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2018年6月11日 (月)

東海道五十三次歩き24 美合~岡崎宿~新安城(前編)

5/25(金) 先の戦争の大空襲で往時の面影が殆どない岡崎宿だけれどもいろいろ力を入れている。その岡崎宿と岡崎城、八丁味噌の発祥地で営業を続けている2つの老舗の見学を中心に歩きました。暑くなり、1年ぶりのアイスクリーム日和でした。40662歩。
新幹線の殺傷事件の犯人が岡崎の人と聞いてびっくり。
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◆美合駅から岡崎宿まで

・プローディアが咲いていた。庭に咲かせておられるブログ友Sさまに教えていただきました。ありがとうございました。
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・地蔵寺 名前の通り、いろいろなお地蔵さまに会える。六地蔵、聖観音菩薩、子育地蔵尊、抱き地蔵、水をかけると心もきれいになる水掛地蔵尊などなど。それに愛知県に入ってから知って気になる、鯖大師や三面馬頭観音にも会えた。
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・河原で馬がくつろいでいる。4月に行われる家康行列のための馬だという。
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・岡崎市のまたまた別バージョンのマンホール。岡崎城と乙川の五万石船である。
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・大岡越前守忠相の西大平藩陣屋跡・・大岡忠相は将軍吉宗の口添えでこの岡崎の領地を加増され、72歳のときに1万石の大名になった。町奉行から大名になったのは大岡忠相のみである。大岡家は江戸に常駐する定府大名で、家臣の多くは江戸に住んでいて、この陣屋に詰めていたのはわずか十数人だったそうだ。廃藩置県まで7代にわたって治めた。私の故郷茅ヶ崎にも領地があって、墓所は茅ヶ崎だし、大岡祭も4月に開かれていた。
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陣屋内に大岡稲荷神社がある。大岡越前守はここの領地に近い豊川稲荷を信仰していたので、社殿を建立した。
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・ここからすぐ近くに常夜灯と地蔵堂があって、地蔵尊や三面六臂の馬頭観音が並んでいる。
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・大平一里塚(80里)向かい側に立派な一里塚が残っているが、片方のみで手前側はなくなってしまっていた。国指定の文化財だ。
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・大平松並木
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●岡崎宿(38番目の宿)藤川宿から6.7㎞。宿の長さは約4.5㎞位か、とても長い。日本橋から約335.9㎞。本陣3軒、脇本陣3軒、旅籠112軒。

・いよいよ岡崎城下の入り口、冠木門と二十七曲(まがり)の説明板があった。手元の風人社の地図で曲りをなぞってみると確かに27回曲がっている。

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宿の枡形は参勤交代の大名の鉢合わせを防止するために設けられた。城下町の枡形は外敵からの防衛のためだった。岡崎は宿と城下町を兼ねるが主なる目的は外的防御のためだった。
この大改革を行ったのが、家康が関東移封後岡崎城主となった田中吉政だった。

・複雑に曲がるが、角ごとにこんな標柱が立っているので迷わず行ける、というか私は娘の後にくっついて行っただけだが。標柱の上に草履がのっているのが面白い。
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・初めての角を曲がると根石原観音堂がある。この辺りに住む90歳に近いと思われるおばあさんが観音堂のリーフレットをくださった。何でも毎日お詣りしていた御主人がピンコロで昨年亡くなったのはこの観音様のお蔭だったと。あやかりたく通りがかりの者だけどお詣りした。
家康が初陣の時祈願し軍功を上げた。本尊は行基作の観世音菩薩。
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・宿の中心の伝馬町の通りの両側に10ずつ20も街道にちなんだ石造物が並ぶ。なかなか可愛いので全部写真を撮ってしまう。お茶壺道中、朝鮮通信使、助郷、飯盛女、田中吉政、人馬継立、三度飛脚、塩座、御馳走屋敷、籠田惣門、旅篭屋、市隠亭、一里塚、往来手形、作法触れ、あわ雪茶屋、矢作橋、二十七曲、駒牽朱印、本陣・脇本陣。
この説明を読んでいると、当時の宿場での特に大名や偉い人に対しての接待がいかに大変かがよくわかった。

