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2018年7月31日 (火)

サンシャイン水族館

毎年暑いときには水族館へ。今年は池袋のビルの10階(本館1階)と屋上(本館2階)にあるサンシャイン水族館に涼を求めて行ってきました。
台風がやってくる前の30℃以下の曇りがちの涼しい日を選べて、そんなに真っ黒焦げにならなかったし、熱中症で倒れることもなかった。何しろ水族館と言えばお子様連ればかり。私たち、じいさんばあさん連れは皆無と言っていいほど。
全部で26のエリアに分かれていてそれぞれに、「海の忍者」とか「環境と生命」のように名前がつき説明されています。

       沖縄恩納村から借りているというサンゴ。管理が大変なのでしょうね。

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             ニッポンウミシダ きれいな色をしている(棘皮動物)
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ウィーディー・シードラゴン 海中には龍がいたのですね。タツノオトシゴに似ています。
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                       カスミチョウチョウウオ 蝶が飛んでいるみたい
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                   ジュウジキサンゴ450x300_4
     ウツボ 蛇に似ていていやだけど、意外やきれいな模様をしている。
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        名前が分からないが、笑っているようなかわいい顔。
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               クラゲ どこの水族館にもいます
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              ヒメコウイカ お姫様のように小さめ
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                   アマゾンのコーナー
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             髭が立派なのでナマズ?背びれも大きい。
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            水面下のマングローブを見るのは初めてです
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亀の甲羅にもいろいろあるものだ。1匹のビルマホシガメとその他のホウシャガメ。
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ケープペンギン 南アフリカで見ました。フンボルトペンギン属。
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                   魚を貰うペンギン
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            水槽を泳ぐペンギン。空を飛んでるようです。
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二頭によるアシカのパフォーマンスがありました。
ここのアシカは頭がとても良い!飼育員さんによるたくさんの指示を全部こなします。あまりにたくさんやってくれて忘れてしまった私の方が大馬鹿に思えました。
曲芸だけ載せます。ちなみにアシカは前足がメイン、アザラシは後ろ足がメインだそうです。平らな床面を滑ることもできます。
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チンアナゴがいなかったのが残念でした(TωT)ウルウル





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2018年7月27日 (金)

100歳の画家・堀文子の言葉

1918年7月2日生まれの堀文子さんは今年満100歳を迎えられました。
77歳の時にアマゾン、マヤ、インカに出かけてスケッチし、2000年82歳の時には、ブルーポピーを求めてヒマラヤ山脈の高地を踏破したとのこと。
ところが翌年、解離性動脈瘤で倒れてからは、微生物に着目し海中に生きる命をモチーフとする作品を発表するようになったということです。
色が明るく特に花は素晴らしい作品が多く、さすがヒマラヤの青いケシは魂まで乗り移ったかのようです。

著書『ひとりで生きる 堀文子のことば』は何故100歳まで現役でこのような絵を描き続けられるかを語っています。こんな凄い方の上に、あるいは陰に阿部なをという料理家がいらしたとは! 感動のことばを抜粋します。

・群れない、慣れない、頼らない
・老残のかけらも見えぬ、阿部なを先生の迫力の原動力が知りたかった。
 「死ぬまでに体の悪い所は治しておかないと」何というすごい生き方だ。
・それに耐えるだけの体力と気力がないと、真剣に遊ぶこともできない。
・自活とか自由というものは、どんなに辛いことか。ワガママとは違って、責任は全部自分で背負わなければならない。自由の裏には過酷な任務があることを心得ておかねばならない。
・身体が衰えてきますと、誰でも何もできない諦めの老人と思うでしょう。けれども、私は知らなかったことが日に日に増えてきます。いままで「知っている」と思っていたことが、本当は「知らなかった」と。それがだんだんわかってくるのです。
・息の絶えるまで感動していたい。
・現状を維持していれば平穏無事ですが、新鮮な感動からは見捨てられるだけです。
・私は岐路にたたされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています。
・「ひとりでよくそんな場所に行きますね。わたしにも勇気があれば・・・」とよくいわれますが、本当に行きたければ勇気も何も要りませんでしょう。本当にしたいことを人間は誰でもしているはずです。
・私はこれまで、自分の人生で大事なことは人に相談したことがありません。だって、だいたいのことは、「いけない」と言われるに決まっているんです。自分が本当に「やる」と決めたなら、どんなに大変でもやらなければなりません。自分がやりたいんですから。
・「旅はひとり」という信条に従って、言葉もできぬのに海外での一人旅を続けてきた。
・奢らず、誇らず、羨まず、欲を捨て、時流をよそに脱俗を夢見て、私は一所不在の旅を続けてきた。
・この先、どんなことに驚き熱中するのか。私のなかの未知の何かが芽を吹くかも知れないと、これからの初体験に期待がわく。私にはもう老年に甘えている暇などないのだ。



