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2018年9月26日 (水)

東海道五十三次歩き28 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川駅(前編)

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9/7(金)今までで一番早い4時半起き、6時17分ののぞみに乗り、名古屋に7時51分到着。名鉄で四日市へ、あすなろう鉄道で南日永に着いたのは9時6分。
天気予報には雨が入っていたので、もしかして広重の絵の「庄野 白雨」かと思いきや晴れてしまって、日焼け止めなしで真っ黒になってしまった。歩いた歩数は38831歩。

◆南日永~石薬師宿

まずはここ出身の実業家・稲垣末吉翁頌徳碑(製錨製鋼工場で巨万の富を築き、社会福祉、学校建設など様々な寄付をした偉人)を見て、東海道を進む。

      この辺りにも飛び出し坊やや嬢やをあちこち見かける
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・実蓮寺には滝川一益の母の墓がある  
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・西唱寺の境内に水道記念碑が立つ。1859年、有志で登城山から竹管で水道を施設した。住むには水の確保からで、昔から苦労した人々の姿が見えてくる。
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・日永一里塚跡(100里目)
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・左手に名残の一本松。松並木が続いていたという四日市では前回と今回の2本のみだ。戦時中油を取ったためになくなったという。枯れないといいけれど。
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・日永追分へ来た。伊勢へお参りする旅人は左へ、東海道を進む者は右へとここが分岐点であった。鳥居が目に入るが、これは安永3年、江戸に店を持つ、今の津市出身の一個人が伊勢出身の同志を募り建設し、更に維持費も寄付をし、現在日永自治会が管理しているという。大きな鳥居一つとっても、高価で維持管理が大変ということです。
ここには道標、常夜灯、湧水(井戸)もある
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・歩を進め小古曽駅近くの観音寺へ。黄檗宗の末寺。黄檗宗特有のものであるが、山門の屋根の両端に「魔伽羅」(サンスクリット語で鰐)が飾られている。黄檗宗のお寺に行ったら是非忘れないで見たいものだ。
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あすなろう鉄道の終点駅・内部駅を左に見て、内部川を渡り、菊屋さんで「采女の杖衝」という最中を買う。
                          ヤナギバルイラソウがきれいに咲いていた
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・いよいよ有名な杖衝坂に。日本武尊が東征の帰途、大変疲れられ、腰に差していた剣を杖の代わりにして登ったのでこの名がある。
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また芭蕉が馬に乗ってこの坂を越えようとして、あまりの急坂に落馬して詠んだ句「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」、その句碑もある。
坂の途中には句碑の他に、杖衝坂の史跡柱、大日の井戸(坂の途中にあった大日堂に供える閼伽水をくみ上げた)、常夜灯などがあった。しかし坂はどうやら昭和初期になだらかな坂に造り替えたようで、落馬するほどの坂とは思えなかった。
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・坂を登りきった所に弘法の井戸(弘法大師が指し示したところから清水が湧き出たとい)と血塚社(日本武尊の脚の出血を封じたと言われる祠)がある。
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采女の一里塚(101番目)の説明板のあるところは小公園で、ここで「采女の杖衝」最中を食べる。ブランコに子供の時以来だが乗ったら気持ちが良いのなんのって、いつまでも乗っていたかった。前方にはズームして見たら四日市のコンビナートが見えた。
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・采女の一里塚跡が道路の向こう側にあった
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鈴鹿市に入る

・地蔵堂と単直庵がある
地蔵堂には弘法大師、地蔵菩薩、役行者が、単直庵には阿弥陀仏が祀られている。お花もたくさん飾られ、地域の人が大切に守っている様子が伝わってくる。
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ここで「とんてき」の店・来来憲にて昼食。とんてき定食は量が多いので、少な目のこま焼き定食のご飯をさらに少なめにしてもらう。それでも量が多くて残してしまった。
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●石薬師宿(44番目の宿)四日市宿から10.8㎞ 日本橋から約397.3km 宿の長さ約1.8㎞ 本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠15軒。東海道で最も小さな宿場という。

