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2019年1月29日 (火)

医療費

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              この頃家の中でいつも一緒のリラックマ


二人合わせて(私の分は結構少ない)後期高齢者医療保険料を30数万払っているわけですが、今日来た昨年8月から今年7月まで1年間、私が使った医療費は何と90423円。3割なので保険がなかった場合の10割にすると319400円。私一人で約23万円も払っている保険料を使っているようなもの。夫の方も結構かかっているので、若い人に随分負担させているのだと申し訳なく思いました。
昨年の医療費は1年間513450円、1ヶ月平均42788円ということになり年金に占める割合が15年前と比べて何と多くなったこと。

今年こそ歯と目(逆さまつげ抜き)以外は医者にかからないでいきたいものです。しかし老化が止まらなくてひっきりなしに医者に足が向いてしまうから困ったものです。さすがに弱くなった自分を自覚したものです。(同級生には全然病気しないで超元気な人がたくさんいます!)

ある病院の医師が「病気ではなく、病人を診る診療を」と書いています。時間差がありますが、皮肉なことにここの病院で夫が入院手術をしたのですが、今までの病院で最低でした。大学や病院は上層部がいいモットーを掲げていても、言うは易く行うは難しです。下まで徹底していない。それが当たり前なのでしょうか。

複数の医師がいるクリニックを合わせて作年11月から今月までいろいろ悪くなったので、9人の医師にかかりました。殆どの医師がよく看て聞いてくださいました。そのおかげで助かって元気になれました。
しかし困ったのが、本来の病気が治っていないのに、他の検査をしてそちらの方の薬治療を勧められたことです。薬治療の副作用が苦しかったり、そんな心配な数値でなかったりで逃げました。

帚木蓬生著『蠅の帝国』

蠅の帝国って何処かと思ったら広島の原爆が落とされた後の街の事だったのです。暑い8月に死体が累々と横たわり、蛆が湧いて蠅が真っ黒になるほど湧いたのだそう。
「助けられるはずの命が、目の前で消えていく」
15人の軍医のお話。広島、東京大空襲、沖縄戦、樺太のソ連侵入、満州ソ連侵入、太平洋の島々など今まで読んだり聞いたりしていた悲惨な内容が、軍医の立場から書かれた15編。
苦しくて、大変で、悲しくて、みじめなで胸が抉られそうな極限状況の戦争、今も世界各国で同じようなことがあるなんて、人間は永遠に戦争を続けていくのであろうか。

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2019年1月25日 (金)

外濠を歩く(2)

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溜池交差点には、溜池発祥の碑があった。
これによれば、溜池は江戸時代のはじめ、防備を兼ねた外堀兼用の上水源として造られ、秀忠時代には鯉や鮒が泳ぎ、不忍池に匹敵する名所だったというが、明治に入り埋め立てられたとのことだ。

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少し行くと日枝神社があって冬桜が満開であった
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弁慶堀 
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弁慶橋を渡った右側の建物が東京ガーデンテラス紀尾井町。昔、紀州徳川家中屋敷があった。
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ガーデンテラスのウッドデッキの散策路を奥に行くと、石垣を間近で見られる。
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これは福岡藩黒田家家紋の裏銭紋で、黒田藩忠之がこの辺りを築いた。
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ガーデンテラスのツリーは夜見たらきれいでしょう!
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清水谷公園は黄葉の真っ盛り
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           公園の中に大久保利通哀悼碑 ここで暗殺された。
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多摩川上水からの石枡。小石川上水や溜池上水では水不足になって間に合わなくなった。
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紀尾井坂。写真ではわからないけど結構な急坂であった。
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ホテルニューオータニの敷地に入っていくと、近江彦根藩井伊家屋敷跡があった。
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上智大学のあたりは、尾張家の屋敷があったところで、紀伊家、井伊家、尾張家の屋敷が並んでいたので、紀尾井町となった。

上智大のグラウンドは真田濠
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四ツ谷駅の所の四谷門の残った一部。何時も土手とよんでいた土塁の上を進んでいく。
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市ヶ谷駅の交番前の交差点に江戸城市ヶ谷門がかつてあって、土塁の上に行くと市ヶ谷御門橋台の石垣石が残っている。地下鉄工事などが進んでそのあと展示されたようで、私が通っていた頃の最後の方で発掘工事が行われていたようで知らなかった。
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市ヶ谷駅の濠には釣堀がまだあった。一度も釣ったことがなかった。
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濠脇の電車 総武線と中央線
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土塁の上は遊歩道で江戸時代は松が植えられていたが、現在は桜並木となって春は素晴らしい。
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新見附橋を通り過ぎ。飯田橋の牛込橋に着く。駅の脇の濠は埋め立てられてラムラが建ち、濠はここで暗渠になっている。
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牛込見附(牛込御門)跡
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ラムラのイルミネーション
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土塁下を走っていた電車は飯田橋過ぎると曲り、高架になる。
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水道橋には江戸名所図会のレリーフがあった。水道橋という地名は、懸樋(掛樋)=水道管が神田川をまたぐ様子が眺められたことから付いたものとのことだ。
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橋を渡り、外堀通りを上がっていく途中に、神田上水懸樋跡碑があった。神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していた。
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御茶ノ水駅前の交番裏にある、お茶の水の碑。この辺りの高林寺に良い水が湧いて、将軍のお茶に使ったという。ここで16時45分、すっかり暗くなって帰途についた。
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2019年1月21日 (月)

外濠を歩く(1)

