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2020年12月31日 (木)

高川山&悪玉コレステロール

11月の終りになって低山友の会のリーダーが重病で入院されました。早く治られることを祈っている毎日です。
今年は殆ど催行されなかった登山でしたのに、多分もうこれで終わりです。
11/15今年最後に連れて行った頂いたのが、中央線初雁駅から登り、富士急行禾生(かせい)駅へ下りる、富士山がきれいに見える山。
「高川山」975ⅿでした。
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頂上での富士山は直ぐ雲に隠れ、またこの山では逆光の位置にありました。
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行きも急登をあえぎながら登ったのですが、下りのこのロープを伝って下るのは怖くてきつく、あくる日両手の付け根がジンジンと痛みました。
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ホコリタケで埃を出して暫し喜ぶ。
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民家にヒイラギモクセイが咲いていて、いい香りでした。
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先日の検診で、昨年まで何も引っかからなかったのに、なんと悪玉コレステロールの値が異常に上昇。
今年は運動が少なかった。医者に空いている電車で街道歩きや登山をどんどんしてくださいと言われたものの、登山がなくなってしまった。
雑学大学も換気の問題で休業状態に。出歩くことが少なくなったことが良くなかったので、近所の公園をぐるぐる回りることにしましょう。


今年も1年間ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。

 

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2020年12月28日 (月)

読書と多摩動物公園

東京だけでも感染者1000人が目前に迫って、その上、変異ウィルス感染者がもう8人。検疫体制の遅れのみならず、こんな時に法律を一刻も早く作って、速やかに対処できるようにしていただきたいものです。罰金制度もドンドン設けて欲しい。日本は甘すぎる。危機感が政治家には特にない気がします。
山中教授が示唆されたファクターXでこのまま低調にとどまるのか、それともファクターXが解明されたり、慣れに寄って軽く考え行動する人が増えて、欧米のようになっていくのか、その行く末を見守る毎日です。
今は医学的に見解がいろいろ述べられ、ワクチンが開発され、情報が世界を飛び回る時代で、100年前のスペイン風邪やその前に度々襲った黒死病(ペスト)の時代の人は罹患し、亡くなっていくのに心を痛め、病気から逃げまどい、今とは違う恐ろしさを味わったことでしょう。
それにしても経済を回しながらコロナウィルスに対決していくことの難しさ。それに成功したかに見える国の対策はいかにや。
それにしても不思議な中国。マスクしないで密になって働いて遊んでいて感染者がいないなんて。何処も疲弊しきっているのに一人国家成長路線を突き進んでどうなっているのでしょう!不思議で不思議で。


満尾正著『食べる投資』 ~ハーバードが教える世界最高の食事術~

健康な肉体と強靭な精神、仕事や勉強するための思考力や集中力は食べることに投資することだそうだ。それにしても凄いタイトル。
「現代型栄養失調」は必要な栄養素が不足し、不必要な糖質の過剰摂取をやめるべきという。
青魚や鮭、納豆、温野菜などが目に飛び込んできた食材です。世界最高の食事術が和食用食材でした。
いろいろ書いてある中で、要するに普段学習している一日30種類の食品を食べて、
付け加えるなら運動して良く寝れば特にこれと言って凄く努力する必要もないなあと言う感想でした。
只、この食生活で強靭な精神は今更培うことはできないなあ。生まれ持ったものと何かがきっかけになって強くなっていくか努力でしょうか。


高野秀行著『謎のアジア納豆』~そして帰ってきた<日本納豆>~

納豆って日本独特の食品かと思ったらそうではなかった。
ミャンマー、タイ、ネパール、ブータン、中国などいわゆる照葉樹林帯に存在した。
そして納豆菌が藁にあるとばかり思っていたらそれだけでなく、芭蕉やバナナやシダの葉など色々なもので醗酵できるようだ。納豆菌は空気中にいっぱいいるとのこと。
水戸が納豆の発祥地かと思ったら秋田県のとても寒い美郷町だそうだ。包んだものを雪の中で醗酵するとか。それはとても重労働の仕事とか。秋田県へ水戸から教えてもらいに行って現在の糸が沢山引く納豆ができたとのことだ。


多摩動物公園

11/6 久しぶりの多摩動物公園。今はライオン園が閉鎖されている他はほとんど全部見て回りました。
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『ざんねんないきもの事典』や『とってもへんないきものたち』シリーズで色々読んだのと違って今回はまともな動物。その顔や姿態を見て幾つになっても大喜びです、
今回はコアラが1匹起きていてユーカリを食べていたんです!20時間は寝ているそうなので、しかも夜行性でめったに見られないとか。4匹いて3匹は寝ていました。元気な食いしん坊さんに目が釘付け状態でした。
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カリガネ
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エミュー
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パンダ弁当
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ターキン
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ショウジョウトキ
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猿のだんご
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キリンの赤ちゃん
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ホウライカガミに卵を産みに来たオオゴマダラ
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タテハモドキ
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2020年12月22日 (火)

