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2019年6月 3日 (月)

北斎『神奈川沖浪裏』のルーツの宮彫師「波の伊八」の世界へ

「北斎ゆかりの地めぐり」の3回シリーズのバスツアーがありまして
① 江戸編が生まれ育った浅草から両国(これは行けるので参加せず)
② 房総編が今回参加したもの。
③ 信州編は昨年参加して渋温泉・小布施に行ってきました。

行元寺の宮彫師・初代「波の伊八」こと、武志伊八郎信由(1751~1824)が彫った「波に宝珠」が北斎の「神奈川沖浪裏」のルーツと言われている。
そっくりです。(パンフレットより)宝珠が北斎では富士山になっています。
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しかしこの二人に面識があったという話はない。
ところが、江戸後期に活躍した堤等琳がいて、伊八に紹介されて飯縄寺の天井画「龍」を描いている。
等琳は北斎の師であった。
又、行元寺に同じく等琳の弟子で北斎と一緒に学んだ仲の五楽院等髄が杉戸絵の「土岐の鷹」を描いている。
北斎もそんな関係であったのか、房総を2度も訪れているという。
そんなことがあって「波に宝珠」を北斎が見た可能性があり「神奈川沖浪裏」に影響を与えたのではないかと言われているのだそうです。

そんな初代伊八~5代伊八の作品の一部を鴨川市郷土資料館でまず説明を受けました。
4代伊八と5代伊八は葛飾の柴又帝釈天での彫刻を請け負ったという。5代が昭和29年に亡くなって180年間の伊八は終わりを告げた。

かくして北斎に影響を与えたのではないかと言われる初代・波の伊八の彫刻を中心に房総を回りました。

●鴨川のここ生誕地の大塚台屋敷跡は今は何も残っていない
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一族の墓地と初代伊八夫妻の墓
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●鏡忍寺 日蓮宗 (鴨川市)

立派な山門をくぐると大きな槙の木がある。日蓮が浄土宗の一団に襲われた時、この槙に鬼子母神が現れて救ったという。
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祖師堂には伊八作の力士像が二体(外壁にはレプリカが飾られていた)と七福神の彫刻が欄間に彫られていた。
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●行元寺(ぎょうがんじ)天台宗 (いすみ市荻原)堂内は撮影禁止

このお寺に伊八作「波に宝珠」と北斎の仲間の等髄作「土岐の鷹」があったのです。
ご住職の不幸があったようです。
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本堂に向かう坂道には説明板がずらりと並んでいた。
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山門
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本堂
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●飯縄寺 天台宗 (いすみ市太東崎灯台下)堂内撮影禁止。伊八作品と北斎らの師・等琳の天井画の墨絵「龍」があるお寺。
808年開山。当初は満蔵寺と称していたが、鎌倉時代に戸隠の飯縄大権現を勧請し、飯縄寺と改めた。天海上人と縁が深く、江戸初期には上野寛永寺直轄寺院になった。
東叡山御直末の碑
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仁王門(市指定文化財)寺内で一番古い建物で室町様式の藁葺き屋根。
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鐘楼(市指定文化財)1846年建立。4面に花鳥風月、唐獅子の彫刻が施されている。
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本堂(県指定文化財)外側の彫刻が素晴らしい。
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この地には源義経が奥州に向かう途中に立ち寄ったそうだ。このためか、本堂の欄間に初代伊八による「天狗と牛若丸」が彫刻され、他に「波と飛竜」と等琳の「龍」が見られた。パンフレットより。
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コメント

波の伊八のことは、リンクしている千葉の
okoさんのブログで10年位前に知りました。
お寺のことも紹介されましたが、遠すぎて
まだ訪問していません。

時々テレビでも波の伊八が紹介されますので
関東ではよく知られている遺跡なのですね。

投稿: matsubara | 2019年6月 3日 (月) 13:36

★matsubaraさま

okoさまのブログでもう10年も前に紹介されていたのですね。私はそのころは知りませんでした。
自家用車ももうないし、ツアーでないと動けない距離です。
丁度ツアーで見つけましたので飛びつきました。
折から北斎ブームが続き、北斎美術館もできましたし。そして1000年間の100人にも選ばれた唯一の日本人でもありますしね。
ツアーですと専門の解説者が同乗し、しかもお寺や資料館で説明を受ける事が出来ましたので実りあるものなりました。
証拠がないので何とも言えない話ですが、本当によく似ているなあと感心しました。「関東では波を彫るな、伊八がいるので」と言われたそうですが、本当に見事な彫りでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 3日 (月) 14:52

