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2019年4月30日 (火)

東海道33 石部~草津宿~瀬田(後編)

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●草津宿(52番目の宿) 石部宿から11.7km 日本橋から約468㎞ 宿の長さ約1.5㎞くらい 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒。

うばがもちを買ってからそのまま南へ歩き、草津川を渡ると渡った先に横田常夜燈道標がある(1816年建立)。ここが草津宿の東の入り口。江戸時代は橋がなかった。右金勝寺志がらき道、左東海道いせ道と書かれている。
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横町地蔵尊。これは黒く縁取りされて描かれる。滋賀県草津もまた地蔵尊が多く、彩色されたり、化粧されたりしているのが多くて、こちら関東では見られない。
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わーい!遂に中山道と東海道の分岐の追分に到着です。東海道歩きが終わったら、まずはここから中山道を歩こうということになった。先日来京都に到着できるかさえおぼつかなかったのに、人間の欲望はきりがなくふくらんでいくものである。距離は東海道492km、中山道534kmで42km(江戸時代の男性の1日分、私たちなら2日分)長い。またまた3年かかれば大台に乗ってしまうではないか。果たして膝が痛くならないか、家族も元気でいられるかなど心配も尽きないのではありますが、なるようにしかならない、ちょっとでも出来ればそれもいいさという感慨にふけった追分であります。

追分の道標は1816年建立。
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道標の反対側には高札場が再現され、延命地蔵尊がある。
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右側から歩いてきたわけだが、T字路になった右側の草津川隧道をくぐっていくと中山道。
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左折すると草津宿の中心部へ続く旧東海道。今までの宿では気が付かなかったのか、あるいはなかったのか。草津宿に来て、道路沿いに高層ビルが建っているのに(茶色のビルや足場がかかって青いシートの所)遭遇し旧東海道に似つかわしくないと感じる。しかし考えてみると日本橋出発は旧東街道という感じでなくビル群の連続だから都会に出てきたということか。
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明治4年創業当時使用していたものと同じ型の郵便ポスト(書状集箱)で、今も利用できる。
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右側に、東海道には本陣は2軒(二川宿)しか現存しないが、国指定史蹟・田中七左衛門本陣が見えてきた。撮影禁止箇所があった。
敷地1305坪、建坪486坪、部屋数30余室の最大級の本陣である。浅野内匠頭・吉良上野介・シーボルト・皇女和宮・徳川慶喜など泊まったとあった。土蔵が4棟もあった。
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上段の間の雪隠
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湯殿も広いが冬は寒そう。タイルがあったわけでないから板敷きで中央に排水用の溝が作られているのが見える。
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脇本陣仙台屋跡は今はベーカリー&カフェとなっている。
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真教寺の梵鐘は戦争で供出されてしまい、コンクリート製だ。
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寺の前の笑っているようなお地蔵様
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草津宿街道交流館に寄った。草津宿の模型、旅籠再現や情報コーナーの他、「旅する画僧 金谷展」を開催していた。近江が生んだ奇才(草津出身)で名を「横井金谷」といい、文人画ほかいろいろなジャンルの絵があり、与謝蕪村の影響を大きく受けた画家。初めて知った画家で実に素晴らしい作品であった。
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太田酒造。太田道灌が祖先で、6代目が家光の命で草津に移住し、日本酒「道潅」などを製造。娘は酒造メーカーがあると入り、いつもリュックの中は4,5本の酒がごろごろしている。荷物の重い街道歩きはこたえるでしょうに、私より速いスピードですたすたと前を行く。
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八百久店舗兼主屋は格子窓と虫籠窓があり、国の登録有形文化財となっている。
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日吉神社の屋根には阿吽の猿がいる。初めて見る。
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立木神社(767年創祀)は狛犬ならぬ狛鹿でこれはどこかで見たことがある。この神社も立派で、滋賀県の東海道沿いには立派な神社が多い。
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神社の先の黒門跡が草津宿の西の入り口でこれで草津宿見学が終わった。問屋場跡とか本・脇陣跡などいろいろな説明板がないのでうろうろしてしまった。
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 ◆草津~瀬田

稲荷神社や120里目の野路一里塚跡を通り過ぎる。

草津名物のアオバナのマンホール 
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国指定重要文化財の本殿のある新宮神社へ。創始730年の古い神社。
鳥居を入ったところに実にカラフルなお地蔵様が。
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街道の先に今度はリアルなお顔の子守地蔵様が。カブトムシを捕まえようとして大名行列を横切ろうとした親子が手打ちにあったことを悼んで村人たちが祀った地蔵だそうだ。
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広重の諸国六玉川の一であった「近江野路の玉川」は萩の名所で「萩の玉川」とも呼ばれかつては清水が湧いていた。
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このあたりあちこちに池があるようだが、これは弁天池。参道橋でつながった島に弁財天が祀られる。
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立場跡
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飛び出し坊やは雀であった。
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長沢川の桜は散ってしまっていたが、さぞ奇麗だったことでしょう。
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121里目の一里塚跡を過ぎ瀬田駅の近くの道標。京都まであと5里余り、江戸まで120里余りとあります。瀬田駅から京都へ。
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今日の夕ご飯は「てまり寿司」
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前回と同じ新幹線、18:56京都発→21:13東京着。22:30頃帰宅。39164歩でした。

 

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コメント

草津が中山道との分岐点になってるとは
知りませんでした。
次は中山道のご計画とは・・・
中山道は岐阜県を通過していますので、
ぜひお声をかけて下さい。体力に自信が
ありませんので、一部だけおつきあいを
させていただきたいです。
加納宿は我が家からも近いですから
と言いましても電車で5分なのですが・・・

