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2018年10月 1日 (月)

東海道五十三次歩き28 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川駅(後編)

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●石薬師宿(44番目の宿)の続き

・元旅籠だった家の壁に陶板で宿の町割りが再現されている
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・小澤本陣跡 近くに松の木があったので「松本陣」ともいわれていたという
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・佐佐木信綱記念館は、「佐佐木信綱資料館」「生家」「土蔵」「石薬師文庫」から成り立っている。

まず石薬師文庫がある。信綱が石薬師村に還暦記念に送った。伊勢国学に関する多くの書籍が裏手の「土蔵」に収められる。文庫の前には祖父と孫の歌碑が並んでいる。
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佐佐木信綱記念館 色々な資料がそろっている。家系図を見ると歌人が多い。孫の幸綱も有名で早稲田大学教授時代の弟子「サラダ記念日」でデビューした俵万智の歌を楽しんだものだ。
♪「夏は来ぬ」の卯の花が生家にあるが今咲いていないのが残念。後で知ったが、娘が卒業した中高校の校歌の歌詞の作詞者が信綱で、とてもいい歌なのだそうだ。
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生家
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                                  産湯の井戸と卯の花
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・道の向かいにある浄福寺は佐佐木家の菩提寺で、信綱の父弘綱の墓がある。山門前の築山の上に弘綱の記念碑が立つ。
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・宿の名の由来になった石薬師寺。本尊は石薬師如来で秘仏。花崗岩で像高190㎝で弘法大師作という。1629年再建で市内でも最古の寺院建築とか。
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お百度石の上のお地蔵様が可愛いし、参道も長く、境内に木々が多く、なかなか立派なお寺だ。25_300x450
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・御曹子社へ。 源頼朝の弟、蒲冠者範頼を祀った神社で、武道、学問に優れた人物だったので、それらの願望成就の神様だという。範頼も頼朝に伊豆に幽閉され謀殺されたと言われる。
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・石薬師一里塚跡(102里目)で石薬師宿が終わる
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次の庄野宿までは2.7㎞で、御油・赤坂宿間1.7㎞に次ぐ短距離区間だ。東海道の宿場間の平均距離は8㎞とのこと。

                                      関西本線が通る。
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後(次回)で知ったが、この線は亀山までがJR東海で(2両とか4両編成)、亀山から同じ関西本線なのにJR西日本らしく乗り換えなければならない。亀山から向こうは1両編成だった。すぐ庄野宿に到着。

●庄野宿(45番目の宿)石薬師宿から2.7km 日本橋から約401.3㎞ 宿の長さ約1km  本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒。ここには脇本陣があったが、石薬師宿同様小さな宿場だ。

広重の東海道の絵では最も有名な「庄野・白雨」は鈴鹿川沿いの雨中の道を行く駕籠と人が描かれている。JR加佐登駅辺りと言われるが、箱根同様、坂がデフォルメされているらしい。

・江戸側と京側に庄野宿の標柱が立っていた
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・この宿も連子格子の古民家があり、人をほとんど見かけない静かないい雰囲気だ。
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・庄野宿資料館にお邪魔する。油問屋だった旧小林家の住宅の主屋を創建当時の姿に復元している。
戦災を免れたので資料は充実していて、古文書、民具、農具などの他、当時の土産や保存食の焼米俵のサンプルも展示。特に320年前の高札は良く読めないけれども当時のままで見応えがある。
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・問屋場跡
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・本陣跡 この後も高札場跡、脇本陣跡、郷会所跡と続く。
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・川俣神社の天然記念物スダジイ。推定樹齢300年で三重県天然記念物。樹高12m。鈴鹿川沿いには川俣神社がいくつもあり、川の氾濫に悩まされた住人が治水を祈って建立したらしい。
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◆庄野宿~井田川駅

