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2019年12月24日 (火)

中山道10 細久手宿~大湫宿~大井宿(後編)

●大湫宿の続き

和宮人形があって中央が和宮。
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コミュニティセンター到着。ここにも飲食店はなく作ってきた弁当をここで食べさせていただく。寒い日でストーブをつけていただく。
お昼を食べたあとは向かいの丸森邸(旧商家、旅籠の他塩の専売も行った)を見学する。ここでは梅茶をふるまわれ身も心も暖まる。
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旧旅籠三浦屋(登録有形文化財)。
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本陣跡は、旧大湫小学校(昨年取り壊された)にあった。その脇には皇女和宮御歌碑がある。
「遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も たちうかりけり」
「思いきや 雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは」
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宿の端の高台にある宗昌寺は宿の大火を免れて控え本陣に利用されたそうだ。
鐘楼の横に六地蔵尊が並んでいる。
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ここからも大湫宿がよく見えた。
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◆大湫~大井 (十三峠を行く・・上ったり下ったり)

宿を出るとそこは十三峠の西入り口だ。たくさんの坂の名前が出てくる。「ヶ根」と付くのは丘陵の尾根筋をいうらしい。
道中が長いので「~立場」や「~茶屋」の跡のなんと多いこと。所々に馬頭観音、庚申様、高札場、本陣跡、代官屋敷跡などを両側に見るのである。人馬が難渋した峠だったわけだ。
尾根筋の坂を下ると現れるのは谷戸(沢)で水田が入り込んでいる風景が展開したり、広い沢筋や扇状地形に宿や集落が現れるという区間なのである。
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早速、「ヶ根」の付く童子ヶ根碑が現れる。
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山之神坂を通り、次は八丁坂(しゃれこ坂)で観音碑(中央)がある。
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石灰帯を通り過ぎて(近くに養豚場あり)、清水で尻を冷やしているように見えることから呼ばれた尻冷やし地蔵を通り過ぎると阿波屋の茶屋跡のところに、三十三所観音石窟がある。三十三体もの馬頭観音がおさめられている。大手運送業者や助郷に係る近隣の村々からの寄進で、石柱に名が記される。
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曽根松坂の先に、大きなゴルフ場があってゴルフカートが中山道を横切る。
びあいと坂を上り、巡礼水があるが今は水がなくただの穴。昔、旅の母娘の巡礼がここで病気になったが、念仏を唱えたら水が湧き出して命が助かったそうだ。

権現山一里塚(90里)。ここもまた左右現存している。
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樫ノ木坂は石畳。87m続く。
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吾郎坂、炭焼立場跡、鞍骨坂、権現坂、出茶屋跡など次々と坂、立場跡、茶屋跡が出てきて全部立て札を撮影した。書いていてもどこだったかわからないくらい同じような景色の街道が続いていく。主なのだけを記していこう。
弘法大師像や馬頭様を見ると景色が開ける。谷戸だ。
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中山道の石碑で瑞浪市から恵那市に入った。

下座切場跡の標柱。中山道を行く役人を地元の代官が裃をつけて土下座して迎えた場所。
瑞浪市の白の標柱から恵那市に入ると茶色の標柱に代わる。
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6つも標柱などを見て、坂を登り、峠を越え、坂を幾つか下ると開けたところが、間の宿の深萱立場(ふかがやたてば)である。
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山形屋(祖先は代官)跡、本陣跡(加納家)を通り過ぎると復元された高札場(藤村高札)がある。
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また山に入ると、茶屋が沢山出てくる。ばばが茶屋、馬茶屋、うばが茶屋、びやいと茶屋(枇杷湯糖を売っていた)、平六茶屋などはいいとしても、よごれ茶屋という名は、どうしてつけられたのか?
叩くと音が鳴るちんちん石とか、牡丹に似たぼたん岩などもあった。

紅坂一里塚(89里)。両塚が残る。高さは北塚は2.2m、南塚は3.2mだそうだ。
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妻の神という小さな祠。命名がなかなか。道祖神の一種で夫婦和合、子宝の神などで塞ノ神とも言われる。
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かくれ神坂を下るとまた開けた。
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殿様街道なんていうのがあって標柱が立っており、竹折高札場跡を通り過ぎ、みだれ川をみだれ橋で渡る(急流で飛脚たちが出資して架けたという)。
その先に首なし地蔵がある。2体のうち大きい方に首がない。地蔵前で昼寝をしていた二人連れの中間が起きると一人の首がなかった。怒った中間が地蔵に「黙って見ているとは何事」と地蔵の首を刀で斬り落としてしまったという。
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姫御殿跡。山中にはお姫様行列の時などには仮御殿を建てて休息をすることがあったという。当時は眺望もよかったらしい。
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槙ヶ根追分に来た。名古屋を経て、伊勢へ行く下街道との分岐。
ここに伊勢神宮遥拝所があって、伊勢に行けない人は、ここで手をあわせ遙拝したそうである。
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槙ヶ根立場跡もあって茶屋が昔は9軒もあったそうだ。その先に西行の森桜百選の園があり春の桜を想像する。
ここから雲のかかった恵那山をズーム。
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槙ヶ根一里塚(88里)。ここも両塚が残っている。
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西行塚(左奥のが供養塔の五輪塔)。そばに西行の歌碑、西行を偲ぶ芭蕉の句碑もある。
西行は諸国行脚の途中、この地に竹林庵を結び3年暮らした言われ、自分の死期を悟った西行は自分が死んだら遺骸をここに埋葬するよう頼み、亡くなると村人たちはここに埋葬して五輪塔を建てたそうだ。実際は大阪の南河内郡河南町の弘川寺で入寂したというが。
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またまた東屋からは恵那山が見える。雲がかかっているがうっすら雪が被っているように見える。美しい!
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西行坂を下って十三峠の東入口にたどり着く。実際はおまけ7つついて二十峠か。西から東へだったのでとても楽だった。(坂の長さや勾配で)
約13㎞くらい峠を歩いたことになる。大湫宿の前は琵琶峠を歩き今日はよく歩いたと自画自賛。

