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2018年6月28日 (木)

東海道五十三次歩き25 新安城~知立宿~鳴海宿(3)

先日テレビで「外国人がはるばる買いに来るスゴイ日本製品ランキング16」という番組があって有松が出てきたのでついでに全部見ました。
ランキングの15位に有松絞りのハンカチが入っていました。本当に凄い!
ちなみに一位から並べると、1.ニッカウィスキー(北海道)2.アメ横のお菓子 3.靴下・5本指など(原宿)4.アメ横の焼き海苔 5.あぶらとり紙(京都)6.七味唐辛子(京都)7.古着(原宿)8.木版画(京都)9.箸(銀座)10.絵具(天王洲)11.カー用品(町田)12.布(日暮里)13.錦鯉(新潟)14.革財布(浅草)16.傘(浅草)

◆豊明市から有松までの間・・・桶狭間の戦いに関する史跡があった。

・名鉄前後駅の先を右手に上って行くと戦人塚がある。桶狭間の戦いの戦死者2500人余を供養したところ。前後という地名も今川軍が狼狽して前後して逃げ惑ったという説がある。

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・豊明市の端の方に桶狭間古戦場跡がある。1560年に駿河・遠江・三河の今川が尾張の織田勢の急襲を受けて、義元が戦死した。信長は清州を出るときは6騎だけで、熱田神宮に戦勝祈願した時は1000人、合戦の時は軍勢3000人。対する今川25000人の軍勢だったという。
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                今川義元の霊が祭られている墓
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桶狭間七石表 
今川武将の七人の戦死場所の碑で一号碑が義元の戦死場所だ。二号碑が松井宗信の戦死場所。桶狭間古戦場はもう一つあるという説があってそこは名古屋市緑区で少し遠いために行かなかった。まだどちらが本当の古戦場だったかは決着がついていないという。
               義元の戦死場所(一号碑)
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向かいの高徳院境内にはお化け地蔵(亡霊を鎮めた地蔵)などいろいろな地蔵が並ぶ。そこに義元仏式の墓碑(法名を刻んで建立された供養塔)もあった。
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◆有松宿(間の宿) 
重要伝統的建造物保存地区(平成28年選定された。現在117ヶ所ある)で美しい街並みは800m続いている。重伝建であることを慕辺未行さまに教えていただきました。有難うございました。有松・鳴海絞りは国の伝統的工芸品に指定されている。

ついに豊明市から名古屋市緑区に入った。有松宿に着く。

        どの家にも「ありまつ」の絞り染めののれんがかかっている56_450x300
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       名古屋市の消火栓のマンホールは名古屋城としゃちほこだ
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               別バージョンはアメンボとのこと
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            有松のは絞りをイメージしているのでしょうか
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有松山車会館。3台の山車があり、交互に1台ずつ展示している。土日祝日しか開館していないということで見られなかった。
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服部家は1790年創業の絞り問屋。屋号が井桁屋。11棟の建物が県の有形文化財。主屋の2階は黒漆喰の塗り籠造、屋根に卯建が上がる。土蔵は漆喰の塗り籠造、腰はなまこ壁で防火対策を行っている。連子格子、虫籠窓等なんて美しいのでしょう。
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中舛竹田荘は有松絞りの開祖、竹田庄九郎ゆかりの建物で外観だけ江戸期の様式を再現。現在デイサービスの建物として使われている。
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絞り問屋の竹田邸の屋根の上には、明治時代のガス灯の名残のランプが置かれている。
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岡家住宅(右手)の二階窓は優美な縦格子だ。広重の絵の鳴海宿ではよくこれが描かれている。
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小塚家の立派な卯建。この建物は塗籠造のうち最も古いものの一つと言われる。
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この辺りで街並みが終わるが、電柱がなかったのでより美しかった。
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・有松の氏神の有松天満社
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・復元された有松一里塚(87里)
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●鳴海宿 知立宿から11.1㎞ 日本橋から約363.7㎞ 宿の長さ1.7㎞ 本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒。

・名残松を通り過ぎるとやがて永代常夜灯が現れる。ここが鳴海宿の東の入口である。
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・中島砦跡 織田信長が義元の侵攻に備えて築いた砦で、桶狭間の戦いでは重要な砦だった。
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・瑞泉寺の山門 宇治の万福寺の総門を模したもの。
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鳴海宿はとば口を見ただけ。次回に鳴海宿を見ることにしここで街道歩きを終え 鳴海駅に向かう。名鉄で名古屋へ。新幹線の並び席が取れたのが1時間後だったので山本屋本店で味噌煮込みうどんを注文する。漬物盛り合わせの中の生玉ねぎスライスが何も辛くなくて、生まれて初めてこんな美味しい生玉ねぎをいただきました。
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                   お土産はきしめん
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街道歩きに関してもいつもいつもお付き合いいただきありがとうございます。娘の有給休暇も今年度のはそのうちなくなりそうですし、真夏はお休みし、四日市から向こうをいかにして日帰りで歩けるか難問ですが、来年のいつかクリアできたらと思っています。次の鳴海宿から宮宿、桑名宿は先週歩きました。またよろしくお願いいたします。