・石薬師宿標柱 これが石薬師宿の東入口で北町の地蔵堂があり、旅の安全のために建てられた。標柱は西の入り口にもあった。
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       石薬師宿の道は人もほとんど見かけず静かな雰囲気である
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・信綱かるた道 石薬師宿は歌人・佐佐木信綱が生まれた所で生家も現存している。1.8㎞の石薬師宿の道を1番から50番まで信綱の歌かるたと共に進む。
どの歌もわかりやすく、故郷やその自然、家族(特に父親)など心を打つ。5歳や8歳の時の歌もあり3作ばかり見逃した他全部写真に収めて、家でも楽しんだ。
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・大木神社 石薬師の鎮守社で式内社 式内社とは延喜年間(901~922)にすでに存在していた神社だとのこと。1つ勉強になった。
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コメント

こんばんは happy01
東海道歩きの旅、四日市を歩かれたのですね。
写真を拝見して、私自身も訪れたことがあるところが3ヵ所も coldsweats01 sign02
まずは日永の追分。ここは学生時代に交通量調査のアルバイトをしたところです。お昼休みに鳥居があるところで支給されたお弁当を食べました。
そして采女の杖衝坂と血塚社。どちらもヤマトタケルノミコトの伝説の地ですね。若い頃、ヤマトタケルノミコトとお妃の弟橘姫命に関心があり、機会あるときに訪ね歩きました。血塚社は当時「御血塚」と残っていました。

投稿: 慕辺未行 | 2018年9月26日 (水) 23:52

こんにちは。早朝からのお出掛けはお疲れ様でした。私は四日市や伊勢方面には行ったことがないので、このあたりの情報はとても新鮮です。興味深いものがいろいろありますね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年9月27日 (木) 07:48

こんにちは、ご無沙汰しました。
 
ドナウのクルーズ旅の最終回と前回の記事、そしてこちらの
東海道五十三次歩き28の記事と拝見、楽しませていただきました。
こうしてまとめて拝見すると、tonaさんのご活動の多彩ぶりが
改めて感じられます。
東海道をたどる旅は、ついに4時半に起きなくてはいけなくなりましたか。
鈴鹿山脈越えがいちばんアクセスが大変かもしれませんね。
私にとっては未知の地、色々と古いものから比較的新しいものまで、
歴史が刻まれているものですね。
 
そうそう、禅宗の内、臨済宗と曹洞宗はよく目にしますが、
黄檗宗 というのは初めて知りました。
山門の屋根の摩伽羅はワニなのですね。黄檗宗の某お寺のHPを
見てましたら、雌雄があるようで、tonaさんのお写真のものは
雌のようでした。(雄には大きな尾びれがついていました)

投稿: ポージィ | 2018年9月27日 (木) 16:10

★慕辺未行さま

こんばんは。
今、次を歩いて帰ってきたところです。東京は雨、亀山は曇り時々晴れでした。
日永の追分、遠くから見て一目瞭然、わかりやすいですね。そこで大変なアルバイトをされたとか。姿を想像してしまいました。

こんなところにヤマトタケルノミコトの伝説があったのですね。
この坂の名前は知っていたのにこんな伝説があるとは。日本の神様の時代の名前がなかなかに読めなくて、わかったら面白いと思いますが、私はまだそこまで至りません。興味があちこち行ってしまって困っています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月27日 (木) 22:35

★多摩NTの住人さま

いやはやだんだん遠くて日帰りが大変になってきました。でも翌日また歩くわけでないので楽です。
私もこの年になるまで名古屋から鈴鹿方面を全く知らなかったので、楽しく歩いております。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月27日 (木) 22:39

★ポージィさま

こんばんは。
さっき亀山の方からから帰ってきました。
あちらは雨が全然降りませんでしたどころか時々晴れて暑かったです。
お疲れの中、ドナウクルーズも読んでいただきありがとうございました。
今日は今度は関西本線に間に合わなければならず、早くて遅い割には距離が縮まりました。鈴鹿を越えるとまた電車が近くに本数があって楽でしょうか。
黄檗宗は福岡県に住んでいる時と長崎で見ました。その時はこのことを知りませんでした。
そうなのですか。これは向かって右、左も撮っています。追加しておきますので見てくだい。
同じように見えてしまうのですが、こちらも雌でしょうかね。
教えていただきありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月27日 (木) 22:51

