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2018年9月26日 (水)

東海道五十三次歩き28 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川駅(前編)

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9/7(金)今までで一番早い4時半起き、6時17分ののぞみに乗り、名古屋に7時51分到着。名鉄で四日市へ、あすなろう鉄道で南日永に着いたのは9時6分。
天気予報には雨が入っていたので、もしかして広重の絵の「庄野 白雨」かと思いきや晴れてしまって、日焼け止めなしで真っ黒になってしまった。歩いた歩数は38831歩。

◆南日永~石薬師宿

まずはここ出身の実業家・稲垣末吉翁頌徳碑(製錨製鋼工場で巨万の富を築き、社会福祉、学校建設など様々な寄付をした偉人)を見て、東海道を進む。

      この辺りにも飛び出し坊やや嬢やをあちこち見かける
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・実蓮寺には滝川一益の母の墓がある  
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・西唱寺の境内に水道記念碑が立つ。1859年、有志で登城山から竹管で水道を施設した。住むには水の確保からで、昔から苦労した人々の姿が見えてくる。
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・日永一里塚跡(100里目)
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・左手に名残の一本松。松並木が続いていたという四日市では前回と今回の2本のみだ。戦時中油を取ったためになくなったという。枯れないといいけれど。
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・日永追分へ来た。伊勢へお参りする旅人は左へ、東海道を進む者は右へとここが分岐点であった。鳥居が目に入るが、これは安永3年、江戸に店を持つ、今の津市出身の一個人が伊勢出身の同志を募り建設し、更に維持費も寄付をし、現在日永自治会が管理しているという。大きな鳥居一つとっても、高価で維持管理が大変ということです。
ここには道標、常夜灯、湧水(井戸)もある
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・歩を進め小古曽駅近くの観音寺へ。黄檗宗の末寺。黄檗宗特有のものであるが、山門の屋根の両端に「魔伽羅」(サンスクリット語で鰐)が飾られている。黄檗宗のお寺に行ったら是非忘れないで見たいものだ。
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あすなろう鉄道の終点駅・内部駅を左に見て、内部川を渡り、菊屋さんで「采女の杖衝」という最中を買う。
                          ヤナギバルイラソウがきれいに咲いていた
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・いよいよ有名な杖衝坂に。日本武尊が東征の帰途、大変疲れられ、腰に差していた剣を杖の代わりにして登ったのでこの名がある。
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また芭蕉が馬に乗ってこの坂を越えようとして、あまりの急坂に落馬して詠んだ句「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」、その句碑もある。
坂の途中には句碑の他に、杖衝坂の史跡柱、大日の井戸(坂の途中にあった大日堂に供える閼伽水をくみ上げた)、常夜灯などがあった。しかし坂はどうやら昭和初期になだらかな坂に造り替えたようで、落馬するほどの坂とは思えなかった。
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・坂を登りきった所に弘法の井戸(弘法大師が指し示したところから清水が湧き出たとい)と血塚社(日本武尊の脚の出血を封じたと言われる祠)がある。
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采女の一里塚(101番目)の説明板のあるところは小公園で、ここで「采女の杖衝」最中を食べる。ブランコに子供の時以来だが乗ったら気持ちが良いのなんのって、いつまでも乗っていたかった。前方にはズームして見たら四日市のコンビナートが見えた。
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・采女の一里塚跡が道路の向こう側にあった
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鈴鹿市に入る

・地蔵堂と単直庵がある
地蔵堂には弘法大師、地蔵菩薩、役行者が、単直庵には阿弥陀仏が祀られている。お花もたくさん飾られ、地域の人が大切に守っている様子が伝わってくる。
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ここで「とんてき」の店・来来憲にて昼食。とんてき定食は量が多いので、少な目のこま焼き定食のご飯をさらに少なめにしてもらう。それでも量が多くて残してしまった。
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●石薬師宿(44番目の宿)四日市宿から10.8㎞ 日本橋から約397.3km 宿の長さ約1.8㎞ 本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠15軒。東海道で最も小さな宿場という。

・石薬師宿標柱 これが石薬師宿の東入口で北町の地蔵堂があり、旅の安全のために建てられた。標柱は西の入り口にもあった。
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       石薬師宿の道は人もほとんど見かけず静かな雰囲気である
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・信綱かるた道 石薬師宿は歌人・佐佐木信綱が生まれた所で生家も現存している。1.8㎞の石薬師宿の道を1番から50番まで信綱の歌かるたと共に進む。
どの歌もわかりやすく、故郷やその自然、家族(特に父親)など心を打つ。5歳や8歳の時の歌もあり3作ばかり見逃した他全部写真に収めて、家でも楽しんだ。
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・大木神社 石薬師の鎮守社で式内社 式内社とは延喜年間(901~922)にすでに存在していた神社だとのこと。1つ勉強になった。
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2018年9月24日 (月)

