日光街道6 幸手宿~栗橋宿~中田宿~古河宿(後編)
●栗橋宿(7番目の宿)全部で21宿あるのでやっと三分の一です。埼玉県最後の宿場。本陣1、脇本陣2、旅籠25軒。
近くの利根川を挟んだ中田宿とは合宿で、宿場業務を協力しあった。
日光街道唯一の関所もあったところだ。(見逃す)
焙烙地蔵 関所破りで火あぶりにされた者たちを供養するために地蔵尊を祀ったという。直接、使う火を当てて使う焙烙を奉納して願掛けする、その焙烙が地蔵と共に置かれていた。
栗橋宿を開拓した名士が眠るお寺を3つ見学。
顕正寺。下総国栗橋村より村民を引き連れ、開墾した池田鴨之介の墓がある。本陣役を務めた。
境内にはくりはし八福神の毘沙門天と三面六臂の馬頭観世音も。
向かいの浄信寺。
名主・梅澤太郎右衛門の墓がわからなかった。この人は徳川秀忠公日光東照宮社参の折、流出しかかった船橋を命がけで守り、褒美と共に名字・帯刀をを許された。
船橋というのは将軍の日光社参の時の臨時の橋。川幅いっぱいに高瀬舟を並べ、頑丈な虎綱で川岸から固定する。次に船の上に板と砂を敷いて橋としたもの。
隣の深廣寺。
南無阿弥陀仏と刻まれた六角名号塔が21基ある。二代住職単信上人が20基建立、九代住職法信上人が1基建立したという。
本堂内陣ではご本尊阿弥陀如来を拝見出来た。
栗橋宿の今の街道。栗橋の駅からは東武日光線を離れ、JR東北本線沿いとなるので一駅区間が長くなって駅に辿り着くのが大変になってくる。
栗橋駅の近くに静御前のお墓があるので往復約2㎞を歩く。
静御前は、義経を追って奥州に向かう途中、義経の死を知り、文治5年(1189)9月15日に此の地で亡くなり、侍女の琴柱がこの地にあった寺に埋葬したと伝わる。
まさか静御前がこんなところで亡くなっていたとは。
義経招魂碑もあった。
街道に戻って、栗橋宿の総鎮守の八坂神社に寄る。
御神輿が立派だ。
ここは狛犬でなくて、狛鯉で初めて!!
坂東太郎・利根川を利根川橋で渡るが、長くて10分以上もかかった。途中から茨木県・古河市に入る。橋からは東北本線が走っているのが見えた。
●中田宿(8番目の宿)本陣1、脇本陣1、旅籠6。
川を渡って、中田関所跡(その後関所は対岸の栗橋宿へと移った)と中田宿の説明板を通り過ぎる。
鶴峯八幡宮。1181年に源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのが始まりという。
拝殿。狛犬たちはマスクをしている。
そして日光街道旅の神に無事旅が出来るようにお詣りする。
鶴峯八幡宮のお隣の光了寺。
文化14年(1817)の芭蕉句碑「いかめしき 音やあられの ひのき笠」がある。
東北本線の踏切を渡ると、約4㎞の中田の松原がある。
寛永7年(1630)古河城主永井尚政が植えた松並木だったが、戦時中伐採されてしまう。今の松は平成6年に植えられたのでまだ小さい。
すぐ先に石仏群があり、青面金剛庚申塔や馬頭観世音供養塔と共に天明5年(1785)の十九夜念仏供養を発見。本日は3つ目で十九夜塔・・気違いになっている。
ちょっと遠かったけれども古河公方公園へ。駐車場の広さに圧倒される、きれいな公園だ。
とここで転ぶ。何も段差がないところで。顔面左を打ったので、最初は紫➡青➡緑➡黄色と変色しやっとみられる顔になった。以前転んだのは大山街道関係を歩いているときで、この時は何も被害なし。骨折していなかったので良かったとつくづく思った。気をつけよう。娘が上手く転んだと言ってくれた。
御所沼。
古河公方館址の碑。鎌倉公方足利成氏が享徳4年(1455)に移り住んだところである。その後、足利氏は古河公方と呼ばれることになった。
残念ながら、遅くなってしまったので民家園は閉まるところで、入園できなかった。
古河市のマンホールは渡良瀬遊水地花火大会・・・谷中湖(渡良瀬遊水地)の中之島から打ち上げた花火を、渡良瀬川の三国橋越しに見た風景が描かれている。この花火大会は2005年で終わってしまっているとか。
街道に戻る。
古河の一里塚(再現)は古河第二高等学校の校庭内にあるため、見ずらい。(16里目)
古河宿に入ってきた。原町口木戸跡。宿内は次回に見学することにする。
6時過ぎに東北本線古河駅から乗り、浦和で京浜東北線に乗り換え、南浦和で武蔵野線、西国分寺で中央線に乗り換えて国分寺に7時半過ぎに到着。。
いつもの庄屋で乾杯兼反省会。45858歩。転んだ上、足がつりました。2ヶ月のブランクは怖い。
(完)いつも読んでいただき有難うございます。
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コメント
日光街道歩き素敵ですね!幸手は権現堂桜、古河は歴史探訪で行きましたがこのルートを繋ぐ経路も見所が多そう!活動的にアウトドアを楽しむもよし、花を愛で散歩するのもよし!何をしても気持ちい爽やかな季節となりました。
