« 中山道12 中津川宿~落合宿~馬籠宿(2) | トップページ | 低山へ&キンズバーグ »

2020年11月17日 (火)

中山道12 中津川宿~落合宿~馬籠宿(3)

●馬籠宿(43番目)落合宿から4.6㎞、妻籠宿まで7.3㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒。

馬籠宿は600mの急な石畳の坂道の宿場である。バス停も、駐車場も一番坂の下の京口にある。
当時の馬籠宿の様子は『夜明け前』に詳しく描かれている。著者の島崎藤村は馬籠宿の代々本陣、庄屋、問屋を務めた家に生まれた。父は正樹(小説で青山半蔵のモデルとなった)は17代当主。母・縫は隣の妻籠宿の本陣の娘であった。後に藤村の次兄が妻籠本陣を継ぐ。お隣の元酒造の大黒屋に住んでいた藤村の初恋の人・おゆうさんは妻籠宿の脇本陣に嫁いだ。
そうそう、『夜明け前』は昨年馬籠が近づいたときに慌てて読み直したのに、あれから1年、細かいことはもう忘れかけています。

馬籠宿が見えてきた。ここまでほとんど人がいなかったが、急にたくさんの人がいる。バスツアー客と修学旅行生が殆ど。
1_20201117102001

枡形。馬籠の枡形はこちら側一ヶ所のみ。
2_20201117102101
 
水車は発電施設で今も回っている。
3_20201117102101

但馬屋は江戸時代からの旅籠。
4_20201117102201

4つの資料館を下から順番に見ていきたかったが、お昼になったので先にさらに上った所にある、おゆうさんの実家の大黒屋で昼食にする。
元酒造なので杉玉がある。
5_20201117102201

藤村は小学校のときはもう東京へ出ていてあまり体験していないのに、なぜあんなに維新前後の故郷を書くことが出来たのかと思っていたら・・・
この大黒屋の大脇兵衛門信興が、文政3年(1826)から明治3年(1870)にわたる44年間記録した「大黒屋日記」を資料としたのだそうだ。

お昼は、栗こわめしセットB( 栗こわめし、お吸い物、香の物、ますの甘露煮、山菜、枝豆豆腐、びわのシロップ煮)。
この栗こわめしは「夜明け前」にも登場している。
6_20201117102401

昼食を終えて、いったん坂を下りて4つの資料館を見学。

槌馬(つちま)屋資料館(島崎家の屋号は槌馬屋)入場料払うもチラシなし。土産物店の2階が資料館。
 槌馬屋・島崎家はもと馬篭宿内湯舟沢村の庄屋を勤める家柄である。特に藤村の父・正樹自筆の文献を多数所蔵することで他に類を見ない特色を要する。
おゆうさんの写真。
7_20201117102501
島崎正樹の書。
8_20201117102501

清水屋資料館 登録有形文化財 景観重要建造物だそうだ。
代々馬籠宿の役人をつとめた清水屋原家は島崎家と親交が深かった。藤村の「嵐」の森さんのモデルである原一平の家である。藤村直筆の書簡や資料が残されている。文書、書画、陶磁器(九谷、伊万里、唐津など)、輪島の漆器類など馬籠の生活文化史ともいえる数々の逸品を展示。
10_20201117102601
11_20201117102701
12_20201117102701
13s

本陣跡・藤村記念館。
藤村の生家の跡。藤村の兄弟は誰も継がず、次兄は妻籠の本陣を継ぐ。藤村の長男楠男が継ぎ、資料の寄贈し、藤村記念館が建てられた。
母屋は明治28年の大火で焼失してしまったが、唯一残ったのが隠居所。『夜明け前』にも出てくる。藤村も幼い頃父から四書五経の素読を受けた。
14_20201117103001
15_20201117103001

・馬籠宿脇本陣史料館。蜂谷家がつとめた八幡屋脇本陣のあとである。
山口誓子の句碑「街道の 坂に蒸れ柿 灯を点す」が入口にあり、エントランスの右側には木曽五木も見える。中津川でも見た、ねずこ、あすなろ(あすひ)、ひのき、さわら、こうやまき。
16_20201117103101
ここも明治28年の大火で焼失してしまったが、当時の上段の間を復元している。
玄武石垣が残っている。亀甲型の積み石で、ここに玄武神を迎えて北の守りとしたそうである。
17_20201117103201

