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2019年7月30日 (火)

釧路湿原国立公園へ2泊3日の旅(2)

2日目(22日)最低気温は15℃くらい、最高気温が19℃くらいでゴアテックスの合羽上下を来て丁度良いくらい涼しくて気持ち良い。東京も涼しかったとか。
釧路湿原をカヌーで下ったり、電車から見たり、展望台から見たり、木道を歩いたりで、この翌日と合わせてずっと湿原にしがみついてたという感じで、景色も変わり映えしないかもしれませんし、霧多布と似ているかもしれませんね。
ブラタモリに寄れば、227㎢で山手線の中がすっぽり入り、尾瀬の3倍、全国の湿地の3割を占めているそうだ。いかに大きいか!地平線の彼方までずっと湿原と小山が続く。
釧路湿原は釧路市、釧路町、標茶町、鶴居村の4市町村に囲まれている。

●カヌーで釧路川を80分間下る

カヌーは2艘がこのようにしてくっ付けられていて、1艘に漕ぎ手が5人。インストラクター(男性)が一番後ろに乗っています。
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私たちは先頭に乗ることになり、前の景色を見られてラッキー。漕ぐ方も怠けてあまり一所懸命に漕ぎませんでした。インストラクターがちゃんとぶつからないように舵を取ってくれたのでしょう。
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ハンノキとヨシが織りなす風景が素晴らしい。
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ヤチボウズというのもある。良く撮れなかったので塘路湖の博物館で撮った。
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アオサギがいたが、途中でミンク、キタキツネを見る。なかなかにワイルドだ。
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ここ岩保木で、釧路川は川の氾濫を契機に海に向かって直線的に切り替えられた。後ろの山が岩保木山か?
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●塘路湖駅から釧路湿原駅へ、くしろ湿原ノロッコ号に乗る。

湿原が出来たときに大きな湖が3つほど出来ている。中で最大の湖が塘路湖だ。
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 塘路湖駅にノロッコ号が入ってきた。
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乗車し、昼食を食べながら、湿原の景色を見る。
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ミヤママタタビは白でなくピンクだそうだ。
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●細岡展望台へ

カヌーから見えた展望台。見える水辺が川だ。
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 釧路町は長靴アイスホッケーの発祥の町だそうだ。
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・展望台から釧路湿原駅に戻り、再びノロッコ号に乗って塘路湖駅へ 
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●温根内木道(釧路湿原の中で唯一ある木道)を歩く 花は群生していなかったけれども釧路湿原を覗き水がちゃぽちゃぽしてるのを実感する。5mくらいあるところもあって、落ちたら這い上がるのが大変そうだ。
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ハンノキ
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ヒメカイウ
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ハナタネツケバナ
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ホテルに帰って散歩する。釧路川に架かる幣舞橋からの釧路港 
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イカ釣り船(このたくさんの電球の光が宇宙船まで届いているのか!)
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夕食は食券をもらって好きなところへ。炉端焼きは満杯だったのでホテルでお寿司となった。
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3日目(23日)

朝市場へ行ってみる。カニ、美味しそう。皆さんは勝手丼を食べていました。50種のネタから選べるそう。ばあさん2人組は朝からそんな食欲がなくやめてホテルのバイキングにすることを前日から決めていた。
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●コッタロ湿原展望台へ 
釧路湿原の北の方にある。
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キノコは初めて。湿原だからたくさんありそうな気もしたがそんなことはなかった。
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・釧路市丹頂鶴自然公園へ行く途中で自然のタンチョウヅルの親子を発見。真ん中に茶色の子供がいて可愛い。今の季節は丁度子育て中です。100日で親と同じ大きさになり、飛べるようになる。国の特別記念物に指定されている。
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釧路市丹頂鶴自然公園
大陸では1600羽ほどがアムール川流域で繁殖し、秋になると朝鮮半島や中国長江に来て越冬。
日本は北海道東部を中心に1200羽ほど生息する。鶴の仲間ではただ1種日本で繁殖する。夏は十勝から根室の海岸沿いの深地で繁殖し、冬は鶴居村と阿寒町の給餌場で過ごすとのこと。
この自然公園は絶滅の危機にあったタンチョウを保護増殖するため、昭和33年に5羽が放され開園。10年後自然ふ化、昭和45年に人工ふ化に成功。今年は1羽も子供が孵らなかったそうだ。
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求愛ダンスではありませんね。求愛ダンスは1~3月に見られるそうだ。
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すぐ近くのたんちょう釧路空港から15:15に飛び立ち、家には7時近くに帰ることが出来ました。連泊で殆ど同じ個所でいろいろな角度から湿原を眺め、とても贅沢な空間と時間を味わうことが出来ました。
 
