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2019年4月19日 (金)

東海道32 水口宿~石部宿(後編)

  ブログを投稿しているココログがメンテナンスをした結果、前回は縦長の写真が横になったりなどいろいろアクシデント続きで閉口しました。
懲りてなるべく縦長の写真は撮らないと決めていたが、それがなかなか街道写真では難しく、もうココログはいい加減に直ったのではないのと勝手に解釈して撮り続けたら、1回の街道歩きで200枚近くも調子に乗って撮っておりました。呆れたものです。おまけに7から10に代わり、パソコンも新しくなり、やり方に慣れなくて困ったものです。

水口宿から~石部宿の続き

長い長い縄手が終わって大きなクスやカヤの根元で休んだ続きです。
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泉川を渡った先に114里目の泉の一里塚跡がある
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野洲川が見えなくなって久しいが、東海道13の渡しの一つの横田の渡しにやってきた。今は渡しはなくなって、この先、湖南市に入ってから横田橋で野洲川を渡ることになる。

冠木門が見え、大きな常夜燈が現れる。
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横田の渡しの常夜燈(1822年)は旅人の目印として重要な役割を果たす。万人講中の寄進によって建てられてもので、10.5mの高さがあり、道中でも最大級。
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野洲川ははるか鈴鹿山脈から流れてくるが、今は水が少ないのかもしれない。
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橋を渡った突き当りはJR三雲駅で、左折して少し川の上流に戻ると対岸のこちらにも常夜燈がある。水口側より50年も古いそうで、以前は200m上流に建っていたそうだ。湖南市に入ってから案内板は石部宿として説明されている。
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その先に新海道の道標がある(三雲から別れて伊勢・伊賀へ続く杣海道)。
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さらに登っていくと天保義民之碑がある。大徳寺にあったのは供養塔でこれは慰霊碑だ。
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萬里小路藤房卿墓所を通り過ぎると3つ古い道標が建っている。「立志神社」「萬里小路藤房卿古跡」「田川ぶどう道」だ。藤房郷は後醍醐天皇の側近で、平重盛・楠木正成とともに日本三忠臣とのこと。また知らなかった人が出てきた。
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三雲踏切で線路を渡ると、左の山に大きな岩・八丈岩が見えてきた。猿飛佐助の修行の場とも言われ、落ちそうで落ちない大きな岩で、、受験生が合格祈願に訪れるという。さらに上には「三雲城跡」があるとのこと。
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またお地蔵様。造花だが飲み物やローソク立て、線香立てまで揃っている。
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こうした「おもてなし処」が他にもあって、いい所です!
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第一の天井川の「大沙川隧道」が見えてきた
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登ってみたが水は流れていなかった
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樹高26mで樹齢750年の弘法杉があって、弘法大師に由来するらしい。
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夏見の115里目の一里塚を過ぎると、二つめの天井川「由良谷川隧道」が見える。天井川をやめて下に通す工事中だった。
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3つめの隧道「家棟川隧道」の扁額の説明板では1979年になくなったそうだ。
「うつくしの松自生地」は国指定天然記念物で写真によれば樹形が美しい。残念ながら見に行かれなかったが、松の好きな方にはお薦め。

高木陣屋跡の説明版を通り過ぎ、八島地蔵堂を小さな隙間から覗いてみる。良弁僧正が彫られたという約400年前の地蔵様。
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石部宿(51番目の宿)水口宿から13.7km 日本橋から約457km 本陣2軒、脇本陣なし、旅籠32軒。

