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2019年11月11日 (月)

中山道7 六軒駅~鵜沼宿~太田宿(3)  

気が付いたことがあります。岐阜県の中山道沿いのトイレはとてもきれいで、また所々に配置されていて有難いです。
              
◆鵜沼~太田の続き

加茂川が木曽川へと合流する加茂川送水樋門がある。ここで、坂祝町から美濃太田市へと入った。
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美濃の俳人、兼松嘯風句碑があり、その先の欄干にたくさんの句碑がある。好きな人には散歩しながら楽しめるところでしょう。日本ラインと大きな中洲、近くや遠くの山々と緑、ロマンチック街道なる素晴らしい歩道など、実に心和む風景だ。
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土手をいったん降りて、芳春寺へ。お寺の前に地蔵尊、馬頭観音、三界萬霊塔、弘法大師が並んでいた。
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再び土手に上がり、少し進み、マルバルコウソウの群落に目を惹かれながらムクノキと金木犀のところで降りる。
解説板にはこの地で生まれた坪内逍遙(父が代官所の役人で10人兄妹の末子だった)が夫婦で訪れた際にこの木の前で記念撮影したという写真があった。
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ムクノキと背中合わせに虚空蔵堂があり、逍遙の子どもの頃の遊び場だったところだそうだ。
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また、ここのあたりは承久の乱(武家政権確立)の古戦場跡でもある。いろいろな石碑もあった。
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●太田宿 (51番目の宿)鵜沼宿から7.4㎞、伏見宿まで7.9㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠20軒。

太田宿に入ってきた。猫のお出迎え。時刻は4時近く。今年はいつまでも暑くて夕方にならないと会えなかった。
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本陣跡。今は門が残るのみである。和宮が江戸に向かう時に新築された門とのことだ。おまけに中山道の家並みも新築、修繕されたそうだ。和宮下向に際しては各宿場はてんやわんやだったことが伺われる。
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その向かいにあるのが、太田宿中山道会館。エノキが大きくとヤドリギがたくさんついている。
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展示室には、太田宿の展示の他、この地に暮らした坪内逍遥や岡本一平に関する展示もあった。
突き当りの見える机上の模型は、坪内逍遙の父が勤めていた太田代官所。逍遙が書き残した平面図を元にして造ったものだそうだ。
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岡本一平は岡本かの子の夫で、岡本太郎の父。終戦の年にここに疎開し、昭和23年に亡くなるまで漫俳を創唱し、漫風を発行した。
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脇本陣跡の林家住宅。うだつの上がる立派なお屋敷だ。今も住んでおられるそうで、隠居家のみ見学できるが4時までなので次回に見学する。
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今日は魚徳で、お土産「子持ち鮎の甘露煮」を買ってもらう。これは美味しかった!
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旅籠だった小松屋(吉田家住宅)は今は案内所となっている。坪内逍遙や、播隆上人の説明板などがあった。
播隆上人は槍ヶ岳を開山した上人さん。知らなかったです。
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向かいの建物は旧十六銀行太田支店だったところ。
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鬼瓦に「銀」とある。
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祐泉禅寺に寄る。
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北原白秋の歌碑と坪内逍遙の歌碑があった(芭蕉句碑と播隆上人の墓碑もあるらしいが次回に見つけることに)。ここでこの日の街道歩きは終了した。
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美濃太田駅へと向かう。いろいろな鉄道が合流していて立派な駅舎だ。駅近くのいろいろな案内にポルトガル語が書かれているのが多い。
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美濃加茂市のマンホール。日本ライン下りの船と船頭さんが描かれている。
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美濃太田駅の前には、坪内逍遙の胸像があった。
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5時35分の高山本線で岐阜へ。乗り換えて名古屋着は6時45分。
名古屋駅のお店で駅弁・だるまの満彩おこわ弁当を買い、いつもの7時26分発のひかりに乗り込む。
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東京駅9時10分着。帰宅はいつもの10時半頃だった。41278歩。

 

 

 

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コメント

tonaさんへ
こんばんは。新田次郎の小説「槍ヶ岳開山」は私の愛読書のひとつです。播隆上人の事績が詳しく書かれておりますので、是非ご一読ください。未踏峰と思われていた山頂に四苦八苦して到達し、更に古い奈良時代の山岳修験者の遺物を発見する場面など、感動します。

