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2018年10月11日 (木)

東海道五十三次歩き29 井田川~亀山宿~関宿(2)

前回、関西本線に1970年代初めまでD51が走っていたと教えていただき、びっくりしました。そういえば大井川鉄道では新金谷駅からはまだ年間72日間もトーマス号が走っています。
亀山城跡にあった蒸気機関車は昭和19年製造で昭和45年3月廃車と書いてありました。約131万㎞走り、亀山機関区も走ったようです。今夕のテレビでやっていましたが、現在では維持費がかかって殆ど走らせているところはない。しかも撮り鉄が多く乗ってくれないとのことです。

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●亀山宿の続き
・城跡から東海道に戻り、西町問屋場跡を通り過ぎたら、弥次さん喜多さんを久しぶりに見る。

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・その先の旧舘屋住宅(枡屋)は幕末から大正にかけて呉服商を営んでいて、蔵も大きくて立派だ。主屋のこの建物は明治6年築。
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・飯沼慾斎生家跡(植物学の基礎を拓くなど、近代科学草創期の代表的な自然科学者)・・初めて知った名前です。
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・青木門跡(家康が繁茂する青木を見て感激、おお青木と言ったことに由来する地の名前と門)
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・道の反対側に入って所に加藤家屋敷跡がある。とても立派な土蔵と長屋門だ。
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・西の丸外堀跡の先が京口門跡である。京口板橋からきれいな流れの竜川を覗く。
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・今は櫓も見えず、急坂ではないが、広重の亀山宿はここからの眺めを描いている。全く面影はない。
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◆亀山宿から関宿

・黒い漆喰の森家住宅は国の有形文化財。貴重な町屋的な表構えを見せる。アンティークも扱っているカフェーを営業しているが、お休みだった。
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・慈恩寺の青面金剛と三猿が素晴らしい
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                     十一面観音
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・野村一里塚(105里目)はとても立派で樹齢400年だそうだ。残っているのは北側のみだが、珍しい椋で脇往還を含めた東海道ではここと佐屋街道の神守一里塚だけに現存する。
ちょうど彼岸花が咲いていてきれいです。
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・内田権四郎(1642~1731年)宅跡。半世紀にわたって亀山藩の大庄屋を務め、古い記録を集め『久々五集』を編纂した。どんなことが書いてあるのでしょう?
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・善性寺には何と槇の木で出来た「H」型の山門がある。
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ハイビスカス・ローゼルの花はオクラに似ていた。蕾かと思ったら萼らしい。そっくりでよくわからない。
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・数えたら56も石灯籠が並んでいる布気皇舘太神社
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・桜の並木が続く大岡寺畷
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・左手に鈴鹿川が流れる
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              野生の鹿が川を渡っているのを発見!
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                  田園風景と鈴鹿山脈
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●関宿(47番目の宿)亀山宿から5.9㎞ 日本橋から約415.1㎞ 宿の長さ約1.8㎞ 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒。
古代三関の一つ「鈴鹿関」が置かれたところ。後の2つは不破関(美濃)、愛発関(敦賀)→逢坂関(大津)。

・関宿
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・鳥居が見えてきたが、ここが関宿の東追分で入口である。鳥居をくぐって左に曲がると伊勢別街道である。
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一里塚跡(106里目)を見て宿の通りへ

・関宿の街並みは歴史的町並みが残り、昭和59年に重要伝統的建造物保存地区に選定された。電線は地中に埋め込まれ素敵な街並みだ。東西追分の間は1.8kmあり「関宿かるた」が至る所に下がっているのである。
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・山車庫 関の山の語源になった関の山車が入っている。人混みをかきわけて山車が巡行する様子から、精一杯という意味の関の山という言葉ができたという。
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・百五銀行も昔の家のまま営業している
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・延命寺山門 旧川北本陣の門を移転したもの。
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寺と銀行の前の道を歩き、東海道を越えた突き当りが関西本線の関駅だ。まだまだある宿をこの後電車が来る時間まで楽しんだ。(続く)

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コメント

こんばんは happy01
亀山から関ですね。関に重伝建地区があると知ったのは、ほんの10年ほど前のことで未だ訪れたことがありません。何度も車で通ったところですが、通り過ぎるばかりで本当にもったいないことと反省する次第です。
電線も地中に埋められ、昔ながらの情緒が残っていて、そのわりに訪れる人も少ないのか落ち着いた雰囲気ですね。
野生の鹿が出没するとは?!驚きました。

投稿: 慕辺未行 | 2018年10月11日 (木) 22:53

こんにちは。関宿の街並みは素晴らしいですね。銀行もこれで現役ですか。楽しい風景です。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年10月12日 (金) 08:19