お茶壺道中・・宇治茶を幕府に献上するお茶奉行をもてなすための負担が大きく各宿場から恐れられていたとか。
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                      朝鮮通信使
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          御馳走屋敷 岡崎藩の迎賓館的役割を持った屋敷
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          籠田惣門 東海道から城郭内に入る門の一つ
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作法触れ 行列が来ると町奉行から、前日から下肥をまくなとか、手桶・帚・提灯を出しておくこと、通行に際しては土下座をすることなど指示され御馳走触れも出され、出迎え支度が大変だった。
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・岡崎信用金庫資料館(日本や世界の貨幣の歴史や展示があるそうだ) 最初は岡崎銀行本店だった。国の有形文化財。
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・東総門跡
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・又曲がって田中吉政像(二十七曲を造った岡崎城主)
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・また何度か曲がって大林寺へ 
戦国時代の松平氏の岡崎城の守りの拠点となった寺
家康の祖父・松平清康と夫人春姫の墓、家康の父・広忠の墓がある。
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・向かいには唐弓弦(とうゆみづる)という看板のかかった家があった。かつての岡崎は三河木綿の特産地だった。唐弓弦とは江戸時代に使用されていた綿をうつ道具でこれを扱っていた店だ。
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・曲がった所に白山神社があって、唐弓弦と取引があった大阪の問屋が奉納した石灯籠が残る。
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コメント

こんばんは(^o^)/!
岡崎と言えば家康、そして八丁味噌!
もう数十年も行っていませんが、かつては仕事で岡崎へ何度も行ったものです。しかし悲しいかなあくまで仕事、そして車で走り回るだけ。道路沿いにある様々な石像に気がつくこともなく・・・(。_。)!
実際に歩いてみると、色んなものがあるのですね。営業車で通り過ぎるだけだった私にとって、今さらながら改めて教えられた思いです。

今週・来週は母の介護です。6月26日から7月8日までなら時間が取れるかもしれません。宮宿まで歩かれたら、次は桑名でしょうか?さすがに姫街道は歩かないですよね?!

投稿: 慕辺未行 | 2018年6月11日 (月) 23:20

★慕辺未行さま

おはようございます。
さすが家康の生誕地・岡崎、随分広い城下町ですね。
道をたくさん曲がりましたが、新しく道路が出来ていますので、どのように歩いたかが思い出させないくらいです。
可愛い石像は何時出来たのかわかりませんが、もしかして新しいものでしょうか。
いろいろ説明されていて、そして標識をたくさん立てていて、跡だけですが熱心さが伝わってきました。
姫街道は何時になるか未定でとりあえず京都までまっしぐらです。
今週、来週と歩いた具合で決まると思いまので又メールいたしますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月12日 (火) 08:32

こんにちは。大岡忠相は72歳の時に1万石の大名でしたか。知りませんでした。勉強になります。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年6月12日 (火) 08:44

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
確か75歳位で亡くなるので、大名としての期間はとても短かったのですね。それにしても当時としては長生きで、最後に大名になれてよかったです。名奉行としての顔しか知りませんでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月12日 (火) 09:50

岡崎はお城以外は全く行っていません。

あの新幹線のとんでもない殺人犯は家庭的に
問題があり、祖母に引き取られ、好き放題に
カードのお金を使っていたそうです。
おばあさんは、孫がまさか刃物を買うとは
知らず、カードを与えたのでしょう。

大岡越前忠相にも関連がある所なのですね。

愛知の中でも、尾張と三河は反目しあい
我こそは信長と秀吉の尾張と言い、
三河は家康の三河だと譲りません。
そんな話を三河出身の人から聞きました。
相当昔のお話です。

投稿: matsubara | 2018年6月12日 (火) 10:57

tonaさん、こんにちは~♪
今回も40662歩も歩かれたのですね。
毎度のことながら、その脚力に脱帽するばかりです。

大岡越前守忠相は名奉行としてドラマになるほど有名ですが
大名にまでのぼりつめた事は知りませんでした。
陣屋跡もずいぶん立派ですね。
伝馬町という地名は宿場と関係あることをtonaさんのブログで知りました。
石仏や石像もたくさん残っており、当時の面影が偲ばれます。
岡崎信用金庫資料館の赤レンガの建物は重厚で立派ですね。
二十七曲も曲がると、距離も相当あるのでしょうね。

