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2020年1月24日 (金)

京街道(1)髭茶屋追分~伏見宿~淀宿(前編)

1/16(木)に中山道木曽路はかなり寒そうなので、京街道を歩き始めました。ちなみに大阪からは「京街道」、京都からは「大坂街道」と呼ばれるが、地元で呼び習わされてるのは「京街道」ということばである。
東海道五十三次の延長で4宿を加え東海道五十七次です。

京街道は豊臣秀吉が伏見城築造のため淀川左岸に築かせた文禄堤が起源と言われる。
江戸時代東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見、淀、枚方、守口の4宿が設けられた。幕府は大名が京都で公家と接触するのを禁止したため、参勤交代の大名行列もこの道を通った。ただ、伏見から大阪に下る旅人は三十石船を利用し、宿には泊まらず、宿泊客は大坂からの上りの客だったそうだ。

のぞみ東京6:15発→京都8:26着。東海道線で山科へ、京阪に乗り換え、追分駅8:55着。

◆髭茶屋追分~伏見

駅を出ると、蓮如上人塚と追分道標がある懐かしい髭茶屋追分に出た。写真に写っていなかったが右側が京都三条大橋へ、左側がこれから歩く京街道伏見方面だ。昔この分かれ目に茶屋があったようだ。
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東海道や中山道と違って街道の標識は一つもないので、このあとマップの地蔵印がとても役に立つことになる。京都市に入っているわけだが、小さな地蔵堂にカラフルに塗られた地蔵が続くのです。
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街道の様子
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「牛尾山道」の道標。清水寺の奥の院の牛尾山法厳寺への道。
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木の切り株と「皇塚」(おおつか)と彫られた碑がある。大塚という地名の由来になったそうだ。ここに古墳があったそうだ。
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岩屋神社の鳥居がある。山科一の宮。奥の山にある巨大な陰岩と陽岩をご神体として、奥の院に祀られているそうだ。
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大宅一里塚跡は、京都市内で唯一残る一里塚だそうで、大きな榎は切り株になってしまっている。
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大宅廃寺跡の標柱(白鳳時代の寺の跡で、藤原鎌足が建立した山階寺であるとの説あり)を通り過ぎ、
歓喜光寺へ。本堂は淀君が二世(現世と来世)を幸せに過ごせるよう祈願して桃山時代に建立されたもの。無数の地蔵が並んでいた。
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京都で初めてのソース会社、オジカソースの工場。
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勧修寺(かじゅうじ)へ。地名は(かんしゅうじ)と読む。
勧修寺は醍醐天皇が、母の藤原胤子(たねこ)を弔うために創建したものだが、元は宇治郡の大領であった宮道弥益の邸宅跡という。入場料400円。入口への道は長い。修理中の本堂をはじめ、観音堂、書院、弁天堂などの建物が点在する。
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宸殿。江戸時代初期の御所の建物。1697年に明正天王から下賜された。
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手すりは曲げたのではなく、このまま切り出されたものとのこと。素晴らしい!
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ハイビャクシン(ぐじゃぐじゃした枝は全部1本の木で樹齢750年)。
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その右にある灯篭は水戸光圀公の寄進で「勧修寺型灯篭」という。
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88の霊石が埋められていて一周する八十八カ所巡りができるという四国八十八ヵ所巡りをやってみる。もう四国八十八ヵ所巡りは出来ないから。
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氷室池。庭は池を中心にした池泉庭園となっている。蓮池で夏は素晴らしいでしょう。
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ボケ
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明智光秀の胴塚に寄る。昨年歩き始めた追分から京都へ進んだとき、明智光秀の首塚を見た。
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昼食は京都でありながら、江戸前寿司であった。既にイカを食べた後に撮影。
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宮道(みやじ)神社。日本武尊と子の稚武王(わかたけのみこ)を祀っていて、二所明神とも言う。子孫と言われる勧修寺の邸宅跡の持ち主・宮道弥益(いやます)の娘・列子が藤原北家の流れを汲む内大臣藤原高藤に嫁ぎ、生まれたのが宇多天皇女御、醍醐天皇生母となった胤子である。この列子の話が玉の輿第1号のようだ。この神社に弥益から列子、高藤、胤子まで合祀されている。宇多天皇と言えば世界遺産の仁和寺です。
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1㎞以上歩いていくと、醍醐天皇御母(胤子)小野陵がある。宮内庁の管轄で立派なお墓である。
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虫籠窓の古い家。
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着色したこんな地蔵も。
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JR奈良線の跨線橋を越え、京阪本線の手前の墨染駅の手前の藤森神社へ。伏見区の深草にある。菖蒲の節句発祥の地であり、紫陽花が有名だそうだ。
石造りの鳥居に後水尾天皇の筆による額がないのは近藤勇が外したそうだ。西国大名の参勤交代の道筋で、神社前を通る時、駕籠を下りて拝礼しなければいけなかったので、幕末の動乱時代、悠長なことは時代にそぐわないということで。
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蒙古塚。蒙古の大将の首が納められている。
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重要文化財の本殿は足利義教公(室町時代第6代将軍)が造営したと言われる。
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この街道も歴史上の様々な人物が出てきて興味深いです。

