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2020年7月31日 (金)

日光街道5 粕壁宿~杉戸宿~幸手宿(前編)

前回の翌週に日光街道歩きに出ました。もう1ヶ月も前になります。春日部駅に9:44に着き歩き始める。

◆粕壁~杉戸へ

粕壁宿を見終えていたので、新町橋・上喜蔵河岸跡の標柱を見て、大落古利根川の橋を渡る。もう3週間も続いている梅雨で増水している。
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仲蔵院へ。永禄元(1558)年創建の古いお寺で、これまた古い寛政4(1792)年建立の、すっかりお馴染みになった青面金剛庚申塔がある。
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おかしな三猿もいた。
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小渕一里塚跡碑と天保3(1831)年の庚申塔がある。 

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追分道標を左に入って小渕観音院へ。
立派な楼門(仁王門)は元禄2(1689)年建立でかなり古い。
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これは阿形の仁王像の方だが腕も欠け古い。
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芭蕉の句碑。「ものいへば 唇さむし 秋の風」芭蕉はこのお寺に宿泊したとも言われる。
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貞享4(1687)年の石燈籠は今まで見たことないような形だ。
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月待塔の二十六夜塔も初めてだ。文字の上には愛染明王の刻像塔。関東地方以北を中心に分布する。江戸では旧暦7月26日の月を阿弥陀三尊の出現として拝み、高輪から品川辺りが盛んであった。
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月待塔(つきまちとう)は、日本の民間信仰。特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行った講中で、供養の記念として造立した塔。
月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である

すぐに杉戸町に入ったところに北緯36度記念モニュメントがある。
杉戸町は北緯36度にあり、地球儀の形の36の線上には、青島、ナッシュビル、ラスベガス、グランドキャニオン、テヘラン、ジブラルタル海峡、地中海、カラコルム山脈があるそうで、名前が彫り込まれていた。
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この辺りは香取神社だらけで5つ以上もお参りしている。神社のそばの田んぼの稲の色が美しい。随分丈が伸びている。
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北葛飾郡杉戸町のマンホールは町の花の菊。
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九品寺。
青面金剛の文字庚申塔があって左側に「左日光」、右側には「右江戸」とあって道標を兼ね、下の台座には水準点の几号(きごう)が見える。
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お寺の先には大六天(中に大六天と刻まれた石碑が祀ってあった)。第六天とも表示し、関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺だけに存在する神社。
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昼食は「うき舟」で和食定食。なかなかに美味しかった。
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馬頭院には古い石碑が見られる。
一面六臂の青面金剛庚申塔の他、珍しい観音菩薩の庚申塔。
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これまた古い緑泥片岩に阿弥陀如来の種子を刻んだ文永7(1270)年建立の本板石塔婆。13世紀の念仏信仰を知る貴重な考古資料だそうだ。
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三本木一里塚跡を過ぎ、万福寺、八幡神社に寄り、街道に戻る。

銘酒「杉戸宿」の関口酒造が見えてきた。創業文政5(1822)年。築山殿の実家だそうだ(父が関口親永で駿河今川氏の有力家臣)。関口氏の先祖が1600年代に分家して商いを始めたとのこと。
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高札場の再現。
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近津神社に寄る。1684年創建だが2001年に焼けた。
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この神社の狛犬は「見返り狛犬」で珍しい。1864年建立。
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何て低い富士塚でしょう。
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(続く)

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2020年7月27日 (月)

<ハシビロコウ>

娘が買ってきたハシビロコウの本を2冊、先に借りて楽しみました。
『ハシビロコウのすべて』今泉忠明監修、国内動物園の13羽、大集合。96頁。
『ふたばPHOTOBOOK』は掛川花鳥園の「ふたば」ちゃんの魅力に迫った同じく96頁の本。

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昨年9月、上野動物園で初めて出会ってすっかり気に入ったハシビロコウです。実はあの時点でハシビロコウとアフリカハゲコウと間違えていました。
南アフリカに行ったときに、世界で一番醜い鳥としてアフリカハゲコウを紹介され、双眼鏡で見たのでした。頭が禿げていてそこが醜くただれているのです。
上野動物園で見たら違うではありませんか。すぐそこで頭を切り替えて見入った次第です。
動かない鳥と聞いていましたが、上野では最後に歩く姿を見ることが出来ました。

