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2020年3月29日 (日)

日光街道2千住宿~草加宿(3)

不要不急の外出自粛のうえ雪が10㎝くらい降って、買い物をしておいてよかったです。
日光街道歩きの2回目、いつもの如くのたのたして今頃草加宿に入ったところをアップできました。

◆草加宿へ

谷塚駅入り口あたりに富士浅間神社がある。社殿の後ろには富士塚があるがこの日3つめ。足立区から草加にかけて富士塚がいくつかある。今もこのあたりは富士講が盛んだそうだ。
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力石もある。手前の32貫目なんて見えるが120㎏だ。お相撲さんを吊り上げるみたいなもので、普通の人は無理。昔は力持ちが沢山いたのでしょうね。
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そのすぐ近くに善福寺がある。
2体あるうちの、これは1713年建立の青面金剛像だ。必ず下に彫られた三猿に目が行く。
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境内には元禄4年(1691)の六地蔵があり、330年も経っている。こういう浮彫の形(光輪とは違うし、何と言うのか?)ですと涎掛けが掛けにくいのでしょう。
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草加市のマンホールがあった。草加市のシンボル百代橋(百代は芭蕉の奥の細道からつけた名前)と市の木の松が描かれる。
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火あぶり地蔵。
奉公中の娘に、母危篤の知らせが届き、お暇を願い出たが許されず、この家が火事になれば家に帰れると思い放火してしまい、火あぶりの刑に処せられた。これを不憫に思った村人が地蔵堂を建て地蔵を祀った。
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草加煎餅のお店が出てきた。このあと所々に出てくる。最初に出てきたお店でお土産の煎餅を買う。
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●草加宿
 千住宿から9.7㎞、越ヶ谷宿へ9㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠67軒。

いよいよ草加宿に入る。この地は沼地が多く当初は大きく迂回していた。大川図所は幕府に願い出て、千住~草加間をほぼ一直線に結ぶ新道を開削し草加宿を創設した(1607年)。
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浅古家の地蔵堂。
浅古家は幕末から明治にかけての豪商で屋号が大和屋であり、全国2位の質屋だった。今は草加市役所の敷地となっており、地蔵堂は浅古家の屋敷にあったものだそうだ。
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回向院。元禄14年(1701年)創建。
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旅籠の武蔵屋が抱えていた飯盛女の墓がある(真ん中。左は大正12年大震災死者霊供養塔)。
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たい焼き屋さんに入った。鯛ではなくて、車に豚?とウサギが乗っている?焼であった。皮がぱりぱり、餡子が熱々で美味しい。
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八幡神社。大きな獅子頭の雌雄一対は市指定有形文化財だが、社殿の中に入っていて写真に撮れなかった。
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藤城家。
明治初期建築で木造二階建ての住宅店舗で、奥には住宅に組み込まれた土蔵造りの内蔵と外蔵が並ぶ。国登録有形文化財である。
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問屋場跡には明治44年建立の道路元標がある。
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大川本陣跡。宝暦年間(1751-63年)までの本陣。自分の姿が映ってしまったので没。

お向かいには清水本陣跡で宝暦年間から明治初期まであった。
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草加宿はまだ残っているが、最後に氷川神社に寄ってこの日の街道歩きは終了。氏神様。
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草加駅より東武スカイツリーラインに乗り、新越谷でJR越谷駅に乗り換え、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ、地元に到着。庄やで食事をし、8時頃帰宅した。約34000歩。

(完)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年3月23日 (月)

日光街道2千住宿~草加宿(2)

