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2019年12月31日 (火)

年の終りに

今年もあと数時間で終わりです。
この1年も街道歩きばかりのブログになってしまいましたが、いつも読んでいただき有難うございました。
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。

この寒さの中で咲いているアサリナです。
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2019年12月27日 (金)

お元気な恩師

我が恩師、4年間我々18人(後に19人)クラスの担任でもあった教授は、今年103歳で、一人暮らし(姪御さんなどが時々お手伝い)をされておられる。
目標は来年のオリンピックを見る事とお茶を研究されてきたので108歳(茶寿)まで元気に生きることだそうです。
今でも頭脳明晰で、テレビのクイズ番組をご覧になっていて、殆ど当ててしまわれるそうです。それがどんなに凄いことか!
クイズ番組を見ていなかったけれど、試しに2つの番組を見てみたら、なんと全然答えられない。わかるのはほんの少し。ショックでした。
私自身はいかに物を知らないでここまで来たかです。物忘れもひどいし。体を動かし、頭も使い、考え、この先生のように歩けなくなってもボケないように勉強もしなくては。
そういえば、小4で数学検定1級合格の男の子。
小4で英検1級合格、小6で数学検定準1級に合格した女の子にはもうびっくりです!

 


「大楠山」

11月下旬、三浦半島・横須賀市にある大楠山(241m)に逗子側から登りました。横須賀側は台風で途中通行が困難で登れないとのこと。
バスの終点は地球環境戦略研究機関でした。どんな研究がなされているのか。関係ないですが、このあと12月に入ってから、COP25で日本が化石賞を2つももらったことを思い出してしまいました。
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大楠山は2.1㎞先。少し行くと展望台のある大楠山が見えてきました。
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ススキが山道を彩る。
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アザミもまだまだ咲き誇る。
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ウルシ科ハゼノキ(又はヤマハゼ)の紅葉がきれい。
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この頂上は神奈川景勝50選です。
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伊豆大島が見えます。
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逗子の前田橋バス停方面に降りる。皇帝ダリアに囲まれた芝生地。
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少し降りたところに上皇上皇后両陛下御光臨記念植樹の石碑と右の木・愛子さまお誕生記念樹とありました。葉山御用邸から近いので登られたのでしょう。
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標高差200m弱登ったのでしょうか。約17000歩でとても快い運動になりました。


「鐘撞堂山」

12月上旬。埼玉県北部の寄居町に鐘撞堂山(330m)がある。登って見たら本当に鐘撞堂がありました。
真下に鉢形城跡が見えるし、周囲は展望がきいて見晴らしがよいので、戦国時代、敵の襲来を鉢形城へ鐘を撞いて知らせた見張り場だったそうです。

寄居駅前
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少し進むと鐘撞堂山が見えます。電線だらけで汚い画像ですが全山紅葉です。
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シイタケ栽培の所を通る。
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大正池 大正天皇御即位記念として出来た用水池のようです。
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ゆっくり寄り道しながらの2時間で頂上に到着。鐘撞堂があり、鳴らしてみました。当時は下まで聞こえたのでしょうか?
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約23500歩でこれまたよい運動になりました。

 

 

 

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2019年12月24日 (火)

中山道10 細久手宿~大湫宿~大井宿(後編)

●大湫宿の続き

和宮人形があって中央が和宮。
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コミュニティセンター到着。ここにも飲食店はなく作ってきた弁当をここで食べさせていただく。寒い日でストーブをつけていただく。
お昼を食べたあとは向かいの丸森邸(旧商家、旅籠の他塩の専売も行った)を見学する。ここでは梅茶をふるまわれ身も心も暖まる。
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旧旅籠三浦屋(登録有形文化財)。
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本陣跡は、旧大湫小学校(昨年取り壊された)にあった。その脇には皇女和宮御歌碑がある。
「遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も たちうかりけり」
「思いきや 雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは」
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宿の端の高台にある宗昌寺は宿の大火を免れて控え本陣に利用されたそうだ。
鐘楼の横に六地蔵尊が並んでいる。
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ここからも大湫宿がよく見えた。
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◆大湫~大井 (十三峠を行く・・上ったり下ったり)