中山道14 三留野宿~野尻宿~大桑(2)

 
●野尻宿(40番目)
 三留野宿から10.2㎞、須原宿まで7.3㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒。

宿場の長さは660ⅿで、木曽11宿の中では奈良井宿に次いで長い。妻籠や馬籠の方が長いと感じたけれども、古い家や店がずらりと並んでいたからそう感じたのか。中央本線野尻駅の所にある宿。
いよいよ野尻宿に入ってきた。
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ここが野尻宿の西のはずれで屋号も「はずれ」という。
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軒先に菰に巻かれた柿が干してあるのが面白い。
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七曲がりのくねくね道が続く。
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元旅籠「庭田屋」は、男はつらいよ22作目「噂の寅次郎」(昭和53年)のロケで使われた。
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その裏に入っていくと、2ⅿもある大きな地蔵や庚申塔や安政2年(1855)の廿三夜塔があった。
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木戸脇本陣跡、森本陣跡がある。明治27年の大火でこの辺り一帯焼失してしまった。
本陣跡の築山上に明治天皇御小休所碑が立っていた。伊能忠敬が1809年に本陣に宿泊し、日記に深川の自宅とここが同じ緯度と書いているそうだ。まさか東京と同じ緯度だとは!
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妙覚寺に寄る。
入り口近くの大きな常夜燈。鈴鹿峠を上がった所の常夜燈を思い起こす大きさだ。
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そして念三夜石(初めて・・・)廿三夜塔のことだそうだ。「念」は阿弥陀仏の名号をとなえることと大辞林にあるが・・「廿」と関係ないようだ。
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お寺の入り口には数々の石造物が並んでいる。
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このお寺にはマリア観音がある。千手観音風で一番上の左手に十字架を持っている。天保3年(1832)のもので、木曽川の対岸にあったのを昭和46年この場所に移転したという。
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本堂。約700年前の創建といわれるが、火災で焼失後、享保11年(1726)に再建され、さらに平成30年に老朽化の為再建された。
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鐘楼門から出て、街道に戻る。
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野尻宿の東のはずれにきた。こちら側も屋号が「はずれ」でした。
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◆野尻~大桑

宿を出たところに南無妙法蓮華経の題目碑がある。
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  台座になっている大きな石は 「いぼ石」 と呼ばれ、イボのできた人がこの石に触れるとイボが治ったと言われているそうだ。後ろの石垣は高札場の名残だ。

中山道の踏切を渡ると、木曽駒ヶ岳が見えてきた。
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大桑発電所も見えた。
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山や木曽川を見ながら進む。なんて素敵な街道だろう!
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中山道から離れた弓矢一里塚(76里目)に行ってみる。手前が墓地になっていた。
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最後に、西国三十三所供養塔、南無阿弥陀仏碑、庚申塔等などの石造物を見て本日は終了。
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大桑駅で4時17分の電車に乗り、南木曽で25分の待ち合わせ、4時56分のワイドビューしなのに乗り、名古屋着6時5分着。
駅弁とビールを買い、6時49分発ののぞみに乗る。

今回の駅弁は東海道新幹線富士山弁当。雪化粧をした富士山の形。
東京をイメージした、アサリ煮付や穴子天ぷらたれ漬、愛知県産の釜揚げしらす、大阪をイメージした牛すじ煮や芋・タコ・南瓜の煮物等がのっている・・・とのこと。形もいいし、美味しいし、大都会3ヶ所と富士山をイメージした、食材豊富ないいお弁当だった。
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東京駅8時24分着。帰宅は9時半頃。今年の中山道歩きは終わりました。今年は秋の終りになってやっと新幹線に乗ることが出来ましたが、来年の春には、歩けるのでしょうか。

(完)

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2020年12月16日 (水)

中山道14 三留野宿~野尻宿~大桑(1)

11/12(木)晴 34791歩。
東海道も鈴鹿峠前後の辺りが、日帰りではあまり歩く時間がなくなったが、中山道もこの木曽路に入ってこの先ずっと、現地往復にかかる時間の方が歩く時間より長くなってきた。歩く時間が少なく、電車で寝ている時間が増えて楽ではあります。
中央本線の南木曽駅へ、中津川から乗り換えるためには丁度良い新幹線は6:27のひかりです。本日の街道には飲食店がないので東京駅で大船軒助六寿司を購入。

