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2020年1月15日 (水)

中山道11 大井宿~中津川宿(3)

◆大井~中津川の続き

上用水之碑がある上宿休憩所が午後のおやつ時間です。中津川は栗で有名な小布施と同じく栗のお菓子が多い。
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上宿の一里塚跡(85里目)。片側だけ昭和9年に3分の1の大きさで復元された。
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石仏群!
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身体が一つ、頭が二つの双頭一身道祖神は市指定文化財だそうだ。是より苗木道と彫られている。↓に書いた苗木藩があるのでしょう。「岐阜のマチュピチュ」「天空の城」の異名を持つ山城があるそうだ。
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「こでの木坂 左ひだみち」と刻まれた道標もあった。飛騨に行けるのか。
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駒場村の高札場跡。
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3基の文字が書かれた馬頭観音と南無阿弥陀仏碑。
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中津川を中津川橋で渡る。この橋が、広重の晴れの方の中津川のモデルの場所。絵の昔の橋は100m下流にあったそうだ。
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●中津川宿(45番目) 大井宿から9.8㎞、落合宿まで4.1㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒。

橋を渡って中津川宿に入ってきた。宿の長さは2.2㎞。

中津川宿に行くのを前にして島崎藤村の『夜明け前』を読みました。
この宿の2つ先の馬籠宿の17代続いた本陣・庄屋の当主・青山半蔵は藤村の父がモデルで、平田派の国学を学び、国学に陶酔した人であった。明治維新に強い希望を持つも、実際の維新文明開化は希望と全然違うもので、その上国学への世間の冷笑に次第に挫折し、運命は悲惨な過酷な状態へと誘われます。

中津川宿は国学門人の地であることが他の宿とは違う大きな特色だったそうだ。安政6年~明治3年まで平田門人が35人もいて、中津川宿の本陣当主や分家の当主は夜明け前のモデルになって登場する。門人たちは水戸浪人の天狗党の通過を助け、長州藩の藩論を変えた「中津川会議」での桂小五郎の藩主待ち伏せを助けたりする。(その潜んでいた家をこの日の最後に見学する)

国学をここで初めて意識しました。賀茂真淵や本居宣長が「万葉集」「古事記」を研究し、儒学や仏教の日本伝来以前の日本古代の姿に立ち返ることを主張した。平田篤胤は神道思想を深め、復古思想から攘夷思想に結びついていった。この復古神道主義が廃仏毀釈運動に発展したわけで、中津川の北、苗木藩は日本全国でも特に激しかったそうだ。寺院や仏像などの破棄が私には実にもったいなく残念に思われたが、こういう理由であり、またそれゆえ、寺院が特権喪失し、仏教界の反省に発展したのも、国学であったということを知りました(以上、風人社ウォークマップのコラムを参照した)。廃仏毀釈がなぜ起こったかも知らなかったのです。

はざま酒造。うだつのある古い造り酒屋で杉玉が下がる。5つある中津川の酒造の一つで「恵那山」が有名。酒造を見ると相方の娘は必ずつつつと寄っていく。
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枡形の角にうだつのあがる家は旧中川家。中津川市出身の日本画家・前田青邨の絵にも描かれているそうだ。映画「青い山脈」ロケに帳場が使われたとも書かれている。中津川宿は説明板がとてもきれいでわかりやすい。
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白木屋(横井家)にもうだつが。ここは無料休憩所になっている。中二階に四畳ほどの隠し部屋があるそうだ。
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十八屋(問屋)、天満屋、川上屋(栗きんとんなどの栗菓子)などの建物が続く。
十八屋には水戸天狗党の負傷者をかくまった隠し部屋があるそうだ。
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枡形を曲がる。本陣は宿の一番高い所にあり、水害からも守られ、大名などが宿泊する際、常に防御や退却方法が考えられ、枡形によって見通せないようにしていた。
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再現された用水。火災に備えて作られたものだが、明治天皇が来られたさいに、馬車が通れるように埋められてしまったという。
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うだつの上がる庄屋の家は旅籠も営んでいた。
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森家脇本陣跡は中山道歴史資料館になっている。奥には土蔵の中に展示があり、上段の間の再現があった。
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資料館で木曽五木を見た。木曽五木とは尾張藩によって伐採が禁止された木曽谷の木です。
ひのき、さわら、あすひ(あすなろ)、こうやまき、ねずこ。いずれも建材など色々な点で優れた樹木。
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向かいは本陣跡で今は駐車場だ。
よく水害を起こし四度も川の形が変わったという四ツ目川を渡る。恵那山がよく見える。
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桂小五郎隠れ家跡を見学。上記したように、京都に向かう藩主毛利慶親公の行列を待つ間、この「やけ山」に隠れていた。
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栗きんとんで有名な「すや」。ここも栗のお菓子屋さん。
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中津川駅へ向かう。途中新しいマンホール発見。恵那山と市の花サラサドウダンのデザイン。
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恵那山が描かれたマンホールの向こうに恵那山が見えた。
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駅でお土産を買い、4時49分発のワイドビューしなの19号に乗り松本駅に6時4分に着く。
ここで駅弁を買い、6時40分発のあずさ32号に乗って、立川駅で乗り換え、自宅到着は9時過ぎであった。約35000歩。