宿を出るとそこは十三峠の西入り口だ。たくさんの坂の名前が出てくる。「ヶ根」と付くのは丘陵の尾根筋をいうらしい。
道中が長いので「~立場」や「~茶屋」の跡のなんと多いこと。所々に馬頭観音、庚申様、高札場、本陣跡、代官屋敷跡などを両側に見るのである。人馬が難渋した峠だったわけだ。
尾根筋の坂を下ると現れるのは谷戸(沢)で水田が入り込んでいる風景が展開したり、広い沢筋や扇状地形に宿や集落が現れるという区間なのである。
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早速、「ヶ根」の付く童子ヶ根碑が現れる。
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山之神坂を通り、次は八丁坂(しゃれこ坂)で観音碑(中央)がある。
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石灰帯を通り過ぎて(近くに養豚場あり)、清水で尻を冷やしているように見えることから呼ばれた尻冷やし地蔵を通り過ぎると阿波屋の茶屋跡のところに、三十三所観音石窟がある。三十三体もの馬頭観音がおさめられている。大手運送業者や助郷に係る近隣の村々からの寄進で、石柱に名が記される。
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曽根松坂の先に、大きなゴルフ場があってゴルフカートが中山道を横切る。
びあいと坂を上り、巡礼水があるが今は水がなくただの穴。昔、旅の母娘の巡礼がここで病気になったが、念仏を唱えたら水が湧き出して命が助かったそうだ。

権現山一里塚(90里)。ここもまた左右現存している。
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樫ノ木坂は石畳。87m続く。
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吾郎坂、炭焼立場跡、鞍骨坂、権現坂、出茶屋跡など次々と坂、立場跡、茶屋跡が出てきて全部立て札を撮影した。書いていてもどこだったかわからないくらい同じような景色の街道が続いていく。主なのだけを記していこう。
弘法大師像や馬頭様を見ると景色が開ける。谷戸だ。
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中山道の石碑で瑞浪市から恵那市に入った。

下座切場跡の標柱。中山道を行く役人を地元の代官が裃をつけて土下座して迎えた場所。
瑞浪市の白の標柱から恵那市に入ると茶色の標柱に代わる。
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6つも標柱などを見て、坂を登り、峠を越え、坂を幾つか下ると開けたところが、間の宿の深萱立場(ふかがやたてば)である。
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山形屋(祖先は代官)跡、本陣跡(加納家)を通り過ぎると復元された高札場(藤村高札)がある。
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また山に入ると、茶屋が沢山出てくる。ばばが茶屋、馬茶屋、うばが茶屋、びやいと茶屋(枇杷湯糖を売っていた)、平六茶屋などはいいとしても、よごれ茶屋という名は、どうしてつけられたのか?
叩くと音が鳴るちんちん石とか、牡丹に似たぼたん岩などもあった。