西行硯水を通るが今は水はない。西行句碑、奚花坊句碑などもあった。
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中央本線恵那駅に到着。5時過ぎの電車で名古屋へ向かう。
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名古屋駅で今日はイタリアン。赤ワインにラスパドゥーチーズのピザと、名古屋コーチン卵と熟成ベーコンのカルボナーラ。
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お土産は中津川市周辺の銘菓「からすみ」でういろうに似た味わい。
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いつものひかりに乗って10時半帰宅。40548歩。

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コメント

寒空の下を元気に中山道を歩き続いておられて
すごいです。

岐阜県にこんなに宿があるとは知らず、それに
和宮様も歌碑も知らず、お恥ずかしいです。

信州と加納宿と大垣周辺しか頭になかったです。

折がありましたら訪ねたいところです。
しかし、瑞浪は名古屋より遠いのです。

恵那山の美しさを見ていただき嬉しく思いました。

明智光秀のゆかりのある東濃に近いですし。

投稿: matsubara | 2019年12月24日 (火) 15:40

★matsubaraさま

早速にコメントいただきありがとうございます。
いつものろのろしていますので、読みにくくて申し訳ありません。
確かに岐阜県は9回目の時は最初みぞれで寒かったです。冬はこの辺りも雪が降るのでしょうね。
細久手宿、大湫宿は外国人にもとても人気があるらしいです。外国にはこんな風景はあまりないのでしょうかね。

恵那山が丁度夕日に輝いて美しかったです。西行も庵を結んだとか、真偽のほどはわかりませんが、この恵那山を見たのでしょうね。
来年の明智光秀の大河ドラマが楽しみです。

投稿: tona | 2019年12月24日 (火) 15:54

殿様がびっくりするような健脚ですね。
殿様街道とはおもしろい命名です。
首きり地蔵は短編小説になりそう。

投稿: 佐平次 | 2019年12月25日 (水) 10:30

tonaさん、おはようございます♪
和宮人形、可愛いですね。
星のついたスティックは今風ですね。
旧家の丸森邸や旧旅籠三浦屋は趣があり素晴らしいです。
歩いて自分の目で見てみたい気持ちもありますが、
中山道はとても無理なような気がします。
皇女和宮御歌は素晴らしいですね。
現在、教養ある女性でもこれだけ詠める人は少ないでしょうね。
大湫宿のお写真を拝見していると、宗昌寺から鐘の音が
聞こえてくるような錯覚を覚えました。
十三峠は上ったり下ったり大変のようでしたね。
道ばたにある石仏たちに心癒されたのではないでしょうか。
恵那山はツアーの車中から見た覚えはありますが、
もっと近くからゆっくりと見てみたいです。
ピザもパスタも美味しそう。
40548歩も歩かれたとはお見事でした。

投稿: hiro | 2019年12月25日 (水) 10:39

こんにちは
 
恵那さんを望む眺望が素晴らしかったのですね。
疲れが癒えるひとときとなられたでしょうか。
かなり標高の高い
場所ならではの景観なのでしょうね。上ったり下ったりも多く、
歩数も相当になられましたね。
 
旧商家の丸森邸は立派な鴨居に目が行きました。
塩の専売も行っていたとのこと、繁盛していたのだなぁと思いました。
 
和宮人形は愛らしく現代風ですが、今なお和宮様に寄せる
人々の温かな心が感じられます。
本陣跡の石碑に刻まれた和宮様の和歌二首には、
胸中を思って胸が痛みます。なかなか切り替えられるものでは
ありませんよね。わずか16歳でしたっけ。
 
道の上にも落ち葉が散り敷き、晩秋から初冬の寒々とした
景色に変わってきましたね。

投稿: ポージィ | 2019年12月25日 (水) 11:51

★佐平次さま

普段はあちこち痛かったり、体力なかったりなのに歩くときだけ俄然元気になる変な奴です、私。
東海道に姫街道がありましたが、こちらは殿様街道です。大名街道とも言い、岩村の殿様が出来るだけ自分の領地を通ろうとしてできた道らしいです。
この首切り地蔵の話を読んだら、左側の地蔵様が可哀想に思えてきました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年12月25日 (水) 12:58