『ザックを担いで イザベラ・バードを辿る』「日本奥地紀行」の旅・研究会編

●海に面していない国家を内陸国、国境を接する全ての国が内陸国である内陸国のことを二重内陸国という。二重内陸国では、海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない。 世界に2ヶ国、ウズベキスタンとリヒテンシュタインだそうです。なるほど世界地図を眺めると、そうですね。190数ヶ国あってたった2ヶ国とは驚きました。内陸国は世界には48ヶ国ある。一生海を見ないで過ごす人も多いのでしょう。今まで随分海を見てきたので、その気持ちを推し量ることが出来ません。

●最近の川柳に旨いと拍手です。

・「体中ほとんどどこも泣き所」
 皺に驚いたのは既に昔、喜寿を越してからは全然「喜」でなく、体のあらゆるところが、医者に言われる加齢で傷んでいます。1週間に1つは増えていく時期もありで、泣けちゃったんですが、まあ、こんなに長期間使えばいた仕方ない、よくここまで交通事故にも他の事故にも遭わずに生きてきた。もう戻らないことに気づき、何時心臓が止まってもおかしくないのだと気づいたのもここ1年。気を取り直して雑学にでも励むことにしました。昔から三日坊主が欠点なのですが。

・「借りたけど返さなくてもいいトイレ」 うーん、そういえば公衆トイレ以外はいつも「トイレをお借りします」と言っておりますね。

・「視力表ムリヤリ読んで度が合わず」そうだ、そんなことするとかえって損なわけです。でも度々メガネを買う羽目にもなるので買い換えた数年はムリをしよう。

●『ザックを担いで イザベラ・バードを辿る』「日本奥地紀行」の旅・研究会編

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雑大で、講師が大学のワンゲルの友人たちとイザベラ・バードの歩いた道を辿った記録の本を購入。
以前『日本の奥地紀行』を読んだとき、イメージがつかめないでいたが、作者たちは国道になってしまっている部分も多く、同じ道を全踏破したわけはないけれども、バードが褒めていた日本の美しい景色がきれいな写真となって収められています。

雨の中の道の悪さ、宿の蚤、虱、食事の悪さ、敗れ障子からの覗き。危うく命を落としかけたこともある川下り。目的は北海道アイヌの地だったのになぜ船で行かなかったのか?

幼少のころから虚弱体質で、脊椎の病、神経痛に悩まされたそうで、医師から航海による養生を勧められ、40代初めに、イギリスからオーストラリア、ハワイ島を経由してアメリカへ向かい、ロッキー山脈を馬で越える冒険旅行をしたのがきっかけで、その後、日本を始め中国、韓国、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インド、ラダック、ペルシャ、クルディスタン(クルド人が居住する領域)、トルコなどを訪れている。初来日は明治11年。

虚弱体質でこんな病を抱えていたら、国内でさえ大変と思われるのに、揺れる船で大航海が出来たのか。そして日本の中でも今の我々が辿ってもそんな道、そんな宿はないから同じ追体験はできない過酷な旅をどうして出来たのか。日本だけではなく、ここに書かれている国々の中には今行ってもかなり大変なところもあるのに。やはり航海で心身ともに強靭になって、医師の言うことは本当だったのであろうか。
大英帝国最盛時が生んだ女偉丈夫は生命にかかわる災難に遭っても、冷静さを失わずに気力も一向に衰えない。最悪の場面に立ちあえば、自分のことだけで精いっぱいだが、同じ目に遭っている他者やその家族のことを考えるという強さ、気丈さを持ち合わせていたという。
後に結婚した夫からは「虎の食欲と駝鳥の消化力備えている。詮索好きで落ち着きのない、大胆で意志の強い性格」と評された。

この本の執筆者たちは、主として会津西街道、越後米沢、羽州街道、北海道の峠、そして日光、横浜を記録している。バードの、時には優しい日本観だが、とても厳しい日本人観を読み解きながらいろいろな角度から見ている。
参考資料を見ると10冊くらいバードの歩いた道を辿って、上梓している本があったのですね。クラブツーリズムが過去2回ツアーを組んでいたのは知らなかったし、驚きました。
写真を見たら行きたくなってしまったけれども、まだ東海道さえ踏破できないので写真で我慢しましょう。