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2018年6月24日 (日)

東海道五十三次歩き25 新安城~知立宿~鳴海宿(2)

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●知立宿(池鯉鮒宿)の続き

・山車庫 知立神社の例祭「知立まつり」の隔年に行われる本祭の山車が保管される。その時、知立神社では国指定重要無形民俗文化財の人形浄瑠璃芝居の「山車文楽」と「からくり」が上演される(ユネスコ文化遺産)。このあと似たような山車庫を桑名までいくつか見た。
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・その横の奥に入った所の宝蔵寺には追腹塚がある。石田光成が家康の暗殺を命じた加賀野井弥八郎の墓とこれに絡む刈谷城主や浜松城主との斬り斬られで刈谷側の家臣が二人切腹するという、ややっこしい話の塚なのである。三十三観音菩薩像もあった。
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・知立古城址 知立神社の神主氷見氏の居館だったが、桶狭間の戦いのあと、織田軍によって落城した。
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・あんまきの店・小松屋本家であんまきを食べる。美味しいのなんのって!
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・知立公園へ花菖蒲を見に行く。ここの花菖蒲は明治神宮から昭和時代にご下賜いただいたものだそうだ。例年なら見頃だが今年は見頃を過ぎていたがきれいにまだ咲いていた。
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・隣の知立神社へ(東海道三社の一つ。他は三嶋大社、熱田神宮)
                                 拝殿1832年(天保2)造営
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国指定重要文化財の多宝塔がなかなか素晴らしい。850年僧・円仁の創建、1509年の再建、1929年解体修理復元。
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                                          神社の裏の花菖蒲
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                                    太鼓橋は1732年のもの
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この辺りが知立宿の西見付跡だ

◆知立宿から有松宿(間の宿)の間 (知立市~刈谷市~豊明市へ)

・総持寺 家康側室・お万の方の生誕地碑がある。家康の次男・結城秀康を産んだお万の方は、知立神社の神主氷見氏の娘だそうだ。
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             洗心水琴窟 水子地蔵に7回水を掛けると水琴窟の音がした
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                             お地蔵様に囲まれた一願出世不動
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逢妻川を渡ると知立市から刈谷市に入って85里目の一里塚は現存せず説明板だけ。ここで回転ずし「くら寿司」で赤だし(味噌汁)で発汗で失われた塩分を補いながら寿司8貫と巻きずしを食べる。

・刈谷市のマンホールも知立市と同じかきつばた
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・十王堂の三面馬頭観音様
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・洞隣寺の中津藩士の墓(左2つ)と「めったくやしいの墓」(右の小さな墓)
帰国途中の中津藩士2人が喧嘩して斬り合いここに葬られたが、どうしても反対側に傾いたので村人が篤く葬りなおしたので傾かなくなった墓。
洞隣寺の気立ては良いが不美人の下女が医王寺の住職に恋したが、見向きもされず憤死。ここに葬られたが墓石から火の玉が出て「めったくやしい」の声と共に医王寺へ飛んで行ったとか。
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・いもかわ(ひもかわ)うどん発祥の地。名古屋では「きしめん」といわれる。
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・馬頭観音そのものが道標になっている。観音の台石を見ると「右 ころも」「左 東さかい」と彫られている。挙母(ころも)街道と東街道の分岐点の道標になっていた。
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・藤松駅手前付近の街並み
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・乗蓮寺の椎の木は樹齢850年の刈谷市の天然記念物 2本ではなく空洞だそうだ。
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・境川の境橋を渡ると刈谷市から豊明市に入った。ここが三河と尾張の境だそうだ。
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・豊明市のマンホールは桶狭間古戦場のデザイン
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・どんどん歩いていくと、こんな風に両側に残っている阿野一里塚(86里)がある
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                      (続く)

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2018年6月21日 (木)

東海道五十三次歩き25 新安城~知立宿~鳴海宿(1)

6/15(金)名古屋方面は1㎜程の雨のち曇りということで出かけました。地元駅5:17の中央線、東京駅発6:26の豊橋に停まる「ひかり」座席指定で出発。名鉄に乗り換え前回の乗車駅・新安城に到着し、歩き始めたのは8:45分頃。在原業平伝説の八橋かきつばた園に寄り、知立(池鯉鮒)宿を経て桶狭間の古戦場跡に寄り、間の宿の有松の重伝建の通りを鑑賞し鳴海駅に到着。名古屋に出て新幹線の座席指定の横並び2席がたった1ヶ所取れたのが1時間後の7時過ぎ。10時過ぎには家に帰りましたが、とても長い一日でした。約46000歩。
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◆新安城~知立宿まで

・駅からすぐの所に立派な崇福寺がある。注連縄が張られた三猿に会えなかったが素晴らしい庭に感動。
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コンロンカや夏椿が咲く
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・安城市の別バージョンの七夕の図柄のマンホール 安城も平塚や仙台と同じく七夕が有名とのこと。
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猿渡川を渡ると安城市から知立市に入った。

