« 中山道11 大井宿~中津川宿(1) | トップページ | 中山道11 大井宿~中津川宿(3) »

2020年1月10日 (金)

中山道11 大井宿~中津川宿(2)

◆大井~中津川

馬頭観音がまだまだあります。
1_20200110194701

恵那駅から明智駅まで約25㎞の明知鉄道の高架をくぐるが、ずいぶんと低く背の高い人はぶつかりそう。終点明智駅には明智光秀が生まれた明智城址があるようだ。乗りたくなる、にわか鉄女です。
2_20200110194701

寺坂の上宿石仏群。中津川までのこの区間には石仏群が多いと聞く。左から3番目は痰切地蔵で風邪を引いたらこの地蔵様を拝めということで、風邪の大家なので撫でて拝む。(しかしその後また引いてしまった、涙)
3_20200110194801

街道をちょっと脇道に入ると旅人の墓がある。中山道を旅する途中、大井宿で亡くなった人たち60余基を埋葬していて4人が女性。(旅人には圧倒的に男性が多かったということでしょうか?)
4_20200110194901

また石塔群があり、一番右は3.6mもある背の高い長石塔だ。大井宿の長国寺和尚が村内安全を祈願し、延宝8年(1680)に建立したもの。かなり古い。
5_20200110194901

蓮花寺坂を上ったところに明治天皇行在所碑がありその先に関戸一里塚跡(87里目)がある。
6_20200110195001

甚平坂石仏群の近くに虵塚(蛇塚)がある。蛇とは!
7_20200110195001

根津神社に上がっていくと本殿の後に宝篋印塔があるが、これは根津甚平のお墓だ。
8_20200110195101
9_20200110195101
根津甚平とは、源頼朝の御家人で信州の人と言われ、鎌倉幕府に怪鳥(キジ)退治を命じられ、馬に乗り、勢子と犬と鷹を連れ、怪鳥を追い、この坂に追い詰めた。しかし甚平と馬はここで倒れ、犬と鷹はなおも追い続けたが、犬は日吉(現瑞浪市)で倒れ、怪鳥は消えた。里人はこの坂に馬と犬を葬ったのだそうだ。
犬塚と馬塚
10_20200110195101
11_20200110195201

甚平坂のピークに甚平坂公園があるが、本来はここから御嶽山が見えるはずであるが、残念ながら見えず。広重の「大井宿」の絵はその(1)に掲げたマンホールでも見たが、雪景色のここ、甚平坂と遠くに御嶽山が描かれているのであった。
13_20200110195201

岡瀬沢庚申塔。岡瀬沢では庚申講がとても盛んで、庚申の日に講元の家に集まり青面金剛の掛け軸をかけて、お茶飯と汁、漬物の夕食を食べて夜が明けるまで話をしていたのだそうだ。   
12_20200110195301

岡瀬沢の常夜燈。左が静岡の秋葉山に通じる道と刻まれている。
14_20200110195301

社宮司跡。おしゃもじ様などとも言う。検地で使用した縄や尺杖を祀る。檜の根元には金神と氏神が祀られている。
15_20200110195401

広久手坂の標柱から下ると三面八臂の馬頭観音。大変珍しい。弘久手の「久手」という名前は湿気が多い土地ということ。小牧長久手の戦いの長久手もそうなのでしょうか?
16_20200110195401

中津川市に入った。マンホール(中津川市の坂本地区)。シデコブシとハナノキが描かれる。
17_20200110195501

リニアの町の看板があって、少し先の北にJR美乃坂本駅があり、そのあたりがリニア岐阜県駅予定地だそうだ。
お昼はお店がなく、ファミマがあるという下調べで、イートインに。ミートソース、海老とブロッコリーのサラダと飲み物の昼食。

秋葉道との分岐にまたまた常夜燈があり、その先の篠原茶本陣は明治天皇、和宮も休憩されたところ。
18_20200110195601

長連寺薬師堂跡、白木改め番所跡、茄子川村の高札場跡、坂本観音堂を通り過ぎる。
またまた石造物や馬頭観音が並んでいた。
19_20200110195601
20_20200110195701

