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2019年4月15日 (月)

東海道32 水口宿~石部宿(前編)

滋賀県は日本一お寺の多い県だそうで、東海道沿いにも実にお寺が多かった。今まで京都が一番多いと思っていたが、大きな有名寺が多いからそう思い込んでいたわけです。
土山はお茶でしたが、水口の名産はかんぴょうで、広重の絵にも剥いて干しているところが描かれます。ただし、現在は栃木県が全国の98%を占めるが、そのルーツが水口ということだ。それというのも、水口城主だった鳥居忠英が下野の壬生城主に転封となり水口からユウガオの種子を取り寄せ、栽培させたからである。
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4/2(火)前回と同じ電車に乗り、貴生川に着き、前回最後に乗った近江鉄道は待ち合わせが長いのでやめ、前回と同じ土山方面に行くバスに乗り新水口のバス停に下りたのが10:17で前回より30分早く歩き始めた。
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水口宿(50番目の宿)の続き

前回は三筋のうち中の道を通ったが今回はバスを降りて、前回の大岡寺の前を過ぎて北の道を歩く。
水口小学校内の旧水口図書館は、メンソレータムの近江兄弟社を興したヴォーリズ設計の建物。近江八幡にたくさん建築物があるようで行ってみたい。
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地蔵堂があって数えてみたら37体もあった 
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家康と関係の深い大徳寺に寄る。寺紋は徳川家の定紋の立ち葵である。
家康の腰掛石。関ヶ原の戦い上洛のおりに使用した石だそうだ。
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甲賀騒動義民を弔う五輪塔。
天保13年(1842)幕府の検地に反対した甲賀野洲粟田の農民一万余人は一揆を起こした。指導者11名は江戸に送られ処刑された。
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やがて三筋の道は合流する。ここにもまたからくり時計がある。
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「いしばし」の奥が近江鉄道の水口石橋駅で前回帰りに乗った駅、振出しに戻る。
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甲賀市ひとまち街道交流館では曳山を見せていただいた。4/20のお祭りでは、たくさんある曳山のうち交替で数台しか出ない。
それは、ひき手が減少しているからだそうだ。ちなみに曳山は地方によっては呼び方が違って屋台や山車とも言う。
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まだまだ続く、ちょんまげや忍者の飛び出し坊や 
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4/2まだ桜は1分咲きにもなっていなかったが彼岸桜は満開だった
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水口城址へ 
復元された櫓が資料館になっている。家光上洛時の1回のために二条城を模した豪華な御殿が築かれた。その後城番が管理する「番城」となり、賤ケ岳七本槍の加藤嘉明の孫の明友が入場。3代目が鳥居忠英であとはまた12代まで加藤家であった。3代目が栃木にかんぴょうを伝えたわけである。
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資料館にはかんぴょう細工が飾ってあった
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昼食は谷野食堂でうどんを食べたが撮り忘れ、午後の部を歩き始めると、角に浮世絵師の国芳が錦絵の題にとっている水口石(力石)がある。
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百軒長屋跡を過ぎると真徳寺の表門が。水口城の家臣の長屋門を移築したもの。
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五十鈴神社の鳥居のしめ縄には絵馬が3つかかっていて珍しい。
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この神社の角に113里目の一里塚跡がある。ここが水口宿の西見附だ。
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◆水口宿から~石部宿
 
西見附を出るとどこまでもまっすぐな道が続いているが、北脇縄手という。縄手(畷)とは田の中の道の意味だそうだ。今はないが昔は両側の土手にずっと松並木が続いていたそうで旅人が木陰で旅の疲れを癒した。地図で見ると2.5kmくらい真っすぐだ。麦畑になっていた。
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途中には地蔵があり、お花が飾られ、屋根がついているものや、水路に張り出しているのもある。
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柏木公民館の前に櫓のモニュメントがあって小窓を開けると、広重の五十三次の絵のかんぴょうを剥いて干している人形が回転していて、絵を描く広重もいる
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長い縄手が終わったあたりにある泉福寺には、国の重要文化財の延命地蔵尊があるが勿論見られない。その代わり大樹のクスとカヤがある。見えるのはクス。(生命会社にもこの名が使われるようになった)。東海道でもどれだけ大樹を見たことか!私のずっと後の年代まで見続けるのですね。頑張って生きててという気持ちです。
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ここにも数えきれないほどの地蔵様。滋賀県の東海道=地蔵様とインプットされた。
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続く