★慕辺未行さま

おはようございますcloud今日は曇っています。このところお天気が続きません。
早速にコメント有難うございます。。
私もここを歩く前に重伝建と知ったばかりです。さすが素晴らしい。1.8kmも続くのですからゆっくりあちこち見ていますと1時間はすぐ過ぎます。
写真で見ますとあまり人を見かけませんね。有松みたいな有名なお土産品はありません。でも家はさすがに新しい家がポツンとある程度で、古い家並みが良く手入れされています。
幸い今の所怖い猪や熊など見ていませんが、野生の鹿も殆ど見たことがなかったので、私も驚いてしまいました。

投稿: tona | 2018年10月12日 (金) 08:23

★多摩NTの住人さま

妻籠や馬籠なども思い出しました。
維持して行くのは重伝建なので大変ではないかと思われます。自分の家さえきれいに維持できないのですから、住んでいる方は大変なのではないかと。
銀行にはお客さんの姿が見えましたよ。
問題のスルガ銀行も漆喰壁のお城風でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月12日 (金) 08:30

前回のコメントに書き落としていることがあります。
賀茂真淵記念館にも行きました。
鈴の屋とも言われています。離れ座敷の
名前がそのようにつけられていたことによります。

でもまだよく知らない三重県です。

飯沼慾斎につきましては過去に調べたとがあり、
偉大な植物学者であることは存じてしたのですが、
三重県の生まれとは知らなかったです。
植物園を回りますと、説明板によく登場する
名前です。

古事記にも出てきますが、三重の地名は
日本武尊が三重の地に来て、その後亡くなり
ますが、あまりにも疲れて足が三重(さんじゅう)
になったことにより命名されたようです。
亡くなったのは伊吹山でした。
このあたりのことは、慕辺未行さまが詳しい
です。

投稿: matsubara | 2018年10月12日 (金) 09:41

こんにちは
 
立派な一里塚に目を瞠りました。木の種類は椋ですか。
足元を彼岸花が彩って綺麗。印象に残る姿をご覧になれましたね。
 
鈴鹿川を野生の鹿が渡っているのまで目撃されたのですね。
山あいとはいえこれだけ人も多く住むすぐ近くでこんな立派な鹿が‥
と少々驚きました。
 
亀山から関の宿。やはり古い建物たちは味わい深いですね。
維持は大変でしょうし、住むにも何かと不便があるだろうと
思うのに郷愁を感じるのはなぜでしょ??木の持つ温もりかしら。
タイムトリップのロマンかしら。
関宿の保存地区はほんと素適な雰囲気です。
よく手を入れて大切に保存されていますね。

投稿: ポージィ | 2018年10月12日 (金) 10:56

★matsubaraさま

賀茂真淵は国学者として樹立した人であることは存じていますが、どこ人かも知りませんでした。浜松だったのですね。東海道筋にはなかったように思います(伝記では浜松宿脇本陣の梅屋に養子になっていたことがあります)。

飯沼慾齋は全く知らず、そうですか、植物園などで説明版に登場ですね。気をつけてみます。
三重の名前も日本武尊に由来するのですね。
いろいろありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月12日 (金) 15:06

★ポージィさま こんにちは

椋は数回見たことがありますが、大木の下の方には穴があいていて特徴的ですね。この木も大きくてヒガンバナを撮ろうとすると上が入らないのです。

鹿が川を渡る様子、泳ぐのでなく歩いていたので浅かったのですね。珍しい所を目撃しました。野生ですからそばに来たら怖いです。

住みにくそうなのに、古い家並みは日本らしくいいものです。木の文化の代表格ですね。
逝きし人々を想像します。
特に重伝建の方は勝手に取り壊しもできなく、いろいろな制限があって、住む方も大変なのではと思いました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月12日 (金) 15:29

亀山宿についてはまったく判っていませんが
関宿には何度も行っており
(まに書いていますでしょうか)
最近では昨年の12月に高知のブロ友夫妻を案内して歩いています。
休日にはもっと人通りが多いのかも判りませんが
ご紹介の写真のように、Saas-Feeの風が歩く日は混雑していません。
西の追分の写真がありませんが、割愛なさったのでしょうか。
関宿については10年ほど前に撮った写真しかありませんが
そのうちにブログアップしようかなと思っています。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年10月12日 (金) 16:40

★Saas-Feeの風さま

百五銀行より西の追分までは次回に書きます。
もたもたしているのです。
歴史資料館や街並み資料館などに入り、最後は慌てて西の追分からバスで関駅へ急ぎました。
日帰りは厳しいところにさしかかりました。
その次が先週で、鈴鹿峠を越えました。そのとき関駅から西追分までバスもタクシーもなかったので再び歩いて見損なったところをチェックして坂下宿へ向かったのです。
Saas-Feeの風さまはまだ歩かれて1年にもならないのですね。
江戸時代そのままと言う感じの素晴らしい宿でした。
ありがとうございました。


