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2020年2月28日 (金)

京街道(2)淀宿~枚方宿(3)

◆枚方宿へ(続き)

大阪府の枚方市に入ってきた。

久修園院。行基が開いた真言律宗のお寺で奈良西大寺の別格本山。大阪夏の陣で大半が焼け落ちた。宗覚律師(多彩な才能の持ち主)が元禄時代に作ったという天球儀と地球儀が保存されているとのことだが見られない。
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楠葉台場跡史跡公園。鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が最終的に集結した場所で、津藩の寝返りで大阪に落ち延びて行った。
「戊辰役橋本砲台場跡」は京都府側の橋本から大阪側のここに移された来たもの。
楠葉(くずは)は駅名など樟葉(くずは)となっている。
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本来の街道に合流すると、枚方市のマンホールが出てきた。デザインは、枚方市の花である菊と、広重の浮世絵にも描かれた淀川を下る三十石船だ。
枚方は大菊人形展が開催されていたが今はなくなってしまったそうだ。
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長福寺。このような参道もある。道標を兼ねた供養塔がある。こんな奥に道標があるとは!
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両脇のお地蔵様たちがとても小さくてかわいい。大阪のお地蔵様、第一号。
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掃除小僧さんではなくて、木魚を枕に寝てしまった小僧さん。ねずみが様子を見ているのか。
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旧京街道の標柱が珍しい。京街道では街道を案内する標柱も、看板も殆ど見かけない。
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樟葉駅のそばのくずはモール(ショッピングモール)で休憩。おやつは走井餅老舗で買った鳩もなかで、自分であんこを詰めて食べるタイプなので、皮がぱりぱりしている。
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大阪のお地蔵様第二号、第三号。伏見の化粧地蔵様とは違うが、滋賀県や岐阜県でもお地蔵様、いろいろ見ましたが同じかな!
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船橋川を渡った先に、地蔵堂、戊辰戦争の供養塔、八幡宮の道標がある。この向かいあたりに一里塚があったらしいが見えず。
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牧野駅まで京阪に沿った道を歩き、ここで寄り道して牧野公園に。
阿弖流為母禮(アテルイモレ)の首塚がある。東北の蝦夷が朝廷の支配を拒否して戦争になり、802年に蝦夷は降伏する。首長と副将を伴って帰京した坂上田村麻呂がこの地で蝦夷の首長阿弖流為と副将母禮を処刑した地だそうだ。坂上田村麻呂は強く助命を嘆願したそうだが。
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その奥にある片埜神社。第11代垂仁天皇の頃に建速須佐之男命を祀ったのがはじまりで、その後、豊臣秀吉が大阪城の鬼門を守る神として庇護した。
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赤鬼のお面があった。絵馬にも赤鬼が描かれている。鬼は片埜神社の象徴・守り神とされた。
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本殿は慶長2年、豊臣秀吉の命で片桐且元が再興したもので、重要文化財。
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街道に戻る。クサフジが目を惹き、カラスウリの実の色はくすんでいた。
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街道の左右に京都と大阪と刻まれた常夜燈があり、ここに片埜神社の一の鳥居があったそうだ。手前にあるのが壊れた残骸か。
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國道第二号路線の道標。終点の高麗橋まで六里とある。まだまだ!
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ここを左に入った、京阪御殿山駅に近い所に渚の院跡がある。
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文徳天皇の第一皇子、惟喬親王は権力争いに破れ、ここに別荘を建て隠遁した。同じく権力争いに破れた在原業平と親交があったという。渚の院跡には観音寺が建立されたものの、神仏分離で廃寺となっている。梵鐘が残るのみだ。
業平はここで「世の中に耐えて櫻のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠む。
紀貫之は土佐から京に帰る途中で渚院の梅のことを『土佐日記』に記している。

天之川集会所の前の地蔵堂。一里塚なのに跡もなかった。
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天の川を鵲橋で渡る。
淀川に合流する天野川は、川の流れが美しく、古くから天上の銀河とみなされ、平安貴族の憧れの歌どころであった。天の川のかささぎの群れが集まって橋となり、牽牛と織姫との橋渡しをするという七夕伝説にちなんでかささぎ橋と呼ばれるようになったという。枚方市、近隣の交野市とともに七夕伝説にまつわる名所が多いという。
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いよいよ枚方宿に入ってきた。道路が着色されている。
東見附跡。石柱があった。
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問屋役人の家。
小野平右衛門(屋号=八幡屋)で、江戸中期より、村年寄りと問屋役人を勤めた。出格子や虫籠窓が見られる幕末の建物だそうだ。
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枚方市駅に到着。京阪で東福寺へ、JRに乗り換え京都へ。