投稿: matsubara | 2019年5月 1日 (水) 08:29

カブトムシを捕まえようとした坊や、何が起きたのか分からなかったでしょうね。
虎の威を借りて非人間的な暴虐をおこなう野郎はいつの世にもいますね。
せっかくの記念的な追分の記事につい乱暴なことを書きこみました、許されよ^^。

投稿: 佐平次 | 2019年5月 1日 (水) 09:54

tonaさん、おはようございます♪
常夜燈の道標、趣がありますね。
こんなに立派な道標なら、道に迷うこともなさそうですね。
横町地蔵尊を見ているとほっこりとした気分になれます。
中山道は東海道より長いのですね。
山の中も歩くので、歩くのもけっこう厳しそうですね。
近所の方(同い年)が10年前頃歩かれたそうですが、
とても良かったと仰っていました。
田中七左衛門本陣、近くだったら見に行きたいです。
コンクリート製の梵鐘は初めて見ました。
これで鳴るのでしょうか?
戦争の負の遺産として、後世に伝えるには意味がありそうですね。
太田酒造や八百久店舗兼主屋、立木神社等も興味深く拝見しました。
「てまり寿司」の美味しそうなこと!
39164歩ですか。お疲れさまでした。

投稿: hiro | 2019年5月 1日 (水) 10:18

★matsubaraさま

昨年夏、娘たちが岐阜の加納宿を暑い中歩いたそうです。
そのあたりに行くことができましたら、お声をかけさせていただきます。
まだ一体いつになるやら見当もつきませんが。
まずは東海道ゴールですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月 1日 (水) 16:30

★佐平次さま

下に~下に~と偉そうに通った大名行列。
心がないと思います。本当に権威ばかりかさにきた思いやりも何もないわれらが祖先だけでなく、現在も打ち切られている人々を見て悲しく思います。理不尽ですね。
この子守地蔵を見ていて切ない気持ちになりました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月 1日 (水) 16:38

★hiroさま

こんにちは♪
ここの常夜燈はなかなかいいですね。道標まで兼ねています。
私たちは地図を見ているわけですが、昔は今の地図とは異なるので、道標が頼りだったのですね。誰でも読めるように彫ってあります。
中山道は山道も多そうですね。
歩かれた方も魅力を感じられたそうで、少しでも辿れたらと思います。

コンクリートの梵鐘は「代替梵鐘」としてこのお寺のお坊さんが作って提げたそうで、もちろん鳴らないそうです。戦時中の供出、いろいろな話を聞きますね。

京都のお寿司もなかなか美味しいです。湯葉が必ず入っています。
素敵な感想ありがとうございます。

投稿: tona | 2019年5月 1日 (水) 16:51

tonaさんへ
草津宿の分岐点に出て次は中山道歩きへ転進!とお気持ちを直ぐに切り替えることなど、常人にはなかなかできかねます。いつも前向きな生き方が素晴らしいです。東海道歩きには新幹線をフルに活用されましたが、中山道は果たしてどのように踏破されるのか、興味津々です。続報を楽しみにしております。

投稿: shikamasonjin | 2019年5月 1日 (水) 21:56

★shikamasonjinさま

いえいえ、shikamasonjinさんを見習っているのですが、なかなかその域には達しません。
中山道を日帰りで踏破するのこそは東海道より技が必要ですね。1か所とても不可能なところがあるらしいのですが、娘が裏技を見つけたらしいのです。
果たしてどうなるでしょうか?
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月 1日 (水) 22:39

>娘は酒造メーカーがあると入り、いつもリュックの中は4,5本の酒がごろごろしている。

帰りの新幹線で味わいなさるのかな?
それにしても,すたすた歩かれるお元気さ,うらやましい限りです。

投稿: gaki | 2019年5月 2日 (木) 10:30

★gakiさま

お酒は娘夫婦の晩酌用や酒好きの友人用などをいろいろな酒造メーカーで買っていきます。
新幹線用は駅の売店で冷えたビール。
いつの間にか、私なんか手の届かない大酒豪になっておりました。
あちらは割と遅いしペースで歩くと言っていますが、私は時には小走りで後から追いかけて歩いています。昔は早かったのに年には勝てません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月 2日 (木) 11:13

こんにちは。草津は中山道との分岐でしたか。なるほど。東海道の次は中山道ですか。すごいですね。まだまだ楽しみが続きますね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年5月 2日 (木) 12:46

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
中山道は京都側から歩こうかと思いますので、草津が出発点で終着点は日本橋です。
今度こそ無事たどり着けるかは100%とは限りませんが、楽しみたいと思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月 2日 (木) 20:17

こんばんは(^o^)/!
東海道歩きも滋賀県・草津まで来て京都はもう目の前ですね。
滋賀県は、名古屋の西部に住む私にとって、割と近くてかつては何度もドライブしました。しかし、これほど東海道の史跡が残っているとは全く知りませんでした。
草津が東海道と中山道との追分であることも初めて知りました (^_^;;アセッ!中山道も歩かれるのでしょうか?中山道、特に木曽路は山の中ですので大変な街道歩きになると思います。けど、富士山麓一周を歩き東海道を歩き通すtona様なら中山道も歩き通してしまうことでしょうね。

投稿: 慕辺未行 | 2019年5月 3日 (金) 23:10

★慕辺未行さま

地図で見ましても名古屋と滋賀は近いのですね。
もう10日くらいたってまだアップしていませんが大津宿を歩きましたので、宿は全部終わりました。後は山科から京都だけでさほどありませんので京都見物が少しできます。
中山道に行く気になっています。
ただ後期高齢でどこまで歩けるかです。
山道はこの間からまた復活して練習で、また今度も低い山、高尾山などに登ります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月 4日 (土) 09:58

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