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2019年10月 5日 (土)

中山道5 関ヶ原~垂井宿~赤坂宿~美江寺宿(2)

垂井~赤坂

赤坂宿を出ると相川を相川橋で渡る。北側の山が美しい。ここは洪水があったため人足渡しだった。一方、朝鮮通信使や姫宮などが通る時には木橋がかけられたそうだ。
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橋を渡ったところにあるのが垂井追分道標。中山道と美濃路の追分である。美濃路は垂井と東海道熱田(宮宿)を結ぶ脇往還である。いつか歩くつもりでいる。中山道も本によっては木曽路までは美濃路と言っている。
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昼食は、今回は飲食店が見つからず、コンビニイートインで。名古屋名物のあんかけスパゲティを売っていた。東京には売っていない!ソーセージの赤が気になったけれど、美味しかった。
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大垣市・青野町に入る。青野一里塚跡(111里目)と大神宮常夜燈がある。
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教覚寺には青野藩主・稲葉正休の碑がある。稲葉正成(春日局の夫だった人)の子孫だが、江戸城内で大老を刺殺、自身も殺され、青野藩はお家断絶となった。
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寺の鐘楼台は石灰石で、フリズナ(有孔虫)の化石がある。珍しいというよりあまり化石を見る機会がないということです。たまには博物館に行かなければ。
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この辺りは見渡す限り田んぼで、稲穂が垂れて収穫も近そうだ。日本の秋の原風景。
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間の宿と思われる青墓宿が大谷川を渡った東詰めにあったらしい。廃寺の圓願寺には芦竹庵があった。
牛若丸が奥州へ落ちのびる途中、青墓の圓願時で休み、江州から杖にしてきた芦の杖を地面に突き刺し 「挿しおくも 形見となれや 後の世に源氏栄えば芦竹となれ」 の歌を詠んだという。その後、芦から芽が出て竹の葉になったとの伝説がある。
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照手姫の墓と言われる墓もあった(東海道の方にもあった)。墓の横の植物が芦竹かもしれない。照手姫水汲井戸まで残っていた。
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今日は古墳を2つも見た。その一つ、粉糠山古墳で墳丘長100ⅿの前方後円墳だが、今は墓地になっていた。青墓の遊女たちが捨てた粉糠が積ったものであるという。
写真では古墳の形が全くわからないが向こうに盛り上がっているのが円墳のようだ。
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2つ目はその先の昼飯町(ひるい)の昼飯大塚古墳。岐阜県最大の前方後円墳で150ⅿある。4世紀末の築造。
昼飯の由来は大坂の海から拾い上げられた善光寺如来という仏像が、善光寺へ運ばれていく途中、一行がこの地で昼飯を食べたからだそうだ。とても大きい!
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登って見ると四方が見渡せ美しい景色が広がっている。伊吹山の方を見る。
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目を北東の方に転じると石灰を掘っている山が見える。江戸時代からここでは良質な石灰石が採掘されて、今も工場がこの辺りに点在している。
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赤坂宿(56番目の宿) 垂井宿から5.2㎞、美江寺宿まで8.7㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠17軒。
東海道にも赤坂宿があるので中山道のは美濃赤坂とも呼ばれる。

赤坂宿西の入り口に、赤坂宿御使者場跡と兜塚がある。
関ケ原合戦の前日、杭瀬川の戦いで戦死した東軍・中村隊の武将・野一色頼母の首と鎧兜を埋めた場所。
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赤坂は所郁太郎生誕地であり、お墓がある。所郁太郎とは、瀕死の重傷を受けた井上聞多(後の明治の元勲井上馨)を手術し畳針で縫いその一命を救ったという憂国の青年志士だった。初めて知った志士。
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脇本陣跡の斜め前にある和菓子屋さんの金生堂で栗きんとんわらび餅を買い、先にある本陣跡の公園で食べる。これは美味しい。
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1831年に建てられた谷汲道道標。19㎞北にある谷汲山に向かう道。道標や高札場の字がいつもなかなか読めない。江戸時代の庶民は凄いなんて思う。
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十六銀行はビルでなく宿場に馴染んだ建物で、静岡の問題になった銀行もそうだったことを思い出す。
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旧清水家住宅。1730年建築で大垣市指定文化財。土日は公開。昔米屋で2階は米を収納する広い部屋が残っているそうだ。
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おやつを食べた本陣跡は公園になっている。奥に小さく見える青い像は所郁太郎の像で、和宮が宿泊した記念碑もそばにある。
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赤坂本町駅跡があった。
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赤坂湊会館。赤坂警察署を復元したもので、これも土日に資料館として公開されている。
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赤坂湊跡。赤坂港はかつて桑名まで船が行っていて、近代は名古屋まで石灰を運ぶ船が往復したそうだ。鉄道ができて衰退。
今は港が復元されていて、大きな火の見櫓が立っている。
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続く

