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2019年12月 9日 (月)

中山道9 御嶽宿 ← 細久手宿(後編)    

◆御 嶽 ← 細久手の続き    

紅葉が美しい。
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竹林もある。
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この先、諸の木坂を上がっていくと、この葉で覆われてしまっているが、馬の飲み場がある。ここが物見峠である。
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御殿場に到着した。和宮降嫁の際、一行が休憩する御殿が造られたことから、御殿場と呼ぶようになったという。
富士山麓の御殿場は、家康の遺体を移行する際、一時安置したところなので付いた名という。
ここの東屋で手作りの弁当の昼食。今まで初めて昼食をするお店がなかった。そんな山の中なのです。
紅葉もあり、遠くの山・恵那山、笠置山、御嶽山が見えるはずだが木が茂って眺望がないのが残念。
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少し歩くと突然「ラ・プロヴァンス」というケーキ店があった。旅人でなく車で来た人で殆ど満席。昼食屋さんはないのに、南フランスの店名のケーキ喫茶があるのには驚く。冷え切っていたので、アップルティーとモンブランで温まる。
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唄清水の碑。水が湧き、傍らに「馬子唄の響きに浪たつ清水かな」と刻まれている。
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一呑清水。皇女和宮が降嫁の道中この清水を賞味したところ、大層気に入り、後の上洛の際に多治見の永保寺にてわざわざここから清水を取り寄せ、点茶をしたと伝えられているそうだ。水の中に地蔵もあった。
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十本木立場跡、馬頭観音を通り過ぎると謡坂十本木一里塚がある。明治時代に壊され、昭和48年復元されたとある。
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ここは十本木茶屋跡であり、広重の御嶽宿の絵のモデルとなった場所で、絵に木賃宿が描かれたのは珍しいそうだ。絵の中に宿の前には小川のような洗い場がある。
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謡坂(うとうざか)石畳に入った。元気づけに唄を謡いながら坂を登ったから付いた名だそうだ。私は歌の代わりに「気合だ、気合だ」と浜口親子の言葉で元気づけています。
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横道に入ってマリア像を見に行く。御嵩町に隠れキリシタン村が存在したことが、道路工事が行われた際にわかった。地中から数点の十字架を彫った自然石が発見され、ここが仏教の墓地を利用したキリシタン遺跡であったことが判明したそうだ。発見された陽刻十字架は前回の中山道みたけ館で見た。これを契機に近在各所から発見が相次いだ。
この地に「聖母マリア像」が建立された。
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やがて石畳は終了し、その先に耳神社がある。奉納された竹の錐を耳にあてると耳の病気が治るという。
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馬頭観音や百八十八ヶ所順拝納経塚碑(西国、四国、板東、秩父の百八十八ヶ所の霊場を巡った夫婦の記念の碑)を見て竹林を進むと、石窟内の立派な馬頭観音があらわれた。1765年のもの。
寒念仏供養塔と刻まれているが、寒い中念仏を唱えて歩き、報謝で馬頭観音を作って馬を供養したのだそうだ。
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いよいよ牛の鼻欠け坂。写真ですとあまり急坂に見えないですが。
西からくると荷物を背に上ってくる牛の鼻が擦れて欠けてしまうほどの急坂だったことから名付けられたとか。牛が可哀想になるし、多く使われた馬も大変だったなのだろうと、人間の大変さとともに思う。
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坂を下ると田んぼが広がる。
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摩利支天。
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馬頭観音。他にもたくさん撮って馬頭観音の多いことに感心した。
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和泉式部廟所。平安時代の女流作家。
和泉式部は旅の途中、御嵩のあたりで病気になり、鬼岩温泉で湯治したものの、この地で亡くなったという。
「ひとりさえ 渡れば沈むうき橋に あとなる人は しばしとどまれ」と刻まれている。
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弘法堂。白い象がいる。(江戸時代の象に関係あるのでしょうか)
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御嵩富士が見えてきた。
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最後に再びみたけ館に寄って、さきほど見てきたキリシタン関係の展示をもう一度見る(撮影禁止)。
細久手宿と御嶽宿の間でも殆ど人を見かけず、街道では誰に会うこともなく、ただただ熊に出会わないように祈っていました。
本当に昔の儘の素晴らしい区間です。次回の細久手、大湫、大井までも同じようだそうで楽しみだ。

御嵩駅でこの日の歩きは終了し、4時29分の名鉄に乗り、新可児で中部国際空港行きに乗り換えて名古屋へ。
名古屋駅でおみやげとお弁当を買い、いつもより1時間早い6時26分のひかりに乗る。1時間後のひかりは小田原に停まるが、これは豊橋に停まる。
夕食は、おこわひつまぶしのお弁当 お土産は刻み守口漬け。
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帰宅は9時半頃。34460歩。11.8㎞区間だけれど、寄り道入れても、いつもよりゆったりした歩きだった。

