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2020年11月28日 (土)

中山道13 馬籠宿~妻籠宿~三留野宿(1)

10/29(木)晴 
前週に続いての中山道歩き。6時15分ののぞみから、神奈川県側の富士山を見る。
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名古屋7時50分着、8時発のワイドビューしなのに乗り換え、8時50分中津川着。9時10分発馬籠行きのバスに乗り、9時30分過ぎに到着。
前回の馬籠宿を下から上まで一気に上がる。晴れていて、人もいなくて馬籠宿のきれいなこと。
途中の前回撮り忘れの槌馬屋資料館。そば処の向こう側。
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上陣馬公園から出発。恵那山とお別れだ。
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夜明け前の碑。あの書き出しの原稿用紙。前回気が付かなかった。
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◆馬籠~妻籠 (馬籠峠を越える)

最初は石畳
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水車小屋がある。  
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熊除けの看板と鐘が10は所くらい置いてある。大きな音が出るので撞いてみる。
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道祖神。馬頭観音がすくなくなった。庚申塔はある。
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伐採を禁じられた木曽五木だが、明治以後は御料林として保護されてきたけれども、見渡す木曽の山々には紅葉する木もある。
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十返舎一九の歌碑「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」。ここ峠集落の名物が栗こわめしであった。
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峠之御頭頌徳碑。
峠集落の荷物を運搬する牛方の牛行司・今井仁兵衛 の業績を讃えた石碑で、藤村の兄の広助の提唱で立てられた。
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登録有形文化財に指定されている今井家(牛方組頭を務めた)住宅。
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明治天皇御小憩紀念碑やその先の熊野神社の入口には明治天皇峠御膳水碑、標高777ⅿ(ラッキーポイント)地点を通って、遂に長野県に入った。
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そして馬籠峠に来た。地図には標高801ⅿとある?
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一石栃(いっこくとち)白木改番所跡の隣が立場茶屋(牧野家住宅)。お休み処になって囲炉裏があって、ボランティアによってお茶がふるまわれている。
ちょっと覗いて見たらミシンまであっておかしくなる。
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変な形のサワラの木。下枝が立ち上がって特異な枝ぶりとなった針葉樹を「神居木(かもいぎ)」と言うそうだ。
山の神や天狗が腰かけて休む場所と信じられていたという。
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男滝と女滝に寄る。以前は滝のあるところが中山道だった。
女滝。
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男滝。三段でなかなかに迫力がある。
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滝のそばに白いきのこ! スギヒラタケだそうです。shikamasonjinさま、ありがとうございました。
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倉科祖霊社。
松本城主小笠原貞慶の重臣、倉科七郎左衛門を祀る。主人貞慶の命を受けて大阪の豊臣秀吉から朱印状をもらった帰りに、馬籠峠でこの地の土豪たちに襲われ討ち死した。後年、山崩れがあって祟りとされ、ここに祠が建てられた。
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山あいの水田。
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牛頭観音があった。馬頭観音が多かったのに牛頭は初めてで、中山道では唯一とのこと。重い荷物を運んだのは黒牛だったそうだ。
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とうがめ沢で石畳終了。
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民宿こおしんづか。その向かい側には庚申塚碑もあった。
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水車が多い。
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大妻籠集落に入ってきた。
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ここの金剛屋で昼食。屋根の石は板葺きなので重石だそうだ。
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とろろそばを注文。(妻籠宿に着いたら何とお店が殆どお休み。ここで食べておいてよかった)。
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蘭川(あららぎがわ)を大妻橋で渡る。木曽川と同じく石の色が白い。
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渡った先に石柱道標。「中仙道 東京江七十八里半 西京江五十四里半」と刻まれている。まだまだ半分にも到達していない。先が長い!
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(続く)

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2020年11月23日 (月)