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『東京人』1月号の特集が「外濠を歩く」で、市ヶ谷と飯田橋の間にある勤務先に長い間勤めていたので、あの市ヶ谷の土手を通った日々を思い出し、12月の元気だった日に外濠を出発点から途中まで歩いてみました。

600x453へたな地図ですが、地図にある紫色の線が外濠で、九段下から始まって両国橋で終わる、「の」の字の形をしている。全長17.3㎞。この日は御茶ノ水駅で日が暮れて、あと1時間弱は次回に散歩することにした。この次回がなかなか訪れないことになろうとはこの時は微塵も思っていなかったのだが。

東海道と同じく、娘の後にくっついて行くのだったが、娘は『東京人』と『でか字マップ東京23区』の2冊を持ちながらなので大変そうだった。

地下鉄九段下駅を降りたところが俎橋で、少し戻った所が堀留橋。ここが外濠り巡りのスタート地点。江戸時代の日本橋川はこの橋辺りで行き止まりとなっていて(現在はこの先の神田川までつながっている。以前日本橋を起点に遊覧船で日本橋川から神田川に出て御茶ノ水を通り隅田川に出て、また元の日本橋に戻るというコースに乗船したことがあった)、堀が留まることから「堀留」という地名になった。
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               日本橋川の上は首都高が走っている
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出発するとすぐ立派な千代田区役所があって、その前に大隈重信の雉子橋邸跡がある。
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その雉子橋を過ぎると江戸城外濠の石垣が見えてくる
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一橋徳川家の名の由来となった一ツ橋。江戸城一ツ橋門の石垣も残っている。
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大手町川端緑道に入ると向かい側は気象庁
かつて、桜の開花などを知らせていた木々の旧静物季節観測の木々がある。
丁度満開の実を輝かせていた。
                    クロガネモチ
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                       ソヨゴ
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                      モチノキ 
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                   マルバシャリンバイ
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常磐橋に出るが工事中。常磐橋は江戸城正門の大手門へ向かう外郭正門であった。
渋沢栄一の銅像があった
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次は一石橋。そのたもとに一石橋迷子しらせ石標がある。迷子探しのための告知石碑で、左に迷子の特徴を書いた紙を貼り、右に心当たりのある人がその旨書いた紙を貼る。同じものを桑名の春日神社で見た。
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呉服橋近くに北町奉行跡がある。遠山の金さんが4年間執務していた。
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八重洲地下街で食事をした後、有楽町の方へ歩き数寄屋橋の碑に到着。ここには橋も濠もない。
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新幸橋で山手線の内側に入ると、日比谷公園の修理中の公会堂が見えた。
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道路の左手に大同生命のビルがあり、元禄初年~現在までのこのあたりの外濠の変遷を示したパネルと広重の絵があった。濠もここにあったらしい。
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突き当たったところ(日比谷公園の左手)が文部科学省で正面玄関前に埋め込まれた大きな石は、外濠の石垣を再利用したものとのことだ。
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東京メトロの文科省出入り口の地下に江戸城外堀跡地下展示室があって説明板もある。
                  
                  発掘された外濠の石垣
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この辺りの石垣を建設したのは矢のマークの毛利家。石のあちこちに矢印が見受けられた。
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2019年1月15日 (火)

リラックマ状態ですが、もうちょっと。

お久しぶりです。1月ももう半ば、もう1ヶ月寝ております。
病名はどう呼ぶのかわかりませんが、感染性の腸炎のようで、ここにきてやっと少し良い方に向かっているようです。
半月ばかりは本も読めない状態でしたが、今年に入っていろいろ楽しんでいたのですが、昭和49年発行の『世界の歴史』全16巻に手を付けたら小さな字で約500頁、2巻目に入りましたがきっと途中で投げ出すでしょう。(2巻目は塩野七海氏のギりシャ人とローマ人の物語20冊近くがこの1巻で終わってしまった)

毎日がリラックマ状態、幸い家族が今まだ元気なので面倒を見てもらっていますが、一人だったらと思うとぞっとしました。
いずれそうなるかもしれないし、反対になるかもしれないし、ちょっと死の淵を覗いたような日々でした。
そんな折、昨年9月に亡くなった樹木希林さんの『一切なりゆき』を読んで、結婚生活やいろいろ驚くことが多い中、大女優さんが靴は長靴入れて3足、あの素敵な洋服はもらいものか、ちょっと手を入れてアレンジしたとか。下着はよその亡くなった御主人の新品のをもらってゆったり着ているとか、家具は捨てられた昔の物を手入れして使っているとかで、ほとんど何もない生活で実に快適と書いていました。共感しました。そして全身癌でありなから6年間も、特に最後の1、2年は未封切りも含めて随分たくさんの映画に出演されている。
特に治療もせず、「痛い」じゃなくて「ああ、気持ちいい」と言い換えるとか、いろいろな症状も感じるけど、感じないようにしていて、知らんぷりしているそう。凄い方だ!

娘からも、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」
      しあわせは 歩いてこない
      だから歩いて ゆくんだね
      一日一歩 三日で三歩
      三歩進んで 二歩さがる
      人生は ワン・ツー・パンチ
      汗かき べそかき 歩こうよ・・・
を贈ってもらい、11月5日から約2か月半やっとここまで漕ぎ着けたところです。
これから先はこのようなことの連続にならないとも限らないわけで、あまり心が強くならない自分を叱咤激励して進むしかありません。

今年もまたどうぞよろしくお願いいたします。、

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