 とうとう4時半起きになりましたか。
それでもスタート地点に9時6分に到着とは!!
やればできるものですね。
tonaさんの完歩への強い意志を感じます。

 今回出てきた地名や由緒など、殆ど知りませんでした。遠い場所なんですね~。
それでもさすがに東海道、伊勢と京都への追分があったり、ヤマトタケルや芭蕉のエピソードのある杖衝坂があったり、
歩いていて興味が尽きないですね。
ほぅ~という気分で拝見しました。

最中の形、ユニークですね。

投稿: ☆銀河☆ | 2018年9月28日 (金) 12:14

また東海道歩きが始まりましたね。
春と違って暗くなるのが早いので夕方は早く切り上げないとですね。
私が全く知らない海外旅行記と違って日本ですので、行って無くても地名などは知ってるので
少しは頭に残りそうです。

ヤマトタケルノミコトは刀を杖の代わりに芭蕉は落馬する程、この坂で苦労したのですね。
坂は昭和初期になだらかな坂に造り替えたようですが、普通写真からでは勾配は分かり難いのですが
この写真でも勾配がかなりきついのが分かります。

信綱かるた道などと言うのがあるのですね、歌人・佐佐木信綱の名前も初めて聴きました。
以前、新潟に行った時もその地化の出身者の歌人の歌が街中に沢山ありました。

投稿: ラッシーママ | 2018年9月28日 (金) 13:54

こんにちは
 
お写真の追加をありがとうございます。
あれれ どちらも同じように見えますね。
永明寺というお寺のHP中の
http://www.biwa.ne.jp/~m-sumita/oubakujisyoma.html
こちらを見て、ひれの有無が雌雄なのか~と思ってしまったのですが、
あらためて、摩伽羅ばかり集めた写真のページを見てみると、
ヒレはあったりなかったりするものの雌雄については???でした。
紛らわしいこと書いてしまってすみませんでした。

投稿: ポージィ | 2018年9月28日 (金) 18:03

ごく近くまで来られましたのに、おつきあい
できずすみません。すぐへろへろになる私は
あなたのペースについてゆけないです。

石薬師だけ行きました。佐佐木信綱の記念館が
あるからです。
関宿も母を連れて行きました。
本居宣長の記念館も思い出します。

3人で、夫が運転してあちこち出かけました。
もう車を廃車にしましたので、昨日はJRと
私鉄で多賀大社に行きました。

続きの記録を楽しみにしています。

投稿: matsubara | 2018年9月28日 (金) 18:57

★銀河さま

この回を含めて3~4回、鈴鹿を越えるまでは日帰りは大変です。でも翌日歩かなくてよいのでその点はいいです。それに歩く時間が短くなるので、歩数が少ないのもいいですね。
東京からは名古屋方面、新幹線が走っていて早く行かれるのに、そのあと関西本線が単線で結構不便なのです。亀山からJRが東海から関西に変わり乗り換えがあったりスイカが使えなくなったりですよ。
街道にいろいろな歴史ありで結構知ることも出てきて面白いです。
この最中、笠と荷物でしょうか。わからない形ですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月28日 (金) 19:17

★ラッシーママさま

どうやら秋めいてちょっと気温が下がったので続きを歩き始めました。
そう、これから釣瓶落しの秋の太陽、真っ暗になるのがどんどん早くなりますね。
歩く時間が遠いしますます少なくなります。
歩数が少なくて楽です。

勾配は写真に苦労しますね。これは緩やかですが、急登のときの道の撮り方は対象をよく見てとらないと坂に見えませんものね。
ここは我が家の国分寺崖線の坂道と同じようなものでした。毎日上っているので簡単でした。

東海道歩きでは随分知らない人が多かったです。ただ佐々木信綱だけは12番の「ゆく秋の・・・」の歌が教科書に載っていて覚えていました。お孫さんの幸綱が早稲田の名誉教授でお弟子さんが『サラダ記念日』の俵万智です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月28日 (金) 19:30