投稿: ローリングウエスト | 2020年9月30日 (水) 06:07
★ローリングウエストさま
権現堂桜、さぞかしきれいだったでしょうね。
古河も探訪されたのですね。見処多そうです。今から見学するため、電車に乗って向かっているところです。いよいよ秋ですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年9月30日 (水) 07:27
日光街道歩き、ついに埼玉県を出るところまで行かれたのですね。
現在の茨城県を掠めるようにして栃木県へ入るのでしょうか。
静御前は栗橋宿の近くで亡くなったのですね。義経の招魂碑に、悲劇の二人への人々の思いが感じられますね。
船橋というものに驚きました。利根川を渡るために作られた
舟による仮橋とは。いったい何艘の高瀬舟を用意したのやら。
板を渡し、砂まで撒いたのですね。秀忠公はその上を駕籠で渡ったのかしら。
静御前のお墓や古河公方公園など、離れていても立ち寄られた
所もあったりして、45858歩にも!!
久し振りの街道歩きでこの歩数ですから、転ばれたり攣ったりも
無理からぬと思いましたが、転ばれたとき痣以外のお怪我に
繋がらなくてせめてもでした。
投稿: ポージィ | 2020年9月30日 (水) 11:09
船橋は文字の通りの船をつないだ橋ですか。
板を敷いた上に砂まで敷詰めた仮橋は将軍様の威光を示すものですね。
静御前のお墓と出てきたので何故と思いましたら
義経を追って奥州への途中だったのですね。
途中で義経の死を知り精魂尽き果てたのでしょうか。
転んでお顔を怪我され痛い思いはされたようですが
骨折しなくて本当に良かったです。
転ばないのに越したことはありませんが上手?に転べたのは
たくさん歩いて筋力をつけているおかげでしょうか。
投稿: ビオラ | 2020年9月30日 (水) 13:06
こんにちは。古河までたどり着きましたね。JR宇都宮線の栗橋-古河-野木という3駅は、それぞれ埼玉県-茨城県-栃木県と一駅毎に県が変わる地点です。元「鉄道ファン」でしたが、どうでもいい話でした。
投稿: 多摩NTの住人 | 2020年9月30日 (水) 19:27
★ポージィさま
こんばんは。
今日、茨木県の古河を歩いてから栃木県の野木町に入り、小山市まで歩きました。ですから茨木県に居たのはこの回の利根川を渡った後と今日の古河宿を回って、その後は栃木県に行ってしまったので全部で一日はいなかったと思います。
静御前は鎌倉から京都方面に帰った後、こちらまで追ってきたのですね。判官びいきではありませんが、静御前が可哀想で、亡くなったのも無念だったでしょうと偲びました。
今日、その船橋の模型を見てきましたが、多くの高瀬舟で造ってありました。将軍が渡っただけでなく将軍の荷物もたくさん往来したと書いてありました。
そうなのです。静御前と古河公方公園往復で歩数がかなり増えてしまいました。
2か月ぶりでしたので疲れで転んだのですが、転ぶのがうまかったらしいですが、日ごろ骨密度を上げるように努力をしています。
でも以前鎖骨骨折と、腰椎圧迫骨折をしているので、今度転んだら大変だと思っています。気をつけようと思います。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年9月30日 (水) 22:08
★ビオラさま
船橋、そうなのです。今日は続きを歩きに行ったのですが、模型を見ることが出来ました。
おっしゃるように、将軍様の威光は凄いものがありますね。庶民は大変だったわけです。
静御前については全くそのようですよ。
女性が京都から鎌倉、鎌倉からまた京都、そして京都から奥州と旅するのは大変だったと思います。日帰りでさえ凄く大変と思うのですから(これは全く高齢のせいなのですが)、今と違う平安鎌倉時代、どんなだったかと思いました。
顔の怪我はマスクで隠せて良かったです。もしそうでなかったら恥ずかしくて歩けません。
今回たまたま骨折しなかっただけだと思います。骨折しないように食べ物に気をつけてるのと日に当たるのと、歩いて運動することしかしていません。それが役に立つなら運動にもっと力を入れなければ。でもジムに行くのは好きでないです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年9月30日 (水) 22:21
★多摩NTの住人さま
この日、埼玉県の栗橋から利根川を渡って茨木県の古河まで行き、本日古河から栃木県の野木町、小山市まで歩いて間々田駅(小山駅と書いて間違えましたので今朝訂正します)から帰りは乗りました。
本当におっしゃる意味が本日よくわかりました。