・御鍬(おくわ)神社には伊勢神宮の2分の1の大きさの、神明造りの本殿があった(建物は大正時代に造られた)。江戸時代に近隣の8つの村が連合して伊勢から御鍬神を勧請した。豊受比売尊が祭神で豊作を祈ったのだそうだ。
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・「従是四丁半北八橋業平作観音在」と彫られた道標は八橋かきつばた園のある無量寿寺へのもの。往復2㎞もあるがそこへ向かう。
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・東下りの途中、同行者に言われて詠んだ在原業平の有名な歌は(かきつばた)の五文字を冒頭に据えた。
 からころも 
 きつつなれにし 
 つましあれば 
 はるばるきぬる 
 たびをしぞおもう
と刻字されていて、まわりに「かきつばた」がデザインされている知立市のマンホールがあった。
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・無量寿寺 
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杜若姫供養塔や芭蕉連句碑が境内にあり、また亀の上に立っている亀甲碑(八橋古碑)・・・(荻生徂徠の弟子が在原業平の逸話を書き付けた)がある。
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             業平竹 縁結びの竹として信仰されている
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                    杜若池(心字池)
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所在地の八橋は古来から杜若の名勝地であった。現在かきつばた園には3万本の杜若が咲く。4月終わりから1か月間開催されるお祭りは今年は生育不良で中止になったそうだ。この日、1輪だけ咲いていた!
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昭和になって復元されたかきつばた園の八橋。満開だったら尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」を彷彿とさせるでしょう。この絵の10年後、橋を描いた「八ッ橋図屏風」を制作している。伊勢物語を題材にしているが、八橋の杜若がモデルだったとも言われる。
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                 業平像と句碑もあった
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・東海道に戻り進む。松の植えられた塚が両側に残っている来迎寺一里塚(84里)がある。普通は榎が植えられている。
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・吉田忠左衛門夫妻の墓 忠左衛門は赤穂浪士の一人。妻りんは身を寄せていた娘婿が刈谷に転封されたので、この地に移り亡くなった。死別の折、形見に貰った夫の生歯とともに埋葬されたとのことだ。
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両口屋本舗の「ミカン氷餅」を午前中なのでやめたのは残念であった。

・三河三弘法の一つ見返り弘法大師道、遍勝院への道の入口。見に行けなかったが、三弘法とは別れを惜しんで、 やや右を向いて振り返っておられる御姿の見返弘法大師と、立ち去る大師との別れを惜しんでお見送りされたので見送弘法大師、大師との別れに際して涙を流されたので流涕弘法大師と呼ばれる三体の弘法大師像のこと。
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・知立宿の東の外れに松並木がある。500mに170本植えられているそうだ。
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並木横の歩道には池鯉鮒の碑と可愛いモニュメントがあり、杜若も植えられている。万葉歌碑と馬市句碑と広重の絵が並木の最後にあり、知立市の力が入った松並木は楽しい。
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●知立宿(池鯉鮒宿)(39番目の宿)岡崎宿から15㎞。宿の長さは1.36km。日本橋から約351.6㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒。

・名鉄三河線の踏切を越えたら東見附跡。ここを右折して慈眼寺へ。入口の家畜市場標柱。
広重の絵にも野原で開かれている馬市の様子が描かれるが、明治時代に、馬市はここ慈眼寺境内に移り、昭和19年に馬市は終了した。
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愛知県はお地蔵さんが多い印象だが、このお寺にも珍しい名前のお地蔵さんがいらした。馬頭観音は60年に1回の開帳とのこと。
                      北向き地蔵
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                       蚕地蔵
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              マンマ地蔵(歯が痛いときにお詣りする)
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                  顔が白いおびんずる様
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こんな店があった
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・知立市別バージョンのマンホールはやはり「かきつばた」
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・問屋場跡の石柱を過ぎると、本陣跡、明治天皇行在所碑があった。
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2018年6月18日 (月)

国史跡・八王子城跡

先日、北条氏が造った城として小田原城と山中城を見てきました。残る北条氏の八王子城と鉢形城、合わせて4城とも日本100名城に入っています。
その八王子城跡に行ってきました。これで100名城の32の城・城跡を見たことになります。100名城めぐりをしているわけでなく偶然です。一方日本の滝100選はたった12滝にとどまります。

北条5代 早雲→氏綱→氏康→氏政→氏直 
   
三代氏康の三男で、四代氏政の弟である氏照が建てた山城。ちなみに鉢形城城主が氏照の弟・氏邦だ。
氏照は八王子城の少し東北にある滝山城(以前訪れたが堀も深く土塁も高く広大で立派ですが、平面的な広がり大きく、各廓の高低差が少なく籠城に向かない)の城主・大石定久の養子となり大石源三を名乗ったが、北条氏照に改名。
1582年頃(織田信長没)から八王子城の築城を始める。江戸時代の城は、平地に造られ、立派な天守閣があるが、戦国時代の城は山の地形を生かして築かれ、天守閣もなかった。
1586年頃、ここに移り1590年、氏照は兄と共に秀吉の小田原城攻めで小田原城にいた。八王子城は秀吉軍の中の前田利家・上杉景勝軍に攻め込まれ、一日で落城した。
一方の山中城は秀吉軍の豊臣秀次軍により半日で落城したのでした。

