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2019年6月24日 (月)

中山道2 武佐宿~愛知川宿~高宮宿(3)

愛知川~高宮の続き 

伊藤忠兵衛記念館は無料。伊藤忠創始者・伊藤忠兵衛の旧邸であり、二代目忠兵衛が生まれた豊郷本家。明治15(1882)年建設された。
大きく立派な家で庭も広く手入れされ、蔵は2つもあって当時の貴重な品が沢山保管されている。
初代の妻八重さんは大所帯を切り盛りするだけでなく、アシスタントとして江州での近江麻布の仕入れを一手に切り回した。新入店員の教育もし、また二代目を自ら指名し、丁稚小僧扱いにし、5年間の地方回りの下積みを重ねさせ、その後イギリス留学をさせた由。
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伊藤長兵衛家屋敷跡。九代目伊藤長兵衛が1921年伊藤忠商店と合併して株式会社丸紅商店設立し、初代社長になった。伊藤忠と丸紅は同じ系統だったことを初めて知った。この方は地域のために自費で病院を建て、屋敷跡は病院の駐車場になっている。
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八幡神社にある石柱には豊郷町のこのあたりが石畑で間の宿とあった。立場跡もあった。
又、那須城跡でもあり、かつては弓に名手・那須与一の次男石畑宗信がこの地を治めていたそうだ。
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旧豊郷小学校は、この町出身で丸紅の専務だった古川鉄治郎の寄付で建てられたもので、ヴォーリズの設計。滋賀県最古の鉄筋コンクリート造りで、縦長の窓が並んでいるのが特徴。見たことがないけれども、アニメ「けいおん!」のモデルになったところ!
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スズムシバナの群生地があった。鈴虫が鳴く頃に薄紫の色の花を咲かせるが、九州、四国、本州(近畿地方以西)に自生し、この町のものが自生しているものでは北限だそうだ。キツネノマゴ科ですが葉はシソの葉によく似ている。
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彦根市に入って西側に「おいでやす」、東側に「またおいでやす」と書かれたモニュメントが立っている。その上に麻の荷を担いだ女性、旅人、近江商人がのっている。
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月通寺には行基が刻んだ柏原地蔵(見られない)がある。この門が医薬門(左右に本柱と控え柱をそれぞれ1組ずつ配し、屋根は切妻破風造りのもの)。
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松とカエデの並木の街道。
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120里目の壊れた一里塚跡。
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またこちらにも無賃橋が出てきた。
当初ここ犬上川には橋はなく、川越人足による渡しだったが費用が高く、彦根藩は豪商らに命じて費用を一般から募って橋を造らせ無料で渡れるようにしたため、無賃橋と言われるようになった。無賃橋碑があった。
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高宮宿(64番目の宿)愛知川宿から7.9㎞、鳥居本宿まで5.9㎞、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠23軒。

橋を渡って高宮宿に入ってきた。多賀大社の門前町であり、「高宮上布」という麻織物の集散地として栄え、中山道の宿場の中では本庄宿につぐ規模だったそうだ。

彦根市のマンホールは市章を幾何学的に配置し、外周に市の木のたちばなをデザインした。ひこにゃんのマンホールもあるらしい。
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今日のお土産は旭堂の丁稚羊羹。刻んだ栗が美味しい羊羹。丁稚さんでも買えた羊羹という。
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まず円照寺があってとても立派なお寺。明治天皇ゆかりの松を見、家康の腰掛石があるというがこれは見つからなかった。
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表門が現存している本陣跡。
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高宮寺(こうぐうじ)。奈良時代に行基とインドから来日した婆羅門が開基したと伝わる。中に重文の木像や県指定文化財4点があるという。
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小林家の前に芭蕉の紙子塚の説明板と碑がある。
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芭蕉が小林家に泊まった際、「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」 と詠んだ。紙子とは紙で作った衣服のことで、小林家は新しい紙子羽織を芭蕉に贈り、庭に塚を作り古い紙子を収めて 「紙子塚」 と名付けたという。

多賀大社の一の鳥居。高さ11メートルで滋賀県最大。県指定有形文化財。ここから多賀大社まで3.6㎞の距離がある。江戸時代の三大神社参りは伊勢、熊野そしてここ多賀であった。延命信仰では重源や秀吉の話が有名だ。
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高宮宿の街並み。雨がやっと止む。
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座・楽庵の看板のある建物は布問屋で蔵もある。建物は登録有形文化財。
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高宮神社は創建は鎌倉末期。見つからなかったが芭蕉の句碑も残る。
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参道にあった立派なお宅は馬場家住宅。元大庄屋の家である。近江商人でもあって、蔵が4つあり、天保4年の創建という。
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街道歩きは宿の終わるこのあたりで終了し高宮駅へ。
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彦根まで近江鉄道に乗り、琵琶湖線に乗り換えて米原着が6時前。18:57のひかりに乗り、米原駅のお弁当を食べ(なかなかに美味しい)、21:10東京着。帰宅は22時半前。41264歩(この内、家往復は帰りのみバスを使うので約2700歩)
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(完)