投稿: shikamasonjin | 2019年11月11日 (月) 23:18

★ shikamasonjin さま

おはようございます。
新田次郎は殆ど揃っていたのですが。引っ越しの時に捨てました。こうして我が家には買っても次々と捨てるので本はあまり残っておりません。
それにしても『槍ヶ岳開山』は読んでいなかったです。今読んでいる長い本が終わったら図書館に予約します。奈良時代の山岳修験者の遺物を発見する場面があるとは!
新田次郎の本をまた全部読んでみたくなりました 。残された時間が少ないのでやりたいことからやらなければなのです。そして読みたい本から読まなければなりません。
高山登山はあきらめてテレビで観て我慢しています。ガイドさんを付けてゆっくりという方法はお金がかかりますものね。
今回キリンビールは売り切れていて、SAPPOROはいまいちです。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月12日 (火) 09:01

恥ずかしいことに美濃太田のことは知りません
でした。実は20年前にここで県歌人クラブの
短歌大会がありましたのに、欠席してしまいました。
あの時参加しておれば坪内逍遥ゆかりの場所も
案内されたのに・・・
足に自信があればお伴したかったのに残念
でした。駅に逍遥の銅像があることも初耳です。
学ばせていただきありがとうございます。

投稿: matsubara | 2019年11月12日 (火) 09:39

相変わらず歩きますね。
美濃太田も行けた(行くべきだった)のに行かなかった、そんなことばかりです。
何をしていたのか!

投稿: 佐平次 | 2019年11月12日 (火) 10:42

★matsubaraさま

群馬県に太田氏があってブラジル人が沢山住んでいると聞きましたが、こちらには美濃太田市があってブラジル人のためにポルトガル語が書いてあるとありました。同じ太田なのでどういうことか首をかしげたことでした。
坪内逍遥がまさかここ出身とは!思いがけないことでした。
高山線初めてかしら。たくさんの鉄道が乗り入れているので今まで見た無人駅とは全然違いました。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月12日 (火) 13:07

★佐平次さま

この次の回まで行っているのですが、顔に塩を噴くほど暑かったです。今年は10月になってもなかなかに暑かったです。
夫もそうですが方々に出張で行っているのでいろいろなところを知っていますが、私は62歳まで(海外だけは20回)、学生時代以来国内のどこにもほとんど行ってなくて知らない地名が殆んどです。
読めない地名が多いことにも驚いています。自分のためにフリガナを振っている始末です。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月12日 (火) 13:19

今中山道が外国人の観光客に大人気だそうですね。
 今5チャンネルの放送でも放映してます。(18時)
観光客の目的も随分変わってきました。
特に木曽路の奈良井宿が人気だそうです。
紅葉も美しいですが、古き日本の歴史に興味が出てきたのですかね。
それに乗じて地元もこのチャンスを逃すまいといろいろイベントをやってます。
京都の舞妓さんにカメラが集中する。地元は迷惑してる。
馬篭、嬬恋宿も人気だとか。
 上野の山谷も外国人観光客で賑わってるとか。
また日本の調理道具も人気だとか。
外国人の日本の見方が変わってきたのですかね。
でも本当の気持ちはわかりません。
誰かがネットで報じたのでしょうね。

 同時に日本の秘境駅の放送もあってました。
誰かが報じたことが噂を呼ぶ。何処も同じですね。
わざわざその目的のために遠くからやってくる。
人間の欲望はいつの時代も変わりませんね。
情報はすごいと思います。

 確かに我々にとっても古き街道は歴史を感じます。
いつまでも残したい大事な風景です。

投稿: 夢閑人 | 2019年11月12日 (火) 19:09

41278歩とは恐れ入りました。膝は大丈夫ですか?
私は4万歩弱は歩いたことがありますが、4万歩以上はまだ経験がありません。

私は転勤族の娘で日本のあちこちを巡っていますが、なぜか?歴史の宝庫の中部地方が疎いです。
北原白秋・坪内逍遙・芭蕉や播隆上人の足跡も残っているのですね。
新田次郎の小説「槍ヶ岳開山」に描かれている播隆上人!アルプス好きにとってはお馴染みの名前ですが・・・
改めて、中山道は日本アルプスの麓!と実感しました。