夕ご飯は安曇野釜めしと井筒ワイン
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お土産は栗きんとん2種類。1種類は帰り着くなり食べてしまって撮影できず。
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木曽路は雪に埋まった本格的な冬で歩くことが出来ず、中山道歩きは春になってからです。その間は別の街道歩きです。(完)

 

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コメント

こんにちは
 
トップのお写真の栗きんつばも美味しそうですが、中津川と言ったら
やっぱり栗きんとんが食べた~~い! もう何年も食べていません。
そんなに長いこと食べていなくても味がよみがえるのですから、
すごいことですね。よほど私の味覚の好みに合ったのでしょう。
 
国学や廃仏毀釈について、私も言葉しか知りませんでした。
中津川は国学が盛んだったのですね。国学から復古思想や攘夷、
廃仏毀釈に繋がっていったことも、欧化政策の下抑圧されたことも、
どちらも極端に走ったことは、う~ん… ですが、
日本古来のことを知るための学問というのは意義あるものだったと
思いました。
 
うだつ は、漆喰を使わないものもあるのですね。旅籠も営んでいた
庄屋さんの家のうだつは木材がそのまま見えていて、珍しく感じました。
うだつの他にも、家沿い(道沿い)に火災に備えて用水も設けられて
いたのですね。それが、明治天皇の場所が通れるように埋められて
しまったというのももったいないことよと思いました。
木曽五木というのも初めて知りまして、興味深く5種の木を拝見しました。

投稿: ポージィ | 2020年1月15日 (水) 10:57

毅然とした佇まいを感じる街ですね。
すや、なつかしいです。

投稿: 佐平次 | 2020年1月15日 (水) 12:56

廃仏毀釈の経緯を私も知りませんでした。
苗木藩が関わっていることも初耳です。

25年位前苗木城の城址には行きました。
そのころは天空の城という言葉が流行して
いなかったため、そういう表現はしなかったです。

森家脇本陣跡は短歌会で行きました。
20年も前のことですが・・・

すやの栗きんとんも美味しいですが、他に
川上屋もあります。

夜明け前のような長編をまた読まれたとは
すごいです。私は高校時代に読んだきりです。

木曽五木のことは以前から聞いていたの
ですが、今はスラスラ言えないです。

投稿: matsubara | 2020年1月15日 (水) 16:05

★ポージィさま

栗きんとんの味、覚えていらっしゃるのですね。
栗のきんつばは初めて、そして栗きんとんは前回からたくさん食べたような感じです。栗が餡みたいものですから、ずいぶん贅沢なお菓子ですね。

「夜明け前」をすっかり忘れて最後の場面しか覚えてないという悲しさ。
今回読んで中津川と国学のことが随分出ていましてためになりました。主人公が藤村のお父さんだったということも知らずに読んでいた私です。
幕末から明治維新にかけては藩や幕府や朝廷が絡み合って、幕末の志士もごちゃごちゃになって、何度テレビで観ても全然頭に入っておりません。中津川宿まで来て、国学の位置づけを少し知ったところです。

本当におっしゃるように木のうだつ、漆喰ではないですね。火事の延焼を防げないように思います。うだつを上げるということが金持ちのステイタスという意味合いだけのような。
明治天皇は偉かったのですね。皇室は今は偉いというより象徴ですが、あの時代は偉いというように見えてしまいます。
木曽五木ですが、コウヤマキ以外は葉が似ていて、私には区別がつきませんでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月15日 (水) 18:41

★佐平次さま

中津川宿をご存じなので、「すや」も。
看板が右から読むようになっていて、知らないとやす屋になるところでした。
幕末、国学が盛んだったという趣のあるどっしり感のある宿でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月15日 (水) 18:44

★matsubaraさま

時間の関係でとても苗木城に行けませんでしたが。行ってみたいです。
岐阜のマチュピチュとは驚きです。
検索したら本当にマチュピチュのミニ版に見えました。
森家脇本陣跡は立派な資料館になっていますね。
「すや」「川上屋」の前を通りました。
駅の横のにぎわいプラザで数軒の栗のお菓子屋さんのが並んでいましたので買いました。上品で美味しかったです。
夜明け前はとても厚い本で結構時間がかかりました。すっかり忘れていました。
木曽五木も実際に葉を見てコウヤマキ以外は似ていて区別が出来ません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月15日 (水) 18:59

