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2018年12月27日 (木)

皆さま、良いお年をお迎えください。

いよいよ暮れも押し迫って参りました。

家人が「モ〇○○菌が体内に入り込んでしまったのではないか」と申すのですが、まさかね。
最初は気管支、今は腸に入り込んで、結果はまだわかりませんが、途中からもう1週間くらい臥せっております。
点滴は2回ほどしてもらい、年明けまでは医者がお休みでもどうにか持ちそうな感じです。

ご訪問、そしてコメントを下さった皆様、この1年間も本当にありがとうございました。
どうかよいお年をお迎えくださいますように。
また新しき年にもどうぞよろしくお願いいたします。

ブラジルの国花・イペー(黄色の花)
日本の桜や南半球の紫色のジャカランダと並んで同じように黄色の花が咲くという。
その種子をmatsubaraさまを通しSaas-Feeの風さまから戴いたのは5月頃。①③⑤と言う3種類が順次2週間たった頃発芽し夏を乗り切り、今部屋の中に取り込みました。
果して何年後に花を咲かせるのか、生きている内に見たいものですがちょっと無理かな。
左の2鉢が⑤、一番右の1鉢が①、真ん中の4鉢が③と一番よく発芽しました。葉が徐々に落葉しつつあります。3種類の葉の形が異なります。
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2018年12月19日 (水)

スマホを持っていても何もできない私と同じようで笑ってしまう

『恋するように旅をして』角田光代 直木賞作家の随筆より(2005年の話です)

一人で旅に出る以外、行動に移すパワーがことごとく欠如している。
飲食店に一人で入らない。一人で映画を観に行かない。コンサートやライブのチケットをみずから買ったことがない。買い方が分からない。どう調べていいのかわからないから調べもしない。興味のある絵画展やイベントがあってもそこへのいきかたがわからなければいかない。時刻表が読めない。読もうとしたことはあるが、暗号が書かれているとしか思えない。東京に長く住んでいるが乗り換えがわからない。路線図だの時刻表だの理解できないものを理解しようとつとめて眺めていると胃がきりきりしてくる。ビデオ屋もみずから会員にならない。なぜなら私には目当てのビデオを捜すことがことができない。監督別、役者別、あいうえお順、入り混じっている文字を目で追っているとこれまた胃がきりきりしてくる。
そうすると、行動が非常に狭まってくる。決まりきった場所しか移動せず、決まりきったことしかしなくなる。
そして結論は、自堕落でもなければ、初心なのでもなく、面倒くさがりやでもなく、ひとりで旅をするための行動力を温存してるのだろう。

私の子どもの年齢の作者が2005年(13年前)に書いているのですが、これ私と思わず笑ってしまった。そして最後のオチみたいのにもっと笑ってしまった。
私は乗り換えが少しわかり、絵画館には行けるが、他は殆ど同じ様な状態。違うところは一人で国内はおろか海外旅行もできないし、その上私には作家と言う文章の上手な、物語を構成する能力なく、何の取り柄もないと言うことで、一瞬暗くなったのでありました。呆れられてもいます。この3年間、努力ということが私の体から抜け去ったこともとても痛い。

しかし、スマホがこんなに便利になった現在、まさか作者がこの状態が続いているとは信じられないけれどどうなのでしょう。
私もスマホを使いこなせず、決まりきったことしかしていないで、上記のチケットを買えない云々殆ど出来ないが、とても便利でもうやめられない。ないと困る。
再び思う。角田さんはバリバリに使いこなして上記の事を全部こなしているのか。何しろ若いのですから。

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先日名古屋で川上貞奴が福田桃介と住んでいた家を拝見してきたが、貞奴と川上音二郎が結婚して住んでいたのは私の故郷・茅ヶ崎。
駅から南へ200m行ったところに高い松などがたくさんそびえて、今はきちんと整備された高砂緑地があって、そこに彼らは「萬松園」と伊藤博文に名付けてもらった家に住んでいた。九代目の市川團十郎を慕ってそのそばに住んだというわけだ。その後実業家・原安三郎(三溪園を造った人)の別荘になった。私がいた頃この前をよく通った。
その原別荘の跡地に貞奴たちが住んでいた方の場所は今は立派な市立図書館になり、別荘の中で茶室・書院が「松籟庵」として残っている。
用事があって行ったのが月曜だったのであいにくお休みだったが中の庭を垣根越しに覗いてみた。
その門と庭
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平塚らいてうに碑 雷鳥は奥田博史と事実婚で、結婚した頃奥田が結核を病み茅ヶ崎の南湖院で療養中、らいてうは看護していた。
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2018年12月13日 (木)

