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2019年3月26日 (火)

東京都薬用植物園にて

3/22東京都薬用植物園ではいろいろな花が咲いていました。


カタクリ
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ヒトリシズカ
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ウグイスカグラ
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シュンラン
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ヒゴスミレ
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チオノドグサ
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ユスラウメ
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アンズ
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アブラチャン
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コナラのドングリから発芽した赤ちゃん。教えてもらいに行った指導員の方も大変珍しいと言っていました。残念ながら育たないそうですが。
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『なぜ、江戸時代の庶民は時間に正確だったのか?』山田順子著(時代考証家)


また江戸の話です。
江戸の長屋は上下水道が完備していた。それで100年で当時世界一の人口100万都市になった。パリやロンドンは50万。セーヌ川やテームズ川の水を飲み、下水はなく糞尿を道路に階上の人まで投げ捨てていたというエピソードは有名だ。そのため疫病が常に流行っていた。
江戸は糞尿を農家が買って、運んでくれたのですから、こんな社会はなかったのです。
江戸では下水は最後は堀や川へ流れ込むが、吐き出し口に杭や柵を設けて、ごみが一緒に流れ込まないようにしていた。掃除や修繕は町内ごとに費用を出して人を雇い、下水道を維持していた。水の管理に江戸は相当お金をかけていた。
今みたいに便利でもなく、豊かでもなく、娯楽も少なく、病気になれば治らない場合が多かったけれども、それに天災、火事が多かったが、完全リサイクル社会だったのでごみはほとんど出なくて世界一清潔な町であった。
その火事が多かったので庶民はすぐ逃げられるように、一番の財産の布団はいつも包んであり、鍋釜も少ししかなく、すぐ持って逃げられるようになっていた。庶民は貧しくその日暮らし。ましてや江戸時代布団は高価で掛布団まで買えなかった。敷布団を半分に折って、その中に柏餅のように横になって寝ていたとか。そうすれば、掛布団はいらないし、土間と四畳半か六畳一間で4,5人暮らしなので面積が半分で済んでみんな寝られる。日本は綿の栽培が増えず、綿ではなく、まず布に織ることが優先だったから、布団がとても高価だったというわけだ。初期は着物の重ね着と蓆が布団代わりだった。後になっても掻い巻きを持っている人は少なかったようだ。あのすーすーした長屋でさぞ寒かったことでしょうに、辛抱強かったのです。


江戸時代のやくざは関東地方に多く、関西にはいなかったそうだ。生糸が原因で生糸を売って農家が現金を持つようになり、流行ったのが博打。胴元が必要で、金があって素行の悪い地元の顔役がなったなどのことが理由のようだ。


バカ殿様でも政治ができたシステムあり。
大奥は江戸の女性にとって憧れの就職先であった。
西郷隆盛は大の写真嫌いであの顔は亡くなったのちに描かれたもの。
新選組のあの衣装は20万円のオーダーメイドだった。
おかずが少なかったからか一日五合のご飯を食べていた。
時代劇の言葉は今に合わせている。本当は鎌倉時代は平家琵琶の語りのような会話であった。室町時代の言葉は能や狂言。江戸時代は歌舞伎の中で唄われる浄瑠璃や長唄だそうだ。などなど知らないことが多くて面白い。

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コメント

こんにちは。薬用植物園ではもうヒトリシズカが満開なのですね。陽当たりが良いのでしょうね。江戸時代の話は面白いですね。玉川上水を起点から四谷大木戸まで辿りましたが、あの時代に良くあんな土木工事ができたものだと感心するばかりです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年3月27日 (水) 08:30

★多摩NTの住人さま

こんにちは。早速にコメントありがとうございました。
薬用植物園の雑木林風の場所にヒトリシズカとカタクリ、そしてウグイスカグラが数本満開でした。
テレビの時代劇は考証はなされていますが、話し言葉は当時のでは現代人に受け入れられず、現代風にしているそうですね。話し言葉だけでなく、昔の古文書も全然読めません。
私は玉川上水は起点から三鷹までしか歩いていませんでした。その先、四谷大木戸まではいつになるでしょう。
杏の写真が間違えていましたのとミズナラの発芽を追加しましたので宜しくです。

投稿: tona | 2019年3月27日 (水) 09:11

東京都薬用植物園には入園したことがありません。
さすがに普段は見ることのない植物がありますね。
カタクリの花は愛知県豊田市の足助に群生地があるので
何度か出かけて写真を撮っています。
ヒゴスミレは白い花なのですか。
我が家に白いスミレが咲いていたことがあるのですが
まさか・・・違いますよねえ~
珍しい花が咲くわけがありません。

