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2019年7月15日 (月)

中山道3 高宮~鳥居本宿~番場宿~醒井宿(後編)     

摺針峠を下って番場宿に向かっています。
播磨一里塚跡(118里目)
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我が国分寺崖線くらいの勾配の小摺針峠を越すと米原市だ。


番場宿(62番目の宿)鳥居本宿から4㎞、醒井宿まで5.9㎞、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒。

番場宿に入る。規模が小さい宿だ。
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米原市のマンホール。これは旧米原町のマンホール(米原市には他に旧伊吹町、旧山東町、旧近江町のマンホールがある)。
町章マの中に町の花のサツキ、外側には町の木のイチョウの葉が描かれている。
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神門の立派な北野神社は菅原道真と応神天皇を祀る。
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蓮華寺は聖徳太子の創建で当初は法隆寺と呼ばれていた。南北朝の古戦場であり、番場忠太郎地蔵尊がある。拝観料300円。浄土宗。ツアーのバスが2台が来ていた。
勅使門の菊の御紋は花園天皇に使用を許可されたもので立派な山門だ。
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ご本尊は釈迦如来立像・阿弥陀如来立像。鎌倉時代の仏像だそうだ。
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庭は浄土の庭を再現しているのでしょうか。池庭でなかなか立派だ。
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重要文化財の鐘楼を見て、北条仲時ら432名の墓所へ。
1333年、北条仲時(鎌倉幕府の六波羅探題)が道誉南朝軍に包囲され、仲時以下432名が本堂前庭で自刃した。流れ出した鮮血であたりは血の川となったという。自害者189名の氏名がわかって記された過去帳は重要文化財だ。
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その近くには忠太郎地蔵尊がある。長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公。長谷川伸が造った地蔵だ。
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本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡(7つもあったらしく4つ標柱があった)などの新しい標柱が建てられている。古い建物は残っていないが雰囲気は旧街道という感じだ。
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珍しい指さし道標があった。「米原 汽車 汽船道」と彫られ、米原港と中山道を結ぶ道。
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◆番場~醒井
番場宿を出て、少し行くと久礼一里塚碑があった。117里目。昔は道の左右に東海道と同じく木が植えられていたそうだ。
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壬申の乱の横河古戦場跡。ここが最初に大友の皇子と衝突した場所で大友側は後退、少し前に通った鳥籠山、三上山の麓、最後は瀬田の唐橋まで攻められ、大友皇子軍が完全に敗れ、敗走し長等山で自害した。
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一類弧魂等衆の碑。道中に行き倒れた人の魂を弔う碑。
旅の老人が、「母親の乳が飲みたい・・・」 とつぶやいていたのを乳飲み子を抱いた一人の母親が気の毒に思い、自分の乳をふくませてやった。老人は二口三口美味しそうに飲むと、感謝の言葉を述べ、懐の70両の金を渡すと安らかに死んでいった。この母親は、お金は戴くことは出来ないと、老人が埋葬された墓地の傍らに「一類弧魂等衆」 の碑を建て、供養したと伝えられている。
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醒井宿(61番目の宿) 番場宿から5.9㎞、柏原宿まで5.9㎞、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒。