名古屋城・徳川園・徳川美術館観光

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インフルエンザも治って(次の副作用が始まる直前)、打撲のリハビリで少し歩こうと出掛けたのが名古屋です。
名古屋観光ルートバス「メーグル」で廻ります。

            
久しぶりに新幹線から富士山が見えて富士山気違いは大喜び
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●名古屋城
1610年に関ケ原で勝利した徳川家康は、天下普請として加藤清正・福島正則ら西国大名20家に、豊臣方への備えとして名古屋城の築城と清州からこの地への引っ越しを命じました。天守や櫓は小堀遠州・中井正清らに命じ、1612年に完成。
尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
戦災でやられたけれど、東南・西南・西北隅櫓、天守(修理中)、本丸御殿、表と東の二の門、二の丸庭園などが復元されています。

                                    初代藩主の菊人形と奥方

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金のシャチ 名古屋城のシンボル。創建時は貼られた金の量は慶長大判で1940枚だったそうだ。鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶといわれることから火除けのまじないとされた。
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必勝カヤの木(天然記念物)推定樹齢600年。1945年の空襲でも枯死を免れた。大坂夏の陣に藩主義直が父・家康と共に出陣の際、カヤの実を武勲を祈念して食したという。
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    西南隅櫓と天守閣(今鉄筋コンクリートから木造に耐震のために修理中)
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西北隅櫓公開中(名古屋城には~丸が4つある。本丸、二之丸、西之丸、御深井丸)。この櫓は御深井丸(おふけまる)にあって、現存三階櫓14のうちの一つ。他の櫓同様3階だが、他は1,2階は同面積、3階が狭くなるが、ここは階を上がるにつけて面積が逓減していく。櫓については殆ど知らなかったのでこの説明は面白かった。
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                   2階からの眺め
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天守と本丸御殿。鯱が小さく見えた。鯱の高さは約2.5m 。18Kの重さは両方で約88㎏だそうだが。
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<本丸御殿> 天守閣とともに国宝だったが空襲で焼失。13棟からなり、室内は花鳥風月などを画材とした障壁画や飾金具などで豪華絢爛。今年6月に復元公開された。

                       玄関
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                   表書院 謁見の間
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               対面所 身内だけが立ち入れた
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上洛殿 3代将軍家光の上洛に合わせて増築された豪華絢爛な間。天井、欄間。
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                       廊下
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          飾り金具
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                       梅の間
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                 二之丸庭園 枯山水回遊式
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●徳川園と徳川美術館

徳川園の起源は尾張藩第二代藩主光友の隠居所の跡地に1695年に築造された大名庭園。その後家老職へ。明治22年尾張徳川家の邸宅。昭和6年に名古屋市に寄付され、空襲で焼失。2004年に再整備で開園。
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              子福桜とイソギク
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続いて徳川美術館へ。徳川の名品の数々や能舞台、途中で蓬左文庫も見学した。短期間限定の「源氏物語の世界」をやっていて、国宝の「源氏物語絵巻」を見ることができた。

●文化のみち(白壁地区) 江戸期に武家屋敷があり、明治・昭和にかけては起業家、宗教家、ジャーナリストなどが交流する舞台となった場所で、戦火を免れた建築物がたくさんある。

<二葉館>
「日本の女優第一号」川上貞奴が夫の音二郎が亡くなり7年後女優をやめた後、電力王と呼ばれた福沢桃介の建てた二葉町のこの家に桃介とともに暮らした。当時財界人や文化人のサロンになっていた。その後少し離れた文化のみちに移築復元された。
ステンドグラスの美しい館で、貞奴の居室や書斎がそのままの状態で見られた。
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カトリック教会
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名古屋市市政資料館
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お土産は「金鯱ういろ」なかなか美味しいういろうでした。
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2018年12月 9日 (日)

高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

木枯らしも吹かなかった暖かだった11月、12月になってもまだエンジェルストランペットが咲いていましたが今日枯れました。
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tona自虐本・・・高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

