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2019年5月26日 (日)

東海道35(最終回) 大津~三条大橋


5/23(木)いつもの6時過ぎののぞみに乗り、京都から山科、そこで京阪に乗り換え前回の大谷駅に到着して9時頃から歩き始める。お天気も良く、途中富士山も見えた。京都の気温は午後30度。

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◆大津(大谷駅)~三条大橋

広重の「大津 走井茶店」の絵には店の前の井戸から勢いよく水が吹き出ている。茶店は明治初期まで続いたが、日本画家・橋本関雪の別荘となった後、月心寺になった。
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髭茶屋追分
東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点。追分で大津絵が生まれ、大津算盤も当地で日本人向けに改良され全国に広まった。
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閑栖寺には車道が再現されていた。車道は京と大津間に敷かれ、京に向かって右側で車幅は約2.7mで、人馬道より15~30㎝低くなっていた。その様子を描いた絵が飾られていた。
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井筒八ツ橋本舗で工場内を見学し、「夕子」の製造過程を見、お茶と一緒にご馳走になる。販売用お菓子だけでなく、大津絵や大津算盤、縫い針の展示説明もされている。
大津絵は寛永年間、ここ大谷・追分付近で町絵師が素朴な仏画を描いて旅人に売ったのが始まり。鳥子紙に泥絵具で描く。藤娘は良縁、鬼の念仏は子供の夜泣き止めと護符として庶民信仰と結びついて流布した。
八ツ橋や生八つ橋入りどら焼きの「三笠」を買って、三笠は午後のおやつにする。
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京都市に入ると「徳林庵」があり、京都に入る際の厄除け寺。
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京都に入ってもお地蔵様や飛び出し坊やが続く
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京都のマンホール 古都京都にちなんで「御所車」をモチーフとしたデザインで雨の時に滑り止めとしての機能もあるとのこと。
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天智天皇陵はこの奥の方にある
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街道が狭いが昔はこんなところが多かったのでしょう。
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かなり長い日ノ岡峠を越えると車石の広場に出る。
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何も残ってい居ない粟田口の刑場跡後を過ぎると広い蹴上浄水場に至り、ここはツツジの名所らしい。
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粟田神社の本殿と御神馬は立派だ。元禄時代の様式らしい。ここから平安神宮の赤い大鳥居がすぐ目の下に見えた。
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「おふく」にて昼食。京都らしい「にしんそば」を食べる。
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坂本龍馬・お龍の結婚式場跡
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三条白川橋道標は京都最古の道標
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明智光秀の塚 家来が自刃した光秀の首を切り落とし、知恩院の近くまで来たが、夜が明けたため、この地に首を埋めたという。
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12:35 三条大橋に到着!!
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橋の欄干の柱頭には12の擬宝珠がある。川床も見え、比叡山も見えた。
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弥次喜多さんの銅像
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日本初の駅伝のスタート地点でもある。1917年(大正6)4/27午後2時スタート、上野不忍池の博覧会場に4/29午前11時34分到着。45時間30分強。23区間。約508㎞だったそうだ。
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思えば2年1ヶ月前の2017年4月20日に沼津から歩き始めて途中で日本橋に戻っては歩き、全492㎞を歩き終えました。
1回目の処は既に一度歩いて重なったので、結局日帰りで全34回、1414189歩。1回の平均は41594歩でした。寄り道が多かったので単純計算より大幅に歩数が増えました。
広重の絵と比較してもその面影は殆どないですが、たくさんの資料館で当時の様子を見て、往時の旅人のことを想像しながら只々電車などのない大変な旅を想いました。今は往復、電車やバスを使い、しかも何十日(早い人は15日だった)も続けて歩くわけでなく、当時の名物のご飯の一部やおやつを味わっただけで、飲み物は水だけでなく好きなのを飲み放題で贅沢な旅人でありました。
しかし、城、街道の建築、信仰、名勝、歴史、地理、神社仏閣、現代の鉄道などなど、もう思い出せないほど色々なことを学ぶこともできました。毎回何か楽しみや驚きがあり苦痛はなかったです。一番心に残った風景は薩埵峠の富士山でしょうか。仕事で忙しい娘が、食事処から名物の売店まで調べ、電車の切符まで買っておいてくれ、マップ片手に引率してくれたのでカメラだけ持って説明を聞き後についていくご気楽な旅であり、娘に感謝です。私の力ではとても一人で歩けませんでした。