投稿: Saas-Feeの風 | 2019年3月27日 (水) 11:34

 3月もやがてお終い。桜の咲く時期となり、春らしい日和となりました。
 薬用植物園もいろいろな花が咲いていますね。知ってるものもあれば、知らないものもある。アンズの花は梅によく似ていますね。

 江戸の話。なるほどそうだったのですね。
長屋に上下水道が完備してたとは驚きです。

 コナラのどんぐりから発芽したのは前の林で見ましたよ。ちゃんと育って小さな木になってたのを見ましたよ。
 チヨノドクサも纏まるときれいですね。

投稿: 夢閑人 | 2019年3月27日 (水) 12:40

残念ながら東京都薬用植物園にはまだ行っていません。
今度上京しましても時間はないと思います。

カタクリは、名古屋の東山植物園で見ました。
遠い昔タキイ種苗から取り寄せたことが
ありますが、一年きりでダメでした。

江戸時代のことは放送大学の近世史で
学びましたが、合理的で驚いたことがあります。

京都と比較しますと微妙に違いました。

投稿: matsubara | 2019年3月27日 (水) 14:50

★Saas-Feeの風さま

西武拝島線の東大和市駅前にありますので家から近いです。
まだいろいろ咲いていました。種類が多いので何回も出かけてしまいます。今は4日ごとに花が変わっていくということです。
足助は足袋で有名ですか。香嵐渓に行ったときに通ったような気がします。
ヒゴスミレは一度買ったことがありますが、葉に特徴がありますね。コスモスの花の葉みたいです。弱いので消えてしまいました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月27日 (水) 19:24

★夢閑人さま

桜の満開のニュースが入ってきました。
都内でも随分ばらつきがあるので驚きました。
いよいよ春ですね。
この他にもたくさん花が咲いていました。
杏の花は桜より梅の花に似ていると思いました。きれいですね。

コナラの発芽をご覧になって育ったのを観察されたとは良かったですね。一度ずっと見てみたいものですが、残念ながらチャンスはありません。
江戸は世界一清潔だったのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月27日 (水) 19:41

★matsubaraさま

時間があったらよかったのですが。

名古屋の動植物園はこの間行く余裕がありませんでした。
カタクリがあるのですか。
我が家でも数年咲きましたが、消えてしまいました。

江戸の基礎を築いた徳川家康は凄かったと思います。リサイクルが特に優れていましたね。
現在を反省する規範になります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月27日 (水) 19:52

東京都薬用植物園の記事は去年も載せてましたよね。
tonaさんは毎年行ってるのでしょうか。
我が家の裏庭に黄色のカタクリ2,3本が毎年咲きますが、未だ芽も出してないような・・・
薄紫の」カタクリは個人のお宅で育てるのは難しいようです。

東京都薬用植物園はカタクリ・ヒトリシズカがもう咲いてましたか。
我が家の裏庭にもヒトリシズカやヒゴスミレ?はありますが、未だ咲いてませんので
日当たりが良いのでしょうかというより、日当たりが良過ぎたら枯れてしまうのでは・・・
春蘭は咲いてます。
アンズの花って綺麗ですね。

江戸の長屋は上下水道が完備していたとは凄かったですね。
下水道を維持していく為にお金を使っていたので、世界一綺麗な町だったのですね。
益々、日本人に生まれて良かったと思います。

投稿: ラッシーママ | 2019年3月27日 (水) 20:51

★ラッシーママさま

そうなのです。家から近いので何度も行っています。
種類が多いのでいつ行っても花に巡り会えます。
カタクリは満開でした。指導員の方によりますと、カタクリは毎年咲かないそうで3年に1回。ですから今年はここ、来年はあちらというように咲くらしいです。
ヒゴスミレは私も買ったことがるのですが、すぐ消えてしまいました。難しいです。
前半部分の花はコナラやシデなど落葉樹の下に咲いていました。日を浴びていると思います。

杏は美しいですね!
江戸時代も大したものです。
その子孫の私たち、その心意気を忘れないで生まれたことに感謝して生きていきたいですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月27日 (水) 21:09

こんばんは、仙台ならお晩です!。tonaさんはパソコンの更新やココログのリニューアルにもめげず、サクサクと記事を作成されているので感心します。私は大苦戦、旅行記が書けません。ココログは改悪ですね、ユーザーファーストでやってもらいたいものです。薬用植物園のカタクリやシュンランを見て美味しそうなどと思ってはダメですね。東北の山野では山菜として利用しています。

投稿: shikamasonjin | 2019年3月27日 (水) 22:55

褌を質から受けだすという落語があります(蛙茶番)が、ほんとに褌が質草になったそうです。

投稿: 佐平次 | 2019年3月28日 (木) 10:05

カタクリの花を見ると6~7年前に行った新潟県の「角田山」を思い出します。
カタクリと雪割草のお花が登山道までにもあふれて咲いていました。
桜も東京は桜も満開になり、春爛漫の季節がやってきましたね。