 

 

 

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コメント

勧修寺には、行ったことがあるような気がします。
蓮如上人の「人」だけ、欠けていたのか、目立ちますね。

投稿: 佐平次 | 2020年1月24日 (金) 10:09

こんにちは
 
「京街道」というのを初めて知りました。東海道五十三次に続く
四宿の道なのですね。京都と江戸で道がぶつっと終わるわけでもなし
その先の道に名前が付けられていて当然なのでしょうけれど。
やはり京都に近いと由緒歴史のある立派なお寺など多いですね。
虫駕籠窓のある古いお宅も立派ですね。虫駕籠窓という名前は
初めて知りました。明かり取りや通風のための窓なのですね。
着色されたお地蔵さんは、最近の色着けに見えますね。
風雪にさらされ顔形がはっきりしなくなって、色を塗り
線を描いたのかもしれませんが、ちょっとなぁ…と拒絶感が
働いてしまいます。すみません。

投稿: ポージィ | 2020年1月24日 (金) 10:22

★佐平次さま

有名な勧修寺、いらしたそうで、よりまた親近感が湧きました。
皇室ゆかりとは知りませんでした。
蓮如上人塚のような補修をしているのは初めて見ました。歩き始めからおかしかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月24日 (金) 13:42

★ポージィさま

こんにちは。
まだ京都市内なのですが、古墳や皇族のお墓やお寺まで出てきて、由緒ある所を巡りました。
勧修寺は特に長居したいお寺でした。
虫籠窓は開け閉めが出来なくて、低い二階にあるとか。中山道の旧宿場にもあったように思います。
おっしゃるように、お地蔵様は風化して色を塗ったのが多く、ただ石だけの状態に涎掛けををしているのも多かったです。ところ変わればですね。覗くのは楽しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月24日 (金) 13:54

3月に妻籠から馬篭まで,雪の中を歩いたことがありました。
半世紀も前のことです。

一転,京街道ですか。
別の楽しみができました。
勧修寺に知人がいるのですが,
お寺の名前が「かじゅうじ」とは知りませんでした。

投稿: gaki | 2020年1月24日 (金) 15:19

★gakiさま

半世紀前は馬籠、妻籠はだったのですね。
今年もそう思ったのですが、聞くところによりますと雪がまだないそうです。でも寒そうですね。
お寺の名前と町名が違うのが面白いですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月24日 (金) 16:35

寒さにめげないで街道歩きをされているのですね。
娘さんと一緒では楽しみも増えますね。

勧修寺だけ行ったことがあります。
もう35年も前のことになります。

西国札所であったような・・・
続きが楽しみです。

投稿: matsubara | 2020年1月24日 (金) 19:41

★matsubaraさま

歩いていますと寒い日でも丁度良い状態になります。ただ外で食事は冷えます。
勧修寺は門跡寺院の一つなのですね。
ただ塀に筋が入っていませんでした。
西国札所とは知りませんでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月24日 (金) 20:12

冬の間は中山道木曽路歩きは無理だと思ってましたら、京街道なんて言うのがあって
東海道五十三次の延長で4宿を加え東海道五十七次の事を言うのですね。
この街道も歴史にゆかりのある場所が多いようですね。

