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2019年5月13日 (月)

東海道34 瀬田~大津宿(2)

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◆瀬田~大津宿の続き

琵琶湖に面する膳所城跡公園に寄る途中で雨が降ってきた。
 
膳所城は琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、日本三大湖城の一つであった。現在の跡は陸続きとなっている。
関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった徳川家康は、翌1601年東海道の押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせ膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第1号(以前書いて繰り返しですが)である。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれたそうだが、今は何も残っていない。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる。

入口大手門(疑似再建された)の内側から 
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わずかに残った石垣
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近江大橋 向こう側の東詰で事故が起こったのですね。
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石鹿地蔵。 
織田信長が比叡山を焼き討ちにしたとき、内にあった石地蔵を全部ひきずり降ろし、坂本城の礎石にした。その後、大津城(秀吉)、膳所城(家康)の基礎としてこれらの石地蔵が使われてきた。約60体が祀られている。
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膳所神社に寄る。この門も旧膳所城の本丸大手門で重文だ。前回の篠津神社のが北大手門で、後、行かなかったけれど鞭崎神社(南大手門)も重文だ。
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縁心寺は膳所城主の菩提寺で立派な墓がずらりと並んでいる。城主は戸田氏に始まり次々と変わり本多氏で終わった。
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和田神社の鳥居の向こうの表門は膳所藩の藩校 「遵義堂(じゅんきどう)」 の門を移築したもの。膳所城は大きかったので門がそれだけ多かったのでしょう。膳所城=門とインプットされてしまった。 
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この神社の銀杏は、護送中の石田三成がつながれたと言われている。 
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石坐(いわい)神は式内社で立派だ。御祭神は天智天皇と弘文天皇。
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角に膳所城北総門跡の碑があって随分歩いたけれど、ここまで膳所城があったということだ。
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笑っているような地蔵 
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●大津宿(53番目の宿)草津宿から14.4km 日本橋から約484㎞ 宿の長さは4㎞以上もあるらしい。53次の中でトップの長さだ。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠71軒。1番最後の宿に来た。
大津の地名は大きな港(津)に由来し、物資を中継する重要港であった。

義仲寺に到着。雨止む。大津宿はこの先小舟入常夜燈あたりから追分まであるそうだ。
義仲寺は木曽義仲の墓所があるのが寺名の由来であり、芭蕉の墓もある。
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まずは資料館を見て、朝日堂(本堂)を覗く。義仲は朝日将軍と呼ばれたからか?本尊は聖観世音菩薩で、義仲公・義高公(鎌倉に人質として小さい頃から行っていた)父子を祀っている。
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巴塚。巴御前の供養塔。義仲亡き後鎌倉に捕らえられ、和田義盛の妻になり、義盛戦死後尼僧となり90歳で木曽で亡くなったという。 義仲の側室、山吹御前の塚もこの境内にあった。
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木曽義仲のお墓。義仲はここ粟津で戦死した。
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松尾芭蕉のお墓。芭蕉はかねがね義仲の生涯に思いを寄せ、義仲寺の無名庵に3ヶ月も滞在したこともあり、生前から義仲の隣に葬って欲しいと遺言していたという。何故義仲だったのでしょう。
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翁堂。芭蕉翁座像があり、左右の壁上には36俳人の画像が掲げられる。 
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天井は伊藤若冲の四季花卉の図。
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巴地蔵堂。巴御前を追福するため石彫地蔵尊を祀る。
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平野神社は蹴鞠の神様を祀る神社。
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滋賀県庁はなかなか風情のある建物だ。
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華階寺の山門前には俵藤太矢根地蔵月見の石がある。境内には、俵藤太(藤原秀郷)が三上山でムカデを退冶した大矢の根(鏃)で彫ったという地蔵尊が祀られているそうだが、中に入ることができない。
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街道らしい街並み  
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大津魚忠は国の登録有形文化財だ。
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あの大津事件が起きた場所に露国皇太子遭難地碑があった。
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札の辻にやってきて、大津市道路元標を見る。
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三井寺力餅本家で、力餅をいただく。元気が出ました。
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続く

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コメント

膳所は、東海道線で京都に行くときの通過駅で
ぜぜと読むことしか知りませんでした。
城址もあり、義仲寺もあり、見どころも
いっぱいですのに・・・
お隣の滋賀県の県庁も行ったことはありません。
いろいろ教えていただきありがとうございます。
新幹線の時代になりますと、東海道線には
縁がなくなり、膳所も通らなくなりました。

投稿: matsubara | 2019年5月14日 (火) 08:04

★matsubaraさま

膳所に徳川の天下普請の城があったとは知りませんでした。地理的に重要な箇所は全国にいっぱいあると思いますが、江戸、名古屋、大阪と家康は重要個所をおさえ、先見の明ありのやはり凄い人物だったと違う角度から見ることができました。
旧東海道と東海道線は草津で一緒になるのですね。東海道線は岐阜まで中山道に沿っています。
交通網の発達はいろいろなことをもたらし、有難いし、また各駅があるのはいいです。長野に行くときの鉄道の、横川から碓氷峠を越えていくところはなくなってしまって、とても残念でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月14日 (火) 08:31