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2018年9月20日 (木)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(最終回)

<10日目> 8/28(火)晴、13~28度 オシエク(クロアチア)

船は夜半にクロアチアに入り、早朝ヴコヴァルに到着し、ドナウ川の支流ドラヴァ川岸のオシエクにバスで向かう。
クロアチアはお臍から下の両足を模したような面白い形の国であるが、アドリア海に面したザダル、シベニク、スプリット、ドブロブニクのあるダルマティア地方と北にある首都ザグレブが有名ですが、今回は向かって右側(スラヴォニア地方)の短足の足底の中心のオシエク見学です。

歴史的には1526年にオスマン帝国軍に破壊、略奪された。1687年、今度はハプスブルク帝国領下に。バロック様式の建築物が立ち並び、ウィーンやブダペストの影響を受けて文化が花開く。1991年から1995年のクロアチア独立戦争ではここでもたくさんの命が奪われた。宗教はローマカトリックが86.3%

                                     クロアチア・ヴコヴァルで 
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オシエクは全て要塞になっていて、オスマントルコを防衛するために五稜郭のように設計された。模型。しかし破壊されてしまったので今は一部の城壁のみ残る。
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                                          内戦による壁の弾痕
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クロアチアの猫(岩合さんの世界猫歩きで隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの猫を紹介していたので見入ってしまった)
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     フランシスコ修道院(17世紀)ハンガリーから流れてきたマリア様を祀っている1871_450x300
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                  中央広場の三位一体像(1792年建造、ペスト終焉記念像)
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真ん中の町から上の町へ
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聖ペテロ・パウロ教会 1892年着工、1900年完成のレンガ造りネオゴシック様式。
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                                              街の風景
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昼食は船内で。サーモンサラダ、ポークロイン、チーズ、パイナップル
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午後はシェスタ。16:30ハンガリーのモハーチ到着。シェンゲンエリアに入る入国審査が行われた。

船内最後の夕食 ハンガリーに入ったのでハンガリーの国旗が飾られ、給仕をしてくださる方もハンガリーの民族衣装。ダイニングルームの模様替えや衣装替え、そして誕生日の祝いをされた人が今まで数回あった。ピックサラミ、ハンガリーグヤーシュ、クレープ。
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船には8日間(3日目夕方から11日目朝まで)で朝食8回昼食5回夕食8回も御馳走になり、お世話になりました。添乗員さんも船内放送を日本語に通訳して大活躍でした。

<11・12日目> 8/29・30(水・木)晴、29度 ブダペスト(ハンガリー)~日本へ

                                     5:55 月が川面に映っていた 
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川の水が少ないためにブダペストに着けず、途中のハンガリーのカロチャに早朝に到着。7:30に船とお別れ。ありがとう、ヴィヴァルディ号。
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バスで首都ブダペストに向かうが朝のラッシュで交通渋滞で大混雑。11時頃本来着くべきブダペストの船着き場に到着後、主な所のみ、バスで市内観光。この街には縁があって3回目。ずっと人が少なくて静かな街を巡っていたので何と観光客の多いことと、久しぶりに大都会に入ったという感じだった。
ハンガリーも歴史的にはいろいろあるが、1000年にハンガリーの英雄イシュトバーン1世によって建国された王国が1918年まで続いたということだ。文化、音楽、芸術などは割愛して、人口と宗教だけを。人口は約1000万人。宗教はカトリックが約68%、プロテスタント約25%。