勧修寺は立派なお寺ですね。
明智光秀の胴塚とは胴体が埋められたと言う事でしょうか。
次回も楽しみにしております。

投稿: ラッシーママ | 2020年1月25日 (土) 14:11

tonaさん、こんにちは~♪
中山道の街道歩きを中断されている間にも、鎌倉を歩かれたり、
ブロ友新年会でもいろいろな所を歩かれ、
そのフットワークの軽さに感心するばかりです。

今回からは「京街道」を歩かれるとのこと。
この街道の4宿を加えると、東海道五十七次になるそうですが、
初めて知りました。
お地蔵様のペンキを塗ったような白さにはビックリしました。
おしろいぐらいなら可愛いのですが・・・
明智光秀は遺体をバラバラにされて埋葬されたのですね。
反逆者なので仕方ないのかもしれませんが、可哀そうな気もします。
樹齢750年のハイビャクシン、虫籠窓の古い家、
歴史上の人物の名前が次々と出てくるのも興味深いです。

投稿: hiro | 2020年1月25日 (土) 16:00

★ラッシーママさま

京都に入りましたので、お寺や神社、歴史上の人物が沢山出てきて、さすが長い首都圏であったところと思います。

勧修寺は門跡寺院で立派でした。
建物も、庭もです。今は冬枯れで池がきれいでありませんがかすの咲く頃は素敵でしょうね。

光秀の首の方は家来が首だけ前回の京都外れまで持ってきて埋めて自身はこと切れてしまったそうです。胴体はその由来が書いてありませんでした。お墓は琵琶湖の西教寺にありますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月25日 (土) 19:18

★hiroさま

こんばんは♪
今年の1月は順調に体が動いて有難いです。
私も東海道を歩いているときに五十七次を知りました。
お地蔵様によっては稚拙でドキッとする色合い、この辺りのは他と違いますね。
びっくりですよね。
光秀はいろいろな説があってわかりずらいですが、たとえ言い伝えにしても、体がばらばらになったことは気の毒な最期とともに反逆者の汚名まで着せられてお気の毒なことと感じ入りました。今に生きていたら優秀でどんな道を進んでいたでしょう。
ハイビャクシンというのは横に伸びるのだそうですね。
虫籠窓の家、いいですね。すっかり気に入りました。有名な人が続々です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月25日 (土) 19:38

東海道57次という言葉は聞いたことが有りましたが
詳しく知らずこちらでそういう路なのかと知りました。
勧修寺にはこの同じ時期に行ったことがあり、やはり赤いボケの花が咲いていました。
入り口に続く白壁の道や宸殿の格子の壁が印象的でした。
そして水戸光圀寄進の灯篭などあった、あったと思い出しています。
京都という事で知っているお寺や有名人の名などが次々で一層興味深く
次もたのしみにしております。

投稿: ビオラ | 2020年1月26日 (日) 12:49

所変われば地蔵も変わる。面白いですね。
京街道、大阪街道とややこしいですね。
 京都でも江戸前寿司。そもそも江戸東京湾で摂れる魚を使うから江戸前だ。今寿司と言えば江戸前と呼ぶのが普通になりました。
まあ名前はどうでもいいです。おいしければいいんです。
 もうボケが咲いてるのですね。
一月もやがてお終い。日も少し長くなりました。明日昼から雪らしいですね。
寒い日が続きます。お体に気を付けてお過ごしください。

投稿: 夢閑人 | 2020年1月26日 (日) 17:09

★ビオラさま

まあ、勧修寺にいらっしゃっているんですね。
皇室に関係するお寺で門跡寺院、立派です。
同じ時期だそうでボケまで覚えていらっしゃるとは、記憶力がいいですね。
御嶽宿にあった竜安寺の庭を造った人がそれ以前にお庭を造ったというお寺の塀が同じようで似ていましたが、もうお寺に名前が出てこないという頭になりました。
最初は京都府の山科から歩き始めましたが、この辺りは京都市でも大きな伏見区を歩いています。次々とお寺が出てきて、もう覚えられないので有名なお寺だけ覗いています。
寄り道したいところも厳選して。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月26日 (日) 20:33

