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2020年10月 9日 (金)

日光街道7 古河宿~野木宿~間々田宿(1)

  9/30(水)に2週間ぶりに古河へ向かう。駅到着は8:43で見所一杯の古河宿を時間をたくさんとってじっくり見て回り、野木宿を見、間々田宿の入り口に辿り着いた。

●古河宿(8番目の宿)本陣・脇本陣各1軒、旅籠31軒。古河藩が管理していたのが古河三宿(中田・古河・野木)である。因みに野木は栃木県。

古河宿は東西南北?に碁盤の面のように広い道路が走り、舗装も洒落ているし、歩道も煉瓦が敷かれたところが多く、通りに面した家々のきれいで立派なこと。
この後にじっくり見た「古河歴史博物館」で歴史を見てちょっと納得できた。

まず鎌倉幕府が倒れ、足利尊氏は京都室町に幕府を開いたので、今まで幕府のあった鎌倉には「鎌倉府」を置いた。それを鎌倉公方(関東公方とも)という。(1336年)
1454年の享徳の乱で山内上杉憲忠を暗殺した足利成氏(尊氏の血脈)は1455年に鎌倉を出て古河にはいり、ここを根拠としたので子孫5代(1583年)まで古河公方と呼ばれる。ここで足利の古河公方は自然消滅する。
成氏の移座により、古河は第二の鎌倉・新たな東国の都となった。鎌倉から多くの奉公衆やその他の家臣、僧侶・文化人が移住してきた。経済・医療・技術・宗教・文化面でも東国の最先端地に成長した。この後いくつか回る寺社で足利氏が持ち込んだ文化を知る手がかりになるとのことだ。

その後徳川家康の家臣小笠原から始まって、松平、小笠原、奥平、永井の藩主の後、1633年に土井利勝が(家康、秀忠、光秀に仕え、幕府の老中・大老となる)古河藩主となった。1681年まで5代の土井家。その後堀田、松平を経て、1762年、土井利里から7代続いて廃藩置県まで108年10ヶ月、古河藩を治めた。

前回の最後の地点の原町口木戸跡から宿場の見学を始めるのだが、途中の八幡神社に参拝。初代古河公方足利成氏が鶴岡八幡宮を勧請、寛永19年(1642)に藩主土井利勝が古河城の鬼門よけとしてこの地に移したものという。
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古河宿の江戸からの入り口・原町口木戸跡。前回の最後にも載せた写真です。
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宿のあちらこちらに、ソーラーシステムの付いた行灯に説明が書かれいるのにも驚く。
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古河城御茶屋口門跡。
古河藩主土井利勝が第三代将軍徳川家光の参詣の際、茶屋を置いたことに始まると云われ、日光社参の際、徳川将軍家はここから古河城に入城したそうである。
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ここから街道を離れ、鷹見泉石記念館へ。泉石最晩年の住まい。
チラシより渡辺崋山「鷹見泉石像」。この絵はトーハクにあり、国宝。古河藩の家老で優秀な家臣であった人とは知らなかった。
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鷹見泉石は藩主土井利位の家老として仕えた。利位が大阪城代であった折り、大塩平八郎の乱で鎮圧にあたった。優れた蘭学者でもあり、数多くの研究資料の収集をした人物。雪の研究で有名な利位の『雪華図説』の刊行をたすけ、晩年、自らも日本初の『新訳和蘭国全図』を出版している。大黒屋光太夫と関係し、間宮林蔵、近藤重蔵、渡辺崋山や蘭学者とも交流があった。
立派な長屋門。
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屋根は藁葺きで趣のある家だ。
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竹林と彼岸花
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隣に奥原晴湖(明治時代を代表する女流画家)の画室「繍水草堂」があった。
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ぐるっと回って裏手の長谷観音へ。
大和、鎌倉、古河の本尊は同じクスノキから作られたと言われる日本三大長谷観音の一つ。足利成氏公により、明応2年(1493)に古河城の鬼門除けとして建立された。
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ご本尊は十一面観世音菩薩です。
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戻って泉石記念館の前にある古河歴史博物館に寄る。ここは旧古河城出城跡で、堀が復興されている。
ここで、古河公方や藩主のこと、泉石関係のこと、河鍋暁斎の出身地であることを知った。古河宿のジオラマや例の船橋の模型も見た。また土井利位の雪華図説を知っていたが、ここの城主だったわけです。
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鷹見泉石生誕之地の碑
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お休み処坂長。江戸時代から続く商家の建物を喫茶や食事処に活用している国の登録有形文化財である。
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福法寺の山門は、旧古河城二の丸御殿の入口にあった乾門(いぬいもん)を移築したものだ。
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ここで街道に戻ってから駅近くの西光寺に寄る。古河大仏と呼ばれる阿弥陀如来坐像がある。昭和54年に再建した2代目とのことである。初代は第二次世界大戦時に供出されてなくなった。
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街道に戻り、高札場や本陣跡の辺りを歩いてからまた寄り道。
篆刻美術館。旧平野家表蔵棟・裏蔵棟である。酒類卸売業を営んできた平野家の石蔵として大谷石を用いて大正9年に建てられたもの。
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すぐ近くに永井路子旧宅がある。
本人への聞き取り調査をもとに修復を行い、住居の一部を再現している。永井路子が子どもの頃住んでいた家である。古河市と鎌倉市の名誉市民。
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少し先に正定寺がある。古河城主土井利勝が寛永10年(1633)創建したお寺。
この赤門は安永4年(1775)、8代目の土井利里が建立した。
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利勝公像。
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永井寺。
寛永3年(1626)、土井利勝の前の藩主、永井直勝が創建したお寺。永井直勝は小牧・長久手の戦いで豊臣方の池田恒興を討ち取った武将である。
境内には如意輪観音がのる十九夜供養塔がある。
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雀神社。貞観年間(859~877)に出雲大社から勧請したという。現在の社殿は古河城主・松平康長が1605年に造営した。名前の由来は地名の雀が原の由。
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(続く)