 (完)

 

 

 

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2019年7月25日 (木)

釧路湿原国立公園へ2泊3日の旅(1)

ブラタモリで「世界に誇る釧路湿原のスゴさとは?~」の放送があった翌日21日(日)~23日(火)まで釧路湿原国立公園に行ってきました。

1日目(21日)
羽田からたんちょう釧路空港へ着き、厚岸へ向かい霧多布湿原などを見学。
今の季節は釧路は殆ど曇天で霧が立ち込めているとのこと。この日は珍しく青空が見えていた。
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厚岸湾
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昼食は厚岸でサンドイッチと名物の牡蠣のピザを食べる。
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霧多布湿原へ向かう。
突然このように霧が発生する。
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霧多布湿原木道散策 
この湿原にもラムサール条約登録湿地が2か所にある。ラムサールがイランにあるとは初めて知りました。この湿原の周辺が私有地になっているので、湿原を残すためにはナショナルトラストによる私有地の買取運動を始めているとのこと。
36人を2班に分け、ネイチャーガイドさん二人ずつで湿原の木道を歩き、雄大な湿原の景色と今頃咲いている湿原の植物を観察する。

木道 400億円もかかるとのこと
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ノハナショウブ
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ハマナスはとても強いバラの香り(今回発見)
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タチギボウシ 紫色が濃い
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エゾアザミ
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エゾカンゾウ(もうほとんど終わっていた)
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エゾフウロ 花弁が大きい
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ヤマブキショウマ
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ホザキシモツケ このお花は釧路湿原でもたくさん見られた。この他、日本のノコギリソウやクサフジ、エゾノレンリソウ、ワタスゲ、シオガマギク、背の低いノリウツギなどを見ることが出来た。
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琵琶瀬展望台からの霧多布湿原(厚岸道立自然公園)

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ズームして川にタンチョウの親子がど真ん中に見えるでしょうか。双眼鏡で良く見えました。
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駐車場にクシロハナシノブという珍しい花が咲いていた。
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あやめヶ原(厚岸道立自然公園)

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もう30万株も咲くというヒオウギアヤメは終わっていて、トウゲブキが満開であった。
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あっという間に霧が立ち込め、海から霧が上がっていくのが見られた。
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釧路のホテルに到着。夕飯はホテルの17階のレストランでフランス料理。すべて北海道産の食品で、タコや秋刀魚のスモーク、白インゲン、帆立、浅利、豚肉、マッシュルームと季節のデザートとコーヒー。
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18:05
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18:18夕日は見られず。
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続く

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2019年7月19日 (金)

深大寺城跡

なんと水生植物園の隣に深大寺城跡があるというではありませんか。女子会で行ってきました。

もう深大寺は何回行ったことでしょう。神代植物園、蕎麦がセットです。
今回はまず深大寺境内をボランティアガイドさんの案内で説明をしていただきました。
すると今まで表面を見て通っていただけで何もわかってないことが判明・・いつもそうなのですが。
まず天台宗であったことを知りませんでした。
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又、「空海」を丁度読んでいたので、<よんどころなくというか、空海と対立した最澄の天台宗ね>なんて思っていた私。ガイド氏曰くの空海は本当に立派であったが後継ぎがずっとよくなくて・・・、しかし天台宗は後継ぎが立派で宗派を盛り立てていき、その後ここを出た人が次々と宗派を打ち立てていったと。
そう、法然(浄土宗)
   栄西(臨済宗)
   親鸞(浄土真宗)
   日蓮(日蓮宗)などの他、立派なお坊さを大勢輩出しています。

