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2019年11月29日 (金)

紅葉 & 倭姫命讃仰舞踊奉納巡業

ほぼ1週間ぶりに快晴・・今日の昭和記念公園は銀杏は終わっていて、紅葉が真っ盛り。オオモミジ、イロハモミジ、ヤマモミジ、イタヤカエデ。そしてイイギリの実がきれいにたくさんぶら下がり、ススキが白く輝いていました。

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雑大での講義・・伊勢神宮(正式名は神宮)を創建した人を知りました。

「元伊勢旅 倭姫命讃仰舞踊奉納巡業」花柳廸薫

倭姫命は古墳時代以前の皇族。第11代垂仁天皇の第4皇女。天照大神を垂仁天皇25年に伊勢の地に祀った(現・伊勢神宮)皇女。これが斎宮の直接の起源であるとも伝えられている。
天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる。倭姫命が伊勢神宮を創建するまでに天照大神の神体である八咫鏡を順次奉斎した場所を「元伊勢」と呼び、最後の内宮を合わせて27か所と言われる。
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花柳廸薫(みちかおる)(最近改名して白鳥佑佳)氏は宝塚歌劇団卒業後、日本舞踊・花柳流師範となった方。
2017年から1年余をかけて元伊勢に基づく27か所を舞踊奉納されたそうだ。三社だけは許可が下りず参拝のみとなったとか。

倭姫命讃仰の作詞者は谷分道長(元神官主事・歌人)
作曲 一中節宗家12世 都一中
振付 花柳廸薫ご本人

殆どが雨、曇り、舞う時には晴れたりの10回に分けての舞、。それは交渉して理解を得、作詞、作曲の依頼、振付、CD録音後、写真家と一緒に回った大変な巡業のようでした。27番目が内宮・参集殿能舞台にてで昨年(2018)11月5日だったそうです。
世の中にはいろいろなことをされる方がおられるものと、この日は妙に感心して、居眠りもせず聴いておりました。

 

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2019年11月26日 (火)

中山道8 太田宿~伏見宿~御嶽宿(3) 

◆伏見~御嶽

伏見宿を出ると、その後道は下り、比衣(ひえ)一里塚跡(96里)がある。
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国道にまた合流すると、可児川が見える。可児市や可児郡を流れている。
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顔土(ごうど)城址に寄る。応仁の乱の頃のこの地の武将・斎藤妙椿によって築かれたもので、700ⅿの空堀と土塁に囲まれている。
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鬼の首塚。
鬼岩に住み着き悪さをして御嵩の人々を困らせていた関の太郎という男をこの地の地頭の使いの4人の武士たちが退治、その首を運ぶ途中、急に重くなり、転げ落ちた首が動かなくなったので埋めたという。
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●御嶽宿(49番目の宿) 伏見宿から3.9㎞、細久手宿まで11.8㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠28軒。

御嶽宿は願興寺の門前町として栄えた。天台宗の古刹で本尊の薬師如来坐像を含め多数の仏像は国の重文。古くから蟹薬師(多くの蟹に乗って薬師如来が現れたという)と呼ばれ信仰を集めている。

その願興寺の北にあり宿の入り口に行く前に寄ることのできる、名園で知られる、細川勝元建立の愚渓寺に先に行く。御嶽富士の麓にある。
この寺の開祖義天禅師が作庭した臥竜石庭が素晴らしいのである。龍安寺の石庭の前身といわれている。竜安寺も細川勝元創建で義天禅師が初代住職として、御嵩の後に石庭を作ったという。
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街道に戻る。街道が駅の前で左折するところが御嶽宿京方見附だ。