 

 

 

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コメント

この記事の中で分かるのは、渡辺崋山「鷹見泉石像」だけです。
お恥ずかしい。

名所を回るとおまけが多くて楽しめますね。
わたしはじっとして動きませんので、おまけも
ありません。

知らないところがあまりにも多すぎです。
これからも教えて下さい。

投稿: matsubara | 2020年10月10日 (土) 08:47

いまさら、ナンですが、日本人は信仰深き国民なのでしょうか。
どこに行っても立派なお寺と神社が今も生きているもの。

投稿: 佐平次 | 2020年10月10日 (土) 10:47

こんにちは。古河は見所満載ですね。こんなにたくさんの見所がある街だとは認識していませんでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年10月10日 (土) 14:18

★matsubaraさま

どうして古河公方というのかが疑問でしたが、ここではっきりわかりました。
渡辺崋山の「鷹見泉石像」をこんなところで見て、古河の人と知って驚いた次第です。
この辺りは関東公方と両上杉家(山内と扇谷)と鎌倉から古河へ出されたため、京都から伊豆に堀川公方(足利関係)がきて、もう争いばかりで目が回りそうです。戦国時代とはよく言ったものです。室町時代はあまり好きでないのですが、殆ど戦国時代なのですね。
歩くと見えてくるものがあって魅力の一つです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月10日 (土) 16:38

★佐平次さま

常日頃ずっと信心深い人もいるのでしょうが、節目節目で信心する人も多いですね。
私も時に神様や仏様頼みをしていますがにわか信者です。むしろ親を仏に見立てて首を垂れています。
日光道中は徳川の関係で立派なお寺が多いように思えます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月10日 (土) 16:43

★多摩NTの住人さま

鎌倉の文化が移って来たのでこんなに見所が多いのでしょうか。
それに江戸時代は殆ど幕府の要人の土井家が支配していた地でもあることを知りました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月10日 (土) 16:46

こんにちは
 
古河と鎌倉、室町幕府の足利家との関係、江戸・徳川幕府に
なってからのことなど、知らなかったこと・関係が分かりました。
現代でこそあまり古河という地名を耳にしませんが(私だけ?)、
よく知られ栄えてきた立派な町なのですね。
古河には確か自衛隊駐屯地があって、父がそこにいたことも
あったのではないかと思います。子供のころ母に聞いたような覚えが…
いまとなっては確かめようもありませんが。

投稿: ポージィ | 2020年10月10日 (土) 17:04

★ポージィさま

日本歴史の中で一番わからない鎌倉・室町時代に関する関東の辺りの争いなども少しわかったかなあといったところです。
私も古河は読み方さえ怪しかったですし、古河公方という名前だけが頭にあったというような具合でした。
自衛隊駐屯地が古河にあったのですね。
というのもこの時は街道でどんどん自衛隊の車が走っていくのですよ。そして今週は自衛隊の飛行機が空低く3機ほど飛んでいきました。何か自衛隊がこの近所にあるのかと娘と話していたのでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月10日 (土) 19:28

tonaさん、おはようございます♪
古河市って歴史のある町だったのですね。
茨城県の端にあるどこにでもある市の一つだと思っていました。
鷹見泉石晩年の住まいは趣があり素敵ですね。
日本三大長谷観音の一つがあることも知りませんでしたし、
ご本尊の十一面観世音菩薩も普通に拝観出来ることに驚きました。
その他にも歴史的な建造物がたくさん残っており
見所満載で興味深い宿場町でした。
機会があったら訪ねてみたいです。