三ツ家の一里塚跡(86里目)。塚は昭和35,6年ころまで残っていたそうだ。
21_20200110195701

将監塚。二代目美濃代官を(1613~1631まで)務めた岡田将監善同(しょうげんよしあつ)の墓である。名古屋城築城の際、木曽材持出奉行として駐在していた。その子の善政は江戸城本丸用に木曽材1万本を伐出している。それほど木曽材は重要視され、高額資材だった。
22_20200110195801

三面八臂の准胝観音(左)と一面六臂の馬頭観音(右)。このような石仏を眺めていると飽きない。自分ではとても彫れない。
232

恵那山ちらちらと見えていたが、 ドーンと現れた。恵那山は岐阜県中津川市と長野県阿智村にまたがる、木曽山脈(中央アルプス)の最南端の標高2191mの山である。 日本百名山及び新・花の百名山に選定されているとのこと。花の咲く季節に登ってみたいなあ!
24_20200110195901

指さし道標があった。「新国道美乃坂本駅ヲ経テ大井町ニ至ル」「旧国道大井町ニ至ル」と刻まれている。
25_20200110200001

坂本神社八幡宮の大木に絡んでいる黄色い実は何でしょう?カラスウリより大きく初めて見る実だ。キカラスウリでした。ポージィさん、ありがとうございました。
26_20200110200101

六地蔵石幢。石柱の六面にお地蔵様が刻まれていてとても珍しい。大林寺の入り口としてだけでなく、極楽往生や道中安全を願ったという。
27_20200110200101

またいろいろな石造物を見て、中津川市の別のマンホールを発見。おいでん祭りで踊られる風流おどりと市の花のサラサドウダンが描かれている。
28_20200110200201
もう一つも見つけた。市の花サラサドウダンだけのデザイン。
29_20200110200301

また恵那山の風景。広重の69次の中津川宿の絵には2種類ある。「晴の中津川」と「雨の中津川」で雨の方は世界に6枚しかないと言われる。その雨の方の絵がこの辺りから描かれた風景という。
30_20200110200301

(続く)

 

|

« 中山道11 大井宿~中津川宿(1) | トップページ | 中山道11 大井宿~中津川宿(3) »

コメント

こんにちは
 
中津川は地名としてはよく目にし耳にしますが、何も知らない
ことに改めて気づきます。
 
明知鉄道の高架は高架とも言えないほどの高さで何だか可愛いですね。
この下を潜っているときにちょうど電車が通ったら轟音やいかほどに?
明知鉄道というのも初めて知り、どんな車両なのか見てみたく
なりました。
それにしても本当に石塔が多いですね。そしてずらりと並んだ
旅人のお墓にもちょっと驚きました。旅の途中で亡くなった方
全員分でもないでしょうけれど、手あつく葬られたのですね。
 
大木に絡んでいた蔓の実は、もしかしてキカラスウリの実
でしょうか???
ドーンと姿を見せてくれた恵那山。どっしりした姿ですね。
標高2000m超の日本百名山であり、花の百名山にも選定されているとは
魅力たっぷりの山なのですね。

投稿: ポージィ | 2020年1月11日 (土) 15:40

★ポージィさま

こんばんは。
私も中津川については他にいろいろ知りました。それは次の項、宿についてからに記したいと思います。
あいにく明智鉄道の電車を見る事が出来ませんでした。見られたらどんなに良かったことでしょう。

そうなのです。ここに全部載せていたら、いっぱいなので省略しましたが、石造物だらけでした。
ポージィさん、そうです、そうです。キカラスウリです。キカラスウリというのがあったのですね。有難うございました。後ほどメールでアップを送ります。

恵那山、見上げるような山でしたので調べたら2000mを越えていました。2000mを越えると存在感が凄いです。もう登れないと思いながら、やはり登りたいと思いました。お花があるということで余計です。
まあ欲張ってはいけませんね。体がついて行かなくなったのですから。
コメントありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月11日 (土) 20:15