江戸の町は100万人の人口で世界一の都市だったのですね。
そして庶民の一番の財産は布団!とは知りませんでした。
15年位前に「深川江戸資料館」に行ったの思い出しました。
江戸の町が再現され、庶民の生活も見ることができました。
「江戸はまさにエコの町!」と実感したのを覚えています。
又機会があったら行ってみたい所です。

投稿: nao♪ | 2019年3月28日 (木) 23:39

★ shikamasonjin さま

そうなのです。一度に2つも大変になって、半日くらいかじりつきのこともありました。
本当に改悪そのものですね。
実は娘にちょっと来てもらって、パソコンが変わって、写真の処理などを教えてもらったのです。
でもまだ中央寄せなどいろいろできなくてこれから試行錯誤です。

カタクリは食べられると聞いていましたがシュンランもなのですか。
東北の民宿(岩手山や田沢湖付近)でたっぷり食べさせてもらいましたが、その中のメニューにはありませんでした。いつも春になるとあの東北の民宿で食べさせていただきたいと思うのです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月29日 (金) 08:15

★佐平治さま

褌が質草ですか!今では考えられない質草です。
そういえば褌の種類が2つ書いてありました。お祭りのときにTVで垣間見たきりでどんな風にするのかわかりません。
お相撲さんのはどうして崩れないのだろうかと思ったりして見ています。今の子は褌を知らないのでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月29日 (金) 08:20

★nao♪さま

私も新潟の山、六万騎山では大感動でした。
イワウチワもきれいでした。
もう一次行きたい山です。
角田山というのもあるのですね。
今年は桜はあっという間に満開になりましたね。
都心より我が他の方はまだちょっと遅いですが、桜を見ると嬉しくなりますね。

「深川江戸資料館」もいいですね。
まさしくエコの町江戸。その工夫が貧しさの上に成り立っていることも事実ですが、素晴らしいエコぶりです。私たちは逆戻りできないですが、地球が壊れつつある今後、良い手本があるわけです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月29日 (金) 08:32

山野草がもう咲きましたか。
カタクリはtonaさんと同じく六万騎山で、イワウチワも可憐でしたね♪
樋曽山、弥彦山はユキワリソウ、ユキワリイチゲ、白花カタクリなども、忘れられません。
一念発起で車で、雪割草街道へ行きましょうか!
アブラチャンとダンコウバイの違いに、いつも迷ってしまいます。
薬用植物園は、主にケンポナシとヤマモモの頃に行くのがが多いかな~

山田氏の書物、よくこういうの読まれますね。
江戸時代のことは、こちらで勉強になります。
下水も交代でゴミ除去して、ろ過してるとは大した時代です。
現代は江戸からの智恵を授かってるのですね。

投稿: だんだん | 2019年3月29日 (金) 12:35

★だんだんさま

咲いていましたよ。この頃は4日に一度来ないと次々変わると指導員に言われました。
いくら近いとはいえ、すぐ近所ではないと通えないわ。
弥彦山はハマナスの咲く頃にしか行っていません。樋曽山は初めて聞く山です。本当に知っているのは0.0001%くらいね。
>一念発起で車で、雪割草街道へ行きましょうか!・・・・いいですね!元気になってきたので来年あたりでしょうか。是非!東北だと5月連休後ですね。その気になってしまってごめんなさい。

私もアブラチャンとダンコウバイの区別がつかないのですよ。
おまけにケンポナシのこ頃に行っておりません。何たること。

街道歩きをしているので少しは江戸のこともと読んだら知らないこと多すぎでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年3月29日 (金) 16:45

江戸が清潔な都市だったということは有名な話のようですね。
欧州でハイヒールが流行ったのは、汚物を踏まないためといわれるくらいですものね。
日本人として誇らしく思います。
ところで
「なぜ、江戸時代の庶民は時間に正確だったのか?」という表題に対する答えは、何だったのでしょうか?

投稿: zooey | 2019年4月 1日 (月) 19:08

★zooeyさま

遅くなってすみませんでした。
欧州のハイヒールの起源意外でした。
あの歩きにくい石畳をかかとの細くて高い靴でさっそうと嵌まらないで歩いている人を見て感動したことがありました。

「なぜ、江戸時代の庶民は時間に正確だったのか?」・・・ですが答えが明確に書いてありませんでした。その項目で時の鐘が1,2時間おきに鳴るのでそれを合図に行動したようなことだったと思うくらいで、本の表題は何なのか?と不満でありました。
しかし時計のない時代は体内時計が発達していたのでしょうね。何分という感覚はなく30分とか1時間という単位で行動していたのではと思いました。
ただ芝居とか幕府に登城とか正確を要求されるところはあったとは思いますが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月 3日 (水) 09:27

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