« 中山道4 醒井~柏原宿~今須宿~関ヶ原宿(前編)      | トップページ | 日光の秘瀑・赤岩滝 »

2019年8月11日 (日)

中山道4 醒井~柏原宿~今須宿~関ヶ原宿(後編)     

岐阜県に入ると関ヶ原町である。マンホールは関ヶ原合戦のイメージの兜と町の花・梅、町の木・杉が描かれている。
2_20190811163201

車返しの坂があって地蔵尊が残っている。南北朝時代、二条良基という公家が 「荒れ果てた不破関屋の板庇から漏れる月の光が面白い」 と聞き、わざわざ都から牛車に乗ってやってきたがこの坂を登る途中屋根を直したと聞いて都に引き返してしまったという逸話がある。何時の時代も何でも面白がるという人がいるものです。
3_20190811145001

岐阜県に入っても地蔵がありましたよ。滋賀県と違うのは帽子をかぶっていること。
1_20190811145001


今須宿(59番目の宿)柏原宿から3.9㎞、関ヶ原宿まで3.9㎞。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒。

今須宿に入ると大きな灯籠がある。次の燈籠もその後の永代常夜燈も、しめ縄がかかっているのです。いやー、珍しい!
4_20190811145201
5_20190811145201

醒井宿で見たばかりだけれど、美濃ではその16宿の中で唯一現存する問屋場。今須宿にはかつて17軒も問屋場があった。
軒丸瓦は縁起物の永楽通宝。
6_20190811145301
7_20190811145301

本陣跡、脇本陣跡と向かいあって、国道と東海道線のトンネルの向こうに妙応寺がある。立派な山門と本堂の障子が見える風景がなかなかにいい。東海道線は妙応寺でトンネルのために線路が分岐している。妙応寺は1360年に今須領主・長江重景が創建した県下で最も古い曹洞宗寺院。
8_20190811145401
灯籠がずらっと並ぶ本堂。
9_20190811145501
家康の腰掛石があった。今まであちこちで見てきたような気がする。
この石に座り「嬉しい 楽しい 有り難い 運 鈍 根」と三回唱えるとしあわせになれる・・・ということだ。一応何でもやってみる。
10_20190811145601


今須~関ヶ原・・・壬申の乱、不破関、関ヶ原合戦の地

今須橋のところで小さな宿が終わり、再現された今須の一里塚跡(174里目)がある。
11_20190811145701

今須峠を越える。大したことがない峠であった。
12_20190811145701

丁度東海道線が通った。
13_20190811145801

常盤地蔵。義経の母・常盤御前はこの地で土賊に襲われ亡くなり、宿の主人が街道筋に塚(墓)を築いたが、その後哀れに思った村人が常盤地蔵をこの場所に安置して供養したとのことだ。こんなところで非業な死を遂げたとは!
14_20190811145901

常盤御前と乳母の墓。「義ともの 心に似たり 秋の風」と、芭蕉の句碑が後ろ側にあった。
15_20190811150001

少し進むと三地蔵の向かいに山中川から流れ落ちる鶯の滝が水量豊富に5m流れ落ちている。いつも鶯が鳴き、街道の名所だった。山中村は間の宿で東山道の宿駅でもあり立場があったそうだ。
16_20190811150101

壬申の乱と言えば、醒井宿の手前にの横川が最初の古戦場と思っていたが、この後で渡る藤古川が壬申の乱で両軍初の衝突が起きていた所。
この黒血川は、壬申の乱の大友軍と大海人軍の激戦で両軍の兵士の流血が川底の岩石を黒く染めたことから、呼ばれるようになったという。大友軍はどんどん近江の地へと追いやられて行った。
17_20190811150201

滋賀県の他、三重県にもあった飛び出し坊やが岐阜県にもあった。オバQ。
18_20190811150501

電柱には「このまち、まるごと、古戦場」と称して関ヶ原関連の豆知識が貼られている。湯浅五助は大谷吉継の家臣で自刃した吉継の介錯を務めた人とあった。大谷吉継の墓は中へ大分入ったところにあり、陣跡あたりは寝返った小早川秀秋のいた松尾山の眺望地であった。
Photo_20190811151501