                              八角形の屋根のガイダンス施設の中

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4_450x355_3マンホール蓋3種、3兄弟の順に、城を守る方向に設置している。
①小田原市:小田原城主・北条氏政「酒匂川」
②八王子市:八王子城主・北条氏照「車人形」 
③寄居町:北条氏邦「キジ、カタクリ、ヤマザクラ」 ③しか見つからなかった。


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御主殿の滝 落城時に御主殿にいた北条方の武将や婦女子らが、滝の上で自刃して次々に身を投じ、その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったという。
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曳橋 当時、城山川に簡単な木橋をかけ、その橋を壊すことで敵の侵入を防いだ。
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石垣 虎口 
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                        石垣 城山山中から産出する砂岩で出来ている
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                                               御主殿跡 
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御主殿庭園跡 池も配されていたという
この御主殿からは接合したら2436点の個体になった遺物が見つかった。お茶をひくための茶うすや中国製の皿、そしてベネチアで生産されたレースガラス器があった。日本国内での出土は八王子城のみという。
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本丸と頂上目指して登山開始  アザミやユキノシタが咲いていた
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                      九合目
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       少し先からの展望 スカイツリーや西武ドームなども見えた
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                      頂上
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        八王子神社 城の守護神「八王子権現」が祀られている
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八王子城本丸跡 標高460m 本丸が頂上と書かれた石標より高い所にあった?
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       八王子城跡入口手前に北条氏照及び家臣墓がある
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                  グミの実が美味しそう
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戦国武将の生活の意外な一面を見た八王子城でした。

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2018年6月14日 (木)

東海道五十三次歩き24 美合~岡崎宿~新安城(後編)

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●岡崎宿の続き

・いよいよ岡崎公園の中の岡崎城へ27_450x300
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                                    龍神神社の前のご神馬
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  天守閣(昭和34年復興)  手前右は亀の台座の上に家康公の遺訓碑が。
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家康は1542年にここで生まれ6歳で織田信秀の人質、8歳で今川義元の人質に、19歳の時の桶狭間の戦いにて義元戦死でここに戻る(1560)。10年後1570年に嫡男信康を城主とし、自分は浜松へ。秀吉によって家康が関東に移されると、二十七曲を造った秀吉の家臣・田中吉政が城主。江戸時代になってからは岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏、水野氏、松平氏と家格の高い譜代大名が城主となったと説明されていた。他、武具や城下町の産業(鋳物・刀鍛冶、石工道具、三河花火、矢作川舟運、八丁味噌など)やジオラマが展示されていた。
                                      5階展望台からの景色
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石垣めぐりのマップに寄れば、岡崎城跡には見えないものも合わせて23種類の石垣が紹介されている。岡崎産の花崗岩が使われている。
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またまた芭蕉句碑を見、家康公の銅像、花時計、二の丸の跡の能楽堂、東照公産湯の井戸などを見学した。
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・城から八丁ある八帖町、八丁味噌発祥の地だ。「い」から始まった標柱の最後に見た「れ」は1枚板で草履も絵で描いてあった。
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カクキュー(1664年創業)とまるや(1337年創業)がある。

まずカクキューの方で「味噌煮込みうどん」の昼食をとる。白い大きな食品は「たま麩」だそうだ。八丁味噌(豆味噌)の味が少々鹹いけど、汗をかく歩きには塩分補給になった。
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                  自販機が八丁味噌色
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まるやで工場内見学
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高さ2m、重さ700㎏の木桶に約6トンの味噌が入れられ、その上に3トンの重石が円錐状に積み上げられる。一人前に積めるようになるには10年かかるそうだ。八丁味噌が欧米、オーストラリアやニュージーランドに輸出されているそうだ。
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カクキューとまるやに挟まれた旧道を進み矢作橋(東海道三大大橋)を渡る。江戸時代9回も架け替えられたとか。広重の岡崎宿の絵に描かれている橋だ。
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渡った先に蜂須賀小六と日吉丸の出合之像がある。秀吉は出世前はこんなところにいたのだ。この辺りで岡崎宿とお別れ。
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◆岡崎宿から新安城駅まで

・家康の長男信康の肖像画や遺品があるという勝蓮寺は見られないのでパス。弥五謄神社(やごとう神社)を通り過ぎ、誓願寺十王堂を覗く。この寺は浄瑠璃姫と義経にまつわる伝説があるらしい。
                    十王堂の中