花筐~花がたみのSaas-Feeの風さまからつきみそうのmatsubaraさまへ送られたイペーの種をmatsubaraさまから送っていただいて発芽してから2ヶ月たちました。
イペーというのはブラジルの国花で「黄花イペー」と言われる。3~5mの高木になり、耐寒性は弱いということで、果たして育つかどうか、大きな鉢植えで冬は家の中で、花が咲く頃まで私が生きているかどうかわからず、それより前に枯らしてしまうかもしれませんが、兎に角珍しく面白くて、毎日眺めています。日向は怖いのでまだ日陰です。

1番(イペー市農業局の種)はまだ小さく成長が遅いので別の機会に。

3番(ポルトアグレ市 イペーアルバの種)187253_450x300
5番(ポルトアグレ市のイペーローショの種)双葉の後の本葉、3回目から3出複葉になりました。185255_2_450x300

ツキミソウの種を数年前matsubaraさまからいただてから毎年絶えることなく発芽して、今年は植木鉢10鉢に次々咲いて今晩は15も。6月22日から120も咲きました。716_450x300

                 今年はクレオメが元気です725_450x300

7月18日の三日月(実際は月齢5です)は赤かったです。明日は満月ですが台風で見えません。718_450x304

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2018年7月24日 (火)

東海道五十三次歩き27 益生~四日市宿~南日永(後編)

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◆益生~四日市宿の間の続き 富田から 

・十四川の堤の桜並木。両岸1.2㎞にわたり約800本が植えられている。枝振りが良いと全国表彰されたそうだ。
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立派な常夜燈を過ぎ、弘法大師が彫ったとされる秘仏の薬師如来のある薬師寺を通り過ぎる。
・常照寺の鐘 四日市大博覧会(昭和27年)で平和の鐘として展示されたもの
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・また力石があった。120㎏と19㎏。子供用の19㎏は持ち上げることが出来た。寺の土台石だったが明治の中頃から大正時代まで茂福地区の青年が力比べをしたという。
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・寄り道した茂福神社はたくさんの灯籠が寄進されている神社で、茂福城址は近鉄線路の脇のこんもりした小山にある。ここの最後の城主が1567年に信長の家臣の滝川一益に殺害され攻め落とされてしまった。
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・六段もある大きな大きな八幡常夜燈。三重県に入ってから常夜燈の大きさに目を瞠る。
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四日市の東海道は、標識だけでなく、ずっと歩道が土器色(かわらけいろ)に塗られていて親切だ。
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・かわらずの松 地名の川原須から来る名前。四日市市にはこれと日永の2本しか残っていないという。
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・志氐神社の東海道を挟んでの夫婦石。この神社にはイザナギ・イザナミの夫婦の神様が祀られている。人々は一対の石を撫でて、縁結び、夫婦円満の願いを込めたそうだ。志氐とは御弊(お祓いのための道具)。
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・古い家を見かけるようになる
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・光明寺では、最高の五本筋が引かれた筋塀が山門の両側にある。皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として引かれる。
ここは 霊元上皇の第14皇女八十宮吉子内親王は第7代将軍家継に嫁いだが、家継死後仏門に入り、その宮付に光明寺第5世俊応の妹が仕えたとあるが詳しくはわからなかった。
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・この四日市市マンホールは広重の絵の三重川で傘を吹き飛ばされているのを追いかける図だ。
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三元大師の道標、多度神社を通りすぎたら
・三ツ谷一里塚跡(99里目)で公園になっている
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・萬古焼の陶器工場が出てくる。宝来軒というお菓子屋さんの店先に首の長い大入道の看板があった。この先の諏訪神社の例大祭に登場するのは9mで日本一大きなからくり人形だそうだ。
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・三滝川(広重の絵には三重川となっている)を三滝橋で渡ると河口に有名な重化学工業のコンビナートが見えた。
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●四日市宿(43番目の宿)桑名から12.7㎞ 日本橋から387㎞ 宿の長さ約2.2㎞ 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠98軒。

・三滝川を渡った先に、1550年創業の「なが餅」笹井屋本店があり、このあたりから四日市宿になる。
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・問屋場跡 本陣などの解説板も殆ど見当たらない
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・別バージョンのマンホール 姉妹都市がわかる。娘が調べたところによると、上には四日市港の石油コンビナートと姉妹都市ロングビーチ(アメリカ)のスプルース・グース・ドーム、下には姉妹都市シドニーのコアラと天津のパンダが描かれている。
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・「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」と書かれた道標は指で方向を示している珍しいもの。後で知って裏を見なかったのでわからなかった。
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・諏訪神社は信州の諏訪神社から勧請された。再建されたものだが、鳥居は青銅製。
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・東海道がアーケードになっている。丁度七夕の飾り付けがされていてきれいだった。
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・消火栓もモザイクも広重の絵。マンホールのもう一つのバージョンは四日市市の花・サルビア。
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・大入道の前は四日市のマスコットキャラ、こにゅうどうくん。自販機にも。
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・作家丹羽文雄の生誕地の崇顕寺
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・連子格子の古い家があった。この辺りで四日市宿が終わる
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◆四日市宿から南日永駅まで