鉄道ファンはよくご存じで、体験出来て私も嬉しいです。この街道を歩かなかったら、一生知らなかったわけですから。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年9月30日 (水) 22:28
よそ見でもしてましたか。
御無事でよかったですね、骨折でもしたら帰宅するだけでもひと騒ぎですものね。
日頃歩いているからそれで済んだのかもしれないですね。
投稿: 佐平次 | 2020年10月 1日 (木) 10:03
全然しらないところばかりです。
まだまだ見るべきところが残されているのですね。
どうしても転びやすいはお互いさまです。
私は自転車での転倒がこわいので、いつも
スローペースです。
軽くてよかったですね。
岐阜市のマンホールは今日こそ撮影しようと先月
どこにするか定めてきました。
投稿: matsubara | 2020年10月 1日 (木) 10:12
★佐平次さま
ありがとうございます。
多分きれいな池を見ていたのです。
これを機になるべくよそ見をしないで下を見て歩いています。
結構味気ないですが。まあ、こうして一つ一つ不自由になっていくのですね。
お陰様で今回も骨折しないですみました。現地病院に入院なんて大変なことです。
投稿: tona | 2020年10月 1日 (木) 13:28
★matsubaraさま
私も名前さえ聞いたことがない地名が出てきます。東京近隣ですからまだしも、それ以外の地は本当に知りません。岐阜県の中山道沿いの市は大分知りました。
私はもう自転車はきっぱりやめました。
時々忘れてまた出かけなければならないとき、誘惑にかられますが。
頬はまだ痛いですが、治るとまた忘れそうなのが心配です。
岐阜市のマンホールは私も撮りましたね。
いつも行きずりなので汚いのに当たることがあります。
拝見できますね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年10月 1日 (木) 13:38
こんばんは!
鯉のアレはビックリです!
ちゃんと阿吽にしてあるのですね~
素晴らしいです!
投稿: ふくやぎ | 2020年10月 1日 (木) 22:04
関所破りの刑が火あぶりとは凄いですね。
そんなにも重い罪とは知りませんでした。
それを祀る地蔵尊があるということは
沢山の人がその刑を受けたのでしょう。
駒鯉というのも知りませんでした。
投稿: zooey | 2020年10月 1日 (木) 22:57
tonaさん、おはようございます♪
関所破りで火あぶりにされた者がいたなんて驚きました。
顕正寺の石碑も古いものばかりで歴史が感じられますね。
栗橋の駅からはJR東北本線沿いを歩くようになるのですね。
疑問が解決して良かったです。
静御前がこちらで亡くなっていたとは驚きました。
義経を追って奥州に向かう途中だったのですね。泣けてきます。
中田宿からも当時の面影が偲ばれますね。
古河公方公園で転んだそうですが、骨折しなくて良かったですね。
45858歩も歩かれたとは素晴らしい。私は半分も歩けないかもしれません。
投稿: hiro | 2020年10月 2日 (金) 08:06
★ふくやぎさま
狛犬の他にも狛鹿などを見ましたが、まさか鯉とはです。
鯉の絵馬や鯉が付いたお御籤らしきものもありましたよ。
曰く因縁がわからなかったのが残念です。
阿吽は仁王様だけでなく狛犬もそうなんですよね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年10月 2日 (金) 08:27
★zooeyさま
街道歩きで関所破りの刑を知りました。
日光街道ではここ1か所だけですから。
殺人ならまだしも関所破りだけで火あぶりですものね。
願掛けの焙烙が積み重なっていました。
神社は狛犬が圧倒的ですが、鹿などもありましたね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年10月 2日 (金) 08:33
★hiroさま
おはようございます♪
関所破りだけで火あぶりというのには私もびっくりでした。苦しい死刑ですよね。
石碑は江戸時代のもので、崩れかかり、字がはっきりしないものもあります。
暫く東北本線沿いですが、宇都宮を過ぎますと離れて東武日光線との間くらいになり、バスなどを使わないと街道に行かれなような感じです。そうなるとちょっと大変。バスが一日に4本くらいしか運転されてないところが多いです。
静御前の最後は知らなかったです。
白拍子などは京都の祇園寺などで説明を受けていましたが、その方たちよりもっと悲しいですね。