三重県で見かけたのが始まりの飛び出し坊やの看板を、岐阜県でも時々見かけた。これが最後か。
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古刹・願興寺は最澄が815年に開基した。10年くらいかけて本堂を修復中で、とば口しか見られなかったのが残念であった。
南無阿弥陀仏碑。
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仏塔の中には阿弥陀如来像がある。
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御嶽宿の街並み。
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まずは商家竹屋を見学。江戸時代本陣を務めた野呂家から分家した商家であり、組頭であった。立派なお屋敷や庭で、茶室や土蔵もある。
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次に中山道みたけ館を見学。一階が図書館、二階が郷土歴史館となっている。
中山道に関するもの、大名食の再現、伏見宿のラクダの絵、1800万年前の象が御嵩で発見されたとか、次回に見る隠れキリシタンの展示、御嶽宿再現模型などを見る。
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明治になって建て替えられた野呂本陣跡。
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銀杏の大木の所にはかつては郷蔵(村の共同倉庫)があったそうで、前の祠には天王社が祀られる。後ろに見えるのが御嵩富士(292ⅿ)だ。
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御嵩駅。名鉄広見線の始発駅。
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4時59分発の名鉄広見線に乗り、新可児で乗り換え、名古屋に6時15分頃到着。

「なご家」で、名古屋コーチン塩ラーメン、餃子とキリン生ビールの夕食。
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今日のお土産は「ういろモナカ」。最中の皮の中に外郎と餡が入っていて美味しい。
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毎度おなじみの電車で帰宅も同じ10時半頃。約40000歩でした。

 

 

 

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2019年11月23日 (土)

中山道8 太田宿~伏見宿~御嶽宿(2)    

太田~伏見の続き

木曽川の眺めと別れを告げ、街道に戻り、龍洞寺に寄る。
龍の枕石。このお寺を開基した和尚さんが龍を封じ込めた際に発見した石を、龍の枕に違いないと持ち帰って安置したというもの。
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庚申塔、地蔵菩薩、三十三体観音像などが並んでいる。岐阜県は馬頭観音像の他、三十三体観音像も多いと感じる。
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開運北辰妙見大菩薩。刻んだ文字の上に星が見える。
北極星を神格化したのが「北辰妙見大菩薩」です。北斗七星と周りの星々を北辰と言い、北辰妙見信仰の一部をなしている。一般には「妙見さん」として愛称されている。中国が起源で、インドでは北極星の位置が低いため北辰信仰はない。
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美濃太田と多治見を結ぶJRの太多線の線路。乗ることはないでしょう。
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街路樹(花水木)の紅葉がきれいだ。
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恵土一里塚跡(97里)
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昼食は国道沿いにはま寿司とくら寿司が並んでいたのではま寿司に入る。とても安い。
甘えび、しめさば、とろいわし、あじ、とびっこ、煮穴子、あおさの味噌汁、つぶ貝、えんがわ、合鴨カルパッチョ、大とろ。
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可児市から可児郡・御町に入る。宿や駅の名前と同じ「みたけ」だが、宿だけ「御宿」と「たけ」の字が異なる。

上恵土神社と稲荷神社が隣同士並んでいた。この辺りの地名、上恵土の鎮守か。
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弘法堂のところには、大津キクさん碑がある。大正13年(1924)、72歳で四国西国巡礼をした女性の記念碑だそうだ。大正時代にこの御年で一人で回ったのであろうか?
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子規の句碑。「すげ笠の 生國名のれ ほととぎす」と刻まれている。子規は故郷の松山に向かう途中に伏見宿に泊まったそうだ。
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御嵩町は可児才蔵生誕の地だったのは知らなかった。明智光秀らに使えた武将。関が原の戦いでも活躍し、敵兵を打ち取った目印に笹の葉を用いたので「笹の才蔵」と称された。
御嵩町は来年のNHK大河ドラマの「麒麟がくる」に出てくるであろうか?岐阜県は明智光秀ゆかりの地でもあるし。
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伏見宿(50番目の宿) 太田宿から7.9㎞、御嶽宿まで3.9㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒。

