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2020年10月27日 (火)

日光街道8 間々田宿~小山宿(1)

10/7(水)前回の帰りのルートで間々田に8時42分到着。曇り。

●間々田宿(11番目)日光街道の真ん中の宿。本陣・脇本陣各1軒、旅籠50軒。

まず小山市博物館へ。東京だけでなく殆どの地域で写真を撮ることは禁じられている。
入口の竜頭蛇体のジャガマイタが練り歩くというお祭りの蛇体の模型があった。
小山の旧石器時代から近現代までの歴史を多方面から実物や模型や複製品で紹介していた。乙女河岸の模型が目を惹き、その繁盛ぶりがわかる。
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その隣に乙女かわらの里公園がある。奈良時代、日本三戒壇の1つであった下野薬師寺に瓦を供給した瓦窯跡。日本三戒壇は筑紫の観世音寺、奈良東大寺と、ここ下野薬師寺に設置された僧侶の資格を授ける寺の事。(「英雄たちの選択」で最初に授けた鑑真をやっていた)。下野薬師寺はこの先の自治医大駅の方にある。
粘土採掘坑跡(粘土を採った跡でもあり、一時的に溜めておいた場所)。
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4基の平窯跡。隣あう2基一対で操業され、次々と瓦の焼成が行われるようになっていた。工房跡も同じように再現されていた。
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まだまだ彼岸花が咲いていて木の間から思川の土手が見える。
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公園の向かいにある泉龍寺乙女不動尊は、赤い山門(鐘楼門1720年建立)がある、庭中、秋の花で彩られた花の寺である。秋の花ってこんなにあったのだっけと思わせる庭だ。不動堂と本堂がある。
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門の左手門に不動明王の大きな剣がある(不動堂にも剣が飾られているそう)。そういえば不動明王は、普通は利剣と羂索を持っている。
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疫病に悩む庶民の苦しみを救うため、本尊に祈ったところ、この地に清らかな泉が湧き出でて、病がたちどころに平癒したところから泉龍寺と言うようになったという。延命の泉。
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庭。
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小山市立車屋美術館(体温測定・今日は35度、この間よりはまし)
小川家住宅の米蔵を、美術館として改装し、主屋(おもや)・庭園なども一般公開し、2009年(平成21年)4月に開館。国登録有形文化財。
思川の河川舟運を利用して肥料問屋を営んでおり、明治の終わり頃、物資の輸送が水路から陸路になったことに伴い、乙女河岸からこの場所へと移転した。
近代和風建築の木造二階建てだが、階に上がると洋風な装飾の洋室があって1階とはまた違った趣だった。肥料問屋とはいいながら立派でチラシには写真が載っているがここに出す余裕がないのがいつも残念だ。
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日本橋と日光の中間地点。榎の大木があるので「間の榎」世呼ばれていたのが「逢いの榎」と呼ばれ、縁結びの木として信仰されるようになったという。台風で倒れて現在は2代目で小さい。
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斜め向かいが龍昌寺。奥に本堂、左には屋根だけ寝起不動堂が見える。
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徳川家光が亡くなり、遺骨を日光へ運ぶ途中、このお寺に骸の安置所が設けられたとのことで、大猷院殿贈正一位大相國公尊儀霊棺御一泊之碑と徳川家光公御尊骸一夜宿棺の碑があった。徳川家の威光が伝わる場所だ。
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  不動堂(延享2年(1745)建立)に寝起不動尊がある。
不動明王を運んでいた衰弱した模庵和尚がここで寝込むが、枕元に現れた不動明王の力で元気になり床払い出来たところから「寝起不動尊」と呼ばれた。
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宝暦2年(1752)の木堂不動尊と嘉永5年(1852)の十九夜塔。向こうに刈り込んだキンモクセイが見えるが、10/7は小山までどこにいってもキンモクセイが香ってきた。東京より少し遅い。
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間々田ひも(甲冑や刀の下げ紐として用いられた)のお店を通り過ぎた。その先に問屋場跡、本陣跡の説明板があった。
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間々田八幡宮に寄る。間々田八幡宮は天平年間(729-49)の創建。ジャガマイタ祭りが行われるところ。
拝殿。本殿と同様、享和年間に焼失。嘉永四年(1851年)に再建された。日光東照宮の改修を手がけた職人達による見事な彫刻が見られる。
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この辺りの狛犬はこんな感じでとても可愛い!
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弁天池もありご神木も夫婦岩も立派。
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参道を下って行く途中で、いくつか石造物がありこれは文政9年の出羽三山供養塔。出羽三山とは月山、羽黒山、湯殿山で、江戸後期各地で供養塔が造られたという。
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池のほとりに芭蕉句碑もあった。
「古池や 蛙飛こむ 水の音」。芭蕉は旅の二日目に間々田宿に宿泊していはいるが?小布施にもあったしこの道中にももう一つあった。
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広い境内には、ロケもあったという土俵や力石や頼朝手植えの松三代目など揃っていてとても立派な八幡宮だ。