打撲した時にすぐ骨密度を計測され、血液検査のための血を抜き取られた結果、転落4日後にはもう骨粗鬆として薬を飲むことになりました。
11日間飲んだとき、書いてある副作用の中で、食欲不振、下痢の症状が突然現れ、即、勝手に薬をやめても1週間以上続き、おかゆとスープと栄養補給剤で安静に過ごしていました。
静かに歩けるようになって自虐本として買ってきたのが『辺境メシ』。
何しろテレビで美味しそうな食べ物を見ても顔を背け、無理に口の中に押し込んでいた状態だったのに、もっと凄い食べ物を見て、普通の食べ物が美味しく見えるか、いえいえ自分を虐めちゃえという心境。

いやはや高野さん、どこの国の”うえっ”というような食物、飲み物も全部一人だけでも試してしまうのですから、もう驚きを越えて同じ人間かと呆れてしまうほどでした。
小さい頃胃腸が弱かったという著者が、なぜ辺境ばかりに行って変な食べ物を口にして美味しくて満足したり、まずくても味わったことを喜んだりしているのか、本当に変わった人だと思います。
以下、今まで聞いたことのある食べ物や驚いた食べ物
<アフリカ>
ゴリラ・チンパンジーの肉や猿の脳みそ。蟻。ラクダの肉、ラクダ乳丼。デーツは過酷な砂漠マラソンの必需品。

<南アジア>
羊の脳みそと睾丸。水牛の生肉、皮、脊髄リンパ液、頭全部、髄液胃袋包みカリカリ揚げ。

<東南アジア>
巨大蜘蛛の唐揚げ。虫の缶詰(モグラコオロギ、ゲンゴロウ、蚕のさなぎ、バッタ、赤アリの卵)。大ナマズのトムヤム。
虫のサンドイッチや虫のピザ。田んぼフーズ(蛙、おたまじゃくし、ムカデとイモムシを掛け合わせたようなガムライケーン、その他ゲンゴロウなど)の水煮。
ネーム(豚の生肉発酵)・・これは最高に美味しいそうだ。

<日本>
猛毒フグの卵巣の糠漬け。ツチクジラ。猫を狂わす「ちゅーる」。ワニ(鮫)のバーガー・ソーセージ・サブレ。

<東南アジア>
ホンオ(韓国のエイの発酵食品)は世界で2番目に臭く恐ろし事になる食べ物。ちなみに1番はスウェーデンの「シュールストレミング」・・食べた後で失神したり入院したりする人が大勢いるとか。
虫と言えば、バッタ、タランチュラ、セミの幼虫までは聞いたことがあるが、巨大ムカデとサソリを作者は間違って生で食べた、きゃー。唐揚げにしたら美味しかったそうだ。
豚の生血の和え物。山羊の胃の中のものスープ。中国最凶の料理・胎盤餃子。

<中東・ヨーロッパ>
イランのチョウザメ肉。上記のシュールストレミング。臭さを形容した言葉が数々あるけど、それはそれは凄い。トルコの2.5cm四方の皮に包む極小餃子。

<南米>
ペルーの蛙丸ごとジュース。ヒキガエルジュース。アマゾン蛇のスープ。アンデスの巨大ネズミ串焼き。ペルー・アマゾンの口噛み酒(普通の醸造より美味しかったそうな)。
幻覚剤ヤヘイで1時間なのに千年間も旅をしてしまった幻覚剤を試す。

著者はヘンな食べ物探索がライフワークなのだそうであり、今や消えようとしている世界の伝統食品を消える前に早く食べに行かねばとおっしゃる。

読んでいるうちに時が経って私の副作用が消えたのでありますが、もう写真と文章で想像するだけで何一つ食べたいと思わない。以前にも書いたように唯一の私の食の冒険がイモムシの焼いたのであります。

そんな折も折、山友だち(80代の男性)が春から痩せた(伝聞)そうで、すい臓がんと言うことを本人から電話で知りました。入院せず、今は病院に腹水を抜きに通っていて殆ど食べられないとのこと。でも癌の治療は一切しないと言っています。さすが山男、凄いのですが、物を食べられないという憂き目、辛い日々ですね。tonaさんは無理にでも飲んだり食べられるだけいいよと言われました。全くその通りです。

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2018年12月 4日 (火)

モロッコ周遊(最終回)

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●7日目11/2(金)シャウエン観光~首都ラバト~カサブランカ(リックス・カフェで夕食)