上り坂になって、伏見宿の京方の見附跡。伏見宿に入る。念仏行者・播隆上人名号碑が御嵩町には9基もあるそうだ。
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伏見宿の街並み。ここも小さな宿でラクダが逗留した宿。
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松屋と旧伏見郵便局。
右側が松屋。将軍家斉に献上すべくペルシャから輸入されたラクダは、家斉に受け取りを断られ、全国を興業してまわっていた。興行師が病気でここに滞在し、珍しいラクダを見ようと見物人が大勢押し寄せた。役人は商魂たくましく見物料を取ったそうだ。
左側の旧郵便局はお休み処となっていたが、残念ながらこの日はお休みだった。
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寄り道して東寺山古墳に行ってみる。
1号は前方後円墳で、後円部のみが残る。
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2号の方は県内唯一の前方後方墳でほぼ残っている。
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御嵩のマンホールを発見。町の木、アカマツである。マツタケがたくさん採れるのかしら。
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この古墳までの道には小学校があるが、二宮金次郎ではなく野口英世の胸像だった。
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一本松公園にて休憩。あんぱんタイム。
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  東屋には、らくだ、播隆上人、松並木、新村湊などの解説板があった。
この松の木は200年以上たっているという。昔は松並木があったそうだが、戦時中、松根油のために拠出されて今はない。
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浄覚寺。尾張徳川家二代目徳川光友公夫妻の菩提寺とのこと。名古屋から随分離れたところに菩提寺があるのですね。先ほどの古墳はこのお寺の領地内にある。
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消防団のポンプ庫の絵の消防車にはラクダがいて運転している!
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本陣跡。この辺りで伏見宿は終わる。
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2019年11月20日 (水)

中山道8 太田宿~伏見宿~御嶽宿(1) 

11/7(木)晴 いつもの起床と新幹線で前回最後に乗った美濃太田駅に着き、9:15から歩き出す。
新幹線から見た富士山の冠雪具合が神奈川県側と静岡県側と随分違う。静岡県は暖かそう。東京の我が家から見える富士はもっと雪が多い。
神奈川県から
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静岡県から
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今日は太田橋で木曽川を渡り(江戸時代中期までは祐泉寺の所だった)、小さな伏見宿を過ぎ、木曽に向かって山坂が始まる御嶽宿へ向かう。

●太田宿(補足)

前回見損なったところを見て伏見宿へ向かう。
まずは満つ葉(まつば)にておやつ2種類を買う。面白い大福をいろいろ売っているそうで、初めての「とまと大福」を買う。もう一品は栗きんとん。

前回、4時を過ぎて閉まっていた旧太田脇本陣林家住宅隠居家(重文)を見学する。隠居所とはいいながら実に立派なお屋敷だ。
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同じく祐泉寺で前回見逃したものを探す。

芭蕉の句碑。「春なれや 名もなき山の 朝かすみ」。芭蕉は中山道も歩いていたのですね。いつだったのでしょう。7_20191120090201

地理学者・志賀重昴の墓。日本ラインを命名したという。
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槍ヶ岳を開山した播隆上人のお墓があった。
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枡形になった道がよくわかる。
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新町木戸門跡のところで太田宿を出る。


◆太田~伏見

水神公園には水神、御嶽神社、秋葉神社、神明神社、山神の石碑5基が並んでいる。
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ここでおやつの時間。トマトの入った大福を。トマトと餡のコラボ、珍しい味だ。お隣のお店の方がお茶を持ってきてくださる。温まって感謝。隣の御嵩町の障碍者施設で作ったパンを売っていて、アンパンを買って午後のおやつにする(栗きんとんは留守番にお土産)。
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ここから堤防沿いを歩くと岡本一平終焉の地の石碑がある。(ここに疎開してきて3年半で亡くなる)
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木曽川の水はきれいで眺めは最高。とても気持ちがよい。
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川の中には鵜が多い。
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太田橋が近づいてきた。
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古井の一里塚跡を通り過ぎるとアメンボの彫刻作品。
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下に降りていくと化石林公園がある。
平成6年夏、異常渇水により、木曽川両岸で525本もの化石林が発見され、公園として整備されたもの。どれが化石かわかりずらいがぼこぼこと出っ張っているのがそうらしいです。
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すぐそばには石畳が残る太田の渡し跡が。
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対岸は今渡(いまわたり)の渡し跡だ。「木曽でかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と俗謡に謳われた、中山道の三大難所の一つ太田の渡し。今は太田橋で渡る。この辺りは木曽川の水量が多く徒渡りは無理で、常に渡し場に馬舟が用意されていた。