低山へ&キンズバーグ

10ヶ月ぶりに低山友の会で山に行ってきました。高齢者集団なので非常に慎重です。私が最年長であります。一番若い人とは10歳違い。

新型コロナウイルス感染予防のための行動指針を渡されました。
 О熱がある・だるいなど体調が優れない場合は参加しない。
 О登山行動中以外はマスクをする。
 О山ですれ違い様の「こんにちは」の挨拶は、マスクをするか、ハンカチをなど代替出来るものを口にあてがって行う。
 О行動中は人とのディスタンスを取り、一列で歩行する。
 О歩行中は不要な会話を避ける。
 О手指の消毒は携帯用アルコール等でこまめに行う。
 О飲料、食料の分かち合い、持参した食べ物お菓子などを人に配ったりはしない。
 О昼食・会食時は対面を避ける。

10/24(土)につくば市にある宝篋山(461ⅿ)へ。
頂上に宝篋印塔があり、関東の富士見百景に選定されている。すぐ近くに日本百名山で一番低い筑波山(877ⅿ)が見える。ちなみに1000m以下の2山の百名山の次席は鹿児島県の開聞岳(924m)だ。
つくばエキスプレスで早く着く「つくば駅」だが、それからのコミュニティーのバスが寄り道が多く、すぐ近くに見える宝篋山に1時間近くかかって到着。
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登山道の周り。シダやコケがあって意外な風景。
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コウヤボウキ。
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右側はサクラとコナラの合体木。
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トリカブト。
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ヤクシソウ。
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頂上、2時間近くかかったでしょうか。
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宝篋印塔。「山頂より見渡せる所に棲むすべての生類を極楽浄土へと導く威力を持った石塔です」と書いてあります。
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筑波山がすぐ目に前に。
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東京方面。富士山は見えず。
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ズームしたらスカイツリーが見えた。
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霞ヶ浦方面。
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ゴンズイ(ミツバウツギ科)も久しぶりです。
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つくば市のマンホール。「スペースシャトル」と「地球」と「筑波山」のデザイン。最近マンホールを探す癖がついてしまって。
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11/1(日)埼玉県越生町の大高取山(376ⅿ)。
登る方の体力もガタ落ちで、訓練するのと、山の花や実が一つでも見られたら嬉しいのとで万難を排して出掛ける。
駅出発が10時前で午後3時過ぎに駅に到着。良い運動になる。

山道。
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フユイチゴ、甘ずっぱい。
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サラシナショウマ。
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頂上。
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三等三角点に手をつく。
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越生町の景色。
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何だ!このポストの軍団は。
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『ルース・ベイダー・キンズバーグ』ジェフ・ブラックウェル&ルース・ホブデイ/編 (RBG最強の87歳)
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学問の分野は違うが、学業と子育てと仕事を両立させた、理論物理学者:米沢 富美子を彷彿とさせる、女性としての強い生き方を貫いた人だ。
当時、アメリカも女性差別が著しく、日本と変わらないことに驚いた。連邦高等裁判所やニューヨークの法律事務所には、女性であることを理由に受け入れられず、地区裁判所判事のもとでのロー・クラークやロースクールで教壇に立つ事しか道がなかった。
遂にクリントン大統領の時、連邦最高裁判事に就任。
性差別の撤廃などを求めるリベラル派判事の代表的存在として、女性差別を違憲とする画期的な判決を連邦最高裁で勝ち取るなど活躍を続けていた。    
惜しくも9月の彼女の死によってトランプの迅速なる後任者選びが話題になり、連邦最高裁の保守化はさらに強固なものとなった。
一生涯、女性のため、人間のため、社会のために闘い続けた人だ。本の内容は彼女の信念を語ったものです。

 

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2020年11月17日 (火)

中山道12 中津川宿~落合宿~馬籠宿(3)

●馬籠宿(43番目)落合宿から4.6㎞、妻籠宿まで7.3㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒。

馬籠宿は600mの急な石畳の坂道の宿場である。バス停も、駐車場も一番坂の下の京口にある。
当時の馬籠宿の様子は『夜明け前』に詳しく描かれている。著者の島崎藤村は馬籠宿の代々本陣、庄屋、問屋を務めた家に生まれた。父は正樹(小説で青山半蔵のモデルとなった)は17代当主。母・縫は隣の妻籠宿の本陣の娘であった。後に藤村の次兄が妻籠本陣を継ぐ。お隣の元酒造の大黒屋に住んでいた藤村の初恋の人・おゆうさんは妻籠宿の脇本陣に嫁いだ。
そうそう、『夜明け前』は昨年馬籠が近づいたときに慌てて読み直したのに、あれから1年、細かいことはもう忘れかけています。

