« 東海道五十三次歩き27 益生~四日市宿~南日永(前編) | トップページ | 100歳の画家・堀文子の言葉 »

2018年7月24日 (火)

東海道五十三次歩き27 益生~四日市宿~南日永(後編)

600x367_2

◆益生~四日市宿の間の続き 富田から 

・十四川の堤の桜並木。両岸1.2㎞にわたり約800本が植えられている。枝振りが良いと全国表彰されたそうだ。
25_450x300
立派な常夜燈を過ぎ、弘法大師が彫ったとされる秘仏の薬師如来のある薬師寺を通り過ぎる。
・常照寺の鐘 四日市大博覧会(昭和27年)で平和の鐘として展示されたもの
26_300x450
・また力石があった。120㎏と19㎏。子供用の19㎏は持ち上げることが出来た。寺の土台石だったが明治の中頃から大正時代まで茂福地区の青年が力比べをしたという。
27_450x300
・寄り道した茂福神社はたくさんの灯籠が寄進されている神社で、茂福城址は近鉄線路の脇のこんもりした小山にある。ここの最後の城主が1567年に信長の家臣の滝川一益に殺害され攻め落とされてしまった。
281_450x300
282_450x300
・六段もある大きな大きな八幡常夜燈。三重県に入ってから常夜燈の大きさに目を瞠る。
29_294x450
四日市の東海道は、標識だけでなく、ずっと歩道が土器色(かわらけいろ)に塗られていて親切だ。
30_450x300
・かわらずの松 地名の川原須から来る名前。四日市市にはこれと日永の2本しか残っていないという。
31_300x450
・志氐神社の東海道を挟んでの夫婦石。この神社にはイザナギ・イザナミの夫婦の神様が祀られている。人々は一対の石を撫でて、縁結び、夫婦円満の願いを込めたそうだ。志氐とは御弊(お祓いのための道具)。
321_360x450 322_450x431

・古い家を見かけるようになる
33_450x300
・光明寺では、最高の五本筋が引かれた筋塀が山門の両側にある。皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として引かれる。
ここは 霊元上皇の第14皇女八十宮吉子内親王は第7代将軍家継に嫁いだが、家継死後仏門に入り、その宮付に光明寺第5世俊応の妹が仕えたとあるが詳しくはわからなかった。
34_450x300
・この四日市市マンホールは広重の絵の三重川で傘を吹き飛ばされているのを追いかける図だ。
35_450x396
三元大師の道標、多度神社を通りすぎたら
・三ツ谷一里塚跡(99里目)で公園になっている
36_450x300
・萬古焼の陶器工場が出てくる。宝来軒というお菓子屋さんの店先に首の長い大入道の看板があった。この先の諏訪神社の例大祭に登場するのは9mで日本一大きなからくり人形だそうだ。
37_450x300
・三滝川(広重の絵には三重川となっている)を三滝橋で渡ると河口に有名な重化学工業のコンビナートが見えた。
38_450x300

●四日市宿(43番目の宿)桑名から12.7㎞ 日本橋から387㎞ 宿の長さ約2.2㎞ 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠98軒。

・三滝川を渡った先に、1550年創業の「なが餅」笹井屋本店があり、このあたりから四日市宿になる。
39_450x300
・問屋場跡 本陣などの解説板も殆ど見当たらない
40_450x300
・別バージョンのマンホール 姉妹都市がわかる。娘が調べたところによると、上には四日市港の石油コンビナートと姉妹都市ロングビーチ(アメリカ)のスプルース・グース・ドーム、下には姉妹都市シドニーのコアラと天津のパンダが描かれている。
41_450x300
・「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」と書かれた道標は指で方向を示している珍しいもの。後で知って裏を見なかったのでわからなかった。
421_159x450 422_195x450

・諏訪神社は信州の諏訪神社から勧請された。再建されたものだが、鳥居は青銅製。
43_450x300
・東海道がアーケードになっている。丁度七夕の飾り付けがされていてきれいだった。
44_450x300
・消火栓もモザイクも広重の絵。マンホールのもう一つのバージョンは四日市市の花・サルビア。
451_450x295
452_450x246
453_450x419
・大入道の前は四日市のマスコットキャラ、こにゅうどうくん。自販機にも。
46_241x450
462_300x450
・作家丹羽文雄の生誕地の崇顕寺
47_300x450
・連子格子の古い家があった。この辺りで四日市宿が終わる
48_450x300
368x450

