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2019年3月18日 (月)

四手井淑子著『山科の家 夫・四手井綱英と私の戦中日記』

四手井淑子氏の本をブログ友から紹介していただきました。
著者は日本菌学会会員で、1717年生まれ101才か。夫は2009年逝去した京都大学名誉教授で森林生態学の草分けとして「里山」の概念を提唱した人。

四手井淑子著『山科の家 夫・四手井綱英と私の戦中日記』

縁戚にあたる人と結婚し、山科の家に入り、そこで繰り広げられる舅と子姑(夫の姉)とのすさまじい苛めによる壮絶な日々、近所の一族並びに人々の回りまわったうわさ話に翻弄され、結核を患って治ったばかりの箸者は、ストレスから血反吐を繰り返すほど。それでも産後の主婦もそうだが、具合悪くて絶対に寝混んではいけなくて、それで亡くなっていく嫁さんたち多いこの地で転勤まで頑張る。

現代においても、知人の娘さんが京都に嫁入りして物凄い苦労で、家に引き取りたいと言っていたことや、ある作家の京都は嵯峨野や伏見さえも受け入れられないよそ者とされるなどと書いていたのを思い出し、山科でも戦中戦後の話だからさもありなんと思える。
それでも著者が耐えられたのは、夫の綱英氏の存在だ。末っ子でありながら当時の男性としては珍しい愛妻家、常に愛妻の味方。料理もお菓子も作り、奥さんの作った料理を褒め、常にいたわりの言葉をかけて、本当に当時としてはあり得ない夫であった。著者も苛められながらもいじめられた舅に優しいほろっとするような言葉を投げかけ、親身に世話したりする方なのだ。

四手井淑子著『きのこ学放浪記』
そうした著者が転勤で山形に行ったときに突然目覚めた「きのこ」に対する興味。それが再び疎開で山科に戻って苦労するが、夫が戦地より帰り、東京から最終的に京都大学へ赴任してから子育てに手がかからなくなった辺りから本格的にきのこの研究にのめりこんでいったようだ。
元々勉強が好きな方だったから、それはそれは男性並みに没頭。体が弱くてもそれをも乗り越え励むのだ。最初の『きのこ学騒動記』は読まなかったが、放浪記の方はきのこを求めて日本だけでなく外国まで、それも人の入らない辺鄙な所へ、ある時は急登を登り、藪漕ぎし、寒さに震え、かなり変わったきのこ学者のお供、自身の発見のきのこの命名や論文発表に関してアメリカのきのこ学者とのやりとりなどなど、本当に学者顔負けの奮闘ぶりで驚いたしまった。私の亡き母より1才年上で101才の今もお元気のようだ。

地面に横たわっていたのが、突然むっくり起き上がるヒマラヤユキノシタの花
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パソコンが新しくなってと思ったら明日はココログのリニューアルだそうであわててアップしました。

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コメント

tonaさん、こんばんは~♪
四手井淑子ご夫妻のことはまったく知りませんでした。
淑子さんのご出身はどちらか知りませんが、
閉鎖的で排他的な土地で舅や子姑からの壮絶ないじめ
を受けながらも、よく耐えたと思います。
それもこれもご主人の愛があるから耐えられるのですね。
自然を相手に研究されるような方は心から優しいのでしょうね。
そして子育てに手がかからなってからのキノコの研究。
そののめり込みようには驚かされますが、
それもご主人の理解があればこそできることですね。
私の母も生きていれば、ちょうど100歳。
同じ時代を生きた人とは考えられません。素晴らし過ぎます。

投稿: hiro | 2019年3月19日 (火) 20:16

四手井綱英先生はたまたま大学時代の友人
その人は洛北高校出身なんですが、彼と
高校時代に四手井君と親しかったです。
つまり、四手井先生の息子さんと友人とが
親しかったのです。
それで名前は55年前から知っていました。

後年、四手井先生は迷惑電話に悩まれていたことが
大きく新聞に出ていまして、お気の毒に思いました。
著書にはまさかそんなつまらないことは書いて
ないと思いますが、やはり京大教授らしく
破天荒な部分があったのですね。

今西教授は後年岐阜大学の学長になられた
京大教授なのですが、共通なとろは
破天荒なところです。

多分楽しい内容の本であることは想像できます。

四手井君も私もtonaさまも同年ということですから
お母上が102歳であることも然りですね。

投稿: matsubara | 2019年3月20日 (水) 08:40

★hiroさま おはようございます♪

ココログメンテナンスでご迷惑おかけしました。
淑子さんは東京で育ったようでして、父上はなかなかに封建的でしたが、家風や因習は全然違っていたようです。京都だけでなく、昔は田舎は大変だったようで、「おしん」なども思い出しました。
私はその点で理解ある舅姑で、しかも次男という立場で何の苦労もなく人ごとのようです。
耐え抜いて生きたこの方、体が弱かったのに芯が強かったのですね。
ほとんど学者として後半生、素晴らしいですね。親の世代で一主婦がこんな研究に没頭だなんて考えられません。
一世代遅れた私と同世代でしたら、完全にキノコ博士ですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月20日 (水) 08:46

こんにちは。キノコの名前を覚えたいと思っていますが、独学ではなかなか難しいですね。図鑑と見比べながら結局わからないことが多いです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年3月20日 (水) 08:51

★matsubaraさま

そうだったのですか。
私は全く初めて知ったわけですが、四手井淑子さんは遠縁で幼いころから知っていたとか。
2冊目に老年に達してから、家族との間でもかなり賑やかでいつも大声で喋っているということなど色々出てきます。破天荒だったのですね。
今西教授もそうだったのですか!