静岡県からの富士山は雪はほとんどなし(神奈川県側は雲がかかっていた)。
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中津川駅で乗り換えて南木曽駅に到着したのは10時18分であった。まだまだこれから先の街道はもっと時間がかかりそうです。

中山道は高い所を通っているので、階段をたくさん上り、線路をまたぐ歩道橋を渡って、駅を眺めて街道歩きをスタート。
まず園原先生碑を見る。どんな方?園原旧富(ひさとみ)は『木曽古道記』『上坂小越記』などの著作のある江戸中期有数の神学者。1781年に門人たちに寄って建立された碑には「園原先生碣」と彫られているが、碣というのは円形の石碑のことだそうだ。
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三殿貯木所が見えた。
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●三留野宿(41番目の宿) 妻籠宿から3.2㎞、野尻宿まで10.1㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒。17~18世紀に7回も火災に遭ったという。

蛇抜橋を渡り(蛇抜とは土石流のことで、この地域ではたびたび災害に見舞われた)道の真ん中で長く伸びている猫を見て宿に入る。
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三体の円空仏(韋駄天像、弁財天十五童子像、天神像)があるという等覚寺に寄ったが見られなかった。
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鮎沢本陣跡。明治14年の大火で焼失してしまった。大火の前年、明治天皇が一泊したとのことで、明治天皇行在所跡記念碑が見える。
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斜め向かいには脇本陣跡(宮川家)。解説板があるのみであった。
宿の古い家並みには、屋号札をかけている家も多い。東海道にもいくつかありました。跡地にもこのように屋号札が立っていた。
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◆三留野~野尻

宿が終わると景色が開け、木曽川が見えてきた。これから野尻宿まで約10㎞です。
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藤村『夜明け前』、貝原益軒『きそ路の記』、『木曽路名所図会』などに
<木曽路はすべて山の中、岨づたいに行く崖の道、数十間の深さに臨む木曽川の岸>と記される場所が三留野から野尻までをさすという。藤村が後者の本を踏襲しているとのことだ。

2週間前より紅葉は一段と進み、河原は白い花崗岩で覆われ、向こうには方状節理も見える。(この場合柱状節理とは言わない)。
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国道の向かい側に椎河脇神社、金刀比羅神社と刻まれた石碑があり、少し行くとようやく旧道に入った。
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明治天皇中川原御膳水碑を過ぎると明治天皇御小休所記念碑がある。東海道や日光街道にもたくさんあったけれども、中山道にも今までたくさん見てきたような。
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柿其(かきぞれ)橋から柿其渓谷を見る。そのうち行く予定の上松宿近くの「寝覚の床」に対して南寝覚と言われる。
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江戸時代のものと思われる古い石像
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御弁当を食べるために十二兼駅へ向かう。紅葉がきれいだ。
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十二兼駅到着。階段を上った所、街道より高い所を中央本線は走っている。無人駅でトイレと待合室が上下線側にある。
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線路の向こう側の国道にある一里塚跡の碑を見に行く。
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駅に戻るとちょうど電車がすれ違うところだった。名古屋から十二兼駅までが複線でここから松本まで単線だそうだ。前回の南木曽駅は勿論特急が停まらず、単線で塩尻まで時間がかかったことに納得。
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昼食。
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木曽熊野神社や皇大神宮常夜燈を過ぎると、馬頭観音多数の石造物群がある。
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すぐそばに二十三夜塔。
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斜め向かいのお墓は田口利八(西濃運輸の創業者)の生家跡。
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坂を下る。紅葉がまたまたきれい。標高489ⅿ、大桑村に入った。
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熊出没注意の看板があった。今日も会わなくて良かった。
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木曽川が木々の隙間から見える。木曽に入ってからの木曽川はエメラルドグリーンで美しい。
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大桑村のマンホールは、村の花シャクナゲ。
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下在郷一里塚跡の石碑。77里目。
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   (続く)

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2020年12月12日 (土)

大川繁子著『92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て』

今年、赤ちゃんを産んだお母さんは新型コロナのために、ひどい苦痛を強いられ、ノイローゼになったりしている方も多いと聞きます。本当に大変な時に運が悪かったけれども頑張って赤ちゃんを育てて欲しいです。

大川繁子著『92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て』

栃木県・足利市小俣町にある私立保育園「小俣幼児生活団」の主任保育士。
30歳過ぎてから3人の子供を産み育てながら保育士の勉強をして免許を取り、姑の保育園を継ぎ、60年近く続け、今も現役だそうだ。