投稿: tona | 2018年10月12日 (金) 20:44

亀山宿、関宿とも宿場町の古い家並みを残す
素敵な街なのですね
特に関宿は伝統的建造物群保存地区に指定され
電線も地中に埋めて昔の面影がそのまま残っているのが素晴らしいです
銀行もそんな建物で営業しているのですねぇ
保存のためにはいろいろと規制もあるでしょうが
町全体で保存に努める姿勢が感じられますね
野生の鹿を見かけたことは何度かありますが
川を渡る姿は初めてです
海も泳いで渡るそうですから川はスイスイなのでしょう

投稿: ビオラ | 2018年10月12日 (金) 21:57

tonaさん、こんばんは~♪
江戸時代を彷彿とさせる宿場風景や鈴鹿の田園風景、
どちらも素晴らしいです。
お写真でゆっくりと堪能させていただきました。

野生の鹿が川を渡っている風景が日常的に見られるのですね。
交通事故などに遭わないと良いですね。

関宿って岐阜県かと思っていましたが、三重県だったのですね。
そういえば、旧東海道は岐阜県を通っていませんものね。

関宿の整然とした街並みはまるで江戸時代に
タイムスリップしたかのようです。

関の山はこれ以上は出来ないだろうという、
マイナス的な意味として捉えていました。
精一杯は頑張った感があって良いですね。

投稿: hiro | 2018年10月12日 (金) 22:12

★ビオラさま

さすがに重伝建の宿場は長く電線もなく、とてもいい宿でした。
このように登録されて当時を彷彿とさせる建物が永久に残っていくと思うと、多くの人についでの時に歩いてほしいと思いました。
銀行は小さなものですがちゃんと機能していて面白かったです。
やはりこういう宿は力を入れていますね。
カルタまでぶら下げているのですから。亀山市はなかなかです。
野生の鹿をご覧になったことがあるのですか。
泳ぐのを見たかったですが川が浅すぎました。
有難うございます。

投稿: tona | 2018年10月13日 (土) 18:41

★hiroさま

鈴鹿山脈らしいのがずっと繋がってとても遠く見えたのが、隣の坂下宿に近づいたらいきなりすぐそこにあってビックリした次第です。
野生の鹿が川岸の近くの森に棲んでいるのでしょうか。気持ち良さそうに渡っていました。

岐阜県は中仙道が通っているようで、まずは京都までなのですが、もしかして行けたらいいなあと思います。
関宿は1.8kmもこうした街並みが続くのですから、江戸時代の様子を広重の絵で垣間見るが如くに歩いて行けます。
関の山、私もそうして捉えていました。意外な所に語源があって、カルタまで下がっていて楽しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月13日 (土) 18:51

関宿の街並み、素晴らしいですね。
こんなに綺麗なのは電線を地下に埋めているからか。
やればできるじゃん!と思ってしまいます。
私も関と聞いて、岐阜県の関市を思い起こしてしまいました。

投稿: zooey | 2018年10月13日 (土) 21:19

★zooeyさま

岐阜はあまり知らないのですが、淡墨桜を見に行ったときに関市を通りました。
もしかして岐阜県の中仙道をいつか行くかもしれませんので、岐阜県のことを少し知るようになると思います。
川越も空が広いですが、この関宿も電線がないだけで江戸時代に迷い込めました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年10月13日 (土) 21:55

7つ目でいよいよ三条大橋ですね。
その前に鈴鹿峠を越えなくちゃあ。
東京からどの様な行程になるのかちょっと楽しみです。

かつて奈良から名古屋の実家に帰る時,何回か関西線を利用していました。山間部を走る景色はいいのですが,本数が少なく,時間もかかったので,いつのまにか京都まわりの近鉄→新幹線を利用するようになりました。

ところで,昭和43(1968)年10月1日に廃止となりましたが,かつて関西本線には東京〜大阪(湊町)間を走る寝台急行「大和」がありました。また,名古屋・奈良間には急行「かすが」が走っていました。こちらは平成18(2006)年に廃止されました。

投稿: gaki | 2018年10月14日 (日) 17:21

★京都が随分近くなりました。

当時も当然なのでしょうが関西本線は本数が少ないですね。(確かに景色はのどかで良かったです)
それで京都回り、新幹線利用になったのですね。
寝台急行「大和」があったり急行「かすが」のことは全然知りませんでした。昔の東海道線と北海道までの寝台車などは少しは知っていましたが。
今回名古屋から先の電車に乗ることが出来、初めてでしたので嬉しかったです。特にあすなろう鉄道の中の状態が珍しかったです。
いろいろ教えていただき有難うございました。

投稿: tona | 2018年10月14日 (日) 19:09

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