投稿: hiro | 2018年6月12日 (火) 12:51

岡崎は通過したのみとばかり思っていたのですが
最近になって岡崎公園や龍城神社に寄ったことを思い出しました。
でも、お城にいったのかどうか思い出せません。

ご紹介の場所についても、おそらく行ってはいないと思っています。

石像が幾つも並ぶ街道筋を歩いてみたいですね。
これら石像は、もともとは別のところにあったのものでしょうか。
それらを集めて並べたということなのかと思いました。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年6月12日 (火) 14:15

お嬢さんに付いて行くと、弱った膝がしゃきっとしそうです。
お2人とも、歩きに関してはベテランの域ですね。
またも未知の地域ですが、岡崎は面白い宿ですね。
お茶壺道中、作法お触れなど、大名を迎える側は苦労が多いですよね。
たい焼きにも似たのはご馳走屋敷!
宿の枡形は、鉢合わせしない為の柵。
城下町は外敵防備ですか、目的が違うのも面白いです。
二十七曲がりって、本当にあるんですね!

投稿: だんだん | 2018年6月12日 (火) 18:10

★matsubaraさま

岡崎城は広かったです。
尾張と三河の反目のお話、さもありなんという感じで頷けます。3人とも割合近い所で生まれたというのも凄いことですね。

新幹線の事故、2度目になり共に小田原に到着前に起こっているのですね。
殺された方が本当にお気の毒。彼が楯になってくれたことにより逃げ場のない車内の人々が皮肉にも救われたのです。
私たちが歩いたときは長野で野宿していたのですね。
今後こんな事件が起こらないように願うばかりです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月12日 (火) 19:34

★hiroさま こんばんは♪

急行などが停車する駅の電車に乗るためには、どうしてもそこまで歩かなくてはならず歩数が多くなってしまいます。
いつまで歩けるのでしょう。歩けなくなるまででやります。
1万石だと城は持てないで陣屋だということも今回の街道歩きで知りました。
伝馬町は東京にも駿河にもありましたっけ。岡崎の通りは中心部にありました。
レンガの建物はいいですね。
27曲がりで4kmあるようです。他より長かったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月12日 (火) 19:48

★Saas-Feeの風さま

岡崎公園には天守閣が再現されていました。
宿場内はそれほど道から外れて歩くということはありませんでしたが、距離が長かったです。
私もじきに忘れてしまいそうですね。
というのも今までの所も随分忘れています。宿場の名前をずっと続けて岡崎まで言えないかもしれませんし。
石像で説明して力が入っていますね。ここでも知らなかったことが多かったです。大名を迎える宿場の苦労がよくわかった宿場でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月12日 (火) 20:00

★だんだんさま

確かに坂を登るのも遅くなって歩き方が遅くなりました。驚くことに駅までの歩く時間が5分も遅くなったことです。
ということは私より若い娘の速度について行くのは結構大変で、でもさっそうとしていた昔並みに歩こうと努力はしますね。
お茶壺道中、作法お触れなど今回初めて知りました。やっぱり土下座させられていたのですね。みんな隠れてしまうのかと思ったのですが。
ご馳走屋敷では食事に鯛が出たのでしょうか。
宿と城下町の枡形の目的が違っていたなんてね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月12日 (火) 20:11

岡崎は車で何回も通過してますが降りた事がないので、興味深く拝読させて頂きました。
大岡越前守忠相は名奉行としか知らないですが、岡崎に西大平藩陣屋跡は大きなお屋敷があったのでしょうね。

伝馬町の通りの両側に沢山の石造物が並んでるようですが、どれもユニークで可愛いです。
作法触れがあって色々と制約があって、通行に際しては土下座
指示され御馳走触れも出され、出迎え支度が大変だったようですね。
この時代は身分制度があって生きるのに大変だったでしょうね
それに比べ今の時代は言いたい事が言えるし、自分次第で何とでも生きられる自由さ
現在に生れて良かった。

投稿: ラッシーママ | 2018年6月12日 (火) 22:06

tonaさんの「東海道歩き」、40662歩の日もあるとは驚きました。
私も先日宿場町を歩きましたが、最近は郷土の文化遺産の保存に力を入れている所が多くて驚かされます。