最近は近所に保育園や幼稚園が出来るとうるさいと言って文句を言う人がいるそうだ。
確かにそうでしょうし、私も子供の頃絶えず喋るうるさい存在だったのに、家にいて隣が青空保育園だったらちょっとと思う。
しかし駅の近所のいくつかの保育園からは音が何らかの方法で遮断されているようで静かな感じだ。
その保育園児を、まだ現役で朝から夜まで面倒見ている保育士が92歳過ぎていることに驚いた。
読んでみると、こともなげに年を感じさせずに仕事をしている。「モンテッソーリ教育」「アドラー心理学」を取り入れた普通の所と変わった教育をしている。
その一端が
「自分のことは自分で決める」
「お昼寝は強要しない」
「ルールは園児が決める」
「園児に命令しない」
いわば「ほったらかし保育園」と呼ばれる。

大変だけれどもほとんどの子供のその個性を発見し伸ばして、小学校以降の生活も個性のある、協調性のある、優しさのある子に成長しているのだそうだ。
92歳なのに、腰が痛いとか書いてあったけれど、健康で元気に仕事をして、それが楽しく、しかも勉強の連続であるというから驚く。
決して力んでいるわけでもなく、それでいて秘めているものが大きく素晴らしい先生だ。
何も仕事しなくて、猛暑日なんかもう寝そべりたくなるずっと年下の私は恥じ入るばかりだ。


今週行ってきた高齢者健康診断にはいつも質問票があるのですが、前日夜に慌てて書いたそこに、「今日は何日かわかっているか」というような質問がありました。曜日はわかっているのに、日にちは大抵わかっていませんのでNoと答えざるを得ません。
そのとき今日のお昼に何を食べたっけと思い出そうとしても、半日前なのに全然思い出せず、相方に聞いちゃいました。5歳年上の方が覚えていました。その反対もあるので似たり寄ったりですが、5年後はもっとひどいのかと暗然としました。
それにブログをやっていると、文章書きがあって、書こうとするも思い出せない言葉が出てきて、これも相方に聞くのですがいないときは、さあ大変、ネットで言葉を並べて調べるという手のかかる作業ありで、それでもわからないときはスルーという事態になりました。なんということよ。


庭にはもう余地がないので蒔きませんが、ホトトギスの種子を採ってどんなのか見てみました。小さな種子でした。
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2020年12月 8日 (火)

中山道13 馬籠宿~妻籠宿~三留野宿(3)

  ◆妻籠~三留野(みどの)

妻籠城跡に寄るために上っていく。

竹林を通り抜け、堀切、帯曲輪などをの跡を眺めつつ頂上の妻籠城址へ。
 
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秀吉と家康の「小牧・長久手の戦い」の一環である「妻籠城の戦い」の舞台となった山城だ。
又、関ヶ原の戦いに間に合わなかった徳川秀忠が、その勝利を知らされた場所でもあるという。

御嶽山大権現。
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妻籠宿が見える。
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こちらは南木曽(なぎそ)駅(三留野宿)の方だ。
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街道に戻る。
蛇石道標。蛇の頭に見える?
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良寛歌碑。木曽路を通ったときに詠んだ二首のうちの一首。
「この暮れの もの悲しきに若草の 妻呼びたてて 小牡鹿鳴くも」
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やがて大きな塚が見えてきた。上久保一里塚(57里目)である。南木曽町で唯一原形をとどめている。
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山は一部紅葉している。
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木曽川と繋がっている戦沢を戦沢橋で渡る。
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かぶと観音。木曽義仲が平家打倒のため挙兵し、北陸道を京都へ向かう際、木曽谷の南の押さえとして妻籠城を築き、その鬼門に当たる神戸(ごうど)に祠を建てて観音像を祀ったのがはじまりとのことだ。
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古い石碑が並んでいた。文政8年(1825)の百万遍供養塔、西国三十三所供養塔、庚申塔、南無阿弥陀仏碑とのことだ。
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袖振りの松。木曽義仲が弓を引こうとした際に邪魔になった松を巴御前が袖を払って横倒しにしたという。横倒しになってそこから芽が出て太くなったが、平成21年松食い虫によって枯れてしまい伐採した。伐採された松の実から育った松はまだまだ小さい。
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その伐採された松で作られた水船である。
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久しぶりに見る神社の新明神社。
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木曽川と南木曽町が見えてきた。
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南木曽駅への道との分岐点にSL(D51)があった。以前ここを走っていたようだ。
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丸太をくり抜いた中に観音さま?
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この先から三留野宿が始まるが次回に。和合の枝垂れ桜のところでこの日の街道歩きはおしまい。駅へと向かう。
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南木曽駅。
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なんと各駅停車で1時間半もかかって塩尻駅到着。駅弁もおにぎりも売り切れで、駅の外に出てみると飲食店が1軒しかない。
頼んだのがなめこラーメン、黄な粉のかかった発芽玄米、わけぎのぬた・・・で侘しい夕食になってしまった。
もう塩尻経由はやめて、次回は名古屋経由にということになった。
「あずさ」でビールとおつまみ。
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家到着は10時過ぎ。33021歩でした。