馬籠宿が見えてきた。ここまでほとんど人がいなかったが、急にたくさんの人がいる。バスツアー客と修学旅行生が殆ど。
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枡形。馬籠の枡形はこちら側一ヶ所のみ。
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水車は発電施設で今も回っている。
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但馬屋は江戸時代からの旅籠。
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4つの資料館を下から順番に見ていきたかったが、お昼になったので先にさらに上った所にある、おゆうさんの実家の大黒屋で昼食にする。
元酒造なので杉玉がある。
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藤村は小学校のときはもう東京へ出ていてあまり体験していないのに、なぜあんなに維新前後の故郷を書くことが出来たのかと思っていたら・・・
この大黒屋の大脇兵衛門信興が、文政3年(1826)から明治3年(1870)にわたる44年間記録した「大黒屋日記」を資料としたのだそうだ。

お昼は、栗こわめしセットB( 栗こわめし、お吸い物、香の物、ますの甘露煮、山菜、枝豆豆腐、びわのシロップ煮)。
この栗こわめしは「夜明け前」にも登場している。
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昼食を終えて、いったん坂を下りて4つの資料館を見学。

槌馬(つちま)屋資料館(島崎家の屋号は槌馬屋)入場料払うもチラシなし。土産物店の2階が資料館。
 槌馬屋・島崎家はもと馬篭宿内湯舟沢村の庄屋を勤める家柄である。特に藤村の父・正樹自筆の文献を多数所蔵することで他に類を見ない特色を要する。
おゆうさんの写真。
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島崎正樹の書。
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清水屋資料館 登録有形文化財 景観重要建造物だそうだ。
代々馬籠宿の役人をつとめた清水屋原家は島崎家と親交が深かった。藤村の「嵐」の森さんのモデルである原一平の家である。藤村直筆の書簡や資料が残されている。文書、書画、陶磁器(九谷、伊万里、唐津など)、輪島の漆器類など馬籠の生活文化史ともいえる数々の逸品を展示。
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本陣跡・藤村記念館。
藤村の生家の跡。藤村の兄弟は誰も継がず、次兄は妻籠の本陣を継ぐ。藤村の長男楠男が継ぎ、資料の寄贈し、藤村記念館が建てられた。
母屋は明治28年の大火で焼失してしまったが、唯一残ったのが隠居所。『夜明け前』にも出てくる。藤村も幼い頃父から四書五経の素読を受けた。
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・馬籠宿脇本陣史料館。蜂谷家がつとめた八幡屋脇本陣のあとである。
山口誓子の句碑「街道の 坂に蒸れ柿 灯を点す」が入口にあり、エントランスの右側には木曽五木も見える。中津川でも見た、ねずこ、あすなろ(あすひ)、ひのき、さわら、こうやまき。
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ここも明治28年の大火で焼失してしまったが、当時の上段の間を復元している。
玄武石垣が残っている。亀甲型の積み石で、ここに玄武神を迎えて北の守りとしたそうである。
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振り返ると遠く中津川の町が見える。
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まだ先に進む。
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高札場は修理中。
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一番上の上陣馬公園へ。
秀吉と家康が戦った小牧・長久手の合戦の時、徳川勢の菅沼・保科・諏訪の三武将が馬籠城を攻める為に陣を敷いた所である。
恵那山が目の前にドーンと。
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島崎藤村筆のニーチェ言葉碑。
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越県合併記念碑。馬籠が中津川市に合併した。
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白花洋種朝鮮朝顔の実はとげがある。近縁種のエンジェルストランペットは花が落ちるだけで実がない。馬籠宿の家の前で初めて見る。
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最後に島崎家の墓へ行く。
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藤村と妻冬子の墓。後妻静子との墓は大磯にあった。
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ちょっと離れたところにあるのが、藤村の父母、島崎正樹と縫の墓。
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これにて終了。バス乗り場に向かう。
雨が少々降り出したが、傘を出すほどではなく、3時50分のバスに乗り、中津川駅4時15分到着。