この春、森美術館で北斎展を観ましたが
「波に宝珠」のことは紹介されていなかったように思います。
とても混んでいて、小さな字の説明文はちゃんと読んでいないのもあるので、断言はできないのですが。
しかしこれは、どう見ても同じ構図ですね。
知りませんでした~!

投稿: zooey | 2019年6月 3日 (月) 22:16

★zooeyさま

北斎展をご覧になったのですね。凄い行列だったとか。
数年前に知って是非見たいと思っていましたら、ツアーがありました。
そっくりだなあと私も思いましたので、二人が出会ったことはないと思いますが接点があったのだと信じます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 4日 (火) 08:30

こんにちは
 
そのようなシリーズ・バスツアーというのもあるのですね。
信州編もそのひとつでしたか。
以前は、葛飾北斎=江戸時代に活躍の人というと、
江戸の内にばかり暮らしたような印象だったのですが、
tonaさんのブログを通じて行動範囲が広かったことを知りました。
房総にも行っていたのですねぇ。そしてそこで彫師の作品に
影響を受けたらしいこと、その彫師・波の伊八とその作品の数々、
全てが新鮮でした。欄間等の彫刻も素晴らしいですね。
5代までで絶えてしまったとは残念ですが、伝統工芸が
受け継がれていくのは大変な時代になっていますものね。
確かに「波に宝珠」と「神奈川沖浪裏」はよく似た構図。
「波に宝珠」にインスピレーションを得て「神奈川沖浪裏」が
生まれたのかもしれませんね。

投稿: ポージィ | 2019年6月 4日 (火) 10:30

こんにちは。北斎の作品には、そんなルーツがあったのですか。とても興味深いお話しでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年6月 4日 (火) 12:49

tonaさんへ
波の伊八の足跡を巡るツアーがあるとは知りませんでした。私も千葉県内の寺院にお参りした際に、初代のものかどうかは分かりませんが、伝波の伊八作と言われる欄間彫刻等を拝観しました。飯縄寺は生憎ご住職不在で本堂内に上がれませんでしたが、最勝山真高寺山門(市原市)、妙高山大聖院本堂(南房総市千倉町)、長安山石堂寺本堂(南房総市石堂)など、いずれも見事な彫り物でした。南房総には色々伊八作品が残っているようです。

投稿: shikamasonjin | 2019年6月 4日 (火) 14:34

北斎に影響を与えていたかもしれない「波の伊八」ですか。
恥ずかしながら初めて聞く「伊八」の名前です。
以前若冲が見たことのない動物たちをどのように知り、
描いたのかというテレビ番組を見たことがありました
その時もあれこれ接点をたどり当時日本に入っていた西洋の書を見た可能性が
あるという結論になったのが印象的でした。
北斎の波もいろいろたどれば伊八と接点があると聞きその可能性は大いにありそうですね
今度こちらでも北斎展があります
行くつもりでいますが一層興味がわきました。

投稿: ビオラ | 2019年6月 4日 (火) 16:23

★ポージィさま

こんにちは♪
北斎漫画を買って以来大ファンになりまして、ツアーを見つけることができたときは、これは行かなければと大喜びでした。
北斎の高齢になってからの小布施往復や三浦半島へ行ったことは知っていたのですが、房総は知りませんでした。
また富士山をいろいろな角度から描いた富嶽三十六景は実際にどのあたりまで出かけているのでしょう。富士山の周りくらいなら近いとも言えますが。
本当にすごい彫刻ですね。
4代は婿養子で続いたのですが5代が東京に出て房総には家もなくなり、跡継ぎも生まれなくて絶えてしまったそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 4日 (火) 16:46