東見附跡に到着
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吉姫神社 
入口左にお地蔵様、顔が白く塗られて描かれている 
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とても格式高そうで、一の鳥居のあと二の鳥居があり、幣殿、本殿と続く。かまどの跡もありその一つに羽釜がのっていた。
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湖南市のマンホール  市の花「サツキ」と「東海道石部宿歴史民俗資料館」がデザインされている。
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石部城跡の石垣が100m南に残っているそうだが、織田氏にやられ石部氏が城主だったのはたった40年間だった。ここは高札場跡でもあった。
石部宿には殆ど何も残っていないが、金属製の説明版でいろいろ説明されている。安眠米倉庫の説明板もあった。向かいには問屋場跡の説明板あり。ここはポケットパークになっている。
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三大寺本陣跡の先におやすみ処の「いしべ宿駅」があり4時過ぎていたので閉まっていた。囲炉裏もあるとのこと。そのすぐ先に2軒目の小島本陣跡がある。脇に明治天皇聖跡碑も立つ。
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真明寺には芭蕉が「野ざらし紀行」の中で石部宿を詠んだ句碑が立つ。
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枡形の角に田楽茶屋がある。広重が描いた「目川の里」の田楽茶屋を再現したものだ。
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石部宿の東の端にあった吉姫神社の対になる神社で、造りはそっくりの西の端の吉御子神社へ寄る。
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谷口長栄堂で銘菓「石部太鼓」(最中)を買う。
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117里目の一里塚跡があり、そこはもう西見附跡だ。
街道の正面に近江富士の三上山が見えていた。
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JR石部駅に到着。京都駅には6時過ぎに着き。18:56の新幹線に乗り込み、この日は「京都牛タン弁当」が夕食。昼も夜も偏ったおかずだが、まあ一日くらいいいでしょう。
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東京駅21:13着で10時半帰宅。39600歩でした。
距離的にはあと2回で京都に着きそうですが、三井寺など色々寄りたいのであと3回にし、最終日は京都のどこかに寄ろうと計画しています。

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コメント

こんばんは
 
東海道歩きは、毎回やはり相当の距離を歩かれますね。
 
この辺りは、ほんとうに何も知らない地域だなぁと改めて
実感しながら拝見しました。地名も宿も川の渡しも
ピンとくるものが何一つありませんでした。
東海道上で重要度はほかと変わらなかったでしょうに。
申訳ないような感じです。
あ、唯一猿飛佐助の名前だけは知っています(^^;)
 
渡しの常夜燈は随分と立派なものですね。他にも立派な石の碑、
隧道、石垣、かまどなど、石造りのものが多い印象を受けました。

投稿: ポージィ | 2019年4月19日 (金) 21:02

★ポージィさま

こんばんは。
早速にコメントをありがとうございました。
平均4万歩以上でここ数回は遠いので時間が限られ、5時間歩いてこんなものです。結構さっさと歩いているのですが寄り道が多くて、昔の人のように女性でも30km歩いたのの比較にもなりませんで半分以下でしょう。
もう下山が無理になってきましたので、平地が歩けるだけでありがたいし、私のこれからの歩くことができる健康のもとになればと思います。
私もまったく同じ、水口は読むこともできず、石部は石部金吉に関係あるとかないとか、猿飛佐助くらいですね。
石部は金や石を掘ったそうで、立派な石と関係ありそうですね。
昨日この続きを歩きましたが、山の石を削ったあとが見えました。石の加工場やセメント工場みたいのを見かけました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月19日 (金) 21:55

古びた宿場町の佇まいがいいですね。
あんがい居酒屋なんかがないのです、みんなイエノミらしい、興津で知りました。

投稿: 佐平次 | 2019年4月20日 (土) 08:03

石部は全く未知のところです。
一番大きい常夜灯は、七里の渡しの港の
ある桑名のものと思っていました。

近江富士は東海道線から見るだけ
でした。

マンホールの蓋を見るのも楽しみな
旅でしたね。これからは足元も見よう
と思いました。これまで写真を撮った
ことがあるのは、東大構内のものでした。
とても古くて説明の人から撮影を
勧められました。

投稿: matsubara | 2019年4月20日 (土) 08:16

tonaさん、こんにちは~♪
のどかな風景の中にも歴史が感じられるのは、
東海道ならではでしょうか。
冠木門や常夜燈に安らぎを覚えます。
歩き旅では「おもてなし処」は旅人にとって有難いですね。
気分が悪くなった時など、休むことが出来ます(経験あり)
今は流れていないようですが、天井川の多さに驚きました。
東京都下に住んで25年、神奈川に住んで47年近く経ちますが、
天井川は見たことがありません。
牛タン弁当、美味しそう!
三井寺は私も訪ねてみたいお寺の一つです。
楽しみにしていますね。

投稿: hiro | 2019年4月20日 (土) 12:56

★佐平次さま

旧東海道の古びた佇まい、残っているところの家はまだ住んでいる家が圧倒的に多く、そのため撮ることができない家が多かったです。細工を凝らした素晴らしい古い家なのに。
そうですね。宿場町の中には残念ながら居酒屋はなかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月20日 (土) 16:29