草加宿へ

国土安穏寺寺標があり、安穏寺に寄った。将軍秀忠および家光の巡遊の折の御善所となったお寺である。徳川家の祈願寺となり「葵の紋」の使用が許された。
立派な山門の仁王門で、左右に阿吽の仁王様がいる。
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門の裏には巨大なわらじと葵の御紋が見える。
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天井には龍。
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本堂。
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徳川家光御手植え松はかなり高くなっている。
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掃除小僧もいたがこちらは居眠り小僧。
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方丈とお庭。
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島根鷲神社。文保2年(1318年)武蔵国足立郡島根村の鎮守。
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御社殿は権現造りと書かれているが複雑でよくわからない。千木が立派だ。
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長寿山灯籠。高さ4.7m、重さはなんと35トン。鳥居と比較しても大きい!
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富士塚もあった。
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吉宗が腰掛けたとされる将軍石。
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炎天寺。俳人・小林一茶ゆかりのお寺だ。
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石仏がいろいろある。
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馬頭観音。岐阜県の中山道が懐かしいです。
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「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」がこの寺の近くで詠まれたとか。池と池の周りは蛙だらけ。
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福蛙。なでると福が。
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小林一茶像。
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街道に戻ると旧増田橋跡がある。かつて増田橋があって千住宿と草加宿の中間点。西北へは川口市に抜ける赤山街道があった。
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保木間氷川神社。保木間村の鎮守。関東の豪族千葉氏の陣屋跡と伝えられる。
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脇宮の疱瘡神社。天然痘に霊験あらたかと言われている。右は天宇須女尊。天照大神が天岩戸に隠れてしまった時に、踊った神様と言われる。
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榛名神社の富士塚。
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法華寺。寒緋桜が満開。
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ここは小塚原刑場の刑死者を弔ったところで、南無妙法蓮華経題目が刻まれた無縁塔があった。
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水神宮を通り過ぎて、毛長川を水神橋で渡ると埼玉県・草加市に入った。
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2020年3月20日 (金)

日光街道2千住宿~草加宿(1)

車内では咳やくしゃみをする人がトラブルになっているとか。娘が先日マスクに「花粉症です」と書いた人を見たとか。満員電車で通勤している人は苦労しているのですね。本当に大変です。

3/6(木)新幹線は大阪まで2時間半、乗るのはどうかと思われ、意外や早く日光街道の続きを歩くことになりました。通勤ラッシュでない時間に乗って北千住駅へ10時半頃着く。

●千住宿 前回、千住大橋を渡り北千住駅まで歩いたその続きです。

千住宿高札場解説と冠木門がある。
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その先で右折するとあるのが長圓寺。出羽湯殿山の行者・雲海が寛永4年庵を結び、後に真言宗の僧・賢俊が開山した。
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左から貞享3年(1686年)の青面金剛の庚申塔、石仏の庚申塔、釈迦如来像。
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魚籃観音堂の中の魚籃観音像。三十三観音の一つ。魚を入れたかごを手にさげている観音。右手に持っている。下記の最勝院のは大魚に乗っている。羅刹(らせつ)・毒龍の害を除く功徳があるという。
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ちなみに三十三観音は、青森県弘前市の真言宗の寺・最勝院三十三観音で見ることが出来る。
 1.龍頭 2.持經 3.圓光 4. 遊戯 5.白衣 6.蓮臥 7.瀧 見 8.施楽 9.魚籃 10.徳王 11.水月 12.一葉 13.青頸  14.威徳 15.延命 16.衆寶  17.岩戸 18.能靜 19.阿耨  20.阿麼提 21.葉衣 22.瑠璃 23.多羅  24.蛤蜊 25.六時 26.普悲  27.馬郎婦 28.合掌 29.一 如 30.不二 31.持蓮 32.灑水 33.楊柳 
 菩薩部の観音として、聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音など見てきたが、こうした三十三観音は初めてで、魚籃が最初かな。
 