投稿: nao♪ | 2019年11月13日 (水) 08:27

★夢閑人さま

はい、そうですね。
中山道では妻籠・馬籠・奈良宿の他、細久手、大湫宿が人気だそうです。特に大湫など、どうしてかは数回後に見られると思います。
京都の舞妓さんは迷惑するほどだそうですが、合羽橋の道具類や、日暮里夕暮れだんだんまでは聞いていましたが、まさか山谷までとは驚きました。
SNSの力は凄いです。殆どスマホは持っているのに使いこなしていない私には無関係の世界です。
人間から欲望がなくなったら発展はないですが、人間には限りない欲望があるのですね。それを実現させるところが凄いです。
外国の方を見ても、全然緊張してないですね。日本人だと知らないところだと緊張してしまうのに。
街道の宿によっては残そうととても熱心なところがあります。お食事やお菓子などや入場料だけでも落としてこなくては。ところが今回は入場無料の所が多かったです。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月13日 (水) 08:28

★nao♪さま

転勤族だったそうで、あちこち詳しいでしょうね。
その点私は北九州(福岡県を歩きました)だけでカルチャーセンターで歴史をやりましたが忘れました。
山に登れられるnao♪さんはいろいろ詳しいと思うのです。
私は播隆上人のこと、聞いたことがあるのにすっぽり抜けていました。
新田次郎の小説が好きでほとんど読んだというのにです。
こんなことや出会いがあるからやめられません。
5万歩が2回続いた(東海道も2回程ありました)前回と前々回はさすがに筋肉痛が出ました。4万歩は平均値なのでこれ以下だと楽ちんという感じです。歩けるという幸せを感じ、大切にしたいと思います。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月13日 (水) 09:39

こんにちは、ご無沙汰してしまいました。
中山道7、拝見していましたが、なかなかコメントを残せなくてごめんなさい。
 
中山道歩き順調に進んでいらっしゃいますね。
暑さは遠のき、歩きやすい気候になりましたが、日暮れが早くなったのが
惜しいところですね。
7 を拝見しながら、東海道よりも昔の建物等、綺麗に残されて
いるものが多いように感じるのは、まだまだ都から遠く離れていない
からかしら、それとも、東海道筋よりも開発の波が緩やかだった
のかしら、残そうという熱意の違いかしら…などと、たわいない
ことを思っていました。
しかし、さすがに時に鬱蒼とした道も登場し始めましたね。
(1)で拝見した鬱蒼と木々に覆われた区間などはちょっと
怖くも感じました。

 
一生の間に体験したり知ったりできることはごく限られていますが、
こうして自分では体験しえないことをブログを通して見せて
いただける事を幸せに感じています。

投稿: ポージィ | 2019年11月13日 (水) 09:50

tonaさん、こんにちは~♪
美濃太田市、初めて聞く地名ですが、のどかで素敵な町ですね。
橋の欄干の俳句は時間があったら、ゆっくり読みながら歩きたいですね。
坪内逍遙がこの地で生誕したことは知りませんでした。
たしか女優の坪内 ミキ子さんはお孫さんですよね。
猫ちゃんをよく写されていますが、お好きなのですか?
子供の頃飼っていた小僧(コゾ)という名の猫によく似ています。
「子持ち鮎の甘露煮」は美味しそうですね。
子持ち鮎巻きはお正月のおせちでたまに買うことがあります。
脇本陣跡の林家住宅、小松屋(吉田家住宅)など、魅力ある建物も多いですね。
おこわ弁当、とても美味しそう。
41278歩はとても真似できません。素晴らしいです。

投稿: hiro | 2019年11月13日 (水) 12:05

★ポージィさま

いろいろお忙しくお疲れになっていませんか。
そんな中コメントをありがとうございます。

地図が妻籠の先辺りまで今度は発行されるようですので、そこまでは順調に行くとよいと思っています。地図に追いついたらまだ脇往還がいろいろありますのでさまよいます。
確かに東海道は鳴海宿や関宿あたりは凄かったですが、中山道の方が古い家が多いような気がします。問題は火事ですね。それに終戦時、都市が随分空襲を受けていますがその影響は少なかったかしら。
おっしゃるようにやっと気持ち良く歩けるようになった途端に日の暮れが早まって4時半にはストップです。朝は4時半起ですので9時ごろ最寄り駅に着きますが。
東海道で1番熱意のあったのはど真ん中の袋井でした。
この間は蛭でしたが、今回ははマムシ、猪ですものね。出会わなくて良かった!次々回は違うのが出てくるらしいです。
私も山が中途半端に終わってとても残念で、限られた一生に見聞できないのをテレビやブログで拝見して有難く思っています。