・鈴鹿市のマンホールをやっと見つけた。トンボがデザインされている。
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・いぼとり地蔵 いぼや眼病に効くそうでお参りする
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・女人堤防の碑 領民は何度となく川の改修を神戸藩に掛け合ったがとりあわないので、たまりかねた女性たちは夜陰にまぎれて堤防建設を行った。処刑場に連行されたが間一髪で赦免の早馬が到着し、救われたという。
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・103里目の中冨田一里塚跡を通り過ぎると、川俣神社。
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境内に「無上冷水井戸跡」碑が立つ。織田信長の三男で神戸城主織田信孝が愛飲したという井戸跡だ。
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・地蔵堂の中に弥勒菩薩?如意輪観音? 椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き(半跏)、右手で頬杖を付いて瞑想している(思惟)ように見えるので。如意輪観音は左足は下さないで右足を立てて座るようだが、はっきり区別もしないという説もあった。弥勒菩薩のポーズを実験してみたが、なかなかに疲れる。
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・明治天皇小休所碑
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亀山市に入るとすぐ井田川駅(無人駅)に到着。

・駅前には日本武尊の像があった。日本武尊は伊吹山で病を得、奈良へ向かう途中のノボノ(駅から北西へ2㎞の地)で亡くなり、そこの古墳が墓とされ、宮内庁が管理している。
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名古屋では新幹線まで時間があったので、エスカのきしめん屋さんで「鍋焼ききしめん」を食べる。
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         今日のお土産は「安永餅」と「ミニしるこサンド」でした
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東京駅は9時前、家には10時過ぎに到着。

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コメント

こんにちは。「夏は来ぬ」の作詞は佐々木信綱でしたね。私のブログでも歌詞を何度か紹介していました。お嬢さんの中高の校歌の歌詞が佐々木信綱とは偶然でしたね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年10月 2日 (火) 08:09

隣県ですのに、佐佐木信綱記念館以外は
殆ど知りません。
その記念館も20年くらい前に行きましたので
忘れかかっています。
写真もあまり撮っていません。
ブログに書くようになってからよく撮影します。
こちらで詳しく拝見できてよかったです。

安永餅だけは三重県の夫の友人によく頂きます。

投稿: matsubara | 2018年10月 2日 (火) 08:46

★多摩NTの住人さま

「夏は来ぬ」、今の若い世代は知らないでしょうか。と同時に信綱の名前も忘れられていくのでしょうかなどと思いました。
和歌はわかりやすく素直なと言う感じの句が気に入りました。
校歌まで作詞されていたのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月 2日 (火) 09:16

★matsubaraさま

信綱資料記念館内は撮影禁止でした。文庫の方は日曜日しか開館してないようでした。
生家は一度よそに移されたものがまたここに戻ってきたそうです。大きな立派な家ですね。
そして家系図がまた遠い祖先から書かれていて。幸綱の男子のお子さん二人も歌人だそうですね。
カルタとして50の歌が1.8kmの宿を埋め尽くしているのは隣の庄屋宿のきれいな事と合わせて亀山市の意気込みを感じました。
長餅や安永餅は餡子が美味しいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月 2日 (火) 09:24

tonaさん、おはようございます♪
「夏は来ぬ」が佐佐木信綱の作詞だったとは知りませんでした。
7~8年前、横浜の三渓園に行った時、卯の花を見た友人が、
突然「夏は来ぬ」を歌いだし、卯の花のことをおからと思っていて、
おからを煮る良い匂いが生け垣から匂ってくるものと
勘違いをしていたという話を聞いて、二人で大笑いしたことを
思い出しました。
石薬師寺の御本尊が石薬師如来ということですが、
薬師如来との違いは何なのでしょうね。
趣のある、静かな佇まいが素敵ですね。

投稿: hiro | 2018年10月 2日 (火) 10:37

こんにちは
 
佐佐木信綱という歌人、知らないなぁと思いましたら、
「夏は来ぬ」の作詞者でしたか。この歌は毎年初夏になると
つい口ずさむ歌。どなたの作詞かも知らずに歌っていたのですね。
tonaさんとは、お嬢さんの出身校の校歌作詞者というご縁も
あったのですね。
 
もう、この辺りは全く知らないと思い込んでいましたが、
「亀山」の地名だけ知っていました。東名阪自動車道上の
パーキングエリアとしてで、途中休憩したことがあります。
でもただそれだけで、日本武尊と縁のある地だったとは
まったく知りませんでした。
 