振り返ると遠く中津川の町が見える。
18_20201117103201

まだ先に進む。
192

高札場は修理中。
20_20201117103301

一番上の上陣馬公園へ。
秀吉と家康が戦った小牧・長久手の合戦の時、徳川勢の菅沼・保科・諏訪の三武将が馬籠城を攻める為に陣を敷いた所である。
恵那山が目の前にドーンと。
21_20201117103401
島崎藤村筆のニーチェ言葉碑。
22_20201117103401
越県合併記念碑。馬籠が中津川市に合併した。
23_20201117103501

白花洋種朝鮮朝顔の実はとげがある。近縁種のエンジェルストランペットは花が落ちるだけで実がない。馬籠宿の家の前で初めて見る。
24_20201117103501

最後に島崎家の墓へ行く。
25_20201117103601
藤村と妻冬子の墓。後妻静子との墓は大磯にあった。
26_20201117103701

ちょっと離れたところにあるのが、藤村の父母、島崎正樹と縫の墓。
27_20201117103801

これにて終了。バス乗り場に向かう。
雨が少々降り出したが、傘を出すほどではなく、3時50分のバスに乗り、中津川駅4時15分到着。

お土産は、にぎわいプラザで栗きんとん、きんつばとポポー(やまと尼寺精進日記でやっていた)を買う。
28kurikinntonyakinntuba
29_20201117104201
29no2

4時49分のワイドビューしなの19号に乗って、松本着は6時10分前に着く。
駅弁を買い6時40分のあずさ32号に乗り込む。
夕食は無農薬新鮮野菜添えの地鶏めし。ビールの他に今日は白ワインも。
30_20201117104401

家に9時過ぎに到着する。29877歩でとても楽でした。
(完)

 

| |

« 中山道12 中津川宿~落合宿~馬籠宿(2) | トップページ | 低山へ&キンズバーグ »

コメント

こんにちは
 
私としては珍しく行ったことがある場所なので、記事を拝見したら
遠い記憶がよみがえるかしら??と期待したのですが、見事に
なにもよみがえりませんでした(涙)
馬籠の宿は坂の町なのですね。石畳の道や石垣、古くからの
造りが残されている本陣や旅籠の建物の様子などとても立派で、
宿場町として栄えていたのだと偲ばれました。
資料等も残されていて、藤村の小説もあり、町民側からの
激動の時代の様子がうかがわれるのは貴重ですね。
 
ポポーのお味はいかがでしたか?

投稿: ポージィ | 2020年11月17日 (火) 11:21

★ポージィさま

早速にご覧いただき感想をありがとうございます。
そうですよね。
私も20年以上前ですが行っているのに何も覚えていませんでした。
他の名所旧跡を訪ねてもそんなことが多くて、これなら数年おきに行ってもいいのだと納得しましたが、何しろ先が短くそんなことはしていられません。この頃何でも最後と思って頭に刻み込んでいます。
平らなところは殆どなく全部坂です。特徴的な宿ですね。
藤村のお陰で、書かれた文書からいろいろなことが発掘されて貴重な馬籠の記録になる小説ですね。ともかく冬は寒く、畑もなくて、当時の大変な生活が偲ばれます。

ポポーの味はバナナみたいな感触で甘酸っぱい味があるような感じでした。

投稿: tona | 2020年11月17日 (火) 11:43

tonaさん、おはようございます♪
馬籠宿、懐かしいです。
私が訪ねたのは2008年の11月でした。
枡形、水車、但馬屋、大黒屋等、歩いた順路も同じで
写真も同じように撮ってきましたが、
槌馬屋資料館には寄らなかったので、藤村の初恋の人
おゆうさんの写真を見るのは初めてです。
“まだあげ初そめし前髪の 林檎りんごのもとに見えしとき”
で始まる「初恋」は有名ですが、こんな方だったのですね。
島崎家のお墓にも寄られたのですね。
私もお土産に栗きんとんを買ってきましたよ。
ポポーは食べたことがありませんが美味しかったですか?

