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2018年12月 9日 (日)

高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

木枯らしも吹かなかった暖かだった11月、12月になってもまだエンジェルストランペットが咲いていましたが今日枯れました。
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tona自虐本・・・高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

打撲した時にすぐ骨密度を計測され、血液検査のための血を抜き取られた結果、転落4日後にはもう骨粗鬆として薬を飲むことになりました。
11日間飲んだとき、書いてある副作用の中で、食欲不振、下痢の症状が突然現れ、即、勝手に薬をやめても1週間以上続き、おかゆとスープと栄養補給剤で安静に過ごしていました。
静かに歩けるようになって自虐本として買ってきたのが『辺境メシ』。
何しろテレビで美味しそうな食べ物を見ても顔を背け、無理に口の中に押し込んでいた状態だったのに、もっと凄い食べ物を見て、普通の食べ物が美味しく見えるか、いえいえ自分を虐めちゃえという心境。

いやはや高野さん、どこの国の”うえっ”というような食物、飲み物も全部一人だけでも試してしまうのですから、もう驚きを越えて同じ人間かと呆れてしまうほどでした。
小さい頃胃腸が弱かったという著者が、なぜ辺境ばかりに行って変な食べ物を口にして美味しくて満足したり、まずくても味わったことを喜んだりしているのか、本当に変わった人だと思います。
以下、今まで聞いたことのある食べ物や驚いた食べ物
<アフリカ>
ゴリラ・チンパンジーの肉や猿の脳みそ。蟻。ラクダの肉、ラクダ乳丼。デーツは過酷な砂漠マラソンの必需品。

<南アジア>
羊の脳みそと睾丸。水牛の生肉、皮、脊髄リンパ液、頭全部、髄液胃袋包みカリカリ揚げ。

<東南アジア>
巨大蜘蛛の唐揚げ。虫の缶詰(モグラコオロギ、ゲンゴロウ、蚕のさなぎ、バッタ、赤アリの卵)。大ナマズのトムヤム。
虫のサンドイッチや虫のピザ。田んぼフーズ(蛙、おたまじゃくし、ムカデとイモムシを掛け合わせたようなガムライケーン、その他ゲンゴロウなど)の水煮。
ネーム(豚の生肉発酵)・・これは最高に美味しいそうだ。

<日本>
猛毒フグの卵巣の糠漬け。ツチクジラ。猫を狂わす「ちゅーる」。ワニ(鮫)のバーガー・ソーセージ・サブレ。

<東南アジア>
ホンオ(韓国のエイの発酵食品)は世界で2番目に臭く恐ろし事になる食べ物。ちなみに1番はスウェーデンの「シュールストレミング」・・食べた後で失神したり入院したりする人が大勢いるとか。
虫と言えば、バッタ、タランチュラ、セミの幼虫までは聞いたことがあるが、巨大ムカデとサソリを作者は間違って生で食べた、きゃー。唐揚げにしたら美味しかったそうだ。
豚の生血の和え物。山羊の胃の中のものスープ。中国最凶の料理・胎盤餃子。

<中東・ヨーロッパ>
イランのチョウザメ肉。上記のシュールストレミング。臭さを形容した言葉が数々あるけど、それはそれは凄い。トルコの2.5cm四方の皮に包む極小餃子。

<南米>
ペルーの蛙丸ごとジュース。ヒキガエルジュース。アマゾン蛇のスープ。アンデスの巨大ネズミ串焼き。ペルー・アマゾンの口噛み酒(普通の醸造より美味しかったそうな)。
幻覚剤ヤヘイで1時間なのに千年間も旅をしてしまった幻覚剤を試す。

著者はヘンな食べ物探索がライフワークなのだそうであり、今や消えようとしている世界の伝統食品を消える前に早く食べに行かねばとおっしゃる。

読んでいるうちに時が経って私の副作用が消えたのでありますが、もう写真と文章で想像するだけで何一つ食べたいと思わない。以前にも書いたように唯一の私の食の冒険がイモムシの焼いたのであります。

そんな折も折、山友だち(80代の男性)が春から痩せた(伝聞)そうで、すい臓がんと言うことを本人から電話で知りました。入院せず、今は病院に腹水を抜きに通っていて殆ど食べられないとのこと。でも癌の治療は一切しないと言っています。さすが山男、凄いのですが、物を食べられないという憂き目、辛い日々ですね。tonaさんは無理にでも飲んだり食べられるだけいいよと言われました。全くその通りです。

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2018年12月 4日 (火)

モロッコ周遊(最終回)

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●7日目11/2(金)シャウエン観光~首都ラバト~カサブランカ(リックス・カフェで夕食)

