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2019年6月21日 (金)

中山道2 武佐宿~愛知川宿~高宮宿(2)

◆武佐~愛知川(続き)

近江商人について、まだ本を読むに至らず、地図の説明を引用させていただきました。
「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)の近江商人の精神と信仰心が商売の精神と結びついた。
近江商人は日本全国に留まらず、ベトナム、朝鮮半島、中国まで行商に出かけ、日本の近代商業の発祥の役割を担った。
この先で邸宅を見た伊藤忠・丸紅、その他住友、高島屋、西武グループなど現在の日本を代表する老舗を輩出した。「近江の千両天秤」という言葉は天秤棒一本で千両を稼ぐ商魂の逞しさを表している。
何故近江商人が誕生したのか?1つに大名がおらず、領地が他国大名、旗本、社寺の領地で、移動に通行手形が簡単に取れた。2つに日本の真ん中で東西を結ぶ交通の要衝であり琵琶湖の水運もあったことである。
重伝建になっている近江商人の屋敷や街並みは、中仙道から少し入った金堂地区で寄らなかったが、この街道沿いにも商人の家は残っている。

江戸時代から呉服繊維商として京都、大阪で活躍した市田庄兵衛の本宅。明治初期の建築。
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家の跡が残る近江商人・市田太郎兵衛邸には明治天皇が巡幸の際、往復路この家で小休され、その記念碑が向かいにあった。東海道では数えきれないほど明治天皇御聖蹟があって、殆ど写真はスルーしたが、中山道にも見かけている。明治天皇は随分とあちこち出かけられたのですね。
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道標を兼ねた常夜燈。「左いせ ひの 八日市 右京道」と刻まれている。天保15年(1844)・・・大飢饉、お伊勢参り大流行、天保の改革が行われた年。
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旧五個荘郵便局は大正14年の建物。国の登録有形文化財である。
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中がこんな立派な小さな地蔵堂があった。
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渡った大同川の橋には近江商人のレリーフがあった。
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小幡町に入って近江鉄道の五個荘駅も近い。趣ある立派な大神宮常夜燈。この後3つも見る。
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昔を偲ばせるような街並み。
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小幡人形のお店があった。伏見人形を見た飛脚が街道土産として売り始めたのが発祥で、500種類もあるという土人形。伏見人形は若冲の絵で見た。笠森観音のある千葉県長南町には猫が多い芝原人形があると聞いたことがある。
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東嶺禅師生誕の碑。静岡県原宿の白隠禅師の高弟だそうだ。
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愛知川(えちがわ)にやってきた。睨み灯籠(大神宮常夜燈)といって、両岸に睨みあうかたちで存在している。
愛知川を御幸橋で渡るとちょうど近江鉄道が通っていったが、橋梁は明治31年のものだそうだ。古いのによくもっているものです。
この川は歩行渡りだったが、増水すると旅人が多く死亡、「人取川」と恐れられ、1831年無賃橋が架けられて多くの旅人に喜ばれた。広重の六拾九次之内にも描かれている。
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祇園神社は御幸橋の守護神として建立された牛頭天王社である。
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●愛知川宿(65番目の宿) 武佐宿から9.8m、高宮宿まで7.9m、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠28軒。

愛知川宿のゲートが見えてきた。時々国道を歩くとダンプカーのしぶきを浴びて参った参った。びしょ濡れだ。
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ゲートの先に不飲川があり、橋の欄干に載っているものがある。愛知川名物の瓶手毬なのだそうだ。瓶の中に手毬が見える。瓶細工手毬と言って、ボトルシップのように、その口より大きな刺しゅうを施した手毬が入ったもの。
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竹平楼は昔は旅籠(1758年)で明治天皇の小休所となった。登録有形文化財。現在は食事処だ。
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愛知川宿の街並み。商店街の街灯は近江商人の隊列があしらわれているそうだが見なかった。
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高札場跡、脇本陣跡と本陣跡を挟んで八幡神社があり、愛知川の産土神。本殿は檜皮葺で立派だ。
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お隣の寶満寺には親鸞お手植えの紅梅があるそうだが探せなかった。この地の最初の小学校になったり最初の郡役所になったお寺。
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しろ平老舗という和菓子屋さんに寄って「米どころ」という名物の最中を買って今日のおやつにする。
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郡分延命地蔵尊の所が愛知川宿の江戸口だ。地蔵は暗くてよく見えなかったが、お堂の脇にはたくさんの地蔵とおぼしき石仏が。
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ゲートをくぐって愛知川宿とお別れする。ゲートの文字愛知川宿の隣は瓶手毬の絵。
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愛知川~高宮(間に間の宿・豊郷町があり7.9㎞)