あすなろう鉄道の赤堀駅を通り過ぎると鹿化(かばけ)川があり遠くに山並みが見える
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・6/30の茅の輪くぐりが有名な大宮神明社
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日永地区は間の宿で、名物に日永団扇、日永足袋、なが餅があり、団扇は東海道や伊勢参りの土産物として人気だったそうだ。
大聖院、興正寺、両聖寺(日永つんつく踊りで有名)を見て通る。本当にお寺が多い。

・最後に日永神社に寄って東海道最古の道標を見る。1656年に僧・専心が建てたもので、元は伊勢参宮同追分にあったものだそうだ。
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              東海道最古の道標 字は殆ど見えない512_300x450
・ すぐ近くの南日永駅に向かってあすなろう鉄道に乗る。スイカは使えず切符を買う。終点は四日市駅で200円。(殆どの時間帯、1時間に2本)
日本に3つしかないナローゲージ鉄道の一つで、あとは西桑名から出ている三岐鉄道と黒部のトロッコ電車である。
新幹線は1435㎜だがこれは762㎜だ。座席が左右1席ずつしかなかった。
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名古屋に出て40分後の席が取れたので駅弁を買う。
名古屋の名物の入ったお弁当は美味しかった。(名古屋コーチンの鶏飯、天むす、あんかけパスタ、みそかつ、エビフライ)。帰宅は9時半過ぎでした。次回は9月、またよろしくお付き合い下さいませ。
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             お土産は熱田神宮で食べたきよめ餅
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2018年7月20日 (金)

東海道五十三次歩き27 益生~四日市宿~南日永(前編)

7/12(木)曇後晴れ。 天気予報で確かめると気温31~33℃。 暑くてだめなら名古屋城の本丸御殿を見ることにして出発。前回と同じ電車に乗り、益生駅に到着、9時に矢田の立場跡から歩きはじめる。
娘に用意してもらったクールタオル、ひんやりガードUVカット、Shirt Cool、ヒヤロンなどが随分役に立った。それに飲物各種2.5ℓも飲む。幅50㎝にも満たない日陰を見つけては走り寄る。一日中かんかん照りでなく時々曇った時があったのも幸いでした。対策を立てれば暑くても歩けるが33℃が限界です。41153歩。

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◆益生~四日市宿の間 
由緒あるお寺の数々、立派な常夜灯、飛び出し坊や、力石、徳川家の威力などが印象に残った区間です。

歩き始めてすぐに和菓子屋「つたや」ではせっかくの<七里焼き>の小売りがなく、<桑名藩どら焼き>を買って午前中のおやつにする。本多忠勝が描かれている。
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すぐ斜め前のお寺の了順寺の山門は、桑名城の門を移築したものだ。
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・城南神社の鳥居は立派。それもそのはず、伊勢神宮の式年遷宮の際、内宮の一の鳥居が下賜され建て替えられているから。それは垂仁天皇の皇女倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて、この地に休息したという言い伝えがあるから。御祭神は天照大神。
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前回最後に飛び出し坊やを撮ったが、この日もいろいろなバージョンがあり、女の子のもあったりでまたまた撮ってしまう。滋賀県がルーツと教えてくださる方がいました。
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江戸に向かう西国大名はここに立ち寄って衣服を改めてから桑名城下に入ったという晴雲寺を通り過ぎ、その先が安永の立場で、多くの茶店で賑わっていて安永餅が売られていたそうだ。

伊勢両宮常夜燈(伊勢神宮への祈願を兼ねているとのこと。1818年建造)と里程標
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・員弁川を渡ると三重郡朝日町。マンホールは町の木の白梅だそうだ。
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田圃の緑が目に染みる
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・真光寺には松平家の家紋の梅鉢紋が彫られた手水鉢がある。それは第6代桑名藩主松平定良が有馬温泉帰りに病死、員弁川の洪水で川止めになった時に遺体を安置して手厚く葬ったお礼に松平家から寄進された。
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・山口誓子の筆跡の句碑を通り、縄生一里塚(97里目)の標柱を過ぎると安達本家酒造がある。娘が重いのに「富士の光」を2本買っていた。
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萬古焼を発展させた森有節の墓は遠いので行かず、朝日資料館は水、土曜しか開館してなく閉まっていた。