★多摩NTの住人さま

実際に彫刻を見て絵を比べ、似ているのに驚きました。写真は撮れませんでしたが、パンフレットをいただいたのでじっくり観察出来ました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 4日 (火) 16:49

★ shikamasonjin さま

飯縄寺ではやはりご住職がおられなくて副住職の奥様に中を見せて説明していただきました。
他にも南房総いあるとは聞きましたが、行かれたこれらのお寺は知りませんでした。
ありがとうございます。
ツアーでなくては出かけられないですが、名前だけメモさせていただきました。
さぞ素晴らしい彫刻でしたでしょう。
私が見ましたのも本当に感動しました。
思わぬことから伊八を知り、特に「波に宝珠」を裏表の両方から見られたことが嬉しかったです。

投稿: tona | 2019年6月 4日 (火) 19:15

★ビオラさま

私も割合最近知りました。
当日行った人の中に伊豆の鏝絵の「長八」と勘違いしている人もいました。(長八美術館には行ったことがあります)
私も若冲のその番組を見ましたが忘れていて、ビオラさんの記憶力に脱帽です。

実際に伊八のこの波の彫刻を見ましたら、影響を受けたとしか考えられませんでした。
その北斎の影響を受けた画家がフランスなどに続々と現れたのですから驚きですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 4日 (火) 19:25

 波の伊八と北斎は面識はなくとも、裏でいろいろと繋がりがあったのですね。興味深い。
 我々の世界でも、偶然とはいえそんな関係が現れることがあります。経験があります。
 だからうっかり人の悪口は言えない。言うべきではないと思います。
 特に田舎の集落では、皆が何かで妻がっている。小さいころ思わぬ関係を知ったこともありました。
 同じ性の人はそのルーツを遡ると同じ祖先だった。不思議ですね。

投稿: 夢閑人 | 2019年6月 5日 (水) 13:18

★夢閑人さま

今回ガイドさん付きでしたのでしたし、レジメのようなのもありましたので、理解できました。
あの有名な絵がと驚きました。
しかし彫刻も版画も素晴らしい出来映えですね。
長い人生には本当に思いがけない繋がりがあるものですね。
夢閑人さんも色々おありだったのですね。
これからも気を付けようと思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 5日 (水) 19:31

宿の若い衆の名前が「いはち」という落語「宿屋の仇討ち」、夜中に隣室の江戸っ子たちが騒ぐので、なんども「いはち~!」と侍が呼びつけて苦情をいうのです。
あの伊八は小田原だったかな。

投稿: 佐平次 | 2019年6月 6日 (木) 09:54

★佐平次さま

落語にも伊八がいるのですか。
伊豆には鏝絵の長八がいます。
同じ房総には名工高橋又八(1700年頃)がいて、江戸では公儀彫物師で彫刻界最高の地位にいたそうです。
というわけで「~八」が3人いて、記憶が薄れると混同すること間違いなしです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 6日 (木) 19:33

tonaさん、こんばんは~♪
武志伊八郎信由が彫った「波に宝珠」、ほんとに「神奈川沖浪裏」
とよく似ていますね。北斎さん、今だったら訴えられていたかもしれませんね。
お寺の欄間の彫刻などはよく見ますが、意味を考えたことはありませんでした。
「天狗と牛若丸」の彫刻も牛若丸の特徴をよく捉えていますね。
昔は牛若丸と言えば天下の美少年だと思っていましたが、
いまははこんな感じだったのではないかと思っています。

投稿: hiro | 2019年6月 6日 (木) 23:58

★hiroさま

こんばんは♪
なるほど著作権法によってなんでも訴えれますね。当時はそんなことなかったのですから、そして情報が伝わらなかったので、北斎のこんな傑作が生まれて良かったですね。

「天狗と牛若丸」彫刻も素晴らしい出来ですね。
なるほどhiroさんは牛若丸を想像されて良く彫刻をご覧になっていらっしゃると思いました。
江戸時代、地方もお寺など欄間が立派だったことに驚きました。知らなかったことでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年6月 7日 (金) 23:20

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