紅坂一里塚(89里)。両塚が残る。高さは北塚は2.2m、南塚は3.2mだそうだ。
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妻の神という小さな祠。命名がなかなか。道祖神の一種で夫婦和合、子宝の神などで塞ノ神とも言われる。
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かくれ神坂を下るとまた開けた。
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殿様街道なんていうのがあって標柱が立っており、竹折高札場跡を通り過ぎ、みだれ川をみだれ橋で渡る(急流で飛脚たちが出資して架けたという)。
その先に首なし地蔵がある。2体のうち大きい方に首がない。地蔵前で昼寝をしていた二人連れの中間が起きると一人の首がなかった。怒った中間が地蔵に「黙って見ているとは何事」と地蔵の首を刀で斬り落としてしまったという。
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姫御殿跡。山中にはお姫様行列の時などには仮御殿を建てて休息をすることがあったという。当時は眺望もよかったらしい。
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槙ヶ根追分に来た。名古屋を経て、伊勢へ行く下街道との分岐。
ここに伊勢神宮遥拝所があって、伊勢に行けない人は、ここで手をあわせ遙拝したそうである。
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槙ヶ根立場跡もあって茶屋が昔は9軒もあったそうだ。その先に西行の森桜百選の園があり春の桜を想像する。
ここから雲のかかった恵那山をズーム。
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槙ヶ根一里塚(88里)。ここも両塚が残っている。
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西行塚(左奥のが供養塔の五輪塔)。そばに西行の歌碑、西行を偲ぶ芭蕉の句碑もある。
西行は諸国行脚の途中、この地に竹林庵を結び3年暮らした言われ、自分の死期を悟った西行は自分が死んだら遺骸をここに埋葬するよう頼み、亡くなると村人たちはここに埋葬して五輪塔を建てたそうだ。実際は大阪の南河内郡河南町の弘川寺で入寂したというが。
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またまた東屋からは恵那山が見える。雲がかかっているがうっすら雪が被っているように見える。美しい!
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西行坂を下って十三峠の東入口にたどり着く。実際はおまけ7つついて二十峠か。西から東へだったのでとても楽だった。(坂の長さや勾配で)
約13㎞くらい峠を歩いたことになる。大湫宿の前は琵琶峠を歩き今日はよく歩いたと自画自賛。

西行硯水を通るが今は水はない。西行句碑、奚花坊句碑などもあった。
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中央本線恵那駅に到着。5時過ぎの電車で名古屋へ向かう。
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名古屋駅で今日はイタリアン。赤ワインにラスパドゥーチーズのピザと、名古屋コーチン卵と熟成ベーコンのカルボナーラ。
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お土産は中津川市周辺の銘菓「からすみ」でういろうに似た味わい。
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いつものひかりに乗って10時半帰宅。40548歩。

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2019年12月18日 (水)

中山道10  細久手宿~大湫宿~大井宿(前編)

12/5(木) 静岡県側の富士山は大分白くなっていた。7時頃。
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前回と同じく瑞浪駅からタクシーで細久手宿へ。大湫宿方へ向かって歩き始めたのが9時半。
前回ここから西へ歩き始め到着した御嶽宿から、今日ここから歩く大湫宿、大井宿は鉄道から離れ、バス便もなく宿泊施設は降り立った細久手宿の大黒屋1軒しかなく、街道歩きには難所と言われる。タクシーが使えたのでこの間を2回に分けて日帰りで歩くことが出来ました。

◆細久手~大湫

三国見晴らし台の馬頭観音。珍しく馬がはっきりとした観音様。この日も馬頭観音をたくさん見た。
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奥之田一里塚(92里)が見えてきた。北塚も南塚も塚の上に木はないがほぼ完全な形で残る。高さ4m、直径12mで塚の周りをぐるっと回ることが出来るようになっている。
岐阜県には31ケ所の一里塚が築かれたそうだ。そのうち瑞浪市には4ケ所あって既に見た鴨巣、ここ奥之田、琵琶峠の八瀬沢、権現山と連続した4ケ所が当時のまま残っているのは全国的に稀だそうだ。開発されて道路が出来るということがなかったためでしょう。逆に昔の儘という感じで行き交う人も今日ではなく淋しい。
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南垣外ハナノキ自生地の標柱。検索してみるとハナノキは春には真っ赤な花が咲き、秋は真っ赤な紅葉になるそうだが、500m南あるとのこと。見頃でしょうに残念。
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弁財天の池が見えてきた。太田南畝の『壬戌紀行』に「左の方に小さき池あり。杜若生ひ茂れり。池の中に弁財天の宮あり」 とある池だ。小島には石祠がある。
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今回も熊出没注意の看板!怖そうな熊の顔。娘がカウベルを装着。
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焼坂の馬頭様(1807年)
いやはや前回もだが今回も馬頭観音だらけ。瑞浪市の中山道沿い(14㎞)には実に12基あるという。
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天神前の天神辻の地蔵。
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一つ屋茶屋跡(一軒の茶屋があった)を通り過ぎた先には国際犬訓練所があり、犬の吠え声がする。この建物前後辺りには養鶏所や養豚所がある。なるほどここなら人家もなく、大きな鳴き声や家畜の臭いもOK。この後何ヶ所も石灰帯が出てきた。

