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2020年2月 8日 (土)

日光街道1 日本橋~千住宿(2)

◆浅草から千住へ

浅草寺の横から出ると街道に戻り、姥ヶ池跡がある。明治24年まで大きな池があった。
このあたりに娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりになって、天井から吊るした大石の下敷になって死んだ。それを悲しんで悪業を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てたので、里人が姥ヶ池と呼んだという。鬼子母神みたいな話である。
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助六歌碑もあった。助六を演じた九世・市川團十郎の歌を刻んだ碑だ。
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江戸猿若町市村座跡碑。老中水野忠邦の天保の改革で、江戸市中にあった芝居小屋が猿若町に集められた。
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待乳山聖天に寄り道。入り口に池波正太郎生誕の地の碑もある。
左下に見えるのはお供えの大根売り場である。
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大根と巾着の印。大根は身体健全、夫婦和合、巾着は財福の功徳を表わしたものとされる。
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歓喜天地蔵は数度の火災に遭い、その尊容をとどめていない、子育て地蔵。
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築地塀は江戸時代の名残をとどめる唯一の文化財。広重の錦絵に描かれている。
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山谷堀公園には猪牙(ちょき)舟の浮世絵があった。江戸時代、市中の水路に使われていた、船首が細長くとがった屋根のない舟。語源は舟の形が猪の牙に似ているからなど諸説ある。山谷堀をこの舟に乗って吉原へ遊びに行くのは大変贅沢であったと。
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今戸神社にも寄る。沖田総司終焉碑があり、今戸焼発祥、招き猫発祥の地。
源頼義・義家父子が、勅令によって奥州の夷賊安部貞任・宗任の討伐の折、京都の石清水八幡(行ってきました)を勧請したのが始まりと云われている。
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新選組の沖田総司は幕末の御典医・松本良順の看病を受けたがここで亡くなった。
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招き猫発祥の地と言われ(豪徳寺かと思っていた)、猫があちこちに。そして干支のネズミの前に本物の白猫が!
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春慶院には高尾太夫の墓があった。
仙台藩主伊達綱宗の意に沿わなかったため惨殺された、新吉原の名妓二代目高尾太夫である。
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東禅寺。江戸六地蔵の一つがある。
宝永から享保にかけて江戸市中の6箇所に造立された、丈六の銅像地蔵菩薩坐像。六街道にあり、旧東海道(品川寺)、東禅寺(奥州街道・日光街道)、太宗寺(甲州街道)、真性寺(旧中山道)、霊厳寺(水戸街道)、千葉街道のは現存しない。見たのは東海道・品川寺のとここの2つだけある。
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駿馬塚。義家が陸奥へ向かう際、此の地で愛馬 「青海原」 が絶命し、これを葬った所。
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泪橋(小塚原刑場に引き立てられる罪人と身内の者がここで泪の別れをしたという)交差点を通り過ぎ、南千住駅高架を通り過ぎたところに、小塚原刑場跡がある。南の鈴ヶ森刑場跡(旧東海道)に対する北の小塚原刑場跡である。
ここにある大きな首切地蔵は、刑死者を弔うため造立された。
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すぐ先の回向院では杉田玄白らが刑死者の腑分けに立ち会い「解体新書」を著わした縁から観臓記念碑もあった。
ここに吉田松陰のお墓がある。
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鼠小僧、高橋お伝、腕の喜三郎の墓も。
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円通寺。
坂上田村麻呂が創建した曹洞宗の寺。金ぴかの観音様が目立つ。
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彰義隊士の墓がある。寛永寺の彰義隊士の遺体を見たこの寺の和尚が、遺骸を火葬にして葬った。
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これが縁で寛永寺の弾痕が残っている黒門がここに移されたという。
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四十八首塚、七重の塔、三代将軍家光鷹見の松もある。
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素戔嗚神社。石神信仰の神社。
小塚の中の奇岩を 「瑞光石」 と言い、この小塚から 「小塚原」 の地名由来となった小塚「瑞光石」がある。
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松尾芭蕉の碑。「行く春や 鳥啼き 魚の目は泪」。
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大銀杏のまわりにも絵馬がたくさんかけられている。
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三種類の庚申塔。左から如意輪観音が刻まれた庚申塔、聖観音が刻まれた庚申塔、青金剛と刻まれた庚申塔。
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(続く)

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コメント

ずいぶん前のこと、浅草七福神を回り始めて挫折した思い出があります。
早く飲みたかったのですね。

投稿: 佐平次 | 2020年2月 9日 (日) 10:21

こんにちは。なるほど、招き猫発祥は、豪徳寺だけでなく今戸神社もそうだったのですね。知りませんでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年2月 9日 (日) 15:59

こんにちは
 
姥ヶ池のお話は実話なのでしょうか。恐ろしく痛ましい話ですね。
何か戒めを込めた説話なのでしょうかねぇ。
 
今戸神社と豪徳寺は、招き猫発祥の地争い(?)のライバル
なのですね。
今戸神社の招き猫は手を随分高くあげていますね。
白猫の招き猫に本物の猫も白猫。ネズミがびっくりしているかも。
 