式内社石部神社は石を扱う石作部の神社。社標の文字は第35代首相・平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)のものだそうだ。
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愛知川のマンホールは町を流れる愛知川、宇曽川、安壺川、新愛知川、不飲川の5つの川と花火大会の花火をデザイン化したそうだ。
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歌詰橋。謂れは平将門が藤原秀郷によって討たれた。秀郷が京に上る途中この橋まで来た時に、目を開いた将門の首が追いかけてきたため、その首に対して一首をと言うと、将門の首はその歌に詰まり、橋上に落ちたという。ここで豊郷町に入る。
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千樹寺の前に「伝統芸能・扇踊り日傘踊り・中山道千枝の里碑」と「江州音頭発祥の起源碑」。「江州」とは「近江の国」の異称。
は信長によって焼かれた千樹寺が、近江商人によって再建された。この落慶法要で時の住職がお経に音頭の節をつけて唱い踊りだし、見物人も面白くなって踊り出し、住職が扇子や花傘を持たせて踊らせたのが 「江州音頭」 の始まりとのこと。まさに現在の盆踊りのよう。
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豊郷町のマンホールにも内側から、江州音頭を踊る人々、町の花・ツツジ、提灯がデザインされている。
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近江商人・又十屋敷跡(豊会館)はお休み。その隣に121里目一里塚址があった。
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タンクにも江州音頭が描かれていた。
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続く

 

 

 

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コメント

こんにちは
 
近江商人について、私もほとんど何も知りはしませんが、
「近江商人」という言葉はとても有名ですね。そして、その心意気を
TVの何かの番組で耳にした時はとても感動したのを覚えています。
その近江商人の心意気は現代も受け継がれているのか?どうでしょうね。
 
愛知川はえちがわと読むのですね。橋のないころの愛知川は
旅人にとって恐るべし難所だったのですね。そういう川のことも、
名物・瓶手毬のことも初めて知りました。それを言うなら小幡人形も
江州音頭も平将門の首が追いかけてきて歌に詰まった伝説も
何もかも知らない事ばかりだったのですが。

 
明治天皇は、本当にたくさんあちこち巡り歩かれたのですね。
それぞれ記念碑が残っているのを見ると、今私などが感じるよりも
はるかに恐れ多いすごいことだったのでしょうね。
巡幸は明治政府が、民衆への天皇の位置づけと浸透などを目的として
行った政策でしたっけ‥
 
街並みなど拝見すると、全体に昔ながらの雰囲気が残っているように
感じられますね。なのに、ところによってはダンプカーに水しぶきを
浴びせられたとは。雨の日はいろいろ難儀がありますね。
 

投稿: ポージィ | 2019年6月21日 (金) 10:50

★ポージィさま

こんばんは。
凄くご丁寧に細かく全部読んでいただいてありがとうございます。
近江商人の本はたくさん出ています。
そして今も多くの後継者を出し、その商法は徹底した合理化による流通革命だったそうで多くの企業が続いているそうですね。
瓶手毬は見る工房があるらしいのです。見たかったです。
手毬さえ作るのが大変そうです。
江州音頭の発祥が面白いですね。こんなところでも盆踊りの原型みたいのがあったとは。
まあ、初めて知る事ばかりで歩かなかったらおそらく一生知らなかったでしょう。・・といいましてもすべてお墓に持って行くというか消えるものですが、すでに数ヶ月経たないうちに頭から消えてしまうのですから、一時の興奮と楽しさを味わうことで幸せな境地にいるということでしょうか。
明治天皇の巡幸はそういう意味があったのですね。
教えていただきありがとうございました。

東海道もそうなのですが、ずっと旧街道ですといいのですが、なくなってしまってまた旧街道が入っていくという繰り返しです。その時現在の国道に出るのですが大きな車が沢山行きかって凄いスピードで走っているのです。
ゴアテックスのズボンを買い直しましたので雨の日に歩いてみたいです。

投稿: tona | 2019年6月21日 (金) 21:04

滋賀県は岐阜の隣ですのに、近江商人のことは
殆ど知りません。
こちらで学ばせて頂きました。
愛知川も通過地点でしたし・・・

近江八幡だけは何度も行ったことがあります。
見るべきところがたくさんありました。

明治天皇は国民に顔を見せるべく、つとめて
多くの地を訪問されてと聞いています。
徳川の時代と変わったということで・・・

投稿: matsubara | 2019年6月22日 (土) 08:39

★matsubaraさま

近江商人の現在至る過程を知りませんでした。
錚々たる会社につながっていて驚きました。
まさかその商人の町のあたりを歩くとは思いませんでした。同じところに盆踊りの原型のような踊りのあることも。
近江八幡は行きそびれています。そのうちに行こうと思ってはいます。

明治天皇巡幸の碑は東海道では殆どの宿ごとに見てきました。中山道にもあるのですね。
その意味を初めてみなさまに教えていただいて
有難く思います。

投稿: tona | 2019年6月22日 (土) 09:55

東海道に比べると知らない話・地名が多いですね。
首の話は、首洗い池とか散見するけれど、おいかけてくるというのは初めてです。

投稿: 佐平次 | 2019年6月22日 (土) 10:01

街道歩き続いていますね。健脚万歳です。

 今までの街道歩きの記事の中に必ずあるのが常夜灯、地蔵、一理塚、
当然のことながら歴史に関係する神社、仏閣。本陣跡、古い家。遺跡を示す石碑。などなど。
 
 道しるべとしての常夜灯に一里塚。信仰の対象としての地蔵。古い街道の中にもマンホール。
その模様はどこもそこの固有の産物、遺跡、建造物などが描かれています。
マンホールを見るだけでその土地のこともわかる。パンフレットみたいなもの。
 私も旅先で必ずマンホールの写真を撮っています。同じ町でもいろいろある。今もそれを見るだけで何処かわかります。