 

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コメント

こんにちは。コンビニであんかけスパゲティが食べられるのですか。以前、近所のマーケットで冷凍ものが置かれていましたが、、今は無くなりました。名古屋のヨコイで食べたあの味が忘れられません。岐阜県にも大きな古墳があるのですね。知りませんでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年10月 6日 (日) 16:03

★多摩NTの住人さま

こんばんは。早速にコメントいただきありがとうございます。

中部地域のコンビニには名古屋名物がお弁当コーナーに売っているのですね。驚きました。
都会でもマーケットに冷凍のが売られていたとのこと、私の方では見たことがありません。
今回岐阜県では1位、2位と思われる古墳を見たのですが、150ⅿのは巨大で初めてです。古墳は大阪の方に多いのでしょう。どなたが埋葬されているかは特定出来ていないと書いてありました。

投稿: tona | 2019年10月 6日 (日) 18:57

tonaさま、こんばんは!
中山道歩き、続いていますね。
素晴らしいです。
実は私の夫は5街道全てを制覇しています。
それもひとりで研究してひとりで歩きました!
65歳で完全に退職、自由の身になり最初にチャレンジしたのがこの5街道制覇でした。
時折私にもついてくるかと声をかけましたが、私はとてもとても・・・・。
収穫の多い街道歩きですね。その根気に脱帽いたします。
お身体くれぐれもお気を付けになってお続けくださいね。
報告楽しみにしております。

投稿: 花水木 | 2019年10月 6日 (日) 21:21

地元ですのに殆ど未訪で知りません。
中山道は車で通過するだけです。
青墓と、照手姫の墓があることだけは
聞いていますのにまだ見ていません。

もう少し足に自信があればお供したいの
ですが、とても無理です。

ここで学ばせていただきました。

次回少しだけ中継駅でお目にかかれそうですが、
とても歩くのは難しいです。

投稿: matsubara | 2019年10月 7日 (月) 08:33

★花水木さま

おはようございます♪
まあ!ご主人様リタイア後に5街道制覇されていらしたのですか。驚きました。
制覇された方のHPやブログを5,6人拝見してますがその中にいらしたのかなあ。
それにしても凄い脚力の持ち主ですね。
私は年取ってからですのでよたよた気味です。
とりあえず一街道の東海道を制覇したものの、この後中山道が完歩できるかも怪しい。足の問題とか加齢で免疫力弱ったなど問題点をクリアできるようにして日本橋へ向かいたいです。
ご主人さまもおっしゃっていらっしゃると思いますが、学ぶことも多く楽しいです。
読んでいただきありがとうございます。

投稿: tona | 2019年10月 7日 (月) 08:34

★matsubaraさま

青墓とはまた面白い地名で、ここが間の宿。照手姫伝説がここにもあったのですね。
いじめられたて照手姫の井戸伝説も悲しいものがあります。
今回は揖斐川と美江寺駅から正面にばっちりと金華山が見え、ズームするとお城が見えましたよ。連れて行っていただいた懐かしい所です。
今週台風はまだ影響なさそうなので、もう切符も予約しましたし、お会いで出来るのを楽しみにしています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年10月 7日 (月) 08:44