ここを回り込んで、いよいよ太田橋を渡る。
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可児市に入った。こちら側が今渡の渡し場跡である。明治時代の石畳が残る。
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ここに弘法堂がある。四国八十八所観音像が並ぶ。
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さざれ石があるが苔むしていた。
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可児市のマンホールは、市の花サツキである。
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2019年11月16日 (土)

『ガン入院オロオロ日記』東海林さだお著

『ガン入院オロオロ日記』東海林さだお著
入院以外を多く書いている本ですが、最初に初体験入院日記ⅠⅡⅢを書いている。まず東海林さん自身がガンの手術をしたことを知らなくて驚く。
冒頭のページから面白くて、数度の入院体験者の私は失礼だけどいろいろ思い出されて笑ってしまった。
その冒頭です。
「入院したことがありますか?」と訊かれて、「ある」と答えた人、「ない」と答えた人、「何回もある」と答えた人、いずれも共通していることがひとつある。
いずれも嬉しそうに答える、というところが共通している。
よくぞ訊いてくれた、と言わんばかりにヒザをのり出して答える。
それゆえ筆者が、「ある」にも「ない」にも「何回もある」にも「!」のマークをつけざるをえなかったのである。
「ない」と答えた人が嬉しそうなのはよくわかる。健康自慢の人である。
「ある」と答えた人はどうか、病気自慢の人である。「こんなにも病弱なオレ」この真逆な自慢に、誰もが納得してしまう不思議。
「何回もある!」と答えた人に至っては、頼まれもしないのに、大急ぎでシャツをめくってお腹の手術の傷跡を、「ホラ、こことここ」と自慢気に見せびらかしたりする。 

全くその通りかもしれません。私自身「何回もある」に入るのですが、べらべらとやってしまっているかも。相手は辟易していたのではないでしょうか。
年取るとクラス会も同窓会もどうしても体のことが話題になってしまいがち。わかっているけどやっぱりそちらに向かう。しかし情報交換は弱い者にとって重要で、色々な医者や病院を知り、喜んだり安心したりとても役に立つのです。
しかしこの本を読んで、滑稽なのでほどほどにしなくては。なんでも加齢ですからと言われる医者のおっしゃる通り。

今読んでいるのが『すぐ死ぬんだから』内館牧子著と、読んだ『明日死んでもいい暮らし方』ごんおばちゃま著なども読んでかなり覚悟が出来たので、読むのをやめて、年だから、年、年、という言葉から少しでも遠ざかった時間を一日の中に作りたい。

 

 

11/3(日)飯能→宮沢湖→高麗峠→巾着田ハイキング 21260歩

この日、西武線・稲荷山公園で入間基地航空祭が開催され、西武線は早くから激混み状態でした。男の子、そして女の子も航空ショーを楽しみに両親に手をつながれ大喜びの様子。私も一度見たいと思ってもこの混雑にはもう入っていけないのが残念。

飯能はお祭りの日であった
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飯能駅から北へ歩くと加治神社に到着。
この辺りは徳川光圀の家老・中山信吉はじめその子孫の墓碑多数が残るところである。加治神社は信吉の祖父家勝が芦毛の馬を連れた老人(吾妻天神)に救われたとの伝承のある天満宮だそうだ。
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コウヤボウキ
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宮沢湖に入っていくが、ここにムーミンバレーパークが今年オープンしたそうで、ここも家族連れが沢山向かっている。
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対岸の方にそのパークが見える。
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カラスウリの実や面白いキノコ。エゴノキだけに生えるエゴノキダケだそうです。shikamasonjinさま、有難うございました。
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高麗峠へ
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高麗峠(標高177ⅿ)
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高麗川
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高麗川のドレミファ橋を通って巾着田へ。
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巾着田の彼岸花はもう葉になっている。
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日和田山が見えている。最近楽しく登った記憶が蘇る。
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高麗川で遊ぶ人々。
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高麗駅へ向かう道にはいつも花が咲いている
白いそば
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八重のキバナコスモス
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フウセントウワタ
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2019年11月11日 (月)

