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2020年2月11日 (火)

日光街道1 日本橋~千住宿(3)

千住大橋を渡る。文禄3年(1594)に家康が隅田川に最初に架けた橋(現在の橋は昭和2年)。
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歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれている。北斎もここから富嶽三十六景の1枚を描いている。いよいよ千住宿だ。
広重の絵。
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北斎の絵。
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◆千住宿(1番目)日本橋から8.8km 、草加まで9.7㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠55軒。

千住大橋公園の奥から階段を降りると橋詰テラスで、与謝蕪村筆「奥の細道図屏風」が描かれる。芭蕉は深川から舟でここ千住に着いた。
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河番付と橋番付がおもしろい。大関ー河は東・加茂川、西・大井川で東西対決になっていない? 橋は東が岡崎矢?橋(?は矧で今は作、「やはぎがわ」でしたポージィさんありがとうございます)、西・岩國錦帯橋。ここで浅草で買った人形焼きを食べる。
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奥の細道矢立初めの地碑。奥の細道へここから旅立つ際に、矢立初の句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を詠んだ。
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奥に橋戸稲荷神社が。本殿は寺社建築では珍しい土蔵造りだ。ここは狛狐だ。
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本殿扉の内側には伊豆長八のこて絵があるそうだが、レプリカが展示されていた。年2回の公開のうち1回目は2日後の2月3日。とても残念。
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矢立初の芭蕉像。ここから千住宿の細い道へ入っていく。
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元やっちゃ場南詰の解説板。青物問屋が軒を連ね「やっちゃい」のセリ声が響いていた。日本橋にもあったとか。
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このあと、次々と屋号札が出てくる。これを見るとその宿の力の入れ具合がわかって歩くのもキョロキョロです。
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千住宿歴史プチテラス(元地漉紙問屋横山家から寄贈された土蔵をギャラリーとして使用)はもう閉まっていたので見学できなかった。これも残念。ここにも芭蕉の句碑が。千住に入ったら芭蕉の碑や関係するものが多い。
その斜め前の街道町並み絵図。
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「旧日光道中」「是より西へ大師道」と刻まれた道標。西新井大師への道標。
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河原稲荷神社の狛犬は足立区最大だそうだ。
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屋号札や、解説板が軒並みである。
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源長寺。脇本陣を兼ねたお寺で、将軍鷹狩りの際に「御膳所」となった。
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千住の一里塚跡。町の中にあったため一対でなく片側だけに立てられた。
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千住宿問屋場・貫目改所跡を通り過ぎ、森鴎外の旧居跡を見に行ったが工事中だった。鴎外の父がここで医院を開いていて、鴎外も大学卒業後から結婚するまで住んでいたそうだ。
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金蔵寺には、天保8年(1837)に起こった大飢饉の餓死者を供養する無縁塔がある。
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商店街は1.7㎞もあるそうで長い!
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千住宿本陣跡の解説板を見て、千住本氷川神社へ。芭蕉の句碑「春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅」がある。
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旧社殿。横に「ラジオ体操発祥の地」の碑が見える。他にも候補があるらしい。
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千住宿にちなんだタイルが3種類埋め込まれている。その一つ。
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北千住駅より、常磐線・上野東京ラインで東京駅に出て、中央線に乗り継ぎ、国分寺には6時過ぎに到着。坐和民で打ち上げ、8時過ぎに帰宅。約36000歩。
人形焼きのお土産。
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この続きはいつになるかわかりませんが、読んでいただきありがとうございます。

(完)

 

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コメント

こんにちは
 
松尾芭蕉は、ここから奥の細道への旅が始まったのですね。
芭蕉は各所に足跡がたくさん残っていて、句碑や像もたくさん。
それだけ多く残っているということに、なぜか今回改めて
すごいことだと感じ入っています。
 
河番付・橋番付、面白いですね。橋の東の大関についてですが、
岡崎というと反射的に矢作川が思い浮かぶ私(唯一知っているのが矢作川)、
試しに矢作橋でググってみましたら、Wikipediaに
「架橋がみだりにできなかった江戸時代には
日本最長の大橋であった」
とありましたから、矢作橋かもしれませんね。
現在の矢作橋は16代で、当時のものよりもう少し南に
掛かっているそうです。
 