山門脇にはめやみ地蔵尊があった。目の病を持つ人が訪れるところで、「めめ」と書かれた絵馬が奉納されている。
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街道に戻ると、千住絵馬屋吉田家。絵馬をはじめ地口行燈や凧などを描いてきた際物問屋である。千住絵馬は縁取りした経木に胡粉と美しい色取りの泥絵の具で描く小絵馬だそうだ。
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向かいにあるのは伝馬屋敷の面影を残す横山家住宅。地漉き紙問屋。昔は5つも蔵があった立派な家であった。
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斜め向かいにはかどやは槍かけだんごのお店である。
槍かけとは、水戸光圀公が家来に槍を立てかけさせ休息した清亮寺の槍かけ松が店名の由来。
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まだ歩きはじたばかりなのにもう、みたらしとあんだんごを1本ずついただく。
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旧水戸街道との追分道標を見てから安養院へ。鎌倉時代に北条時頼が創建したと言われ、兵火により現在地に移ってきたと言う。
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山門脇に庚申塔が3種。左から青面金剛の庚申塔、地蔵菩薩の庚申塔、貞享3年(1686年)の青面金剛の庚申塔。
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秩父にも庚申塔が多かったがここにも多いし、六地蔵もお寺に必ずと言ってよいほどある。滋賀県の地蔵群や岐阜県の馬頭観音が多かったことを思い出す。
境内には芭蕉のまたこの句碑がある。「ゆく春や 鳥なき魚の目は泪」。
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かんかん地蔵尊なるものもあった。小石でたたくと願いが叶うというので、勿論色々なところをたたいてお願いした。
顔がみんなにたたかれてなくなってしまっている。
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仲良し地蔵尊。左が寛文4年(1664年)の地蔵菩薩、右が寛文10年(1670年)の地蔵菩薩。
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先に進むと、名倉医院がある。
江戸時代からつづく整形外科で、骨接ぎといえば名倉と言われたらしい。周辺には遠くからくる患者や重症患者のための宿屋が5軒もあったという。
長屋門は江戸時代に建てられたもの。
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荒川を千住新橋で渡る。荒川は荒川放水路の別名を持ち、明治44年(1911)から19年に及ぶ大工事によって造成された人工河川。それで墨田川と分かれ、下町は洪水から守られるようになった。川の分かれ目に堰が出来て調整している。隅田川を千住大橋で渡ってから長い千住宿も終わった。
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草加宿へ

橋を渡り少し行くと、石不動尊がある。小さな窓口から覗いて見ると、耳不動尊と刻まれた不動明王が。脇のお地蔵様は荒川沿いにあったものだそうだ。
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「夢庵」で昼食。
うまか丼(ご飯小盛)・味噌汁・漬け物・小鉢付のセット。お客はちらほらでかなり離れていて安心。
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少し進んで左に佐竹稲荷神社がある。秋田藩主・佐竹侯抱屋敷跡(標柱がたっている)で参勤交代の際の休息所であった。稲荷社は屋敷神として祀られた。
「いぼ稲荷」 とも称される。願を掛けるといぼが取れるそうだ。⦅秋田藩主の名前・佐竹も初めて知った⦆
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「右旧日光道中 左東武鉄道旧線路跡」と刻まれた道標があった。荒川放水路の建設がはじまり、路線変更となったという。
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小右衛門稲荷神社。
小右衛門新田を開発した渡辺小右衛門が故あって同僚の高橋伴右衛門を討ち、伴衛門の霊を慰めるために建立し、蔵稲魂(うかのみたま)大神を祀った。
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 どこにも新田を開発したり、河川の氾濫を防ぐための工事をしたりした偉い人がいて、神として祀られている。街道筋だけでもたくさん出てきた。今はもうそういうこともなく、人類に貢献した人はノーベル賞とかマグサイサイ賞とか国民栄誉賞など賞をもらうことで私たちの記憶に留まることになる。

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2020年3月16日 (月)

スプリング・エフェメラル・・春です!

3/13、朝から晴れて暖かくなった午後、駅そばの殿ヶ谷戸庭園へ。人はまばらでした。シルバーは70円で入れます。

スプリング・エフェメラルのキクザキイチゲ、カタクリ、フクジュソウです。
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イカリソウ
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ボケ
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ムクドリ
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ミツマタ
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東京国立近代美術館工芸館 「所蔵作品展・パッション20~今みておきたい工芸の想い」

1か月前、まだ閉館してしまう前の2/16に行ってきました。金沢市に移転してしまい夏にオープンするそうです。何故??
ゴシック風のレンガの建物は、説明によると、1910年に建てられ、重要文化財にも指定されている旧近衛師団 .団司令部庁舎を、美術館仕様に改修したもの。外観および玄関、広間の保存修理工事と、谷口吉郎による展示室の設計に基づく内部の改装によって、工芸部門の展示施設として再生し、昭和52(1977)年に、東京国立近代美術館工芸館として開館しました。
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陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィック・デザインなど、近現代の工芸およびデザイン作品を展示紹介しています。

何と言っても初代宮川香山の高浮彫の<鳩桜花図高浮彫花瓶>と<色入り菖蒲図花瓶>が素晴らしかった。前者の鳩が3羽の雛のいるモズの巣穴を覗く場面が息をのみます。
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人間国宝志村ふくみの<紬織着物・水瑠璃>の何とも言えないブルーが見事。
あげていくときりがない逸品ぞろいに唸ります。