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コメント

こんばんは順調に中山道を歩いてらっしゃいますね。
ヴォーリスの豊郷小学校を見学しに、3年前に豊郷に行きました。
殆ど何もない駅を降り、静かな道を歩いて行くと突然立派な小学校があらわれました。
豊郷小学校は独立した図書館や雨天体操用を持ち、当時の教育の最先端の設備を備えた学校でした。
この土地に私財をなげうって小学校を作った古川翁の偉大さを知りました。
伊藤忠兵衛の屋敷も行きましたよ。
tonaさんの街道歩きに知っている場所が出てきて嬉しかったです。

投稿: ☆銀河☆ | 2019年6月24日 (月) 23:57

★☆銀河☆さま

おはようございます。
梅雨に入ってしまったので雨の一日でした。帰ろうとすると止んで。この後は暑い夏がやってきて歩けなくなりますので、雨にも負けずとオーバーに気負っての歩きです。

わー、☆銀河☆さんもこの道筋歩いてらっしゃるのですね。
東海道でもヴォーリスの建物を1つ見ているのでこれが2つ目です。
なかなか素晴らしい。結構大きな建物ですね。
近江八幡にはもっとたくさんあるのでしょう。他にも見たいです。
伊藤家の屋敷、くまなく拝見しました。八重刀自の凄さを知りました。自分は何をやってきたのだろうかと思ってしまうほどでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月25日 (火) 08:33

知らないところばかりでしたが、昨年多賀大社に
はじめて行きましたので、近江鉄道に乗りました。
岐阜よりローカルでしたので、驚きました。

琵琶湖線のことは知りませんでした。

いつもいろいろなお弁当を味わえるのも楽しみですね。

投稿: matsubara | 2019年6月25日 (火) 08:34

★matsubaraさま

多賀大社のことはmatsubaraさまのブログで知りました。
ですから行きたかったですが、高宮から往復2時間以上かかります。米原から直接電車で行った方がいいですね。
近江鉄道はスイカが使えなかったと思いました。亀山からの関西本線もでした。ローカルです。
米原のお弁当は2回目ですがなかなかに美味しいです。もう1回味わえると思います。
ありがとうごいました。

投稿: tona | 2019年6月25日 (火) 09:25

こんにちは。伊藤忠と丸紅のルーツがここにありましたか。同じルーツだったのですね。今はそこまで知っている人は少ないでしょうね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年6月25日 (火) 09:25

★多摩NTの住人さま

丸紅は伊藤忠や三井物産や三菱商事などと同じに別の会社と考えていました。
近江商人の違う伊藤家が合併とは知らなかったです。合併しても伊藤忠の方は本店の他、大阪やその他に他の系列の会社を作りたくさんあるのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月25日 (火) 09:31

こんにちは
 
知らない事ばかり。伊藤忠と丸紅が元をたどれば同じ、ということも
初めて知りました。伊藤忠も丸紅もあまりに有名な総合商社ですが、
近江商人から発したということすら初めて知りました。
そもそも、商社といわれる会社が行っている事業もよくは分かって
いないのですが、初代・伊藤忠兵衛から今日に至るまで、
時代に合わせて変化しながらも近江商人としての自負や心意気が
受け継がれてきているのでしょうね、きっと。
伊藤忠兵衛記念館のお写真を拝見すると、何だか自然と背筋が伸びる
ような気持ちになります。
古くからの建物や街並みもたくさん残っているところですね。
 
お弁当の片隅のサイコロが気になります。

投稿: ポージィ | 2019年6月25日 (火) 12:37

tonaさん、こんにちは~♪
伊藤忠兵衛記念館のお写真を拝見し、
明治時代の商家の様子がよくわかりました。
お庭も広くて立派ですね。
伊藤忠と丸紅が同じ系統だったこと、私も初めて知りました。
彦根市は彦根城しか見ていませんが、多賀大社など
由緒ある神社も多いのですね。
丁稚羊羹や米原駅のお弁当等、美味しいものを
味わえるのも楽しみですネ。

投稿: hiro | 2019年6月25日 (火) 13:27

★ポージィさま

こんにちは♪
私もたくさんある商社の有名なのが近江商人であったということは全く知らなかったです。
山崎豊子の『沈まぬ太陽』を読んで、外地で苦労している人の上に成り立っている商社のイメージが強いです。そういう人々によって日本は豊かになって、高齢者は私のように働かなくても食べていける幸せな元を築いてくれました。現地の人こそとても言い尽くせぬほど大変ですが。特にアフリカや中東は。中国もね。
内助の功が凄すぎて、あの頃の女性の強さは武家女性の強さとはまた違ったもので、八重さんの働きに感動しました。ほとんどの女性がそうだったのですね。
ここは古い家が残った雰囲気がいかにも宿場であった感じを醸し出しています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月25日 (火) 16:12