ハシビロコウは日本には8施設14羽。アフリカからやってきているが殆どタンザニアからだ。
上野動物園には4羽もいます。
本にはいきなり8羽の正面顔。眼光鋭くこわもて顔やそうでないの、冠羽がないものがいること、額の広いのや狭いの、羽毛や嘴の色の違いなど見れば見るほどおかしい。
そして後ろの頭部分。冠羽の生え方がこうも違う物なのか。まるで寝癖がついてしまったようにあっち向いたりこっち向いたり、多いもの少ないものと見ているだけで笑えてしまう。
じっとしているだけでなく、飛ぶし、白目をむいたり、フリフリダンス風、お辞儀をしたりするらしいが、見られたらいいなあ。
食べ物は鯉やニジマス。

掛川花鳥園のふたばちゃんは冠羽が2つに分かれているので付けられたという。2016年にタンザニアからやってきて、雌で推定4歳以上。
温室育ちのお嬢様で、飼育スタッフの好き嫌いが激しく(男の人が好き)、飽きっぽいのだという。こんな1冊の本になっていると、行きたくなってしまいます。

たまたまBS3でやっていたタンザニアのンゴロンゴロ自然保護区にはハシビロコウは見えなくて、遠景にフラミンゴの姿が大自然の中に浮かんでいました。


6月の半ば過ぎ奥歯が痛くなって、急遽また歯科医へ。1週間に一度今日で6回も通ってあと1回で治療完了予定。歯を抜かないで治療することになって、どうやら今回は大丈夫ということになり一安心。80歳で20本の歯が健在が理想。来年まで大丈夫なら80・26でいきそうです。
歯科医の帰りに時に寄るのがお寺。
もう秋の七草と言われるオミナエシとナデシコが咲いていました。その名も秋の付くシュウカイドウ(秋海棠)も咲いて、まだ梅雨も明けやらず、これから猛暑がやってくるというのに、一瞬秋かと勘違いです。実は夏に咲くのですね。
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その他お寺にはメハジキ(ユリ科)、サワヒヨドリ(キク科)・・・高原のヨツバヒヨドリに似ています・・・が咲いていました。
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通りすがりのお宅に茎に葉を2枚抱いたクリーム色の3枚の花弁の花が咲いていました。つる性。全く初めてです。帰って庭を見たらミズヒキやホトトギスもです。
わからない花・ズームレンズにヒットしませんでした。
Wakaranai

 

 

 

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2020年7月21日 (火)

大平山とラベンダー

6月下旬に埼玉県の嵐山町にある大平山(おおびらやま)に登りました。といっても標高がたった179ⅿですから散歩程度と言えましょうか。歩数も25603歩でした。

東武東上線の武蔵嵐山駅で降りて少し歩くと、横に長く平らな大平山見えてきた。
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登り始めるとすぐオカトラノオが。久しぶりで涼やかです。
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頂上手前に雷電神社がある。地区民こぞっての雨乞いの祈念が行われたそうである。
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600ⅿ歩くともう頂上。これが頂上の印。
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少し下がった展望台からラベンダー畑の方を望む。
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出来立ての松ぼっくりの色がきれい。
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嵐山発祥の地の碑
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シモツケソウやウツボグサも久しぶり。
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頭に何かのっている面白いキノコ。目玉のおやじみたい。キノコでなくてギンリョウソウの果実でした。多摩NTの住人さま、ありがとうございました
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与謝野晶子の歌碑「比企の渓」 こんなところに与謝野晶子が来たのでしょうか。
  槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち並びたる やまのしののめ
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槻川まで降りてきた。右手に行くと嵐山渓谷だ。
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橋を渡る人と飛び石を渡る人に分かれる。私は涼しそうなので川を裸足になって渡る。気持ちよい!友人も気持ちよさそうに渡ってくる。
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ラベンダー畑では今収穫をしていた。
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マスクをしながらでも、久しぶりに会った友人たちと歩いて、山の花に会い、川渡りが今年も出来、ラベンダー畑の香りを愉しんだハイキングでした。

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2020年7月16日 (木)

日光街道4 越ヶ谷宿~粕壁宿(後編)