<おまけ>
◆二条城、三十三間堂、京都タワー 街道歩きとは関係ないが、時間が余ったので3ヶ所を周りました。聞きしに勝る外国人の多さに改めて驚く。

・二条城(世界遺産)1603年に家康によって、京都の守護と上洛の際の宿泊所として建てられた。宿泊は家康、秀忠、家光、家茂(14代)、慶喜の5人のみ。御幸は1626年の後水尾天皇とその中宮・和子(秀忠の娘)。その際、狩野派の障壁画が新たに描かれたという。

東南隅櫓
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唐門(重文)、二の丸御殿(国宝)では狩野派の障壁画(レプリカ)を堪能し、後で展示収蔵館で「牡丹と梅」の原画を見る。
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二の丸庭園(特別名勝)、清流園(豪商・角倉家の屋敷跡から譲り受ける)
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・三十三間堂 中央の中尊と左右各500体、合計1001体の国宝「十一面千手千眼観世音」は全部顔が違っていて壮観。同じく国宝「雷神と風神像」、国宝「二十八部衆像」も素晴らしく玉眼で生きているようでため息が出る。高校の時以来で感動する。
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 ・京都タワー いつも外観だけだったので登ってみた。京都が大阪方面の一角だけ少し空いているが、ぐるっと山に囲まれた盆地であることがよくわかった。
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・京都駅大階段と反対側
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階段途中のカントリーハウス英國屋にてお茶
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夕食は弁当の「皐月の彩」
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お土産は京賀茂名物の「おやき」
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家には午後10時半前に到着。36266歩でした。完歩まで長いお付き合いに感謝します。次は予定通り、中山道を草津から東京に向かって進むことにします。また気が向きましたらお付き合いくださいませ。長くなって失礼しました。

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2019年5月20日 (月)

松田山登山と小仏城山登山の連チャン

●松田山(標高510m)
5/11(土)バスで小田急新松田駅から20分の田代向(たしろむかい)バス停で降りる。
その寄(やどろぎ)地区から松田山山頂を経て東名から見える、河津桜と菜の花が美しい西平畑公園を結ぶ「松田山みどりの風自然歩道」8㎞のトレッキングです。標高差は239mと低いのですが、累計標高差、上りが538m、下りが716mと上り下りが激しく大変運動になりました。
ストックを忘れたのが痛恨の極みでしたが、登山靴を履いていったのが救いでした。

中津川に架かる田代橋から向こうに見える尾根を縦走です。
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面白いオブジェのある家がある。
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はるか下に渡った橋が見えてきた。 
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ヤマフジ花盛り 
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山頂手前の展望台から雲をかぶった富士山が見えた。
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どら焼きを持ってきた人が羨ましい。
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頂上到着。低くても嬉しいものだ。 
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オオデマリとモミジのツーショット 
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最明寺史跡公園の池には鴨、。カキツバタとツツジが目に鮮やか。
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パラグライダー、気持ちよさそう!
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西平畑公園に着くとふるさと鉄道(ポッポ鉄道)が走ってきた。実物の1/6の大きさのミニ列車。全長1.1㎞。鉄橋や踏切、トンネル、スイッチバック2箇所、坂道やカーブもあるそうで、大人も凄く嬉しそうだ。
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松田駅の方を見ながら下山、ハーブ館でお茶して帰路に就く。25327歩。登山は昨年の2/28以来で1年2ヶ月半ぶりでした。
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●小仏城山(標高670.3m)
翌日5/12(日)、大丈夫かと危ぶみながら、高尾山の隣の小仏城山に登山に参加する。登山クラブがトレッキングクラブに改名して再開された(高齢化する一方のメンバーなので)。普通高尾山や景信山とセットだが、この山だけで高尾山登山のようなものでしかも混んでいなくて気持ち良く楽な山歩きでした。
高尾駅からのバスで日影で下車。帰路は小仏峠の駐車場方面に下山。そこからバスで高尾駅へ。