・ブダ側
                                                  王宮
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漁夫の砦(1896年建造の白い石像のとんがり屋根を7つ持ち漁業組合が守っていた)と教会
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                                                漁夫の砦
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                                漁夫の砦よりドナウ川とペスト側
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                                   国会議事堂(夜がきれい)
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チャーマーシュ教会 1255年のゴシック様式建築で歴代王の戴冠式が行われた。屋根はジョルナイ陶器で出来ている。塔の高さは88m。黒いマリア様を見る。
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・ペスト側
聖イシュトバーン大聖堂 1851年から約50年かけて完成。ドームの高さは96m。第1代の王の名前が付いた教会。
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良く見えなかったがイシュトバーンの聖なる右手や主祭壇のイシュトバーン像などを見る。
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昼食のレストランで生演奏を聴きながら グヤーシュスープ、チキンパプリカ、クレープ
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ブダペスト空港17:30発でカタールを経て12日目の30日18:30に成田に到着した。
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船に乗ってからは一日中観光したのは2日間だけ。あとは殆ど半日観光で、残りはシェスタということでゆったりとした旅行でした。美しき青きドナウ、飛び交う鳥、緑豊かな平野、静かな古都、そこに残る弾痕。まだまだ旅行にも行けない貧しい人々がいるというが、それを感じさせないきれいな町や村の佇まい。ことに内戦などで傷ついたバルカン諸国、今回はセルビアとクロアチアの一部しか見られなかったけれど、住んでいる周りの景観を決して乱さない徹底ぶりは全ヨーロッパに共通の事といえましょう。何事もないように見える欧州も今年は暑かったとのこと、また雨が少なく川の水が少なく大きな船が就航できないということがあるとは考えもしませんでした。日本は地震と台風、ゲリラ豪雨と災害にずっと見舞われっぱなし。大変な人が多い中、こうして遊んで申し訳ないとも思ったことでした。

ぼーっと見ていただけの旅行記を、長いこと読んでいただきありがとうございました。

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2018年9月17日 (月)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(5)


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<8日目> 8/26(日)晴、16~25度 終日航海日

左舷からブルガリアからセルビアの国境が見え、ドナウ川はセルビアと右舷ルーマニアの国境を行き鉄門峡(アイアン・ゲート)を通る。アイアンゲートはドナウ川最大の景勝地で川幅が100~150mまで狭まり、水深は50mまで深まり、ドナウ一の渓谷美が約130㎞続く。そして1994~2004年にかけて熱狂的な登山家グループによって彫られたダキア王のデケパルス(在位87~106)の彫刻があるのでしたが・・・・・

                                   7:50分頃 立派な橋をくぐる。
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11:15分頃 左舷にブルガリアとセルビアの国境が見えた。国境には川が流れているとのこと。
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   昼食 パテのパイ包み、サーモンステーキとロブスターパスタ、ティラミス
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            13:30鉄門の第2閘門手前の橋が見えてきた
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         閘門の横。 船の後部から閘門が閉まるのを見忘れた。
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閘門の前側 船を固定し、閘門が開けられ水がドンドン入ってくる。水位が同じ高さになったら船を進める。
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            18:47頃、第一閘門に入る。ここは2段上がる。
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             19:00頃、振り返ると閘門入口が閉まる。
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                  19:30 第2段目が見える
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鉄門に入ったのは21:30頃になってしまっていた。第2閘門に入ってから3時間も経っていて、もう真っ暗。船からライトアップしたが鉄門峡もダキア像王も見られなかったのがとても残念なことでした。
20:30にガラ・ディナーが始まる。 フォグラ、子牛肉、チーズ、ベイクドアラスカ(デザートのみ、鉄門を見終わってからとなる)
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21:30頃、ディナーの途中から甲板に出てまずトラヤヌス記念碑(セルビア側)を見る。AD100年頃ローマ帝国の軍団道路が通った記念碑。
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五賢帝の一人トラヤヌス帝(在位98~117)は101年と106年にダキア戦争を起し勝利。それからダキアはローマの属国になり、ローマ人を植民した(ダキアに金があったから)。ローマ人の言語たるラテン語がこの地の言語になり、混血してルーマニア人の祖先になった。ルーマニアの由来はローマ。
元々トラキア人の一派ダキア人がBC1000年頃ドナウ川の北側に独立国家を建設した。南側のブルガリアに住んだのがトラキア人であった。

ダキア王・デケバルスこそダキア戦争でトラヤヌスに敗れて最後は殺されてしまった王だ。高さ40mあるそうで白昼見たら圧倒されたでしょう。絵葉書を買って見たらこんな様子です。ヨーロッパ最大の大きさ。
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          5分後マラコア教会(ルーマニア側)が浮かび上がった
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<9日目> 8/27(月)曇 15~25度 ベオグラード(首都)、ノヴィ・サド(ドナウ川沿いの第2の都市)(セルビア)

セルビアは旧ユーゴスラビア連合のチトーが亡くなって後、いろいろ紛争を経て、2006年モンテネグロ独立により、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国が誕生し、ユーゴスラビア連邦は完全に解体した。なお、アルバニアは独自の道を歩む国で同じバルカン半島にありながら別である。コソボは100ヶ国に承認されている。