あんかけスパゲテイ、いかにも名古屋ですね。
古墳で遊ぶ子供たちが目に浮かびます。

投稿: 佐平次 | 2019年10月 7日 (月) 08:49

こんにちは
 
秋晴れの下の街道歩きは気持ちよさそうだなぁ‥と
改めて思いながら拝見しました。稲穂と青空の風景最高!
日向は暑かったでしょうけれど。
青墓という地名はどこから来たのかしら?と思いましたが、
古墳がいくつもあるということで墓はそこからでしょうか。
青は何からでしょうね。
昼飯大塚古墳というのは大きいですね!現在は綺麗に整え
られてもいて、これは相当権力のあった人のお墓でしょうね。
青墓宿はずいぶん古い時代から歴史上の著名な人々も
多く利用した宿のようですね。
1730年建築の旧清水家住宅は、300年近くも経っているのに
綺麗にしっかりしたものが残っていますね。もちろんお手入れ
しながらでしょうけれど、そのお手入れが行き届いていたのですね。
2階に重い米を収納する広い部屋が‥ということですから、
そもそもの造りも堅牢なのだろうな、と拝見しました。
あんかけスパゲティ、名古屋へ通っていた頃に一度も出会いが
なかったのです。美味しいと伺うと食べてみたくなります。
(以前も同じこと書いたかも?チャンスはまだ巡ってきません 笑)

投稿: ポージィ | 2019年10月 7日 (月) 10:50

★佐平次さま

東海道の名古屋あたりを歩いているときに一度食べました。
それが名古屋から近い隣の岐阜県のコンビニに売っているとは!
古墳は大きいです。何百人の子供が遊べそうです。埼玉県の古墳でさえ見に行ったことのない私です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年10月 7日 (月) 13:47

★ポージィさま

こんにちは。
秋晴れ、雲がきれいですね。
毎年秋に街道で刈り入れ前の稲を見ています。稲刈れ前の重く垂れさがったお米、今度の台風前に今頃刈り取ってるでしょうか。
本当に空が青いのと、この風景、子供の頃の田舎と変わっていません。

昼飯古墳は埋葬されている人の名前がわかっていないそうですが、相当権力ある人のお墓だったのでしょうね。
初めてこんな大きな古墳を見ました。大阪の世界遺産に行ったらどんな感想を持つでしょうか。
清水家住宅、確かに頑丈そうで2階にあんな重いお米を収納するのですからよほど頑丈に作られているのでしょう。見られなかったのが残念です。
思わぬところでまたあんかけスパゲッティをいただきましたが、名古屋から近いので納得でした。
まだココログ直っていないですよね。(少なくとも私のはまだだめです)一体どうなっているのでしょう。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年10月 7日 (月) 14:00

ご無沙汰しました。
先日はコメントをありがとうございました。
なんとかブログを再開できるようになりました。
まだまだ完治に至りませんが、ゴルフに8月20日、9月27日、10月4日と
参加できるまで改善できています。

tonaさんは中山道を歩いておられ、
いつもながら脚力がおありなことについて感服しております。
Saas-Feeの風は岐阜近辺の宿場から宿場を何度か歩いておりますが
今回のブログでご紹介の場所を歩いた経験がありません。
ただ、十六銀行の同じような建物をどこかの街道で見たことを思い出しています。
どこだったかなあ、思い出せなくて・・・。

投稿: Saas-Feeの風 | 2019年10月 7日 (月) 15:53

★Saas-Feeの風さま

まあまあ、お具合が完全でないところ、コメントありがとうございます。
兎に角ゴルフができるようになり、運動を回数重ねてお元気になられるよう祈っております。

次回は加納宿を通り過ぎますので岐阜駅のそばを通ります。matsubaraさまにも数分ですがお会いできる予定です。
中山道も江戸時代の家がしっかり残っているところがありまして、その堅牢さにまた驚いたりしています。
岐阜県の山や田んぼの風景を満喫しながらです。

投稿: tona | 2019年10月 7日 (月) 16:46

いよいよ中山道歩きも涼しくなってきたので、本格化してきましたね。
大垣市の教覚寺には青野藩主・稲葉正休の碑があって、稲葉正成(春日局の夫だった人)の子孫でお家断絶になったそうですが
歩いてて知ったのですか、それとも歩く前から知っていたのですか?
私は記事で教えて貰いました。

赤穂浪士の主君、浅野内匠頭と同じように大老に切りつけ(刺殺)切腹(殺され)と似てますが
赤穂浪士の方は今でも暮れになると必ず美談?として出ますが、稲葉正休のお家断絶になった事など知ってる人は少ないでしょう。
家老の違いでしょうか。

昼飯大塚古墳で岐阜県最大の前方後円墳で150ⅿあるのですか、これも初めて知りました。

何時もながらの健脚ぶりと探求心の塊のようなtonaさんに感服です。

投稿: ラッシーママ | 2019年10月 7日 (月) 20:21

★ラッシーママさま

こんばんは。
青野藩主のこともそれが稲葉家であったことも何も知りませんでした。ここを歩いていて、お寺の説明などで初めて知りました。
お家断絶はいろいろな理由でたくさんあったと思いますが、この稲葉氏の場合、全く赤穂浪士と同じようなことで断絶になったのですね。
歴史的には全然出てきませんね。
浅野家とはやはり格が違うからでしょうか。
大石内蔵助ような家臣もいなかったでしょう。