キンラン、コゴメウツギ、ツルニンジン、ジュウニヒトエ、アラゲカワラタケに似たキノコなどを見ながら登ると視界が開けてくる。
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頂上到着
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四等三角点 
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下山始めると相模湖が霞んで見えてきた。
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低い山ながら無事2日間の登山を終えて今回は足がつることもなく大満足でありました。16828歩。
足や腰を痛くしないで歩けるようにするため、体操をたった2,3分、遠赤外線をあてること10分と、甚だ不真面目な日常ですが、毎日欠かさないことがいいのだと言い聞かせています。

 

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2019年5月16日 (木)

東海道34 瀬田~大津宿(3)

●大津宿(53番目の宿)の続きです。<三井寺と逢坂の関蝉丸神社見学>

辻の札から寄り道して三井寺へ。

途中に琵琶湖疏水がある。
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三井寺到着。園城寺(三井寺)は天台寺門宗総本山。始まりは天智、弘文、天武天皇の勅願による。開祖は智証大師円珍和尚で母は弘法大師の姪。

立派な仁王門だこと(重文)。徳川家康より寄進される。
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釈迦堂(重文)
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近江八景「三井の晩鐘」。日本三銘鐘(あと2つは平等院・高雄神護寺)の一つ。数回来ているが覚えていたのはこれだけであった。
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金堂(本堂・国宝)は秀吉の北政所により再建された。本尊は弥勒仏(秘仏)。特別公開で内陣の大日如来や不動明王などの他、円空仏も見られた。
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閼伽井屋を見てから、霊鐘堂で弁慶の引き摺り鐘を見る(重文)。
藤原秀郷が三上山の百足退治のお礼に琵琶湖の龍神からいただいた鐘を寄進したと伝えられているが、その後弁慶が奪って比叡山に引き摺りあげたところ、イノーイノー(帰りたい)と響いたので、谷底に投げ捨ててしまった。そういえば延暦寺には力持ちの弁慶が渡り廊下をてんびん棒にして、2つのお堂をかついだという伝説から「弁慶のにない堂」というのもありましたっけ。
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弁慶の汁鍋。鐘を奪った際に置いていった大鍋というがその大きいこと。
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一切経蔵(重文)の内部の、一切経を収める回転式の八角輪蔵。
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三重の塔(重文) 家康により寄進された。
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微妙寺の十一面観音(重文・平安初期・湖国十一面観音霊場第一番札所)は見られない。
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地蔵様 
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毘沙門堂(重文)は鮮やかに彩色されている。
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西国十四番札所観音堂(県指定文化財)へと上がっていく。
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更に上の展望台に上がってみると、すっかり晴れて琵琶湖が一望できたのです。素晴らしい眺めです。三井寺から琵琶湖が望めることすら知りませんでした。
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大津そろばんの碑(大津はそろばん発祥の地)  
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東海道に戻る途中の長等神社内の馬神神社には、競争馬の名前が書かれた木札が貼ってあった。
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このあたりのお寺の多さにも驚きさすが日本一を感じる。大津宿も草津宿同様、宿場の解説板は殆どなく、ただこの本陣跡だけあった。
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この後、京阪京津線の大谷駅までの間に三つの蝉丸神社(平安時代、逢坂峠の守護神として建立され、後に蝉丸が合祀された)があり、その間に弘法大師堂や逢坂山関址の碑、大津絵販売の地碑などがある。

「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の歌で有名な蝉丸。逢坂の関に庵をむすび、往来の人を見てこの歌を詠んだという。
平安時代の歌人であった盲目で琵琶の名手だった蝉丸は、歌舞・音曲の神として、また眼病の人々の神として祀られている。能や人形浄瑠璃にも『蝉丸』がある。
逢坂の関は平安時代、山城国と近江国の国境となっていた関だったが、平安後期には形骸化され形を失ったという。
逢坂の関を詠んだ歌がもう一首、百人一首にある。清少納言「夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」

