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2019年4月27日 (土)

東海道33 石部~草津宿~瀬田(前編)

4/18(木)に全回と同じ新幹線6:16発、京都に8:26着。草津で草津線に乗り換えて、石部駅着9:40着。45分過ぎに歩き始める。
今日も富士山も見えてのご機嫌の出発気分。
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◆石部~草津宿
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石部駅前の公園には説明板があり、ポケットパークである。ここは石部宿の西なので西縄手というが、説明によると縄手とは立場から立場の道のことを言うという。普通は田の中のあぜ道、あるいは真っすぐな長い道のことを言うのだが。
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草津線に沿って行くと栗東市に入る。
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右手に近江富士の三上山(432m)がよく見える。藤原秀郷(俵藤太)による大ムカデ退治伝説が残る山だ。 
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徳生寺には鎌倉時代の宝篋印塔がある。塔身や基壇には彫りこみがあり大和の影響が伺われるということだが、宝篋印塔のについても不勉強でまだまだです。
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この地蔵の持ち主の人によると、信長が安土城の土台にしようとしたのを救い出したものだそうで、そんな地蔵様がたくさんいるとのこと。
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この近辺は野洲川ダムから引かれた水路がたくさんあって、水がとてもきれい。三上山の美しい姿を再度撮影。
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栗東市のマンホールは、市の花キンセンカと市の木のカイヅカイブキ、市の鳥メジロが描かれている。
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六地蔵尊村に入り、木造地蔵菩薩立像を見る。行基が全国に安置した六躯のうちの一つという。平安時代になります。
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古い立派な家は重文で、旧和中散本舗(大角家)である。和中散は家康が腹痛をおこしたとき献上され、すぐに治ったことから直々付けられた名前という。ケンペルやシーボルトも立ち寄り薬を求めたそうだ。奥にある庭は小堀遠州作で国の指定名勝だが事前申し込み制だ。
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向かいは大角家住宅隠居所で、本屋が本陣として使用されている間、家族の住居に当てられた建物だ。
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六地蔵一里塚。118里目。
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このあたりの家々にも屋号札が掛けられている。今も営業するふとん店があったが「綿屋」の屋号札がかかっている。
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国の有形登録文化財に指定されている里内呉服店。
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同じく国の有形登録文化財の手原醤油店。
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手原稲荷神社到着。この東海道歩きでは、唯一お昼を食べる飲食店が見つからなかった処で、家でお弁当を作って持ってきた。
明治天皇御小休所碑と「手ハラベンチ」という手の形をした石があった。どうも座ってはいけない感じだ。
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この神社の奥になぜかSLが置いてあった。かつて奈良線、草津線を走っていたD51だ。手原駅開業50周年記念に町に貸与されたらしい。
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菜飯と豆腐田楽を出していた「すずめ茶屋跡地」。雀をあしらった「目印雀」の紋を使用していた。
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県道を越えると堤が見えてきた。葉山川の調整池の上鈎池(かみまがりいけ)で土手を登ったところにある。
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土手に九代将軍足利義尚公鈎の陣所ゆかりの地碑がある。幕府に反抗する六角高頼を討伐する為この地に着陣したが、連日酒宴、遊興にふけり、25歳でこの地で病没し、鈎の陣も終焉を迎えた。
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善性寺は、シーボルトが寄った寺だそうだ。植物学者として知られている僧恵教のもとを訪ね、シーボルトにとっては珍しいスイレン、ウド、モクタチバナ、カエデなどを見物したと日記に記す。
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この日もお地蔵様をたくさん写してきたが、このあたりでまた1枚。
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目川の瓢箪を軒先にぶら下げ展示販売している。ここは明治期まで瓢箪の名産地だった。
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119里目の一里塚を過ぎ、かたつむ邸で一休み。民家が提供してくださっているのか、ありがたい。
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田楽発祥の碑と領界石(従是西膳所領)。目川地区には3軒の田楽茶屋「旧伊勢屋跡」と「古志ま屋跡」と「京いせや跡」が石碑として残っている。
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次回寄り道する膳所城跡の大手門が移築されている。膳所城は天下普請第一号の徳川家の城である。
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10年ほど前に建てられたという、領界石(従是東膳所領)の先に史跡老牛馬養生所趾碑がある。
庄屋の岸岡長右衛門が、老廃牛馬の打ちはぎの様子を見て、その残酷さに驚き、これから老牛馬であっても息のある間は打ちはぎをすることを止めるよう呼びかけ、天保12年(1841)4月老牛馬の余生を静かに過ごさせる養生所を設立し、県下の老牛馬を広く収容したという。心優しい庄屋さんがいたのです。
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その先で栗東市から草津市へと入った。この日3つめの市。
うばがもちやで、家康や芭蕉も食べたという「うばがもち」を買う。伊勢の「赤福」や三嶋大社の「福太郎餅」を思いおこす味で美味しい。
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続く

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コメント

富士山が何度も見られてよろしいですね。
晴れていてもあの山だけが雲に隠れる場合も
ありますのに・・・

スピードがある新幹線から撮るのは何度
チャレンジしても難しいのに、うまくいき
ましたね。

このあたりは近江富士しか全く未知のところです。
それに近江富士は見る角度で微妙に形が
違います。

田楽発祥地のことは初耳です。

宝篋印塔の形式も古くて味わい深いです。

投稿: matsubara | 2019年4月28日 (日) 08:06

天気もよく、何となくのびやかな感じのする旅でしたね。
あちこちの表示の字などもちょっとユーモラスで楽しい。
瓢箪の下の牛と馬はなんですか。
打ちハギを免れた牛馬の記念?

