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2019年6月11日 (火)

中山道1草津~武佐(後編)

◆ 守山~鏡(間宿)
次の武佐宿まで13.8㎞と草津から武佐よりも倍以上の長い距離で鏡という間(あい)の宿があった。

稲妻型道路と言って守山宿の加宿・吉身は、街道に面する民家は直線的に並列せず、一戸毎に段違いの屋敷割になっていたとのこと、今見られないのが残念だが、思うに歩きづらそうな感じだ。宿場の治安維持を図るための工夫だったらしく全国的にも珍しかったとのこと。

加宿の高札場跡を過ぎて野洲市に入り、野洲川を渡る。野洲川は大きな川で、朝鮮通信使などの場合を除き、橋は架けられず、徒渡しだったそうだ。三上山がきれいに見えた。
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まだまだ近江路、もうお地蔵さんだらけ。この先もたくさん見かけた。これもその一つで川を渡った先に並んでいた。個人宅にもかなり見られた。
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芭蕉句碑を撮影。「野洲川や 身は安からぬ さらしうす」・・野洲晒(さらし)は麻布を白くさらす 「布晒」 を行っていて、冬に冷たい川に入って布をつくのは重労働だったという意味。風景が思い浮かぶようだ。
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野洲市のマンホールは旧野洲町から出土された銅鐸の模様。
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梅元老舗という和菓子屋でおやつとして三上山彩景という三上山の形をした蒸しパンのようなどら焼きを購入しもう少し先でいただく。
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唯心寺の屋根は茅葺きでなかなかいいものだ。このお寺を開基した唯心尼は処刑された住蓮坊を手厚く葬ったという。
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弘法大師作と伝わる背くらべ地蔵がある。当時は乳児がよく死んだため子を持つ親達が、小さい方の地蔵と子供の背丈を比べ我が子の発育を祈った。大きい方は、阿弥陀如来立像で背比べをしているわけではない。
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行事神社の鳥居にかかっている縄は勧請縄といって悪霊や疫病神が入ってこないよう縄を張って境を守る。紙垂が木の枯れ葉のようで実に面白い、珍しいしめ縄。枯れ葉が落ちていないのが不思議?何か仕掛けがあるのかな。
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この神社の横を流れる用水路は祇王井。平清盛の寵愛を受けた祇王が故郷の人々が干ばつで苦しんでいることを訴え、清盛が水路を造らせたとのことでこの名がついた・・と平家物語にあるとか。
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野洲市の2種類目のマンホールは市章と三上山、鉄橋、野洲川とアヤメ。
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こんな可愛い六地蔵もあった。
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宝樹寺には鎌倉時代の宝篋印塔がある。この寺で近江天保一揆の打ち合わせが行われたという。東海道側まで一揆は広がっていた。
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銅鐸出土地のあたりを過ぎ、国史跡大岩山古墳群の一つの桜生(さくらばさま)史跡公園の3つあるうちの甲山古墳(6世紀)・横穴式が街道沿いにある。中の石棺が大きい。
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子安地蔵堂には平安時代の地蔵があるが秘仏で見られず、天井川だった家棟(やのむね)川を無くして新家棟川を作ったのを渡る。滋賀県は天井川だらけでもあったのに感心する。渡ったところにある愛宕山常夜燈。静岡県や愛知県は火伏として秋葉常夜燈であった。
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不帰池(蛙不鳴池)。1185年、源義経が平家の大将・平宗盛とその子清宗を処刑した時、その首を洗った首洗い池と続いていて蛙が鳴かなくなったと言われた池だ。
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平家終焉の地、平宗盛・清宗胴塚
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◆鏡の宿(間宿)~武佐

