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2021年1月28日 (木)

甲州街道5 高尾~駒木野宿~小仏宿~小原宿~与瀬宿~吉野宿~藤野(1)

前回の翌週、昨年の12/18(木)に5回目になる甲州街道を歩きました。
駒木野宿と小仏宿は合宿、小原宿と与瀬宿も合宿です。41671歩でした。

高尾駅に8時半頃着いて駒木野宿へと歩き始める。
まず寄ったのが高尾駒木野庭園。昭和の始めの小林病院の住居兼医院で、改修され八王子市に寄贈された。
9時に開門で入って直ぐの所に、シソ科多年草のシモバシラの枯れた茎に霜柱が出来ていた。
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家屋の前に盆栽が沢山ある。
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庭は池泉回遊式庭園である。
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枯山水の庭園も素晴らしい。
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屋内も凝った造りだった。
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そのすぐ先に地蔵尊が祀られていた。
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●駒木野宿(7番目の宿
)本陣1軒、脇本陣1軒、問屋3軒、旅籠12軒。小仏宿と合宿で、問屋の継立業務は月の内16日から晦日まで勤めた。

すぐ先に駒木野橋跡の碑があり、斜め向かいに小仏関所跡がある。甲州街道にはこんなところに小さいながらも関所があったのですね。
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駒木野宿碑 本陣跡など一つも残っていない。梅が咲き始めていた。
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念珠坂の碑(青面金剛、地蔵尊、名号碑などがある)
昔この辺りに鬼がいて人を襲っていた。ある時老婆を襲うと、持っていた念珠の紐が切れて玉が飛び散り、鬼は足をとられて坂下まで滑って、大穴に落ちてしまった。以来鬼は現れなくなったという。
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荒井バス停の先の祠の中に地蔵尊と宝永3年(1706)建立の青面金剛像(庚申塔)があった。この三猿は三面にある珍しいもの。
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蛇滝口バス停の前には旅籠「ふぢや新兵衛」があって、蛇滝信仰の講中が宿泊したそうで、「講札」が掲げられているのであった(奥の軒下)。
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バス停のところの道を入っていくと、いのはな(湯の花)トンネル列車銃撃慰霊碑がある。
1945年8月5日、中央本線湯の花トンネル付近で、列車が米軍機に銃撃され、長野、山梨の疎開地に向かう学童等52名が死亡したそうだ。
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高架をくぐって少し行くと、こんなところに峰尾豆腐店があっておからドーナツをおみやげに買ってもらった。

常林寺。板碑がある。南朝方の重鎮小山氏の末裔峰尾氏がこの地に土着して開基したお寺という。
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赤煉瓦ガードをくぐると小仏宿である。
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●小仏宿(7番目)本陣、脇本陣はなく、問屋1軒、旅籠11軒。難所小仏峠を控え賑わい、小仏川のヤマメが名物だったそうだ。今はバスの終点小仏だが、何も残っていない。

浅川神社。境内の湧水が浅川の水源になっている。「水の神」として崇敬されたそうだ。
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そのお隣にある宝珠寺のカゴノキ(鹿子の木)は都の天然記念物で、枝張りが南北22ⅿ、東西17ⅿ、高さ13ⅿある大きな木である。主幹は枯れてその周囲を枝幹が取り巻いて一株になっているそうで、生命力の強さを感じる木だ。
樹皮は灰黒色。樹皮がまるい薄片になってはがれ落ち、その跡が白い鹿の子模様になる。この樹木だと鹿子になり過ぎている感じだ。
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◆小仏峠(標高560ⅿ)へ

九十九折の急坂が続く。
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お地蔵さん。
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小仏峠は、行基が峠に寺を建て、一寸八分の小さな仏像を安置したことが地名の由来となった。

明治天皇小佛峠御小休所趾御野立所碑と三条実美歌碑。
明治天皇が宿泊されたり、休まれた場所は全国3000ヶ所とかどこかに書いてあったけれど、377ヶ所は史蹟名勝天然紀念物保存法の指定がされたが、戦後解除された。
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寛政7年(1795)建立の高尾山道標。日の当たる場所で昼食。
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寒くて冷え切ってしまい、早々に下山開始。神奈川県に入る。
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東海自然歩道や甲州道中が交差している。
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2021年1月20日 (水)