◆四日市宿から南日永駅まで

あすなろう鉄道の赤堀駅を通り過ぎると鹿化(かばけ)川があり遠くに山並みが見える
49_450x300
・6/30の茅の輪くぐりが有名な大宮神明社
50_450x300

日永地区は間の宿で、名物に日永団扇、日永足袋、なが餅があり、団扇は東海道や伊勢参りの土産物として人気だったそうだ。
大聖院、興正寺、両聖寺(日永つんつく踊りで有名)を見て通る。本当にお寺が多い。

・最後に日永神社に寄って東海道最古の道標を見る。1656年に僧・専心が建てたもので、元は伊勢参宮同追分にあったものだそうだ。
51_300x450
              東海道最古の道標 字は殆ど見えない512_300x450
・ すぐ近くの南日永駅に向かってあすなろう鉄道に乗る。スイカは使えず切符を買う。終点は四日市駅で200円。(殆どの時間帯、1時間に2本)
日本に3つしかないナローゲージ鉄道の一つで、あとは西桑名から出ている三岐鉄道と黒部のトロッコ電車である。
新幹線は1435㎜だがこれは762㎜だ。座席が左右1席ずつしかなかった。
52_300x450
522_450x300
名古屋に出て40分後の席が取れたので駅弁を買う。
名古屋の名物の入ったお弁当は美味しかった。(名古屋コーチンの鶏飯、天むす、あんかけパスタ、みそかつ、エビフライ)。帰宅は9時半過ぎでした。次回は9月、またよろしくお付き合い下さいませ。
53_450x300

             お土産は熱田神宮で食べたきよめ餅
450x438

|

« 東海道五十三次歩き27 益生~四日市宿~南日永(前編) | トップページ | 100歳の画家・堀文子の言葉 »

コメント

この暑さの中を東海道歩きとは、超人的です。
風様のブログと重なる部分もありますが、
私の知らないところばかりです。

まず東海道は53宿と思っていたのですが、
57もあるのですね。

丹羽文雄が三重県出身であることは、60年前から
知っていたのですが、過去の人というイメージで
忘れていました。

名古屋の駅弁を買うことはまずありません。
しかし、このなごや満載は魅力ありげです。

投稿: matsubara | 2018年7月25日 (水) 08:11

こんにちは。桑名や四日市は行ったことがありません。小学生の頃に習った“工業地帯”というイメージしかありませんが、のどかな風景が続きますね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年7月25日 (水) 08:16

★matsubaraさま

暑さは歩いてから2日後に名古屋地方は猛暑日が連続しています。猛暑日は歩けない年齢であります。
風さまのブログを見てから逃さないように行って参りました。東海道は京都から大阪まで続きがあるので地図も出ています。

丹羽文雄の小説、読みましたがもう何を読んだか本を捨ててしまったので忘れてしまいました。昔の小説家をかろうじて現在時々読んでいるのが夏目漱石だけです。
丹羽氏が四日市出身とは知りませんでした。
名古屋を一気に全部集めた感じの駅弁、ボリュームがあり過ぎまして残しました。いつもありがとうございます。

投稿: tona | 2018年7月25日 (水) 08:38

★多摩NTの住人さま

四日市のコンビナートは川から遥か彼方に見えただけでした。東海道とは離れているのですね。
何時も読んでいただきコメント有難うございます。

投稿: tona | 2018年7月25日 (水) 08:40

こんにちは
 
高速道路を走りながら見える桑名・四日市とはだいぶ違う印象です。
歩かれた道沿いには結構緑も多くて良かったですね。
十四川の水面を覗き込むように枝を伸ばした桜の並木が素適です。
枝ぶりの良さで全国表彰されたのですね。
お寺にはまたまた力石がありましたか。結構あちこちに置かれて
いるものですね。先日大相撲で御嶽海が優勝し、同じ長野出身の
伝説の最強力士・雷電為右衛門のお墓がニュースの中で出てきましたが、
そのお墓にも力石が置かれていました。

東海道の地図を改めて見ていて、桑名からそのまま西へ向かわず
四日市・亀山方面へ南下(南西方向)した後で鈴鹿峠を越えて
いるんだなぁと気付きました。何をいまさら‥なのですが、
鈴鹿山脈を越えるのに、鈴鹿峠がいちばん歩きやすかったから、
ということなのかな、とやっと気づいたというわけです(^^;)
 