でも写真を撮ることができて、一番眺めていたのが金工家・鈴木長吉(1848~1919)の<十二の鷹>です。青銅製に金、銀、赤銅や銅合金を用いて象嵌や彫金を施したものです。すごい迫力です。
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松井康成<西遊記>
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建物から近い所に滝がありました。
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千鳥ヶ淵の近くに梅が満開のところがありました。
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2020年3月11日 (水)

京街道(3)枚方宿~守口宿(後編)

◆守口宿へ(続き)

食事を終えて街道に戻ると淀川に近づき、土手に上がる。ここから時々土手から下りて見学しながら、堤防を7㎞歩く。
お天気になり暑くなってきて、川を渡ってくる風が心地よかった。雪の先週だったらとても歩けなかった。
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赤井堤記念碑がある。ここから寝屋川市になる。赤井堤は枚方・寝屋川市境を流れていた赤井川の堤防。
明治18年に起きた洪水は、大阪市内の大半が浸水する被害をもたらし、赤井堤も含めて多くの堤が決壊した。その時の惨状が漢文で刻まれている。
淀川沿いでは、排水機場、揚水機場、浄水場などの施設が多い。
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二十箇用水普通水利組合碑を通り過ぎ、日本最初の河川堤と言われる茨田堤(まんだのつつみ)碑があり、日本書紀、仁徳天皇11年に記述があるそうだ。
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土手の下の段倉。二段、三段とだんだん高くなって、水害への備えとなっている。
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太間天満宮へ下りていく。
衫子絶間跡の碑がある。堤の築造は難工事で、二ヵ所の「絶間」という場所に人柱を出すことになり、武蔵強頸(むさしのこわくび)と茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)の二人が選ばれた。強頸は犠牲となったが、衫子は、機転をきかせて助かったという伝説が残っている。
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夫婦狛犬、浅草寺にもありました。
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鳥飼仁和寺大橋をくぐる。対岸は摂津市だ。
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仁和寺氏(にわじうじ)神社。御祭神は菅原道真。この辺りの地名の仁和寺はかつて京都・仁和寺の所領であったから。
本殿。
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ここで枚方で買ったどら焼きを食べて休憩。
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守口市に入り、佐太天神宮に寄る。道真が太宰府に流された時に舟をつないだ場所。ここで赦免の沙汰を待ったことから佐太と呼ぶようになったという説がある。
長い灯籠の参道。本殿は仁和寺氏神社とそっくりであった。
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暖かい午後は猫が登場する。
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天神宮の近くには佐太戎社や来迎寺や佐太陣屋跡(加納藩の陣屋)があった。

堤防に戻ると鵜飼大橋が近づいてきた。併走する鉄橋に大阪モノレールが走っていた。ここで堤防から降りて淀川と離れる。
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守口市のマンホールが出てきた。市の花のサツキのデザイン。
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こちらは京阪守口市駅前再開発のシンボルであるカリオンとサツキ。
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正迎寺は、西本願寺の末寺で創建は観応元年(1350年)。
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その南に智眼地蔵尊が祀られる。
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京街道のレリーフ。
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「たこのきもち」というたこ焼き屋さんでたこ焼きを購入。一里塚跡のベンチで熱々のをいただく。
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この一里塚跡のあたりが「上の見附」で、守口宿の入り口。
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●守口宿(57番目)
枚方宿から12㎞、高麗橋まで9.5㎞。本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠27軒。

守口の名物と言えば細長い大根の守口漬けだが、今は大根を作っておらず名古屋の名物になってしまった。
宿の長さは2.3㎞で文禄堤(太閤堤)が残る部分がある。文禄堤とは秀吉が毛利一族に築かせた27㎞の淀川の堤。
大阪まで近いために本陣は大名の宿泊でなく小休止が多かった。