今回のお弁当は、京都舞妓はん弁当。(デザートのお団子と生八つ橋まで入っていた)。
お土産は柴漬け。
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東京着は21時3分。帰宅は10時10分。約46000歩。(完)


「干瓢を買ったわよ」と娘からラインが入って、はて?東海道のどこかで聞いたような。思い出せない。
品物を見て水口宿の広重の絵に出ていた干瓢でありました。太巻きずしにして食べましょう。栃木以外の干瓢は初めて。水口から栃木に伝わった干瓢は栃木が全国シェアの98%を占めるから貴重な水口の干瓢です。
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コメント

このあたりのことについては、地名や神社仏閣などの名称を見聞きするのみで
一度も訪ねたことが無く残念な思いです。
Saas-Feeの風の学生時代には無かった八幡市で、当時は八幡町だったような記憶があります。

石清水八幡宮は日本三大八幡宮のひとつとされていますね。
三大八幡宮には諸説あるようです。
Saas-Feeの風はそのなかの鶴岡八幡宮と筥崎八幡宮を参拝していますが
石清水八幡宮と宇佐八幡宮に参拝したことがありません。
いつか参拝したいと思っていましたが、もう無理かも判りませんね。

前のページに木津川と宇治川のことが書かれていますが
この合流するあたりは春は桜並木がきれいになることで知られています。
大阪在住のブロ友が、桜の時期になると満開の桜並木の写真をブログアップします。
“背割堤”と呼ばれています。

前のページの冒頭部、関ヶ原の雪の情景の写真がありますが
このあたり、関ヶ原は冬の新幹線が徐行することが度々あり
列車ダイヤの乱れの原因になってます。
若いころ、神奈川から帰省する際に、何度もそんな目に遭いました。

京阪・樟葉駅は、Saas-Feeの風が30代のころ、神奈川から某社に出張するときに下車していた駅です。
くずはモールですか・・・駅近くに松坂屋があったような記憶があります。
駅舎はどうなっているかな。
懐かしいですねえ。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年2月28日 (金) 11:54

★Saas-Feeの風さま

合併して北九州市が出来る前は八幡市(やはたし)がありましたので、出来なかったのですが、合併した後八幡区になったので八幡(やわたし)が出来て良くなったようです。読み方も違いますが。『日本の珍地名』という本人書いてありました。
学生時代に宇佐八幡に行き、北九州にいたときも行きました。筥崎八幡宮だけはせっかく福岡県にいたのに行っておりません。
だんだんと行きたいと思ってもおっしゃるように回ることが時間的に不可能になってきました。残念ですが。

背割堤のこと、いただいた立派なチラシに載っていました。素晴らしいでしょうね。
そうそう、昔新幹線は関ヶ原の雪でストップしたことが多かったですね。徐行運転で遅れたことも。その頃冬は新幹線に乗りませんでした。

くずはモールは静岡県にもあちこちにありましたイオンモールとそっくりの商業施設でした。松坂屋はなかったかしら。駅も覚えていません。枚方市駅は立派でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月28日 (金) 16:41

枚方は菊人形しか知りません。
長く関西に住みましたのに、遺跡に
関心が薄くて、調べようともしません
でした。

娘が結婚するまで、メレルダウフナイという
製薬会社に勤めていまして、一度だけ樟葉の
下宿に行ったことがあります。
まっすぐ帰りどこにも寄りませんでした。

その後すぐ結婚し京都に住みました。

投稿: matsubara | 2020年2月28日 (金) 19:57

八幡神社の秦氏の繋がりはこちらからご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index1.html

投稿: ローリングウエスト | 2020年2月28日 (金) 21:41

★matsubaraさま

枚方はマンホールのデザインに菊のデザインがなされるくらいですから菊人形が盛んであったことが伺われます。しかしなくなってしまったのは時代の流れなのでしょうか。残念です。

メレルダウフナイを恥ずかしながら初めて知りました。樟葉の方にあったのですか。

こうして沿線の地名だけでも随分見てきたわけですが、街道の奥が沢山あるわけで、日本は広いなあという実感です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月29日 (土) 09:06