 

 

 

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コメント

多分今回の場所は岐阜の人も殆どしらないと思います。
かなり辺鄙なところもあり、驚きました。
とても私はついてゆく自信がありません。
和泉式部が岐阜で亡くなったとは全く知りません。
これは不勉強です。

今回も岐阜のことを学ばせていだきありがとうございます。
隠れキリシタンは岐阜にはかなりあります。

投稿: matsubara | 2019年12月 9日 (月) 13:20

★matsubaraさま

中央本線からかなり離れています。本当に人にも会わないで辺鄙という言葉が当てはまります。
東海道と中山道ではこの辺りからがらりと変わって、昔の街道そのままが残っているのだと思います。ただ茶屋はなくなっていますが。

和泉式部の死はここだと言われているそうですが、他の地もあり得るでしょうね。

私もmatsubaraさまのブログで随分岐阜のことを知ったつもりでいましたが、中山道だけなのですがいろいろなことがわかって面白かったです。岐阜県内の宿はあと5つあります。ますます山深くなっていくのでしょうか。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月 9日 (月) 19:22

こんにちは。地図でコースを見ましたが、鉄道から離れて本当に山の中という感じですね。熊に遭遇しなくて良かったです。お疲れ様でした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年12月10日 (火) 08:24

一人では歩けない山中の中山道だと聞いていました。それより健脚出なければ谷あり坂有りで無理でしょうね。
私は乗り物利用して木曽路の雪の宿めぐりをしたいなあ~と思っています。
何時も思うばかりで実行に移せずに居ますが。
今月は関東へ、1月には是非と。

それにしても説明文が素晴らしいですね。
余計な事が事が一切書かれたない。読みやすいです。

投稿: あざみ | 2019年12月10日 (火) 08:39

★多摩NTの住人さま

はい。お陰様で熊に出会わずほっとしています。お尻を向けて駆けださないとか頭に叩き込んでも実際に会ったらどうでしょう。
何でもすぐパニックに陥る私は習練が出来てなくて困ったものです。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月10日 (火) 09:21

おはようございます
 
山の中の道ですね。雲多め?のお天気の関係もあるかもしれませんが、
物寂しく心細く感じます。熊も出没するのですね。最近は人里にも
頻繁に出没しますものね。遭遇されなくて良かったです。
けれど、往時がしのばれる道中で、素晴らしい経験となりましたね。
街道の往来がもっと多かった時代には、木々もここまで生長
していなくて、賑やかさも明るさもう少しあったものかどうか。
なんにしても坂の多い山中、厳しい気候に、牛馬も人も、
現代の私たちからは想像がつき難い苦労をしていたのでしょうね。
 
隠れキリシタン村の存在は目から鱗でした。
弾圧を潜り抜け密かに信仰を守った人々は各地にいたのですね。

投稿: ポージィ | 2019年12月10日 (火) 09:26

★あざみさま

東海道と比べて中山道は結構起伏に富んでいて、その面で面白いですね。
木曽路の雪の中、ロマンティックですね。
行かれた時の写真が楽しみです。
冬は木曽路は歩けませんので私の方はお休みです。
今月はこちら方面に来られるのですね。
毎日が充実していて素晴らしいです。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月10日 (火) 09:28

★ポージィさま

午前中は曇りで晴れ間が見えず、御嵩に降りてきたら真っ青な空がきれいでした。
山中は今は旅人がいないので、往時の方が人の行きかいがあって賑やかだったのかと想像しました。
一人では怖くて歩けません。
「牛の鼻欠け坂」という命名にははっとさせられました。荷物を出来るだけ軽くして、まあ呑気に歩いているのが贅沢なことと思いました。

隠れキリシタンと言えば九州の熊本や五島列島と思いがちでしたが、こんなところで密かに信仰し、お墓も普通のお墓の中に同じようにあったというので続いたのでしょうね。
全国各地にたくさんいたことが想像されました。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月10日 (火) 09:40

いつもより一段と面白いものが見られましたね。
和宮はここでも地名を遺していた!
隠れキリシタンも興味深いです。
気合だ気合いだ!におかしいやら感服するやらでした。

投稿: 佐平次 | 2019年12月10日 (火) 09:56

この地に隠れキリシタンがいたことを初めて知りました。
長崎の隠れキリシタンばかりが小説や映画の題材になっているような気がしています。
馬頭観音はそんなに数多くありましたか。
Saas-Feeの風が撮った馬頭観音は1763年建立でした。
皇女和宮にまつわる史跡や歌碑を見ることが多かった記憶があります。
この後、細久手宿から大湫宿へと歩かれますが
その道中にもありますよ。
すでにお歩きなっているようですけど。
撮っておられる写真拝見が愉しみです。