今回の記事の辺りは、幕末~維新の頃にまつわるものも
多いですね。

投稿: ポージィ | 2020年2月 9日 (日) 16:54

★佐平次さま

ヾ(☆o☆):ヲホホホホホホ・・・・
七福神巡りよりお酒の方へ心が行ってしまうかもです。お正月ですし。本当にらしいです。いいね!
いつもありがとうございます。

投稿: tona | 2020年2月 9日 (日) 20:25

★多摩NTの住人さま

私も知りませんでした。
招き猫と言えば豪徳寺です。
最近行ってないですが増えたそうですね。
コメントありがとうございます。

投稿: tona | 2020年2月 9日 (日) 20:27

★ポージィさま

こんばんは。
姥が池のお話、余り実話とは思えないのですが。でもそういった冷たい意地悪ばあさんがいたのでしょうか。姥というからには娘もそんなに若くない。でも当時は早く老けておばあさんになってしまったのですね。

ホント、今戸神社の猫は確かに上まで手を挙げています。今、家の小さな招き猫を見ましたら、手の先をちょっと曲げています。

確かに江戸時代より、幕末維新のお話が多いですね。
いつもコメントありがとうございます。

投稿: tona | 2020年2月 9日 (日) 20:37

 こんばんは。
甲州街道を歩き終えたら、日光街道を歩こうという話が出ています。
tonaさんのブログを見ると、そこここに楽しいお話が出てくる旧跡が多く、参考にさせてください。
今戸神社の招き猫大きくてユニークです。
お顔も下がり目で個性的。
このコース、チョキ舟とか、沖田総司、高尾太夫などなど、江戸文化を彷彿させ、楽しいですね。
甲州街道は何にもないです。何かを探すという意欲も失せてますが、歩くのは楽しいです。

投稿: ☆銀河☆ | 2020年2月10日 (月) 00:22

このあたりは、芭蕉庵跡しか行っていません。
こんなにいろいろあるとは知りませんでした。
江戸の遺跡をたどるのもよろしいですね。

関東大震災や大戦がありましたのに、よく
残っていますね。
次の行程が楽しみです。

投稿: matsubara | 2020年2月10日 (月) 08:16

★☆銀河☆さま

甲州街道の情報のコメントをありがとうございます。
まず新宿で江戸六地蔵を見るのが楽しみです。
それに相模湖や猿橋(もう行きました)や富士山がたまには見られるかと。山梨に入ったら武田信玄でしょうか。と何も知らないで言っています、すみません。
このコースの江戸内では江戸時代や幕末を彷彿とさせる神社仏閣が多いですね。名前が覚えられませんが、今戸神社や大根をお供えする待乳山聖天や小塚原などの処刑場の罪人を弔う史跡などが印象に残りました。

投稿: tona | 2020年2月10日 (月) 10:20

★matsubaraさま

特に下町は江戸の史跡が目白押しで面白いですね。
時の鐘とか大仏とか今でも見られて往時を偲ぶこともでき有難いです。
この道の途中までは芭蕉が歩いた道で、東海道や中山道にも芭蕉碑が多かったですが、果たしてこちらにもあるのでしょうか。それも見ていきたいです。
いつもありがとうございます。

投稿: tona | 2020年2月10日 (月) 10:26

このあたりのことをまったく知らずにおりました。
多くの歴史上の人物やお話の世界での人物が登場するエリアですね。
江戸時代の築地塀が関東大震災や東京大空襲に被災せずに残っていたものです。
千住は芭蕉が奥の細道の旅の出発点ですが
その出発に至る前に芭蕉の碑があることも知りませんでした。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年2月10日 (月) 15:56

★Saas-Feeの風さま

この街道沿いだけでも、ビルの谷間にこんなにたくさん歴史に関する神社仏閣があるとは思いませんでした。
最近講座や、色々な好事家により人たちの歴史散歩が多いです。
芭蕉の出発点での俳句が、ほんの少し手前の素戔嗚神社に石に刻まれて碑として建てられたのでしょうね。
浅草から先の方は全く歩いたことがなく、歴史も楽しいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月10日 (月) 16:52

tonaさん、こんにちは~♪
日光街道は五街道のひとつですが、どの辺を通って
日光に至るのか想像もつきません。
ただお写真を拝見すると、下町の情緒がよく伝わってきます
姥ヶ池のお話は恐ろしいですね。
子供の頃読んだ怖い山姥の話を思い出します。
お寺も多いのですね。
歴史上の人物ともゆかりが深く、
歩きながらいろいろ勉強できて良いですね。

投稿: hiro | 2020年2月10日 (月) 16:59

★hiroさま

こんばんは♪
江戸時代の下町、幕末、維新当時の様子がいろいろな神社やお寺、石像や記念碑で出てきて面白いです。
昔学習した日本史が部分的に詳しくなっていくのもまた楽しです。
山姥のお話、思い出させられますね。
民話や童話なども遥か彼方になってしまいました。
この年になって新たに知ることも多く、そのことが少し生き甲斐になっているこの頃です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月10日 (月) 19:57

都心をあちこちうろついていますが
千住とか荒川区には、そういえば行ったことないような気がします。
でも歴史上の名所が山ほどあるのですね。
これからどんなお話を聞けるのか楽しみにしています。

投稿: zooey | 2020年2月11日 (火) 23:10

★zooeyさま

私も北区、足立区や荒川区(都電だけ)、葛飾区(寅さんの柴又だけか?)は殆ど足跡を残していません。日光街道や奥州街道を旅する人(東海道に比べてそんなに多くなかったと推測するのですが)にとって最初の地域で色々な話が残っているのですね。知らないことも多く、またいつも渡るだけの千住、そこに行くことが出来面白かったです。
千住大橋の下の川が墨田川であったことも知らなかったです。荒川かと思っていましたもの。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月12日 (水) 08:40

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