投稿: 佐平次 | 2019年4月28日 (日) 10:09

tonaさん、おはようございます♪
いよいよゴールが近づいてきましたね。
東海道歩き旅、今回を含めて何回歩いたことになるのでしょう?
私は53次なので、53回ぐらい宿泊しなければ辿り着かないと
思っていたのですが、それよりはずっと少ないのではないでしょうか。
tonaさんの健脚ぶりには感心するばかりです。 

新幹線の中からの富士山、山頂からすそ野まで綺麗に見られましたね。
どの辺から撮られたのでしょうか?
草津と聞くと、すぐに群馬県の草津を思い浮かべますが、
近畿では滋賀県なのですね。電車の色がグリーン一色というのも珍しいです。
仏像に由来する地名があること、初めて知りました。
和中散という漢方は聞いたことがあるような・・・
この地が発祥の地だったのですね。
古い商家の建物も多く残っていて見所が多かったですね。

投稿: hiro | 2019年4月28日 (日) 10:22

今回も朝早い出立で、所ジョージの遠距離通勤の人みたいに通勤できそうですね。
早朝から富士山が観えるなんて先立ちが良かったですね。
旅行先では、その土地の名前を付けた「〇〇富士」をよく見掛けます。

旧和中散本舗(大角家)の名前、初めて聴きました。
有形登録文化財に指定されてる建物が沢山あるのですね。

滋賀県栗東市が田楽の発祥の地でしたか。
今回も最後は甘い「うばがもち」を食べて元気を取り戻したようですね。


投稿: ラッシーママ | 2019年4月28日 (日) 11:15

未知の土地で草津の名が出て、少しホッとしました(^^;
お店が無いのを見越して、事前にお弁当の用意されてさすがです。
三上山は登れそうな標高ですね。
鳥取の大山も伯耆富士と呼ばれますが、ガレ場の百名山で大変でした。
持ち去られそうな石を守って、後世まで地蔵様があるんですね。
重文の薬屋は、きっと庭園も素晴らしいでしょう。
九代将軍のお話は、思い当たること多いです。
かくいう実家の祖先も(偉く無いけど)吞み潰して亡父が立ち直したとか。
田舎は現在も苗字が同じで、屋号なしで暮らせません。

これはお餅ですか、それとも饅頭?

投稿: だんだん | 2019年4月28日 (日) 15:16

★matsubaraさま

春ですから富士山は霞むのですが、こんな日もあるのですね。見える時期は新幹線に乗る楽しみの一つです。
近江富士は電車からも歩く道からもこちら側しか見てないですが、向こう側からも見てみたいですね。
田楽発祥ってなぜか名古屋かと思っていました。
宝篋印塔、今までぼーと見ていました。
彫り物もあるのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月28日 (日) 16:25

★佐平次さま

なるほど字をじっと眺める佐平次さん、勉強になりました。
ビニールをかぶった瓢箪下の牛馬は意味が分かりません。どんな理由で飾ってあるのでしょうね。
そういうことも人がいたら尋ねてみるべきですね。そうそう、滋賀県に入ってからもほとんど人を見かけないところが多いです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月28日 (日) 16:29

★hiroさま

こんにちは♪
昔の人は泊まって歩き詰めで15日間だったそうです。川が氾濫するともっと長くかかったようですが。
日帰りなのでかなり回数は多いです。友人は夜行バスを使い翌日1泊して20回で終わったそうです。勿論静岡県に入って半ばごろからだそうですが。
重複を引きますと私の場合は京都着まで34回になります。
富士山は工場のある吉原あたりから富士川の橋を渡るあたりがよく見えます。あと小田原駅の手前と三島駅です。これはあっという間で通り過ぎ難しいですが。
関西に行くと電車の色が茶色や緑、赤などあって、首都圏のアルミやステンレスのような色が入ったのを見慣れていますので、違っていて楽しいです。
六地蔵村ですね。面白いですよね。
和中散本舗、私もどこかで聞いたことがあります。家康と関係があったとは。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月28日 (日) 16:42

★ラッシーママさま

普段は夜そんなに早く寝ないので、前日夜早くは眠くなくて睡眠不足気味になります。
〇〇富士は岩木山や北海道の羊蹄山や駒ケ岳などが浮かんできますが、ここの近江富士はかわいらしいです。こぶもついていて。
有形登録文化財に指定とか重要文化財指定とかいろいろあって勉強が足りません。
国宝っていうのは凄いことなんですね。

そうなんです。途中でお饅頭やあんころ餅を食べると元気になります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月28日 (日) 16:50

★だんだんさま

そう、三上山、登りたいですね。まあ、そこにたどり着くまでが大変で登るころ疲れてしまいそうですが。
伯耆富士には当然ながら登っていらっしゃいますね。ガレ場が多いですか。大変そうですね。
若いうちに登りたかったわ。
安土城跡の石垣を見に行きたいです。引っこ抜いたお地蔵様が使われているようですので。石の確保が大変だったのですね。

重文の庭園見たかったです。でも寄り道が多かったりすると帰れなくなるので取捨選択しています。
九代将軍、まあいろいろ大変な将軍でありました。こんなところで碑に出会うとは思いがけないことでした。
なるほど屋号はそういう意味でもあったのですね。
餡の中は餅ですよ~。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月28日 (日) 16:59

こんにちは。お弁当持参とは用意周到でしたね。シーボルトゆかりのお寺があるのですね。興味深いです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年4月29日 (月) 18:30

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
娘がお店まで検索してくれるので、また務めているので、せめて私が作らなくてはと前日に作り4:50分頃家を出ました。
シーボルトは日本の植物をオランダにたくさん持ち帰ったようですが、東海道中でも有名な植物く詳しいお坊さんを訪ねて勉強していたのですね。その好奇心には驚きます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月29日 (月) 21:24

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