毎年7月20日前後の3日間、深大寺鬼燈(ほおずき)まつりが行われて今年は11回目だそう。契約している農家のほおずきはとても大きく、干し柿が吊るしてあるように見えます。
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国分寺崖線の続きだそうで、あちこちから水が湧いている。不動明王の眷属:左の制多迦(せいたか)童子と右の矜羯羅(こんがら)童子から流れ落ちていて不動の滝と呼んでいる。
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山門の柱は埋まっていなくて乗っているだけ。1695年普請で境内最古の建物。
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直径1㎝くらいの小さなキノコが可愛い! ヒナノヒガサ Sさんありがとうございました。
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こちらは15㎝くらいある大きなキノコ。チチアワタケ
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オオムラサキのサナギ
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本堂の両脇にムクロジの木となんじゃもんじゃの木(一つ葉タゴ)があるのが有名。両方とも実がなっていた。これは、なんじゃもんじゃの木の実。
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延命観世音菩薩が彫られている。
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深大寺そば、そば粉多めを頼んだがこしがあってとても美味しかった。おかずが何もなかったのが気になったけれど。
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鬼太郎茶屋の車か
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水生植物園にはハンゲショウ、ミゾソバ、ギボウシが咲き、シオカラトンボが止まっていました。
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国の史跡 深大寺城跡 初めて知りました。深大寺城は半島状大地の先端に位置し、南側が一望できる場所だったとか。
扇谷上杉氏の城郭だったが、北条氏綱が上杉攻めを行った際には無視して本城の方が攻撃されてしまったそうです。

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調布駅まで歩く途中にある、 布多(ふだ)神社本殿は江戸時代中期建立でこの日は7日、七夕の日で雨でした。
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2019年7月15日 (月)

中山道3 高宮~鳥居本宿~番場宿~醒井宿(後編)     

摺針峠を下って番場宿に向かっています。
播磨一里塚跡(118里目)
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我が国分寺崖線くらいの勾配の小摺針峠を越すと米原市だ。


番場宿(62番目の宿)鳥居本宿から4㎞、醒井宿まで5.9㎞、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒。

番場宿に入る。規模が小さい宿だ。
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米原市のマンホール。これは旧米原町のマンホール(米原市には他に旧伊吹町、旧山東町、旧近江町のマンホールがある)。
町章マの中に町の花のサツキ、外側には町の木のイチョウの葉が描かれている。
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神門の立派な北野神社は菅原道真と応神天皇を祀る。
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蓮華寺は聖徳太子の創建で当初は法隆寺と呼ばれていた。南北朝の古戦場であり、番場忠太郎地蔵尊がある。拝観料300円。浄土宗。ツアーのバスが2台が来ていた。
勅使門の菊の御紋は花園天皇に使用を許可されたもので立派な山門だ。
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ご本尊は釈迦如来立像・阿弥陀如来立像。鎌倉時代の仏像だそうだ。
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庭は浄土の庭を再現しているのでしょうか。池庭でなかなか立派だ。
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重要文化財の鐘楼を見て、北条仲時ら432名の墓所へ。
1333年、北条仲時(鎌倉幕府の六波羅探題)が道誉南朝軍に包囲され、仲時以下432名が本堂前庭で自刃した。流れ出した鮮血であたりは血の川となったという。自害者189名の氏名がわかって記された過去帳は重要文化財だ。
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その近くには忠太郎地蔵尊がある。長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公。長谷川伸が造った地蔵だ。
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本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡(7つもあったらしく4つ標柱があった)などの新しい標柱が建てられている。古い建物は残っていないが雰囲気は旧街道という感じだ。
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珍しい指さし道標があった。「米原 汽車 汽船道」と彫られ、米原港と中山道を結ぶ道。
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◆番場~醒井
番場宿を出て、少し行くと久礼一里塚碑があった。117里目。昔は道の左右に東海道と同じく木が植えられていたそうだ。
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壬申の乱の横河古戦場跡。ここが最初に大友の皇子と衝突した場所で大友側は後退、少し前に通った鳥籠山、三上山の麓、最後は瀬田の唐橋まで攻められ、大友皇子軍が完全に敗れ、敗走し長等山で自害した。
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一類弧魂等衆の碑。道中に行き倒れた人の魂を弔う碑。
旅の老人が、「母親の乳が飲みたい・・・」 とつぶやいていたのを乳飲み子を抱いた一人の母親が気の毒に思い、自分の乳をふくませてやった。老人は二口三口美味しそうに飲むと、感謝の言葉を述べ、懐の70両の金を渡すと安らかに死んでいった。この母親は、お金は戴くことは出来ないと、老人が埋葬された墓地の傍らに「一類弧魂等衆」 の碑を建て、供養したと伝えられている。
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醒井宿(61番目の宿) 番場宿から5.9㎞、柏原宿まで5.9㎞、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒。