・橘守部生誕地遺跡 独学で国学を学んだ人で天保の国学四大家の一人。お墓は東京向島の長命寺にある。
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・浄泉坊は徳川家に由緒ある桑名藩の奥方の菩提寺であったことから、山門の鬼瓦や本堂の瓦に三つ葉葵の紋がある。参勤交代でここを通る大名は、駕籠から降りて一礼していた。
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・タオル工場が続く東海道の両側には美しい田圃が広がっている
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・咲いたころを見たい桜並木がある
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・多賀神社常夜燈(1864)は大きくて立派だ。多賀神社とは滋賀県の多賀町にある長寿と厄除け、縁結びの神社で、お詣りした人が多かったからここに造られたのか。
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・朝明川を渡って、いよいよ四日市市に入った。
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このような看板を随所に見かけ。民家の塀にも東海道の表示板があちこちに掲げられとても親切な市だ。それに国道と殆んど重なることなく旧街道を進める。
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・19茶屋が店先に置いた力石。100㎏。茶屋で休んでいるとき余力のあるものが自慢げに持ち上げたらしい。
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・長明寺 ここの山門も桑名城から移築されたもの。ここは蒔田城址と言われ山門の手前の橋の下は濠でコイが泳いでおり、築塀もなされている。
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・富田の一里塚跡(98里目)京都は126里だそうで随分来たものだ。
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・行啓記念道路碑 また明治天皇かと思いきや、初めて大正天皇のもの。大正天皇が皇太子時代に現四日市高校に立ち寄られて授業参観されたことを記念した碑だ。
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・少し先のこちらは明治天皇御駐輦跡碑で、明治天皇は四度もこの地で休まれた。近衛文麿の筆だそうだ。
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昼食はJR富田駅近くのイオンモールの中の柿安ミートエクスプレスで、四日市名物とんてき丼(ご飯少なめ)を頼む。
ここでお水を5杯も飲む。午前中はどら焼きとヨーグルトドリンク。午後は凍らせたレモンドリンクやアイス最中、他ポカリスエット、ウーロン茶、緑茶を全部帰宅まで飲みきる。
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2018年7月16日 (月)

『続々ざんねんないきもの事典』今泉忠明監修

ハマユウは2鉢になり今年は6輪咲きました。
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コスモスの種も蒔いたので賑わっていますが、撮影しなかったですが今一番元気にたくさん咲いているのがオニユリです。
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今年どこからかやって来たのがアゼナ(アゼナ科)。水田の畔などの湿った場所に生える雑草。我が家が湿った場所でもないけれども元気に咲いています。ムラサキサギゴケ等によく似た小さな花です。Oさんに教えていただきました。ありがとうござました。
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本2冊
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『続々ざんねんないきもの事典』今泉忠明監修

いきもの事典だから、今回は植物もちょっと出てくるし、ネコの視点から見ると「ヒトもざんねん!?」それは
1 頭が大きすぎてすぐ転ぶ・・バランスが悪いにゃ~。
2 2本足だから走るスピードがおそい。ネコなら100mを7秒台で走れちゃうニャ。
3 目にたよりすぎで、鼻も耳も悪い。ネコの聴力は人間の4倍以上、嗅覚は数万倍ともいわれるニャ。
4 体に毛がなくて寒そう。
なんてネコに言われる人間様です。

3冊目になってもおかしなのがたくさん紹介されていて楽しい!

・蟹の仲間の「モクズショイ」は藻屑やサンゴ、軽石などのごみを背負わずにはいられない。
・カタツムリはカラフルな(食べ物の色素を消化できない)うんこを心をこめておりたたむ。
・コウモリはぶら下がれるけど、立ち上がれない。脚の骨は細く、筋肉はガリガリなので。
・ラクダのコブはたまにしおれる。瘤の中身の合計100㎏近い脂肪が、1ヶ月も食べないで使われてしまった場合。
・アベコベガエルは成長するほど、どんどん小さくなる。オタマジャクシが25㎝の大きさになり、5~6㎝の体長のカエルになる。
・チンパンジーは自分で自分をくすぐって笑う・・・のだそうだ。動物園で見てみたい(一日檻の前にいても無理か?)
・マダラアグーチ(哺乳類)はおしっこをかけられると相手が好きになる。
などなど、今回もざんねんな<こだわり><体><生き方><能力>に分けて115種類も楽しめました。

『日本の神社100選』一度は訪れたい古代史の舞台ガイド 日本神社研究会

裏表紙より・・神話の時代から各地の豪族による群雄割拠の時代、ヤマト王権の誕生、飛鳥時代、奈良時代を通じて「日本」という国のかたちが整えられるまで、その時代ごとに創設された神社、合計100社を掲載している。

前文より・・世界各地にはさまざまな宗教があるが、日本には神社を信仰する「神道」がある。その原型は仏教やキリスト教が誕生する前の縄文時代までさかのぼるといわれる。
神道には教えや戒律がなく日本人の伝統的な価値観から成り立つ。現存する最古の歴史書『古事記』、最古の正史『日本書紀』には数多くの神社が登場する。古代の日本においても「祭り事」を行う神社は重要な存在だった。
私が行ったことがある、あるいは超有名な神社が意外な時代に造られたりして、御神体や祭神や成り立ちなど改めて知って、結構面白い本でありました。自分で行ったのだけあげると