◎シャウエン

青・青・青のシャウエン。
何故この街が青く塗られたのか?
諸説あるようです。
・街の人々は青が好きだから
・元々、スペインに住んでいたユダヤ教徒が、キリスト教徒にどんどんと追われる形で、この山並みのシャウエンへと住み移り、やがてユダヤ教で“天空・神・心の平静・海”などを象徴する神聖な色である青の色を、家の外壁に塗り始めたのが、その理由だとされている。…するとユダヤ人が住む町はすべて青くなるはず。
・青はイスラムの神聖な色だから。・・・ではなぜシャウエンだけに。
・元々この辺の石灰石は青みがかっている
・虫よけのため
・夏の暑さを涼しげな青色で紛らわせるため

シャウエンは1471年にアラビア人が建設し、ポルトガル、スペイン軍を阻止する拠点だった。イぺリア半島から移住してきたイスラム教徒やユダヤ教徒が定住し、街は拡大した。1920年にスペイン領,1956年にモロッコに返還された。

早朝にアザーンの声が下の街の方から聞えてきた。今日は天気も良くホテルの室内から街を又眺めてみる。
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   昨夕より青く見え、ズームして見ると屋根の色はまちまちということがわかる。722_450x300_2
ホテルから徒歩で下の街まで家々を見ながらゆっくり写真も撮りながら昨晩のメディナの中心ハマーン広場まで下っていくと、建築様式はスペインの影響も見られるが、建物の外部に庭を作らないというイスラムの特徴がわかり、しかしながらイスラム風のタイルが散りばめられた玄関や壁にフラワーポットが見られるなど、青の中にいろいろなアクセントとなっていることが、まず日本では考えられない風景となっている。
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シャャウエンなどモロッコは猫が街の中でも可愛がられているようである。最後の猫は我等がガイド助手さんが猫の餌を買って与えている所。ここの猫は岩合さんの映像にもあったような。
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                 ハマーン広場に到着
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               お土産を買ったお店のおじさんがポーズ
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                     青く塗られた墓地
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◎ラバトへ
ラバトは一度12世紀中頃ムスヒド朝が首都にしたが、その後フェズへ、1912年にフランス統治下でモロッコの首都となる。

          さすが一国の首都、道路も建物も立派になってくる。
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  海辺のレストランで食事。 主菜のシーフードミックスフライが美味しかった。
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         ところ変わればお墓も変わる。形の面白い墓石がびっしり。
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モハメド5世廟 1956年モロッコの独立を宣言し、追放先のマダガスカルから帰国したモハメド5世の廟。その息子2人もここに眠る。
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          お母さんはだめだが子供の写真は撮らせてもらえる
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                  衛兵は白馬に跨る
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◎カサブランカに戻ってくる。(1泊して8日目空港より出発、アブダビ経由で成田に9日目の昼過ぎに到着)

リックスカフェにて夕食。映画のセットを模してこの地に建てられた。
映画『カサブランカ』『モロッコ』を借りてきてもらったので見た。『カサブランカ』もモノクロだがイングリッド・バーグマンの美しいこと!うっとり。
『モロッコ』のマレーネ・ディートリッヒのあやしげな美しさを久しぶりに拝見。サハラ砂漠がちょっぴり見えただけだった。昔の映画で気になるのが煙草をやたらふかすことかしら。
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今回は洗濯を一切しないように準備して行ったこと、お茶も部屋で沸かさないで、店で暖かい紅茶をいつも飲んだこと、6泊のホテルのうち湯船に浸かったのは2日だけ。お風呂に入らなくても死なないねと言って睡眠時間確保に充てたことと、移動距離が長く居眠り多し。というわけで朝早いことも多くても、自分ではハードと思わなかったけれども、疲れは帰ってから出るものと身に沁みました。もう2度とこういう国やハードなスケジュールの旅行に行かないように釘を刺されました。勿論もう懲り懲りです。

イスラムの国と言えばトルコに2度ほど行きましたが、イスタンブールのバザールとモスクでちょっぴり味わっただけ。アルハンブラ宮殿の思い出は遠くなってます。エジプトはさらに昔に行ったので遺跡に気を取られ、イスラム教の「イ」の字も頭にありませんでした。しかし今回はイスラム教が誕生してすぐアフリカ北部モロッコまですぐ進出しベルベル人が追いやられ(しかし彼らは共存し、しっかり定着して生きている)、その倍のアラビヤ人によって国が統治されていったことを知り、対岸のスぺイン、ポルトガル、フランス等との確執などおぼろげながら知るにとどまりましたが、日本にはない自然を楽しんできました。

今日で帰国してちょうど1ヶ月です。長い間読んでいただきありがとうございました。

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