廻国塔は全国66ヶ国巡礼達成の祈念碑である(1777年)。こんな時代に全国66ケ所巡礼とは凄い!
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今まで山の中の道のちょっとした坂を登ったり下ったりしてきたが開けた風景となる。
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句が三首刻まれた琵琶峠西上り口碑から山道へ入る。
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ほどなく730mある石畳が出てくるが、この石畳はとても歩きやすい。
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珍しい小さなキノコ。
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ツルリンドウの実があちらこちらになっていた。
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途中に八瀬沢一里塚(91里)。両塚とも現存。
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少し登ると標高538mの琵琶峠に到着。美濃中山道の最高地点だそうだ。馬頭観音もあった。 
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琵琶峠東入口も観音様に挟まれ、出ると二つ岩と呼ばれる巨岩がある。向こうの方が烏帽子岩、手前のが母衣岩という名前。
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●大湫宿(51番目)
細久手宿から5.9㎞、大井宿まで13.8㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒。和宮が宿泊した。
今日は直線距離だけでほぼ20㎞歩いたことになる。

馬頭観音をいくつか見て復元された高札場のある大湫宿に入ってきた。
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観音堂に上る。
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大湫宿が一望できる。
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街並み。
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山車庫。
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神明神社の大杉は雷で縮んだが40mの高さがあり、幹の立派なこと!大湫宿に過ぎたるもの2つと言われたのは、この杉と観音様だそうだ。
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この宿も屋号札があちらこちらにかかっている。
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脇本陣。人が住んでいるようだ。
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向かいの家は2階の窓が印象的な趣のある家だ。
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問屋場跡。

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2019年12月14日 (土)

角幡唯介著『極夜行』

角幡唯介著『極夜行』

こんな凄い冒険旅行の記録は初めてです。南極点に到達したスコットが帰路で亡くなってしまった話『世界最悪の旅―スコット南極探検隊』や『エンデュアランス号漂流』や『冒険歌手 珍・世界最悪の旅』峠恵子著などもなかなかだったけれど(この旅に角幡唯介氏は大学生で参加していてどうやら無計画性に呆れて引き返したらしく、彼の経歴にはこの部分が抹消されていると検索したら出ていました)。

この本の前に『極夜行前』を読まれたZさんの感想で驚いて読み、そして本番のこの本です。
グリーンランドの極夜をほぼ4ケ月犬1匹とともに旅するのである。月が出る日もかなりの暗さであろう。
氷点下30~40度、強風や暴風の吹きまくる一面の氷の真っ暗な世界をテント泊で旅する。食料も橇で引けるだけしか持てず、事前の3年間に自分の食料とドッグフードを数か所にデポした。現地にいる魚の他、ウサギ、アザラシ、セイウチ、ジャコウジカなどなどを捕獲し解体し、乾燥したものをドッグフードや日本から輸送した他の乾燥食糧と燃料などをデポ地まで運ぶ苦労が『極夜行前』に書かれていた。

本書ではいよいよ出発。あえてGPSを使わないことにこだわり、天測で、地図とコンパスだけで旅する。というのも旅の始めにそれに必要な六分儀を無くしてしまうのです。苦労して旅して奇跡的に(以前の3年間で地理的な起伏などを覚えていた)デポ地に辿り着くと、どこも全部白熊に食べられてしまっていた。旅を続けるべく獲物探しが始まるが一向に捕獲できず途中から引き返す判断をする。オオカミを捕まえたり、最悪パートナーの犬を殺して生き延びようと思ったりしてどん底状態になる中、いろいろな奇跡が重なって、筆者は犬とともに生還するのです。
どうしてここまで死と隣り合わせの危険な恐ろしい究極の旅をするのか??著者にはちゃんと理由があるのでした。著者と犬の愛の物語も秀逸でした。