1神話の時代の神社(15社) 出雲大社 諏訪大社 宗像大社 花窟神社 青島神社 鵜戸神宮 

2ヤマト王権の黎明期(16社) 3世紀末から4世紀初め。 熊野那智大社 鹿島神宮 富士山本宮浅間大社 戸隠神社 彌彦神社

3ヤマト王権の創成期(10社) 実在する初代天皇・10代崇神天皇、11代垂仁天皇の時代やまと纏向に宮があった。大神神社 石上神社 熊野本宮大社 日吉大社

4初期ヤマト王権の時代(17社)12代景行天皇の第2皇子ヤマトタケルや14代仲哀天王の妃・神宮皇后の三韓征討の時代。伊勢神宮 熱田神宮 大國魂神社 香椎宮 

5倭の五王の時代(8社)15代(応神)~21代(雄略)7人のうち5人と考えられる。寒川神社 貴船神社 

6古代「国家」成立(7社)仏教が伝来したのが6世紀。神への信仰を主張する物部氏と仏教の受容を進める曽我氏が対立し物部氏が敗れる。日本の信仰は、ここから明治時代まで続く神と仏を同一視する神仏習合の時代へと変わる。山岳修行で超人的な能力の獲得を目指す修験道も誕生した。宇佐神宮 英彦山神宮

7飛鳥時代(15社) 談山神社 八坂神社 厳島神社 出羽三山大社

8奈良時代(12社) 伏見稲荷神社 神田神社 高麗神社 日光二荒山神社 三嶋大社 ・・・と本社をお詣りしたのは32社でした。 

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2018年7月11日 (水)

東海道五十三次歩き26 鳴海宿・宮宿・桑名宿(3)

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●桑名宿(42番目の宿)宮宿から0㎞(海里7里) 日本橋から372.3㎞ 宿の長さ2.7㎞ 本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠120軒。脇本陣の数は小田原と並んで1位。旅籠数は宮に次いで2位。

桑名宿も宮宿と同様七里の渡しの渡船場として栄え、旅籠数も120軒も数える賑やかな宿場であった。

・六華苑を出て揖斐川の堤防の上を歩き宿場の中心へ向かっていく。向こうに長良川の河口堰も見えた。

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・大塚本陣跡(現在料亭・船津屋)、この先が船番所、脇本陣駿河屋(現在高級旅館山月)。
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泉鏡花がこちらの小学校の講演で来た時船津屋に宿泊し、この時の印象をもとにして小説『歌行燈』を書きあげた。演劇化し映画化するため、久保田万太郎もここに滞在し、戯曲『歌行燈』を書き、明治座で公演された後映画化された。読んでないので図書館から借りてきました。
「歌行燈句碑」久保田万太郎が船津屋主人に求められてその情景を詠んだ句碑。字が消えて読めない。「かはをそに 火をぬすまれて あけやすき」
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・桑名側の七里の渡し
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・伊勢の国一の鳥居。初めて建てられたのは天明年間(1781~1789)で、式年遷宮ごとに伊勢神宮宇治橋の鳥居を移しているそうだ。
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・蟠龍櫓(復元)が見える。広重の絵にも描かれている。蟠龍とは天に昇る前のうずくまった状態の龍の事で、航海の守護神としてここに造られたという。
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・舟会所、問屋場跡、通り井跡を通り、蛤料理屋さんを見て、九華公園(桑名城址)へ
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                    お堀がきれい
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  天守台跡 崩れやすいため登るのは禁止。戊辰殉難招魂碑が建っている。
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             猫4匹に遭遇。この子は親分みたいな感じ。
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本多忠勝の像 徳川四天王の一人。関ケ原の合戦後家康は本多忠勝をここに配置し、その後城を整備していった。
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・東海道に戻ると右手に青銅の鳥居の春日神社がある。木製から青銅に造り替えられたのは1667年。門の奥には楼門が見える。逆光で見えないが、鳥居には色々な模様が彫ってあって、貫には藤紋、両柱の上部には上り藤紋がある。
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             島木には花輪違いの模様があるのには驚く
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「しるべいし」が鳥居の左下にあって、迷子石とも呼ばれ、左に子どもの特徴を書いた紙を貼り、右に心当たりのある人が子どものいた場所などを書いて貼ったそうだ。
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              楼門の左右には左大臣と右大臣がいた
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拝殿 春日神社(俗称)は桑名宗社(公称)で、桑名神社(拝殿の紋は「三」)に中臣神社(拝殿の紋は「大」)が遷座したもの。
拝殿には「大」と「三」の紋が見える。桑名宗社の紋は「大三」とのこと。
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・飛び出し注意の看板は蛤のかぶりものが
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・桑名城城壁 積石は「野面はぎ」「打込みはぎ」の乱積み。
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・歴史を語る公園 東海道五十三次を模していて、日本橋、富士山、そしてたちまち三条大橋に到着。面白い。
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・石取会館 昔銀行だったが現在、日本一やかましい祭りの「石取祭」の祭車や祭りの紹介施設。桑名七曲り一つ目を曲がった先。
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向かいのマルマンにて名物アイス饅頭を買って食べる。暑かったので美味しかったこと。
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・「右:京いせ道」「左:江戸道」と書かれる
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・光明寺、泡洲崎八幡社を通り、十念寺へ。森陳明(戊辰戦争で新政府軍と戦い、降伏後、桑名藩の全責任を負い、切腹した人物)の墓がある。桑名は幕府側についたため、このあと城も取り壊されてしまった。
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・寿量寺の、狩野光信(永徳の長男の絵師)の墓。江戸からの帰り、桑名で病死し、このお寺に葬られたのだそうだ。
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七曲見附跡で曲がり、シーボルトも見学したという広瀬鋳物工場跡の説明碑を過ぎる。

