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2019年5月16日 (木)

東海道34 瀬田~大津宿(3)

●大津宿(53番目の宿)の続きです。<三井寺と逢坂の関蝉丸神社見学>

辻の札から寄り道して三井寺へ。

途中に琵琶湖疏水がある。
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三井寺到着。園城寺(三井寺)は天台寺門宗総本山。始まりは天智、弘文、天武天皇の勅願による。開祖は智証大師円珍和尚で母は弘法大師の姪。

立派な仁王門だこと(重文)。徳川家康より寄進される。
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釈迦堂(重文)
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近江八景「三井の晩鐘」。日本三銘鐘(あと2つは平等院・高雄神護寺)の一つ。数回来ているが覚えていたのはこれだけであった。
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金堂(本堂・国宝)は秀吉の北政所により再建された。本尊は弥勒仏(秘仏)。特別公開で内陣の大日如来や不動明王などの他、円空仏も見られた。
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閼伽井屋を見てから、霊鐘堂で弁慶の引き摺り鐘を見る(重文)。
藤原秀郷が三上山の百足退治のお礼に琵琶湖の龍神からいただいた鐘を寄進したと伝えられているが、その後弁慶が奪って比叡山に引き摺りあげたところ、イノーイノー(帰りたい)と響いたので、谷底に投げ捨ててしまった。そういえば延暦寺には力持ちの弁慶が渡り廊下をてんびん棒にして、2つのお堂をかついだという伝説から「弁慶のにない堂」というのもありましたっけ。
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弁慶の汁鍋。鐘を奪った際に置いていった大鍋というがその大きいこと。
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一切経蔵(重文)の内部の、一切経を収める回転式の八角輪蔵。
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三重の塔(重文) 家康により寄進された。
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微妙寺の十一面観音(重文・平安初期・湖国十一面観音霊場第一番札所)は見られない。
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地蔵様 
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毘沙門堂(重文)は鮮やかに彩色されている。
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西国十四番札所観音堂(県指定文化財)へと上がっていく。
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更に上の展望台に上がってみると、すっかり晴れて琵琶湖が一望できたのです。素晴らしい眺めです。三井寺から琵琶湖が望めることすら知りませんでした。
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大津そろばんの碑(大津はそろばん発祥の地)  
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東海道に戻る途中の長等神社内の馬神神社には、競争馬の名前が書かれた木札が貼ってあった。
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このあたりのお寺の多さにも驚きさすが日本一を感じる。大津宿も草津宿同様、宿場の解説板は殆どなく、ただこの本陣跡だけあった。
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この後、京阪京津線の大谷駅までの間に三つの蝉丸神社(平安時代、逢坂峠の守護神として建立され、後に蝉丸が合祀された)があり、その間に弘法大師堂や逢坂山関址の碑、大津絵販売の地碑などがある。

「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の歌で有名な蝉丸。逢坂の関に庵をむすび、往来の人を見てこの歌を詠んだという。
平安時代の歌人であった盲目で琵琶の名手だった蝉丸は、歌舞・音曲の神として、また眼病の人々の神として祀られている。能や人形浄瑠璃にも『蝉丸』がある。
逢坂の関は平安時代、山城国と近江国の国境となっていた関だったが、平安後期には形骸化され形を失ったという。
逢坂の関を詠んだ歌がもう一首、百人一首にある。清少納言「夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」

・関蝉丸神社下社 
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蝉丸型の時雨燈籠(重文)がある。鎌倉時代のもので貴重な燈籠だそうだ。
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・関蝉丸神社上社 
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弘法大師堂 
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逢坂の坂  
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逢坂山関址の碑と常夜燈があった。
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大津絵販売の地ハン六の碑。逢坂山付近の名物は、この大津絵と算盤と縫い針と走井餅だった。
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・蝉丸神社分社。
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2列になった車石。草が生えてわかりづらいが、牛車が泥道で立ち往生しないように車石と呼ばれる石が京都・大津間に敷設されていたという。
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京阪の大谷駅に到着すると、かわいらしい、コルクのオブジェがいろいろ並んでいた。
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大津絵もあった。
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この駅は日本の普通鉄道駅でもっとも傾斜のある駅であり、ベンチの脚の長さが左右で違っている!腰掛けながら反対のホームのベンチを見る。
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入ってきた京阪電車は碓氷峠並みの66.7%の勾配を下りてきたのだった。又辻の札あたりは併用軌道を走っていた。
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この日のお弁当は「京のおばんざい弁当」 お土産は生八つ橋でした。
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前回と同じのぞみに乗り帰宅は10時半頃。43800歩。いよいよ次回にゴールの三条大橋に到着予定です。