六軒茶屋跡のあたりが宿の入り口。
幕府の天領であった醒井宿は、大和郡山藩の飛地領となり、彦根藩・枝折との境界を明示するため、中山道の北側に、同じ形の茶屋六軒を建てた。この六軒茶屋は中山道の名所となり、広重の絵の浮世絵に描かれているそうである。今は一軒が残るが様式は同じだが新しくて何の面影もない感じだ。
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明治時代の醒井小学校の玄関で、唐破風に鬼瓦を掲げ、精巧な彫刻が施されている。後方の建て物は大正2年に建てられた料理旅館。
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旧醒井郵便局(昭和48年まで)は現在醒井資料館の一つとして公開されている。もう一つの資料館は問屋場跡だ。ヴォーリズの設計で大正4年に建てられた。国登録有形文化財。前回見たヴォーリズ設計の小学校に細長い窓が似た感じである。1階は無料で高札などの展示。2階が有料で醒井宿絵図や和室が板敷きになっていて古文書などが展示されている。
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きれいな水が流れる地蔵川に沿って歩き始める。
西行水
ここに泡子塚がある。西行が飲み残した茶の泡を飲んだ茶屋の娘が懐妊。それを知った西行がもし自分の子供なら泡に戻れと言うとその子はたちまち泡になった。前回も全く同じ話があった。
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十王水。平安時代に天台宗の高僧・浄蔵により開かれた名水である。元は浄蔵水と呼ばれたが、近くの十王堂にちなんで十王水を呼ばれるようになった。
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了徳寺には御葉付銀杏というめずらしい銀杏がある。一部の実が葉の上につくそうだが、実がなっているけれども一つも見えなかった。
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実にきれいな水が流れていく。
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梅花藻が咲いていた!年間の水温が14度前後の清流にしか生息しない。絶滅危惧種の「ハリヨ」の産卵場所となる。
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江龍家の屋敷跡。立派な表門の横には明治天皇御駐輦所碑が建てられている。
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問屋場跡。当時の完全な形で現存する問屋場跡は全国でも珍しく貴重とのこと。今はもう一つの資料館になっている。次回の最初に中を見学する予定。
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丁子屋(和菓子屋)で、名水まんじゅうをいただく。醒井の水を使って作ったというがとても美味しかった。
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醒井地蔵堂。昔水中に安置されていた2.7mもある大きな地蔵。鎌倉時代作で米原市指定文化財。
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加茂神社の手前の崖に日本武尊の銅像(森大造氏作)がある。
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神社の上から醒ヶ井宿を見渡すことができる。
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居醒の清水は、鈴鹿山脈の端の霊仙山の麓から湧き出ていて、古事記や日本書紀にも登場する。
日本武尊が乗馬の鞍を置いたという鞍懸石や日本武尊が伊吹山での戦いで毒気に当たった時、腰掛けて癒した腰掛石がある。
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醒井宿の東の入り口まで歩き、引き返し、醒ヶ井駅から米原に出る(ちなみに宿関係は醒井、駅だけ醒ヶ井とヶが入るのは国鉄時代に読みやすさを重視したとか)。米原駅からJR西日本になるので米原まで一駅戻るのにICカードが使えないので切符を買う。関西本線に乗った時もそうであった。今回が米原駅から帰る最後だ。18:57発のひかり、東京駅21:10着。家に10時半頃到着。39118歩でした。
夕食のお弁当
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醒井のお土産
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2019年7月11日 (木)