自害峯の三本杉。天然記念物。大津で敗れて自害した大友皇子の首だけがここに葬られ、3本の杉が植えられたという。
Photo_20190811152301

藤古川。壬申の乱開戦の地。この辺りに不破関西城門があったとされる。少し行くと東城門跡もある。
21_20190811151601

不破関資料館(関に関する資料や発掘で出土した品の展示)を見学したところによると、古代律令制下の三関の1つであり、ここ東山道が通り抜けていた。壬申の乱の際に設けられたが、早くに関は廃止されたようだ。

不破の関跡。関守の末裔である三輪家所有。
22_20190811151701

民家の畑の中の大海人皇子の兜掛石。このあたりが不破関の中心地であった。
23_20190811151801

大海人皇子の沓脱石もあった。
24_20190811151901

福島正則陣跡は通り道にあった。
25_20190811151901

月見宮大杉。樹齢800年で関ヶ原合戦図屏風にも描かれているという。町の天然記念物。
26_20190811151601

消火栓の箱にはいろいろな武将の家紋が描かれているが、これは小早川家の家紋。
27_20190811152501

西首塚。関ヶ原の戦いにおけるおびただしい死者を東西に分けて葬った場所である。国指定史跡。
28_20190811152601


関ヶ原宿(58番目の宿)今須宿から3.9㎞、垂井宿まで5.5㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠33軒。

その先の常夜燈のあたりからが関ヶ原宿である。関ヶ原宿は中山道の宿場というより、関ヶ原合戦の地として知名度が高い。北国脇往還と伊勢街道の分岐点であり、西に今須峠を控えてていたので、多くの旅人で賑わったのだが、わずかに関ヶ原駅近くに脇本陣跡が残るのみである。

東首塚も国指定史跡。
29_20190811152701

首塚の横にあるのは家康の四男・松平忠吉と井伊直政の陣跡である。
30_20190811152701

脇本陣跡。門は1800年代前半のものが残る。
31_20190811152801

関ヶ原醸造の建物で宿を通り終え、垂井宿に向かったが雷雨となり雨脚が強くなり、下水溝から水が噴き出し道路脇が冠水したので雨が弱まったところで関ヶ原駅へ引き返す。
32_20190811152901
早い東海道線に乗れたので、名古屋に無事着いた。この後の東海道線はストップしてしまったとのこと。新幹線も遅れていた。

夕ご飯は名古屋地下街エスカで海鮮スタミナ丼。今日のお土産はういろうでした。
33_20190811153001

新幹線は10分遅れで東京駅21:20、家には午後10半頃到着。37660歩。この後は9月の終わりころ、涼しくなってからにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

|

« 中山道4 醒井~柏原宿~今須宿~関ヶ原宿(前編)      | トップページ | 日光の秘瀑・赤岩滝 »

コメント

こんにちは。いよいよ関ヶ原ですね。歴史のロマンを感じます。いつも新幹線の車窓から「関ヶ原古戦場」の看板を見ていますが、実際に降りたことはありません。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年8月11日 (日) 17:00

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
コメントをありがとうございます。
今須宿を過ぎますと、関ヶ原一色なのですが、そんな中、壬申の乱と古代の不破の関が入り混じったところであることを知りました。
奇しくも天下分け目というか節目の2つの重大な戦いが繰り広げられたところであったわけです。

投稿: tona | 2019年8月11日 (日) 20:42

ようやく岐阜ですね。
この先のご報告を楽しみにしています。
是非、鮎や鯉など召し上がってみて下さい。
味噌おでんや味噌煮込み、味噌カツなどもあります~

投稿: zooey | 2019年8月11日 (日) 23:00

 まるで日本史のテストをされているようです。
関ヶ原の戦いは知っていても、壬申の乱?はて誰と誰の戦いだったかしら?福島正則は大河ドラマにも出てきたし、誰の家来だったかしら?と危うい記憶を掘り起こしている状態です。
常盤御前がこのような場所で亡くなったとは!
街道歩きは発見が多いですね。

投稿: ☆銀河☆ | 2019年8月12日 (月) 00:17

★zooeyさま

美濃路は16宿とありますが、地図で今の県境で見ますと岐阜県には馬籠まで合わせて17宿ありました。
まだやっと2宿ですが、歴史がいっぱい詰まっていました。
美濃路に入りますとお昼ご飯を食べるところが選べなくなりますようでどうなるでしょう。帰りは名古屋ですから東海道の時も随分いろいろ食べました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年8月12日 (月) 09:11