間々田八幡公園。
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浄光院。鐘楼門の山門が立派だ。初出の泉龍寺にそっくりだ。
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出るとそこは日光街道で間々田宿の日光口だ。

昼食は和食屋が定休日でラーメン店で、味玉醤油ラーメンを食した。あちこちの街道歩きで初めてのラーメンでした。
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(続く)

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コメント

こんにちは
 
栃木県小山市は、名前だけは知っているものの、どういう歴史を経てきた
どういう町か、現在の規模は?産業・特産品は? 等々、
見事なまでに何の知識も持ち合わせていません。
古い大きな瓦窯跡が残されていることも、ジャガマイタ祭も、です。
ジャガマイタ祭は、国の選択無形民俗文化財の
指定を受けているとか‥ 検索してお祭りの写真も見てみました。
泉龍寺乙女不動尊の泉、不動明王、下野薬師寺などなど
拝見しながら、脈々と息づいてきた信仰の形が見えてきたような
気がしています。


投稿: ポージィ | 2020年10月27日 (火) 11:19

★ポージィさま

こんにちは。
小山は知っている人が2人いますが、新幹線の駅があるということと、大平山に行ったことしかありません。
ジャガマイタ祭、私は写真を観ていませんでした。見てみましたら、どうやら神社の池の中にじゃぶじゃぶ入りこんでいるのですね。奇祭とありました。一度見てみたいです。
そういえば特産品も知らないで、工業団地があるらしいですが森永キャラメルだけ知っていた程度です。ああ、日本は広いなあなんて思ってしまいます。
本当にどこも信仰は外国とは違いますが、受け継がれてきたのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月27日 (火) 16:28

イソップだったか、神話だったか手に触れたものがみんな黄金になってしまうという話がありましたね。
徳川の殿様が歩くと道筋に立派なお宿やら寺などが遺されるというのもちょっとそれに似てるような気がしました。
最後のラーメン、いかにも濃厚そうで、たまには食べてみたい代物です。

投稿: 佐平次 | 2020年10月28日 (水) 10:07

こんにちは。日光街道はやはり徳川家に繋がるものが多いですね。このあたりの狛犬はみんなこんな感じなのですか。泰平の時代の姿なのでしょうかね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年10月28日 (水) 13:30

全国津々浦々に芭蕉の句碑があるのですね。
似たような筆跡で。
これを尋ねる旅も面白そうですね。

とにかく知らないところばかりです。
いろいろ教えていただきありがとうございます。

投稿: matsubara | 2020年10月28日 (水) 15:25

★佐平次さま

本当にその通りですね。
今回は遺骸を置いたというだけでその旨の碑が二つも建っていて驚きました。
ここ日光街道にも明治天皇碑も多いですが。
ラーメンはインスタントとは全然違ってやはり美味しいです。たまにはいいですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月28日 (水) 16:29

★多摩NTの住人さま

そうなのです。徳川家に関する史跡や寺社が多いですね。
ここまで来る途中の狛犬もこんな感じでしたよ。いかめしくないのです。
成程泰平の時代を反映しているでしょうか。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月28日 (水) 16:32