中山道3 高宮~鳥居本宿~番場宿~醒井宿(前編)

7/4(木)前回と同じく5時7分に乗り1時間後に東京駅到着したが、6時過ぎに人身事故でこの後の電車は東京駅に着かない模様。あぁよかった!
今日は同じく米原駅に9時過ぎに到着したが、彦根乗り換えをやめて米原から近江鉄道で25分かけて前回の高宮に到着する。9:40頃から歩き始める。現地は晴れていた。
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慶応3年に建てられた多賀大社の常夜燈である。ここが高宮宿の東見附で高宮宿とお別れ。
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高宮~鳥居本

左右に大きな灯籠のある石清水神社。祭神は応神天皇と母の神功皇后。石清水という言葉も神社の前の茶店の井戸水が岩から湧き出た清水だったということからであろう。
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石段の途中に扇塚がある。
喜多流能の宗家9世喜多古能は彦根藩主井伊直中(直弼の祖父)に招かれて多くの門人を育成し、喜多流は彦根で発展したそうだ。彦根を去る時に面と扇を残していったが、門人がそれを埋めて記念の塚を建てたという扇塚。面塚は今はない。
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「床の山」碑。鳥籠山(とこのやま)のこと。
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芹川の対岸に見える鞍掛山(大堀山)。
鞍掛山は672年の壬申の乱の戦場地、鳥籠山の比定地とされている。歌枕としても有名な山で橋下に万葉歌碑がある。
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矢除(やよけ)地蔵がある。聖徳太子ゆかりの史跡。中には聖徳太子像と地蔵。
この地に隠れていた聖徳太子が守屋の軍勢に発見され、矢を射かけられたが、突如金色の地蔵菩薩が立たれた。後になって松の根方に小さな地蔵尊が右肩に矢を射込まれて血が流れていたという伝説がある。この他にもこのあたりには聖徳太子伝説が多い。
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春日神社の裏手の地蔵池。
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原八幡神社の昼寝塚。芭蕉の句「昼顔に昼寝せうもの床の山」が刻まれているが左右のどちらかはわからなかった。
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原八幡神社は、しめ縄がずいぶんと低い位置に掛けられている、初めて見る珍しい神社。
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小野町に入ると小町塚がある。
説明板によれば、小野好美が都から出羽国へ赴任する途中、ここ小野で宿泊した際、赤ん坊を養女に貰い受け、その娘が後の小野小町であったといわれている。しかし小町伝説はあちこちにあるようでその生涯は謎に包まれている。
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地蔵堂には小町地蔵がある。
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まだ地蔵だらけの滋賀県なので今日もたくさん撮った。これは六地蔵。
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このあたりは新幹線のすぐ脇を道が通っているので、ひっきりなしに通っていく。
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鳥居本宿(64番目の宿)高宮宿から5.9㎞、番場宿まで4km、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒。

鳥居本宿に入った。
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石田三成の城のあった佐和山城の城下町的な役割の町だったそうで、ここから彦根駅まで30分の距離だ。「右 彦根道 左中山道京いせ」の道標は1827年のもの。
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今でも古い格子の町家が多く残り、宿場情緒が漂う街並みである。
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登録有形文化財に指定された建物・成宮家住宅。
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屋号札が掛けられた家をいくつか見る。
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鳥居本宿交流館(元彦根市役所の鳥居本出張所)の「さんあか」に到着。食べるところがなさそうだったので本日はファミマのお寿司が昼食。
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さんあかとは3つの赤、赤玉神教丸、合羽の柿渋の赤、名産のすいかを指すそうだ。これは合羽。
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檜皮葺の常夜燈が珍しい!
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合羽の松屋。屋根のところに三角の黄色い看板が見える。1970年代まで製造されていたそうだ。
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鳥居本駅 建て替えられているが昭和6年当時そのままの可愛い駅舎。
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表示板だけの脇本陣、問屋場、本陣の跡を通り過ぎていく。同じく三角形の看板の立つ、合羽屋の木綿屋(岩根家住宅)も古い。
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お腹の薬の赤玉神教丸の店舗があり今でも買いに来る人がいるとか。
小田原のういろうを思い出す。私には全然効かなかったと以前書いた。ここで告白します・・高齢になってからすべて市販の薬では効かなくなって胃腸薬、湿布、風邪薬などすべて医者から処方されるものでやっと治るのです・・
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古い家が続き、「おいでやす」「またおいでやす」のモニュメントがまたあった。
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鳥居本~番場