           今日は珍しく曇の予想。川霧がたちこめていた。
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10時にベオグラードに到着した(丸2日間船内で過ごしたが不思議、退屈はしなかった)。11時から昼食。ガーデンサラダ、フィレミニオン(写真撮り忘れ果してどんなお料理だったか?)、メレンゲのお菓子
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●ベオグラード観光 セルビアは、今回訪れた5ヶ国では初めての国で、2つの都市を観光するだけだけど、楽しみにしていました。
・カメラグダン公園と城壁
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ベオグラードでサヴァ川がドナウ川に合流している。手前がサヴァ川、向こうがドナウ川
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                      サヴァ川
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・聖サヴァ聖堂(セルビア正教会)1935年から建設始まるが寄付で建設のため未完成。世界最大級。但し主教座聖堂でなく聖ミハエル大聖堂が主教座である。
外側はギリシャ大理石、内部はカララ大理石、地下には24金の金箔が使われている。
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・隣のチトーが建てた小さなセルビア教会の中
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・クルセドの僧院 郊外ヴォイヴォヴィナ地方・フルシュカゴラに16世紀にオスマントルコから逃げてきたコソボのキリスト教徒たちが40以上の修道院を造る。現在16のみ。
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・ドナウ沿いのホテルで発泡酒とデザートでリフレッシュメント
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●ノヴィ・サド観光 セルビア北部ヴォイブォヴィナ地方の中心地で、セルビア第2の都市。ドナウ川の寄港地。
日も暮れ、夜の街を観光。
                     カフェ通り
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                  図書館とセルビア教会
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可愛い男の子が握手して、なかなか手を離してくれなかった。嬉しいおばあさんであった。
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                     大司祭宮殿
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                    カトリック教会
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                        市庁舎
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               フランツ・ヨーゼフが宿泊したホテル
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ノヴィ・サドの船着場より帰船。夕食、キルシュ、鴨胸肉、ピーチメルバ。船の食事のデザートは日本もののようにあまり甘くなかったのがありがたい。
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2018年9月13日 (木)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(4)

<6日目> 8/24(金)晴 15~30度 ヴェリコ・タルノヴォとアルバナシ村(ブルガリア)

昨日乗船したルセのかなり手前から、ドナウ川は右手にルーマニア、左手にブルガリアの境界を流れている。昨日バスで国境を渡るときにパスポートコントロールがあってかなり時間がかかった。この後、セルビア、クロアチアはなし。ハンガリーのモハーチでは船中でパスポートコントロールを受ける。

ブルガリアは以前はバラ祭りの季節に行き、岩窟教会やカザンラクでは香水の香りを楽しみ、ヴェリコ・タルノヴォや首都ソフィア、リラの僧院を訪問した。
BC2000年にはトラキア人が住んでいたがローマ帝国に併合され、6世紀にはスラブ人が定住完了。2世紀にアジアから来た先住ブルガール人と融合してブルガリア人(80%)となり、トルコ人(9.7%)の構成になっている。
歴史的には1393年から約500年もオスマンの支配下にあったが、1879年第3次ブルガリア王国建国。1909年独立するもソ連の支配下にあり、1990年に共和国として民主化が進む。
宗教はブルガリア正教86.6%、イスラム教4.6%だ。人口約732万人.
地理的にはドナウ川からバルカン山脈までは平原地帯で農業(大麦、小麦、ひまわり、とうもろこしなど)が盛ん。中央にバルカン山脈があり、首都ソフィアは山の反対側にある。

・ヴェリコ・タルノヴォ
ヴェリコ・タルノヴォは1187年にビザンチン帝国を打ち破って建国された第2ブルガリア王国の首都であったところ。

                                              途中の景色
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夫が2012年に行ったときはこの町の近辺出身の琴欧州が活躍していた時で、ツアーで琴欧州の実家を訪ね、お父さんの大きな手と握手をしてきたと言っていた。
この旅では3回あったのですが、バスを下りたらホテルにリフレシュメントと称してお茶やワインとお菓子の出る時間がセットされていたのに驚く。