六軒茶屋跡のあたりが宿の入り口。
幕府の天領であった醒井宿は、大和郡山藩の飛地領となり、彦根藩・枝折との境界を明示するため、中山道の北側に、同じ形の茶屋六軒を建てた。この六軒茶屋は中山道の名所となり、広重の絵の浮世絵に描かれているそうである。今は一軒が残るが様式は同じだが新しくて何の面影もない感じだ。
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明治時代の醒井小学校の玄関で、唐破風に鬼瓦を掲げ、精巧な彫刻が施されている。後方の建て物は大正2年に建てられた料理旅館。
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旧醒井郵便局(昭和48年まで)は現在醒井資料館の一つとして公開されている。もう一つの資料館は問屋場跡だ。ヴォーリズの設計で大正4年に建てられた。国登録有形文化財。前回見たヴォーリズ設計の小学校に細長い窓が似た感じである。1階は無料で高札などの展示。2階が有料で醒井宿絵図や和室が板敷きになっていて古文書などが展示されている。
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きれいな水が流れる地蔵川に沿って歩き始める。
西行水
ここに泡子塚がある。西行が飲み残した茶の泡を飲んだ茶屋の娘が懐妊。それを知った西行がもし自分の子供なら泡に戻れと言うとその子はたちまち泡になった。前回も全く同じ話があった。
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十王水。平安時代に天台宗の高僧・浄蔵により開かれた名水である。元は浄蔵水と呼ばれたが、近くの十王堂にちなんで十王水を呼ばれるようになった。
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了徳寺には御葉付銀杏というめずらしい銀杏がある。一部の実が葉の上につくそうだが、実がなっているけれども一つも見えなかった。
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実にきれいな水が流れていく。
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梅花藻が咲いていた!年間の水温が14度前後の清流にしか生息しない。絶滅危惧種の「ハリヨ」の産卵場所となる。
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江龍家の屋敷跡。立派な表門の横には明治天皇御駐輦所碑が建てられている。
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問屋場跡。当時の完全な形で現存する問屋場跡は全国でも珍しく貴重とのこと。今はもう一つの資料館になっている。次回の最初に中を見学する予定。
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丁子屋(和菓子屋)で、名水まんじゅうをいただく。醒井の水を使って作ったというがとても美味しかった。
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醒井地蔵堂。昔水中に安置されていた2.7mもある大きな地蔵。鎌倉時代作で米原市指定文化財。
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加茂神社の手前の崖に日本武尊の銅像(森大造氏作)がある。
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神社の上から醒ヶ井宿を見渡すことができる。
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居醒の清水は、鈴鹿山脈の端の霊仙山の麓から湧き出ていて、古事記や日本書紀にも登場する。
日本武尊が乗馬の鞍を置いたという鞍懸石や日本武尊が伊吹山での戦いで毒気に当たった時、腰掛けて癒した腰掛石がある。
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醒井宿の東の入り口まで歩き、引き返し、醒ヶ井駅から米原に出る(ちなみに宿関係は醒井、駅だけ醒ヶ井とヶが入るのは国鉄時代に読みやすさを重視したとか)。米原駅からJR西日本になるので米原まで一駅戻るのにICカードが使えないので切符を買う。関西本線に乗った時もそうであった。今回が米原駅から帰る最後だ。18:57発のひかり、東京駅21:10着。家に10時半頃到着。39118歩でした。
夕食のお弁当
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醒井のお土産
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コメント

天候不順のおりからウォーキングを続けて
おられますとは素晴らしいです。

恥ずかしいことに醒井は60年位前に行きました
養鱒場しか知りません。琵琶湖に行ったついでに
寄っただけで、今あるかどうかは分かりません。

梅花藻が見られる時期でよかったですね。
私はまだみたことがありません。

投稿: matsubara | 2019年7月15日 (月) 14:00

こんにちは。壬申の乱や日本武尊ですか。歴史好きにはたまりませんね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年7月15日 (月) 16:40

★matsubaraさま

醒井は伊吹山にお花を見に行ったときに行きました。
梅花藻と水がきれいだったことだけ覚えていました。
地図を見ましたら今でもその大きな養鱒場がありますよ。
梅花藻は7月下旬から8月が見ごろだそうですが、もう咲いていましたのでラッキーでした。
そちらからですと近いですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月15日 (月) 18:46

★多摩NTの住人さま

壬申の乱の行われた場所を逆コースになりましたが横川から瀬田まで歩くことが出来、当時を偲びました。復習になりました。
日本武尊の活躍も想像できますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月15日 (月) 18:53