四手井さんは四手井教授と淑子さんのご長男ですか。お嬢さん二人のことしかほとんど書かれていませんが、ご長男は栄養失調で小さいころ大変だったようなことが書かれていました。それだけです。
体が弱くても今年102歳ですね。お元気に生きていらっしゃるのが信じられません。
いろいろありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月20日 (水) 09:14

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
キノコを見てすぐ名前がわかるまでになるには大変だと思うのですが、著者は中年になってからだそうですが、どのように学習していったのでしょうか。
本当にキノコは裏をのぞいたりしても全然わかりません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月20日 (水) 14:08

四手井ご夫婦の事は知りませんでしたが、昔は嫁に行った先で苛められた話しはよく耳にしますが
この四手井淑子氏のご主人が優しくて、何とか乗り切れたのでしょう。

キノコに対する情熱は歳には関係なく、101歳にもなられても今もその情熱は続いてる
世の中には凄い方が沢山いらっしゃいますね。

投稿: ラッシーママ | 2019年3月20日 (水) 21:30

★ラッシーママさま

つい私たちの上の年代までの嫁いじめの話は凄くて親の世代から聞いていますね。
大体が夫までが家長である場合は妻へのいたわりはありませんから、本当に何のために生まれてきたのか、家のために犠牲になっていました。

ママさんも凄いけれど、世の中は凄い方ばかりと感じたのは、結構年取ってからです。
奮起して私もと思うには年取りすぎてただただ感心するばかりです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月21日 (木) 08:22

私の友人で近年、京都に引越しした人がいますが
近所付き合いが中々に大変だとこぼしていました。
勿論、昔とはまるで違って今は浅く楽になったようですが
こちらのお気楽だった付き合いに比べて
ニコニコされてもどこまで本音なのだか分からないのだと。
地域性ってあるのですねえ。
それにしても凄い人ですね。

投稿: zooey | 2019年3月21日 (木) 21:20

★zooeyさま

ご友人も京都へですか。
やはり近所付き合いが大変なのは本当なのですね。
知人の知人のの場合、お嫁さんとして行ったので親が引き取りたいくらいだったそうです。
今にしてそうですから昔はさぞやですね。
四手井淑子さんはなかなかの人。体が弱いのに今年で102歳でお元気らしいということがまた驚きです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月22日 (金) 08:37

聞いたことのあるお名前です。
まさかそんなドラマがあろうとは!

投稿: 佐平次 | 2019年3月22日 (金) 09:52

山科の著者が「山師なの家」とあり不思議でした。
言葉遊びの一つでしょうか。
嫁入り先の壮絶な虐め、今ならさっさと実家に帰れば良いと言うでしょうね。
地方はまだ「女三界に家無し」が生きていたので、違和感が無いです。
違うのは死にそうになっても立ち上がる根性!
キノコに魅せられて菌の研究とは、なんと気高い方でしょう。

ヒマラヤユキノシタ、ご自宅にあるって素敵です(^^♪

投稿: だんだん | 2019年3月22日 (金) 12:33

★佐平治さま

四手井という名前はどこかで聞いたことがありましたが、淑子さんのことは知りませんでした。
大正生まれの特異な生き方をした人として感動しました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月22日 (金) 15:45

★だんだんさま

「山師なの家」・・・大間違い。今まで全然気が付かないで、顔から火が出る思いです。まあ、年がら年中なのですが。
ご指摘ありがとうございました。直しました。
当時はどんなことがあっても二度と家の敷居は跨いではならぬということで嫁に行ったのですね。
本当に死にそうになっても立ち上がる・・・ストレスから何度も血を吐いているのですが、自分は食べられないのに舅の食事を作るということが何度もあって、人ごとではありませんでした。私なら食べ物を見るのもいや、作りませんもの。
キノコってとても難しいですね。なんでもすぐわかってしまう、自分の発見したのまであるなんて驚いてしまいます。

ヒマラヤユキノシタは42年前から引っ越しでも持ち歩いていますが、全然株が増えないのは、へたなのか、呆れています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月22日 (金) 15:56

早くも2冊読まれましたか。私はこの頃集中力が続かず、本を1冊読み上げるのにえらく時間がかかるようになりました。「山師なの家」が記事のタイトルにもう一か所、、。

投稿: shikamasonjin | 2019年3月22日 (金) 23:50

★shikamasonjinさま

とても興味深く読みました。
ご紹介ありがとうございました。
ご指摘していただいた間違い、まったく恥ずかしい限りです。
だんだんひどくなってもっと注意深くしなくてはと反省です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月23日 (土) 08:15

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