 昔から財を成した商人。恵まれない環境に生まれ、それぞれ苦労して育った人が多い。
勤勉でコツコツ、苦労を厭わない。辛抱強い。また、思いもしないワンチャンスを生かす。
2代目は親譲りで苦労を知らない。ために潰してしまうことが多い。

投稿: 夢閑人 | 2019年6月22日 (土) 12:16

★佐平次さま

私も近江路は草津から先は、この先の醒井宿しか知らないです。
なるほど、首が追いかけてくるというのは珍しいです。どうしてこんな話が生まれたのでしょう。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月22日 (土) 19:10

tonaさん、こんばんは~♪
近江八幡は豊臣秀次が開いた城下町で、秀次亡きあとは
天領となったことまでは、この地を訪れた時知りましたが、
そのことが結果的に、商業の発展と結びついたのですね。
近江商人の「三方よし」という言葉は有名ですが、
その儲かったお金で社会にも大いに貢献してきたのでしょうね。
小幡人形は温かみがあって良いですね。
笠森観音は坂東33観音巡りで行ったことがありますが、
芝原人形のことは知りませんでした。
猫が多いとのことなので、飾っておくと財運に恵まれる
かもしれませんね。
市田太郎兵衛邸、竹平楼など、明治天皇の小休所となった
場所が多いようですが、当時は移動が大変だったでしょうね。

投稿: hiro | 2019年6月22日 (土) 19:14

★夢閑人さま

膝は万全ではありませんが、今のところ痛まないで歩くことが出来てありがたいことです。

街道で見るものをまとめていただいてありがとうございます。
その通りの見物になっています。
マンホールはその地の有名なことを表して見ていて楽しめます。
そして歴史上の人物を知ることもできました。
また地域に貢献した人も碑が立ってその説明板を読んで偉大さに触れました。
宿場で休む人々に思いを馳せたりします。

近江商人のみならず、難波商人、富山の薬売り、甲府商人など有名で感動する人物も現れています。後継ぎがしっかりしていると安心ですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月22日 (土) 19:23

★hiroさま こんばんは♪

秀吉が長浜で、秀次が近江八幡、安土が信長。どこも行っていませんが回りたいなあとは思っているのです。
その秀次亡き後は天領になったのですか。
近江商人の発祥のもとの一つですね。
特に近江商人が有名ですが「三方よし」の精神がその後の大会社にも一部でしょうが、引き継がれているように思えます。
小幡人形は七福神やひな人形がいいですね。
芝原人形は聞いただけで見たことがないです。
招き猫は小さい置物が一つあるだけです。何だかもっと欲しくなりました。
偉い天皇陛下のために宿場はとても大変だったでしょうし、移動もそうだったのでしょうね。想像もつきませんが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月22日 (土) 19:44

こんばんは(^o^)/!
東海道に続いて中山道も毎々少しずつ歩みを進めていますね。近江商人については、ほとんど知らず、ブログを拝見して日本を代表する財閥が近江出身だと初めて知りました。
東海道もそうでしたが、どの街もかつての街道の面影を少しでも残そうと努力しているのが写真から伝わってきます。

投稿: 慕辺未行 | 2019年6月22日 (土) 22:54

★慕辺未行さま

おはようございます。
私も伊藤忠・丸紅がここの出身でお屋敷を見て初めて知ったのですが、その他に名だたる名前が出てきて驚きました。
宿の中でも凄く力を入れているところがり、景観を残そうと奨励していて町の法律にも盛り込んでいるなどを読んで、嬉しく通りました。

話は違いますが今朝、NHKの天気予報で名古屋と大阪方面は本当に梅雨の時期しかカビが生えず、東京は9月まで、福岡は10月まで生えるとのことでそちらはいいですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月23日 (日) 08:19

近江商人について「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)と言う言葉があったのですか、恥ずかしいのですが初めて知りました。
伊藤忠・丸紅、住友、高島屋、西武グループなど現在の日本を代表する老舗を輩出したのが近江商人ですか。

今回の記事で愛知川(えちがわ)、瓶の中に手毬が見える瓶細工手毬はこちらで作られてるのですね。
以前、何処だったか忘れましたが、大きな手まりが小さな瓶の中に入ってて
どんな風に作るのか見てみたいと思ってました。
来年の姉妹旅行は琵琶湖にも行こうと思ってるので、是非寄ってみたいと思いました。

投稿: ラッシーママ | 2019年6月23日 (日) 20:26

★ラッシーママさま

私も初めて知る事ばかりでした。
近江商人の現在がこんなだったとはまた驚きました。
これらの会社はあまりにも有名ですものね。

愛知川のびん細工手まりは、愛知川図書館に「びんてまりの館」が併設され、実物や製作工程が展示されているそうです。
実際の工房がそこで分かって見学できるといいですね。
今年中に願いがかないそうですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月24日 (月) 08:06

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