・天武天皇社 壬申の乱の際に大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名に泊まったことにちなんで建立された神社で、天武天皇を祭祀する唯一の神社だそうだ。
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・一目連神社 雨乞いの神で、火を扱う鋳物師によって信仰され、金属工業の神として知られたという。
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・善西寺の鐘
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・馬繋ぎの輪 実際の立て場はこの寺あたりで現在より少しずれていた
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・矢田立場跡(火の見櫓が復元されている)
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・近畿地方に多いと言われる飛び出し坊やだそうだ
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益生駅はすぐそこ、いろいろ近鉄を乗り継いで名古屋駅へ。約1時間後の切符が取れたので、きしめんをいただく。
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何時も買ってもらうお土産は、岡崎で買えなかった「あわ雪」、これがきめが細かくて絶品。写真が何処かへ消えてしまったのが残念。
7:42ののぞみに乗り、帰宅は11時でした。

今回桑名はブログ友の「花筐~花がたみ」Saas-Feeの風さまが歩かれてもっと詳しく説明されているのを参考にさせていただきましたが、とても全部見ることが出来ませんでした。お礼申し上げます。
                
                    (終わり)

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2018年7月 8日 (日)

東海道五十三次歩き26 鳴海宿・宮宿・桑名宿(2)

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●宮宿(41番目の宿) 鳴海宿から6.5㎞ 日本橋から約371㎞ 宿の長さ約1.3㎞ 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒。
宮宿は桑名への海上七里の渡しを控えていたことから、東海道で最も大きな宿場の一つであった。悪天候で欠航した際の船待ちの客や、乗り遅れた旅人で、他にはないほど248軒の旅籠で賑わった。熱田神宮の門前町でもあった。

新堀川を熱田橋で渡って宮宿(熱田宿)に入り、右に神明社があり名古屋と知多半島を結ぶ道の道標があった。

・一里塚跡(89里目)は再現されたもの
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・姥堂の建物の1階には裁断橋址があり、橋のミニチュアがあった。裁断橋は精進川に架けられていたが、川が埋め立てられすでにない。姥堂の姥は奪衣婆という説や日本武尊の母などという説がある。隣に都々逸発祥の地の碑があった。
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あんかけスパゲティの店でミラカンの昼食です。ミラカンとはミラネーゼ(赤ウィンナー、ベーコン、ハム)とカントリー(玉ねぎ、ピーマン、トマト、マッシュルーム)をミックスした具のあんかけスパゲティ。胡椒が効いているのが特徴でしょうか。面白い味でした。
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・すぐ先の鈴之御前(れいのみまえ)神社は熱田神宮への参詣者が禊をした場所だそうだ。神社の裏側が徳川家康幽距跡地だが見つからなかった。織田信秀の元に送られた時2年間ここに幽距させられたそうだ。
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・白本陣跡の表示は見つからず、七里の渡しへ曲がる手前に分岐点の道標がある。南は宮の渡しへ、北は美濃路・佐屋路へと重要な分岐点だ。いつか佐屋街道を姫街道と同じく余裕があったら歩きたい。
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・道標の向かいの地蔵が「ほうろく地蔵」。ほうろく売りが荷物の片方の重し代わりにして運んでここで捨てたのを石仏として地元の人が祀った。なかなか立派である。
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・赤本陣跡の説明板が、ひつまぶしで有名な蓬莱軒の駐車場にあった。お店は30分待ちという混み具合。
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・宮宿側の七里の渡し船着き場跡(宮の渡し公園)に到着。 芭蕉がしばしばここを訪れたことやシーボルトもここに寄ったということが説明板に書いてあった。
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                     熱田常夜灯
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時の鐘の櫓 昭和58年建築。江戸時代は熱田神宮前の蔵福寺にあって時を知らせていたが戦災で焼けてしまった。
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・公園の前の熱田荘。明治時代の建物で料亭だった。今はデイケアとして利用されている。
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・熱田神宮へ。三種の神器の一つである草薙剣を御神体としており、伊勢神宮に次ぐ社格を誇る。敷地19万㎡。本宮、別宮の他、摂社、末社など45社にのぼる。
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               愛知県の日本酒が奉納されている
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          御神木の大楠 弘法大師お手植えで千年以上という
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本宮拝殿 祭神は熱田大神(天照大神)他、相殿神四神。相殿神は同じ社殿に二柱以上の神を合祀すること。広重の絵ではここの熱田神事が描かれる。
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鶏がいた。奈良の山の辺の道の石上神宮には神様としての使いの鶏がいる。40年前に奉納された東天紅や烏骨鶏だ。さて、熱田神宮のこの名古屋コーチンは奉納されたのか、勝手に棲みついたのかわからない。
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信長塀 信長が桶狭間の戦いの前、熱田神宮に戦勝祈願をした。戦勝した信長はお礼に築地塀を寄進した。
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           きよめ茶屋で、抹茶ときよめ餅のセットで一休み。
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ここで愛知県が終わりました。静岡県に比べてあっという間。往時の本陣や旅籠見学、美しい松並木、かきつばた園、東海道三社のうちの二社にお参りした。芭蕉の句碑が多く、しかも生前の直筆まで見られるとは。実にいろいろなお地蔵さまに会えたし、三面馬頭観音様もたくさん見ることが出来た愛知県でした。