★夢閑人さま

東京などに地蔵様を見ていますと京都のこの辺りの地蔵様は独特ですね。街道では石造の中で地蔵様が一番多いでしょうか。
お寿司、京都のも大坂寿司も好きですが、お店がここしかありませんでした。慣れているので美味しいし、大きかったです。

ボケの花、この辺りはロウバイと並んで元気咲いていました。
明日は積もるでしょうか。電車もストップしたりして。
夢閑人さんもお風邪などひかれませんように、お気をつけください。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月26日 (日) 20:42

こんにちは。そうか、東海道53次は京都まででしたね。京街道は知りませんでした。歴史的には様々なことがあったので、見るものも多いですね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年1月27日 (月) 08:56

★多摩NTの住人さま

これから先、どんなか全然知識もなく歩き始めましたが、お寺などが多くなりました。中山道に比べてですが。滋賀県の東海道にはたくさんありましたが歴史的に有名なのはその割には少なかったです。
コメントありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月27日 (月) 13:48

京街道とは知りませんでした。
京都は今、外国人観光客で凄いことになっているようですが(新型肺炎騒ぎでこれから少々変わりそうですが)
tonaさまが歩かれる所は人の姿もあまり見えないようですね。
この先を楽しみにしています。

投稿: zooey | 2020年1月27日 (月) 20:08

★zooeyさま

京都は日本人が宿泊するホテルなどがあまりなくて、日本人は京都に泊まれなくなったそうですね。しかしこの騒ぎの他、隣国人が使い方があまりに汚いのやらうるさいのやらでホテルなどお断りするところが出てきたそうです。
他の観光地は中国人の観光客のキャンセルがこれから先も続きそうで困っているところが多いとニュースで言っていましたね。

なるほど、写真を見ましたら人が藤森神社以外、街道にも見当たりませんね。勧修寺でさえ他に3人しかいませんでした。
ありがとうございます。

投稿: tona | 2020年1月27日 (月) 20:55

前半部でご紹介の地域についてはまったく歩いたことが無いのですが
勧修寺は旧奈良街道を歩いた時の出発点でしたので
たくさんの写真を撮っておりました。
確認しますと2008年12月17日のことでした。
ハイビャクシンには“偃柏槙 大きな一面一本の木であるとか樹齢750年である”とか
そんなことが書かれていました。
今はその説明書きが無いようですね。
勧修寺型灯篭にも「水戸灯篭、雪灯篭とも呼ばれる」など、同様の説明書きがありました。
その近くに“臥竜の老梅”と呼ばれる江戸時代に京都御所から移植された白梅がありましたよ。
父、子、孫の三代の梅が並んでいました。
明智光秀の胴塚のことは知りませんでした。

勧修寺の後は随心院、醍醐寺、金剛王院、法界寺、明治天皇伏見桃山稜を経て、ゴール地点の伏見桃山城へと歩きました。

藤森神社は大和街道を歩いたとき、途中で参拝しました。
2009年6月11日、ちょうどあじさいまつりの時期でした。
このときは城南宮がスタート地で途中、安楽寿院、墨染寺、欣浄寺、藤森神社、深草北稜、瑞光寺、伏見稲荷がゴール地でした。
藤森神社では、近くにお住いのブロ友・“マロニエのこみち。。。”さんと待ち合わせてお会いしました。

もう11-12年前のことになりますが、ご紹介の記事で懐かしく思い出しています。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年1月29日 (水) 15:28

★Saas-Eee風のさま

私より11年以上も前に歩かれていらっしゃるのですね。
説明書きあったのですが当時と同じでしょうか。
入場料払ってもチラシはありませんでした。普通はありますけれどね。
臥竜の老梅ありました。
親の樹齢は300年でもう枯れてしまっており、子も花はちょっとしかついていなかったのですが、孫の木はたくさん咲きそうです。

明智光秀は丁度大河ドラマでやっていますので、ちょっと寄り道になるのですが見てきました。ひっそりと目立たないところに。説明板もありませんでした。
勧修寺から伏見桃山城への道中、実に豪華なお寺続きでしたね。素晴らしいです。

大和街道歩きもされているのですね。
藤森神社は有名です。私の誕生日の日、紫陽花まつりの時だったのですね。紫陽花が有名とありましたから良かったですね。
ブロ友ともお会いできて楽しかったことでしょう。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年1月29日 (水) 19:16

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