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・竊樹神社(ひそこ)という字も読みも難しい神社を過ぎ、薬王寺の手前に「三河国薬王寺刀匠鍛刀造趾碑」がある。室町後期から薬王寺派の刀鍛冶集団が住んでいたそうだ。
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安城市に入って松並木が続く。松の根元にはマツバギクがずっと植えられキラキラ輝いている。
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         暑いので夕方近くならないと見られない猫、癒される。
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・東高根用水祈念碑や予科練の碑( 第一岡崎海軍航空隊跡)、一里塚跡(83番目)を過ぎた所で安城市のマンホールがあった。安城市発祥の三河万歳の扇と鼓。
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・永安寺 助郷役を宿場から命じられたとき、村の窮状を訴えて免除を願い出た庄屋・柴田助太夫は1677年に死罪になった。その恩に感謝し村の人々が彼の旧宅跡に草庵を建立、のちに寺として整えられた。その頃からある雲竜の松で推定350年。枝張りが東西17.9m、南北24.7mで、高さ1.5mの所から雲を得て昇ろうとする竜のようでこの名が付いた。何て大きな立派な松なのでしょう!
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                三十三所観音もあった
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明治川神社交差点に立つのは明治用水記念碑。矢作川から水を引き、西三河を灌漑するための用水路で、この一帯は「日本のデンマーク」と言われる農業地帯となったそうだ。

                また松並木で涼しく感じる
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・扁額が落ちてしまっている青麻神社は道端に石造物がごろごろとあるだけだが、明治初期に活躍した力士、濱碇(はまいかり)の像が目立つ。
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ここを左に曲がって新安城駅へ。豊橋からひかりに乗れる時間帯だったが、金曜日で混んでいる模様で、先に出るこだまに乗車したが2時間10分もかかって東京駅に到着。家には10時過ぎの到着になった。
お弁当もほとんど売り切れだったが、買えたのはおかずがなくてわびしい助六寿司だった。が美味しかった。
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2018年6月11日 (月)

東海道五十三次歩き24 美合~岡崎宿~新安城(前編)

5/25(金) 先の戦争の大空襲で往時の面影が殆どない岡崎宿だけれどもいろいろ力を入れている。その岡崎宿と岡崎城、八丁味噌の発祥地で営業を続けている2つの老舗の見学を中心に歩きました。暑くなり、1年ぶりのアイスクリーム日和でした。40662歩。
新幹線の殺傷事件の犯人が岡崎の人と聞いてびっくり。
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◆美合駅から岡崎宿まで

・プローディアが咲いていた。庭に咲かせておられるブログ友Sさまに教えていただきました。ありがとうございました。
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・地蔵寺 名前の通り、いろいろなお地蔵さまに会える。六地蔵、聖観音菩薩、子育地蔵尊、抱き地蔵、水をかけると心もきれいになる水掛地蔵尊などなど。それに愛知県に入ってから知って気になる、鯖大師や三面馬頭観音にも会えた。
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・河原で馬がくつろいでいる。4月に行われる家康行列のための馬だという。
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・岡崎市のまたまた別バージョンのマンホール。岡崎城と乙川の五万石船である。
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・大岡越前守忠相の西大平藩陣屋跡・・大岡忠相は将軍吉宗の口添えでこの岡崎の領地を加増され、72歳のときに1万石の大名になった。町奉行から大名になったのは大岡忠相のみである。大岡家は江戸に常駐する定府大名で、家臣の多くは江戸に住んでいて、この陣屋に詰めていたのはわずか十数人だったそうだ。廃藩置県まで7代にわたって治めた。私の故郷茅ヶ崎にも領地があって、墓所は茅ヶ崎だし、大岡祭も4月に開かれていた。
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陣屋内に大岡稲荷神社がある。大岡越前守はここの領地に近い豊川稲荷を信仰していたので、社殿を建立した。
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・ここからすぐ近くに常夜灯と地蔵堂があって、地蔵尊や三面六臂の馬頭観音が並んでいる。
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・大平一里塚(80里)向かい側に立派な一里塚が残っているが、片方のみで手前側はなくなってしまっていた。国指定の文化財だ。
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・大平松並木
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●岡崎宿(38番目の宿)藤川宿から6.7㎞。宿の長さは約4.5㎞位か、とても長い。日本橋から約335.9㎞。本陣3軒、脇本陣3軒、旅籠112軒。

・いよいよ岡崎城下の入り口、冠木門と二十七曲(まがり)の説明板があった。手元の風人社の地図で曲りをなぞってみると確かに27回曲がっている。

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宿の枡形は参勤交代の大名の鉢合わせを防止するために設けられた。城下町の枡形は外敵からの防衛のためだった。岡崎は宿と城下町を兼ねるが主なる目的は外的防御のためだった。
この大改革を行ったのが、家康が関東移封後岡崎城主となった田中吉政だった。

・複雑に曲がるが、角ごとにこんな標柱が立っているので迷わず行ける、というか私は娘の後にくっついて行っただけだが。標柱の上に草履がのっているのが面白い。
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・初めての角を曲がると根石原観音堂がある。この辺りに住む90歳に近いと思われるおばあさんが観音堂のリーフレットをくださった。何でも毎日お詣りしていた御主人がピンコロで昨年亡くなったのはこの観音様のお蔭だったと。あやかりたく通りがかりの者だけどお詣りした。
家康が初陣の時祈願し軍功を上げた。本尊は行基作の観世音菩薩。
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・宿の中心の伝馬町の通りの両側に10ずつ20も街道にちなんだ石造物が並ぶ。なかなか可愛いので全部写真を撮ってしまう。お茶壺道中、朝鮮通信使、助郷、飯盛女、田中吉政、人馬継立、三度飛脚、塩座、御馳走屋敷、籠田惣門、旅篭屋、市隠亭、一里塚、往来手形、作法触れ、あわ雪茶屋、矢作橋、二十七曲、駒牽朱印、本陣・脇本陣。
この説明を読んでいると、当時の宿場での特に大名や偉い人に対しての接待がいかに大変かがよくわかった。