★☆銀河☆さま

近江から美濃路に入った辺りは古代や鎌倉、南北朝、そして天下分け目の戦いなどたくさんの時代にタイムスリップいたしました。
戦いの名前は聞いていても実際その地に来て、偲ぶことになります。
日本史も1年間の受験勉強と並行の授業で聞き流していた程度で、何も知らない状態です。関ヶ原の合戦のマップをもらいましたが、果たしてどのように戦いが行われたかはさっぱりわかりませんでした。一日コースで回るツアーがあるようです。詳しくなるでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年8月12日 (月) 09:19

大海人皇子の沓脱石、いったいどういうことで同定したのでしょうね、愉快だなあ。

投稿: 佐平次 | 2019年8月12日 (月) 10:18

★佐平次さま

そう言われてみますとそうなのですね。いろいろ気が付かないで、チコちゃんに叱られそうな人生を送っています。
佐平次さんはいろいろな観点から考えてとても楽しい充実した日々を送っていらっしゃるようです!!
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年8月12日 (月) 19:06

こんばんは(^o^)/!
先週は盆休み前で忙しく、読み逃げしてしまいました。やっと時間が取れます(^_^)ニコッ!

醒井から柏原、関ヶ原へ・・・私も何度か訪れたり通り過ぎたところですが、このような旧・中山道が残っていたことは知らず、もしかしたらたまたま通ったことがあったかもしれません。
前記事の白清水と県境の小さな石柱が遠い記憶の彼方に残っています。

柏原を過ぎて今須・・・、恥ずかしながら今須の地名は全く知りませんでした。東海道線も駅はありませんし・・・。その今須を過ぎて不破の関から関ヶ原へ。この辺りが壬申の乱開戦地であり激戦の地であったことも知らなかったです。
関ヶ原の古戦場跡や資料館は30年以上前に私も訪れたことがあります。
余談ですが、関東と関西の境がこの関ヶ原だそうです。関ヶ原の戦いで徳川家康率いる「東軍」と石田三成率いる「西軍」、そこからきていると聞いたことがあります。ということは、地理的には関西に近い名古屋は関東になるのですよね。

続きは猛暑の夏が過ぎてからですね。また楽しみにしています。

投稿: 慕辺未行 | 2019年8月12日 (月) 23:10

★慕辺未行さま

おはようございます。
やっとお盆休みになりましたか。
暑い中お疲れさまでした。
あの県境はとても印象的でした。
滋賀県は東海道もありましたので随分長く滞在したような気分でした。
今須は東海道線に駅がないのですね。それゆえに印象が薄れていくのが早いような気がします。
関ヶ原町に入ると、合戦の跡地ばかり頭にあって、壬申の乱や東山道の不破の関のこと何も知りませんでした。頭を次々切り替えての見物でした。
慕辺未行さまはこの辺りは訪れていらっしゃるのですね。
関西と関東の境目は名古屋の手前の方だなんて思っていましたが、関ヶ原だったのですね。
名古屋は京都に限りなく近いです。でも関東。
蒸し暑さはまだまだ続きそうですね。お大切になさってください。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年8月13日 (火) 08:44

https://blog.goo.ne.jp/tsukimiso17/s/%E8%A5%BF%E9%A6%96%E5%A1%9A

お恥ずかしいことにこの中で訪れたのは
西首塚だけでした。それでその日のブログを
紹介することにしました。

関ヶ原は行きましたのにまだまだ残っている
箇所が多いです。

静御前がこの地で亡くなったことも知らなかった
です。

お地蔵さんが帽子をかぶるのは、岐阜だけとは
知りませんでした。近所の方で帽子とよだれかけと
セットで作る人がありました。
もう高齢でダメですが。

暑い中で中山道歩きを続けておられるとは・・・
そのことに驚いています。

投稿: matsubara | 2019年8月13日 (火) 10:49

tonaさん、おはようございます♪
マンホールの蓋のデザインは、市町村のシンボルである
花や木や鳥から、文化や歴史まで知ることが出来て面白いですね。
岐阜県もお地蔵さんが多いのですね。帽子をかぶったお地蔵さんは
あまり見たことがありませんが、ほこっとしますね。
今須宿のしめ縄のかかった灯籠、問屋場や妙応寺の静かな佇まいなど、
街道の雰囲気が良く伝わってきます。
さて、いよいよ関ヶ原ですね。
関ヶ原といえば天下分け目の決戦のことばかり思い出しますが、
壬申の乱の激戦地でもあったのですね。
常盤御前がこの地で亡くなったことも初めて知りました。
飛び出し坊や、神奈川県で見たことはありませんが、
東海地方や中部地方には多いのですね。
デザインがいろいろあって面白いです。
今回もたくさん歩かれましたね。お疲れさまでした。
海鮮スタミナ丼とビールはさぞ美味しかったことでしょう。