こんばんは(^o^)/!
醒ヶ井と言う地名の由来がヤマトタケルノミコトの伝説から来ているそうです。伊吹山で難に遭ったミコトはここで水を飲み顔を冷やして正気に戻ったそうです。そこが「居醒の清水」です。そして醒ヶ井と言う地名になったようです。
ずいぶん前に私もその水を頂いて帰ったことがあります。とても美味しい水でした。

投稿: 慕辺未行 | 2019年7月15日 (月) 23:36

★慕辺未行さま

おはようございます。
醒井の名前の由来の補足をしていただきありがとうございます。
ヤマトタケルの話が沢山出てきました。
居醒の清水から来ていたのですね。
道の駅が醒ヶ井駅の所にありますが。そこに水を飲んでよいという所がありましたので、飲みました。美味しかったです。
長い時間をかけて霊仙山の中で濾過されて染み出てくるそうで富士山の水のようです。
他の国にはそうそうないような美味しい水ですね。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 08:30

tonaさん、おはようございます♪
瞼の母は昭和の大衆演劇や映画の定番でしたが、
その主人公の番場忠太郎が、幼いころ親と生き別れに
なった場所が番場宿だったこと、初めて知りました。
番場は単なる苗字だと思っていたのですが、
あの時代、旅ガラスのヤクザに苗字があろうはずありませんものね。
番場生まれの忠太郎と言うことでしょうか。
蓮華寺は素晴らしいですね。
ご本尊も拝観できてよかったですね。
壬申の乱の横河古戦場跡はこちらにあったのですね。
「関東ふれあいの道」を歩いている時、大山の麓の石雲寺で
関東に逃げ延びたという大友皇子のお墓を見たことを思い出しました。
(大友皇子は戦いに敗れ首をつって自害したのが史実とされて
いるようですが、伝説もいろいろあるようです)
醒井宿の六軒茶屋や醒井小学校、旧醒井郵便局等、見所も満載でしたが、
水や梅花藻の美しい地蔵川沿い歩きはさぞ心地よかった事でしょう。
名水まんじゅうの美味しそうなこと!

投稿: hiro | 2019年7月16日 (火) 08:57

432人の自害、その惨状を想像するだけでも身の毛がよだちます。
大友皇子やら行き倒れた老人やら多くの死を見届けてきた街道、そこに梅花藻が生えて貴重な命が宿るというのもドラマです。

投稿: 佐平次 | 2019年7月16日 (火) 08:59

★hiroさま

こんにちは♪
番場忠太郎はお話ですが、ここ番場で生き別れだったのですね。
作者自身がここの格式高いお寺に忠太郎地蔵尊を造らせたというのが、思い入れの強さを物語っています。作者が何故横浜生まれで番場かはわかりませんが、実にたくさんの戯曲など書いていますのでいろいろな場所が設定されているのでしょう。股旅物は今後も読む機会がないと思います。
ずっとお地蔵様ばかり見てきましたので、久しぶりに如来様を拝顔できました。

今回は壬申の乱の道を辿れて良かったです。
そうそう大友皇子のことが大山にもありましたね。小野小町や義経伝説やいろいろあちこちにあって、混同してしまいます。

醒井宿は昔は小さな宿だったようですが、建築物の他に、なんと言っても地蔵川の梅花藻と清らかな流れですね。
水まんじゅうは最高に美味しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 09:59

★佐平次さま

血だらけの死体など見たことがないですから、この話を見聞して、圧倒されました。お墓のその数は全部写しきれず、パノラマでも撮ったほどです。
街道は多くの死を見つめてきたのであり、また多くの命をはぐくんだ、その一つが地蔵川の梅花藻、全くその通りでいろいろのものが見えてきました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 10:04

街道も今は生活道路として残っている。
趣のある建物、歴史を残す数々の石碑を見ると昔の街道という感じ
いずこも同じ感じですね。

名水のある所には街道筋に小川が流れ、鯉などが泳いでいる。
梅花藻の花が見られるのは水がきれいな証拠。
私もどこだったか一度だけ見たことがあります。
水中に花が咲く。非常に珍しいと思いました。
マンホールはいずこも同じですね。

