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2020年3月 7日 (土)

京街道(3)枚方宿~守口宿(前編)

前週に続き2/13(木)に同様に近鉄丹波駅乗り換え、京阪で枚方駅到着は9:11であった。

●枚方宿(56番目)淀宿から14.3㎞、守口宿まで12㎞。本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠69軒。

枚方宿は京都と大阪の中間に位置する交通の要衝であり、淀川の川湊であったので、三十石船の寄港地として繁盛した。船が寄港すると「飯食らわんか、酒食らわんか」と茶舟が漕ぎ寄せ、飲食物を売りつけた。これが「くらわんか舟」である。
東見附から西見附まで1477mもある。
駅前の案内板など枚方宿は結構力を入れていて歩くのも楽しみだ。
享保時代、ベトナムから来た象(享保の象)もこの宿に宿泊したそうだ。

東見附の標識を見、問屋の家を見てからの続き。宗左(そうざ)の辻を曲がる。製油業を営んでいた角野宗左の屋敷があったという道標。磐船街道が分岐している。
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岡本町公園があり、第2日曜日は五六市があるそうだ。東海道の56番目の宿場であることから命名された。明日8日は中止でしょうね。
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高札場跡を過ぎると、くらわんかギャラリーがある。享保年間から続く塩熊商店(塩屋)の建物だ。
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今の三矢公園にはかつて本陣があった。
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京阪の踏切を渡って寄り道する。
東のご坊・願生坊。真宗大谷派の寺院で、東本願寺の別院とされた後、願生坊の名が与えられた。後で西御坊・浄念寺に行く。
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この道に「万年寺山周道」のプレートが埋め込まれていたので道を上がっていく。
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万年寺山は御殿山とも言われ標高30mの高台で、秀吉が家臣の枚方城主・本多政康の娘の乙女御前のために茶屋御殿を建てた。意賀美(おかみ)神社が隣接する。
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御茶屋御殿跡へ。
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ここから淀川が見える。対岸は高槻市だ。
Kawa

神社の境内には梅園がある(意賀見梅林)。
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意賀見神社。廃仏毀釈以前は奈良時代に創建された万年寺があったそうだ。
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街道に戻り、西御坊・浄念寺へ。工事中だった。
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問屋役人だった木南善衛門家(屋号は田葉粉屋)。宿最大の町屋で明治時代に再建されたものという。まだ手前にも建物が続いて大きくて全部入りきらない。
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鍵屋資料館に寄る。主屋と別棟があって資料館は別棟(昭和3年建築)にあり、入場料200円。
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鍵屋は三十石舟の寄港地の船宿として賑わい、くらわんか舟も行き交っていた。弥二さん喜多さんも伏見から三十石舟に乗船し、ここ鍵屋浦でくらわんか舟と掛け合いをしているとか。簡単なのを読んでいても覚えていない。
その後明治になっても屋形船を出し、1997年まで高級料理旅館として営業していた。その後解体復元工事により2001年より資料館として開館。
色々資料が展示されてたが、シーボルトやケンペルが枚方宿で見聞した、売春婦や食事のことなどを記した説明も見られた。

くらわんか茶碗や鍵屋の出土品
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鍵屋の模型。広い。
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くらわんか舟の再現。
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2階には63畳の大広間があり、お雛様が展示されていた。
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窓からは淀川が見える。右から左に比叡山、天王山、北摂の山々、六甲山、晴れ渡った日には「太陽の塔」が小さく見えるそうだ。あいにくの曇り日で残念。
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主屋(1811年の町屋建築)も見学。鍵が描かれている。
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お隣の建物を過ぎると西見附で宿が終わった。

◆守口宿へ

淀川沿いに出ると明治18年の洪水碑があった。どこの川も氾濫の歴史があって酷い。
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光善寺(出口御坊)がある。このあたりは蓮如上人にゆかりがあるところだ。
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「親鸞聖人 蓮如上人御田地」の碑。
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昼食は光善寺駅のそばのお寿司屋さん。茶碗蒸しまでついてなかなかのボリューム。
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コメント

恥ずかしながら大阪府のことは殆ど知りません。
兵庫県の西方にいましたので。

こんなに遺跡がまだ残っているのですね。

娘は入社したときはフナイ製薬枚方本社(支社)にいました。
エーザイにも合格していたのに、指導教官が
貴女ような人には強すぎて合わないと断り、こちらに決めたのです。
その後外資系の会社と合併し、メレルダウフナイになりました。
その時東京に皆さんは転宅されましたが、娘は結婚退職しました。

投稿: matsubara | 2020年3月 8日 (日) 07:49

★matsubaraさま

おはようございます。
私は大坂は修学旅行や万博の他3度ほど行ってはいるのですが、どこを回ったか地名だけで地図で確認していません。通天閣だとかおびんずる様や中の島公園と脈絡もなく歩きました。