投稿: hiro | 2020年11月18日 (水) 10:00

★hiroさま

こんにちは♪
hiroさんは12年前に訪れていらっしゃるのにちゃんと覚えていらっしゃいますね。
私はそれより前ですが全く覚えていませんでした。自分の記憶の悪さに驚き呆れています。

藤村の初恋のおゆうさんの写真が見られて、こんな方だったのだと感じ入りました。妻籠の脇本陣ではいいおかみさんとして働いて苦労もされたのでは思いました。
コロナの影響か、店員さんはいなくて奥さん一人が、清水屋も槌馬屋もやっていて、声かけてもいなくて、この2つの資料館に関しては順序が逆になりました。バスツアーがGoToが始まって数台やってきて、修学旅行生もいて五平餅などを食べていました。どの資料館にも誰も見学者はなく淋しいものでした。4つの資料館を出る頃は宿場から人が消えていなくなっていました。

ここの栗は小布施のよりずっと美味しいと思いました。
私にとって、ポポーは果物として特に美味しい部類に入らないけれど普通の南洋の果物より美味しいというものでした。ただ何でも初めてというのはどきどきします。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月18日 (水) 10:34

そういえば小学校の同級生は裁判官の父親から素読を習っていました。
今は弁護士です。

投稿: 佐平次 | 2020年11月18日 (水) 10:52

★佐平次さま ありがとうございます。

それは凄いですね。まるで江戸時代から藤村の時代のようではありませんか。
四書五経の素読どころか、高校のときの漢文もろくすぽ理解してなくて恥ずかしい感じです。
まあ、その後に読んだ漢詩には感銘を受けましたが。
その弁護士さん、なんとなく良い方のように思えてきます。

投稿: tona | 2020年11月18日 (水) 13:57

こんにちは。ほとんど記憶が薄れていますが、懐かしい風景が続きます。藤村記念館は覚えていますが、当時は時間に追われてスルーしてしまいました。当時の記憶で中津川と馬籠の間に県境があったと思っていて、これまえで記事で何となく違和感がありましたが、越県合併があったのですね。やっと理解しました。

投稿: 多摩NTの住人 | 2020年11月18日 (水) 15:46

★多摩NTの住人さま

スルーといえば、バスや電車の時間などを考えるとそういうことってありますね。
何しろ日帰りの私たちは、秋のつるべ落としで実質5.6時間しか歩けません。
其れも楽で良しとしましょう。
昔の信濃と美濃の境がそのままだとよかったのに、違和感ありですね。何しろ島崎藤村は長野県の人という感じですが信濃の端っこの馬籠が岐阜県の中津川市に合併したのですからね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月18日 (水) 19:01

中山道で唯一行ったことがある馬籠・妻籠なのに…
馬籠が坂道だったことぐらいしか覚えておらず
他はほとんど覚えていないのが自分だけでなくて少しだけホッとしています(;^_^A
でも私が行ったのはもう40年も前の事ですから
記憶が薄れているのも無理ないと慰めながら読ませていただきました
そしてもう一度行ってみたくなりました
「夜明け前」もすべて闇の中?状態でお恥ずかしい限りです。
こちらも頑張ってもう一度読み返してみたいです。

投稿: ビオラ | 2020年11月18日 (水) 20:31

メールありがとうございました。
体調不良のためコメントもすっかり遅れました。

藤村記念館だけ記憶しています。
30年位前でしたので。
他に見るべきものがいっぱいありましたね。
近くなのに恥ずかしいです。

投稿: matsubara | 2020年11月18日 (水) 21:05

こんばんは(^o^)/!
またまた、ご無沙汰しております (^_^;;アセッ!
前記事ももちろん拝見しています。コメント文章がまとまらず「読み逃げ」してしまいました m(u_u)mスマヌ!

馬籠宿、最後に訪れたのはいつだろうか・・・?もう記憶がないほど遠い昔になりました。たぶん、父がまだ杖を突きつつも元気だったころですら四半世紀は過ぎたかと思います。

ですからほとんど覚えていないのが実状なのですが「よもぎや」と書かれた看板・・・、これだけは何となく記憶の中の片隅に残っています。たぶん、私か両親のアルバムに写真があるのかも・・・?