11/10(日)は久しぶりに高尾山へ。

1号路、4号路、6号路、稲荷山コースは歩いていますが、この日は3号路、2号路南側コースを制覇(大げさ)しました。残るは5号路ループと2号路ループ北側なので次回回ってみたい。この日のコースは1号路→もみじ台→山頂→3号路→2号路→6号路。台風19号の影響で6号路は琵琶滝から上は通行止め。

咲いていた花はオヤマリンドウ、キッコウハグマ、ヤクシソウなどでした。
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富士山は上の方がちょっとだけ見えました。私にしか見えないでしょう。中央上ですが。
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下では高尾山もみじ祭りで、関東唐獅子太鼓の演奏の最中でした八王子の関東太鼓合戦に出演した15のうちの一つのようです。力強い演奏でした。
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八王子市のマンホールは八王子車人形・演目三番叟がデザインされている。初めて気が付きました。
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11/17(日)山梨県上野原の四山(尾続山、実成山、コヤシロ山、要害山)から富士山を眺めるトレッキングコースを巡りました。

尾続(おぞく)バス停からまず尾続山(538m)へ。頂上は眺望がきかず手前の展望台からの富士山。
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ミヤマシキミの蕾
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実成山(609m)の頂上も眺望なしで手前から富士山を望む。
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コヤシロ山(600m)頂上からの富士山。
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ユウガギクと友が言う。
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風の神様(540m)から
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要害山(536m)頂上。戦国時代、ここ要害山には甲斐・相模・武蔵三国の国境において最大級の山城の大倉砦が築かれていたそうです。
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同じ友がこのシメジは美味しいと。ナラタケだそうです。いつもsさまありがとうございます。
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石像と紅葉。このコースは次々と富士山が現れ、大菩薩嶺の時のように感激しました。家からも割合近い山ですし。
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2019年12月 9日 (月)

中山道9 御嶽宿 ← 細久手宿(後編)    