塚や仏像や観音様、道中の人はこういうのを眺めて小休止したり思いを遠くに馳せたりしていたのでしょう。
なにかほのぼのとします。

投稿: 佐平次 | 2020年1月12日 (日) 10:25

★佐平次さま

地元で作って拝んだ人と旅人、ともに同じ思いを馳せたことでしょう。
今の私、あまり旅人とは言えませんが、道筋の石造物にはずっと癒されてきました。滋賀県のお地蔵様、岐阜県の馬頭観音様がこころにずっと残りそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月12日 (日) 13:23

tonaさん、こんにちは~♪
ほんとにこの区間は石仏群が多いですね。
街道を行き交う人々の安全や供養のために建てられた
ものだと思いますが、歴史の重みが感じられます。
根津甚平のお墓を拝見して、こんなところにと思いましたが、
私が知っていたのは真田十勇士の根津甚八でした。
甚平も信州の人だったということは、元をただせば同じ一族の可能性も…
「恵那山」には私も登ってみたいですが、標高が2191mもあるのですね。

投稿: hiro | 2020年1月12日 (日) 15:07

★hiroさま

こんばんは♪
まだまだたくさん石仏を撮りました。凄い数ですね。
東海道では街道筋の石仏がお寺の隅に積み重なるようにありましたので、どちらの街道にもたくさんあったのですね。中山道のここ岐阜県には街道に残っていて、この先木曽はどうでしょうか、楽しみです。
そうそう、根津甚八と間違えやすいですね。幸村の影武者として討ち死にしたのでした。同じ一族だったかもしれない説、その通りだと思いました。
恵那山、登りたいですね!!
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月12日 (日) 19:15

岐阜にいますのにどこも知りません。
犬塚、蛇塚、馬塚の存在も知りません。
庚申塔は関東しかないと思っていたのに・・・

マンホールもけっこう面白いですね。

毎日寒いのにお元気でウォーキングとは、
素晴らしいです。

10年位前中津川に行きました時、天候が悪くて
恵那山が撮れなくて残念でした。

恵那は人間の胞衣から由来しています。
エナ、つまり内臓です。それも山には
天照大神の内臓が葬られていることが
由来しています。


投稿: matsubara | 2020年1月12日 (日) 19:59

★matsubaraさま

宿の名でマンホールがあるのは珍しいですね。大抵は市や旧町の名前が入ったものです。

恵那山の由来教えていただいてありがとうございます。山頂には奥社があるのですね。
ウェストンが開いたとか。本当はお花の咲く時期の夏に登りたいですが、2000mを越すのは無理になりました。ガイドをつければいいですがそれは贅沢なことで出来ないことです。
ありがとうございました。

に天照大神が産まれた時の胞衣 (えな) を納めたという

投稿: tona | 2020年1月12日 (日) 21:13

新しい年になってそろそろ2週間、
すっかり出遅れてしまいました。
お加減がお悪かったそうですがもう大丈夫ですか。
どうぞお大事になさってください。

中山道では馬頭観音の数が多いですね。
それぞれに歴史があって街道を往来する人々を見守っていたことでしょう。

マンホールの蓋を観ることも、歩く途中の愉しみのひとつですね。
四日市市のマンホールの蓋には
市の花、サルビアの描かれているものもあります。

明智光秀の母の墓を見たことがありますよ。
こんもりした場所にひっそりと建っていました。
明智鉄道沿線のどこだったかなあ、かつてのブログにアップしていたのですけどね。
今年は大河ドラマの主人公ということで
ゆかりのある場所では活気が出ることでしょう。

先日、ローカル番組で飛び出し坊やの看板について話がありました。
もともとは岐阜県の大野町(揖斐郡)の中で建てられたのですが
いまでは各地に広がったということでした。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年1月13日 (月) 15:36

★Saas-Feeの風さま

ありがとうございます。
風邪ばかり引いておりました。もう3回もです。我ながら免疫低下に情けなくなっております。万病のもとですから一応オーバーに閉じこもっておりましたが、いずれも治りが早く、こんなことでも嬉しい限りです。