越ヶ谷市から春日部へ向かって歩いているとき、街道の左右に大きな敷地の家(150~200坪はあるか)がたくさんあったのですが、前庭の垣根沿い2ⅿくらいに植木や花を植えて、建物からそこまでに至る広い土地を全部コンクリートや敷石で埋めている家が多かったことです。
なるほど、雑草対策ですね。家の中から庭を眺めると強い太陽光がコンクリートに反射された向こう端に植物が少し見えるだけということ。それでもこれは年寄り向きにいいです。一方庭全面草木で手入された家もあって、こんな広い庭を管理される大変さを感じるけれど、美しい植物に癒される日々を送っている方と見受けました。

●粕壁宿(4番目の宿)越ヶ谷から10㎞、杉戸まで6.6㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、問屋場1ヶ所。

宿の入り口には東八幡神社がある。石清水八幡宮から分霊を勧請したという神社で御神木は樹齢600年のケヤキである。粕壁の氏神様である。
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本殿は立派で、彫刻もすばらしい。境内には他の境内社がいくつか見られる。
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三之宮卯之助の力石。右から二番目は100貫目(370㎏)で、越谷三之宮に生まれた卯之助(1807年生まれ)がこの東八幡神社境内で興業した際に持ち上げたものという。信じられない力持ちが江戸時代に居たものだ。
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神社のそばに東陽寺。
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芭蕉たちが泊ったそうで、「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」と刻まれた芭蕉宿泊の寺碑がある。
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北村西望作の笑う少女がありました。いいですね。
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粕壁宿の街道は電線が埋設されすっきりとしている。
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脇本陣跡を通り過ぎ、春日部市郷土資料館に寄り道する。
春日部は桐ダンス・桐小箱・麦わら帽子・押絵羽子板などの伝統産業がある。
200分の1の粕壁宿の模型が素晴らしい!宿は約1.1㎞だそうで、天保14年(1843)ごろには家数773軒、人口3701人だったそうだ。
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板碑(いたび)は近くの浜川戸遺跡から出土したものとのことで市内では200基以上確認されている。
ここに展示されていたのは全部鎌倉時代ので左から2番目は市内最古(1283年)。一番左と一番右の梵字は阿弥陀如来を表わす梵字(キリーク)の種子(しゅじ)。
鎌倉でも見ましたがその時は知識もなく通り過ぎましたが、埼玉県のこの辺りは多く、死者供養のための石の卒塔婆ということで興味が出てきたところです。
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資料館を出て大落古利根川沿いに出た。
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碇神社へ。
昔は古利根川を上下する船の荷の積み卸し場で、小高い丘だったことからこのあたりは碇山と呼ばれており、イヌグス(樹齢600年のタブノキ)は舟運の船頭から河岸の目印にされた。タブノキの北限で県の天然記念物。[つくづく思う。予習をして行っても、例えば碇神社が小高い丘の上にあること自体を忘れ、タブノキは目印だったということも忘れてそういう目でこの木を見ていなくて予習は何の役にも立っていない・・いつもいつも記憶力の悪さを実感し、最近それがエスカレートした]
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タブノキの実を初めてみて撮影。丸いドングリだ。
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街道に戻って本陣跡(関根本陣)の標柱を見る。
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旧田村家。荒物店だった。家の前には道標があり、裏に豪壮な家屋と蔵がある。
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問屋場跡を通り過ぎた先に米穀問屋の永嶋庄兵衛商店がある。屋根の上に鍾馗様が立っている。信仰していたのでしょうか。
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その先にある国指定文化財の浜島家の土蔵。
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向かいが高札場跡で、宿もこの辺りで終わる。街道はここを右折するが、進むのは次回にして、寄り道をしてこの日は終わりにする。