★hiroさま

こんにちは♪
こんなところでこんなお人形に出会うとは。同情とともに随分気の毒に思われて慕われたのでしょうか。
私はすべてやってもらってただ歩いて写真を撮っているだけですから準備をして案内してもらえなかったら、とてもこの街道は歩けません。完歩したいためにも健康を維持しなければの思いです。体力は下降ですから気力の方を充実させてです。
皇族はずっと和歌を詠む風習というか、そういう素養を備えるとともに勉強もされたのですね。どのお歌もみんなの心に迫りくるものがあります。
宿の両端の観音堂とお寺から宿が眺められるのは今まででここだけでした。鐘が鳴れば宿全体に響き渡る小さな宿です。
十三峠には馬頭観音、地蔵など現れては消え、標柱だけでさえ、名前が面白くて飽きませんでした。
恵那山はもうご覧になったことがあるのですね。私は全く初めてで夕方の遠くからの恵那山に感動しました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年12月25日 (水) 13:12

★ポージィさま

こんにちは。
今やっと少し薄日が差してきました。が寒いです。
恵那山を、確かに下に降りてからより、低い標高ながら、こうした山中から眺めるのはとても素敵でした。感動して元気がまた復活という感じで富士山を見るようでした。

さすがポージィさんは旧家をご覧になる視点が優れていらっしゃる。私は東海道以来随分見てきているのに、ガイドさんの説明がないとただポカンと見ているにすぎませんでした。反省。
中山道はずっと今まで和宮様一色という感じです。歌碑も随分見てきました。いままでのはずっとこんな悲しい様子で親だったら胸が引き裂かれる感じです。
殆ど落ち葉で敷き詰められた街道でした。もう1回で一先ずこの道はお休みです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年12月25日 (水) 13:23

こんにちは。登ったり下ったりお疲れ様でした。十三峠の数は20でしたか。綺麗な恵那山が見られて良かったですね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2019年12月26日 (木) 08:28

本当に中山道は皇女和宮様の足跡が一杯ですね。
政略結婚の為にこの中山道を通り江戸までの道のりは、どれほど不安で心休まる時は無かったでしょう。

人馬が相当難渋した峠だったのでしょうね、その為に他の場所に比べ茶屋や旅籠が多かったのでしょうか
恵那狭には3年前の姉妹旅行で行き素晴らしい山々を見ましたが、あれが恵那山だったのですね。
私、山に疎いので只素晴らしい山だと見てました。

投稿: ラッシーママ | 2019年12月26日 (木) 12:52

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
「十三峠におまけが7つ」だそうです。
今回の区間はこの峠の前に琵琶峠などもありまして、20㎞、ずっと山道を歩いていました。
このところ低山で鍛えつつありましたので、どうやらクリア出来ました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年12月26日 (木) 13:12

★ラッシーママさま

16歳の若さで婚約者と別れ、皇族から武家へ強いられた結婚のための旅、どんなにか悲しかったでしょう。それを素晴らしい歌にして切なく訴えかけてきていますね。
合計すると約20㎞、そして前回歩いた細久手宿から西へ御嶽宿までも約11㎞区間は山道でした。約30㎞も旅人は大変だったのではないかと偲びました。
ママさん、恵那峡にいらしてご覧になっていたのですね。私は全く初めてで、楽しみにしていました。
平地から見るより、こうした標高のある所からの恵那山の方が素敵でした。凄く高く感じるのですよ。2000m以上の山ですからね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年12月26日 (木) 13:23

出遅れました。
懐かしい大湫宿の光景です。
大湫宿から大井宿には歩いておりませんので
このような光景を見ながら歩く機会を持ちたいものと思いながら拝見しました。
ゴルフカートが中山道を横切る・・・
そこは私道なのでしょうか。
まさかゴルフの球が飛んでくるなんてことはありませんよね。
どこのゴルフ場かなと興味がわきます。
殿様街道、姫御殿跡など往時はそのようなかたたちの行き交うことがあったのでしょうね。
首なし地蔵の言い伝えも面白いですね。
このような昔のことを想いながら歩くことは身体にはもちろん好いことですが
脳への刺激になりますね。

投稿: Saas-Feeの風 | 2019年12月28日 (土) 21:46

★Saas-Feeの風さま

細久手宿と大湫宿は前後ともとても特徴あるところでしたので、忘れないと思います。
今までの所をもうすでに随分忘れかけています。
中山道の両脇がゴルフ場になっていまして、すぐそばでプレイしている人も見かけました。
ボールは道に飛んでこないように設計されているのではないでしょうか。平日でもプレイする人を多く見かけました。
中山道は東海道とはこの辺り全然違う風景でした。今は人がいないので寂しい風景ですが、昔はごった返したと書いてありました。
首なし地蔵にもちゃんと涎掛けがかけてあって不気味でした。そんな話はないだろうと思っても結構説得力がありました。
来年は健康を取り戻されてお元気になりますように。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2019年12月29日 (日) 08:24

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