ちなみに私達が伊賀へ行くときは、伊勢湾岸自動車道を走った後、
四日市から先は東名阪自動車道で亀山まで、その後は
名阪国道を走っていきます。
東名阪自動車道からはもう山の中の道路、という印象ですが、
東海道歩きはこの山中をどう歩いていくのでしょう。
箱根も難関の一つだったと思いますが、この先の峠越えも大変そうですね。

投稿: ポージィ | 2018年7月25日 (水) 10:57

tonaさん、こんにちは~♪
この辺りは風さんのブログで、拝見したばかりなので、
覚えていることも多く、一度訪ねた事のある観光地を、
またテレビで見ているような感覚があり、
ワクワクとしながら拝見しました。
四日市は昔中学校の地理で習った、中京工業地帯とか、
四日市ぜんそくとしてのイメージが強く、
地名からは、その昔に市がたつ市場町として賑わって
いたのだろう位は推測できましたが、
宿場町のことはすっかり抜けていました。
由緒ある寺社仏閣、一里塚や常夜灯、連子格子の古い家、商家など、
たくさんのお写真を拝見して、当時の様子が偲ばれ、
旧東海道が今の新幹線とはルートが違っていたこともよくわかりました。
ナローゲージ鉄道も車内のお写真を拝見して、その狭さが想像できました。
名古屋の名物の入ったお弁当はボリュウムがあって美味しそうですね。

投稿: hiro | 2018年7月25日 (水) 15:26

43/53宿まで来ましたね。
残り10宿目の大津を過ぎればいよいよ三条大橋です。

ところで関から水口間は鉄道がありませんが,鈴鹿峠はどうなされるのでしょうか。

投稿: gaki | 2018年7月25日 (水) 18:13

★ポージィさま こんばんは。

殆ど国道を歩かないで旧道を歩けたことはとても良かったです。
水田が見られたのが何よりでした。
ところがこのところの猛暑で稲が疲れているというニュースに驚きました。水田の水温が36度を越えてしまったからだそうです。収穫があったとしても美味しくなくなるそうですね。
昔は力石で力比べがはやっていたのですね。
すっかり雷電の名前がまた出て有名になりましたが、お墓のところの力石には気がつきませんでした。
仰る通り、桑名から西に向かえば近いと思うのは浅はかさ、三角形の二辺を歩くような形ですが鈴鹿峠を越えなくてはならないからなのですね。
今、地図で伊賀への行き方がわかりました。
以前ツアーで名古屋から鈴鹿の方を通って醍醐寺に出たのですが、気持ちの良い道路ででした。地図で見ても果たしてどこを通ったのか?
箱根と鈴鹿どちらが大変なのでしょう。
日帰りなのでタクシーなどを使ったりしないとだめでしょうね。電車から離れているみたいなのです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年7月25日 (水) 20:16

★hiroさま こんばんは♪

そうです。風さんが紹介されたところは逃さないようにメモして行きました。でも全然見る暇がなくて。
私も重化学工場があって四日市喘息が公害として取り上げられていましたね。
まさか東海道が通っていたなんて知りませんでした。
四日市の名前もその通りですね。その面影はありません。
お寺の多いことに驚きました。
定規筋の塀があって京都にいるみたいでした。
新幹線ルートは岐阜の大野伴睦が新幹線岐阜羽島駅誘致したために鈴鹿側でなかったのですね。トンネルを作る技術が発達しているので鈴鹿の方が早いような気がするのですが。
ナローゲージの鉄道、トロッコは乗りましたのであと一つも西桑名からの三岐鉄道に乗ってみたいです。気が多くて時間が足りません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年7月25日 (水) 20:36

★gakiさま

お陰様で残り10宿になりました。
兎に角日帰りですからとても大変です。
娘にまかせていますが、聞いたところによると、関から鈴鹿を越えて道の駅あいの土山まで歩き、そこからバスで貴生川に出るのが1回、次の会で丁度バスがなければタクシーで前の回の終着点まで行き、水口石橋(近江鉄道)まで歩きます。場合によってはいろいろタクシーを使うことになるそうです。まだ研究の余地ありだそうです。そのあたりからは京都からの行動になるみたいです。
果たしてどうなるやらです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年7月25日 (水) 20:47