お土産は、にぎわいプラザで栗きんとん、きんつばとポポー(やまと尼寺精進日記でやっていた)を買う。
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4時49分のワイドビューしなの19号に乗って、松本着は6時10分前に着く。
駅弁を買い6時40分のあずさ32号に乗り込む。
夕食は無農薬新鮮野菜添えの地鶏めし。ビールの他に今日は白ワインも。
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家に9時過ぎに到着する。29877歩でとても楽でした。
(完)

 

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2020年11月10日 (火)

中山道12 中津川宿~落合宿~馬籠宿(2)

●落合宿(44番目)中津川宿から4.1㎞、馬籠宿まで4.6㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒。宿場の長さは400ⅿ。

助け合い大釜。寒天の材料天草を煮た大釜。
秋の祭りではこの釜で千人分のきのこ汁が振る舞われるという。
文久元年(1861)皇女和宮の大通行時には、四日間で述べ約二万六千人余が落合宿を通過し、その際、暖かいおもてなしをする為に、各家の竈焚きが続けられたという。
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井口本陣。中山道に現存する数少ない本陣建築。門は前田家から贈られたもの。(日曜日だけ公開)
本陣を務めた井口家は、庄屋と問屋を兼ね、名字帯刀も許された。明治天皇も宿泊された。前には明治天皇落合御小休所碑がある。
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脇本陣跡(塚田家)は標柱のみ。
説明板の泉屋(旧鈴木家)は本陣隣で酒造業を営み、鈴木弘道は「夜明け前」には稲葉屋の林勝重として登場する。

落合宿の風景
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脇本陣塚田家が建立した高福寺に寄る。境内には落合に揚水を整備した塚田弥左衛門の顕彰碑や二十三夜塔もある。
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筆が入っている筆塚を初めて見た。
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住職さんが出てこられて是非庭を見て行ってくださいとご案内くださった。枯山水的な庭や池もあり、多種類の山野草が咲き乱れる庭があってとても素晴らしかった。
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サラシナショウマや白いシュウメイギク
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ダイモンジソウ
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紅花ダイモンジソウは初めてだ。園芸種かもしれない。
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街道に戻る。枡形になっているところに上町の秋葉山常夜燈・寛政4年(1792)がある。落合宿には全部で4基ある。
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◆落合~馬籠
落合宿を出ると、段々畑が見える景色が広がり、遠くから見えていた中央高速の落合川橋もだいぶ近づいてきた。「木曽路口」というバス停があった。
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高札場跡、白木番所跡を通り過ぎる。下桁橋の手前に、飯田道道標や馬頭観音などの石造物があった。
スミレが咲いていた。ツボスミレみたいだけれど違うような、何のスミレだろう。アメリカスミレサイシン(プリケアナ)とのこと。多摩NTの住人さま、ありがとうございました。
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下桁橋を渡る。この橋は広重の落合の絵にも描かれている。
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いよいよ十曲峠のはじまりだ。竹林の中を進む。
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馬頭観音が出てきた。馬頭観音(イボ観音)。イボができると石を借りてさすり、治ったら石を二つにして返すのだそうだ。
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3匹の沢ガニが道を歩いていた。近寄ったらこんな顔して威嚇してきた。
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大きく右に曲がった道の突き当たりは医王寺(山中薬師)。最澄が開いた天台宗のお寺。枝垂れ桜で有名。覗いたご本尊は行基の作という。
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観音像と地蔵尊。
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芭蕉句碑。「梅が香に のっと日が出る 山路かな」
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お寺を出て、鐘鋳り場跡(医王寺の梵鐘を鋳造した場所。鐘は第二次世界大戦時に供出されてしまった)を通り過ぎると、石畳の道が始まる。
石畳は840ⅿあり、そのうち約70ⅿ(三カ所)は江戸時代のもの。
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この辺りは江戸時代のものと思われる。苔むし、石の大きさが少し小さい。
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なんじゃもんじゃの杜の碑があった。花の時期はきれいなのでしょう。
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石畳も終わり。
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新茶屋の一里塚跡(復元)。
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美濃と信濃の国境だ。
平成17年の市町村合併で長野県木曽郡山口村が越境して中津川市に入り、ここは昔の国境ということになる。
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熊出没の看板を見て、正岡子規の句「桑の実の 木曾路出づれば 麦穂かな」が刻まれた碑のある公園へ。
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信州サンセットポイント百選に選ばれ、棚田の向こうに中津川市街や笠置山などが見える。
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夏蜜柑の皮が捨ててあるのかと思ったらキノコであった。イグチ科のチチアワタケ(しかまそんじんさま、ありがとうございます)。
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朴の木。だいぶ葉っぱが落ちてしまっているが、去年も御嵩に向かう道でたくさん見た。同じ季節に歩いているから。
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旧山口村のマンホールには、村の木の椿、村の花のムラサキツツジが描かれている。
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わー、蛇だ。ヤマカガシだそうで死んでいた。東海道でも2度ほど生きた蛇に出会った。
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馬籠宿が近づいてきた。旅館本三屋。
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向かいには島崎正樹(夜明け前の青山半蔵のモデルとなった藤村の父親)の記念碑がある。
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馬籠城跡(丸山城)には庚申塔などの石造物がある。丸山城は藤村の祖先島崎重通が城主だった。
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 (続く)