中山道7 六軒駅~鵜沼宿~太田宿(3)  

気が付いたことがあります。岐阜県の中山道沿いのトイレはとてもきれいで、また所々に配置されていて有難いです。
              
◆鵜沼~太田の続き

加茂川が木曽川へと合流する加茂川送水樋門がある。ここで、坂祝町から美濃太田市へと入った。
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美濃の俳人、兼松嘯風句碑があり、その先の欄干にたくさんの句碑がある。好きな人には散歩しながら楽しめるところでしょう。日本ラインと大きな中洲、近くや遠くの山々と緑、ロマンチック街道なる素晴らしい歩道など、実に心和む風景だ。
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土手をいったん降りて、芳春寺へ。お寺の前に地蔵尊、馬頭観音、三界萬霊塔、弘法大師が並んでいた。
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再び土手に上がり、少し進み、マルバルコウソウの群落に目を惹かれながらムクノキと金木犀のところで降りる。
解説板にはこの地で生まれた坪内逍遙(父が代官所の役人で10人兄妹の末子だった)が夫婦で訪れた際にこの木の前で記念撮影したという写真があった。
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ムクノキと背中合わせに虚空蔵堂があり、逍遙の子どもの頃の遊び場だったところだそうだ。
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また、ここのあたりは承久の乱(武家政権確立)の古戦場跡でもある。いろいろな石碑もあった。
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●太田宿 (51番目の宿)鵜沼宿から7.4㎞、伏見宿まで7.9㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠20軒。

太田宿に入ってきた。猫のお出迎え。時刻は4時近く。今年はいつまでも暑くて夕方にならないと会えなかった。
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本陣跡。今は門が残るのみである。和宮が江戸に向かう時に新築された門とのことだ。おまけに中山道の家並みも新築、修繕されたそうだ。和宮下向に際しては各宿場はてんやわんやだったことが伺われる。
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その向かいにあるのが、太田宿中山道会館。エノキが大きくとヤドリギがたくさんついている。
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展示室には、太田宿の展示の他、この地に暮らした坪内逍遥や岡本一平に関する展示もあった。
突き当りの見える机上の模型は、坪内逍遙の父が勤めていた太田代官所。逍遙が書き残した平面図を元にして造ったものだそうだ。
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岡本一平は岡本かの子の夫で、岡本太郎の父。終戦の年にここに疎開し、昭和23年に亡くなるまで漫俳を創唱し、漫風を発行した。
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脇本陣跡の林家住宅。うだつの上がる立派なお屋敷だ。今も住んでおられるそうで、隠居家のみ見学できるが4時までなので次回に見学する。
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今日は魚徳で、お土産「子持ち鮎の甘露煮」を買ってもらう。これは美味しかった!
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旅籠だった小松屋(吉田家住宅)は今は案内所となっている。坪内逍遙や、播隆上人の説明板などがあった。
播隆上人は槍ヶ岳を開山した上人さん。知らなかったです。
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向かいの建物は旧十六銀行太田支店だったところ。
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鬼瓦に「銀」とある。
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祐泉禅寺に寄る。
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北原白秋の歌碑と坪内逍遙の歌碑があった(芭蕉句碑と播隆上人の墓碑もあるらしいが次回に見つけることに)。ここでこの日の街道歩きは終了した。
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美濃太田駅へと向かう。いろいろな鉄道が合流していて立派な駅舎だ。駅近くのいろいろな案内にポルトガル語が書かれているのが多い。
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美濃加茂市のマンホール。日本ライン下りの船と船頭さんが描かれている。
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美濃太田駅の前には、坪内逍遙の胸像があった。
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5時35分の高山本線で岐阜へ。乗り換えて名古屋着は6時45分。
名古屋駅のお店で駅弁・だるまの満彩おこわ弁当を買い、いつもの7時26分発のひかりに乗り込む。
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東京駅9時10分着。帰宅はいつもの10時半頃だった。41278歩。