◆御 嶽 ← 細久手の続き    

紅葉が美しい。
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竹林もある。
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この先、諸の木坂を上がっていくと、この葉で覆われてしまっているが、馬の飲み場がある。ここが物見峠である。
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御殿場に到着した。和宮降嫁の際、一行が休憩する御殿が造られたことから、御殿場と呼ぶようになったという。
富士山麓の御殿場は、家康の遺体を移行する際、一時安置したところなので付いた名という。
ここの東屋で手作りの弁当の昼食。今まで初めて昼食をするお店がなかった。そんな山の中なのです。
紅葉もあり、遠くの山・恵那山、笠置山、御嶽山が見えるはずだが木が茂って眺望がないのが残念。
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少し歩くと突然「ラ・プロヴァンス」というケーキ店があった。旅人でなく車で来た人で殆ど満席。昼食屋さんはないのに、南フランスの店名のケーキ喫茶があるのには驚く。冷え切っていたので、アップルティーとモンブランで温まる。
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唄清水の碑。水が湧き、傍らに「馬子唄の響きに浪たつ清水かな」と刻まれている。
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一呑清水。皇女和宮が降嫁の道中この清水を賞味したところ、大層気に入り、後の上洛の際に多治見の永保寺にてわざわざここから清水を取り寄せ、点茶をしたと伝えられているそうだ。水の中に地蔵もあった。
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十本木立場跡、馬頭観音を通り過ぎると謡坂十本木一里塚がある。明治時代に壊され、昭和48年復元されたとある。
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ここは十本木茶屋跡であり、広重の御嶽宿の絵のモデルとなった場所で、絵に木賃宿が描かれたのは珍しいそうだ。絵の中に宿の前には小川のような洗い場がある。
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謡坂(うとうざか)石畳に入った。元気づけに唄を謡いながら坂を登ったから付いた名だそうだ。私は歌の代わりに「気合だ、気合だ」と浜口親子の言葉で元気づけています。
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横道に入ってマリア像を見に行く。御嵩町に隠れキリシタン村が存在したことが、道路工事が行われた際にわかった。地中から数点の十字架を彫った自然石が発見され、ここが仏教の墓地を利用したキリシタン遺跡であったことが判明したそうだ。発見された陽刻十字架は前回の中山道みたけ館で見た。これを契機に近在各所から発見が相次いだ。
この地に「聖母マリア像」が建立された。
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やがて石畳は終了し、その先に耳神社がある。奉納された竹の錐を耳にあてると耳の病気が治るという。
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馬頭観音や百八十八ヶ所順拝納経塚碑(西国、四国、板東、秩父の百八十八ヶ所の霊場を巡った夫婦の記念の碑)を見て竹林を進むと、石窟内の立派な馬頭観音があらわれた。1765年のもの。
寒念仏供養塔と刻まれているが、寒い中念仏を唱えて歩き、報謝で馬頭観音を作って馬を供養したのだそうだ。
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いよいよ牛の鼻欠け坂。写真ですとあまり急坂に見えないですが。
西からくると荷物を背に上ってくる牛の鼻が擦れて欠けてしまうほどの急坂だったことから名付けられたとか。牛が可哀想になるし、多く使われた馬も大変だったなのだろうと、人間の大変さとともに思う。
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坂を下ると田んぼが広がる。
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摩利支天。
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馬頭観音。他にもたくさん撮って馬頭観音の多いことに感心した。
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和泉式部廟所。平安時代の女流作家。
和泉式部は旅の途中、御嵩のあたりで病気になり、鬼岩温泉で湯治したものの、この地で亡くなったという。
「ひとりさえ 渡れば沈むうき橋に あとなる人は しばしとどまれ」と刻まれている。
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弘法堂。白い象がいる。(江戸時代の象に関係あるのでしょうか)
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御嵩富士が見えてきた。
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最後に再びみたけ館に寄って、さきほど見てきたキリシタン関係の展示をもう一度見る(撮影禁止)。
細久手宿と御嶽宿の間でも殆ど人を見かけず、街道では誰に会うこともなく、ただただ熊に出会わないように祈っていました。
本当に昔の儘の素晴らしい区間です。次回の細久手、大湫、大井までも同じようだそうで楽しみだ。

御嵩駅でこの日の歩きは終了し、4時29分の名鉄に乗り、新可児で中部国際空港行きに乗り換えて名古屋へ。
名古屋駅でおみやげとお弁当を買い、いつもより1時間早い6時26分のひかりに乗る。1時間後のひかりは小田原に停まるが、これは豊橋に停まる。
夕食は、おこわひつまぶしのお弁当 お土産は刻み守口漬け。
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帰宅は9時半頃。34460歩。11.8㎞区間だけれど、寄り道入れても、いつもよりゆったりした歩きだった。

 

 

 

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2019年12月 3日 (火)

中山道9 御嶽宿 ← 細久手宿(前編) 

11/14(木)曇のち晴
東京駅6:16のいつもののぞみに乗り名古屋乗り換えで、中央本線の瑞浪駅に着いたのは8:54。
順番として御嶽宿から細久手宿に向かうのだが、細久手宿に到着しても、この宿には鉄道もバスもないので、今回は逆向きに東から西へ歩きました。
瑞浪駅から前日予約していたタクシーに乗り、20数分で細久手バス停に到着。


●細久手宿(48番目の宿)御嶽宿から11.8㎞、大湫宿まで5.9㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒。1843年当時戸数は65軒しかなかったそうだ。
久手(くて)とは低湿地の意味。海抜420mの山中の宿で、京側からは殆ど上りの行程だ。今日は逆であるのでほとんど下りで楽であったが、膝下がちょっと痛くなる。