                                           旧市街に到着
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まず王宮の丘へ。王城はオスマントルコにすべて破壊され城壁だけが残っているが、教会が再建されてアート博物館となっている。
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                                          教会と教会の中
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旧市街に戻り職人街へ。この町は昔から手工芸技術が発展していて、今も受け継がれている。陶器、皮革、銀細工、木彫、イコンなどの制作工房が軒を連ねている。
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・アルバナシ村
オスマントルコ時代の迫害を逃れ、税金を納めないですんで、多くの商人が商売・貿易で儲けて豊かだった村。
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まず昼食:サラダ、チキンの煮込み、バクラバ。ここでボリャルカビール(1892年創業のブルガリアでは古いビール)を飲む。暑かったので美味しくいただく。
バクラバ(パイ生地のような中にナッツ類を挟んで焼いた中央アジアから地中海までにあるペイストリー)とビール
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[コンスタンツァリエフ] オスマン時代の商人の館 トルコ風で、トイレについてはどう使ったのか?子供がさらわれないようにということで全員一緒に寝ていたそうだ。
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                   トイレ、使い方が難しい118_450x300
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[キリスト生誕教会] 普通の家のような教会で入口以外は撮影禁止。16~17世紀のフレスコ画が壁面いっぱいに描かれる。男性と女性の礼拝部屋が別々で部屋がいくつか別れ、天井も低く今まで見たことのない教会だった。
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夕食 パルマハムのパスタ、鹿肉のステーキ、メレンゲカスタード
鹿肉は軟らかくって美味しい。その時19:46に夕日が沈みかけたのが席から見えた。
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           食後のブルガリアフォルクローレショーのダンサー
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<7日目>8/25(土)晴 17~33度 ルセとバサルヴォヴォ岩窟修道院(ブルガリア)

・まだルセに停泊しています。ルセはドナウ川大河港都市でブルガリアでは5番目に大きな町で食品加工、衣料品、化学工場が集中。ルーマニアのジョルジュとはドナウをまたぐ「友情の橋」(1954)で結ばれ鉄道と道路が通じている。

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三位一体教会(ルセの大聖堂、ブルガリア正教会)12世紀に建てられたが、1632年に立て直された。
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           ブルガリアの猫 ルーマニアの猫に劣らず可愛い
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ステイトオペラ劇場 州立なのでとても安く観劇できるとか。日本の地方歌舞伎とも違うし、日本では高価でオペラやコンサート、観劇、歌舞伎などなかなか敷居が高い。
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                     自由広場
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                      ルセ劇場
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・バサルヴォヴォ岩窟修道院 11世紀からあった聖デミトリウスに捧げられた修道院。
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再びルセへ
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            このお店でワインとパイのリフレッシュタイム
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       正午に部屋に戻る。部屋が左舷なのでルセの町が見えた。
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昼食 アルザス風シュークルート、チーズ、レモンパイ。
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                   午後はシェスタ
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夕食 トマトとモツァレラサラダ、ローストチキンとクロケッタ、スペキュラース。
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                夜はクルーによるショーを楽しむ
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2018年9月10日 (月)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(3)

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<4日目> 8/22(水) ドナウデルタクルーズ 昨日も今日も晴

ドナウ川は河口付近になると3本に分かれる。ドナウデルタは東京都の約2倍の面積があり、そのうち82%がルーマニア、あとがウクライナ。1991年にユネスコの世界遺産に登録されラムサール保護地域になっている。
トゥルチャで別の船に乗り換えて、河口の真ん中の川、スリナを下って行ったが、水位が2~2.5m下がっているということで座礁しないように進むのも大変で、黒海に出られず、途中で引き返してきた。コンスタンツァで黒海を見ておいてよかった。

         トゥルチャでヴィヴァルディ号を、乗り換えた船から見る
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ドナウデルタ 300種類以上の鳥の聖域であるこの湿地は世界最大の葦の原で、ヨーロッパに最後に遺された未開の自然の一つということだ。40%以上が鵜で、モモイロペリカン(双眼鏡で見てもよく見えず、先日サンシャインの水族館で良く見てきたのでよしとする)、シラサギ、ヘラサギ、カモメ、ホワイトイーグルなどが見られらた。53_450x300_2
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あまり見えなかったけれど、デルタには小さな村がいくつか点在しているが、18世紀に祖国ロシアの宗教迫害を逃れ、この地に隠れ住んだ人々の子孫の村だ。漁業をしている人を見かける。
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昼食(船内)黒い森ハム、タラのフライトリゾット、チーズ、シャーベット 
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午後は休息していたら19時にもう夕食 ガーデンサラダ、ダックコンフェ、アイスヌガー
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<5日目> 8/23(木)晴 17~32度 ブカレスト