生まれ変わったら


人生の終盤に近付いて思うこと多多ありですが、自身については失敗の連続であり、楽しかったことよりそれがちらちらと、走馬灯のように流れるのです。そして苦しかったことは若いときは平気で乗り越えたけれども、もう2度と嫌だということが一杯。
それで結論は、よく「今度生まれ変わったら・・・・」ということが言われるけれども、今まで失敗続きの人生で、ずっともう2度と生まれかわって人生を歩みたくないというものです。ただ自分の今の家族だけには恵まれたことを神様に感謝、そのうちに夫と子供との別れがこの上ない辛いものとなりましょう。
ところがコロナ禍の1年を過ごして、もし生まれ変わったら、頭も良く生まれ、心身ともに強さに恵まれて(願望)、医者になって人の役に立ちたい(願望)と思うようになりました。夢の話です。


昨年は読む機会も増え、昨年新年早々に夏目漱石記念館を訪れたのを機に、漱石全集全10巻を全部読み終えたことで、博覧強記ともいえる明治の文豪の顔を改めて知ることが出来ました。それにしても医学も薬学も今より発達していなかった時代の漱石の胃病が気の毒でならなかったです。


『無菌病棟より愛をこめて』加納朋子著

著者の初期の頃の作品が、「日常の謎」を解くストーリーが特徴と言われる北村薫に似ているということで両者あわせもって読んでいたのは昔。
小説と思って読み始めたら、なんと著者は急性白血病に罹って弟から骨髄移植を受けていた闘病記であった。
池江璃花子の闘病生活が酷いものであったという話と同じく、白血病もなかなかに大変なガンであることを知る。ただもう10年経過してまだお元気で活躍されておられるようで、治る病気でもあるのだ。池江さんもオリンピックに向かって頑張っているし、渡辺謙も1889年に罹り、再発し5年後に治癒している。
小説から想像していたほんわかした方と思いきや、闘病中も辛い中にも姉御肌風の実に威勢の良い方で、温かい家族、親・姉弟妹の恵まれた方であった。さすが小説家で具合が悪くても殆ど記録していたのである。酷い闘病生活ではあるが、明るく見えてしまう著者の人柄がなかなか好感度大の1冊。


『空白を満たしなさい』平野啓一郎

オカルトっぽい、SF的な部分があるのに一気読みした不思議な1冊。SFは映画は面白いけれど、本は苦手で殆どダメです。

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米原万里著『発明マニア』

妹さんの井上ユリさん(井上ひさしの後妻)が書かれていますが、万里さんは小さい頃から発明好きだったそうな。ものすごい集中力と思考力と馬鹿力があって、することがことごとく面白かったそうです。
で、この本には119の発明が書いてあるわけですが、笑ってしまったというか、実現したらいいのにと思ったのもたくさんありました。
・温暖化で上昇した海水を淡水化して、砂漠に巨大な穴をあけて作った人造湖に流入するとか、
・だんだん暑くなっていく地球で、1年中快適に過ごすには夏は南極の冷たい空気を北半球に、冬は北極の空気を南半球にパイプを通して送り込むと言った趣旨の稀有壮大な発明なのです。
56歳で亡くなる直前の2006年5月まで書き続けています。さし絵も全部ご自分で。119のうちの一つでも実現してほしかったなあ。
今もご存命だったら、まだまだたくさんの本を上梓して楽しませていただけたのに、向田邦子さん同様に惜しまれてならないです。

 

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2021年1月13日 (水)

甲州街道4 矢川~日野宿~八王子宿~高尾(2)

◆日野~八王子

日野宿を出てすぐ古い庚申塔がある(1694年と1757年)。
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中央自動車道の高架をくぐると、長い日野自動車の敷地が続き、終わったところにの日野台の一里塚跡の説明板が(10里目)。