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コメント

tonaさん、こんばんは~♪
滋賀県にはツアーで伊吹山や彦根城、近江八幡、長浜、
比叡山延暦寺などに行ったことがありますが、
まだまだ行きたいところは沢山あります。
水口の名産はかんぴょうだそうですが、そういう話は
よく聞きますね。秋田県に美人が多いのは、
常陸の国を治めていた殿様が国替えで秋田へ移るときに、
周りにいた美人女性をすべておともに連れて行ってしまったとか・・・
甲賀市には行ったことがありませんが、大徳寺やなど、見所が多いですね。
曳山もたくさんの彫刻が施されていて立派ですね。
京都の祇園祭の曳山は動く美術館館とか言われていますが、
こちらも全部出るようになったら素晴らしいでしょうね。
石部宿はのどかな田舎町、といった感じですが、
これからが本番なのでしょうね。楽しみにしています。

投稿: hiro | 2019年4月15日 (月) 18:09

★hiroさま

こんばんは♪
早速にコメントありがとうございます。
滋賀県のツアーは琵琶湖の周りの一部や竹生島に行っておりません。近江八幡も長浜も。
今とても行きたいところの一つです。

秋田美人のお話知りませんでした。やはり理由があったのですね。
甲賀市ではあと、忍者の里や信楽焼、ミホ美術館など色々あるのですが一日がかりですので無理です。
京都の祇園祭はテレビでしか見たことがありませんが、実に気宇壮大ですね。
水口の町ではひき手が不足ということで考えさせられました。
この後足を踏み入れた石部宿は昔の面影がほとんどない静かな宿でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月15日 (月) 19:19

こんばんは(^o^)/!
東海道歩き、今回は土山から水口へお疲れ様でした。
土山宿同様、水口宿も近くを通ったことはあるものの立ち寄ったことはありませんでした。
あと半月で新たな時代に変わる今、古い建物やお地蔵様など・・・いつまでも大切に残してほしいと思います。

投稿: 慕辺未行 | 2019年4月15日 (月) 23:14

水口がかんぴょうの元祖だとは知りませんでした。
まだまだ滋賀県も知らないところばかりです。
先日近江鉄道に乗りましたが、確かに本数は
少ないです。多賀大社に行ったときが、
初めてでした。線路にぼうぼうの草が生えて
いかにもローカルっぽい鉄道でした。

屋台、山車、曳山は同じものを指すのですね。

投稿: matsubara | 2019年4月16日 (火) 08:25

こんにちは。滋賀県はさほど面積が広くないのにお寺が多いとは驚きです。近江兄弟社のメンソレータムは子供の頃からお世話になっています。とても興味深い記事でした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年4月16日 (火) 08:59

★慕辺未行さま

おはようございます。
滋賀県の甲賀市は東海道でも歩かない限り、とても行けないところですね。
でもそちらに住まわれると通ることがおありなのですね。
もう顔の彫りが殆どなくなってしまったお地蔵様、お花が飾られ大切にされているのがここでは特に感じました。西欧のマリア様がひっそりとお参りされているのと同じかと思いました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月16日 (火) 10:03

★matsubaraさま

多賀大社は近江鉄道だったのですね。
短い編成の青や黄緑色の車体を写真に収めました。
たった二駅でしたが乗ることができ、今まで乗ったことのない電車に名古屋あたりから乗ることができて、これも収穫でした。

山車や曳山はどこが違うのかと調べたら同義語でした。細かい解釈はまたあるのかもしれませんが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月16日 (火) 10:10

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
琵琶湖がかなりの部分を占める滋賀県にそんなにお寺があるのかと信じられませんでしたが、この通り沿いだけでも、次から次へとお寺があるので、なるほどもっと別の道にもそして北部などにまであるのだと思いました。
我が家にもずっとメンソレータムがありますが、ヴォーリズの奥さんが日本人でその方の伝記で初めて近江八幡の兄弟社のことなど知りました。二足の草鞋だったのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月16日 (火) 10:16

かんぴょうは栃木、お寺は京都が一番と思っていました。
 かんぴょうにはそんな由来があったのですね。
お寺は滋賀県が一番多いとは、これまたはじめて知りました。また知識が増えました。

 ところで田舎に行くとどうしてあんなにお地蔵さんが多いのでしょう?
私の田舎にもたくさんあります。その土地土地の人がお花を供え、管理してます。
 願いを込めて地蔵さんを置いたのでしょうね。いろいろなものが沢山あります。
日本の田舎の古き良き伝統文化ですね。

 神社、仏閣のある所には大樹があり、それを神仏化する。あるだけで何か箔がつきますね。
 某生命保険会社が改名したのも何かを願って
変えたのでしょうね。

投稿: 夢閑人 | 2019年4月16日 (火) 13:03

こんにちは

滋賀県というと、しばらく前に亡くなった伯母が、親戚の方の
お誘いで何度も長浜を訪れていたのを思い出しました。
どんなところで何があるところか、ついぞ聞きそびれましたが。
東海道は長浜は通っていませんね。
滋賀県はそんなにお寺が多いのですね。何か理由がありそうですね。
古そうなお地蔵さんも多く、曳山も立派。現代は変わりつつある
でしょうけれど、かっての暮らしや信心の様子が見えるような
気がしました。
 