◆名古屋駅から近鉄で30分、桑名駅で降りて歩きはじめるが、桑名宿七曲りを歩く前に海臧寺と六華苑を見学する。

・桑名のマンホール 七里の渡しと蛤
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桑名の千羽鶴 1枚の紙から最大切込みを入れながら97羽も鶴を折るそうだ
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・海臧寺 三大河川の治水工事に外様大名の薩摩藩が工事を命じられた。その間、悪疫、紛争、工事費の超過などの責任を負って殉難した24名の墓があり中央が平田靭負のお墓である。
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「通り井」・・桑名は水質が悪く、住民たちは飲み水の確保に苦労したので、桑名藩の4代目藩主が水路を造り、各所に井戸を設けて用水にしたという。・・説明板や三崎見附跡や蔵前祭車庫を通って、六華苑へ

・六華苑 山林王、桑名の実業家二代目諸戸清六の邸宅で洋館部分はジョサイア・コンドルの設計(鹿鳴館を設計した人)。「黒井戸殺し」のロケ地として使われたそうだ。敷地は18000㎡と広い。
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         洋室、庭(国の名勝)、和室、離れ屋とどこも実に素晴らしい。
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                        続く

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2018年7月 5日 (木)

東海道五十三次歩き26 鳴海宿・宮宿・桑名宿(1)

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6/22(金)晴れで暑くなりました。この日から名古屋まで「のぞみ」。東京駅6:43発~名古屋8:23着。名鉄に乗り換えて鳴海駅に戻り、9時頃より歩き始めました。鳴海宿の続きから宮宿へ。現在、七里の渡しがないので熱田神宮駅から名古屋駅。名古屋駅から近鉄で桑名駅へ。桑名宿を歩き、隣の駅益生駅より名古屋に出て、東京へ。47278歩でした。

●鳴海宿(40番目の宿) 知立宿から11.1㎞ 日本橋から約363.7㎞ 宿の長さ1.8㎞ 本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒。
殆ど遺構が残っていない。広重の絵は「名物有松絞」。

鳴海駅から旧東海道へ出てスタート。

・復元された鳴海宿高札場。宿場間の駄賃や人足賃を示しているそうだが読めない。
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・その奥の天神社は鳴海城跡だ。今川方の猛将・岡部元信は今川義元が討たれても籠城して戦ったという。
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・斜め向かいにあるお寺の圓道寺には三猿が山門の上の扁額に、本堂の上の屋根に、絵馬にも描かれる。
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どうして三猿?ここの御本尊が青面金剛明王だから。この明王はインド由来の仏教尊像ではなく、中国の道教思想に由来し日本仏教における庚申講の本尊で、三尸(さんし)を押さえる神とされる。
「不見・不聞・不言」の教えが8世紀ごろ、天台宗系の留学僧を経由して日本に伝わり、猿を神使とする山王信仰が、庚申信仰と習合した結果ともいう。その教えが、三猿のモチーフになった。それで青面金剛や庚申塔の多くに三猿が彫り込まれていて、この東海道の旅でたくさん見てきて、初めて知ったというわけです。

                  青面金剛不動明王
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・お隣の誓願寺には芭蕉最古の供養塔があった。緑色の石である。このお寺は芭蕉の弟子・下里知足の菩提寺で、芭蕉没後の翌月に如意寺に建てられた供養塔が、すぐ近くのこの寺に移された。亡くなって翌月なので一番古いということになる。
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・少し先のところを右の道に入った所に東福院がある。廃城になった鳴海城の廃材で寛永年間(1624~1644)に再建されたもので山門が当時のもの。古く感じなかった。
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             門の脇の観音堂の中央は子宝観音である
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・丹下町常夜灯 ここが鳴海宿の西端。鳴海宿の東端と西端には常夜灯があって、今までなかったことで貴重とのことだ。
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◆鳴海宿と宮宿の間