朝日(日の出は6:25)6:31 6:34撮影
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チチウで下船して、バスでブカレストへ。ルーマニアの首都で「小さなパリ」と呼ばれる。ルーマニアはスラヴ系のバルカンの中で唯一ラテン系である。

・農村博物館 1936年にオープンしたヨーロッパ最古の野外博物館でルーマニアの各地から集めた18~19世紀の297棟の農家や教会、水車、風車、井戸などが展示されている。
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・共産党本部 チャウシェスクが演説し、この屋上からヘリコプターで逃げ、その後殺された。昼食はヌードルスープとチキンの煮込みとチョコレートケーキ。
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・国民の館 総大理石、地下4階、地上10階でペンタゴンに次ぐ世界第2位の大きさ。部屋は約3000。世界で一番お金がかかっている建物で電気代だけでも莫大だそうだ。
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・ルーマニア正教カテドラル(大主教座聖堂)外側のモザイクやフレスコ画もきれいなら、聖堂内のフレスコ画や金のイコノスタシスも立派で、撮影可能で、あとでじっくりこうして見ることができ息を飲むような美しさに感動する。
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      バスからヴィヴァルディ号が見え、バスがルセに着くと待っていた。
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夕食 ブルガリア風サラダ、ブルガリア風ケバブ、チョコレートケーキ
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2018年9月 5日 (水)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(2)

<3日目> 8/21(火)コンスタンツァ市内観光とワイン畑見学・ワインセラー試飲。夕方ヴィヴァルディ号に乗船。

黒海に望むルーマニアの主要港・コンスタンツァは人口約28万人、ドブロジャ地方の中心地。紀元前7世紀にギリシャ人の植民地として建設された。
街は4世紀ローマ皇帝コンスタンチヌス1世によって大幅に改造されコンスタンツァと改称されたと言われる。
バスで旧市街まで行き徒歩観光する。

                大きなバロック様式の石棺にも見える建物がカジノである
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カルロス1世モスク ルーマニア国王がトルコ人のために建てたモスク。ドブロジャ地方のイスラム教徒はトルコ人が多い。
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1909年建造で高さ40m、140段の階段の上からの景色。黒海も見え、街も建物でびっしり。
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             考古学博物館 ローマ時代の城壁やモザイク画が残っている
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                                              博物館の中
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                                             ルーマニアの猫
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                                                通りの様子
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聖ペテロパウロ教会(コンスタンツァ大聖堂)現在の教会は19世紀のもの。教会内はフレスコ画でいっぱい。
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昼食は、田舎風スープ、ルーマニア風ミートローフ、チョコレートケーキ

午後バスでムルファトラール葡萄畑に到着。200haあるそうだ。

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                  現在収穫中のシャルドネ
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                カベルネソービニヨン(10月に収穫)
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                   食べる葡萄ビクトリア
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コジャマ村のワインセラーにお邪魔し4種類のワインと大きなスチールに入ったのを試飲させていただく。村のお母さんたちが作ったチーズと長ネギのパイもいただく。
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国の三分の一ずつが平野、丘陵、山岳だそうで、ブカレストから黒海までは平野が多く、収穫が終わった麦やとうもろこし、枯れてしまったひまわり畑が続く中に、風車がずっと続いている。電力が不足してかなり風力にたよっているとのこと。
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また驚いたことに中国人がこれらの畑を買い占めているのだそうだ。日本でも北海道がそのようだと言いう話を聞いたことがあるし、対馬が韓国人にという話も聞いている。
まさか東欧にまでとは。

                      貨車が通る
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ヴィヴァルディ号に乗船 
フランス籍、長さ110m、幅11.4m、1985t、時速max25㎞、喫水1.6m。日本人19人、欧米人135人。
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                      ラウンジ
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マイルーム・キャビン(ミドルデッキ)。ローワーデッキはとても安いけど景色は水面すれすれとか。アッパーデッキは1万円高いけどとても暑く、屋上のデッキの音が響くとかで2階でよかった。ラウンジも食堂も玄関も近いし。
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                      船員紹介
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              ドナウ川 20時は日が沈んだ後
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この日からの船内食は昼がある場合も夜もフランス料理。ビンテージ以外はビール、ワインその他清涼飲料水、水は全部タダ。ワインを数本あける人もいた。部屋で飲む水や外に出るときの水は何時でもボトルごと頂ける。またラウンジでくつろぐときのお酒も何杯でも頂ける。
一人の奥さんだけ全く飲めず、次にグラスワイン1杯しか飲めない夫、その次がグラスワイン2杯までの私(以前ミュンヘンでビール500ml飲んでいい気持ちになってしまったことを思い出した)。他の方の飲みっぷりにこういう飲み物に一切お金を払わない方式の船は最高。
又毎日のようにあるアトラクションで楽しめるようになっている。本日は民族ダンスショー。殆どのアトラクションに参加せず部屋でぐだぐだしていた。