お茶壺道中・・宇治茶を幕府に献上するお茶奉行をもてなすための負担が大きく各宿場から恐れられていたとか。
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                      朝鮮通信使
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          御馳走屋敷 岡崎藩の迎賓館的役割を持った屋敷
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          籠田惣門 東海道から城郭内に入る門の一つ
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作法触れ 行列が来ると町奉行から、前日から下肥をまくなとか、手桶・帚・提灯を出しておくこと、通行に際しては土下座をすることなど指示され御馳走触れも出され、出迎え支度が大変だった。
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・岡崎信用金庫資料館(日本や世界の貨幣の歴史や展示があるそうだ) 最初は岡崎銀行本店だった。国の有形文化財。
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・東総門跡
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・又曲がって田中吉政像(二十七曲を造った岡崎城主)
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・また何度か曲がって大林寺へ 
戦国時代の松平氏の岡崎城の守りの拠点となった寺
家康の祖父・松平清康と夫人春姫の墓、家康の父・広忠の墓がある。
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・向かいには唐弓弦(とうゆみづる)という看板のかかった家があった。かつての岡崎は三河木綿の特産地だった。唐弓弦とは江戸時代に使用されていた綿をうつ道具でこれを扱っていた店だ。
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・曲がった所に白山神社があって、唐弓弦と取引があった大阪の問屋が奉納した石灯籠が残る。
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2018年6月 7日 (木)

本&神代植物公園温室

最近の読書から

『ウニはすごい ばったもすごい』本川達雄著

『ざんねんないきもの事典』と続編を読んで、この本はウニやばったの面白いことや凄いことが一杯書いてあるのではと飛びついたでしたが・・・。
何気に見ている水族館(海や川)の生物たちから進化した生物、大半が水生物に費やされているが、最後のほんの少し、脊椎動物にきてちょっとわかり、あとは非常に難しく80%は理解できないというお粗末さでありました。
ただ次のことは初めて知ったことです。軟体動物の螺旋に接したら、きっと美しいなあと見入ることになるでしょう。
対数螺旋はデカルト螺旋ともいい、軟体動物の螺旋が巻きながら、巻いている間隔が広がって行くこと。その広がり方が一巻きごとの間隔が、前の巻の増加分に定数をかけたものになっている。つまり、巻の間隔が一定の比率で増加している。
一方蚊取り線香では巻の間隔は増加せず一定で、このような螺旋はアルキメデスの螺旋という。

『誰も知らなかったインドの秘密』パヴァン・K・ヴァルマ著 ますますわからなくなったインド人の思考やパワー。混沌のインドとはよく言ったものだ。

『職人を泣かせて建てた300年住める家』荻原博子著 あの経済に詳しい評論家の荻原さん、そこまでやるかという粘っこさに、もうたまげたというのが実感。

『漁師の肉は腐らない』小泉武夫著 実話の小説か。マタギのような生活のその知恵の面白さよ。


神代植物公園の温室は新装なってから混んでいたりして入っていなかったが4月末に深大寺に行ったときに初めて寄りました。季節がかなり戻ります。
新宿御苑や東京都薬用植物園とはまた一味違っていて好きになりました。たくさん展示されていた中からほんのちょっと。この他いろいろなランやベコニアやスイレンなどのコーナーもあります。
                ピンポンノキ(アオギリ科)
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                火の鳥(日本で作出された)
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                ナンヨウザクラ(トウダイグサ科)
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アリストロキア・サルバドレンシス(ウマノスズクサ科)映画スターウォーズの「ダース・ベーダー」に似た花
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                  ヒスイカズラ(マメ科)
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                 ミッキーマウスの木(オクナ科)
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                 モンキーオーキッド(ラン)
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面白いサボテン

キソウテンガイ ナミビアからアンゴラの砂漠に。葉が2枚で途中で裂けたりし、長さ2m以上、幅1m以上になることもある。雌雄異株。
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                   碧瑠璃鸞鳳玉綴化
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                     恩塚鸞鳳玉
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                      アザラシ
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                    白殊丸綴化
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外ではサクラソウ展をやっていて江戸時代の作出品が出ていました。
シャクヤクの他、バラもちらほら、そしてシャクナゲ園も満開でした。
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2018年6月 5日 (火)

東海道五十三次歩き23 国府~御油宿・赤坂宿・藤川宿~美合(後編)

◆赤坂宿藤川宿の間の続き・・本宿(間宿)