銀杏並木が高尾の方まで続く八王子に入った。散り始めているけれどもまだまだきれいだ。
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八王子のマンホールは、幕末に多摩地域で始まった郷土芸能である人形芝居、八王子車人形のデザインである。
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昼食はすし屋でスペシャル握りにした。
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八高線を跨ぎ、少し進むと慶安2年(1649)徳川家光より御朱印社領五石を賜ったという日枝神社がある。新選組の土方や沖田が京に上るときここで大暴れしたという。
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大和田橋で浅川を渡った。橋には焼夷弾が落ちた個所が色の違った石で示されていた。
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渡った先に竹の鼻一里塚跡(11里目)。榎は焼けてしまってない。
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お隣の永福稲荷
江戸中期に活躍した力士・八光山権五郎像で191㎝で実物大。ここで勧進相撲を奉納したという。
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芭蕉碑もあった。「蝶の飛ぶ ばかり 野中の ひかげ哉」。
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子安神社。安産祈願の底抜け柄杓を奉納する習わしがあり、成就すると底のある柄杓を奉納する。これは底抜けの方の柄杓。新しいのが随分たくさん奉納されていた。
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●八王子宿(6番目) 本陣2軒、脇本陣3軒、問屋2軒、旅籠34軒。八王子城は北条氏照の居城であったが秀吉により落城させられ、家康が大久保長安に街造りを命じた。
宿並は東から横山宿、八日市宿、八幡宿で構成され、総称が八王子宿である。

市守大鳥神社の前が八王子宿の江戸口である。

八幡八雲神社。
多摩丘陵一帯から相模に勢力を張った横山氏(武蔵七党のひとつ)の居城跡で、横山党の守護神で八王子総鎮守であった。
本殿の屋根が実にユニークだ。
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狛犬も今までにない面白い形!
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これは宿の真ん中の八日市宿跡碑。八王子夢美術館の前だ。八王子宿の中心であった。
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禅東院へ。とうがらし地蔵がある。唐辛子がちゃんとぶら下がっていました。飢饉の際に唐辛子を内藤新宿の問屋に卸し、救われたところから祈願の際に備えるようになったとのこと。
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念仏院には時の鐘がある。
元禄12年(1699)八日市宿の名主・新野与左衛門が発願主になり、千人同心等の寄付で寄進され、昭和初期まで明け六つ(午前6時)と暮れ六つ(午後6時)の時を告げた。
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街道に戻り少し進むと、創業135年あまりのこんにゃくと寒天のお店、「なかの屋」で、おみやげにあんみつセットを買ってもらった。翌日食べたら寒天が昔の味を思い起こさせとても美味しかった。


追分道標(陣馬街道との別れ道)に入ったところに八王子千人同心屋敷跡記念碑がある。
家康は武田氏の旧臣を召し抱え、甲州口の押さえとしていた。碑の辺りに幹部の屋敷や邸宅があり、平同心は八王子周辺で半士半農の生活を送った。
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甲州街道の方に戻り、少し進むと了法寺がある。
入口に設置された美少女イラスト看板から「萌え寺」としても知られるそうだ。千人同心の墓が見つからない。
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宇賀神様
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向かいの道を入ったところにあるのが興岳寺で千人同心頭の墓がここも見つからない。次の宗格院も同じく見つからず。

「右高尾山道」「左真覚寺道」と刻まれた道標の後ろが散田の枡形跡。
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◆八王子寺~高尾

長安寺。屋根の上の方の金色は葵の御紋。徳川家との関係はわからない。
参道の敷石は以前八王子市内を走っていた路面電車・武蔵中央電気鉄道の敷石だ。
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境内には寛延3年(1750)と安永5年(1777)の地蔵もある。1700年代というととても古い印象だ。
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八王子いちょう祭りコラボの自販機があった。ムーちゃんと呼ばれるキャラだそうでムササビとのこと。
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ずっと続いていた銀杏並木も、東ではあまり散っていなかったのに、この辺りではこの1本を除いて殆ど散ってしまっている。
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八王子市役所横山事務所内にあるオオツクバネガシ。浅間宮の御神木である。
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武蔵陵墓地参道道標(昭和天皇の陵墓)及び多摩御陵参道道標(大正天皇)を右に見て旧道に入ると山王社がある。
松姫ゆかりの子育て地蔵がある。
松姫は武田信玄の六女で、武田家滅亡後八王子に移り、三人の娘を育てた。松姫は千人同心の心の支えだったという。
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黒塀の旧家が続く。
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最後に寄ったのが天正元年(1573)八王子城主北条氏照が再建した熊野神社。
縁結びの木と呼ばれる欅の木と樫の木の根元がいっしょになって成長した相生木がある。北条氏照の家臣で篠村左近之助の娘に安寧姫という美しい娘がおり、郷士の息子で笛の名手である若者と恋に落ち、この木の下で逢瀬を重ねた。この木の根元に自分の名前と思いを寄せる人の名前を書いた小石を二つ置くと願いが叶うのだそうだ。
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4時54分の電車に乗り地元駅に5時22分到着。
なじみのお店であん肝と白子ポン酢あいもり、白魚と生海苔の卵とじ、海鮮しそべージェピザ、いかとにらのチヂミを食べ、短時間で切り上げる。
帰宅は7時半でした。本日はずっと平らでした。
次回は小仏峠越えで相模湖へ下りていく。