竜王町に入ると、道に駅・竜王かがみの里がある。
向かいに義経元服の池とその碑があった。
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隣の鏡神社の参道には、義経が元服後参拝した折に烏帽子をかけたとされる烏帽子掛け松があった(明治6年の台風で倒れたため切断したまま残されている)。神社の本殿は室町時代のもので重文。
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間宿として、旅籠の跡や本陣跡などの案内板が続く。本陣には皇女和宮も休息した。
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源義経宿泊の館跡。このあたりは義経関係が多い。
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こんな愛宕常夜燈もあった。
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竜王町のマンホールは町の木「松」と町の花「コバノミツバツツジ」が描かれている。
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間の宿を抜けると遥かかなたまで田んぼが広がる。近江盆地の最も広い平地部で 耕地の約90%が水田で、他にメロン、ぶどうなどを栽培しているそうだ。
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「みなくち道」「是よりいせみち」の道標があってまたまた、東海道(水口)や伊勢につながっている道が出てきた。
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川縁の石造物。
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日野川を渡ると近江八幡市に入った。
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水田と麦畑の中を行く。今まさに麦秋だ。
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高札場跡の向かいに八幡社がある。
源義家が奥州遠征の途中、愛馬が熱病にかかりここで休ませたところたちまち回復したので、応神天皇の霊を勧請して武運の長久を祈願して造ったとの伝承がある重文の社である。
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遠くに住蓮坊古墳が見えた。その母が自害した場所を通ったが、住連坊は安楽坊と同じく法然上人の弟子で後鳥羽上皇の溺愛する女官を、上皇の留守中に出家させたために死罪になった。安楽坊は京都で住連坊はこの地で。二人の墓があるのがこの古墳だ。
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武佐宿に入ってすぐ住友グループの育ての親・伊庭貞剛邸跡がある。公園になっていて、武佐竜胆が飾られていた。武佐で発見された竜胆のようだ。
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近江鉄道の無人駅・武佐駅に到着。
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近江八幡駅でJR琵琶湖線に乗り換え、米原で新幹線「ひかり」に乗る。名古屋を過ぎると小田原に停まるだけで21:10に東京駅到着。家には10時半頃着く。47081歩で最初から良く歩いたものです。
米原で買ったお弁当は牛肉弁当。
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コメント

こんにちは
 
中山道の初回、47081歩でしたか。たくさん歩かれましたね。
早くも自然豊かな街道沿いの風景に気持ちが安らぎます。
 
次々と色々な時代の様々な史跡や歴史的建造物など登場しますね。
頭の中で時代も整理できませんが、たまに知っている名前が
出てくると、にわかに史跡がドラマの場面に変わるような
感じもします。残念ながらほんのちょっぴりですが。
 
稲妻型道路というのは初めて知りました。防衛のための道路は、
鍵の手道路や丁字道路だけではないのですね。
 
背くらべ地蔵の小さなお地蔵さんにまつわるお話には切なくなりました。
お地蔵さんがとても多いのは、日本の仏教の起点である
都に近いことと、人々の命が現代よりはるかに儚かった当時の
事情が関係しているのでしょうか。
 
武佐竜胆は綺麗ですね。初めて拝見しました。
でも、これが竜胆??とも。昔この花を見つけた方には
竜胆みたいに見えたのですね。
 
(脈絡のない感想コメントになってしまってすみません。)

投稿: ポージィ | 2019年6月12日 (水) 10:10

★ポージィさま

こんにちは
意外や初回からたくさん歩いてしまいました。電車が本数が少なくて不便ですのでどうしても駅にたどり着こうとしています。
足が今のところ順調なので幸いでした。
今度は源氏や平氏関係から古墳の時代まで次々と出てきて、地名となかなか結び付きませんが、滋賀県は京都のすぐ隣、いろいろな人が行きかって様々なことがあったのが頷けました。

稲妻型道路・・珍しいですね。私も初めてで、知らないことが多すぎです。本を系統的に読んでいるわけでもなく、その読書で出てくるわけでもないと思われますので、すぐ忘れてしまうのですがひと時の感動に浸っています。