★matsubaraさま

芭蕉の碑が東海道にたくさんあって見てきましたが、中山道にもありましたし、日光街道は奥州へ「奥の細道」の句集に出てくるのがまだこの辺り続いているのであるのでしょうか。
蛙の句はこれで3つ目です。
尋ねる旅が出来たらいいですね。
こちらこそいつもありがとうございます。

投稿: tona | 2020年10月28日 (水) 16:38

tonaさん、こんばんは~♪
小山市と言えば小山遊園地があることぐらいで、
あまり詳しいことは知りませんでしたが、
小山市のホームページで首都圏からは北に約60㎞と
あったので、神奈川でいえば秦野市とか大磯や二宮町と
同じ位の距離だとわかりました。
間々田宿は日光街道の真ん中の宿だそうですが、
もうここまで来たかと思うと、早いものですね。
街道沿いには古い寺社が多いですね。
泉龍寺の山門や浄光院の山門に似た山門坂東33観音巡りを
していた時、どこかで見たことがありますが
忘れてしまいました。
こってりとしたラーメンがとても美味しそう!!!

投稿: hiro | 2020年10月28日 (水) 18:42

★hiroさま

こんばんは♪
自宅から2時間以内で行けますから実家の茅ケ崎に行くようなものでしょうか。
埼玉県を越しても意外と近いのですね。
小山遊園地は知りませんでした。
何しろ街道沿い市かわからないのと同様ですから。時々1~2kmくらい街道から外れて見に行きますので、距離の割合に歩数が増えるのです。
東京から出られるようになって行きましたらやっと半分まで来ました。東海道と違って距離が大分短いです。
坂東33観音巡りをされていらっしゃるのですか。随分日数がかかったのでしょうね。
山門がこのように似ているとその地その地での様式が面白いです。
久しぶりの外食のラーメンは美味しかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月28日 (水) 20:43

小山には在職中の出張で行ったのみ、
ご紹介の街道にはまったく土地勘がありません。
間々田宿は日光街道の真ん中の宿とのことですから
あと半分歩くと日光になるのですね。
日光にも行ったことが無く、この時期のテレビ情報番組で
紅葉の映像を見て、
厚木にいたころに訪ねておけば好かったと悔やみます。
ただ当時は時間的余裕無く、心の余裕もありませんでしたので
考えすら及ばない日光でした。
いつか訪ねてみたいですね。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年10月29日 (木) 09:05

★Saas-Feeの風

お若い頃はどなたでもお仕事がお忙しくて、殆ど何処へも行けませんでしたよね。
ようやく日光街道も半分きました。
ところが先週と今日と中山道に行ってきました。今日はすいていました。電車が不便で夕方早く日が暮れて歩きやめましたのに今帰って参りました。

ただ私は住んだところが北九州4年とあとは神奈川と東京ですので、Saas-Feeの風さまのように東京方面と三重県、名古屋方面と両方よくご存じでそれもまた羨ましく思います。
日光にいつか遊びにいらしてください。特に夏は涼しくていい所です。
来月になったらイペーを部屋に取り入れます。葉が散ることでしょう。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月29日 (木) 22:35

小山市や思川は昔仕事の関係で印象に残るところ。
でも詳しいことは知りません。
 日光街道、東照宮に繋がるだけあって徳川家に由来する遺跡があるのですね。
改めてその歴史を知りました。
 芭蕉の通ったところには必ず芭蕉の句碑があるのですね。
<古池や蛙飛び込む水の音>
何でもない普通の情景も芭蕉の手にかかるとすごく趣が出てくる。
さすが有名俳人。感服。
 瓦窯、今は過去の遺産として歴史を残しているのですね。

投稿: 夢閑人 | 2020年10月30日 (金) 15:38

★夢閑人さま

日光街道は徳川家と関係がある寺社が多いということを知りませんでした。
徳川家の威光は日光の東照宮や輪王寺だけでなく、途中の寺社にもありました。
ぞして芭蕉ですね。途中までいくつも見ています。偉大だったのですね。
小林一茶と同様私たちはいろいろな句を知っていますものね。
瓦を作る工場跡を初めて見ました。
東海道では見なかったので興味深かったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月30日 (金) 19:49

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