 

 

 

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2019年11月 5日 (火)

中山道7 六軒駅~鵜沼宿~太田宿(2)

●鵜沼宿の続き

ここで昼食です。鉄門の斜め前にある「花の木」で昼食。ねぶか雑炊のセットです。
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伊能忠敬がいまから200年前の文化6年(1809)に測量に訪れた際、鵜沼宿のねぶか雑炊(ねぎ雑炊)をうとう峠で食べたという由緒あるもの。
雑炊が出るまでの間、りんごマンゴー酢をおつまみとともに飲んで待つ。
雑炊の他、茶碗蒸し、刺し身入りサラダ、ポテトサラダ、茶碗蒸し、肉団子、ごま豆腐など最近の昼食ではピカ一だ。
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食後、少し戻って鵜沼宿町屋館を見学。
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江戸時代には絹屋という旅籠を営んでいた武藤家は明治に入り郵便局を営むことになった。その建物を市が譲り受け、歴史民俗資料館として公開している。

復元された高札場。
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赤坂神社にはたくさん御神燈が並んでいた。
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ここから見た秋の雲が素晴らしい。5000~13000ⅿに現れる巻雲や巻積雲(鱗雲)が一番好きな雲で、我が人生最高の雲は美ヶ原の空にあったことを思い出す。
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東の見附跡と、道標を兼ねた赤坂の地蔵堂がある。鵜沼宿はここで終わり。
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◆鵜沼~太田

ここからうとう峠に向けて坂道がはじまる。
江戸時代から農業用水として利用されていた合戸池(かっこ)が行く手の左に現れた。
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峠らしい道になり薄暗い。「うとう」とは疎いで「不案内、よそよそしい、気味の悪い」という意味があるという。
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うとう峠の一里塚(100番目)があった。こちら北側は残っているが、南側は崩れていた。
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至る所にイノシシ出没注意と、まむし注意の看板が立っており、まむしが怖くて下や木からぶら下がっていないかを見ながら歩く。イノシシに効き目があるかはわからないが、娘が大きな音のカウベルを付けた。私の付けた鈴はまるで蚊の鳴くような声(音!)なので効き目はなさそう。
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コフキサルノコシカケか  ホウロクタケとshikamasonjinさまに教えていただきました。有難うございました。
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鬱蒼としたところを下ると木橋がある。
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JR高山本線と県道をくぐるトンネルを通る。脇から水が流れ込んで水浸し。
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坂祝町(さかほぎ)へと入ってきた。階段を上がると県道だが、多くの飲食店が閉店となってさびれていた。日本ライン下り(以前乗ったことがある)が終了したそうだからか。シャッター街同様見るに忍びない。

踏切のところでちょうど高山本線がきた。
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ここで岩屋観音へと上がっていく。木曽川が見える。
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観音堂には地蔵尊。奥にもいろいろな仏像がある。
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中山道はここから、太田宿の近くまで県道を行くのだが、車量も多く、風情もないので、皆も通るという川沿いのロマンチック街道を行く。
川と対岸の山々が見えて、素敵な散歩道。名前がまた日本ライン同様ロマンチック街道とは。風景がドイツのライン川沿いに似ているから付けられたとか。

水神と庚申塔が祀られ、勝山湊跡がある。木曾川の対岸犬山市栗栖と勝山を結ぶ。桑名方面へ向かう年貢米の積み出し港として、また水上交通の要所として栄えたそうだ。
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向こうに見える岩肌が見えている山は、可児市の鳩吹山である。
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さっきも書いてあったけれども、またロマンチック街道の文字が書かれている。
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はるか彼方右手に御嶽山が見えた。あの山の向こう側に中山道があるのだ。まだまだ木曽は遠い。
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2019年11月 1日 (金)

中山道7 六軒駅~鵜沼宿~太田宿(1)                