お地蔵さんが多いのはポージィさんがおっしゃる通りだと思います。特に滋賀県なのですね。

武佐竜胆は山に自生しているとのことですが、近江八幡市の武佐で発見されたそうで、この市の花になって、武佐では保存会が力を入れていました。
この花を小さくするとタツナミソウに似て見えます。竜胆とはイメージが違いますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月12日 (水) 14:46

tonaさん、こんにちは~♪
野洲市って滋賀県のどのへんかと思って地図で調べてみました。
ノス市かと思ったのですがヤス市と読むのですね。
滋賀県は琵琶湖がほとんど面積を占めているようなイメージが
ありましたがずいぶん広いことが分かりました。
たくさんのお地蔵さまにも驚きましたし、
芭蕉の句からも当時の様子がよくわかりますね。
tonaさんはほんとに和菓子がお好きなのですね。
その土地のお菓子を見せていただくのも楽しみの一つです。
背くらべ地蔵、大小のお地蔵さまがちょこんと並んで可愛いですね。
阿弥陀如来のお地蔵さまは初めて見ました。
平家物語は昔、現代語訳で読みましたが、祇王についてはあまり
覚えていませんでした。ここが故郷だったのですね。
宝樹寺の宝篋印塔、石棺、愛宕山常夜燈等からは
往時の情景が垣間見られたような気がしました。
平宗盛・清宗胴塚からは、「驕れる者久しからず」の一節が
思い出されてきました。
近江八幡には行ったことがありますが、八幡堀や古い街並みを
歩いたり、たねやさんでお買い物をしただけでした。
ツアーでなかったら八幡社にも立ち寄ることが出来たでしょうに。
いろいろ勉強になりました。
武佐竜胆は美しいですね。飾り方も江戸時代のようで素敵ですね。
47081歩ですか。素晴らしいですね。

投稿: hiro | 2019年6月12日 (水) 17:23

★hiroさま

こんばんは♪
私もヤスって読めませんでした。
野洲川が鈴鹿山系の方から流れてくるのを土山のあたりから眺めてきましたが、大きな川で、それが野洲市から守山市の方へ入り琵琶湖に流れています。なかなかに雄大な眺めです。
お地蔵様が好きな人は滋賀県内を歩くと凄く満たされると思うのです。私の中では滋賀県=お地蔵様です。

はい洋菓子より和菓子です。以前は洋菓子の方の割合が多かったですが。街道歩きでは当時の人が食べた和菓子をずっと見てきてそのうちいくつか味わえたので嬉しかったです。
中山道にもありますよ!
平家物語も源氏物語も現代語訳です。その源氏ですが田辺聖子さんので、亡くなられてしまいましたね。
平家の方はところどころ思い出しますが、ここへ来て終焉の地と書いてあって、壇之浦だけでなかったのだと知ったり、また平家の落人の住んだ地域が関東にもあることなど思ったり、祇王たちの優しさをこんなところで知ったりで、もう一度読み直したいです。
平家の隆盛に比べますと鎌倉の源氏は北条にいいように操られ、寂しく三代で滅亡。儚いです。
近江八幡にいらしたのですね。駅を通過しただけで、寄れませんでしたが、いつか行きたいところで、そんなところがどんどん増えて困るほどです。
武佐竜胆はムシャと呼ぶのだそうですね。青はとても良い色合いで白と交互に並べられていました。そうでしたね。江戸時代風の並べ方。神代植物園で江戸時代起源のお花をこのように飾っていました。
最初から時々5万歩近くになってびっくり。なるべく無理しないように駅を見つけなくては。
次々回から東海道本線に沿うみたいなのでそれがまた一駅が長くて、頑張らなくてはならない日が出てきます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月12日 (水) 21:24

tonaさんへ
休みなく早くも折り返し、中山道に進撃とはびっくりです。近江八幡あたりの田園風景は昔の街道歩きとさほど変わっていないのでは?、岐阜や長野など次第に山坂を歩くようになると、もう昔の旅人気分になるでしょう。道形も東海道より良く保存されているのではと拝察します。去年の11月、諏訪大社下社にお参りし、秋宮・春宮辺を歩きましたが、甲州道中と中山道の合流碑が建ち、下諏訪宿本陣岩波家がありました。中山道の真ん中あたりでしょうか。軽井沢から碓氷峠の旧道も下ったことがありますが、なかなかハード、これからのご健闘と道中のご無事をお祈りします。

投稿: shikamasonjin | 2019年6月12日 (水) 21:32

★shikamasonjinさま

こんばんは。
はい、先週2回目も歩きました。いつもぐずぐずしてアップが遅くなりそうですが。
確かに道が今のところ歩きやすく整備されています。時々国道に合流するとたくさんの車と一緒は東海道と同じですが。
岐阜の終りの方や長野はストック持参します。
諏訪が二街道の合流するところ、合流碑があるのですね。楽しみです。
諏訪大社は是非ですね。碓氷峠を下られたのですか。凄い!
まだまだ始まったばかりで先が長いですが、こうして書いていただくとものすごい励みになり嬉しいです。無理しないで頑張って楽しみたいです。ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月12日 (水) 22:11