高札場跡が宿の東の入り口である。向こうに見えるのは庚申堂だ。
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庚申堂は細久手で最も古い建物だ(1802年再建)。
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境内には、如意輪観音や地蔵菩薩などが並んでいる。
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石窟内には役行者。
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左:ニクウスバタケ 右:カイガラタケ shikamasonjinさま、ありがとうございます。
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細久手宿の街並み。人も見えず寂しげな感じだ。
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公民館があり、和宮様の行列が描かれている。
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公民館の向かい側が、大黒屋。
元脇本陣で問屋も務めたという。
今の建物はその前年火事で焼けて、1859年に建てられたものとのことで、うだつが上がり、2階が1階の半分しかない。
大井から御嶽まで宿はここしかないため、街道を歩く人にとっては貴重だった。今も細久手から次の大湫宿まで外国人に大変人気があり、最近宿泊する人が多いと毎日新聞に出ていた。
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本陣跡を通り過ぎた先、ちょっと入ると、和宮の井戸がある。細久手で休憩した際に使用された井戸で、現在でも清水が湧き出ているそうだ。
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道はどんどん下りはじめ、南蔵院跡の前が細久手宿の西の入り口。


◆御 嶽 ← 細久手

細久手坂の穴観音。中には馬頭観音があった。東からくるとどうやらこれが美濃路の馬頭観音の始まりで、この後もたくさんあり、今まで西から来た岐阜県内で見てきたわけである。
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中山道くじ場跡。旅人が泊まる宿をくじ引きで決めたとか、出稼ぎする人を決めたなどの由来があり、人足、馬方、籠かきのたまり場になっていたそうだ。
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陸軍大将馬水池。
福島大将(長野県松本市出身の旅行家で明治25年情報収集のためにシベリア大陸を単騎横断を果たして有名な人)が中山道を通行中に、この池で愛馬に水を飲ませたという。馬でベルリンからウラジオストックまで横断というから驚く。馬水池が今も残っているなんて!
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地名の由来となった平岩。大きな岩だ。タモリさんが一言、言いそうな岩だが何で出来ている岩かわからない。
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少し晴れ間が出てきて、穭田(ひつじだ)が丈も伸びいい風景だ。
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熊出没の看板を見て、西の坂を上っていく。左の石碑は御嶽までの中山道の特徴や見所が書かれている、瑞浪市内旧中山道の影碑だ。
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秋葉坂三尊石窟。3つの石窟にそれぞれ石仏が祀られている。左から風化してしまっている石仏、一面六臂の観音座像、三面六臂の馬頭観音だ。
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道は下り坂になり、「右 旧鎌倉街道?一里余」と刻まれた道標があった。こんなところに鎌倉街道があったかしら。
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ずっと落ち葉がいっぱいの道だ。誰もいない風情のある風景。朴葉が多い。朴葉を使う朴葉味噌は飛騨高山の名産でした。
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93里目の鴨之巣一里塚。これは北の塚。ここから御嵩町だ。
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石灰帯が現れた。
豚コレラウィルスに感染した野生イノシシが見つかったたため、手指をエタノールで消毒し、靴底は石灰で消毒せよとあった。そういえばこんな話がこの地で以前ありましたっけ。
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また石窟の中に馬頭観音が祀られている。ここに来るまでも随分ありました。
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山内嘉助屋敷跡には石垣が残っていた。山内家は江戸時代に酒造業を営んでおり、諸大名が休憩したそうだ。
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集落が見えて、入ってきたところに、天満宮常夜燈がある。
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薬師堂へ。
境内にはたくさんの石仏、石造物が。
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御堂の中には、阿弥陀如来などが。
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津橋を渡り、少し進むと右に大きな岩が見える。皇神岩といい、岩の上に小祠を祀って雨乞いをしたという。
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熊野神社は延々と階段が続き、拝殿の他、舞台がある。農村歌舞伎が行われていたという。
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Kumanozinnzya-butai

11.8㎞という長い宿場間には、多くの馬頭観音はじめ、往時を偲ばせるいろいろな石碑が左右に現れて、現代の建物などがない所が続いて街道旅の気分満喫です。御嶽宿までもうしばらく歩きました。

 

 

 

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