日にちが前後してしまいましたが街道歩きに戻ります。10/17(木)いつもの6:16ののぞみに乗り、名古屋→岐阜→六軒駅へ。9時10分頃から歩き出す。殆ど曇り。
歩いている本人でないと興味がわかないと思うのですが、それを読んでいただいてくださる方々に感謝です。復習の意味で書き連ねているのですが、日本のこんなところがあると一つでも頭に残ると楽しいです。歩かなければ見られないこともあります。

◆六軒~鵜沼

まずは駅近くの神明神社に寄る。このあたりにはこの名の神社が多いと調べてみたらわからなかったが、この神社は主祭神が天照大神で全国に5000社あるという。
蕃塀があります。これは初めて見るような、あるいは今まで気が付かなかっただけか。蕃塀とは「参道上で拝殿の前に存在する短い塀」で、正殿を直視しないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたという説がある。愛知、三重、岐阜などに多いらしい。
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またまた馬頭観音があった。三面八臂。この後も次々と現れて大喜び状態。
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六軒一里塚跡も標柱のみ。
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長楽寺のこの石造は地蔵群か33体の観音様か?
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津島神社には各務原市指定重要有形民俗文化財の皆楽座がある。皆楽座は。客席を持たない舞台のみの芝居小屋である。廻り舞台、奈落、セリ、太夫座などを備えているそうだ。驚いたことに拝殿を兼ねているため本殿に向かって正面にある。
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              皆楽座
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2本の大きなキンモクセイが満開。この日は一斉にどこも咲いていて、一日中金木犀の香りの中にいるようでした。
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坊の塚古墳である。岐阜県では2番目に大きい前方後円墳だそうだ。
古墳の上に登ることが出来た。向こうが前方になり、今立っているところが後円となる。滋賀県では出会わなかったが、岐阜県には古墳が多いようです。
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空安寺の前に日露戦役忠魂碑。乃木希典の字だそうだ。この地の方がたくさん亡くなったのだろうか?碑の後ろの塀を見てもわかる通り、空安寺は立派な塀に囲まれたお寺だ。
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お隣に衣装塚古墳。こちらは円墳で、上部に墓碑が並んでいるそうで4世紀後半から5世紀前半に築造。
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●鵜沼宿(52番目の宿)加納宿から16.8㎞、太田宿まで7.4㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒。

西の見附跡があって鵜沼宿に入ってきた。
見附跡の横の階段を上っていくと翠池がある。農業用のため池だそうだ。
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石亀神社に寄る。ご神体の石亀様が亀に見える。
鵜沼は石材の産地だったので採掘場跡に建てられた神社。この鵜沼石は尾張藩主の墓石としても使われたそうだ。
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鵜沼宿は濃尾震災(明治24年)により建物は消失しまったのだが、最近になって脇本陣の復元をはじめとして整備され、道の塗装もされ、風情のある街並みになっている。
登録有形文化財の4軒、安田家住宅、梅田昭二家住宅、梅田吉道家住宅(茗荷屋)、坂井家住宅と続く。茗荷屋だけ唯一震災を免れた160年前の建物だそうだ。
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二ノ宮神社は6~7世紀頃の古墳の上に建てられた神社で、下に横穴式古墳の石室があるという珍しい神社。
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鵜沼宿脇本陣跡。
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江戸時代末期の鵜沼宿各家の間取りを描いた 「鵜沼宿家並絵図」 をもとに、現存する脇本陣の外観や内装、意匠などを参考にし、脇本陣を務めた坂井家の建物の姿に平成22年に復元し、公開している。うだつが上がっている。ここに宿泊した芭蕉の句碑もあった。ボランティアガイドさんが熱心に説明してくださる。
中山道69次の瓢箪。大小あるが宿の大きさに比例しているのもあった。
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お庭。
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部屋の様子
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風呂場  
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ボランティアガイドさんたちは今年、文献をもとに和宮が召し上がったという食事の再現をしたそうだ。
茄子の奈良漬けとごぼうだけの味噌汁が好物だったそうだ。献立表の部分、写真がちょん切れです。

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菊川酒造。
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旧大垣城鉄門(くろがねもん)。高麗門と呼ばれる型式の門で、短冊型の鉄板を隙間なく貼っている。火矢による攻撃から門を守るため。
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