投稿: 慕辺未行 | 2020年11月18日 (水) 23:57

★ビオラさま

40年前ですと、私なら坂道も覚えていません。
今回は島崎藤村と、馬籠、妻籠の関係を『夜明け前』を参考にしてしっかり見てきました。
『夜明け前』は学生時代に読んで昨年読み直しましたが、最後に主人公が悲惨な状態になったことしか覚えていなかったです。
尾張藩と木曽五木のことも改めて復習になりました。
坂道ですがその分景色抜群の宿ですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月19日 (木) 09:07

★matsubaraさま

まあ、ご無理されてコメントを頂き恐縮です。
少しずつ良くなられていらっしゃるでしょうか。毎日心配しています。
私はまだ30年にはなっていないと思うのですが、写真も見つからず、何も覚えておりませんでした。こうなると昔行ったところはもう一度行ってもいいわけですが、もう残された時間が少なくてそうもいきませんね。
早く回復されるようお祈りしています。お大事に。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月19日 (木) 09:12

★慕辺未行さま

こんにちは。
いつもありがとうございます。
やはり昔行ったところは、はっきり覚えていないものですね。
それに歴史を知らないで行くただ漠然とした観光はする意義が半減かもしれません。
ということでなるべく事前知識を得ていきたいものと思いますが、実現はしていません。帰ってきてからです。ブログのお陰かもしれません。
「よもぎや」は何のお店なのでしょうね。私の頭にもお陰様で入りました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月19日 (木) 09:23

ごく若い頃に「夜明け前」を読みましたが
殆ど何も覚えていません。
御自分の足で中山道を歩かれ、記念館や資料館を訪ねられたのなら、記憶にしっかり残るのではないでしょうか。
こんな風に自然の中を歩くのならコロナの心配は不要のようにに思われますが
今日のように感染者が激増すると、中々出かけにくくなってしまいますね。

投稿: zooey | 2020年11月19日 (木) 17:24

★zooeyさま

私もそうです。若菜集に心酔し、破戒に衝撃を覚えたのに、夜明け前は最後の部分以外全部忘れていました。
木曽の特殊性をまた知ることが出来ました。
この後2回ほど行った後に感染爆発が起きまして、遠くに出られなくなりました。
高齢者は免疫が若い人の40分の1とか書いてありました。気をつけないと家族に迷惑をかけます。何かため息が出ます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月19日 (木) 18:52

プチご無沙汰していてごめんなさい。PCの調子が悪くて修理に出していました。
馬篭宿は認知度で言えば中山道のスターですね。
tonaさんのように中山道をひたすら歩いたわけではありませんが私も2回行っています。
木曽と言えば島崎藤村ですね。
「夜明け前」は若い頃読んだ覚えがありますが、すっかり忘れています。
「まだあげそめし前髪の・・・」初恋のお相手のゆうさんの写真があるとは驚きです。

コロナの感染拡大で馬篭で足止めですか?
私も高校時代の友人との紅葉の鎌倉での食事会、中止になりました。
巣ごもりもシニアには良し悪しで・・・
コロナ禍の中での生活迷いますね。

投稿: nao♪ | 2020年11月20日 (金) 17:14

★nao♪さま

PCの調子が悪いと憂鬱ですね。それほどに私の場合は毎日触らない日はないものになっています。
馬籠は私もこれで2度目、はっきり頭に入りました。
今回は島崎藤村とよく結びつきました。
おゆうさんってこんな方だったのねとしばし見入ってしまいました。

この回の後2回中山道に行って、感染爆発となりました。もう東京から暫くは又出られないですね。
今年は新幹線に乗って遠くへは3回だけでした。
GoToトラベルやイートは続いていますし、本当にどうなるのでしょう。疲れますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月20日 (金) 20:29

懐かしい馬籠宿の様子です。
二度か三度、歩いています。
桝形、水車、但馬屋・・・写真を何度も撮りました。
昼食はどこかで摂りましたが、おにぎりだったのですよ。
残念ながら大黒屋には入れません。
島崎家の墓所も知りませんでした。
気付かなかったのかなあ。

投稿: Saas-Feeの風 | 2020年11月20日 (金) 21:52

★Saas-Feeの風さま

殆どの方が歩いている馬籠や妻籠は本当に有名なのですね。
前回は観光であまり歴史的にきちんと知らないで行ったのでした。
今回はお陰様で全部の資料館に入ってばっちり見ることが出来ました。
ここは坂の宿なので景色がいいですね。
島崎家の墓は坂で言えば半分より下で、坂下、つまり中津川の方に向かって右側に入った所にありました。
案内板の矢印もありますので気が付かれなかったのかと思われます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2020年11月21日 (土) 14:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 中山道12 中津川宿~落合宿~馬籠宿(2) | トップページ | 低山へ&キンズバーグ »