米原方面に行く北国街道との分かれ道から摺針峠越をするべく山道を登っていく。
杉林、竹林の中を登り、沢を渡り、階段を上がると摺針峠の望湖堂(1991年に燃えてしまった茶屋)のあとに建てられた建物に到着。
摺針とは、弘法大師が若い頃挫折しそうになって歩いていたとき、この峠で老婆が石で斧を摺り、縫い針にしているのに出会い、自分の修行の未熟さを恥じ、修行に励んだという逸話にちなむ。
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神名宮に登ると琵琶湖が見えました!
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と喜ぶ間もなく、足がちくりと痛むので見てみたら、あらまあ、が血を吸っている。即、掴んで落とす。
娘がスマホで急いで治療法を見たら(これがすごく早くて驚く)、すぐ押して吸い出して水を流して薬を塗る・・・ということで娘が水をペットボトルに2回も汲んできてくれたのできれいに洗い流して、薬はムヒしかなかったので塗ってバンドエイドを貼った。その後覗いてみるとほんのちょっぴり膨らんだだけで、今も同じ状態。痛くも痒くもなく本当に良かった。人生初体験。山仲間で吸われた人に寄れば、1ヶ月経ってもまだ腫れていたとか。

続く

 

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2019年7月 7日 (日)

『江戸の街道をゆく』展 於江戸東京博物館

6月の半ばで終わってしまった展覧会『江戸の街道をゆく~将軍と姫君の旅路~』ですが、ラッシーママさんに開催されていることを教えていただき、慌てて終わる間際に行ってきました。私が街道を歩いているので親切にお知らせくださったのです。

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珍しく写真撮影可でした。
まずは徳川家康像から。
典型的な東照大権現の姿だそうで、それは御簾の上がった宮殿内に繧繝縁(うんげんべり)の上畳に座す黒袍の束帯姿で、手前に狛犬が配されるというもの。お雛様で見る繧繝縁は皇族だけに使われるが、高僧、摂関や将軍などの臣下でも、「准后」(准三宮)という称号が与えられると用いることが出来たそうだ。
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「諸家家格儀礼書留」には武家社会の職制や身分に係る様々な規則・法令が記され、参勤交代では家格によって乗り物の仕様が定められていたそうだ。この駕籠を見てもどこが違うかあまりよくわからなかったが、こんなところまでよく決めたものです!
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加賀藩の道中が図面に描かれ、親知らずの所は急な山越えをしていたのがわかる。
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西国大名は参勤交代時、海路も利用し、船が使用されたが、各藩は船を区別するため、船尾には独自の意匠の船印を掲げ、帆や船体に覆う船幕には家紋を付けた。
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そして、鞍や鐙、陣笠、刀筒など梨子地のものが多く贅沢な品々で大名の威厳が伝わってきます。
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12代将軍家慶と楽宮(さざのみや)の婚約が内定し、翌年享和4年(1804)に京を出発し、中山道を経由して江戸へ向かった。
「楽宮下校絵巻」が展示され、華麗なる婚礼行列が描かれる。
楽宮は直接的には描かれず、「朱傘」と「御」の字で象徴的に示したそうだ。
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13代将軍家定の御台所となった天璋院篤姫や14代将軍家茂の正室となった皇女和宮親子内親王の輿入れの話は有名で、和宮の場合は3万人、行列50㎞で沿道の警備に29藩が動員されたという。そのお道具の一部も展示されていたが、まさしくお雛様のお道具のと同じ。