投稿: Saas-Feeの風 | 2019年12月10日 (火) 15:15

★佐平次さま

和宮降嫁には凄いお金と人力と多くの人々の犠牲があったこと、和宮自身も悲しみをずっと引きずっていったことが、各宿ごとに残っています。これもそれも幕府の強引さが起こしたものです。
体力を気力でカバーをしようとしているのは少々無理があるのですが、バテて歩けなくなるのは本末転倒、うまく歩ききれればという思いがいつも湧き上がってきます。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月10日 (火) 19:25

★Saas-Feeの風さま

私もまさかこの地で隠れキリシタンの遺物や場所を見る事になるとは思いがけなかったです。

はい、もう次を歩いてしまっているのに、書いていてものろのろと今頃アップです。
馬頭観音は細久手宿と大湫宿、大井宿の間にもとても多かったです。
この地が山地なので馬が随分活躍したのでしょうね。
和宮の歌碑をいくつか見ましたが、本当に切なくなる歌ばかりですね。婚儀後、そして将軍を亡くされてからは幕府を思う強い方になられましたね。
前回は貴重な写真をありがとうございました。今回も見られませんでしたので、感謝しております。
有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月10日 (火) 19:44

tonaさんの記事では何時も知らない事を沢山教えて貰ってますが、隠れキリシタン村があったり和泉式部廟所もあるのですね。

皇女和宮の降嫁の話しはこれからも沢山出てきそうですね。

辺鄙な所と言うだけあって坂が多く、それも牛の鼻欠け坂と言うほどの急坂
tonaさんは謡坂(うとうざか)石畳を「気合だ、気合だ」と元気づけながら登ったのですね。
お疲れ様でした。

投稿: ラッシーママ | 2019年12月10日 (火) 20:35

tonaさん、こんばんは~♪
細久手宿は不便かもしれませんが、その分趣きがありますね。
和宮降嫁の際、東海道を使わず、山間が多く寒い中山道を使った
のは寂しい気がしますが、それなりの理由があったのでしょうね。
富士山麓の御殿場名前の由来、岐阜県にキリシタン村があった事、
和泉式部がこの地で亡くなったこと、初めて知りました。
モンブランケーキやおこわひつまぶしの美味しそうなこと‼
いろいろお勉強させていただきありがとうございました。

投稿: hiro | 2019年12月10日 (火) 21:55

★ラッシーママさま

なかなか中山道もここまで来ますと寂しげではありますが、山中を行く感じで、私には素晴らしい道です。
隠れキリシタンには驚きました。岐阜県の中山道沿いです。まさかですね。他にもたくさんあったのではと思われました。
日本の歴史もいろいろ塗り替えられていますが。
木曽路に行きましても皇女和宮のことありそうですね。藤村の小説にも出てきましたから。
この頃自分を励まさないとなりません・・・
有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月11日 (水) 08:01

★hiroさま

おはようございます♪
そういえば、なぜ和宮はこちらを使ったのでしょうか。
こちらの方が東海道より安全だったとは思えないのですが。調べてもいませんでした。
私も御殿場が出てきたときは??でしたが、家康より後につけられた名前ですが、なるほどと思いました。和宮に対する気遣いは大変なものがありましたね。特に幕府側は。
まさかこんな山中でケーキが食べられるとは思いませんでした。中が混んでいるのにも驚きです。車社会なんだと、そしてなんと余裕のあることと、世界を見るにつけ、まだ平和な日本を感じました。
おこわひつまぶし美味しかったです!
こちらこそ有難うございました。

投稿: tona | 2019年12月11日 (水) 08:08

tonaさんへ
とれたてホップ一番搾りのお買い上げ、まことにありがとうございました。毎度、お気遣い頂き恐縮です。とれたてホップ一番搾りは岩手県遠野産のフレッシュな国産ホップを使用しています。輸入ホップより価格が高いので、製造原価が高く、消費する側にはコスパの良い麦酒であります。今後ともご愛飲のほどよろしくお願い申し上げます。

投稿: shikamasonjin | 2019年12月11日 (水) 23:27

★shikamasonjinさま

おはようございます。
ホップの産地が遠野なのですか。
殆どの人が知らないことですね。
ホップといえば最初に見たのが軽井沢追分でした。もう50数年前になります。
産地によって違ってくるのですね
それにしてもネーミングは大変なのでしょうね。いつもいろいろあって感心するばかりです。ご丁寧にコメントありがとうございました。

投稿: tona | 2019年12月12日 (木) 08:23

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