投稿: tona | 2019年11月13日 (水) 13:55

★hiroさま

こんにちは♪
美濃加茂市の中に美濃太田駅があります。
木曽川沿いにありまして、住んでいる人には良い散歩道があって、また近く、遠くにたくさんの山々が見えていい所だなあと思いました。
可児市には煙の出る工場がちょっとだけ見えましたが。
橋の欄干の俳句は時間の関係でゆっくり見られませんでしたが、地元では有名な方なのですね。
そうそう坪内ミキ子さんのお父さんは坪内逍遙の兄の子で、一時、逍遙の養子だったが、1919年に養子縁組を解消したそうで、一時期養父であったわけで血がつながっていたことになりますね。演劇一家の凄い血筋です。

猫ですが、飼ったことがないですが、写真撮るのは好きです。犬(飼ったことがあります)の方が好きですが、岩合さんの猫番組など見ていました。特に娘が猫好きで小学校の時に真っすぐに家に帰ってきた試しがありません。どこかで猫や犬と遊んでいて。(これは私が夫の転勤で仕事をやめていて家にいたときで娘が小学校5,6年生の時の話です)。

鮎の甘露煮はお正月はとても高くて手が出ません。ここのは名物で美味しかったです。
名古屋のこのお弁当屋さんのはとても美味しくて、また食べたいくらいです。
5万歩から4万歩に減りますと、凄く楽です。そろそろ鉄道の関係で行きずらくなり、日暮れが早いので3万歩になると思います。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月13日 (水) 14:24

こんにちは。「承久の乱」の古戦場はこのあたりでしたか。興味深いですね。このように銀行の建物が各地で残っていますね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年11月13日 (水) 15:25

脇本陣の林家立派なお家です。
今もお住まいだそうですがこんな大きな家を
維持していくのは大変だろうななどと余計な心配です。
鬼瓦に「銀」の文字を入れた元銀行だったという建物も風情がありますね。
このように宿場の面影を多く残した街がちょっとうらやましい気がするのは
私の住む原宿にはそれらしきものはほとんど何も残っていないからです。
お土産の子持ちアユの甘露煮、見るからにお腹がふっくりですね
美味しかったのが想像できました。

投稿: ビオラ | 2019年11月13日 (水) 16:11

欄干に沢山の句碑が並んでますが、これは全部が兼松嘯風作なのですか?
和宮が江戸に向かう時には中山道の宿場は新築・修繕などで出費が大変だったでしょうね。

坪内逍遥の名前は知ってましたが、太田宿で生まれ育ったのですね。
脇本陣跡の林家住宅は今でも住んでらっしゃるそうですが、維持費が半端でないでしょうにといらぬ心配をしてしまいます。
今回も4万歩以上を歩いたのですね、凄いの一言です。

投稿: ラッシーママ | 2019年11月13日 (水) 17:25

★多摩NTの住人さま

テレビで丁度やっていましたので承久の乱の復習になりました。1192年が武家政治に始まりと習ったのが違いました。
数字の銀行は全国に少し残っているようですね。東海道の時調べたのに忘れてしまいました。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月13日 (水) 19:26

★ビオラさま

林家は本当に立派でしたよ。外からだけですが。維持は普通の人ではできませんね。
合掌造りもとても大変とテレビで数度見ましたが、江戸時代の建物を修復していくのも骨が折れるし、お金がかかりますものね。
元銀行は、なんと今もどなたかが住んでおられますので遠くから写すだけでした。
原宿はお寺が立派でしたね。街道筋にこういう家はなかったですか。ちょっと忘れました。
鮎の甘露煮は自分ではこんなに美味しく煮ることはできません。さすがプロの老舗と思いました。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月13日 (水) 19:37