★matsubaraさま

私も神奈川県や静岡県の一部だけで、愛知県、三重県、滋賀県の東海道は全く知らないところばかりで、ですから興味深いです。
1昨日はずっと近江富士を右手に見ながら草津へ向かいました。形が富士山に似て独立峰を~富士というわけですから、平野にぽつんとある近江富士に親しみを抱きました。富士山好きですからよけいです。
東大構内のマンホールは知りませんでした。
東海道はずっと撮ったつもりでしたが、いろいろな意匠があるものと感心しました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月20日 (土) 16:40

★hiroさま

こんにちは♪
一体どのくらいの旅人が通ったことでしょう。
あちこちに歴史が刻まれていて、たくさんの説明版に助けられました。歴史の教科書に出てくる人以外に多くの人々の話を知りました。
水口や石山はそれほど史跡は残っているわけではないですが、おもてなし処などを設けて、親切で力を入れているところと感じました。
日陰で座って休めるのは何よりです。

滋賀県は天井川が多いようです。1昨日その先に行ったのですがまたありました。
今はもう水がないですが、不思議な感じですね。
仙台の牛タンにはかなわないような気がしましたが、久しぶりで美味しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月20日 (土) 16:50

4万歩に届く歩数は、今の私にはアメージング!
牛タン弁当はさぞ美味しかったでしょう♪
義民の碑を見ると、調べずにはいられない性分です。地方はよく目にしますね。
隧道とか常夜灯は、当時はどれだけ通行に助かったことでしょうね。
八丈岩は猿飛佐助で知られているんですか、上には三雲城址があるんですね。
これを見ていたら、大月の岩殿城址と稚児落としがリンクしちゃいました!
八丈岩は修行の場ですが・・・岩殿の稚児落としは悲惨な歴史でしたね。
岩殿城主が逃げる際に、邪魔な幼子を岩から百メートル下へ落としました。
怖くて岩から下が見られませんでした(高所恐怖症です)
新幹線はのぞみ号ですよね。ジパング三割引ですか?

投稿: だんだん | 2019年4月20日 (土) 21:03

★だんだんさま

牛タンは久しぶりでしたから美味しかったですよ。たまにはいいですね。

ここの義民の慰霊塔の方は留め金を外して入っていく方式で、頑丈に保護されていました。
一万数千人で立ち上がった人々、成功したのですが、やはり首謀者は江戸まで引っ張られ処刑されてしまいました。
徳川政権下には方々でこんなことがあったのですね。
岩殿山はかなり昔に登りましたので、すっかり忘れていました。岩殿城址と稚児落としのこと。
大河ドラマ「真田丸」では1、2話に小山田氏のことが出てきたそうで、あとから聞いても思い出せない歴史です。
八王子あたりも北条氏と秀吉のことがたくさん出てきますが、山梨県に入れば武田氏のことが。天目山もどこにあるかも知りません。
新潟の弥彦山と岩殿山は634mなのですよね。

新幹線はのぞみ指定席で、ジパングには入っていませんので結構なお値段となります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月21日 (日) 11:38

ずいぶんと見所の多い区間でしたね。
次の草津まで行けば琵琶湖を見ることができるのでしょうか。
草津,大津そしていよいよ京。素晴らしいです。

投稿: gaki | 2019年4月22日 (月) 19:05

★gakiさま

お地蔵さまや天井川などが興味深かったです。
先週に次の草津宿を過ぎ瀬田まで歩きました。次回はいよいよ琵琶湖が見られますし、大津でも楽しめそうです。
京都はもうすぐそこなのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月22日 (月) 19:36

すっかりご無沙汰してしまいました。
或る事情からコメント欄を閉じ、更新するのみのブログにしておりました。
今朝から全面再開しました。
さっそくコメントをくださり、ありがとうございました。

新名神高速道路が出来る前までは国道一号を走り、
名神高速に入っていましたので
水口を何度も通り過ぎていました。
通過するのみの水口でしたが
いろいろな場所があるものですね。
また歩く機会をつくりたいものです。

投稿: Saas-Feeの風 | 2019年4月22日 (月) 20:40

★Saas-Feeの風さま

お体かなと心配しておりましたが、再開されてほっとしました。
地図で名神高速と新名神高速の位置を知りまして、水口はその間にあり、名神高速に出るというわけもわかりました。しかし高速道路は、東名、中央高速、名神高速。、新名神高速、東名阪自動車道、伊勢湾岸自動車道と網の目のように張り巡らされ、初めて存在を地図で確かめました。
鈴鹿を越えて醍醐寺の方へ高速を走ってのバスツアーは新名神を走ったのかしらと思いました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年4月23日 (火) 08:48

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