お嬢さんがいらした枚方はなかなかの所ですね。
淀川を背景に景色も良いし、歴史濃厚、宗教は蓮如の足跡があって。
東京に行かれないで、故郷で暮らして良かったですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 8日 (日) 08:35

tonaさん、こんにちは~♪
娘は独身の頃、大阪が本社の会社で働いていたので
しょっちゅう大阪に出張していましたが、
私はまだ一度も行ったことがないのですよ。
大阪は商人の町というイメージがあるので、
くわらんか船はいかにも庶民的で大阪っぽいです。
東京では現在も屋形船がありますが、
もし江戸時代から同じような形態をとっているのなら、
少しは大阪より豪華かもしれませんね。
学校で習う歴史ばかりでなく、もっと庶民の歴史を
知るのも、面白いかもしれないと思いました。
今まで関西と言うと京都や奈良ばかりに目が行って
いましたが、大阪も見所が多くて良いですね。
ランチのお寿司も美味しそうです。

投稿: hiro | 2020年3月 8日 (日) 15:28

こんにちは
 
縁なく過ごしてきた地域で、なかなかピンとこないのですが、
今回の記事では栄えた川湊の様子に心引かれました。
>船が寄港すると「飯食らわんか、酒食らわんか」と茶舟が漕ぎ寄せ、
>飲食物を売りつけた。
とのご説明と後の方のくらわんか舟の模型を拝見して、情景が
生き生きと目に浮かびます。
くらわんか舟の名前がなんだか可笑しいです。
船宿の鍵屋の大きさも驚きです。2階の大広間が63畳とは!!
大変な賑わいで活気があった場所だったのですね。

投稿: ポージィ | 2020年3月 8日 (日) 15:28

★hiroさま

こんばんは♪
お嬢さん、そうだったのですか。
きっと詳しいことでしょうね。
今は北海道、ちょっとご心配でしょう。
勿論東京も人が多いわけですから安心ではないですが。
屋形舟と言えば最初の頃、コロロナウィルスがそこで感染しましたね。ご先祖様が今のこの状態を知ったらどうでしょう。海外ではペスト、江戸では天然痘や疫病がはやったので驚かないかしら。
確かに庶民の生活は教科書から伝わってきませんが、やはり教科書に出てくる人物や戦争、事件の話が出てくるとあくまでも教科書は基礎で、重要でもあると思われました。
私も京都や奈良ばかり。滋賀県がちょっとで、大阪は殆ど知らないと言ってもいいくらいです。
お寿司、好きですので、美味しいの一言です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 8日 (日) 20:30

★ポージィさま

川湊の繁盛ぶりが鍵屋見学で、よくわかりました。おっしゃるように63畳の大広間からもいかに賑やかだったかわかりますね。
伏見の寺田屋が相当しますが、こちらの方がくわらんか舟が寄ってきてさぞかしと思われます。
模型が実にその情景を表していますね。
外国人も売春婦など宿場の女性に興味を持った様子です。
私たちは歩いていますからお寺など色々見られました。
当時の人は船で下ったりしていたのですね。ずっと東海道を歩いてきた旅人には有難かったでしょう。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 8日 (日) 20:40

意賀見神社、名前もいいし、なにか物語を感じます。

投稿: 佐平次 | 2020年3月 9日 (月) 09:43

★佐平次さま

今何気にフリガナを見てビックリ。「おがみ」になっていました。
「おかみ」だったのです。よく間違える私ですが、老眼もひどくて眼鏡かけても濁点がよく見えていないことがあります。
長々と言い訳して申し訳ないです。
おがみとおかみでは感じ方が違ったと懸念されます。お詫びいたします。すみませんでした。

投稿: tona | 2020年3月 9日 (月) 10:49

こんにちは。この界隈は若い頃の関西勤務時でも全く行きませんでした。やはり京都⇔大阪間は電車でしたね。見どころは多かったのですね。「くわらんか」は「くらわんか」のタイプミスかと。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年3月 9日 (月) 13:59

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
ミスをご指摘いただきありがとうございます。
感謝です。
穴があったら恥ずかしいくらいこの頃ミスが多いです。なんだか認知症気味になったのかと思うこの頃です。続けていくのもどうかと思いますが、もうちょっとよろしくお願いいたします。
お若い頃関西勤務でいらしたのですか。あちらのこと詳しいことでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 9日 (月) 16:57

枚方宿は三十石船の寄港地として栄えただけあって大きな商屋があったのですね。
すべて重厚な気がします。
他の宿場町と違う感じがします。
 五六市はコロナウイルウの関係で中止になったのですかね。
何かすべてに影響が出てるようで残念です。

投稿: 夢閑人 | 2020年3月 9日 (月) 19:44

★夢閑人さま

63畳という大広間には驚きました。
確かに淀川に面していて他と違った雰囲気ですね。
当時に賑わいの様子が資料館でわかりました。
多分昨日は人が集まる市ですから中止になったのかと思いました。
今度はどうなるかさっぱりわかりませんね。世界的規模になるとは当初思いませんでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月 9日 (月) 21:08

tonaさんの街道歩きは順調に続いていますね。
ツァーと違いお嬢様との個人旅とお聞きしましたが、雨の日は順延ですか?