TVドラマの「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相の西大平藩陣屋跡・・
立派ですね。
>町奉行から大名になったのは大岡忠相のみである<
私は大岡越前守忠相の詳しい事は何一つ知らなかったです。
茅ヶ崎にお墓があることも・・・
(岡崎は遠いけど、こちらは我が家から近いのでいつか行けるかな?)
板橋宿の陣屋跡は碑があるだけで、大きなマンションが建っていました。

作法触れにご馳走触れ、宿場町の住民も大変でしたね。
中山道の宿場町の陣屋は加賀の前田利家や皇女和宮の利用などがあり、テンヤワンヤだったことが想像できました。

投稿: nao♪ | 2018年6月12日 (火) 23:37

★ラッシーママさま

岡崎は通られたことがあるのですか。
標柱と石像だけでも癒されますが、再現された岡崎城もあって結構時間がかかりました。
そうなのですよ。大岡越前守は名奉行のイメージしかなく、また茅ヶ崎に領地があってお墓がるということしか知らなかったです。
石造物20もあって楽しみました。
土下座している人民の姿の石像なんて初めて見ました。
テレビのチャンバラではそれほど土下座の場面はいつも見るわけでないですね。
本当に今の時代に、それも日本に生まれて良かったと思います。
世界政治が複雑になってこれからはどうなるかわかりませんが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月13日 (水) 08:37

★nao♪さま

郷土の文化遺産保存はどこも力を入れていますね。持っているところは誇らしいと思います。維持管理が大変ですが。
私は茅ヶ崎が故郷となっていますので、大岡家のお墓に行ったことがありますし、大岡祭もあるので、知っておりました。名裁きの場面は横目で随分眺めています(夫が見ているので)。
ところが大名になった時岡崎の領地が加増されたということは知らなかったので面白かったです。
お触れが出されれば、人民は「ははー」と言ってどんな無理難題にもこたえなければならなかったわけですね。
全然違うのですが今回の米朝会談のシンガポールの受け入れ準備の模様を思い出してしまいました。
和宮降嫁の道中整備は随分のお金がかかって各宿場は大変だったようですね。
もし行けたらの話ですが中山道は京側から東海道の続きから入ろうと思いますので、板橋には辿り着けそうにない感じです。まだ東海道さえ制覇してないですから。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月13日 (水) 08:49

こんにちは
 
この回も4万歩を超えて歩かれたのですね。このところ毎回。
お嬢さんともども、本当にご健脚でいらっしゃいます。
岡崎は1~2度電車で降り立ったり車で行ったことがある程度で
岡崎城すら行ったやら行っていないやら…決して遠くはないのに
馴染みの少ない街でした。こういうのを近くて遠いというのでしょうか。
大岡忠相の領地が岡崎にあったとはまるで知りませんでした。
豊川稲荷を信仰していたというのも、もちろんのこと。
陣屋跡がこのように綺麗に残されているのですね。
色々な見どころがきれいに整備されていて、保存や観光に力を
入れているのでしょうね。やはり何と言っても家康の生誕地ですし。
伝馬通りの宿場にちなんだ石造物たち、面白いですね。
岡崎は花崗岩が採れ石産業が盛ん、石工さんたちも多いと、
これはtonaさんの記事に刺激されて色々検索していて初めて知りました。
そうだったの!?と新しい発見をたくさんさせていただいて、
岡崎に親近感がわきました。
次の安城は、名鉄の安城駅、新幹線の三河安城駅として知っているだけで、
どんなことを教えていただけるのか、これまた楽しみです。
 

投稿: ポージィ | 2018年6月13日 (水) 17:47

★ポージィさま こんばんは♪

毎回どうしても4万歩越えてしまうのです。特急や急行が停車する駅までどうしても歩かねばならないからです。
大岡忠相の領地が加増されたのが岡崎だったとは!それに豊川稲荷を信仰していたことにも驚きましたね。
陣屋の塀の中には神社しかありませんが、井戸もありました。
岡崎は三河木綿の特産地だけでなく、花崗岩が採れたのですか。石産業が盛んだったのですね。
舞坂の松並木には東海道五十三次の絵が彫ってありましたし、愛知に入ってから二川、吉田、御油、赤坂、藤川そして岡崎とどこも全部資料館があっていろいろなことを知ることが出来ました。
石産業のことを教えていただき有難うございました。

投稿: tona | 2018年6月13日 (水) 21:28

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