・千句塚公園内の千鳥塚 芭蕉存命中に立てられた唯一の翁塚で、俳文学史上稀有の遺跡。この文字は芭蕉筆。1687年。
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・公園の奥に緒畑稲荷神社があるが、白狐が棲みつき神社を守っていたという。
建物内の狐と外の笑っているような白狐
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                  可愛い不動明王と弘法様
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・天白川を渡ると名古屋市南区に入る。またまた珍しい地蔵・いぼ地蔵があった。地蔵の左手のいぼ状の隆起に触れていぼが取れるのを祈願するという。
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・笠寺一里塚(88里目) 片側しか残っていないが、名古屋市に現存している唯一の一里塚。
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・玉照姫が祀られる泉増院 
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この後に行った笠寺観音(笠覆寺)には、呼続(よびつぎ)の浜の流木に刻まれた十一面観音があったが、堂が荒れ、観音像が雨ざらしになっていたのを見かねた玉照姫が自分の笠をかぶせた。後日娘が仕えていた長者の家に泊まった藤原兼平は娘を見初め、妻とし、その時から玉照姫とよばれるようになった。

・笠寺観音の山門は立派だ
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                        本堂
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              玉照堂 縁結びとして信仰されている
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               芭蕉の千鳥塚と宮本武蔵之碑もある
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・塩付街道(星崎塩田の塩を信州に運んだ道)の標柱を左に曲がると富部神社がある。隣の長楽寺に家康四男松平忠吉が病気の平癒祈願をし、無事回復したので、そのお礼に建てた神社。桃山時代の特徴を備えた国の重要文化財。
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・その長楽寺は動物寺で盲導犬サーブのお墓がある。御主人を交通事故から守って、そのため片足をなくした盲導犬だ。そもそもこの寺は弘法大師の創建で今川氏が再建したもの。
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                     目守弘法大師
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・鎌倉街道と交差したところの地蔵院の中に、又初めて聞く大きな(2.3mの坐像)湯浴地蔵がある。人々が湯を浴びせて祈願したことから名付けられたそうだ。
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・一方左折すると百毫寺があり、 年魚市潟(あゆちがた)勝景碑が建てられている。年魚市潟は鳴海から熱田にかけての海辺の湾入した遠浅の地形をさし、これがあいちに転じで愛知の語源になったそうだ。今は潟の面影がなかった。
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2018年7月 2日 (月)

リニア&猿橋見学

●リニア見学
6/9(土)、丁度リニア見学センターでリニアの走行試験が見られる日でした。

大月駅で下車すると岩殿山(昔登った)の岩が向き出しているのが見えた
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                            バスからリニア走行試験線が見えてきた
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見学センターに到着 超伝導リニアが出迎えてくれる。車両に備えた超電導磁気と地上に設置したコイルの間に生じる力で、車体を浮かせて走る、磁気浮上式の鉄道。摩擦力に頼らないためより速く安全に走ることができるとのこと。
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見学センターでは早速1時間に何回も繰り返される走行試験を見ることが出来た。時速500㎞以上とはあっという間に走り去る。カメラは走り去る方向に構えよと教えてもらったのでかろうじて撮れた。
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研究が始まったのが1962年で新幹線が走る2年前。1972年浮上走行成功。1979年無人走行時速517㎞。1995年有人走行411㎞、2003年有人走行581㎞、2015年有人走行608㎞。2005年の段階で皇太子さまはじめ試乗者が10万人突破。東京・名古屋開業予定2027年。東京・大阪2045年。

色々な型の模型
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磁気浮上走行の模擬体験をする。説明者の言葉に山梨県は新幹線が走らない県で京阪に出るのも時間がかかり、これは私たち県民の夢でもあるという言葉が印象的でした。
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                                    全長17mのジオラマの一部
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●猿橋見学
大月駅から猿橋駅まで一駅戻って、桂川を左に見ながら、あじさい遊歩道に沿って歩き、最後に上ると猿橋に到着。

あじさい遊歩道 例年より10日以上も早く満開に近い状態で今年のあじさい鑑賞となりました。
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桂川 このあたりの崖は猿橋溶岩流といって、富士山から30Kmも桂川に沿って流下してきた溶岩流の末端部だそうだ。
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猿橋は日本三奇橋の一つ(岩国の錦帯橋、もう一つは黒部の愛本橋あるいは徳島のかずら橋、日光神橋、長野桟)で、長さ30.9メートル、幅3.3メートル、水面からの高さ31メートル。
1984年(昭和59年)に架け替えられたこの橋は1851年(嘉永4年)の橋を復元したもの。説明板によると総工費3億8千3百万円だったそうだ。
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橋脚の構造(Wikipediaより引用)
深い谷間のために橋脚はなく、鋭くそびえたつ両岸から四層に重ねられた「刎木(はねぎ)」とよばれる支え木をせり出し、橋を支えている。
刎橋では、岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させる。その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる。支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出す。これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていく。これを足場に上部構造を組み上げ、板を敷いて橋にする。猿橋では、斜めに出た刎ね木や横の柱の上に屋根を付けて雨による腐食から保護した。
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             歌川広重や葛飾北斎が猿橋を描いている
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          重要文化財の第1号水路橋は八ッ沢発電所の施設
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江戸時代に川から30mの高さに吊り橋でなく、刎木と呼ばれるこんな構造の橋をよくぞ造ったものと感心したが、思えば2000年の昔にローマの水道橋などは橋を支えるアーチを考え出したのも凄いことと土木、建築の世界には驚かされます。

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