★ローリングウエストさま

ご丁寧に教えていただき有難うございました。
歴史的に古くは中国の秦、新羅の秦氏、ユダヤとのつながり、日本へ、皇族とのつながり、稲荷、八幡信仰へと深く突っ込んでいけば壮大な歴史を秘めていて。
とりあえず本が見つからず、助かりました。

投稿: tona | 2020年2月29日 (土) 09:25

こんにちは
 
知らないこと、初めてのことばかりなのはいつもと一緒ですが、
読めない漢字も多くて頭を抱えました(^^;)
阿弖流為と母禮は降伏したのに、中央への移動途中で
殺されたのですか。酷い話ですね。
蝦夷(えみし)といわれた地域や人々のことや歴史を
知りたくなりました。蝦夷(えぞ)との繋がりなども。
日本に鬼伝説は多いですが、赤鬼はもしかすると大陸から
渡ってきた外国人説もあるとかないとか。ヨーロッパ系の
人かしら?? それとも建速須佐之男命のこと??
日本の古代は神話と伝説と色んな呼び方が混沌としていて、
しかも記録はあまりなくて分からないことが多いようですね。
 
京都舞妓はん弁当 多彩で色々なお味が楽しめそう。
デザートまでついていてとても美味しそうです。

投稿: ポージィ | 2020年2月29日 (土) 15:41

★ポージィさま

こんにちは。
本当にいろいろな読み方がわからなくて、皆さんは読めるでしょうに、自分のためにフリガナをふったりしています。
アテルイの話はテレビで観ましたが酷い話ですね。
日本も先住民族をやっつけてしまって、今でも北海道で差別があるそうで信じられません。罪なことです。
赤鬼のこと、そういう考え方もあるのですね。
なるほど!
日本の神様の名前が難しすぎませんか。日本神話を読んでも出てこない神様が、神社に祀られて出てくるのです。
神話と伝説のこと、おっしゃる通りです。

このお弁当、意外や安いのですよ。デザートにに目がいってしまって。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月29日 (土) 16:54

tonaさん、こんばんは~♪
いよいよ大阪府に入ったのですね。
枚方市については皆無と言ってよい程何も知りませんでしたが
マンホールに描かれている、菊と淀川を下る三十石船から
その昔、水運業が栄えていたことがわかりました。
たくさんのお地蔵さんも可愛いですね。
問屋役人の家など、古い建物には興味を惹かれます。
京都舞妓はん弁当は豪華で美味しそうですね。

投稿: hiro | 2020年2月29日 (土) 19:50

★hiroさま

こんばんは♪
山科からは2回かかりました。
大阪の方は1回とちょっとで到着しそうです。
大阪は中心部でしょうか、2度ほど歩いただけで何も知らないと同じです。
しっかり歩いたのがまずこの枚方の街道だけと言えましょうか。京都や奈良ばかり目が向いていましたね。
賢いhiroさん、マンホールからもちゃんと枚方を当てていらっしゃいます。マンホールは象徴ですね。
あちらこちらで見るきちんとした六地蔵と違って、お地蔵様がいろいろで今回は可愛いなあと思います。
虫籠窓の幕末の建物がよく残っているものです。今までもあったのですが数は多くないです。ずっと残すのは維持が大変でしょうと見られるのを有難く思います。
御弁当美味しかったです。12に分かれていますが、4つに分かれていると松花堂弁当だと思いながらいただきました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年2月29日 (土) 21:19

こんばんは(^o^)/!
たいそうご無沙汰しています。平日はもちろん、休日さえなかなか時間が取れずいつも読み逃げばかりで申し訳ございませんm(u_u)mスマヌ!