★ポージィさま

またもやコメントいただきすみませんでした。
調べていただいたサイト、とても参考になりました。
取り入れた日本の黄檗宗のお寺はあまり多く知りませんが、元のインドに忠実に造ったわけではないのですね。でも雌雄が違うことが良くわかりました。
この項じっくり読んでみたくお気に入りに追加で後ほど見させていただきます。
九州で黄檗料理をいただきましたがとても美味しかったことをも思い出しました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月28日 (金) 19:41

★matsubaraさま

私も時々娘の後を少し駆け足で追いかけることがあるのです。随分足が遅くなったものです。
それは駅への時間が1.5倍もかかるようになりました。

石薬師は信綱一色ですね。
記念館にも入りました。
関宿は昨日行ってきました。重伝建ですね。
とても良かったです。
車がないのに慣れましたか。
我が家はもう約15年前からやめてしまいました。都内へは電車がいいですが、遠い所の観光は出来ないので最初は不便でしたが、今はもうすっかり慣れて、ツアーに頼っています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月28日 (金) 19:50

tonaさん、こんばんは~♪
4時半起きとは頑張られましたね。
前日は何時ごろ眠られたのですか?
私はこういう時には必ず興奮して眠れないのですよ。

滝川一益といえば、戦国時代の武将でドラマにもよく出てきますね。
「真田丸」を思い出しました。
母上のお墓もこんな風に残っているのですね。
黄檗宗という宗派があること、初めて知りました。
「魔伽羅」とはワニのことなのですね。
お魚の尾のようには言えましたが、不思議な形ですね。
石薬師宿は歌人・佐佐木信綱が生まれた所なのですね。
ゆく秋の~の歌は好きです。

投稿: hiro | 2018年9月28日 (金) 23:11

★hiroさま

おはようございます♪

4時半起き、私もなかなか寝られず2,3時間睡眠で、この日行きの電車でも寝られず、帰りに爆睡でした。
このお寺は増川家の菩提寺だそうです。母の墓はありましたが一益のお墓はどこにあるのか調べていませんでした。
ここまで来る途中でもこの人に関係する所が出てきたのにもう忘れている始末です。
黄檗宗は九州転勤の時に知りました。京都の万福寺は本山で中国人の隠元和尚開山で中国風です。以前お寺でいただいた黄檗宗の精進料理が美味しかったです。
魔加羅については初めて知り、しばらくは覚えておこうと。
私も「ゆく秋の・・・」一首だけで覚えている歌人です。俵万智さんまで繋がりがあり、そのわかりやすい歌の流れを感じました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月29日 (土) 08:37

五十三次もこのあたりまで来ると知らない地名ばかりです(-_-;)
朝4時半起き、4万歩近い歩数などお元気な証拠ですね
黄檗宗はあまりない宗派ですが京都の万福寺は知っています
大きな中国風のお寺に布袋様が鎮座していたのが印象的でした
山門の鰐はしゃちほこにも似ていますが今度また機会があったら
しっかり見たいと思います
杖衝坂は日本武尊も芭蕉も苦労した坂なのですねぇ。
馬から落ちるほどの坂とはどれほどだったのか想像してしまいました~

投稿: ビオラ | 2018年9月29日 (土) 17:04

★ビオラさま

静岡も地名の順番がわからないところが多かったですが、四日市から先は鈴鹿峠しか頭にありません。
地図で確認して、何故鈴鹿山系の中でここ通ったのか、昨日行きましたが来週峠を通るのでわかるはずです。箱根よりずっと低いのですね。

京都万福寺は黄檗宗の本山ですね。中国人の隠元和尚により開山されたわけですから、中国風なのですね。私もまた万福寺に行くことが出来たら、魔加羅をよく見てこようと思います。
そうそう、布袋様でしたね。
箱根にはかなり急坂がありましたが、きっと馬で駆け上がれない山の急登くらいあったのでしょうね。今の坂は写真のとおり普通の坂でした。ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年9月29日 (土) 19:09

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