今回のお土産で買われた安永餅が、夏に姪がくれたものと同じです(^^)
しるこサンドは子供のころおやつに食べたことのあるお菓子。
味がよみがえってきました。

投稿: ポージィ | 2018年10月 2日 (火) 12:27

私も「夏は来ぬ」の作詞が佐佐木信綱とは知らずに歌ってましたが
この歌だけに限らず、作詞者を考えながら歌ってるのは無いです。
「佐佐木信綱資料館」「生家」「土蔵」「石薬師文庫」と、佐佐木信綱の一色のようで
地元では英雄なのですね。
偶然ですが娘さんの中高校の校歌の歌詞の作詞者が信綱とは、見過ごせないですね。

女人堤防の碑、皮の改修に掛け合ったがとりあわないので、たまりかねた女性たちは夜陰にまぎれて堤防建設を行った。処刑場に連行されたが間一髪で赦免の早馬が到着し、救われたという。
まるで映画にでもなるような間一髪で助かったのですね。
良かった。

投稿: ラッシーママ | 2018年10月 2日 (火) 15:38

★hiroさま こんにちは♪

>おからを煮る良い匂いが生け垣から匂ってくるものと・・・・
このような勘違い私も良くありますので楽しくなりました。面白い方ですね。

案内板に寄りますと、森の中に霊光を放つ巨石があって、後に弘法大師自ら薬師尊像を彫刻し、開眼供養されたとのこと、この石が特別だったために石薬師と名前が付いたと思われます。
このお寺は趣があってとてもよいお寺でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月 2日 (火) 16:47

★ポージィさま

こんにちは。
「夏は来ぬ」はとても懐かしくなる歌ですね。2番は田植の様子ですし、石薬師の風景がそのままっていう感じです。

歩かなかったら、娘の学校の校歌と縁があることも知らないで一生終わったことでしょう。こんな事も楽しくなる1つです。
東名阪自動車道上のパーキングエリア、たしかに地図で見ますとありますね。伊賀でしたか、行かれる時に通るのですね。

安永餅美味しいですね。
あら、しるこサンドは有名なのですね。
食べることが出来結構名古屋方面のいろいろな名物を把握できました。また忘れますが・・・と必ずこの頃こういう言い方が付いてしまうのです。とほほの心境です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月 2日 (火) 16:59

★ラッシーママさま

テレビで演歌を見たりすると作詞者作曲者を題名の後に言ったりしていますね。
童謡や唱歌は有名な作曲家の方が数人浮かんできますが、作詞者は野口雨情くらいしか浮かんでこないです。

石薬師宿は石薬師寺とあとは佐佐木信綱一色でとても印象深い宿になりました。
もう次から次へと宿の印象を忘れつつあるのにです。
昔の女性は強かったですね。自分たちが死んでも堤防をというその意気込みが泣けます。まさか造った堤防を壊すなんて言うバカなことは領主もしなかったとは思いますが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月 2日 (火) 18:32

こんばんは happy01
東海道歩き、毎々お疲れ様です。
この辺りはヤマトタケルノミコトが亡くなられた伝説の土地ですが、井田川駅のこの像は知りませんでした。というより、以前はなかったと思います。
能褒野にある御陵墓は私も訪れたことがあります。近くに「白鳥塚」もありました。

投稿: 慕辺未行 | 2018年10月 2日 (火) 23:00

★慕辺未行さま

おはようございます。
遠くなったので歩く距離が短くなりましたので楽になっています。関西本線に沿っています。峠を越すと今度は草津線だそうです。

この像は新しかったです。
能褒野王塚古墳ですね。ご覧になっていらっしゃるのですか!勉強されていらっしゃったのですからね。
今調べたら加佐登駅から近い白鳥塚は以前ヤマトタケルノミコトのお墓だったそうですね。
愛知県の方にも同じ名前の白鳥塚があるのですね。
いろいろ教えていただきありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月 3日 (水) 09:28

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