 (完)

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2020年12月 5日 (土)

中山道13 馬籠宿~妻籠宿~三留野宿(2)

●妻籠宿(42番目) 馬籠宿から7.3㎞、三留野宿まで3.2㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒。
いよいよ全長800ⅿの妻籠宿に入ってきた。

重伝建(重要伝統的建築群保存地区)の第一号だそうだ。昨年12月現在、山形・東京・神奈川・熊本を除いた43道府県、100市町村の120地区が選定されている。
昭和46年に「妻籠宿を守る住人憲章」に建物などを<売らない><貸さない><壊さない>の三原則がうたわれ貫かれているそうだ。
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藁馬実演販売のお店。大きな藁馬だ。曲物や編み笠、漆器を売る店などがあるそうだがお休みなどで目に入らなかった。
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この通りの向こうには妻籠発電所がある。昭和9年から発電しているそうだ。
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宿のメインストリートに入ってきた。出梁造りの2階屋と竪繁格子、卯建のある家などが立ち並ぶ。電線も自販機もなく、車の乗り入れ禁止。
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右側の奥の方に昔の木賃宿の上嵯峨屋がある。屋根は石葺で、18世紀の建物で、日本で最初に宿場保存事業が行われた建物。
囲炉裏や厩。
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延命地蔵堂。直径2メートルの延命岩が祀られているがその一部が見える。常に濡れているように見えたため、汗かき地蔵と呼ばれたそうだ。
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隣にあるのが大変珍しい、寒山拾得像。「箒と巻物を持った人物による双体像」。絵では見ても石像では初めてである。はっきりは見えませんが。
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高台にある光徳寺に寄って宿を見下ろす。
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枡形。屋根の上に石の乗った板葺き屋根の家が見えている。
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郵便局の書状集箱。現役のポスト。
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郵便局に資料館が併設されている。いろいろなポストが並んでいた。
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脇本陣 屋号は奥谷で造り酒屋を営み、問屋と庄屋も兼ねていた。藤村の隣人で初恋の人「おゆふ」さんの嫁ぎ先。明治10年に建て替えられた。何処もみんな撮影禁止。囲炉裏と立派な庭が印象的。
ガイドさんの説明と併設されている資料館で色々なことを知って勉強になった。
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本陣。広くて立派だ。平成7年復元されたもの。
藤村の実母の生家。藤村の次兄広助がこちらの養子になり、最後の当主となった。
藤村の『新生』の「節子」こと、「こま子」の写真を見る。この方、なんと私が勤務した学校を卒業して(私の母の先輩であった)、社会運動家として卒業した有名人として載っている。不幸な85年の人生だった。
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脇本陣にもあったが、ここにもあったかりんの木。上向きに実がなることから武士たちから好まれた。よく見ると俯く実が少なく、横や上を向いているではありませんか。空には雲一つなし。
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おもてというお店で五平餅を食べた。唯一開いていたと思われるお店。
山ぐるみたっぷりの味噌だれと自家製米を使って、さわらの串にさしたもの。美味しかった。
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ここで南木曽町のマンホール発見。町の花「なぎそミツバツツジ」のデザイン。真ん中はなぎそのナを図案化した。
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まだヘチマが成っている。ヘチマと言えば、実家で私が中学生頃からずっと作っていてヘチマの化粧水とたわしを使っていた。
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また水車があった。
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ここにも高札場跡があった。
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枡形。
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口留番所跡(中山道を行く人々を監視したところ)を通り過ぎた先にある大きな岩が鯉岩。
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鯉には見えないなあと思ったら、明治24年の濃尾大地震で形が変わってしまったとのこと。昔の絵があった。
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鯉岩の前の熊谷家住宅。19世紀初頭に建てられた江戸後期の長屋の一部。左右の建物が取り壊され、建て替えられたことから、長屋の間取りの右半分と左半分が残り、一軒の家として使用されたもの。
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  妻籠宿を出る。
 (続く)

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