・関蝉丸神社下社 
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蝉丸型の時雨燈籠(重文)がある。鎌倉時代のもので貴重な燈籠だそうだ。
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・関蝉丸神社上社 
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弘法大師堂 
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逢坂の坂  
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逢坂山関址の碑と常夜燈があった。
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大津絵販売の地ハン六の碑。逢坂山付近の名物は、この大津絵と算盤と縫い針と走井餅だった。
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・蝉丸神社分社。
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2列になった車石。草が生えてわかりづらいが、牛車が泥道で立ち往生しないように車石と呼ばれる石が京都・大津間に敷設されていたという。
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京阪の大谷駅に到着すると、かわいらしい、コルクのオブジェがいろいろ並んでいた。
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大津絵もあった。
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この駅は日本の普通鉄道駅でもっとも傾斜のある駅であり、ベンチの脚の長さが左右で違っている!腰掛けながら反対のホームのベンチを見る。
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入ってきた京阪電車は碓氷峠並みの66.7%の勾配を下りてきたのだった。又辻の札あたりは併用軌道を走っていた。
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この日のお弁当は「京のおばんざい弁当」 お土産は生八つ橋でした。
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前回と同じのぞみに乗り帰宅は10時半頃。43800歩。いよいよ次回にゴールの三条大橋に到着予定です。

 

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2019年5月13日 (月)

東海道34 瀬田~大津宿(2)

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◆瀬田~大津宿の続き

琵琶湖に面する膳所城跡公園に寄る途中で雨が降ってきた。
 
膳所城は琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、日本三大湖城の一つであった。現在の跡は陸続きとなっている。
関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった徳川家康は、翌1601年東海道の押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせ膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第1号(以前書いて繰り返しですが)である。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれたそうだが、今は何も残っていない。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる。

入口大手門(疑似再建された)の内側から 
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わずかに残った石垣
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近江大橋 向こう側の東詰で事故が起こったのですね。
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石鹿地蔵。 
織田信長が比叡山を焼き討ちにしたとき、内にあった石地蔵を全部ひきずり降ろし、坂本城の礎石にした。その後、大津城(秀吉)、膳所城(家康)の基礎としてこれらの石地蔵が使われてきた。約60体が祀られている。
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膳所神社に寄る。この門も旧膳所城の本丸大手門で重文だ。前回の篠津神社のが北大手門で、後、行かなかったけれど鞭崎神社(南大手門)も重文だ。
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縁心寺は膳所城主の菩提寺で立派な墓がずらりと並んでいる。城主は戸田氏に始まり次々と変わり本多氏で終わった。
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和田神社の鳥居の向こうの表門は膳所藩の藩校 「遵義堂(じゅんきどう)」 の門を移築したもの。膳所城は大きかったので門がそれだけ多かったのでしょう。膳所城=門とインプットされてしまった。 
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この神社の銀杏は、護送中の石田三成がつながれたと言われている。 
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石坐(いわい)神は式内社で立派だ。御祭神は天智天皇と弘文天皇。
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角に膳所城北総門跡の碑があって随分歩いたけれど、ここまで膳所城があったということだ。
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笑っているような地蔵 
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●大津宿(53番目の宿)草津宿から14.4km 日本橋から約484㎞ 宿の長さは4㎞以上もあるらしい。53次の中でトップの長さだ。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠71軒。1番最後の宿に来た。
大津の地名は大きな港(津)に由来し、物資を中継する重要港であった。