◎シャウエン

青・青・青のシャウエン。
何故この街が青く塗られたのか?
諸説あるようです。
・街の人々は青が好きだから
・元々、スペインに住んでいたユダヤ教徒が、キリスト教徒にどんどんと追われる形で、この山並みのシャウエンへと住み移り、やがてユダヤ教で“天空・神・心の平静・海”などを象徴する神聖な色である青の色を、家の外壁に塗り始めたのが、その理由だとされている。…するとユダヤ人が住む町はすべて青くなるはず。
・青はイスラムの神聖な色だから。・・・ではなぜシャウエンだけに。
・元々この辺の石灰石は青みがかっている
・虫よけのため
・夏の暑さを涼しげな青色で紛らわせるため

シャウエンは1471年にアラビア人が建設し、ポルトガル、スペイン軍を阻止する拠点だった。イぺリア半島から移住してきたイスラム教徒やユダヤ教徒が定住し、街は拡大した。1920年にスペイン領,1956年にモロッコに返還された。

早朝にアザーンの声が下の街の方から聞えてきた。今日は天気も良くホテルの室内から街を又眺めてみる。
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   昨夕より青く見え、ズームして見ると屋根の色はまちまちということがわかる。722_450x300_2
ホテルから徒歩で下の街まで家々を見ながらゆっくり写真も撮りながら昨晩のメディナの中心ハマーン広場まで下っていくと、建築様式はスペインの影響も見られるが、建物の外部に庭を作らないというイスラムの特徴がわかり、しかしながらイスラム風のタイルが散りばめられた玄関や壁にフラワーポットが見られるなど、青の中にいろいろなアクセントとなっていることが、まず日本では考えられない風景となっている。
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シャャウエンなどモロッコは猫が街の中でも可愛がられているようである。最後の猫は我等がガイド助手さんが猫の餌を買って与えている所。ここの猫は岩合さんの映像にもあったような。
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                 ハマーン広場に到着
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               お土産を買ったお店のおじさんがポーズ
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                     青く塗られた墓地
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◎ラバトへ
ラバトは一度12世紀中頃ムスヒド朝が首都にしたが、その後フェズへ、1912年にフランス統治下でモロッコの首都となる。

          さすが一国の首都、道路も建物も立派になってくる。
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  海辺のレストランで食事。 主菜のシーフードミックスフライが美味しかった。
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         ところ変わればお墓も変わる。形の面白い墓石がびっしり。
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モハメド5世廟 1956年モロッコの独立を宣言し、追放先のマダガスカルから帰国したモハメド5世の廟。その息子2人もここに眠る。
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          お母さんはだめだが子供の写真は撮らせてもらえる
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                  衛兵は白馬に跨る
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◎カサブランカに戻ってくる。(1泊して8日目空港より出発、アブダビ経由で成田に9日目の昼過ぎに到着)

リックスカフェにて夕食。映画のセットを模してこの地に建てられた。
映画『カサブランカ』『モロッコ』を借りてきてもらったので見た。『カサブランカ』もモノクロだがイングリッド・バーグマンの美しいこと!うっとり。
『モロッコ』のマレーネ・ディートリッヒのあやしげな美しさを久しぶりに拝見。サハラ砂漠がちょっぴり見えただけだった。昔の映画で気になるのが煙草をやたらふかすことかしら。
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今回は洗濯を一切しないように準備して行ったこと、お茶も部屋で沸かさないで、店で暖かい紅茶をいつも飲んだこと、6泊のホテルのうち湯船に浸かったのは2日だけ。お風呂に入らなくても死なないねと言って睡眠時間確保に充てたことと、移動距離が長く居眠り多し。というわけで朝早いことも多くても、自分ではハードと思わなかったけれども、疲れは帰ってから出るものと身に沁みました。もう2度とこういう国やハードなスケジュールの旅行に行かないように釘を刺されました。勿論もう懲り懲りです。

イスラムの国と言えばトルコに2度ほど行きましたが、イスタンブールのバザールとモスクでちょっぴり味わっただけ。アルハンブラ宮殿の思い出は遠くなってます。エジプトはさらに昔に行ったので遺跡に気を取られ、イスラム教の「イ」の字も頭にありませんでした。しかし今回はイスラム教が誕生してすぐアフリカ北部モロッコまですぐ進出しベルベル人が追いやられ(しかし彼らは共存し、しっかり定着して生きている)、その倍のアラビヤ人によって国が統治されていったことを知り、対岸のスぺイン、ポルトガル、フランス等との確執などおぼろげながら知るにとどまりましたが、日本にはない自然を楽しんできました。

今日で帰国してちょうど1ヶ月です。長い間読んでいただきありがとうございました。

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