 

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コメント

大詰めですね。
やはり大津には一度はいってみたい。
修学旅行は通ったに近いもの。

投稿: 佐平次 | 2019年5月17日 (金) 09:41

三井寺はかなり昔に行きましたので詳しいことは
忘れてしまいました。鐘だけしか覚えていません。

蝉丸神社は短歌と縁のある場所ですのに、
知りませんでした。
大津がそろばん発祥とは知りませず、
兵庫県の小野市と思っていました。
生産地が日本一で、発祥ではなかったのですね。

今回も多くの収穫があり、よい旅でしたね。
とても真似は出来ません。

投稿: matsubara | 2019年5月17日 (金) 10:09

★佐平次さま

ありがとうございます。
本当に修学旅行って見るでなく通るでしたね。
10年ごとに見ても覚えてないのですから何度行っても発見ありです。いいような悪いような。

投稿: tona | 2019年5月17日 (金) 15:57

★matsubaraさま

ずっとここで一緒に旅していただきありがとうございます。
三井寺は晩鐘、石山寺は紫式部の執筆部屋しか覚えていまいという情けなさですが、今回でまた少し見聞が広がったように思えます。
小野市の算盤制作はテレビで観ました。それで私も勘違いしていました。
大津絵もいまだに愛好家がいるそうですね。

投稿: tona | 2019年5月17日 (金) 16:03

tonaさん、こんばんは~♪
小さな木の船に乗って疎水下りの夢を見たことがありますが、
実際は京都・南禅寺の水路閣を見た事しかありません。
関西に住んでいたら琵琶湖疎水巡りもしてみたかったです。
三井寺は一度は訪ねてみたいと思っています。
数々のお堂や琵琶湖の眺めなど、素晴らし尽くしですね。
特別公開で内陣の大日如来や不動明王などの他、円空仏も
ご覧になったそうですが、良かったですね。
「逢坂の坂」は百人一首で有名ですね。この辺だったとは知りませんでした。
「京のおばんざい弁当」も美味しそうです。
43800歩も歩かれたとは驚きました。
私なら足がつぶれていそうです。
いよいよ次回で終了ですね、楽しみにしております。

投稿: hiro | 2019年5月17日 (金) 19:21

★hiroさま

こんばんは♪いつもありがとうございます。
南禅寺の水路閣を見たときはローマの水道橋ほどではないにしても京都のお寺の中にと驚きました。ローマは2000年近く前ですから本当に驚きました。
疏水を見て船に乗りたいと思いました。
hiroさんが三井寺を楽しみにしてくださったので、写真を随分たくさん載せてしまいました。東海道とは関係ないかもしれませんが寄り道も良い所はしないとです。
私も百人一首のこの二首の逢坂の関がこんなところにあったとは知りませんでした。急な坂ではないので辛くないです。
今は靴の良いのがありますから歩けますね。昔の草鞋だったら女性も歩いたという30㎞はとても無理です。まあ、いつまで膝が大丈夫か?一日でも長く歩けますようにと祈る日々です。

投稿: tona | 2019年5月17日 (金) 20:19

こんにちは。これは見所満載ですね。琵琶湖疎水のような土木工事から、百人一首まで。そして鉄道ファンにも面白い蘊蓄でした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年5月19日 (日) 17:28

★多摩NTの住人さま

こんばんは。コメントありがとうございます。
琵琶湖疏水初めて見ました。
狭軌の鉄道に乗ったり、今回その部分は乗れませんでしたが急勾配の電車など違った電車に乗れたのも街道歩きのお陰でした。

投稿: tona | 2019年5月19日 (日) 19:32

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