これは島津家のゆかりの女乗物
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篤姫の貝合道具 夫婦和合の象徴とされ、婚礼行事では先頭に定められ、婚家に運ばれると「貝桶渡し」が行われた。
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和宮の耳盥 蒔絵で何もかも豪華賢覧です。耳盥とは左右に耳状の取っ手のついた小形のたらい。鉄漿(お歯黒)の際、口を漱ぐのに用いたそうだ。
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輿入れ行列に関して、多くの職人の道具つくりの現場の様子、長い道中を運んでいく人々の疲れた様子、それを迎え入れる各藩や本陣、脇本陣、旅籠の煩雑極める用意、支度の様子が目に浮かぶようです。

一方将軍の将軍家光の日光社参や将軍家茂の東海道上洛絵図の他、広重でない浮世絵師の東海道五十三次、末広五十三次の絵が50近く並ぶ。

徳川の権威の誇示のため将軍御台所の京都親王家・公家・皇室よりの下向行列、参勤交代、最初と最後5将軍の上洛の旅道中がわかった展覧会でした。
東海道歩きでもっぱら庶民の旅に思いを馳せていただけに、別の一面を見た思いです。(本陣の大名の宿泊した部屋を数回見学したのみ)

庶民より贅沢な旅とはいえ、駕籠に乗るにも楽ではなさそうです。そして旅の長い時間は庶民と同様だし、大名の場合は「毬と殿様」の歌にあるように、毛槍をふりふり歩いて庶民より歩みがのろかったのではないかと、なんだか気の毒になるのです。
今の時代に生まれて良かったというとんでもない感想を持った展覧会でした。

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2019年7月 1日 (月)

ブログ友の混声合唱団コンサート

 今年も、もう半分終わってしまいました。今日からの今年の残り半分、新たな気持ちで過ごしていきたいものです。
そうそう、年取るとどうしてこんなに早く年月が過ぎ去るのかというのは、年とともに物事に感動しなくなるからということを知ったのはつい最近です。感動、好奇心がそんなに薄れているとは思っても見なかったのですが。

昨日の笑点で春風亭昇太さんが結婚したという発表あり。 結婚できないネタを使えなくなって今度はどうなるのか?本人曰く、いろいろあるんだそうですが。


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さて、1昨日のこと、ブログ友だんだんさんが「混声合唱団 青春隊」創立8周年記念コンサートに友人5人を招待してくださいました。
青春隊の歌声は3月半ば過ぎにも新しく出来た我が町の小ホールでお聞きしました。
何でも平均年齢が70歳代だそうです。他の合唱団と違うのは男女ほぼ同じ人数ということです。普通は女性の方が圧倒的に多いのですが。
そして団員の方たちには楽器を(ハーモニカやギターなどなど)得意とされていらっしゃる方が多く、時に楽器の音色も挟んでそれはそれは美しい合唱に花を添えるという感じで、楽しさが倍増でした。
年を感じさせない美しいソプラノ、アルト、そして若々しい男声合唱の声もいいですね。定年後にこんな楽しみ方をされている方々、いつまでもお元気でボーとしている暇もなく最高の老後を送っていらっしゃると素敵に拝見しました。
選曲が素晴らしく(というのも知らなかったのは1曲のみ)で「青春歌謡~時空を超えて」と銘打って、遠くなった昭和の懐かしい歌約20曲、休憩15分を挟んで、午後1時半から4時まで聴かせていただきました。私たちは聴いていてうっとりしているのに、歌っている方々はさぞやお疲れになったことでしょう。
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  この合唱団にはプロの女性アナウンサーのような司会者がいらして歌の世界に私たちを導いてくださったことが異色でしょうか。
昨年は大会で何かの賞をとられたとのこと、かなり程度の高い合唱団でした。
だんだんさんとご一緒したかったのに、残念ながら時間が合わず、招待された5人で昼食と喫茶を楽しんで、一人と飛びぬけて年長の私は皆さんから刺激を受けて帰ってきました。皆さん、ありがとうございました。
たとえ受動でも歌は心に感動や幸せ感を与えてくれる。それが声を出したり楽器をつま弾いたりしてのめりこんでおられる団員の方々の情熱は凄いものがあると羨ましくさえありました。
おまけが、私の知人の妹さんがソプラノでそのご主人様が指揮者であることを、知人が偶然後ろの席にいて知って驚いたことです。


近くの畑ではもう向日葵が満開です。
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