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2020年11月 7日 (土)

中山道12 中津川宿~落合宿~馬籠宿(1)

  木曽路の手前でストップしていた中山道にいよいよ繰り出しました。
10/22(木)曇り 昨年12月19日以来10か月ぶりです。
4時半起床で新幹線は始発から2本目ののぞみ、6時15分発。名古屋からワイドビューで中津川8時50分着。スタートは9時。新幹線よりワイドビューの方がツアー団体客で混んでいました。
中津川宿の標高は約320ⅿ。落合宿約470ⅿ。馬籠宿約430ⅿ(本日はここまで)。次回の馬籠峠は約790ⅿ。妻籠宿は600ⅿで登ったり下りたりを繰り返すミニ登山と言った感じでした。

◆中津川~落合
駅前広場にある栗きんとん発祥の地の碑(前回栗きんとんを買う)を見て前回のゴール・すや本店から街道を歩き始める。
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驚いたことに日光街道で見た二十三夜塔を中山道で初めて見た!
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茶屋坂の高札場(復元)
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はだか武兵の祠。武兵は中山道の篭かきだったが、御嶽山で悪病退散の秘法を授かり、人々の病を治した。
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茶屋坂を上がると、芭蕉の句碑がある。「山路来て なにやらゆかし すみれ草」。野ざらし紀行の句。
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伏見稲荷神社。
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入口の経王書写塔。この下に、法華経の経文を一字ずつ小さな小石360個に書いてあるものが納められているという。
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石仏・三井寺観音。園城寺(三井寺)の観音堂御本尊を菅井家が1804年に刻ませたもの。
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街道は緩やかに下っていく。道路にカラーの石が埋め込まれた道は落合宿を通り、馬籠までずっと続いていて迷わない。
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尾州白木改番所跡の碑。天明2年(1782)に設置され木曽から伐採した材木を監視していたが、明治4年に廃止された。
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めだかの学校の歌詞と新しそうな道祖神。
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もうすでに上り下りが始まる。中山道沿いにあった石仏群を集めた、子野の石仏群。「とっこん様」と呼ばれる。徳本上人がなまってついた。
他、馬頭観音や地蔵菩薩、南無阿弥陀仏碑など様々な石仏が並んでいる。
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日光街道で一石六地蔵を見たが、七体の観音像が彫られた石碑は初めてで珍しい!
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生き仏となった徳本上人の名号石がある。南無阿弥陀仏の文字は丸みをおびていて、終わりがはねあがり、縁起がよいそうだ。
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槇坂の頂上に覚明神社がある。御嶽山を開山した覚明上人が御嶽山に行く際に泊まった茶屋跡である。多くの霊神碑がある。
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子野の一里塚が見えてきた。
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街道にはこんなオブジェがあって楽しい。
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与坂立場跡。今は越前屋というカフェ。三文餅(米粉の餅に黒砂糖を煮詰めて塗ったもの)が再現され、食べられるはずだったが定休日で残念であった。
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マンホールは落合に変わる。石畳のデザインの周りに蝶、鳥、魚、花、クワガタ、カブトムシ等が描かれる。
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電車内と中津川駅を下りてから、恵那山を見つつ歩いてきたが、見回せば、あちらこちらに段々畑があって、木曽の山の中へ入る落合宿に入る前の最後の開けた景色と思われる。
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おがらん四社。木曽義仲の家来落合五郎兼行の館があった場所と言われる。おがらんというのは伽藍(大きな寺院)からきている。
兼行の妹(姉?)は義仲の妻となる巴御前と書いてあった。
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落合五郎兼行之城跡碑。隣に咲いているキンモクセイが満開で、2週間前の日光街道で満開、東京ではさらに1週間前であった。今年は3週間に渡って金木犀の香りを楽しんだ。
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おがらん橋を渡り、善昌寺の門冠の松を見るといよいよ落合宿である。この松は450年たっているそうだが昔は門を覆っていたので付いた名前だそうだ。
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  (続く)