古河公方公園は夕方で逆光で素晴らしい光景が撮れなかったですが、景色に見とれていました。2か月ぶりに歩いたので疲れていたのも原因ですが、不注意です。これからはさらに注意するようにしなくてはと戒めました。というのも命取りになりますから。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年10月 2日 (金) 08:49
狛犬ならぬ狛鯉とは面白いですが、狛鹿もあるのですか。
栗橋駅の近くに静御前のお墓があったとは、tonaさんも歩いて初めて知ったのですね
歩かなければ知る事は無かったですものね。
栗橋宿の関所破りの刑が火あぶりで、その人達の供養で地蔵尊を祀った
箱根関所でも同じ刑があったようですが、その時の代官は温情深かったのでしょう
道を間違えたようだとの理由にして、実際に火あぶりになったのは数名だったそうです。
転んで相当お顔にダメージを受けたようですがマスクが隠してくれたようですが
上手に転んだようで骨折せずに済んだ事は幸運でした。
投稿: ラッシーママ | 2020年10月 2日 (金) 12:16
日光街道の旅を再開なさいましたね。
最後まで読み進めると、45858歩とのこと、
2ヶ月のブランクがあってのことですのに
凄いなあと感嘆の声・・・ですよ。
関所破りは江戸時代の重罪ですから磔刑と聞いていました。
それがこちらでは火あぶりの刑だったのですね。
火あぶりと云いますと八百屋お七の放火罪を思い浮かべます。
関所破りは他のひとに迷惑をかけることはが考えられませんが
放火は江戸大火で知られるように大勢の人を路頭に迷わせることになります。
関所破りは治安の面から重罪にしたのでしょうね。
先日、ご紹介のあったやまと尼寺精進日記を観ましたよ。
覚えていませんがあのお寺の宗派のことを
まったく知りませんでした。
2年前の再放送でしたが内容が面白く、また次を観たくなっています。
投稿: Saas-Feeの風 | 2020年10月 2日 (金) 15:21
★ラッシーママさま
殆ど狛犬ですが、時々違うのに出会います。
ママさんも見つけたら教えてください。
おっしゃるように歩かなければ一生知らないでいたことが今まで随分ありました。
これは別の体験でもそうですよね。
すぐ忘れてもその時は本当に嬉しいです。
箱根の関所ではそんなことがあったのですか。
考えてみますと出女といって随分女性を虐げたものです。今に生まれて良かったです。
インフルエンザで階段を転げ落ちたときと今回は骨折せずに済んで良かったと思っています。しかしもう2回も骨折していますので、今後もっと注意して歩きたいものです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年10月 2日 (金) 19:49
★Saas-Feeの風さま
昨日からこちらもGo Toトラベルで、あちらこちらとても人出が多く賑わっています。
感染しないように最大注意して電車に乗り日光街道に繰り出しました。
さすがブランクが長すぎて背中が痛み、足もつりました。1昨日に続きを歩きましたが、サポーターをしたりして慣れもあってちょっと状態が良くなりました。
火あぶりなんて想像しただけでも恐ろしいです。それがわかっていても掟破りをする人がいたのでしょうかね。
成程治安を悪くするような人が出たら困りますね。
私もやまと尼寺精進日記は見損なっているのもありまして、2年前のも楽しんで観ています。
次が楽しみになる放送ですね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年10月 2日 (金) 20:00
やっと暑い夏が終わり、ほっとしています。
栗橋,古河は車で4号線沿いに何度も通りましたが、栗橋の街中は行ったことがないので
わかりません。
拝見すると古い歴史のある所ですね。
地蔵尊はあちこちで見かけますが、
それぞれいろいろ由来があるのですね。
阿弥陀如来像もなかなか立派なものですね。
狛狸とは初めて見聞。何か由来がありそうですね。
投稿: 夢閑人 | 2020年10月 4日 (日) 15:24
★夢閑人さま
気温が下がって生活しやすくなりました。
涼しい風が吹いてくると元気が出ます。
4号線が日光街道で、時々旧道を歩くことになります。旧道に入りますと車が少なくほっとします。
石像が多くて、東海道の最後が地蔵尊でいっぱいでしたが、こちらは庚申塔や十九夜塔や板碑も時々あって、ずっとこの街道を歩いた昔の人々を感じます。
ここの阿弥陀如来像、おっしゃるように立派で私たちを静かに見つめてくださっています。
狛鯉、面白いですね。由来を調べたのですがわかりませんでした。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2020年10月 4日 (日) 19:18