普門院ではこの日3つめの一石六地蔵を見る。
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最勝院
山門
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南北朝時代、後醍醐天皇に仕え、元弘の乱に功をなした春日部重行公之墳墓がある。
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成就院
山門がとても立派だ。
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粕壁宿の宿役人を勤め、水害や飢饉で窮地に陥った宿場の復興に尽力した見川喜蔵の墓がある。左の五輪塔は見川家代々の墓。
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春日部八幡神社。
元弘年間(1331~34)に、春日部重行が鎌倉鶴岡八幡宮の遙拝所として建立したと言われる神社。
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御神木の大イチョウは鶴岡八幡宮の御神木の一枝が飛ばされ、一夜にして大木になったという。
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参道入り口には、在原業平が墨田川の渡しで詠んだという都鳥の碑があった。どうしてこんなところに?
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春日部駅に向かう途中で、羽子板最中を買ってもらった(栗の入った最中)。羽子板は春日部の名産品。浅草羽子板市で売られる押し絵羽子板が春日部で作られていたのだ。押絵羽子板は昔買ったことがあります。
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東武スカイツリーライン、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ7時前帰宅。35573歩。
      (完)

 

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2020年7月10日 (金)

日光街道4 越ヶ谷宿~粕壁宿(前編)

越ヶ谷~粕壁

やっと都外に出られるようになったので、約三ヶ月ぶりの日光街道歩きです。
前回越ヶ谷宿を見終わって北越谷駅から出発。9:45頃歩き始める。
この日は江戸時代の古い石像を多く見る事になる。

青面金剛庚申塔と古奥州街道の道標を兼ねた石造物。寛政3年(1791)。しめ縄?が。
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宮内庁埼玉鴨場入り口の冠木門。以前にも来てブログに載せたことがある。
鴨の飛来が少なくなった浜離宮の代わりとして明治41年(1908)に元荒川沿いに設置された鴨場だ。外国のお客様をもてなすと聞いたが、果たして今でも使われているのでしょうか。鴨池はなんと1万2000㎡あるそうだ。見られないのが残念。
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そばに大林寺があって、門前にある大乗妙典一千部供養塔は元文9年(1740)年の建立。この辺りも古い石造物が多い。次々と出てくるのでそれを愉しむ。
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香取神社(このあたりの街道には香取神社が多い)に壊れかかった石造物や力石や猿田彦大神(猿田毘古大神)がある。
猿田彦大神はこのあとあちこちで見かけた。Wikiによれば、
天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。 伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。そうそう、この街道筋は今の所、庚申塔も多いのです。庚申塔は青面金剛の下に必ず三猿がいます。猿田彦大神との関係も頷けるような。
猿田毘古大神と猿田彦大神。
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その先の宝永7(1710)年建立の青面金剛庚申塔。
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同じようなのをこの先もたくさん見る。埼玉県は秩父の山でもそうだったのですが、庚申信仰が盛んだったようだ。
又、地蔵菩薩も多い。このように表面がはがれて青くでているものは1700年代からそれより古いとみて差し支えないようだ。
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下間久里香取神社を通り過ぎ新方川(にいがたがわ)を渡ると春日部市に入った。市の花・藤をデザインしたマンホール。藤の牛島があるからでしょうか?
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その奥の歓喜院の中にあった、六地蔵尊碑。舟形の一石六地蔵は珍しい。
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これは寛延3年(1750)の馬頭観音。馬が頭にしっかり見えました。そういえば岐阜県内の中山道は馬頭観音だらけでした。早く中山道に行きたい!
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西光寺。立派なお寺だ。
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台杉仕立ての北山杉。京都市街の鞍馬寺の周辺に群生する北山杉。東山魁夷が描いていたのを思い起こします。
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宝暦4(1754)年の十一面観音菩薩を刻んだ普門品供養塔。
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街道に戻り少し先に進むと、建御雷(たけみかづち)神社がある。境内に嘉永5(1852)年に築かれた富士塚があり、富士浅間宮大権現が祀られている。今までで見た最小の富士塚だ。
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称名寺の裏手の林西寺へ。立派な山門。
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一石六地蔵がまたあった。こちらは六角石柱に彫られている。
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葵の御紋が目立つ本堂から、内陣を拝見。
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寺領25石の実物の朱印状が残されているという格式の高いお寺だそうだ。子育て呑龍上人(貧しい家の子供を数多く養育した)として知られる呑龍上人の出家した寺である。朱印状というのは天領を寺社などに寄進する旨を記した書状。