 江龍家の門を見ると実家を思い出す。同じような門でした。
ただ門戸が重たい開き戸で下に敷居が付いていました。
昭和20年ごろで100年くらい経っていました。

投稿: 夢閑人 | 2019年7月16日 (火) 12:34

あまりなじみのない地名が多い中山道ですが
醒ヶ井だけは行ったことがあり知っていました
私も伊吹山へお花を見に行った帰りに寄りました。
きれいなせせらぎに梅花藻がたくさん咲いていましたからちょうど同じ時期だと思います
ヤマトタケルの伝説も思い出しました
こちら静岡にもヤマトタケルの伝説が残りクサナギの剣にちなんだ草薙や日本平の地名も残っています。日本武尊の字が表すように日本各地に関係しているんですね
蓮華寺のたくさんの石塔が戦いに敗れ自刃した多くの人数を想像させるものとして
哀れを誘いました。

投稿: ビオラ | 2019年7月16日 (火) 16:03

★夢閑人さま

確かに残っている宿場の旧街道は道幅が同じような感じで、極端に新しい家が並んでいなければ、どこも同じように江戸時代を歩いているという感じでした。

新百名水に選ばれている地蔵川の居醒の清水ですが、底まで透き通っていてきれいでした。
津和野では鯉が泳いでいたような記憶があります。
マンホールのデザインは市の花や木というのが多いような気がしますが、市のお祭りや建造物などを入れたり工夫を凝らしているところも時々ありますね。

ご実家の門はまさに江戸時代の門だったのですね。北斎や間宮林蔵等々いろいろな人が活躍していた時代でしょうか。凄いですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 16:24

★ビオラさま

私も馴染みのないのが多くて読み方も分かたないのがこの先にもあります。67の宿を訪ねるのですから気が遠くなりそうです。
やはり伊吹山の花と醒井の梅花藻でしたか。花尽くしですね。イブキジャコウソウやイブキトラノオなどを思い出します。

そうそう、東海道にも日本武尊の話がありましたね。日本平は昔行ったきりで忘れていますのでいつかもう一度と思っています。

蓮華寺は一瞬鎌倉のやぐらにある石造群を思い起こさせますが、こんなにたくさん並んでいるのを見るのは初めてです。血の川とはもう想像を絶する悲劇ですね。しかし世界史を読みますと、もうこんなことはざらで欧州だけでもとても残忍です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 16:36

梅花藻は知りませんでした。
清流の中だけに咲く花とはまた、風流ですね。
小さいのがいっぱい咲いているようですが
一輪の大きさはどの位なのでしょうか?

投稿: zooey | 2019年7月16日 (火) 16:40

tonaさんへ
名水饅頭、涼しげで美味しそうですね。街道歩きの醍醐味は各地の名物を味わえる点にもあり、それがご自分へのご褒美にもなるのでしょう。いつも夕食のお供に一番搾りをご愛飲いただきありがとうございます。お気遣いいただき恐縮しております。

投稿: shikamasonjin | 2019年7月16日 (火) 17:00

番場宿の次は醒ヶ井(さめがい)と言うのですね。
着実に歩みを進めて、日本地図が蓄積されたのではないでしょうか。
聖徳太子創建の蓮華寺は、由緒ある寺なんですね。
数百名の侍が自刃したとは、さぞかし・・・酷いですね。
バイカモが咲く水辺は、清流があるからこそ。
花は以前帰省した折りに、鳥取県で見ました。
良い水に育まれて、水菓子も美味しかったでしょうね♪

投稿: だんだん | 2019年7月16日 (火) 20:39

★zooeyさま

花の大きさは1~1.5㎝くらいです。
ミレイの「オフィーリア」を思い起こしました。この藻の色や川の状態が似ているので。
樹木希林さんもやっていましたね。
まだ咲いてないのもありましたが今月下旬から来月にかけて満開になるそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 20:50