おはようございます。
帰宅は夜の10時半で47081歩、歩かれたとの事にまずは驚きです。
tonaさんのパワー凄いです。
毎回、楽しく興味深く読ませて貰っています。
今回の記事は野洲市のことが詳しい掲載に嬉しくなりました。
野洲の友達とはラインのお陰で頻繁に交流があるので早速報告の予定です。

投稿: lily | 2019年6月13日 (木) 06:26

★lilyさま

おはようございます。
こういう日だけは朝4時半起きで夜中就寝になります。不思議と頑張れるのですが、普段は5000歩がいいところです。
野洲市は雄大な川を中心に広々と田園が広がり、三上山が見られ心が和みました。
御友人はいい所にお住まいですね。
少し行けば琵琶湖も見られるでしょう。
いつもご覧いただきありがとうございます。

投稿: tona | 2019年6月13日 (木) 08:18

こんにちは。見るものがとても多いですね。祇王井は、平家物語に記述があるのですか。知りませんでした。機会があれば読み直してみます。もちろん現代語訳ですが。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年6月13日 (木) 12:44

★多摩NTの住人さま

こんにちは
そうなのです。たくさん見るものがあって、飛ばしました。
また寄り道の遠い所も抜かしました。都に近いからでしょうか。歴史がひしめいているという感じでした。
私もあの忙しい高校3年のとき現代語訳のを読みましたが、覚えていないのが多いです。最初の件だけですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月13日 (木) 16:29

中山道1回目から47081歩、tonaさんの健脚に只々驚くばかりです。
こちらでも芭蕉の句碑がありますか。
先日の旅行で「山寺芭蕉記念館」に入ったのですが写真禁止だったので撮れなかったのですが
芭蕉が歩いた距離が地図になって書いてありました。

福井?から北は山形・岩手まで、私が旅行する先には必ずと言っていいほど芭蕉の句に出会います。
その歩いた距離はtonaさんの健脚を持ってしても、芭蕉には勝てないですね。

背くらべ地蔵、昔は今のように医学も発達しておらず亡くなってしまう子が多かったのでしょうね。
小さい方の地蔵と子供の背丈を比べ我が子の発育を祈った、親の思いは何時の時代も関係ないですものね。

源義経が兄の頼朝に殺されかわいそうと言いますが、その義経が平家の大将・平宗盛とその子清宗を処刑した時
その首を洗った首洗い池、殺すか殺されるか百姓一揆などもあり
平家終焉の地などを目にし歴史を歩いて感じる事でしょう。
あまり頑張り過ぎないように楽しんで下さい。

投稿: ラッシーママ | 2019年6月13日 (木) 23:37

47000歩とは凄いですねえ。
ただもう敬服です。
この辺り私の郷里に近い所ですが、知らないことばかりです。
可愛い六地蔵は、どの位の大きさなのでしょうか。
こういうのを見るとホッコリしますね。

投稿: zooey | 2019年6月14日 (金) 08:34

★ラッシーママさま

芭蕉句碑は東海道にも随分たくさんありました。
奥の細道でもたくさんあることでしょう。東北ではまた一つも出会っていません。
芭蕉はずいぶん旅をしましたから、日本一句碑が多い人でしょうか。
この間の展覧会で皇女和宮様さえ3回歩き、家茂は5回歩いて京都で亡くなっているのですね。
大変なことでした。私はもう1回で東海道は結構です。
つい戦前まで子供の幼児期まで育つのが難しかった、ましてや昔は人生50年時代もそのせいでもあるのですよね。たくさん産んでもどれだけ亡くして悲しい思いをしているかです。

判官びいきと言いますが、その義経がこんなことをここでしてたとは知りませんでした。殺すか殺されるか、大変な時代でした。今生きていて幸せです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月14日 (金) 09:23