街道に戻り、昼食。イタリア厨房 ベルパエーゼに入る。検温あり(歩いて暑くなっていたので心配になって慌てて凍らせたお茶のペットボトルをあちこちに当てて体を冷やす)どうやら6.6度で無事だった。
スープ、アマトリチャーナスパゲティとサラーメピザ(オリーブとサラミ)をシェアする。デザートはケーキか抹茶あんみつだったので迷わずあんみつを。ビッグサイズなので、ピザは残したが、あんみつは全部食べてしまって、食後は満腹で血を吸った蚊のようであった。
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一日中曇りのはずだったが、午後から日が照って暑く、帰ったら腕が真っ黒に焼けていた。
八里目の備後一里塚跡の碑。
なぜ備後か?かつてこのあたりは海で、見つかった観音像が備後からきたものだったからだそうだ。
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街道に近づいてきた川は大落古利根川。稲が大分伸びて緑が美しい!
元は利根川の本流だったのが、江戸初期に東遷事業により付けかえられ、排水路となった。大落(おおとし)とは農業排水を落とすという意味だそうだ。
奥に見える橋は昭和初期に架けられた時は有料の木の橋で賃とり橋と言われていたという。
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善巧寺。浄土真宗の寺で親鸞聖人の旅姿の像がある。京都へ帰り、90歳で生涯を閉じたとあった。
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大下稲荷神社を通り過ぎ、八坂神社到着。いよいよ粕壁宿である。
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八坂神社境内には文政時代の猿田彦大神があり三猿が刻まれている。
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粕壁宿は日本橋から約36㎞。
元々平安時代に紀氏の一族が土着し春日部氏を名乗る。
地名の漢字表記の「春日部」は南北朝時代の春日部が古く、その後戦国時代「糟ヶ邉、糟壁」と変化し、江戸時代中頃以降は「粕壁」と書かれるようになった。
昭和19年(1944)粕壁町と内牧村の合併により、春日部町となる。昭和29年(1954)に春日部市となる。さらに合併して2005年(H17)に現在の春日部市になる。

(続く)

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2020年7月 6日 (月)

南沢あじさい山の「花咲かじいさん」に会う

JR武蔵五日市の裏手にある「南沢あじさい山」(あきる野市深沢)に友人に車で案内していただきました。

チラシより・・・山の持ち主、南澤忠一さんが40歳の時にご先祖様にお供えをしたい気持ちから、まず山を切り開き道を作り、庭の2株のアジサイから独学で挿し木で増やしました。
それから50年、一万五千株のあじさい山となりました。
90歳の南澤忠一さんに入口で会いました。「花咲かじいさん」とか「ちゅういっちゃん」という愛称で呼ばれているそうです。
とても90歳とは思えない若々しさ、背筋も伸び艶やかなお顔でした。
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2016年からは、このあじさい山を広く知ってもらいたい、この先も長く愛される場所にしたいという思いから、地元の若者が管理を手伝うようになりました。来場者への案内や道路の整備などはもちろん、アジサイの管理、木々の手入れなど、忠一さんが長年山に入って培ってきた技術を受け継ぐべく、奮闘しているそうです。
若者たちとの触れ合いやまだまだあじさい山を大きくしていこうという意気込みが、こんなに元気で若々しくしておられる源と思われました。

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入り口近くのお庭には池があって立派な鯉が泳ぎ回っています。
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鹿のように見える素敵なオブジェ。
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サルオガセが一杯垂れ下がっている。
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入口から左手に入って山道を登っていく道は両側に丁度満開のアジサイが垂れんがばかりの様相です。
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あじさい山を造る動機になった先祖代々の墓地が右手に見えます。
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10分くらい歩いたか?「10年でここまで」という表示が。
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「20年でここまで」という表示まで見ました。30年、40年、50年という表示は見ないまま引き返すようになっていました。
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昨年の加藤登紀子さん記念植樹。この日「加藤登紀子&Yae あじさい山コンサート」が午後3時頃から行われるそうで準備もされていました。
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展望台も造られていた。
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駅近くのお蕎麦屋さんで昼食。竹炭そば、月見とろろ、ツユクサとヨメナの天ぷら、切り干し大根の煮つけ。
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2020年7月 2日 (木)

甲州街道2 初台~高井戸宿(下高井戸宿・上高井戸宿)~柴崎(後編)