 

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2021年1月 8日 (金)

甲州街道4 矢川~日野宿~八王子宿~高尾(1)

12/10、もう1回行く予定だった中山道だったが、中山道を歩いた11/19に東京の感染者が突然500人を越えて仰天したのでした。そこで近間の甲州街道を歩きました。45610歩。・・年を越して昨日1/7は2447人で数字に麻痺しています。日本はもう約26万7千人も感染し、死者が約4000人近く出ているのですね。

前回は府中宿でしたが「ちはやふる」のマンホールを見て映画の「ちはやふる」を鑑賞。実際にもカルタ部のある学校があって学生に熱血カルタ人がいることを想像して驚いたのです。マンホールを見なかったら知らないままと思うと出会いの不思議を想う。人生はそれの連続とも思う。

甲州街道を参勤交代で通過する大名は、高島藩諏訪氏、高遠藩内藤氏、飯田藩脇坂氏(のち堀氏)の3藩に限られ、交通量は五街道中最も少なかった。

◆矢川~日野

8時前の電車に乗ると8時10分にはJR南武線・矢川駅に到着。
矢川を渡ったところに五智如来があった。五智とは仏教でいう五の智(大円鏡智 妙観察智、平等性智、成所作智、法界体性智)を備えた仏で大日如来の別名といわれる。
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元青柳村の常夜燈や馬頭観音を見て、立川市に入り、マンホールを見つける。デザインは市の花のコブシ。
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日野の渡し場の碑とその下の写真は日野の渡し碑。
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最初の渡し場はもっと下流の万願寺の渡しだったが、低地で度々洪水に見舞われたため、貞享元年(1684)日野の渡しができた。3月から10月までは舟渡しで,大小2隻の平底船が使用され、冬は土橋が架橋されたが。文政7年(1824)以降は1年中舟渡しとなり、大正15年日野橋ができたため渡しはなくなった。
江戸の頃、武士、僧侶、宿の人たちは無料だったそうだ。

土手にあがり多摩川に出た。立日橋を渡る。ここからはお正月にダイヤモンド富士が見え、撮影場所である。私も撮影したことがある。
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橋の上にはモノレールが通っている。
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ようこそ!「新撰組」のふるさと日野へという看板に迎えられる。あっという間に立川市が終わり日野市に入ってきた。
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日野市のマンホールのデザインは、市の鳥カワセミである。
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●日野宿(5番目の宿) 本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒、旅籠20軒。多摩川の渡し場も管理する。

江戸口にあるのが東の地蔵で福地蔵ともいう。お地蔵さまの前には馬頭観音があった。
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道はここで右折。有山家(屋号綿十)。明治26年の大家の後に建て替えられたようだ。洋館と蔵がある。
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本陣到着。甲州街道には東京、神奈川、山梨と本陣が1箇所ずつ現存する。
この日野宿本陣が都内に現存する唯一の本陣建築である。東京都指定史蹟。
宿場には2軒の佐藤家があり、西側の佐藤隼人家(上佐藤家)は本陣を、東側の佐藤彦右衛門(下佐藤)は脇本陣をつとめたが、幕末には下佐藤家も本陣を称している。現在の建物は火事で焼失したのち元治元年(1864)に再建されたもの。
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式台玄関があり、内部は広く庭は今も手入されている。
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天然理心流佐藤道場もここにあって、近藤勇が教授にきて、土方歳三、沖田総司、井上源三郎等が稽古に励んだそうである。道場跡碑や明治天皇日野宿小休所及建物附御膳水碑があったが写真撮り忘れ。