・岡崎市に入る。徳川家康が生まれた所!
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・岡崎市に入ってすぐ、本宿村の説明板があり、冠木門がある。本宿は赤坂宿と藤川宿の中間にあり、立場であり、旅人の休息場としても繁盛した。
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・岡崎市のマンホールは岡崎城と矢作橋がデザインされている
岡崎市の別バージョンのマンホール。岡崎城は同じだが桜と三河花火のデザイン。30_450x428
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・名鉄電車が数種類あって時々東海道の脇を走り抜ける。われら亀の歩みに対して早いなあ!
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・左手に大きな法蔵寺がある。常夜灯は文政11年のもの。
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これは御草紙掛松。幼少期の家康はこの寺で手習いしその紙を干したという松で、現在の松は四代目だそうだ。
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立派な鐘楼門をくぐった左には行基が植えたと言われるイヌマキと家康公お手植えのヤマザクラがあり、六角堂を見て少し上がったところに近藤勇の首塚がある。板橋で処刑され、京都で晒された首を同士が盗み、近藤が敬慕していた和尚の転任先のこのお寺に埋葬したという。体は三鷹のお寺に埋葬されている。
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家康の長女亀姫、異母兄弟忠政、三方ヶ原合戦で死んだ者たちの墓もある。
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            東照宮(江戸初期からあるそうだ)もあった
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・本宿一里塚跡(78里目)を見て進むと。長屋門が見えてきた。医師の宇津野龍碩氏邸跡である。蘭方医で当時としては画期的な種痘を施したそうだ。
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・名電山中駅を過ぎた先で跨線橋を渡ると、興円寺があり、ここでまたまた馬頭観音(これは三面六臂)に出会う。
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                    小さな不動明王も!
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・電車からも良く見える標高106mの小山に山中八幡宮がある
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三河一向一揆に破れ逃げてきた家康が隠れたという狭い洞窟(鳩ヶ窟)がある。洞窟から鳩が出てきたため、人がいるところに鳩がいるわけはないと追っ手が通りすぎ、家康は助かったという。
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●藤川宿(37番目の宿)赤坂宿から8.8㎞。宿の長さは1.4㎞位か。日本橋から約328.2㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠36軒。
規模が小さかったので二川宿同様、加宿村が求められ山中郷の市場村を東に移転させたそうだ。

・旧道に入ると、藤沢宿の入り口の東棒鼻があった。 広重が藤川宿の絵に描いている通りに再現されていた。宿の出入り口には見附とか木戸とか棒鼻や江戸方・京方入口などといろいろな呼び方があるものだ。
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・藤川といえば、むらさき麦で有名だそうだ。むらさき麦の畑があった。300年前の芭蕉の句「ここも三河 むらさき麦のかきつばた」にも謳われたように藤川にはむらさき麦が栽培されていたが、戦後作られなくなって幻の麦となっていたのが栽培されるようになった。5月中旬から下旬にかけて紫色に実る。むらさき麦を使った鬼まんじゅうや麺類などが、後に寄った藤川駅そばの道の駅・藤沢宿で売られている。
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・格子造りの家がぽつぽつと残る。旧街道らしい雰囲気でなかなか良い。
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・明星院には見られなかったが、片目不動尊がある。 家康に放たれた矢を見知らぬ武士が身代わりとなって受け、片目をつぶしたままいなくなった。のちに明星院を訪れたところ、祀られていた不動尊がそのときの武士にそっくりで片目が潰れていたという。その後大名たちの崇敬も高く、東海道上下向の際には立ち寄り武運を祈ったという。
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・称名寺には三十三所観音菩薩があり、馬頭観音の他、十一面観音がたくさんあった。
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・公園になっている森川家本陣跡には高札場が再現され、ここにもむらさき麦が栽培されていた。
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・お隣は橘屋脇本陣跡。 門は享保4年に建てられたもので、中の建物は無人の藤川宿資料館になっている。ジオラマや宿の説明があった。
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・西棒鼻
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◆藤川宿から美合駅まで

・藤川駅の所に大きな家康の像があった
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・西棒鼻の斜め向かいに十王堂がある。ここに上に書いたむらさき麦の芭蕉句碑があってこの近辺で一番大きい句碑だそうだ。なるほど巨大だ。
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・藤川宿の一里塚跡(79里目)を過ぎ、吉良道を過ぎると藤川の松並木が現れる。1㎞の間に90本。
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・この日最後に阿弥陀寺で、しつっこいようだがまた三面馬頭観音を写して大満足。
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・美合駅に到着し豊橋に戻り、駅弁「吉田伝説」を買って、前回同様ひかりに乗って、家に9時半頃到着いたしました。
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2018年6月 2日 (土)

東海道五十三次歩き23 国府~御油宿・赤坂宿・藤川宿~美合(前編)

