を探したのですがアルバム内には見つけられませんでした。
さすがに家康公の像がありますね。
東海道を歩くと幾基の像が見られることでしょう。
松並木が残っていますね。
いつでしたか、マツクイムシの被害に遭った東海道松並木があったような記憶がありますが
残っていることは管理が行き届いているということでしょうか。
自販機が」八丁味噌色とは驚きました。

岡崎城下は二十七曲り・・・
桑名城下は七曲りです。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年6月15日 (金) 16:19

こんにちは
 
やはり一度はちゃんと岡崎城にも行ってみたいなと思いました。
それにしても、徳川家康という人、改めて数奇な運命といえそうです。
時代の流れとこの人の人生がちょうどうまく重なり合って、
天下を治めることになったのでしょうねぇ。

八丁味噌の工場も見学なさったのですね。最近では、八丁味噌という
ブランドを巡って論争が起きているとか。
私が子供の頃は、白味噌も使いましたがやはり赤味噌が主。
そうそう、うちの辺りでは八丁味噌より赤味噌と呼んでいました。
作りは大豆と塩と水だけで長期間熟成という、八丁味噌と同じです。
そんなブランド名で争わなくたっていいのに~
豆味噌についてこんなページを見つけましたので貼っておきますね。
http://aichimiso.jp/museum/what.html
現在わが家のお味噌汁はほとんど白味噌ですが(夫の嗜好に合わせて)、
でもこの具には赤の方が合う!と思うものもけっこうありますし、
たまにどうにも赤味噌の味が恋しくなって、赤味噌で作ることもあります。
家では母が「煮味噌」と呼んで、ネギや白菜こんにゃく、茸などを
赤味噌と野菜から出る水分だけで煮込んだ料理を時々作ってくれました。
地味~な料理でしたが、赤味噌と優しの甘みがマッチして
私は結構お気に入りでした。赤味噌だからこそ煮込み料理に使えるのです。
夫が食べてくれそうにないので、結婚してからは作ったことが
ありませんけれど。
すみません、自分の思い出話になってしまいました (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

投稿: ポージィ | 2018年6月15日 (金) 17:48

すみません、最後に近い方訂正させてください。
 赤味噌と優しの甘みがマッチして
      ↓
 赤味噌と野菜の甘みがマッチして

投稿: ポージィ | 2018年6月15日 (金) 17:50

こんばんは happy01
岡崎から安城への東海道歩き、お疲れ様でした。
岡崎城の中は入ったことはありませんが、桜の季節に地元の旅仲間たちとお花見をしたことがあります。
本場の味噌煮込みうどん、いかがでしたか?我々愛知県人にとって暑い季節に汗をかきながら食べるも良し、寒い季節に体の中から温めるのも良し!のメニューです coldsweats01 ヘヘッ!
助六寿司、見た目は質素ですが油揚げの甘味が絶妙で、とても美味しかったでしょう?!若い頃、海外旅行から2ヶ月ぶりに帰国した時、京成成田駅構内の売店で助六寿司を見つけて、即買いしたことがあります。(笑)

今日この続きを歩かれたのですよね。安城から知立、名古屋市内有松まで歩かれたのでしょうか?お天気が今一つで少し雨に見舞われたのでは?続きの記事、楽しみにしています wink

投稿: 慕辺未行 | 2018年6月15日 (金) 23:12

★☆銀河☆さま

戦国時代、安土桃山時代から江戸時代へと大きく流れを変えた大人物たちの生まれたあたりは、また戦乱が渦巻く時代だったのですね。
そのうちの岡崎をたっぷり歩きました。
雲龍の松は写真では撮りきれない大きさでした。虫にやられたでしょうが、そんなそぶりが見えず、素晴らしい枝振りでこんな立派なのは初めてです。
八丁味噌は手作りです。大きな桶と言うより樽と言う感じの中にこんなにたくさん入る。2年も寝かすのです。歴史が古い事にも驚きました。
朝がだんだん早くなりました。今朝は5:17に乗りました。ひかり指定関でね。帰りはのぞみでした。だから日帰りできました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月15日 (金) 23:22

★多摩NTの住人さま

こんばんは。今日はその先に進んでさっき帰ってきました。
有名な蜂須賀小六の出会いが家康の生まれた岡崎城の近くだったとは驚きました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月15日 (金) 23:25