次に、向かいの日野宿交流館へ(元信用金庫だった)。在りし日の日野宿の様子が良くわかって、なかなか良い展示であった。
ジノラマで在りし日の日野宿を見る。茅葺と瓦の屋根が混ざり合っている。
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元の金庫の中も展示室になってい、金庫室の大きさがわかった。展示されていたのは漁の道具で、当時の絵が目を惹いた。富士山も見えているし、ここで鵜飼漁をしていたとは。
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問屋場・高札場跡碑。月の前半は下佐藤家、後半は上佐藤家が問屋をつとめた。
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大昌寺に寄る。
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一石六地蔵の一種、前後に一地蔵、両脇に二地蔵彫がられている。
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墓地には佐藤家の墓がある。下佐藤家の彦五郎とノブの名があったが、ノブ(享年47歳)は土方歳三の実姉である。土方歳三の生家は外れたところにあるので行かなかった。
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これは武蔵国立川郷の領主・立川能登守の子といわれ、日野宿の人に請われて大昌寺を創建したという讃誉上人の墓である。
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街道に戻ると八坂神社がある。天然理心流近藤周助(勇の養父)の門人が奉納した額があるとのことだが、見ることはできなかった。
ここの絵馬は新撰組のだんだら模様!
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宝泉寺の本殿。
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達磨像。
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墓地に日野宿出身で、鳥羽伏見の戦いで戦死した新撰組副長助勤六番隊組長・井上源三郎の墓と顕彰碑が見つけられなかった。

坂下地蔵が西の地蔵(中の地蔵を見忘れる)。ここが日野宿の京口である。
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2021年1月 4日 (月)

2021年の年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

このコロナ禍で、子供たちとは玄関先門扉でマスク姿で対面ですぐ別れるという異例のお正月でした。
そして初詣はかなり後に行くことになります。

そんな中、ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートでリッカルド・ムーティー指揮の無観客での演奏を聴き、至福の時を過ごしました。
2日、3日と箱根駅伝テレビ観戦で最後の駒大が創価大を抜き去るハプニングもあり、選手たちの苦しいのに爽やかな顔を見つめっぱなしの数時間がまた良かったです。
今年も色々なことがあるかもしれないと思いつつ、夫のこれが最後かもといういくつかの発言に、自分もそうなのだと、毎日大切に生きていくという決心をした年頭でもありました。

ネットで見たのですが「ビャン」と読む漢字があってこの文字を使ったビャンビャン麺があるそうです。
どんな中華そばなのでしょう?食べてみたいです。
下手な字で見にくいですが穴冠、糸が2つ、真ん中に言、その下に月・長・馬・長・剃の旁、その下に心、最後にしんにょう。全部で57画。私が数えると59画になってしまう。糸が違うかな。いやはや驚きました。

八丁堀にある【秦唐記(シントウキ)】というお店。ここで食べられるのは「ビャンビャン麺」という、何やら怪しい名前の中華麺。これは中国の西安で一般的に食べられている、平たい幅広の麺のことで、ネギや唐辛子、山椒をのせ、タレをからませて食べる汁なしのきしめんのような食べ物です。一体どんな味なのか。
麺を打つ際に「ビャンビャンッ!」と音がすること. zooeyさまに教えていただきました。ありがとうございました。
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先日にも愚痴をこぼしてしまったわけですが、ますます心配になったのが頭の中。思っている単語が出てこない。昨日もヴェルサイユ宮殿やユニクロというごく簡単な何度も言っている言葉が出てこなくて、こんなことが一日に10回以上はあるかも。頭の中が真っ白状態なのです。ここ2ヶ月がひどくなりました。これは重大な欠陥が頭に生じたとしか思えない。これではブログも思うように書けないし、コメントも書けない。それよりこのまま認知症にまっしぐらかしら。どうしたらいいのだろう。傾向と対策なる本もなく~~。ドリルをやって治るものでもなさそうだし、ああ、困った。一番なりたくないのが認知症と癌、寝たきり病なのです。何度も経験している入院も。

今年の家から見る富士山。こんな汚い写真は失礼なのですがますます家が建ちそれに伴って電線が。日本は実は家の周りはそんなにきれいではないのです。
雪が駿河灘方面と山梨方面のこちらから見える端に雪がない状態で、昨年12月からは晴れっぱなしで1日降っただけだから?富士山は例年にないような冠雪状態でした。
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また街道歩きかという私のブログですが、それを読んでいただいて感謝しております。その街道歩きも出来ない事態が目の前に迫っています。早く緊急事態宣言をでしょうか。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

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