なんで義仲だったのか?
なにかで読んだような気もするけれど、、調べてみようかな。

投稿: 佐平次 | 2019年5月14日 (火) 10:06

こんなのがありました。
義仲は江戸時代には人気者だったのですね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314334978

投稿: 佐平次 | 2019年5月14日 (火) 10:10

tonaさん、こんにちは~♪
「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」ですか。
それだけ、軍事上重要な橋だったのでしょうね。
比叡山の石地蔵があちこちのお城の礎石になったことは
延暦寺を訪ねた時知りましたが、その一部でも、
石鹿地蔵尊としてこのように祀られることになり良かったです。
義仲寺は義仲ゆかりのお寺なのですね。
大阪で亡くなったという芭蕉がなぜここにお墓があるのか
不思議でしたが、ブログを読ませていただいてよくわかりました。
若冲の天井画、修復されたらさぞ鮮やかで美しいでしょうね。
大津事件は?ですが、百足退治のお話は、
昔、テレビで見たことがあるような・・・(他の地域のお話かも)
力餅が美味しそうです。

投稿: hiro | 2019年5月14日 (火) 11:10

★佐平次さま

わー!調べていただきありがとうございました。
巴御前や山吹御前を従え活躍したのでそういう意味でも魅力のあった人かとは思いました。
しかし江戸時代に義仲が人気があったというのが何故かも書いてありましたので納得できました。
木曽の田舎者で公家衆や頼朝一族のように京で育ったのとは違うということだけで人間的に片づけてしまっている感がありました。
お礼申し上げます。

投稿: tona | 2019年5月14日 (火) 11:29

★hiroさま

瀬田や膳所は聞いていましたが、こんな重要な地点とは!
京都に近くなって俄然面白くなってきました。
延暦寺の石地蔵のこと、ご存じでしたのね。私は延暦寺は何度も訪ねているのに知りませんでした。
今回滋賀県に入って個人宅で大事にお祀りしている人の話を聞いたりしましたが、何回もお城の石垣に使われていたということもここで知りました。
私も義仲と芭蕉のお墓が並んでいる話は知っていたのですが、何故かも今回わかって、義仲寺がとても素敵なところとして印象に残りました。
まさかこんなところに伊藤若冲の絵があるとは。
大津事件は日本史に出てきたのでしたね。生麦事件も、ともに東海道上での事件でした。
百足退治のお話が滋賀県の近江富士・三上山とは驚いてしまったほどです。
甘いものを食べますと途端に足が軽くなります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月14日 (火) 11:39

今までの記事すべてに戦国時代他の歴史の数々が各所のお寺や神社にまた街道筋、城址として残ってるの

ですね。城址として残るのはほとんどが石垣のみが多いですね。
地上の建造物を残すのは維持管理が大変だからでしょうね。現代の表通りは近代風。横の昔の街道にはタ

イムスリップしたかのような昔が残っている。

街道筋のみならず、今まで旅行した各地にも歴史的なものが沢山残ってるのを見分しました。

 大津事件、当時としては小国日本が大国ロシアを相手にその対応に大変だったと思います。
ロシアが怒って攻めてくるのだはなかろうかと戦々恐々としてたと、父がよく話していたことを
思い出します。大麦事件も然り。

 木曽義仲と松尾芭蕉がそんな仲とは意外でした。いろいろ知ることの多い街道歩きの記事です。

 

投稿: 夢閑人 | 2019年5月14日 (火) 12:49

私も、芭蕉の墓が何故、義仲の墓の隣にあるのかと不思議に思いました。
佐平治さまご紹介のリンク、面白く読みました。
ありがとうございます。
それにしても義仲寺というのは、巴御前、義仲、芭蕉の墓があり、更には若冲の天井画まであって
価値のある所なのですねえ。

投稿: zooey | 2019年5月14日 (火) 15:33

こんにちは
 
湖の中に石垣を組んでとは、難工事だったでしょうね。
たまに戦国時代等の築城の謂れを見聞きすると、ときの大名たちが
(家臣がかもしれませんが)、地形や地の利などを実によく知っていて、
その場所にどのような城を築き城下町をどうするかと考えていて
感心します。この膳所城も築くに大きな理由があったのでしょうね。
今はほとんど何も残っていないとは残念なことです。

義仲寺では松尾芭蕉のお墓にもお参りされたのですね。
芭蕉がなぜそんなに義仲に心寄せていたかは分かりませんが、
望み通り隣に葬られて満足して眠っていることでしょう。