★shikamasonjinさま

歩くとカロリーが足りなくなりますので甘いものが欲しくなります。
昔の旅人も食べたようにそれを思いながら毎度事前にチェックしてもらって買っておやつにします。
帰りの駅弁のおともとして欠かせないものです。
これから暑くなると余計美味しくなるものです。
こちらこそありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 20:55

★だんだんさま

次から次へと忘れるのですが、せめて歩いた宿くらい覚えたいものです。
醒井ってとてもいい名前です。以前行ったのですがすべては覚えていませんでした。

蓮華寺は聖徳太子、そして菊のご紋章、大変格式あるお寺で久しぶりに拝観料を払いました。これの前は街道では義仲寺だったかしら。
鳥取県にも清流に梅花藻が咲いているのですか!津和野の水もきれいだったように覚えていますがあそこは鯉が泳いでいましたように覚えています。
水まんじゅうだけは店内で食べさせてもらえるのです。美味しかったですよ。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月16日 (火) 21:04

こんにちは
 
こちらの区間も見どころがたくさん、美しい景観もたくさんですね。
蓮華寺の立派さと、432名もの人の墓所に呆然としました。
一度にこれほど多くの人が自害して果てたとは。
人の歴史というのはどこの国でも何と多くの血が流されてきた
ものだろうと、悲しくなります。
醒ヶ井宿は素適な所ですね。読み方が全然覚えられませんが。
梅花藻の花がちょうど咲いている様子をご覧になれて
良かったですね。清らかな水の流れと可愛らしい水中花に
心も旅の疲れも癒えそうです。
名水まんじゅうもなんて美味しそうなのでしょ!

投稿: ポージィ | 2019年7月17日 (水) 10:09

★ポージィさま

こんにちは♪
コメントありがとうございます。
一日に3つの宿を見たのですが、醒井が清流と梅花藻で印象に残りました。以前行っているのですが、歴史的、あるいは宿であったことも知らなくて、今回はそういった面で新しい発見が沢山ありました。
でもなんと言っても梅花藻です。夏になったら何度でも見たいお花です。

そうです。今、同時進行で世界の歴史を読んでいますが本としてはまだ半分しか読んでいません(16冊の8冊目)ですが、中世も近世ももうどこの国も血だらけ。あえぐ庶民の哀れなこと。今のところなんて幸せな時代に生まれ合わせたのだとの感が深いです。
このお寺の墓の風景は忘れられないです。
今まで食べた水まんじゅうでベストでした。
つまり歩き疲れの最後にいただいたからでしょうが、作るお水によっても違うのだと思われました。

投稿: tona | 2019年7月17日 (水) 15:35

昔は負ければ死で北条仲時ら432名の墓所ですか、流れ出した鮮血であたりは血の川
何と残酷な世の中だったのでしょう。

番場忠太郎は此処が舞台だったのですね。
私が小さい頃(5,6歳の頃だと思う)、田舎に住んでてお祭り?か何かの時に芝居をやってて
「おっかさん、忠太郎でござんす」の台詞、覚えてます。

壬申の乱?分からなくて調べました。
本当に歴史跡を自分の目で見て歩くから覚えられるのですね。
私も歳を摂ってから歴史に興味を持ち、皆さんのブログで教えて貰ってます。

投稿: ラッシーママ | 2019年7月17日 (水) 23:14

★ラッシーママさま

今はこんなことないですが。大昔から身内でも殺しあっていたのですから、生きるって大変でしたね。
満足に死ねた人っていたのかしらと思ってしまいます。

やはり番場忠太郎はご存じでしたね。
ここが舞台とはね。ここに来なかったら知りませんでした。

壬申の乱ですが、ここより関が原にもあったのですよ。今日行ってわかりました。
そのことはいずれブログで書きたいと思います。
私も街道歩きのお陰で歴史を知る機会に恵まれました。あの世へのお土産もいくつかできそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年7月18日 (木) 23:40

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