大坂の世界遺産の古墳をご覧になったかはママさんのブログでは見ていませんが、もしかしてその昔見ていらっしゃるかな。私はあの巨大なのは見ていませんが、150mとは本当に大きかったです。有力者のお墓でしょうね。
今回は仕方なくの長距離の歩きになってしまいましたので、ちょっと筋肉痛になりましたが、すぐに治ったのでまだ歩けるかなあと思っています。
ありがとうございます。

投稿: tona | 2019年10月 7日 (月) 21:12

tonaさん、こんばんは~♪
爽やかな秋晴れで、お写真を拝見していても気持ちが良いです。
垂井~赤坂どちらも岐阜県のようですが、地図上でどの辺なのか
見当もつきません。少し勉強しないといけませんね。
稲葉氏が春日局の夫であることは知っていましたが、
子孫が大老を刺殺したり、お家断絶となったことは知りませんでした。
フリズナの化石は白っぽい丸い形をしたものでしょうか?
古いものなのでしょうね。
照手姫のお墓は神奈川県にもあると聞いたことがあります。
石碑は女性らしくて可愛い形をしていますね。
昼飯大塚古墳は150ⅿもあるのですか。大きいですね。
栗きんとんわらび餅、とても美味しそうです。

投稿: hiro | 2019年10月 7日 (月) 23:59

★hiroさま

おはようございます♪
街道歩きでは久しぶりに晴れたという感じで青空がきれいです。この青空が田んぼや彼岸花としっくりあっていて気持ちが良かったです。
東海道線の関ヶ原と大垣の間くらいのところでしょうか。ただ大垣の駅あたりは中山道は大分北になります。
私も歩かなければ大垣って、昔夜出る東海道線の終点ということくらいしか頭になかったです。叔父が寝てしまって大垣まで行ってしまったのですよ。朝にまた引き返してきたそうで。

有孔虫は本で見たような記憶がありますが、もうすっかり忘れていました。フリズナという言葉初めてだったです。お孫さんの方がよく知っていらっしゃるでしょう。

照手姫のお墓、女性らしいと・・hiroさんの目の付け所が違っていて素晴らしいです。
150ⅿって馬鹿にできないほど大きいです。この頃100ⅿでさえ、全力疾走したら倒れてしまいそうです。
わらび粉に栗きんとんが練りこまれているわけですから、初めてですし美味しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年10月 8日 (火) 08:25

足で読む歴史に相応しい旅ですね。
青孔虫、大変貴重な化石ですね。
世界にはまだ見ぬ化石が存在するのではと思いました。
昼飯大塚古墳の大きさも凄いですが、昼飯の謂れもユニーク♪

夫の本籍は岐阜県大垣の奥です(現在は東京都に変更)
揖斐川で遊び、関ヶ原の原っぱへ遠足に行ったと。
祖父が城に登っていた武士で、道を通ると土地の者は大名行列みたいに平身低頭していたそうです。
祖母は亡くなるまで、武士の家という宝刀を無駄にかざしていました。
あの朝ドラ、武士の妻ですの彼女は可愛らしい様子ですが。
義母は義父母に仕えて、苦労したと聞いています。

投稿: だんだん | 2019年10月10日 (木) 18:04

★だんだんさま

今日は失礼しました。
先ほど帰って参りました。
コメントありがとうございます。

フリズナという化石初めてです。大体アンモナイトしか知りません。面白い所で面白いものを見ました。
古墳の方も見るのは久しぶりのような、さて以前どこで見たかという感じです。世界遺産のを空から見たいけど無理ですね。

驚きました。御主人さまのこと。中山道という一本の線でしかありませんが大垣市あたりをうろうろ、有名なる揖斐川と関ヶ原を見てきました。遊び場だったなんて!
夜明け前にそのようなことが書かれているのです。もうそういうのを知っている方はいなくなってきましたね。聞くことも出来なくなってきました。
まあ、何もない所も通って無駄足のような気もしますが、概して楽しんで歩いています。

投稿: tona | 2019年10月10日 (木) 23:07

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