投稿: hiro | 2020年10月11日 (日) 07:07

★hiroさま

おはようございます♪
古河市が意外でした。
城下町ですが、城跡しか残っていません。その一部が前回の公園にもなっていますし結構広い街を形成していたことがわかりました。
鷹見泉石に住まいはなかなかでした。藩の家老ともなると凄いですね。それでなくともこの泉石は趣味人で学者で藩の政治にも辣腕をふるって立派な人物のようです。
日光街道ではなかなか素晴らしい宿に入るのではと思いました。機会がありましたら是非。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月11日 (日) 08:43

皆さんが書いてるように古河市って江戸・徳川幕府に なってからは
日光社参の際、徳川将軍家はここから古河城に入城した、大事な役目のお城だったのですね。

渡辺崋山「鷹見泉石像」の渡辺崋山ですが、3,4年前に渥美半島を訪れた際、田原市は渡辺崋山一色で
崋山が田原の蟄居されてた家や銅像などが建ってました。

あちこちで歴史博物館などがありますが、中に入って知る事が多いですが
tonaさんの街道歩きから色々な事を教えて貰っています。
ありがとうございます。

投稿: ラッシーママ | 2020年10月12日 (月) 22:34

★ラッシーママさま

日光街道は徳川将軍のための宿やお寺など立派です。今は宿の本陣や城はほとんど残っていなくて城跡だけなのですが。
東海道の方は地方大名の参勤交代的要素が強いのでちょっと違うのですね。
渡辺崋山が描いている泉石をここでは家だけでなくお墓までお参りしてしまいました。
ママさんもあちこち回られているので、崋山の方のことを知らなくて、渥美半島の田原市がそうだと、又興味を引かれるわけです。こちらこそありがとうございます。

投稿: tona | 2020年10月13日 (火) 08:26

またもやお出かけになったのですね。
お元気に歩かれていて羨ましい限りです。
ちょっと歩くとたちまち腰から右脚まで痛くなるため
かつてのように歩けなくなっているSaas-Feeの風です。

古河については歴史すら判っていません。
小山に近いのだろうと思っていて、小山でしたら在職中に出張で訪ねたことがあります。
古河は茨城、小山は栃木ですけれど。

歴史が好きですが鷹見泉石の名を知りませんでした。
渡辺崋山の描いた鷹見泉石像とは、当時から世に知られていたかただったのですね。
さすがに本陣や脇本陣のあった宿、昔の佇まいがきれいに残してありますね。
このようなところを、もう一度あるいてみたいですよ。
こちらの関宿は2017年12月にブロ友さん夫妻をお連れしたときが最後になっています。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年10月13日 (火) 09:17

読ませていただき、古河宿のある古河の街に行ってみたくなりました。
茨城県ですか?
城下町でもあるのですね。ジックリ散策したい風情です。
長谷観音や永井路子さんなど、我が家近くの鎌倉にも共通の縁がある街のようですね。
日光街道から少し外れるのでしょうか?、茨城や栃木には疎い私です。

夫亡き後いつも身近にいてくれて、今でも毎日のようにLINEメールやLINE電話をしている親友が茨城出身で
「茨城は観光地としては人気がないけど、野菜や果物、魚介類も美味しくていい所よ」と聞かされています。
古河宿のような素敵な見所もありましたね。
その彼女もコロナ禍の前まで、同じマンションの仲間4夫婦と「日光街道歩き」をしていました。
まだ再開していないようですが、tonaさんのこのサイトを教えていますので、参考にすることと思います。

投稿: nao♪ | 2020年10月13日 (火) 15:08

★Saas-Feeの風さま

あら、まだあの病気で痛みが残っているのですか。早く治るといいですのに。
おっしゃるように古河宿だけが茨木県で野木、間々田、そして小山と栃木県になります。
1週間後にすでに小山まで行き着きました。
小山では大平山の麓に行ったことがあります。

渡辺崋山の描いたあの顔が、古河藩主の土井家の有名は家老とは全然知りませんでした。
街道だけでなく中に入った道がまたなかなかいいのですね。
そちらの関宿はよく覚えています。
2階からあの通りを写真を撮りました。
昔そのままの宿の風景ですね。東海道では1番ではないかとその時思いました。
雨が三重県はたくさん降ったようで大変でしたね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月13日 (火) 19:10

★nao♪さま

古河宿は街道に家々が残っているわけではないのですが、広い昔の城が公園から堀、寺社などが広がっていて他とは違った感じなのです。
寄り道がとても多くなりましたが。
本当に長谷観音と永井路子さんが鎌倉と重なっているのですね。
何故小さいときここに居たかは複雑な事情があるようでした。
茨木ご出身の御友人がいらっしゃるのですね。
その方に今に追い越されてしまうと思います。
何しろ寄り道が多くて結構時間がかかっています。それに東京から出られなくなると甲州街道の東京内を歩くとか、他を考えたりしています。
私はやりませんが道がわからくなることがあってスマホで地図を頼りにしないとならないことが多いです。
沢山寄り道していますが結構飛ばして書いています。いい加減ですみません。
お友達にも申し訳ないです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年10月13日 (火) 19:23

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