★ラッシーママさま

欄干の句碑、全部が兼松嘯風の作品の様でしたよ。ちゃんと全部読めなかったのは残念でした。
本当に和宮様のために特に宿泊される本陣や昼食や休息をする本陣、脇本陣などはそれは大わらわだったと『夜明け前』などの小説などに書かれていますね。随分出費が多くてそれも大変だったそうですね。

私も数冊しか読んでいないのですが、坪内逍遥の出身地を知らなくて、ここで遊んだのかとしげしげと見ていました。樹木も逍遥を見ていたのですね。
5万歩を2回歩いた後の4万歩はとても楽な感じでした。80歳まで4万歩頑張れるかしらと期待しているのですが、何が起こるかわかりませんから自然体でいき、諦めるときは潔くを心がけます。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月13日 (水) 19:49

Saas-Feeの風が太田宿を歩いたのは2011年11月16日のことでしたので
今から8年前になりました。
林家住宅、吉田家住宅、祐泉禅寺など、懐かしくご紹介写真を拝見しました。
Saas-Feeの風が2012年12月になってアップしたブログ(三回分)には
亀谷酒店、林家住宅御代櫻(酒蔵)について記しております。
未完となっており、辰巳屋、永楽屋、吉田家住宅、
祐泉禅寺(北原白秋歌碑、坪内逍遥歌碑)を残しております。
tonaさんのブログにより未完であったことと
写真のあることを思い出しましたので
いつかアップしたいと思っております。

投稿: Saas-Feeの風 | 2019年11月14日 (木) 14:27

岐阜出身でありながら、美濃太田も殆ど行った覚えがありません。
通り過ぎた程度だと思います。
そして今はブラジル人が多く、ポルトガル語の案内があるとは!
4万歩超にも恐れ入りました~

投稿: zooey | 2019年11月14日 (木) 20:24

★Saas-Feeの風さま

震災の年だったのですね、歩かれたのが。
林家と祐泉禅寺は中途半端で次回にもう1回、回りました。
御代櫻の酒蔵は立派でした。娘がいつも買うのですがここでは売っていませんでした。
(追伸:娘に後で言われました。御代櫻はパンダのカップ酒をちゃんと買いましたよ・・・と)
本当にお忙しいことはいいことです。でもご病気が早くよくなられることが一番ですね。
またアップされる日を楽しみにしていますね。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月14日 (木) 22:07

★zooeyさま

美濃加茂市に美濃太田駅があるのですね。
群馬の太田にブラジル人が多いと聞いていますが、美濃加茂市の太田にもブラジル人が多いと聞いて?と思いました。工場があるようです。
4万歩も結構疲れます。でも5万歩2回の後は楽でした。
今のとこと歩くしか能がないのですよ。勉強しないうちにあの世にということになりそうですが、まあ、十分年取ったから許してもらいましょう。本当は世の中のお役に何も立ってないのがとても辛いです。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月14日 (木) 22:16


旅先でトイレがあるのは助かります。
公衆トイレは汚いと言うのが一般的ですが
きれいなのは気持ちのいいものですね。
それだけ中山道を訪れる人がい多いと言ううことですね。
その土地の人柄、取り組みが伺われます。
 田舎の田園風景の中の史跡を探訪するのもまた楽しいものですね。
<おこわ>おいしそう。大好きです。食感とともに味も。
 
 いま、リチャード・クレーダーマンのピアノ演奏(テープ録音)を聴きながら
書いています。眠れない夜など静かに聞いています。落ち着きます。
余談せすみません。

投稿: 夢閑人 | 2019年11月16日 (土) 20:20

★夢閑人さま

こんばんは。
本当にトイレの問題は切実です。
日本はまだどこも良くていいですが、外国ではとても大変でした。日本人と違ってトイレにあまり行かなくて済むのですね。
宿場によって大小に寄るわけですが力を入れているところはとてもありがたく資料館など拝見します。
おこわ好きです。
この頃お赤飯をたかなくなって、レトルトのを買ってきたりして美味しくいただいています。
面倒なのは作ってあるのを買うようになって自分でも随分怠けものになったと反省です。

素敵な余談をありがとうございます。
参考にさせていただきたく思います。
これからもよろしくお願いいたします。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年11月16日 (土) 21:15

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