ナローゲージ鉄道というものがあることも知りませんでした。
今更の質問ですが、この東海道53次歩きの旅は
何かツアーに参加されているのですか?
tonaさんとお嬢さんのお二人で歩かれているのですか?
すみません、何も分かっていなくて…

投稿: zooey | 2018年7月25日 (水) 22:39

★zooeyさま ありがとうございます。

娘の有休がとれた日に二人で風人社から出ているとても親切な地図を使って歩いています。
お土産処や昼食(なるべく名物にこだわる)、コンビニの在り場所、そして寄り道をするかしないかを帰りの交通機関の場所に近づけるように計画してもらっています。私は後にくっついて落伍しないように体調を気遣って歩いているだけです。
都合で1泊ができないのでこれから鈴鹿あたりが大変になってきます。新幹線の始発、京都からもかなり遅いのになりそうです。考えてみますと、2日間続けて歩くより一日だけで終わる方が楽かもしれません。しっかりしてない私なので一人でやじさん、きたさん二人分を演じている感じです。

投稿: tona | 2018年7月26日 (木) 08:42

tonaさん こんにちは

もう、三重県まで到達されたのですね!
三重県はあまり馴染みのないところなのですが、
四日市市も東海道53次に入っているのですね~
四日市は公害のことくらいでしか知りませんでしたが、
お寺が沢山有り、見るところが多いのですね。
いろいろな常夜灯、道標、マンホールの模様、飛び出し注意君?まで
興味を引くものが沢山有り楽しいです。
そうそう、犬山城に行ったときに飛び出し注意の看板人形がありましたっけ。
東海地方に多いのでしょうか?

娘さんとの二人旅なら気兼ねもなく、頼れるしいうことないですね。

だんだん遠くになり、歩く時間と行き帰りの時間の調整が大変になってきましたね。

帰りの駅弁も美味しそう^^

投稿: グレン | 2018年7月26日 (木) 19:21

★グレンさま
四日市まで来ましたら、あと10宿になりました。
ここは公害の事しか知りませんでしたが、何と東海道が通っていたとは。海岸の方にコンビナートが見えましたが、旧東海道の方はお寺の多い車もあまり通らない静かな街道です。
飛び出し坊やが犬山城の方にもありましたか。滋賀県が発祥の地だとか。近畿の方に多いようです。
我が家の方では見かけませんものね。
運転するとき気を付けると思われました。何でも運転が乱暴な人もいるとか。
ツアーと違って思いのままに行けて助かっています。有り難いことと、迷惑かけないように普段から体に気をつけています。今更鍛えるわけにはいきませんが。
仰る通りこれからが一番大変になります。6時の始発の新幹線に乗ることになります。帰りも夜中に帰ることに。それでも泊まって2日歩くよりは楽です。
この駅弁は欲張り弁当でした。美味しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年7月26日 (木) 20:48

ご無沙汰しました。
前篇と後篇を興味を持って拝見しました。
Saas-Feeの風が見落としていた事柄もあって
下調べが行き届いていることに感服しています。
tonaさんの旅が無かったらSaas-Feeの風は
桑名から四日市、そして次へと(采女の一里塚跡石標まで)歩くことが
おそらく無かったと思いますよ。
好い機会をつくってくださったと感謝しています。
これから先は日帰りを考えたペース配分になりますね。
無理の無いプランで完歩実現をお願いします。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年7月27日 (金) 14:03

★Saas-Feeの風さま

こちらこそ先に歩いていただきブログアップしていただき、行くべきところを書いて頭に入れ(これが入っていなくて随分抜けました)ここここと言いながら歩けました。
円形の小学校は見逃しました。他、寄り道出来ないところもありました。
これから先は電車の駅にたどり着けないで、タクシーを呼んだりしながら、あるいは東京駅始発(6:00)で中央線も始発と言うことになりそうです。これから日が暮れるのが早くなるのでうかうかして暗闇を歩くことになったりしないように時間配分が大変になると思いますが、完歩できたらなあと祈るような気持ちです。
本当にありがとうございました。

投稿: tona | 2018年7月27日 (金) 16:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146506/66980995

この記事へのトラックバック一覧です: 東海道五十三次歩き27 益生~四日市宿~南日永(後編):

« 東海道五十三次歩き27 益生~四日市宿~南日永(前編) | トップページ | 100歳の画家・堀文子の言葉 »