私は京都は数え切れないくらい行っていますが、大阪はいつも通り過ぎるだけで殆ど知りません。
昔から商業の街という印象ですが・・・
淀川が物流の大事な役目を果たしていたようですね。
「くらわんか舟」に納得です。63畳の大広間もすごい!
京街道の人の流れの多さが偲ばれます。
枚方宿がどの辺りかも知りませんでしたが、京都と大阪の真ん中で、とても賑わっていたのが分かりました。

2月13日は私はワンゲルで午前中は工場見学、午後は「生田緑地」で観梅でした。
午前中に結構な量の通り雨が降り、午後から晴れて暖かくなりました。
午前中は屋内の工場見学だったので助かりました。
関西は曇り空だったようですが降られなくて良かったですね。


投稿: nao♪ | 2020年3月10日 (火) 00:55

おかみ、なおのことイイですね。

投稿: 佐平次 | 2020年3月10日 (火) 08:36

★nao♪さま

強い雨の日は順延ですが、今まで幸いなことに小雨の日がありましたが(関が原では最後に豪雨に見舞われました)殆ど予定日に出かけられました。
私も京都は有名なお寺は殆ど行くことが出来ました。
大阪を通過する旅などはこの街道筋に平行に電車に乗っていたのですね。降りたのは全く初めてです。
昔のことからその地を知ったのは街道歩きの殆どがそうでありました。淀川の物流の賑わいをこの宿で学びました。
この日はこちらも通り雨でしたか。大阪はご覧のような曇天、午後から晴れ間が見えました。
暖かかったですね。
生田緑地は行ったことがないので楽しみに拝見します。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月10日 (火) 09:02

★佐平次さま、、ありがとうございます。
安堵いたしました。

投稿: tona | 2020年3月10日 (火) 09:04

丹波橋駅・・・懐かしいです。
出張先の樟葉に行くとき、海老名から小田急小田原線で小田原駅へ
そこで新幹線に乗り替え京都駅へ
京都駅で近鉄に乗り替えて近鉄丹波橋駅へ
そこで京阪(丹波橋駅)に乗り替えて樟葉まで
そのような経路でしたね。
樟葉駅近くで昼食を摂ってから相手先会社に行ってました。

枚方は子どものころから名前だけは知っていましたが
(ひらかたパーク、そして菊人形で有名でした)
一度も行く機会無く横浜に行ってしまいました。
枚方が宿場町であったことを、かなり後になってからした次第です。
さすがに昔の街道の佇まいを残していますね。
遠景写真からは想像できません。
高槻には知人が多く馴染みのあるエリアですが
枚方の隣りとはねえと、改めて地図を思い浮かべています。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年3月10日 (火) 09:54

★Saas-Feeの風さま

出張とはいえ遠いですね。朝4時半起きで国分寺から枚方着が9時過ぎですから。
同じ道筋で前回と今回京阪電車で辿り着きました。
枚方の菊人形、有名ですからさぞかし素晴らしかったのでしょうね。今は無くなってしまったそうで残念です。
枚方宿は最初が問屋役人の家から最後の商家鍵屋まで往時の面影を残す家がなかなかインパクトありでした。
大阪は大阪市と万博の吹田市しか入っていません。地理もさっぱりです。大阪はまだまだ南西方向に長いですね。おそらくこの方面はもう行くことはないと思われます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月10日 (火) 14:11

水の都と言われた大阪、
中でも淀川の三十石船の港として栄えた枚方で
「くらわんか船」というのがあったというのが
いかにも大阪らしいなと思いました。
そんな宿の船宿として栄えた鍵屋の規模の大きさに驚き
当時の賑わいが想像できました。
弥次喜多道中にも登場する大きな宿だったのですね
治水は昔から為政者の最大の課題だったと言いますが
川で栄えた街は反面氾濫の被害も多々あったのでしょうね

投稿: ビオラ | 2020年3月11日 (水) 17:04

★ビオラさま

大阪に向かって電車に乗っていましたら、~橋など川に関する駅名が多いのに驚きました。
水の都だったのですね。
伏見の船宿、寺田屋と比較すると鍵屋の大きいこと、一軒だけだったのかしら。伏見は数軒あったようです。
治水の話は川があると出てきますね。
このあと淀川沿いを歩くのですが、関する碑が出てきました。
凄い被害だったようですよ。
この頃の酷い台風で今でも真備町や那珂川の氾濫を思い出します。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年3月11日 (水) 19:35

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