★zooeyさま

長距離は最後は頑張ろうと心に言い聞かせないと歩みがのろくなり、そして時間の制約が出てくると、張り切ります。
次回は醒ヶ井あたりまで辿りますが、その後関が原や岐阜加納宿あたりの名前が出てきます。お里に近くなりますね。
このお地蔵は10㎝にも満たなかったと思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月14日 (金) 09:30

鏡里という横綱がいましたね。
ここの出身なのかなあ。

投稿: 佐平次 | 2019年6月14日 (金) 09:47

★佐平次さま

懐かしい名前が出てきました!
当時夢中で見ました。
調べてみましたら青森県出身だそうです。
関係がなかったのが残念。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月14日 (金) 09:57

早くも中山道を歩き始めたのですね
私にとってあまりなじみのない中山道,どんな宿が登場するか楽しみです。
野洲は以前サッカーで野洲高校が活躍してその地名を知ることとなりました
でもヤスではなくノスなんですね(;^_^A
勧請縄というしめ縄や変わった形の武佐竜胆など・・・
義経にもゆかりの地なんですねぇ
珍しく知らない事がいっぱいの街道筋で興味深々です
一日に5万歩近くも歩くパワーに脱帽です

投稿: ビオラ | 2019年6月14日 (金) 10:24

★ビオラさま

中山道も大半聞いたことのない宿が多くて楽しみでもありますが、東海道以上に覚えられないし、すぐ忘れてしまうかもしれません。
私もノスと読んでいましたがヤスなのですよ。
地名が東海道もいろいろ難しかったです。
甲賀を「こうが」と読んでいましたが「コウカ」だったりして。
今回の中山道もいろいろ知らなかったことに出会って、それなりに楽しめました。木の枯れ葉のような紙垂は面白いですね。武佐竜胆の色のきれいなこと、保存していてなかなかに力が入っているように見受けました。
普段は駅往復も歩くのが嫌なのに街道になると俄然歩く気になる私です。ボケが来ないように願って歩いている節があります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月14日 (金) 14:23

このブログは立派な教科書になり得ます、素晴らしい報告ですね!
稲妻型の道路構成などは、行かなければ分かりませんね。
義経終焉の地、平泉が今も心に残っています。
戦国時代の実態を知りたいと思っています。
侍従の弁慶が島根にも関わっていて、気になるからです。
各地で句を詠んだ芭蕉、場所は守山、鏡にも広がるんですね。

無知ゆえに笑って下さい。質問です。
のぞき橋ってどういう橋? 天井川って何?

投稿: だんだん | 2019年6月14日 (金) 14:54

★だんだんさま

のぞき橋になってわかりませんでしたね。直しました。「を覗き、橋を架けられず」でした。失礼しました。ごめんなさい。

天井川は調べますと、「堤防内に砂礫が堆積し,周囲の土地よりも河床が高くなった河川」だそうで滋賀県に多いそうです。全国の三分の一。お陰様でこちらが勉強になりました。

義経と弁慶、弁慶も延暦寺や三井寺、京都など色々なところに出没、島根にもお話があるのですか。どういう順序で弁慶は立ち回ったのか全然わかっていません。義経も若いのにいろいろなところに行き、戦争ばかりの大変な人生、こういう非常な面もなければ生きていかれなかったのですね。
そうなんです。この道にも芭蕉の碑がもうたくさん出てきました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月14日 (金) 19:23

東海道線で野洲という駅名があることを
知っているだけで通過地点でした。
いろいろ教わり、ありがとうございます。

加納宿の予定日だけ教えて下さい。
とても全部歩く自信はありません。
ほんの少しだけでもお目にかかりたいです。

投稿: matsubara | 2019年6月16日 (日) 12:14

★matsubaraさま

こちらこそご帰国されてお忙しい中にコメントありがとうございます。
野洲は大きな市で野洲川が鈴鹿の方から流下ってきて印象的な市ですね。
野洲駅終点なんて言う電車もありますし。
加納宿は多分秋ごろになると思います。今度3回目は醒ヶ井までだと思いますので。夏は暑いのでやめます。その時はお知らせしますが予定があいていましたらちょっとでもお目にかかりたく思います。

投稿: tona | 2019年6月16日 (日) 13:39

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