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5/17に豊橋まで新幹線、それから前回乗車駅の国府で降りるともう御油宿はすぐです。そして御油宿と赤坂宿は東海道の宿駅間距離では最も短く1.7㎞しかない。その次の藤川宿までは8.8㎞で、これまた藤川駅は丁度いい電車がないので次の駅・美合まで歩きました。41623歩でした。この三宿には資料館がそれぞれあり、前後の宿、吉田と岡崎では城が資料館になっていていろいろ学べるようになっていました。資料館に行くたびに思う事:古文書がスラスラ読めたらどんなによかったか!以前カルチャーセンターで学んだ古文書講座は半年で挫折で、今古文書に見入っても何も読めない。
またこの区間では三面六臂または(八臂)の馬頭観音をいくつか見付けて、新たな石像を知って悦に入りました。

◆国府から御油宿までの間

・国府観音 この日は人形供養の日で、すでにたくさんの人形が運び込まれていた
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                                    西国三十三所観音菩薩像
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おびんずるさまは十六羅漢の第一の仏様で釈迦の直弟子だったのが、酒で破門され、その後修行して医者の家に生まれたので体を治す仏様になった・・・ということを初めて知る。
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・大社神社のこの長い石垣はすぐ近く田沼陣屋のものが移築されたそうだ。収賄で有名な田沼意次といえばチャンバラ劇「剣客商売」に娘とともに出てくる。この劇ではいい人。
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がましん(我が家の方は多摩信)蒲郡信用金庫のガマが可愛い
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・一里塚(76里目)を通り過ぎると、姫街道の追分がある。見付宿から浜名湖の北を回ってここに辿り着く。何時か歩いてみたいとは思っている。
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●御油宿(35番目の宿)吉田宿から10.3㎞。宿の長さも短いようだ。日本橋から約316.5㎞。本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠62軒。

・御油橋を渡った所から御油宿だ

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・高札場跡のはす向かいに、花・ベルツの実家があった。
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スモークツリー
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・問屋場跡を過ぎると御油松並木資料館がある。入口に樹齢380年の家康が最初に植えたと言われる大きな松の切株がある。中には御油宿の復元模型や広重の浮世絵版画、近世交通文書や旅装束などが展示されていた。
ちなみに御油の広重の絵は「旅人留女」で旅人を強引に宿へ引っ張りこもうとする留女の姿が描かれ、凄い力だったとか、可笑しみを誘う。「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、何のよしみに江戸通い」と当時の俗謡が飯盛り女が多かったことを物語る。
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・鈴木本陣跡の先には東林寺があり、飯盛り女や留女など遊女の墓がある。見つからなかったが。
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この辺りには軒並みにツバメの巣があり可愛い子供たちが親の帰りを首を長くして待っている
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・御油宿の東海道
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・御油の松並木は国の天然記念物で、1604年奉行の大久保長安によって植樹された。次の赤坂宿まで600mに渡って300本並んでいる。
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ここで「黒松」という松ぼっくり型最中を買って食べる
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●赤坂宿(36番目の宿)御油宿から1.7㎞。宿の長さは約1㎞。日本橋から約318.3㎞。本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠62軒。

・東見附跡を過ぎるとすぐ関川神社に「夏の月 御油よりいでて 赤坂や」の芭蕉句碑が立つ。夏の夜は短くすぐ明けてしまうことを、御油・赤坂間の距離の短さとかけた句。

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・問屋場跡に再現された高札場
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・浄泉寺には広重の赤坂宿の絵に描かれるソテツがある。左側には観音菩薩像群が。
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    後ほど見た豊川市のマンホールにはこの広重の絵が描かれていた
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・よらまいかん 無料の休憩所は江戸時代をイメージしている
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・隣の音羽生涯会館には赤坂宿場資料室があって、鍵であけてもらってここも見学。名物は草鞋だったそうだ。飯盛り女の身売り証文などもある。25歳まで生きられた人は殆どいなかったという。
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西見附跡を見て赤坂宿は終わる。次は元宿を経て藤川宿へと歩く。

◆赤坂宿から藤川宿の間

・杉森八幡神社 左は樹齢1000年の根が1本の夫婦楠・・大きい!右は年1回歌舞伎の公演が行われる舞台で、公演の際には小屋がけと呼ばれる竹のドーム屋根がついた伝統的な観客席が造られるのだそうだ。

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・毘沙門天標柱や一里山庚申道などを過ぎて本日の昼食へ。豊川市だけれども豊橋市で有名なヤマサちくわの音羽インター店で「ちくわうどんのいなり付き」。関西味のうどんつゆで北九州で慣れていたので美味しく食べられる。
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・一里塚(77里)を過ぎ、名電長沢駅付近の長沢城跡(東西三河の境目にあり、中世において戦略上重要な位置にあった)も見学せず。
「長沢の三尊種子板碑」県下最古の在銘板碑は正安2年(1300年)であり、梵字の石材工芸品である。板碑なのに石材?種子?謎だらけの宿題を背負わされた石碑となった。
https://kotobank.jp/word/板碑-31140

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・田んぼ 田植えは終わっているが、まだ堰が止められていない田圃。この近くには小学生が田植えした田圃があってめちゃめちゃに植えられていたのが微笑ましかった。
覗いてみるとオタマジャクシがたくさん見えた。
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・古い格子の家も多い
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・観音堂跡の三面の馬頭観音!
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