いやはや馬頭観音様を一体いくつ見たでしょうか。そして石仏群もたくさんです。
マンホール、市や町の謂れがあって街道歩き以来楽しんでいます。
明智光秀の母のお墓を明智鉄道沿線でご覧になったのですね。
今年は岐阜県内でもあちらこちら光秀関係の場所がにぎやかになることでしょうね。

飛び出し坊やは滋賀県と聞いていたのですが、岐阜県だったのですか。
今回ももういないかなあと探しましたが1つだけあったような気がします。
色々いつも教えていただきありがとうございます。

投稿: tona | 2020年1月13日 (月) 16:25

こんにちは。明知鉄道は私も乗ってみたいです。御岳山は残念でしたが、次の機会ですね。恵那山が綺麗に見えて良かったです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年1月13日 (月) 16:56

★多摩NTの住人さま

この日は曇りだったのですが、恵那山の雲が切れて眺められてラッキーに思いました。
明知鉄道、今年は乗る人が多いでしょうか。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月13日 (月) 18:59

街道筋には、庚申塔、馬頭観音、地蔵、その土地に関係する人たちの墓、
或いは宿場で倒れた旅人たちを哀れみ、手厚く葬った墓などあります。
その土地の信仰の深さがわかります。その人情には感銘を受けます。
もともと人情深い日本人にとっては当然のことだったのかもしれません。

 旅するとき、土地の風景、食事もさることながら、マンホ-ルを見るのも楽しみの一つです。
その土地の行事、名産品、シンボルの花や鳥など、宣伝も兼ています。
私も今まで沢山見ました。記録に残っています。一つ一つに思い出があります。

 また一里塚や、跡。常夜灯。これらは旅人にとって旅の状態を知り、また道しるべと
なったことでしょう。街道筋には沢山の歴史が刻まれています。

 ゆっくりと歩きながら古を見聞する。人間もたまには振り返ることも大事です。

投稿: 夢閑人 | 2020年1月14日 (火) 12:59

★夢閑人さま

人情深い日本人、これは外国に行くとあちらの方が人情がないというわけではありませんが、考え方の違いにこのことが日本人に顕著と感じられます。
悪人も時代劇にはたくさん出てきますが、それは一部、この道端の供養塔などを見ますと優しさを感じますね。
夢閑人さんもマンホールを記録にもされたのですね。全くおっしゃる通りです。
街灯もなく、正確な地図もなく、初めての土地はこうした一里塚や常夜燈のお陰を頂いたわけですね。
>ゆっくりと歩きながら古を見聞する。人間もたまには振り返ることも大事です・・・・
なんていいお言葉でしょう。
すべて代弁していただきありがとうございます。

投稿: tona | 2020年1月14日 (火) 16:08

こんばんは(^o^)/!
中山道歩き、もう中津川まで歩かれたのですね。中山道と聞きますと、どうしても”木曽路”のイメージが強く、それより西の京都方面の中山道は全く知りませんでした。
御嵩宿以降の細久手宿・大湫宿・大井宿は名前すら初めて聞きました。準地元の地域でありながらお恥ずかしい限りです (^_^;;アセッ!

各々のブログ記事と写真を拝見し、「古の街道や史跡をこれほど大切に残しているんだ。今まで行かなかったことがちょっと残念だな!」と思うばかりでした。

中津川を過ぎると、いよいよ木曽路。島崎藤村の”夜明け前”の冒頭「木曽路はすべて山の中・・・」にもありますように、アップダウンがきつい街道になるかと思いますが、元気に歩かれるよう、願っています。

投稿: 慕辺未行 | 2020年1月14日 (火) 23:44

★慕辺未行さま

おはようございます。
今頃はもう通勤でいらっしゃるでしょう。お忙しい中、コメントありがとうございます。
中山道も御嵩宿以降、山の中の道で随分一変しました。
尾張藩の管轄地域で木曽は木の管理が厳重になされていたのですね。そういうわけで、お宅の方から比較的近い地域です。中央本線で名古屋から来た地域です。
そうなのです。これから木曽路、夜明け前の世界です。そのことをここへ来て初めて認識いたしました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月15日 (水) 08:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 中山道11 大井宿~中津川宿(1) | トップページ | 中山道11 大井宿~中津川宿(3) »