投稿: hiro | 2019年8月13日 (火) 11:08

★matsubaraさま

ブログご紹介ありがとうございます。
松尾山の登山口まで行かれたのでしたね。本当は登って見てみたかったです。
合戦を知るコースが2つあって決戦コースが1時間、行軍コースが16kmあって6時間だそうです。参加出来ればよくわかるでしょうね。

私も常盤御前がここで亡くなったとは初めて知りました。お墓もあったのでお参りしてきました。
滋賀県のお地蔵さんは帽子を被っていませんでしたが、岐阜県に入ったら被っていたのでパチリです。このあとお地蔵さんが見つかるでしょうか、楽しみです。滋賀県ではどこも生花が飾ってありましたが、こちらにも飾ってありました。
どなたかがちゃんと帽子を編み、涎掛けを作っていらっしゃるのですよね。信仰の篤さを感じます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年8月13日 (火) 16:14

★hiroさま

こんにちは♪
マンホールはおっしゃるようにその土地のシンボルが結集されていて、見るのが楽しみです。
岐阜県に入ったらお地蔵さんはどうか気になっていましたし、飛び出し坊やのことも気にかけていましたが、両方とも早速見つけました。
しめ縄の掛かった燈籠も珍しいですね。今須だけかしら。
関ヶ原に入って、その昔の歴史まで遡るとは思いませんでした。知らなかったです。吉野から奈良、京都周りで近江にやってきたとばかり思っていましたから。そして戦いはいつも血の川となるほどすさまじかったのだと思いを馳せました。
常盤御前のことも驚きました。芭蕉も思わず1句ですね。

街道歩きで、初めて大雨に遭って次の宿まで行かれなくなりましたが、その日のうちに家に帰り着くことが出来てほっとしました。旅にはいろいろなことが起きます。
今回も峠があって、蛭に気をつけなくてはと思ったら緩い舗装された坂道でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年8月13日 (火) 16:31

tonaさんへ
早くも岐阜県に入り関ケ原宿通過、中山道踏破も快調そのものとお見受けします。海鮮スタミナ丼のお供にお引き立てを頂き、いつに変わらぬお気遣い、ありがとうございます。

投稿: shikamasonjin | 2019年8月13日 (火) 22:39

私は車ですが3年前の10月に岐阜→滋賀に行った時に、「関ケ原ふれあいバス」が走ってて
車体に「この町、まるごと、古戦場、」と書いてあったので関ヶ原の戦いの事かと思ってましたが
壬申の乱、不破の関、関ヶ原合戦の地だったのですね。
家康の腰掛石はあちこちにあるようですね、現に私も別の所で見ています。

義経の母・常盤御前はこの地で土賊に襲われ亡くなられたのですね、
常盤御前と乳母の墓にも芭蕉が行き句碑があるとは、芭蕉は何処でも訪れてますね。

tonaさんの歴史を歩いてる旅で、毎回歴史の新しい所を教えて貰ってます。
次回は9月の涼しくなってからですね、楽しみにしております。

投稿: ラッシーママ | 2019年8月13日 (火) 23:57

★shikamasonjinさま

やっと岐阜県ですがこの県だけでもまだ14宿もあり、日帰り旅の楽さと遅々として進まない、その両方を由として焦らずにというところです。
こちらこそいつもご丁寧にありがとうございます。

投稿: tona | 2019年8月14日 (水) 06:41

★ラッシーママささま

「関ケ原ふれあいバス」は見かけませんでしたが、電柱だけでなくバスにまでとは。
壬申の乱については地理的に全く知りませんでしたが、奇しくも関ヶ原合戦と同じ地点で始まっていたのは驚きです。

常盤御前の最期の亡くなり方も知りませんでして、お気の毒なことと思いました。
芭蕉の行動範囲は街道に沿ってずっとですからもうこれも驚きです。奥の細道がハイライトでしょうけれど。
お陰様で私もいろいろ歴史の勉強になっている歩きです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年8月14日 (水) 06:49

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 中山道4 醒井~柏原宿~今須宿~関ヶ原宿(前編)      | トップページ | 日光の秘瀑・赤岩滝 »