かんぴょうといえば栃木と思っていましたが、ルーツは滋賀県の
水口だったとは。転封先でしっかり根付いたのですね。
ひょうたんの細工物は見たことがありますが、かんぴょうのは
初めて見ました。

投稿: ポージィ | 2019年4月16日 (火) 16:37

★夢閑人さま

水口がかんぴょうで有名で、広重の絵にも描かれているということで驚いたのですが、ここから伝わった栃木県が全国のほとんどを生産しているということが、こんなことからだったのですね。
確かにお寺が多かったのをこの道で知りました。

お地蔵さまも多い県だなあと思いました。
ここらのは赤い帽子はかぶっていませんが、赤い涎掛けがかけられ、お花がどこにも飾られています。皆さんが管理しているのですね。

大樹は神社ではご神木としてしめ縄が張られていますね。お寺にはそういうことはありませんがそのような存在ですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月16日 (火) 19:23

★ポージィさま

こんばんは。
長浜も近江八幡と同じく行きたいところです。琵琶湖の周辺ではまだ行ってないところが多いです。
東海道では瀬田唐橋や石山寺や三井寺が寄り道すれば行けますが全部行っていると京都になかなか着けないですね。1回余計に行くことにします。
お地蔵さまは自分の子供が元気に育つようにとずっと信仰の対象としてこの沿道でも大切に守られてきたのでしょうね。
現代でも引き継がれているのがよくわかります。

かんぴょうのルーツが滋賀県水口というのは初めて知りました。広重が絵に描くくらいですから、当時はたくさん生産されていたのでしょうね。
ユウガオの実はずいぶん大きいのですね。瓢箪と間違えそうでした。広重の絵では女性が上手に剥いているのを見ることができました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月16日 (火) 19:37

私は栃木生まれでかんぴょうは日本一と思ってましたが、水口城主だった鳥居忠英がかんぴょうを栃木に伝えたのですね。

こちらから滋賀県は遠いのですが、3年前に伊吹山・彦根・長浜などに行って来ましたが
tonaさんは歩いての行動ですから車や電車と違って色々なものが詳しく観察できますね。

地方に行くと地蔵さんが沢山あって、よく帽子とか涎掛けとか作って敬ってますね。
柏木公民館の前に櫓のモニュメント、かんぴょうを剥いて干している人形が回転していて、絵を描く広重もいる
面白そう、見てみたいわ。

投稿: ラッシーママ | 2019年4月16日 (火) 19:46

★ラッシーママさま

栃木生まれでしたっけ。
ずっと東京だと思い込んでいましたが、5年生の時、転校と書かれていましたね。
滋賀県と栃木県のかんぴょうの関係の話は全く知りませんでしたので、驚きました。そんなことで昔作っていた作物が逆転することがあって、もし転封なんてなかったらどうなっていたでしょう。歴史にもしは禁物ですが、想像するのは面白いですね。
伊吹山は上でお花を見ましたし、彦根城を¥も見学しましたが、長浜は行っていませんので行きたいです。
櫓のモニュメントは本当によく出来ていて、窓を開けると電気がついて回り出すのですよ。とても楽しい仕掛けでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月16日 (火) 21:40

乗り物を臨機応変に乗り換えて、しかも丁寧な取材されて素晴らしい!
昔はここが干瓢の本場ですか、それにちなむ事柄が多いこと。
巻き寿司に欠かせないけど、干瓢が面倒でと言った友だちを想い出します。
水に浸けてすぐ柔らかくなるのに、それが邪魔くさいから買うそうです!
二条城を模した櫓が美しいです。お城があれば百軒長屋がありますよね。
松江城のお堀にも、塩見縄手があります。
田舎では縄手と言えば畦道なので、そのまま呼んでいるんですね。
からくり時計は、地方の方に多い気がします。
地蔵さまは大好き。沢山逢えて良いですね♪


投稿: だんだん | 2019年4月17日 (水) 12:27

★だんだんさま

乗り物検索など私がやるわけでないので恥ずかしいです。事前の予習だけなのです。着いた頃にはその予習した内容もころりと忘れていますからいやになります。

干瓢は高いというか高くなりましたね。
巻きずしの回数が減った:とみみっちい話ですみません。確かに栃木産と書いてありますね。ですから水口が江戸時代には干瓢の産地とは歩かなかったら知らなかったです。
松江城のところの塩見縄手を覚えておきましょう。行くかどうかわからないですが。
なるほど、からくり時計はこちらでは見かけませんね。元干瓢の水口、からくり時計の水口と認識しました。
お地蔵様お好きですか。一生分見たような感じでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月17日 (水) 13:07

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