★matsubaraさま

お宅では八丁味噌系の赤だしでしょうか、お味噌汁を美味しくいただきましたね。
今日、カキツバタは咲いていませんでしたが行って参りました。今、改良をしているところだそうです。
八丁味噌の工場見学は見学後に蒟蒻の味噌だれつきをいただき、赤だしを少しお土産にいただいてきました。勿論味噌かりんとうとかお土産も買ってきました。
社長は高校生に英語で説明していましたよ。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月15日 (金) 23:31

★wakasamaさま

こんばんは。
おひさしぶりです。
コメント有難うございました。
ハッチョウトンボ拝見しました。
凄く小さいのですね。
この回に矢作川を渡りましたよ。
八帖町があって岡崎から八丁あったから呼ぶようになったとか。その八丁と矢作川は隣り合っていて近いですね。信州にこのトンボがいたのですか。
よく見つけられましたね。
教えてくださってありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月15日 (金) 23:47

★Saas-Feeの風さま

やっぱり岡崎城にいらしているのですね。
石垣もいっぱいあって、天守閣も再建され、きっと登っておられると思います。
家康公の像は立派でした。あちこちにあるのですね。
この当たりは家康に関することが目白押しでしょうか。
杉並木は随分見ましたよ。茅ヶ崎では切られた株が保存されていました。私も他で虫にやられて植え替えたのも見ましたが、忘れて調べないと何処とは言えない、情けないです。
松の管理はとても大変とどこかに書いてありました。
桑名宿、もしかして今日鳴海まで行ったので、次回桑名に少しは入れるかもしれません。七曲りですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月15日 (金) 23:58

★ポージィさま

徳川家康がまあ、いろいろなずるい手も使いましたが、天下を取るには仕方なかったし、天下を取って安泰な江戸時代を造ってくれてよかったです。
そうなんですね。八丁味噌が論争になったのはごく最近ですね。この2つの会社以外の味噌は八丁と使っては行けなかったのでしたっけ。
そうでしょうね。赤みそ懐かしくなるでしょう。私は八丁味噌そのものは食べられないですが、赤だしと言う名前で買っていただきます。なめこを使う時はこれでなければ。
赤みそだったのですね。豆味噌について教えていただきありがとうございます。拝見しました。
色々な特徴があることもわかりました。
お母様が作ってくださったのも美味しそうです。真似してみようかしら。
味噌の一つの文化圏に入ったわけで、今日も帰りに味噌煮込みうどんにしてしまいました。おつゆは飲みませんでしたが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月16日 (土) 00:12

★慕辺未行さま

岡崎城あたり桜も多いのですね。
さぞかしきれいでしょう。
うどんもこちらと違うし、お味噌も濃く、勿論汁は飲めませんでしたが、歩いて汗かいたときはうってつけですね。
今日も帰りは名古屋でみそ煮込みうどんでしたよ。
助六寿司は美味しかったです。名物ですものね。今日のお昼は助六ではなくて全然別ですがお寿司でした。
今日は午前中は雨でしたが午後は降られませんでした。
重要伝統的建造物群の有松の建物、素晴らしかったです。随分長く続いていました。本当に良かったです。ご一緒出来なくて残念でした。
今日は鳴海まで歩きましたので来週は桑名の方まで行くかもしれません。
また来週お知らせしますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月16日 (土) 00:21

私は未だ岡崎城には行った事がないので、この記事を見て行ってみたいなぁ・・・
家康公は此処で生まれ天下を取り統一させたのですから、家康公一色は当然でしょうね。

あちこち旅行に行って分かりましたが、その土地の権力者がいると
その権力者を大々的に語り続けてますね。

八丁味噌発祥の地だったのですね。
八丁味噌って今だに木桶に重しを乗せ2年も寝かせるのですか。

推定350年の雲竜の松、立派ですね。
私も何処だったか?名前が出てこないのですが、素晴らしい松を観たもですが・・・

投稿: ラッシーママ | 2018年6月16日 (土) 23:44

★ラッシーママさま

岡崎城はまだでしたか。
このお城と八丁味噌と木下藤吉郎とがこんな近くの位置関係だとは行って見るまで思ってもみませんでした。
本当に百聞は一見に如かずですね。元気なうちになるべく見てみたいとは思いますが、なかなかそうはいかないところが浮世です。というより腰が重くなってしまったのが原因かしら。
そういえば仙台も真田も行ってないですね。
八丁味噌の造り方はテレビでも見たことがありません。期間が長いですが、造り方や原理は割合簡単に呑み込めました。豆麹だけで大豆一色です。
私はこんなに枝張りの長い松は全く初めてで驚いてしまいました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月17日 (日) 09:01

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