寺町が終わると高井戸宿の下高井戸宿です。内藤新宿が設置される以前の街道最初の宿駅でしたが、内藤新宿の設置により次第に素通りされるようになった。今は宿場の雰囲気は何も残っていません。ただ江戸初期以来の寺を見物するのみです。

下高井戸宿 内藤新宿から6.9㎞、上高井戸宿まで1.6㎞。本陣1軒、問屋1軒、旅籠3軒。上高井戸との合宿(ごうしゅく)で問屋業務を月の内1日から15日まで勤めた。

すぐ右手に明治40年創業の竹細工店「竹清堂」があり、お休みであった。2階に竹細工の象が乗っている。
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覚蔵寺。
日蓮聖人直刻の「鬼子母神」があるそうだ。これは日蓮が鎌倉の龍ノ口で危うく処刑されかかった時、胡麻のぼた餅をくれた老女に礼として与えたもの。鎌倉の、老女が住んだぼた餅寺(常栄寺)でこの話を知ったが、その時日蓮のお礼の話は知らなかった。その鬼子母神がまたどうして下高井戸へ来たのでしょう?
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宗源寺。
境内の不動堂はかつて高台にあって高井堂と呼ばれ、それが高井戸の地名の由来となったとの説がある。杉並区の貴重木の大きなラカンマキがあった。
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甲州街道一里塚跡の4里目の解説板には、この街道を利用した諸大名は、信州高嶋藩、信州高遠藩、信州飯田藩の三藩のみ。幕府の甲府勤番がいたのでその往来もあったとある。

上高井戸宿 下高井戸宿から1.6㎞、国領宿まで6.1㎞。本陣1軒、問屋1軒、旅籠2軒。問屋業務は16日から月末まで勤めた。

本日のおやつは気温がかなり高く、ファミマのイートインで宇治抹茶&ミルクソフトで体を冷やした。
武蔵屋本陣跡も問屋場跡の表示もなかったが井の頭辨財天道の道標があった。地図を眺めると、なるほどここから井の頭公園まで近い。古の人は弁財天にお参りと言えばどこまでも歩いて行ったことを、こんな道標で思いを馳せる。
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その先に長泉寺。ここには武蔵屋本陣をつとめた並木家の墓があるとのことだがわからなかった。
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参道にはたくさんの石仏が。
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大橋場跡。烏山用水に架橋されていた橋の跡。右側の地蔵は、地頭名主を勤めた下山家の下山地蔵。
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この辺りで上高井戸宿を出たようだ。

給田観音堂。徳川家所縁の尼寺跡である。
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宝永4年(1707年)建立の宝篋陀羅尼経之塔がある。
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仙川を渡って調布市に入る。
マンホールは市の花・百日紅だ。
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昌翁寺へ。山門が立派だ。
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正保2年(1645)建立の宝篋印塔、宝永3年(1706)建立の五輪塔がある。
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仙川の一里塚跡(5里目)を通り過ぎ、キューピーの工場前に。ここにマヨテラス(90分見学コース)があるらしいが残念ながらパス。キューピー人形が見えた。
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瀧坂旧道標石。
ここは雨が降ると瀧のように流れる急坂の難所だった。ここには馬宿川口屋があった。
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この坂の途中にあったのが、薬師如来座像と首のない地蔵。道端に薬師如来とは珍しい。
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国道20号に合流したところにあったのが庚申塔。寛政12年(1800年)建立で220年経つとこんな状態なのか。お花が手向けてある。
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その先に金子の大イチョウ。調布市の天然記念物。旧金子村・山岡家のもので樹齢250年、幹回り約4ⅿと大きい。
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金龍寺に寄る。曹洞宗の寺。家光が鷹狩りの際に休息した場所。
 真っ赤な派手な門と金ぴかの金剛力士像。
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閻魔さまも派手だ。両隣には十八羅漢像の2体。
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本堂と道元像。
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このお寺はリスを飼っている。可愛い!
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高札場の復元も境内にあった。今まで見てきたのと比べると小さい。
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街道に戻って妙円地蔵(盲目の尼僧)を。1805年、村人からの浄財をもとにこの地蔵菩薩像を建てて念仏を唱えながら往生したという。
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ラッシュを避けるため調布まで行けなくて、柴崎の駅から電車に乗って5時半頃に地元駅に着く。32644歩。

(完)

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