義仲寺に到着。雨止む。大津宿はこの先小舟入常夜燈あたりから追分まであるそうだ。
義仲寺は木曽義仲の墓所があるのが寺名の由来であり、芭蕉の墓もある。
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まずは資料館を見て、朝日堂(本堂)を覗く。義仲は朝日将軍と呼ばれたからか?本尊は聖観世音菩薩で、義仲公・義高公(鎌倉に人質として小さい頃から行っていた)父子を祀っている。
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巴塚。巴御前の供養塔。義仲亡き後鎌倉に捕らえられ、和田義盛の妻になり、義盛戦死後尼僧となり90歳で木曽で亡くなったという。 義仲の側室、山吹御前の塚もこの境内にあった。
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木曽義仲のお墓。義仲はここ粟津で戦死した。
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松尾芭蕉のお墓。芭蕉はかねがね義仲の生涯に思いを寄せ、義仲寺の無名庵に3ヶ月も滞在したこともあり、生前から義仲の隣に葬って欲しいと遺言していたという。何故義仲だったのでしょう。
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翁堂。芭蕉翁座像があり、左右の壁上には36俳人の画像が掲げられる。 
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天井は伊藤若冲の四季花卉の図。
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巴地蔵堂。巴御前を追福するため石彫地蔵尊を祀る。
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平野神社は蹴鞠の神様を祀る神社。
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滋賀県庁はなかなか風情のある建物だ。
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華階寺の山門前には俵藤太矢根地蔵月見の石がある。境内には、俵藤太(藤原秀郷)が三上山でムカデを退冶した大矢の根(鏃)で彫ったという地蔵尊が祀られているそうだが、中に入ることができない。
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街道らしい街並み  
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大津魚忠は国の登録有形文化財だ。
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あの大津事件が起きた場所に露国皇太子遭難地碑があった。
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札の辻にやってきて、大津市道路元標を見る。
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三井寺力餅本家で、力餅をいただく。元気が出ました。
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続く

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2019年5月 8日 (水)

東海道34 瀬田~大津宿(1)

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4/25(木)曇り一時雨の予報だったけれど、いつもの東京6:16発→京都8:26着で東海道線に乗り換え、8時50分過ぎに瀬田駅到着。9時5分から歩き始める。土山宿の時より2時間近くも早くなった。


◆瀬田~大津宿

大津市のマンホール・・とても賑やかな模様。施行から100年目の大津市の景観をモチーフに、市の花「エイザンスミレ」、市の木「ヤマザクラ」と市の鳥「ユリカモメ」、花火大会の花火、外輪船のミシガン、琵琶湖大橋、左下にワンちゃんと盛りだくさんです。
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野神社舊跡の碑。ここに大江千里(ちりんさん)が住んでいた。平安時代前期の歌人で三十六歌仙の一人。百人一首23番「月見れば千々に物こそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど」
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飛び出し坊やの「くまモン」は目立ちます。
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この日も地蔵様がどんどん出てきたが、これは口紅をさした地蔵様。
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西行屋敷があったというところで左折して、東海道は右折するが寄り道して近江国庁跡の遺構を見にまっすぐ進む。
8,9世紀頃建てられていたらしい。全国68ケ所に設置された役所の一つで1300年前から800年前まで存続した。暖かくなってきたので久しぶりに猫を午前中から見る。
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東海道に戻ると石屋さんのネコの像が面白い。
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建部大社(式内社)に寄り道。近江国一宮で立派だ。本殿は日本武尊を祀る。
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鎌倉時代の重文・石灯籠。
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特別天然記念物・菊花石  
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天然記念物・さざれ石 
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左右に8つの神社も鎮座する。 
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いよいよ三大名橋の瀬田の唐橋(いろいろな説があるがあと2つは錦帯橋、眼鏡橋)にやってきた。近江八景の「瀬田の夕照」で有名で古典文学に多く出てくる。
琵琶湖には約460本の河川が流入している。しかし流出は人工の琵琶湖疎水を除くとこの南端の瀬田川1本だけだ。洪水になると琵琶湖の水位が下がらずこの周辺は浸水被害に悩まされた地域だそうだ。
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下を見ると唐橋の構図の敷石が。
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唐橋の袂には橋守地蔵尊がある。撤去工事中の唐橋の中央橋脚の基礎の地下から出現された石仏だそうだ。室町末期の作。
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その奥に龍王宮秀郷社。瀬田の唐橋を渡ろうとした藤原秀郷(俵藤太)が瀬田川の龍に三上山の大百足退治を依頼されたそうで、その秀郷公を祀る神社。
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お隣の雲住寺は秀郷公の子孫が供養のために建立したお寺で、秀郷に倒された百足の供養堂がある。百足が見える。
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橋の東詰には地蔵堂があったが、これまたカラフルなこと。
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いよいよ橋を渡って振り返る。擬宝珠が印象的。
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西側の方に橋を移動すると中之島があった。中之島より東側を大橋、西側を小橋という。
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橋を渡った左側の古い家は油屋だ。  
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唐橋前駅横の踏切を渡り右折、石山駅に到着するとデッキの上に芭蕉像があった。芭蕉は42歳で『野ざらし紀行』の旅行途中大津に滞在し、門弟が集まって湖南蕉門が形成された。以来大津が気に入った芭蕉は義仲寺に借住まいし、その後幻住庵に4ヶ月滞在した。51歳で旅先の大阪で1694年に亡くなった際は遺言で義仲寺に埋葬された。
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駅の北口に出て、今井兼平のお墓に寄り道。兼平は巴御前の兄で木曽義仲の家臣。義仲が討たれたあと、口に刀をふくんで馬から飛び降り自害したという。なんて壮絶な死に方でしょう。
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東海道へと戻るが112里目の粟津一里塚があったらしいが、何もなく、この日は次からも一里塚跡など説明板も石柱もなかった。