千住宿は、さすが日本橋から一つ目の宿で江戸の町の中とあって、
当時の江戸の賑わいが目に浮かぶような気がしました。
商いも盛ん、青物問屋があったということは農地も近かった
のでしょうね。稲荷神社が多いのも、それと関係しているのかな‥
など勝手に想像膨らませながら拝見しました。

投稿: ポージィ | 2020年2月12日 (水) 10:50

★ポージィさま

本当に芭蕉は俳人としては日本で一番ですね。
東海道のも時々省略していましたが明治天皇の巡幸碑に次いで多かったように思います。

ああ、ポージィさん。矢作川ありがとうございます。矢偏に引くという感じで読めなかったのです。そして読めないから矧とここに書けなかったのでした。今の矢作橋をネットで見ましたが立派ですね。
江戸時代大きな川に大きな橋が架けられなかったから、番付を見ても町中の小さな橋が圧倒的ですね。それに比して矢作川に架かる矢矧橋(今は矢作と書くのですね)は日本最長ということで頷けます。文中の?を直させていただきます。すみません。

千住宿の屋号札は青物問屋が多かったです。今の青果市場のようなやっちゃ場ずらっと並んでいたと思うと凄いです。
そうですね。稲荷神社も多かったです。有名な千住、とても賑わっていて長いのにシャッター街ではありませんでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月12日 (水) 13:17

東京に居たとき、もっとこのあたりを
ゆっくり散策すればよかったのにと
悔やんでいます。
よく調べてから行くべきでした。
それにあのころはあまり写真も撮らず
それも悔やんでいます。

投稿: matsubara | 2020年2月12日 (水) 16:19

tonaさんへ
今度は日光街道ですか、びっくりです。日光例幣使街道なら柏市内を通りますので、ファミレスでコーヒーのご接待くらいできるのですが・・、車も交通量が多い箇所もありそうなので十分お気をつけてお楽しみください。

投稿: shikamasonjin | 2020年2月12日 (水) 19:14

★matsubaraさま

私も長年住んでいながら今頃です。
街道歩きをしなかったら、系統だって見られないと思いました。
足も鍛えられていいですが、いつ膝がつぶれるか問題ですが、それまで楽しみます。
今は写真をいっぱい撮ることが出来てとてもいいです。失敗した写真は消すことが出来ますしね。ありがたいことです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月12日 (水) 20:32

★shikamasonjin さま

まだ京街道が終わってないですが、3月には終えて、暖かくなったら中山道です。
たまたま早朝出なくて良い日光街道の最初だけでもと行ってきました。今度いつになるかわかりません。

日光例幣使街道ではないので草加の方に続きます。柏は通らないようですね。残念です!
ご親切にありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月12日 (水) 20:36

千住大橋から北千住駅までの様子を見せてくださってありがとうございます。
若いころ、50年ほど前のことですが
北千住駅で下車して歩いたことがあります。
暗くなってからのこともあり、
あたりにどのようなものがあったのか
まったく覚えていませんが寂しい地域だったことだけは覚えています。
何十年も経ってから電車で北千住駅近辺を車窓から見ていて
なんとまあ賑やかな街になっていることかと吃驚しました。

手許に東京下町おさんぽマップ(実業之日本社刊)があり
その中に北千住の案内がありますので
そこに掲載されている地図を見ながらtonaさんの記事を拝見しました。
本文中の写真とその地図記載の見どころとを照らし合わせながら。
旧日光街道最初の宿場町、ここはまだ歩いていませんので、
息子宅を足場にして、そのうちに歩きたいと思っています。
(10年近く前、この本を見ながら東京の下町を歩いていました)