盛泉寺。教如上人が開いた東本願寺の末寺だ。内侍所奉安所阯の石碑(明治天皇が行幸された際、内侍所を設けた。一瞬だけ大阪に遷都されたことになった)。明治天皇聖蹟の石碑もここにある。
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難宗寺の角に石碑が4つ。
「左京 すぐ京」、「すぐ守口街道」、「御假泊所」、「御行泊所」とそれぞれ彫られている。
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難宗寺は真宗大谷派。盛泉寺が東御坊、こちらは西御坊と呼ばれている。枚方と同じく浄土真宗が盛んな地域で東西御坊があるのも同じだ。
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本陣跡の説明板の向かいには「大塩平八郎ゆかりの書院」の石碑。ここは平八郎が農民たちに出張講義をした白井家跡である。
白井孝右衛門は平八郎と師弟関係にあり、大塩平八郎の乱に荷担したかどで処刑された。大塩は自殺であった。
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連子格子、虫籠窓のある家が残っていて、風情のある街並みだ。
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復元された高札場。
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本町橋(川はない)を渡ったところで、守口宿が少し残ったが、この日の街道歩きは終了した。
守口市駅より京阪の準急に乗り、終点淀屋橋で地下鉄に乗り換え新大阪駅へ向かう。
6時33分発ののぞみに乗り、東京到着は9時3分。帰宅は10時過ぎだった。
お弁当は、近江牛おひつまぶし弁当(娘)、但馬牛牛めし弁当(私)。大阪の名物ではなかったが。ビールは700系新幹線デザインだ。
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お土産は昆布の佃煮。
41075歩でした。最終回は新幹線に乗れるようになるまでお預けです。

(完)

 

 

 

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2020年3月 7日 (土)

京街道(3)枚方宿~守口宿(前編)

前週に続き2/13(木)に同様に近鉄丹波駅乗り換え、京阪で枚方駅到着は9:11であった。

●枚方宿(56番目)淀宿から14.3㎞、守口宿まで12㎞。本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠69軒。

枚方宿は京都と大阪の中間に位置する交通の要衝であり、淀川の川湊であったので、三十石船の寄港地として繁盛した。船が寄港すると「飯食らわんか、酒食らわんか」と茶舟が漕ぎ寄せ、飲食物を売りつけた。これが「くらわんか舟」である。
東見附から西見附まで1477mもある。
駅前の案内板など枚方宿は結構力を入れていて歩くのも楽しみだ。
享保時代、ベトナムから来た象(享保の象)もこの宿に宿泊したそうだ。

東見附の標識を見、問屋の家を見てからの続き。宗左(そうざ)の辻を曲がる。製油業を営んでいた角野宗左の屋敷があったという道標。磐船街道が分岐している。
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岡本町公園があり、第2日曜日は五六市があるそうだ。東海道の56番目の宿場であることから命名された。明日8日は中止でしょうね。
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高札場跡を過ぎると、くらわんかギャラリーがある。享保年間から続く塩熊商店(塩屋)の建物だ。
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今の三矢公園にはかつて本陣があった。
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京阪の踏切を渡って寄り道する。
東のご坊・願生坊。真宗大谷派の寺院で、東本願寺の別院とされた後、願生坊の名が与えられた。後で西御坊・浄念寺に行く。
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この道に「万年寺山周道」のプレートが埋め込まれていたので道を上がっていく。
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万年寺山は御殿山とも言われ標高30mの高台で、秀吉が家臣の枚方城主・本多政康の娘の乙女御前のために茶屋御殿を建てた。意賀美(おかみ)神社が隣接する。
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御茶屋御殿跡へ。
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ここから淀川が見える。対岸は高槻市だ。
Kawa

神社の境内には梅園がある(意賀見梅林)。
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意賀見神社。廃仏毀釈以前は奈良時代に創建された万年寺があったそうだ。
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街道に戻り、西御坊・浄念寺へ。工事中だった。
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問屋役人だった木南善衛門家(屋号は田葉粉屋)。宿最大の町屋で明治時代に再建されたものという。まだ手前にも建物が続いて大きくて全部入りきらない。
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鍵屋資料館に寄る。主屋と別棟があって資料館は別棟(昭和3年建築)にあり、入場料200円。
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鍵屋は三十石舟の寄港地の船宿として賑わい、くらわんか舟も行き交っていた。弥二さん喜多さんも伏見から三十石舟に乗船し、ここ鍵屋浦でくらわんか舟と掛け合いをしているとか。簡単なのを読んでいても覚えていない。
その後明治になっても屋形船を出し、1997年まで高級料理旅館として営業していた。その後解体復元工事により2001年より資料館として開館。
色々資料が展示されてたが、シーボルトやケンペルが枚方宿で見聞した、売春婦や食事のことなどを記した説明も見られた。