★hiroさま

こんにちは♪
伊藤忠記念館は超一級の本陣のような広さです。
それに蔵が2つあって歴史的にも貴重なものが沢山展示されていました。
面白かったのがイギリスのらしい紅茶セットがたくさん飾ってありました。商社という感じがしてきました。
多賀大社は有名ですが、伊勢神宮と熊野大社と並ぶほどとは驚きました。ちょっと遠くて時間切れで行けませんでした。
彦根市に入りましたが、彦根城は次回の次の宿、鳥居本から近いですが、多分街道からは見えないのでしょう。行ったことがありますのでスルーしますが、もう一度見るに値しますね。
丁稚羊羹、甘さ控えめで美味しかったですよ。
米原はお弁当が美味しいです。もう1回別のが手に入るといいのですが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月25日 (火) 16:23

伊藤家は松坂屋の係累でもあるのだったかな。
それにしてもよく歩きますね、羨ましい。

投稿: 佐平次 | 2019年6月26日 (水) 09:03

★佐平次さま

同じ伊藤なのですが、Wikiによりますと尾張藩御用達商人の伊藤さんのようです。親戚でしょうか、距離的には近いです。
早く歩けますように。
私もヒヤルロン酸1本打ったことがあるのですよ。それで治りました。人それぞれで関係ない話ですみません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月26日 (水) 17:21

青山にある伊藤忠本社、日本橋にある丸紅本社はしていますが
こんな所にルーツがあったなんてまるで知りませんでした。
脚で歩いてみないと分からないことですね。
米原駅は京都に行く時に通り過ぎるだけで、降りたこともありません。

投稿: zooey | 2019年6月26日 (水) 22:24

★zooeyさま

東京本社は丸紅の方だけ知っていて伊藤忠本社、青山だったのですか。
おっしゃる通り近江商人の所を通ったので、道の説明板とお屋敷の中の説明で知りました。

米原は乗り換えだけですが、次回は駅の所を歩きますので、それが初めてです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月27日 (木) 06:44

丸紅と伊藤忠が同系とは意外でした。
いずれも近江証人の伊藤忠兵衛が創始者。
合体したり、別になったりり。
調べると戦後、財閥解体で別になったのですね。 
3Mお言われる、三井物産、、三菱商事、丸紅。つながりがあるのですね。
いずれの商社も付き合いがありました。
一時期、呉羽紡績も関係あったのですね。

 鳥居の横の信号。これが現代なんですね。

 地元のためにいろいろ尽くし、後継ぎにも厳しく修行させたのですね。
それでこそ、ほんとの地元有名人、「おらが町の大先生」なんです。
 今のある現役大臣は、故郷にあまり帰ったこともない、故郷のために尽くしたこもともない。
そのためか、あまり評判は必ずしも良くない。
父親は苦労して一代で財を成し、故郷のためいろいろ尽くして人望があった。

 国会は閉幕。いよいよ選挙に向けての闘いが始まる。故郷に帰ってこの時だけ仏顔。
奇特な人はほとんどいない。

投稿: 夢閑人 | 2019年6月27日 (木) 10:40

★夢閑人さま

私もまさか同系とは思いもしませんでした。
3Mとお付き合いがありましたか。
大会社が殆ど関係するのでこの系統の会社は凄いですね。お給料もとてもよいとか。海外駐在は大変。それはどこの会社もそうですね。
二代目になると呉羽紡績とか大同貿易とかいろいろな会社の社長や会長職、その他関係して近江商人なかなかのものです。
利益ばかり追求しないで人のため、故郷のために尽くす人は少ないかもしれません。
政治家はじめ自分の利益になる事ばかり考え、口先だけの人が多く目立ちます。
全くおっしゃる通りです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月27日 (木) 16:45

伊藤忠商事の名前は伊藤忠兵衛から名乗ったものなのですね。
旧豊郷小学校は、この町出身で丸紅の専務だった古川鉄治郎の寄付で建てられたもので、ォーリズの設計
この事は何方かのブログで知ったのですが、それが銀河さんのブログだったのですね。

今回の記事で近江商人がこれほど多くの会社を創設し関わってるのを知りました。
滋賀県は2度ほど行ってますが多賀大社は知りませんでした。
相変わらず41264歩、健脚ぶりが凄いです。

投稿: ラッシーママ | 2019年6月27日 (木) 21:23

★ラッシーママさま

伊藤忠の名の由来までわかりました。
ヴォーリズ設計の建物は2つ目ですが、教会と学校、個人宅が多いですね。
近江商人おそるべし。
後に会社になったそれが知名度の高いものばかりです。
多賀大社は高宮宿から歩いて往復2時間以上で諦めました。
寄り道が遠いと肝心の街道歩きがはかどらなく、疲れも倍増しそうな気がします。4万歩といても6時間も歩いてないですね。
滋賀県だいぶ身近に感じるようになりましたが琵琶湖湖畔は何も関係ないのです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月28日 (金) 08:50

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