 

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2020年11月 4日 (水)

宮田珠己著『ニッポン脱力神さま図鑑』とあきる野市・金毘羅山

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宮田珠己著『ニッポン脱力神さま図鑑』

作者・宮田珠己氏は妙な可笑しさいっぱいの人で、普通の趣味とは一風変わったものをお持ちで、風変わりな旅をする方。出版されるたびに今度は何だ!と興味津々。丁度街道歩きでいろいろな石像に出会って興味が向いていたので、読んで笑い転げた1冊です。

八百万の神の国・日本なので何処にでも、そしてこんな姿の神仏ありを紹介。
著者が15種類のエントリー(例えばイケメンとかベテランとか内気、パワーなど)を323体につけ、リラックス度もレベル1から4まで示しているのも面白い。

鹿児島・宮崎の田の神さま、青森県の主として鳥居に座る鬼(弘前市に在住の方の写真に紹介されていました)、国東半島の仁王、鹿児島の仁王、秋田の藁や木で出来た人形道祖神、肥前の狛犬です。
どれもおかしいけれど、一番傑作は鹿児島の仁王どんでどれもユーモラス。ダンスをしているみたいのや、空中浮遊しているのや、なんで上半身だけ地面にすとんとくっ付いているのかや、鼻でか過ぎのなどなど、著者のユニークな超面白い解説が笑いを醸す。
著者がかわいいと思うのは、どこかにグロテスクさや謎の要素があり、美的レベルが高くなく、それが巧まざるユーモアのレベルを高める。
実は当時コロナで身も心も免疫力が弱っていた高齢者の私に、このような本で免疫力アップするようにと子供が買って貸してくれた本であります。

 


あきる野市・金毘羅山(468ⅿ)10/2
いよいよ低山友の会が10月からあるということでその前に女子会で行って訓練した登山。
7月に行ったあじさい山を越えて行くコースでしたが、あじさい山を過ぎると急登になって、「はーはーふーふー」言いながらやっと上ることが出来ました。
というのも山の会は1月以来登っていなかったのです。随分体が衰えたものです。

あじさい山。
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銀杏がびっしり落ちていた。拾う人なし。
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急な登山道が続きます。
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頂上は誰かが書いたこんなのがぶら下がっていました。
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琴平神社 謂れは書かれていませんでした。
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アザミを見ると亡くなられた植物に詳しいアザミさんを思い出す。どうしてあんないい方が先に。
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ツルボは彼岸花とセットになっている花。
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白とピンクの萩が満開
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あきる野市のマンホール 
東京サンショウウオがモチーフの「森っ子サンちゃん」と秋川渓谷と石船橋のデザイン
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秋川で泳ぐアユ
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あきる野市に組み込まれた旧五日市町のマンホールは町の花・梅
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