大津事件は下手をすると今の日本は存在しなくなっていたかも
しれないほどの事件だったのですよね?なぜそんな大それたことを
してしまったのだろうと思います。

投稿: ポージィ | 2019年5月14日 (火) 17:10

★夢閑人さま

おっしゃるように歴史が詰まった街道でした。
そして宿によっては江戸時代の街道の歩く姿、持ち物、食べ物、人々の目的、宿に実際に残っている建物の公開などでいろいろ学ぶことができました。
旧街道が随分残っていて当時の雰囲気が味わえました。全く残っていないところもありましたが、建物を一所懸命保存している様子は、住みにくいでしょうに頭が下がります。

大津事件はお父様からその心境を伺えたのですね。怖い話です。ペリー来航でも随分大変だったですからね。
義仲と芭蕉が仲良く隣同士で眠っている様子をしっかり見てまいりました。
私もあまりに知らないことが多すぎることがわかった旅でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月14日 (火) 19:19

★zooeyさま

佐平次さまのお陰で謎が解けました。ありがたいことです。
義仲寺は今は緑もきれいで、また境内にたくさんの句碑があります。芭蕉のお弟子さんが多いように思いました。
若冲の絵にも驚きました。
また蕉門俳書を収集した粟津文庫もあります。
資料館には俳画や肖像画、芭蕉翁一代絵巻、芭蕉の杖などもありましたよ。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月14日 (火) 19:33

★ポージィさま

こんばんは。コメントありがとうございました。
今でしたらいろいろな工法がありますが湖の中に石垣組んで水城を建てたなんて大変でしたでしょう。湖上の城なんてロマンティックに感じますが実際にはそんなものではなかったのでしょう。
膳所城の縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画されたとありました。
本当に残っていなくて見られないのがとても残念です。

芭蕉が義仲に心を寄せていたことは↑の佐平次さまが調べてくださいましてそのリンクを読んで納得できました。
今と違って江戸時代には義仲は田舎者というイメージでなく人気者だったようです。

よく幕末物を読んだりドラマで見ますと血気にはやった若者は何をしでかすかわからない時代でもあったのですね。大津事件、今でも震え上がるような事件です。

投稿: tona | 2019年5月14日 (火) 19:46

信長の比叡山を焼き討ちの際に地蔵をひきずり降ろして
坂本城の礎石にしたのですか。
知りませんでしたが信長らしいやり方とでもいえるでしょうか。
義仲と並ぶ芭蕉のお墓の訳も興味深く読ませてもらいました
江戸時代、義仲は人気者だったのですね。
中身の濃い大津宿を歩いたお疲れは力餅で癒されましたか。

投稿: ビオラ | 2019年5月14日 (火) 22:51

こんにちは。大津はやはり見どころ満載でしたね。地理的に大変重要な場所だったというのが良くわかります。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年5月15日 (水) 08:25

★ビオラさま

比叡山は焼き討ちだけにとどまらず、根こそぎ持っていくという感じだったのですね。
お地蔵様までが石垣になるなんて夢にも思いませんでした。おっしゃる通りまさに信長らしい感じです。
木曽の田舎者として知られて今日、江戸時代ではその人間性までよく観察して評価していたのですね。
1冊の本。あるいは教科書をそのまま鵜吞みにしてはいけないという教訓も得ました。
歩いたときは餅や餡が効き目抜群です!
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月15日 (水) 08:57

★多摩NTの住人様

こんにちは。
コメントありがとうございます。
大津が交通の要所として発展したため見所が多かったです。当時の都と北陸や中山道、東海道その他の街道にここから広がっていったのですね。琵琶湖もあり、お寺も多くあって素敵なところです。

投稿: tona | 2019年5月15日 (水) 09:02

今回の東海道34 瀬田~大津宿1を書き出した後に、近江大橋 向こう側の東詰で事故が起きたのですね。
今迄は何気なく聴いてた事故も、この記事と余りにも痛ましい園児達が巻き添いになったので
強烈な衝撃でした。

tonaさんの記事で大津がこんなに交通の要としてると初めて知りました。
また義仲寺が大津にある事も初めて知りましたが、2017年10月に木曽義仲館に行った時に
余りに面白くて義仲の歴史に凄い人だったんだと思いました。
その時に芭蕉の事も知り、芭蕉が死んだら義仲の隣の墓に入りたい
そこまで好きになった人なのですから人徳もあったのでしょう。

この記事を読んだら是非とも義仲寺に行ってみたくなりました。

投稿: ラッシーママ | 2019年5月15日 (水) 22:16

★ラッシーママさま

右折車の割り込みは本当に怖い事件ですね。
行った後にここで起こったものですから、もう忘れません。
昨日も公園で遊んでいた園児の砂場にフェンスを突き破って車が突っ込みましたが、車の不具合のようなことを言っていますがやはり踏み間違いではないかと思いました。保育士さんが自分の身で園児をかばって骨折とは。

私の方も木曽義仲館にも行ってみたくなりました。そこは義仲の人柄もわかるような展示なのですね。あの芭蕉が惚れこんだ人だったのですからね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年5月16日 (木) 08:27

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