京街道歩き、頑張っておられますね。
樟葉という地名を聞き、「たしか『古事記』の中に出てきた地名だ」と思い調べてみました。
”崇神天皇に、武埴安彦命が謀反を起こして崇神天皇の軍に敗れた際に、逃げ落ちた兵士が恐怖のあまり袴に便を漏らし、その場所を「くそばかま」と呼んだものが転じて「久須波(くすは)」になった”そうです。

そして『阿弖流為』、この名も久しぶりに聞きました。古の時代の東北の勇者ですね。大和に服従するつもりで坂上田村麻呂についてこの地までやって来たのに処刑され、さぞや無念だったと思います。

投稿: 慕辺未行 | 2020年2月29日 (土) 23:45

★慕辺未行さま

おはようございます。
本当にお勤めと家のこと、両方の忙しさは私も経験済みわかります。その間は何の楽しみもなかった(ただし私は夏休みがあったので海外旅行ブームの1995年以後ごく近場の香港、台湾などに子供に連れて行ってもらいました)です。
樟葉が古事記の中に!
そうだったのですか。
調べていただきありがとうございます。
10代天皇・崇神天皇の時だったのですか。そんなことがあって付いた地名だったのですね。そう思ってまたあそこを思い出しています。
樟葉駅の隣の駅、牧野に阿弖流為たちの首塚があり、両方とも神話の時代から平安時代初期まで古い古い時代の遺物の記念ですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 1日 (日) 08:35

歩ける人が羨ましい。
早く歩きたいのです。
もう今度は1000歩でやめますから。

投稿: 佐平次 | 2020年3月 1日 (日) 11:03

★佐平次さま

まあ、1000歩ですか(・_・、)(_・、 )(・、 ) グスン)
私が佐平次さんみたいになったのは2013年でした。杖を買ってやっと医者に行っておりましたが、一向に良くなりません。医者を変えてヒアルロン酸を1本打ってもらったら嘘のように治りました。それからずっと歩けましたが、昨年後半頃から膝の前の方が痛くなり、しゃがめず膝をつけずにいましたが、湿布を貼って歩いていました。ここ数回は湿布を貼っていません。今は湿布の出番が腰と膝と交互です。
歩きのブロガーでなくなったら何も残らない状態でトホホです。一日も長く歩きたい心境です。
ということで、痛み止めの湿布で佐平次さん、また歩けますよ。歩けますように!
毎日佐平次さんのお家の方へ向かって祈っていますから。

投稿: tona | 2020年3月 1日 (日) 13:42

こんにちは。実際に歩いてみると、鳥羽伏見の戦いなどの移動の距離感がわかりますね。高麗橋まで頑張って下さい。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年3月 1日 (日) 14:38

★多摩NTの住人さま

そうですね。伏見から随分ありました。5,6時間しか歩きませんが、2日間歩いたことになります。単に歩いていたわけでない戦争ですから大変だったでしょうね。
もうすでに次の守口まで歩きましたので、高麗橋まであと少しです。コロナ騒ぎで新幹線に乗れません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 1日 (日) 16:48

長福寺の沢山の小さなお地蔵さん、可愛いですね。
こんなのを見るとホッとされることでしょう。
業平のあの有名な歌が、ここで詠まれたとは知りませんでした。
あちこちを一緒に歩かせて頂いている気分になります。

投稿: zooey | 2020年3月 1日 (日) 17:28

★zooeyさま

大阪のお地蔵様、他と違っていて可愛いのに出会いました。いいですね。
東海道にも業平に関係するところがありましたが、こんなところでと思いました。
一緒に歩いていただいているようで有難うございます。嬉しいです。

投稿: tona | 2020年3月 1日 (日) 19:05

今回も未知の地でしたが
坂上田村麻呂の蝦夷征伐に関連の首塚があったり
在原業平の有名な歌が詠まれた地であったりと
少しだけ知っている名前が出てきて興味深かったです。
それにしても蝦夷の首長・副将の名前「阿弖流為母禮」は難しい名前です(;^_^A
天野川は天の川にかけて橋の名もカササギなのですねぇ。
たくさんの可愛いお地蔵様に着せた洋服や帽子に地元の方の愛も感じますね。

投稿: ビオラ | 2020年3月 2日 (月) 17:31

★ビオラさま

こんばんは。
枚方という地名は知っていましたが初めてです。かなり歩きでがあります。
歴史上の人物が出てきますね。
坂上田村麻呂は鈴鹿峠を越えたところに田村神社があって頭に残っています。蝦夷の住む地まで遠い所を往復したのですね、一方蝦夷の人々もお気の毒なことでした。
今現在もまだ北海道で差別を受けていると聞きます。国会議員になって活躍した人も現れましたが。
天野川とカササギのお話、遠い記憶を呼び起こされました。
お地蔵様はどこに行っても可愛い洋服や涎掛けを縫ってもらっていいですね!地蔵信仰の多いことを実感する街道旅です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 2日 (月) 20:36

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