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年2月12日 (水) 22:31

森鴎外の旧居、わざわざ訪ねたのですね。
ちょっとの寄り道をいとわないところが凄いです。
芭蕉もビックリです。

投稿: 佐平次 | 2020年2月13日 (木) 09:56

千住大橋は家康が隅田川に最初に架けた橋で、芭蕉が奥の細道で此処から始めたのですね。
未だに屋号札があちこちに提げらていて、当時が偲ばれますね。

千住に森鴎外の父親の医院があって、ここにも鴎外が一時期住んでたようですが工事中で観れなかったのは残念でした。
千住の長い商店街でもシャッター街では無かったとは素晴らしいです。

投稿: ラッシーママ | 2020年2月13日 (木) 13:41

こんちは。いよいよ千住大橋を渡られましたか。本格的な旅の始まりですね。「やっちゃば」が千住にあったのですか。昭和49年ポーラテレビ小説『やっちゃば育ち』のヒロインが中田喜子さんでした。すみません。脱線しました。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年2月13日 (木) 15:09

★Saas-Feeの風さま

千住には思い出があるのですね。
私は千住の橋は車で渡るのに、町に入ったことは初めてです。賑やかでその長さに驚きました。老若男女、どの世代もいっぱいでした。
宿の面影は勿論消えていますが、青物市場がずらっと並んでいたであろうことはわかりました。
屋号札が凄いのですよ。
本当に地図を見ながら読んでいただいて感激です。いつもいつも入り込んでコメントを書いていただき感謝です。

お体が回復されて歩こうという気持ちになられて良かったですね。
東京まで歩こうという気持ちになられて凄いです。
あの荒川線の三ノ輪はここから近いですね。

投稿: tona | 2020年2月13日 (木) 22:51

★佐平次さま

寄り道は1km以上はやめています。
全部しているとなかなか街道歩きが進みません。
鴎外のお父さんが医者であってこんなところで開業していたとは今まで全然知りませんでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月13日 (木) 22:54

★ラッシーママさま

千住大橋が墨田川に架かっている事さえも知らなかったですよ。荒川かなあなんて思っていました。いい加減でしょう。
屋号札が多く、青物屋が多かったですよ。
活気があったことでしょうね。
千住の街はどうしてこんなに賑やかなのでしょう。秘密は解けませんでした。
しかし貴重な商店街ですね。
ここから三ノ輪の商店街も近いようですよ。
江東区には砂町銀座があるように。戸越銀座というのもありましたね。
私たちの街にはないですもの。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月13日 (木) 23:01

★多摩NTの住人さま

ポーラテレビ小説『やっちゃば育ち』を知りませんでした。
ここに来て初めてやっちゃばという言葉を知りました。
中田喜子さんはよく知っていますが。
さあ、いつ千住からそ草加に向かえるか。先になりそうです。楽しみにしているのですが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月13日 (木) 23:05

ふふ、日光街道歩きは朝早く起きなくてもOKだからですか。
この時期早起きは辛いですものね。
遠くの街道は暖かくなるまで仕舞っておきましょう(笑)
奥の細道は千住から始まったのですね
tonaさんが今まで歩かれた街道にも芭蕉の句碑がたくさんありました。
芭蕉が歩いた道のりの長さを思うとそのすごさを思いますね
伊豆の長八は江戸で多くの作品を手掛け有名になったと聞きます
地元の松崎の美術館には何回か行ったことがあります。

投稿: ビオラ | 2020年2月14日 (金) 20:58

★ビオラさま

おはようございます。
はいはい、冬はそうがいいです。
しかし今年が暖冬で春のような2月で1昨日遠くを歩いてきました。
忍者、幕府の隠密とも言われていた芭蕉の脚力凄いですね。
東海道も中山道までそうでした。奥の細道を歩いている人もいるようですが、大垣まで5ヶ月の旅です。まだ芭蕉が舟で到着したところまでしか歩いてないわけです。いろいろなところで一句したためるとは優雅でもあります。
私も以前、ナマコ壁で覆われた?松崎の長八美術館に行きました。
亡くなったのは江戸で、江戸での活躍期間が長かったようですね。もう一度松崎のを見てみたいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月15日 (土) 08:49

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