ほっとするお地蔵様。
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膳所城勢多口総門跡
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若宮八幡宮の再建されつつある膳所城の犬走り門を通り過ぎて篠津神社に寄る。
篠津神社の門は膳所城北大手門で重要文化財とのこと。一体膳所城にはいくつ門があったのであろうか。今まで移築されたものばかり随分見てきた。
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お昼は「つる家」というお寿司やさんに入りすし盛り合わせセット。太巻き、かっぱ、はも、鱒、いか、まぐろ、海老、とろろこんぶ。菜の花のからしあえに、お吸い物(桜の花、うど、山椒ほか)。デザートのフルーツ。とても美味しいお寿司屋さんで今までのお昼では最高級の一つである。
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続く

 

 

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2019年5月 5日 (日)

塩船観音寺のつつじと大井戸公園ぼたん園

10連休も残すところ1日とちょっと。一年中お休みだけれど、お休み気分に浸って、つつじの花見、障子貼りをしたり、美術館に行ったり、お休みだからこそじっくり難しいと言われる本をと『薔薇の名前・上』を読みました。理解できないところもあったけれども、この後下巻を借りて読んでみようと思います。
ショーン・コネリの映画を忘れているのでもう一度観たいものです。今ローマ法王庁でも問題になっているようなことが、古来修道院でもあったし、キリスト教も法王庁と教会と各修道院と様々な派に分かれ熾烈な争いになっているのは、現代とこれまた全く変わらない。しかし修道士といえどもラテン語の勉強に始まって、その奥深い宗教に関する勉学はその理論が理解できないほど難しい。そして彼らに課せられたのは瞑想だけでなく(以前見た『大いなる沈黙へ』が迫力あった)、役割分担があって衣食住に関する仕事は作ることから始まり、また写本や聖櫃作りなど身をすり減らす仕事があるのを知りました。


つつじがすり鉢型に咲いて有名な青梅市の「塩船観音寺」に行ったのは4月29日でした。河辺駅からぐるっと歩いてぼたん園に寄ったりしてまた河辺駅へ。

つつじは15年前と変わらず見事に咲いていました。本堂もどこもみな行列。ぼけ封じ薬師如来には殊の外丁寧にお祈りしてきました。
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田んぼの蓮華を見るのは久しぶり。
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藤橋城址公園 全国では3万も城があったそうで、こうした知らない城址も次々出てくるものです。
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川越街道一里塚の榎 街道も5街道くらいしか頭になかったけれども、全国には一体いくつあったのでしょう?
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大井戸公園ボタン園
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青梅新町の大井戸(東京都指定史跡)  まいまいず井戸の一つ
大井戸とは水の得にくい武蔵野台地に構築されたもので、これは最大級。東西約22m、」南北約33m、深さ7mの擂鉢部と周囲の盛り土からなる。戦国時代から江戸時代初めに造られ、古青梅街道と秩父道の交差する位置にあり道行く人馬の水供給の役割があった。
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旧吉野家住宅(1855年)(東京都指定有形文化財)
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女子会だったので、河辺駅近くで「あんみつ」で疲れを癒しました。
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5月2日に咲いていた近くの都立公園のユリノキの花
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