tonaさん、おはようございます♪
きんつば、美味しそうですね。
私は12年の秋に、ツアーで妻籠と馬籠宿に行った時、
栗きんとんをお土産に買って帰りました。
一里塚はまだ見たことがありません。
昔の旅人はこれで道のりを知り、
木の下で一休みをして、安らぎを得たのでしょうね。
日本のマチュピチュは竹田城だけではなかったのですね。
「岐阜のマチュピチュ」にも興味を惹かれました。
中津川宿に行くのを前に、『夜明け前』を読まれたとは素晴らしい。
島崎藤村は太宰に出会う前までは一番好きな作家でしたが、
『夜明け前』だけは読んでいません。
お父さんが国学に陶酔した人だということは
何かで読んで知っていました。
藤村がキリスト教主義学校の明治学院に進学したときは
すごくショックを受けたという話も聞いたことがあります。
廃仏毀釈は坂東33観音巡りをしている時知りました。
昔の歴史の教科書ではあまり触れられていなかったのでしょうか。
中津川宿の町並みも素敵ですね。機会があったら訪ねてみたいです。
帰りはあずさ32号でしたか。
結婚してからは車ばかりで、もう50年近く乗っていません。
駅弁を食べながらのんびりと旅行したいです。

投稿: hiro | 2020年1月16日 (木) 09:37

中津川はうだつのある古い家が数多く残っているのですね。中津川:栗きんつば、天空の城
苗木城跡はじめ山城が有名。
うだつのある風景、川越でも見られます。
生活上の一つのステイタスの現れだったののですね。栗キンツバの食感がまたたまらない。
 岐阜のマチュピチュと言われるだけあって山間部の古い町として残っているのですね。
 本陣が一番高いところにあり桝形の道とはよく考えたものです。

安曇野の釜めし、おいしそう。
井筒ワインは有名。安価でもおいしい。

投稿: 夢閑人 | 2020年1月16日 (木) 21:58

★hiroさま

こんばんは♪
栗きんつばも栗きんとんも贅沢で美味しうございました。
馬籠・妻籠に行ってもあるのですね。
街道沿いの銘菓を買ってはこの頃食べています。歩くのに力が入りましね。
一里塚は殆どなくなっていましたが、前回のあたりはたくさん残っていて感動しました。
松並木も日陰を作って旅人を暑さや寒さから守ったのですね。
藤村の父はいろいろと裏切られたように感じて国学一筋の道を断念し、気持ちがおかしくなっていったのが、時代とは言え可哀想な展開でした。
国学や廃仏毀釈は確かに教科書に出ていましたが、理解していませんでした。ま、今になってわかって良かったです。そんなことが毎日のように押し寄せます。
私は中央線の沿線に住んでいてもあづさ(梓)やかいじ(甲斐路)に殆どこの頃載っていません。東海道新幹線ばかりに奉仕しております。中山道も塩尻あたりに行くと中央本線で帰れると思います。その後は長野新幹線かしら。ずっと先の話になります。
確かに電車の駅弁美味しいし、寝たり食べたり、読んだりと車とは違ってのんびりですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月16日 (木) 23:07

★夢閑人さま

中津川は立派な宿場町が残っていて、本陣が一番高い位置にあって、宿の両方にある川の氾濫から守られていたとは。そして枡形にしてより安全にしていたのですね。
川越街道の川越も確かに立派です。数回行きましたが魅力あります。

苗木城址は初めて知りました。
竹田城址も行きましたが、サイトで見ますと。苗木城はよりマチュピチュに似ています。
本物を見たのでこれも見たいと思いました。
安曇野の釜めしは食べなれたおぎのやのより美味しく感じました。
ワイン、確かに安価で美味しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月16日 (木) 23:19

うだつが上がらないとは言いますが
今の若い人は、「うだつ」なんて知らない人が多いでしょうね。
今度息子たちに聞いてみようかと思います。
またエラそうにって嫌がられるでしょうがw

投稿: zooey | 2020年1月16日 (木) 23:42

こんにちは。とても勉強になる解説でした。廃仏毀釈などテスト対策で覚えたものですが、その背景などわかっていませんでした。『夜明け前』は若い頃読んだのか読んでいなかったのか記憶が定かではありませんが、『木曽路はすべて山の中である』はしっかり覚えています。馬籠に藤村記念館がありました。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年1月17日 (金) 08:48

★zooeyさま

うだつという言葉は、私は社会人になってから知りました。
息子さんたち、ご存じかもしれませんね。
楽しみです。
その代わり、私は若い人が知っている豊富な言葉、まるで分らなく外国に行った感じです。
もう頭に入ってこないのですね。自分がかつてした勉強の延長の言葉しか入らないです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月17日 (金) 08:54

★多摩NTのの住人さま

こんにちは。
私も恥ずかしながらずっと知らないで来ました。
ここに行ってよかったです。
その他幕末のこと、もう少し整理できればいいのですが、フランス革命同様あまりに複雑で全然理解出来ていません。
馬籠・妻籠で藤村関係を見てこようと思っています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月17日 (金) 14:50

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