くらわんか茶碗や鍵屋の出土品
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鍵屋の模型。広い。
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くらわんか舟の再現。
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2階には63畳の大広間があり、お雛様が展示されていた。
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窓からは淀川が見える。右から左に比叡山、天王山、北摂の山々、六甲山、晴れ渡った日には「太陽の塔」が小さく見えるそうだ。あいにくの曇り日で残念。
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主屋(1811年の町屋建築)も見学。鍵が描かれている。
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お隣の建物を過ぎると西見附で宿が終わった。

◆守口宿へ

淀川沿いに出ると明治18年の洪水碑があった。どこの川も氾濫の歴史があって酷い。
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光善寺(出口御坊)がある。このあたりは蓮如上人にゆかりがあるところだ。
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「親鸞聖人 蓮如上人御田地」の碑。
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昼食は光善寺駅のそばのお寿司屋さん。茶碗蒸しまでついてなかなかのボリューム。
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2020年3月 3日 (火)

『奇妙な死刑囚』アンソニー・レイ・ヒントン著


『奇妙な死刑囚』アンソニー・レイ・ヒントン著 ブライアン・スティーブンソン序文

著者はアメリカ・アラバマ州で黒人であるがゆえに無実にもかかわらず死刑判決を言い渡されが、正義感溢れる弁護士(序文を書いた人)により、30年後に無実で死刑囚監房から釈放された。
事件当時、ヒントンは犯行現場から20数㎞離れた場所で守衛が目を光らせ、全従業員の出社と退社時刻を記録している倉庫で働いていたのである。警察はアリバイ無視、家宅捜索で古い拳銃を押収し、別の強盗事件でも逮捕、起訴した。検事、裁判官、裁判所指名の弁護人、陪審員ら全員有罪判決にし、死刑を宣告した。誤判は貧しい黒人青年であったがゆえに人種差別の犠牲になったのだ。
この悲劇は今でも跡を絶たないようだ。その中で30年の月日を経て2015年に釈放されたヒントン氏。彼を最終的に助けた弁護士は言う。
ヒントン氏は、思慮深く、偽りがなく、誠実で、思いやりがあり、たぐいまれなユーモアセンスの持ち主で愉快な人物。死刑囚たちと積極的に関わり、監房ではひとかどの人物として尊敬されていた。刑務官たちでさえ、結婚や信仰、日々の生活の苦労など悩みがあると彼に相談、助言を求めていたという。前代未聞の話だ。そんな風な人物に育て上げたのは素晴らしい母親だった。30年間毎週片道7時間もかかるのに面接に来てくれ、癌で途中無くなってしまう彼の母の面倒を見た友人レスターとその妻も心の支えになった。
そして弁護士だ。ヒントン氏は言う。彼を信じてくれ、貧しい人間のために粉骨砕身を続け、どんなに分が悪くても闘い続ける、神がつかわした最も偉大な弁護士だと。
本当にこんな弁護士がいるのかと私も感動した。

それにしても監獄の凄さは聞きしに勝る。冬の気温は書いてなかったけれど、夏は部屋の中は47度~49度の暑さという。ご飯は味なく泥のよう。ゴキブリとネズミが走り回り、死刑執行の時の焼く臭いが漂うという。最初は狂わんばかりの怒り、絶望、恐怖の果てに、よく耐え、ユーモア持って所内の人々へも希望をもたらし、奇跡を手にしたのである。ラスベガスの45度に数時間でダウンしてしまった虚弱な自分を思うと、そしてこの夏も猛暑日が続いたらもうだめと思っている自分を恥じます。いまだに黒人だからという人種差別という悪がまかり通っているということにも驚きます。

 

 

埼玉県の寄居町には8つの寺院に「十二支守り本尊霊場」があり、2月上旬に巡ってきました。
東武東上線の北側に四寺、南側に四寺。極小さな寺から立派な寺までいろいろで、自分の干支の守り本尊をお参りすると開運厄除、諸願成就等の御利益があるという。肝心の自分の守り本尊は閉まっていて見られなかったのが残念でしたが、色々なご本尊や石仏、鐘楼、仁王様などを見、最後の少林寺では五百羅漢を楽しんで癒されました。
どこかのお寺でいただいたちらし。全くその通りで戒めになります。
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少林寺の羅漢山(247m)の上の方までずっと並んでいます。これが見たくて参加したようなものです。
こんな風な間隔で続いています。
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ムンクの叫びのようなのが!!
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