夕食:パテ、チキンとパスタ
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チェリーパイ 4枚目は醤油(日本人のテーブルに何時も置かれている)。又朝食では日本人テーブルにだけトマトやキュウリが置かれていた。おかゆもあったのである日美味しくいただいた。
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2018年9月 2日 (日)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(1)

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8月19日から30日まで黒海ドナウデルタからブタペスト付近までフランス船「MS.ブィヴァルディ号」で遡って行きました。
今年はヨーロッパの水源地なども雨が少なくて、通行のできない船も多く、デルタ地帯に行かれなかったのと最後のブタペストに辿りつけなくて手前で下船となったしまったのが残念でした。

ドイツの黒い森に端を発し、一方はライン川へ、もう一方は10か国2850㎞を通って黒海に注ぐ大河ドナウ。ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバ、ウクライナ。そのうちルーマニアからハンガリーまで旅する。
ドナウ川沿いの国々は、古代ローマ帝国、ビザンチン、オスマントルコの侵略を次々と受けた。そしてまだくすぶるコソボ紛争が影を落としている。

宗教的には1054年に西方教会(カトリック、後にプロテスタントもできる)と東方正教会に分かれた。ロシア正教会、ギリシャ正教会、ルーマニア正教会など15~18の自立教会からなっている。バルカン、中東、ロシアなどにある。というわけで今回は東方正教会の内部を多く見学できた。

<1日目> 8/19(日)18名参加(7組の夫婦と両親と娘一組、女性の一人参加一人)で、成田22:00発、6時間時差(夏時間なし)のあるカタールのドーハに2:42に到着。11時間近く乗っていた。

<2日目> 8/20(月) カタール・ドーハ~ルーマニア・コンスタンツァ
ドーハで4時間余りのトランジット
ドーハ空港のシンボル、ランプベアー。広くきれいで真夜中に店は開いているし、掃除をして働いている人の数も半端でなく、きれいで昼間のようでシンガポール空港より凄いかもしれない。

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             カタール航空のマークはオリックスだそうだ
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6:50ドーハから、同じく時差6時間(夏時間)のルーマニア・ブカレストに11:55に到着で5時間近くかかった。
                 カタールの上空から
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飛行ルート8_450x300
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アラビア海を通り、イラン、トルコ、黒海上空を飛んで行くとドナウ川の蛇行が見えた。
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                 空から黒海の沿岸が見えた
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ブカレストをバスからの観光はしたけどももう1回クルーズで来るので省略。旧市街の大変混み合っている1878年創業の老舗ビアホールにて昼食するも、フォアグラ状態でほとんど食べられず。(ルーマニア料理の野菜のペースト、ロールキャベツとポレンタ、チョコレートケーキ)
「バイオリン奏者が滝廉太郎「花」と「桜」を私たちのために奏でてくれたのが身に沁みた。
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夜は黒海のルーマニアのリゾート地「コンスタンツァ」に宿泊。野菜スープとポークステーキ・温野菜、メンバーのお誕生日ケーキ。東欧や中欧やロシア方面は美味しいスープが出るので嬉しい。

<3日目>の朝の散歩、8時半頃
黒海を見るためにホテルの近くの海に散歩に出かけた。
咲いている雑草はこの3種と、そして小さな花の4,5種類、これだけがずっとドナウを遡っていった先まであったのみで花の種類の少なさに驚いた。樹は、木槿、柳、菩提樹、トチノキ、ニセアカシアの他たくさんの種類が見られた。
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まだ8時半というのに人々が海辺で楽しんでいます。缶や瓶に入った黒どろを塗って肌をすべすべにするとか。
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とても費用の高い避暑地で地元の人は別の安い所にいくとか。
黒海は特に黒いというわけではないが、明るい青ともいえない海の色。名前の由来には諸説あるが、昔から暴風を伴う嵐が頻発し恐れられていたことから付けられた。また水の入れ替わりが少ないので、深いところでは慢性的に酸素不足になり、生物が棲めない硫化水素の層があり、そこは鉄分と反応して黒くなっている、とも言われている。
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